キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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17:揺るがぬ決意の証

 

 

          □□□

 

 

「やぁッ!」

 

「はぁッ!」

 

 

 アリスとキリトは声を合わせて互いに剣を振るった。アリスの水平斬り、キリトの垂直斬りが交差するようにぶつかり合い、かぁんという乾いた音が響き渡る。

 

 普段使っている金木犀の剣であったならば、ここで鋭い金属音と火花が散るものだが、今アリスが使っているのは訓練用の木剣であるため、そんな音も鳴らなければ火花も散る事はない。

 

 対峙するキリトも同じ木剣を使っている。双方が訓練用の木剣を手に持って、斬り合いに臨んでいるのだった。(すなわ)ち実戦に向けた訓練だ。

 

 真剣ではないので、切り傷を負う可能性は皆無に等しいが、背中を撫でる緊張感は実戦のそれであった。

 

 

 メディナがグラジオと共にどこかに飛んで行った後、入れ替わるようにしてベルクーリ閣下達が戻ってきた。話を伺ったところ、ベルクーリ閣下は《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》となったファナティオ殿を無事に鎮圧でき、元に戻せたのだという。

 

 それはベルクーリ閣下の《EGO》の力もあったが、一番は整合騎士四人が力を合わせて戦った事だったそうだ。《EGO》があったとしても、自分一人だけでは勝てなかっただろう。改めてシェータとリネルとフィゼルには礼を言わなきゃいけない――というのが閣下の言だった。

 

 そして元の姿を取り戻したファナティオ殿が閣下に礼を言ったところ、その《天穿剣(てんせんけん)》に不思議な光の紋様が現れるようになった。閣下(いわ)く「オレと同じように《EGO》を獲得できたんだ」との事だ。

 

 それはシェータ殿も同じだった。彼女の持つ《黒百合の剣》も不思議な形状の光の紋様が浮かび上がるようになっており、明らかに感じられる力の波動が強くなっていた。

 

 だが、それらを持ってしても元凶である《カラント・コア》を切り倒す事はできず、放置するしかなかったそうだ。

 

 ベルクーリ閣下からその話を聞かされるなり、キリトがリランの背に乗って西帝国の最西端まで直行。一時間半くらいで彼は戻ってきた。

 

 話を(うかが)ってみたところ、自分達が西帝国に(おもむ)いていた時に立ち塞がってきた邪魔者がいなくなってくれたおかげですんなりと現地に向かい、空間神聖力を吸い取る程度しかできなくなっていた《カラント・コア》を容易に斬り倒す事ができたそうだ。

 

 これにて西帝国の(うれ)いは断たれた。後は《カラント・コア》を根本とする《カラント》が産み出した魔獣と、呼び寄せた《EGO化身態》を倒し切れば終わり。そして強大なそれらも確認されていないという事だったので、残りの処理はやる気のある近衛兵達に任せる事となった。

 

 その日の夕方、北帝国から戻ってきた――向かった時よりも親密そうにしている――メディナとグラジオから、西帝国で彼女達のやっていた事を聞く運びとなった。

 

 メディナ達が当時やっていた事は、《カラント》が産み出す魔獣と、呼び寄せられてくる《EGO化身態》を倒す事で発生する空間神聖力を《カラント》に吸い取らせる事で《実》を付けさせ、収穫する事だった。

 

 生命の源とされる《カラントの実》は濃密な神聖力で構成されており、ハァシリアンによれば、それを十分に集める事ができればアドミニストレータが復活するという話だったのだという。

 

 その話に乗せられてしまったメディナは《冒険者達》と共に、収穫した《カラントの実》をセントラル・カセドラルの秘匿領域へ送っていた。その実の収穫量は既に十分すぎるほどであり、アドミニストレータの復活に使えるほど集まってしまっているのだという。

 

 つまり、《あの悪霊》の復活は近い。《あの悪霊》の復活を阻止するのはほぼ失敗しているので、復活した《あの悪霊》をハァシリアン共々完全に討ち滅ぼす事を最終且つ最重要の目標とする――最高司祭クィネラ様は相変わらずとても丁寧な言葉遣いで対策本部の全員に布告した。

 

 その夜から、クィネラ様とカーディナル様を中心に作戦が練られ始めた。ベルクーリ閣下もそこに加わっていたが、他の整合騎士達はそこにいなかった。その日は一旦身体と頭を休めるように三人から言われていたためだ。

 

