キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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22:なりかけの行く末は ―化身態との戦い―

 

          □□□

 

 

 

「キリト……」

 

 

 (ひょう)の晴れたその場で、シノンはキリトを見つめた。彼から視線を受けているとわかったからだ。

 

 果たしてその顔は、信じられないものを見ているような表情になっていた。だからこそ、すぐさま疑問が湧いてきた。

 

 どうしてそんな顔をしているの。

 

 あなたはそんな顔をして私を見る事なんてなかったじゃない。

 

 どうして――。

 

 そう思ったところで、ふと視界の右半分、その下方向に何か違和感のあるモノが映った気がした。正体を確かめるべく、シノンはそちらを見る。それは自分の右手だった。

 

 そこで言葉が喉に詰まって出てこなくなった。右手が異形になっている。人工物にも見える無機物の白水色の装甲に包まれていて、その隙間からは見える肌は黒く染まり、白水色の粒子状の光が蠢いている。

 

 右手だけではなかった。腕から肩どころか、右上半身と両足もそうなっていた。この装甲と肌を持つモノと言えば、一つしかない。

 

 

(《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》……!?)

 

 

 その名前を脳内に響かせたシノンは目の前を見た。そこには《EGO化身態》となったシリカがダウンしているが、彼女の身体に見られる装甲と肌と、今の自分の右半身と両足の特徴は一致していた。

 

 完全にメディナが数日前に陥った状態である、《EGO化身態》のなりかけだった。そう言えばメディナはこの状態に陥った時、痛みをほとんど感じないとも言っていた。

 

 そして自分も先程から痛みらしい痛みを感じていない。あれだけの雹を浴びていて、尚且(なおか)つシリカから攻撃を受けたりもしていたというのに、ほとんど痛みを感じていなかった。

 

 何より《EGO化身態》となったシリカと明らかに対等に戦えている。《EGO》を手に入れていないというのに、シリカに攻撃が通っている。後者は違うものの、前者はメディナが《EGO化身態》になりかけていた時の症状と同じだ。

 

 

「わ……たし……な……んで……」

 

 

 信じられない気持ちでいっぱいになりながら、シノンは自身の右(てのひら)を見つめた。指は装甲に包まれているが、手掌(しゅしょう)には装甲がなく、白水色の粒子のような光が群れる蟲のように蠢いている黒く染まった肌となっていた。

 

 自分のものであると信じたくない。誰か他人のものであると思いたかった。しかし指を、掌自体を動かそうとしてみると、その通りに動いた。

 

 同じような風貌となっている両足もまたシノンの言う事を素直に聞いて動いた。間違いなく、自分は《EGO化身態》になりかけている状態であり――シリカと同じようになってしまう直前だった。

 

 どうしてこうなっているの。

 

 私はただ、普通に戦っていただけなのに。

 

 ただ、シリカを元に戻そうとしていただけなのに。

 

 ただ、キリトを守りたい。それだけなのに、どうして――。

 

 

 ――キリトは私だけのもの。誰にも奪わせない。ずっと心に決めてきた事でしょう?

 

 

 《声》がしてはっとした直後、地面に這いつくばるようにダウンしていたシリカが起き上がった。前脚と後ろ脚の全てを使って地面から飛び上がり、風を纏って宙に浮かぶ。

 

 身体のあちこちから闇のようにどす黒い血液が流れ出て地面へ落ちているが、それでも構わずに浮かんでいる。深刻なダメージを負っている事は確かのはずだが、まだ致命傷には至っていないという事なのだろうか。

 

 浮かび上がったシリカは、これまで傷を付けてきたシノンではなく――キリトの方へ向き直った。急に後ろへステップするように下がったかと思うと、勢いを乗せて突進を繰り出した。

 

 

「!」

 

 

 キリトはシノンからシリカへ視線を向け、即座に回避行動を取った。横方向へダイブして地面を一回転した頃には、シリカの巨躯がそれまでキリトのいた場所を貫いていた。

 

 その後も身体を反転させたかと思うと、キリトに向き直ってブレスを放つ。キリトはそれらも回避してみせたが、かなり焦っているようだった。

 

 どうしてキリトを狙うのよ。

 

 あんたから見た憎むべき敵は私でしょうに。

 

 なんでみんな。キリトの事ばかりを狙うのよ。

 

 ――みんなキリトを狙うものなのよ。リーファも、リズベットもそう。みんなキリトを狙ってた。シリカも同じよ。あなたからキリトを奪いたいから、キリトを狙うのよ。

 

 頭の中に《声》が響くと同時に、これまでの事が思い出される。身体の一部からめきめきという何かが軋むような音が鳴る。

 

 キリト。本当の名前は桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)

 

 《SAO》の時に偶然出会った人。自分の全てを変えてくれて、自分に居場所を与えてくれて、一生守ってくれると約束してくれた人。誰かの言う――かけがえのない運命の人。

 

 この世界に来てからも、その姿勢を変えないでくれて、ずっと一緒に居てくれて、危ない時は守ってくれて、辛い時は寄り添ってくれた。

 

 もう既に自分にとっては、どこへ行く事になってもキリトが傍に居てくれる事が当たり前になっている。彼が居なくなってしまった日々など考えられないし、想像したくもない。

 

 光の射さない場所に閉じ籠っていた自分を、光で満ち溢れた場所へ連れて行ってくれて、いつも暖かい光で包んでくれていた彼を失った時など、恐ろしくてたまらない。

 

 だから、失いたくない。

 

 だから、奪われたくない。

 

 だから、誰にも奪わせない。

 

 

「ッ!!」

 

 

 歯に全身の体重をかけるように食い縛って、シノンは地面を蹴った。キリトを執拗に狙い続けるシリカと一気に距離を詰め、適度な間合いを取る。そこで