 アリスも指示に従い、その日の夜は身を休める事にした。疲労を募らせた身体を癒すために大浴場に向かったところ、妙に楽しそうにしているファナティオ殿と、同じく妙に嬉しそうにしているルコと出会った。

 

 どうして二人とも楽しそうにしているのだろう――彼女らに首を傾げながら入浴を済ませ、自分の天幕に戻って眠りに就いた。

 

 その翌日の朝、支度を済ませてクィネラ様の元へ赴いたが、まだ作戦の基礎となる部分を練っている最中だった。気が()ったアリスを見たベルクーリ閣下は「今日中に組み上げて皆に伝えるから、それまで訓練しててくれ」と指示。

 

 昨日と同様にその指示に従ったアリスは、木剣片手に訓練所に赴いた。そこで同じように木剣を両手に持った二刀流の姿勢でユージオと訓練を繰り広げているキリトを見つけ、「立ち合いをしても良いですか」と尋ねた。

 

 すると彼は快く「いいよ」と答えてきたので、立ち合いを始めたのだった。

 

 あくまで模擬戦であり、実戦に向けた訓練。しかし相手役を買ってくれたキリトから感じられる闘気は実戦の時のそれであった。「訓練だからと言って気を抜くな」とはベルクーリ閣下のお言葉だが、キリトを相手にするとそれはより強さを増すようだった。

 

 

「せぇいッ!!」

 

「だぁッ!!」

 

 

 ほぼキリトと同時に掛け声を出して斬りかかる。今度は右上から左下への振り下ろしだ。対する彼は二本の木剣を水平に振るってくる。

 

 もう一度双方の木剣がぶつかり合い、がぁんっという鈍く乾いた音が周囲に響き渡った。併せて衝撃が剣を伝って流れ込んできて筋肉に震えが生じる。

 

 ただの木剣を打ち付け合っているだけだというのに、真剣をぶつけているような錯覚が感じられていた。

 

 以前からそうであった――そもそもそれが良い――のだが、キリトは実戦でも訓練でも変わりないように打ち込む人だ。持っているものが木剣であろうとも、放ってくる一撃の重さは真剣のそれと何も変わらない。

 

 勿論こちらもそれに合わせて、いつもの《金木犀の剣》を持っているつもりで打ち込んでいる。だが、それでもどこか後れを取っている気がしてならない。

 

 前に彼と剣を交えたのは、セントラル・カセドラルがまだ健在で、尚且つ自分が《あの悪霊》の支配下にあった頃だ。キリト、シノン、ユージオが《あの悪霊》の悪行と支配にいち早く気が付き、それを止めに来たという事を露知らず、ただの闖入者(ちんにゅうしゃ)だと思い込み、退けるべく戦った。

 

 その結果、アリスもまた《あの悪霊》に立ち向かう勢力へ加わり、そして恋人であるユージオとの再会を果たした。今となってはキリトは、《あの悪霊》の支配を断ち切り、自分を大切な人に会わせてくれたうえ、その人との関係を深くしてくれた恩人だ。

 

 そんな彼はというと、明らかに強くなっている。見た目や構え方こそは以前戦った時と変わりないが、その剣捌きの鋭さ、素早さ、一撃の重さは比べ物にならないくらいに強化されている。

 

 やはり彼も《EGO》を得ているからであろうか。いや、キリトの《EGO》は修剣学院に居た時にライオス・アンティノスなる上級貴族生まれの者が《EGO化身態》となった際に覚醒し、セントラル・カセドラルに連行された時点で既に彼の手の中にあったとの事だ。

 

 実際にエルドリエが《EGO》を持つキリトの相手をし、大いに苦戦を強いられたという話も聞かされている。つまりはカセドラルで自分と戦った時にも、出さなかっただけで、彼は《EGO》を持っていたという事だ。

 

 だから、今の彼の状態自体はあの時と変更点がない。なのにここまで彼が強く感じられるのは、彼がこれまでカラントと《カラント・コア》の作り出す魔獣や《EGO化身態》の数々を相手取り、その全てを叩き伏せてきたからであろうか。

 

 自分も彼と行動を共にして、魔獣も《EGO化身態》もかなりの数を倒してきた。恐らく討伐数に関してはほとんど同じのはず。だが、それでも彼の方が強いというのだろうか。やはり彼にはそういった面では天賦(てんぷ)の才のようなものが――。

 

 そう思ったのが悪かった。アリスが思考を巡らせているうちにキリトは次の行動へ出た。アリスの剣を右手の剣で抑えたまま、アリスの右側へと回り込んできたのだ。咄嗟(とっさ)に彼の飛び込んだ右側に意識を向けたが――そこは真っ暗だった。

 

 

「しまッ……!」

 

 

 ()()に回り込まれた。アリスは身体ごと右方向へ向き直ったが、直後に全ての動きを止める事になった。キリトが左手の木剣をアリスの喉笛付近に向けてきていたからだ。

 

 もし真剣だったならば、首を斬られて終わっている。

 

 ……負けた。アリスは剣を下ろした。

 

 

「……お見事です、キリト。流石ですね」

 

 

 そう言ってアリスはもう一度キリトを見つめたが、そこで少しきょとんとした。キリトが苦虫を噛んだような顔をしていたからだ。

 

 どうしてそんな顔をしているのですか――と尋ねようとしたが、キリトの言葉の方が早かった。

 

 

「……アリス。君はその眼をそのままにしておくつもりなのか」

 

「え?」

 

 

 キリトは剣を下げた。

 

 

「君、俺が右側に回り込んだだけで焦ったじゃないか。それで右へ向く時もかなり大振りだった。それって、右側が死角になっているからじゃないか?」

 

 

 思わず言葉が出なかった。彼は初めからこちらの動きを見ていたのだ。右側に回り込まれた時にどうするか、どんな反応をするのかを。

 

 最後までそれを見たキリトは、更に曇った顔をする。

 

 

「……正直、君の反応を見た時には、やった俺もひやっとしたよ。もし、俺が知能の高い《EGO化身態》だったなら、今の時点でアリスの命を奪えてたって事だから……」

 

「では、私が弱くなっているとでも? 私が右眼を失っているために、あなたとカセドラルで戦った時よりも弱くなっていると言いたいのですか」

 

「そうじゃない。君の剣はあの時よりもずっと重く鋭くなってる。君は確実に強くなっていると思う。だけど……」

 

「――アリス」

 

 

 割って入ってきたのはユージオの声だった。自分とキリトの立ち合いを離れたところで見ていた彼が駆け寄ってくる。

 

 キリトとの模擬戦に夢中になっていたせいで存在をほとんど忘れてしまっていた。自分にとってはこれ以上ないくらいの大切な人であるというのに、その人がすぐそこに居た事さえ忘れてしまうくらいに模擬戦に集中してしまっていたようだ。

 

 彼との日々を思い出そうと必死になっているというのに、何かが重なればあっさり忘れてしまうなんて。アリスは奇妙な自己嫌悪に襲われながら、駆け寄ってきた大切な人に尋ねた。

 

 

「ユージオ、あなたもそう思いますか。私は右眼を失う前よりも弱くなってしまっていると思いますか」

 

「ううん、そうは思っていないよ。だけど、今のアリスにとって、右眼が見えない事は弱点を作り出しているとは思う」

 

 

 弱点――そう言われると胸の中がずきんと少し痛んだ気がした。ユージオが続けてくる。

 

 

「最近は一際強い魔獣や《EGO化身態》が出てくるようになってる。特に昨日僕達で鎮圧したメディナが《EGO化身態》になった姿も、並大抵の強さじゃなかったし、人並みの知能も持っていた。またあんなのが出てきた時の事は想像したくないけど、もし出てきたなら、アリスが右眼が見えないっていう弱点を把握して、そこを突いてくると思うんだ」

 

「……」

 

「だから、カーディナルさんかクィネラ様に言って、右眼を治してもらった方がいいと思うんだ。キリトもそう言いたかったんだろう?」

 

 

 ユージオに問われ、キリトは頷く。

 

 

「あぁ。右眼が見えない事によって、アリスの動きには明らかに制限が生まれてしまってる。ユージオの言った通り、知能の高い《EGO化身態》がそこを見逃してくれるとは思えないんだ。俺はそんな頭の良い《EGO化身態》との戦いでアリスが命を落とすなんて絶対に嫌だ」

 

 

 つまり、二人とも自分の事を心配して言ってくれている。だが、アリスは中々その気になる事ができなかった。

 

 そもそもこの右眼が破裂した原因は、悪霊アドミニストレータと彼の者が支配する公理教会に反逆するという決意を抱いたためだ。

 

 もうお前には従わない。もうお前達の自由にはさせない。人々を縛るお前達を倒させてもらう――その決意の証そのものだった。

 

 そんなこの右眼を治した時、何が起こるのか。確かにわざわざ顔を動かして右を確認したりする必要もなくなり、隙もなくなるだろう。

 

 今しがたの訓練の際にキリトがしたような動きにも付いていけるようになるだろう。

 

 だが、本当にそれだけで済むとは思えない。その事をアリスは話した。

 

 

「……恐ろしいのです」

 

「え?」

 

 

 キリトとユージオはほぼ同時にアリスに向き直った。

 

 

「この右眼が爆発した時、私は《あの悪霊》と《あの悪霊》が作った公理教会に反逆すると決意しました。この右眼の今の()(よう)は、私の反逆の証なのです。だからこそ、今まで治さずに、治してもらわずに来ました。

 二人の言うように、最高司祭様やカーディナル様に頼めば治してもらえるのもわかります。ですが、もし本当に治してしまったら、私は《あの悪霊》の操り人形に戻ってしまうのではないかと不安なのです。最高司祭クィネラ様にお仕えする整合騎士ではなく、《あの悪霊》に支配される兵器になって、メディナ殿のように《あの悪霊》に良いように使われてしまうのではないかと……そう思ってしまって、恐ろしいのです」

 

 

 この右眼を治した時、エルドリエが前に言っていた《アドミニストレータの呪い》が息を吹き返し、自分を再び支配するのではないか。

 

 自分が抱いた決意は泡沫のように消えてしまい、ここにいるキリトにも、そして大切な人であるユージオにも剣を向けるようになってしまうのではないか。

 

 無論、そんな事はないだろうとも思えている。だが、どうにも不安で仕方がない。その事を全て伝えると、ユージオがまず答えてきた。

 

 

「アリス、大丈夫だよ。君の決意は本物だ。右眼を治したくらいで消え失せるようなものじゃないし、アドミニストレータの操り人形に戻ったりもしないよ」

 

「……ありがとう、ユージオ。ですが、どうにも不安が(ぬぐ)えないのです。いったいどうすれば、この感覚は払拭(ふっしょく)できるというのでしょうか。せめて私と同じような境遇の人がいれば、或いは……」

 

 

 明らかにユージオを困らせる質問であったが、それでもアリスは言わずにはいられなかった。その質問に答えてきたのは、キリトだった。

 

 

「それなら、ユージオも同じだよ。ユージオも公理教会へ反逆する決意を抱いて、そのうえで右眼を失っているんだ」

 

 

 アリスは思わず驚いた。自分と同じ境遇にいる人が、目の前にいるユージオだって?

 

 という事は、ユージオは自分と同じように悩んだ末に右眼を治したのだろうか。

 

 

「本当なのですか、ユージオ。あなたも私のように右眼を?」

 

「えっと、うん」

 

「ならば、あなたはどうだったのですか。私が抱いたような不安に襲われたりしたのですか。だとすれば、どうやってそれを乗り越えたのですか」

 

 

 思わず早口で問いかけると、ユージオは少し悲しげな顔をした。

 

 

「ごめん。僕の場合は、その質問の答えを持ってないんだ。僕は禁忌目録を犯した事の混乱が残る中で、気付いたら治療を受けていたようなものだからね。禁忌目録もそうだし、《EGO化身態》になったライオスを倒さなきゃいけないって気持ちに駆られた後だったから、右眼を治す事に意味なんて求めなかったんだ」

 

 

 その話はキリトとシノンから詳しく聞いた事がある。その時、どれほどの混乱が起きていたのかも、今となっては容易に想像できた。とても自分のように右眼を治す事に悩む余裕などなかっただろう。

 

 では、私のようにはならなかった――と思ったところで、ユージオは顔を上げた。

 

 

「でもね、一つだけ確かな事実がある。それは、僕の決意は変わっていないって事だよ」

 

「えっ。ほ、本当ですか。右眼を失った時から、ずっと変わらず?」

 

「うん。アリスも当然知ってる話だけど、僕はライオスが《EGO化身態》になる前に、ウンベールの事を斬ったんだ。あの二人はティーゼとロニエを縛り上げて暴挙に出ようとしたうえ、ルコを殺そうとしたんだ。それを見た時、初めのうちは何もする事ができなかった。 

 ティーゼ達を助けようとすれば、裁決権を妨害する事になり、僕は罪を犯す事になる。生まれてからずっと正しいと思ってきた法、禁忌目録を破る事なんてできっこない。それでも、目の前には助けなくちゃいけない人がいる。どうすればいいかわからなかった」

 

 

 ユージオはキリトの方を見る。

 

 

「だけど、その中でキリトの言葉を思い出したんだ。『定められた法にただ従う事が正義とは限らない。本当の正義は悩んで探し出した答えの中にしかないんだ』ってね。その言葉を思い出して決意した。目の前で救いを求める人を助けるんだって。例えそれが禁忌目録に逆らう事だとしても、今はそうすべきだと、僕は思ったんだ。

 僕はその時抱いた気持ちを、絶対に忘れない。右眼を失った時に抱いた苦悩や疑問……それを乗り越えて手に入れた決意は、変わらず僕の中にある」

 

 

 ユージオはもう一度アリスに向き直った。強い意志を感じさせる光が瞳の中で瞬いていた。

 

 

「だから、その想いは絶対に失われたりしないし、右眼がどういう状況だろうと、関係ないと思うんだ。僕が僕らしくあり続けようとする限り、この決意は変わらない」

 

 

 つまり、彼は自分自身の決意を信じて、今ここにいるという事だ。アリスのように悩んだりはしていない。

 

 

「つまりは、自分の決意を信じるしかないと……?」

 

「うん。アリスも思い出してほしい。右眼を失った時に、自分が何を思って何を決意したのかを。その想いはアリスにとって大切なもので、絶対に失われる事はないんだって事を」

 

 

 ユージオに言われて、アリスはふと目を閉じ、脳裏にあの時の事を思い出す。

 

 無辜(むこ)の民を機械人間なる(おぞ)ましい兵器に改造し、やがて人界に生きる全ての人々をそれにするつもりという話を聞き、アリスは公理教会に、《あの悪霊》に反旗を(ひるがえ)そうとした。

 

 これまで自分が得てきた全てを失ったとしても、最高司祭アドミニストレータを討ち、人界の人々を守りたい――そう決意して、無理矢理抑え込んで来ようとする右眼を爆発させたのだった。

 

 その気持ちは今も変わらない。だからこそ、未だに人界に禍根を残し、未練がましく復活しようとしているアドミニストレータの再臨を阻止しようと、彼の者が仕向ける《カラント》や魔獣を倒し続けているのだ。

 

 そして、アドミニストレータを完全に倒したら、《セントラル・カセドラル》の最上階を解放し、そこにある自分の本当の記憶――アリス・ツーベルクの記憶を取り戻す。

 

 この目的の完遂のためには、右眼が見えない事は良くない事だし、キリトに指摘された通りだ。魔獣と《EGO化身態》、アドミニストレータに弱点を晒し、調子づかせるような事はあってはならない。

 

 もし、右眼を治した時、再びその右眼が自分の決意を抑え込もうとしようとするのであれば、その時また爆発させれば良いだけだ。アリスは深呼吸をし、ユージオに向き直った。

 

 

「……ありがとう、ユージオ。あなたのおかげで決心がつきました」

 

「本当に?」

 

「えぇ。私には《あの悪霊》を倒した後、アリス・ツーベルクの記憶を取り戻して……あなたとの全てを思い出したいという願いがあります。この願いを成就させるために、悩んでなどいられませんね」

 

 

 ユージオの顔がぱぁと明るくなる。とても良い笑顔だ。だが、彼との思い出を取り戻した時には、きっともっと良く感じられるようになるのだろう。いや、早くそうなりたい。

 

 《あの悪霊》を討ち滅ぼし、彼との思い出を取り戻す。慌ただしい最近の日常のせいで忘れかかっていた最初の目標と決意がアリスの中に蘇り、大きな原動力へと変わろうとしていた。

 

 

「キリトにいさま」

 

 

 その時、対策本部の母屋の方から声がしてきた。美しい音色を奏でる楽器の音のような声色の持ち主は、最高司祭クィネラ様だった。周りの兵士達が勝手に平伏(ひれふ)したりする中を、しっかりした足取りで歩んでくる。

 

 

「クィネラ、作戦は決まったのか」

 

 

 キリトが歩み寄ると、クィネラ様は頷いた。

 

 

「はい。これから皆様を集めて会議を致しますので、お集まりください」

 

 

 そう言われたキリトは少し目を見開いた。

 

 

「……お前、それを言いにわざわざ来たのか。伝令担当の兵士辺りに頼めばよかっただろ? お前が母屋に居なかったら、先に集まった皆がびっくりすると思うぞ」

 

 

 クィネラ様は「あっ……」と小さく言った。キリトの問いかけはまさにアリスも思った事だった。

 

 

「……申し訳ございませんでした。どうにも、何かあると自発的に動いてしまうといいますか、慎むように言われていても行動してしまうといいますか……」

 

 

 キリトが苦笑いする。

 

 確かにクィネラ様は先の《EGO化身態》となったメディナが央都を襲った際にも、真っ先に現場に駆け付けて迎撃に当たり、キリト達が来るまで戦い続けていた。

 

 その後も「建物の損傷等はないか」と言って街を歩き、被害を受けた建物や設備があれば修復し、負傷者が居れば治癒術をかけていた。

 

 最高司祭という人界で最も重要な存在であるのがクィネラ様なので、あまり出歩かれると良くない事が起こりかねないし、身を危険に晒しかねない。

 

 だが、何かと前線に出ていく彼女の起こした行動に救われている人が多数いるのも確かな話だ。だからこそ、対策本部はどうするべきかと頭を抱えている。

 

 そんな対策本部の頭痛の種である最高司祭クィネラ様へアリスは歩み寄り、声をかけた。

 

 

「最高司祭様、お願いがございます」

 

 

 クィネラ様は振り返ってきた。やはりそこには優しげな雰囲気が漂っている。

 

 

「アリス様、どうなされたのですか」

 

「お手を(わずら)わせるようで恐縮ですが、私のこの右眼を治療していただきたいのです」

 

 

 クィネラ様は少しだけ驚いたような顔をした。しかしすぐさま、ふんわりと笑みを浮かべる。

 

 

「……なるほど、決心なさられたのですね」

 

「え?」

 

 

 そこからのクィネラ様の話は驚くべきものだった。

 

 実のところ、アドミニストレータから切り離された後、クィネラ様は自分達の負った傷を最高の神聖術を(もっ)て治してくれた際、アリスの右眼も治そうとしてくれていたらしい。

 

 しかしその時、アリスの右眼は治癒術を弾いてしまったのだという。驚いたクィネラ様は再度治そうとしてくれたそうだが、やはり右眼にだけ治癒術が効かなかったのだという。

 

 その理由は、アリスの意思が、右眼を治される事を拒否していたかららしい。

 

 

「私の意思が、最高司祭様の治癒術を弾いていたのですか」

 

「はい。恐らくですが、わたくしに右眼を治される事で、アリス様は《あの人》への忠誠心を取り戻してしまうのではないかとご不安に思われていたのでしょう。その恐怖心が盾となり、わたくしの治癒術を防いでしまっていたのだと思われます」

 

「……その通りです。私は右眼を治す事に恐れを抱いていました。右眼を治す事で、《あの悪霊》の操り人形に戻り、最高司祭様を、守るべき人々を、そしてユージオやキリトを手にかけてしまうのではないかと、不安で仕方がありませんでした」

 

 

 アリスは顔を上げ、クィネラ様に伝えた。

 

 

「でも、もう大丈夫です。ユージオとキリトのおかげで、決心がつきました。もう何も恐れてはいません」

 

 

 クィネラ様は変わらず柔らかい笑みを浮かべた顔で答えてきた。

 

 

「……では、治療いたしましょう」

 

 

 そう言ってクィネラ様は左手をそっと伸ばしてきた。その手の中心に緑色の柔らかくて暖かい光の珠が出現する。合わせるようにしてアリスはゆっくりと目を閉じた。

 

 間もなくして――右眼の感覚が蘇ってきた。抜け落ちてしまったものが身体に戻ってきているかのようだ。

 

 

「はい、完了いたしました。眼帯を取ってください」

 

 

 アリスはクィネラ様の指示に従うようにして、目を閉じたまま眼帯を外した。その後、瞼に少し力を入れて、ゆっくりと開いた。

 

 これまで見えなかった右側が、確かに見えるようになっていた。

 

 

「アリス、僕の事が見える?」

 

 

 聞こえてきた声に答えるように、アリスはそちらへ向いた。どうなったかが気になって仕方がないであろうユージオの顔がそこにあった。

 

 

「はい、見えますよ。なんだかこれまで以上に鮮明に、良く見えます」

 

 

 ユージオは心底安堵(あんど)したように笑んだ。その笑顔をしかと脳裏に刻んだ後に、アリスはその場にいる三人へ伝えた。

 

 

「……最高司祭様。そしてユージオにキリト。ありがとうございました。共に《あの悪霊》を討ち倒し、《あの悪霊》の呪いから人界を開放しましょう」

 

 

 

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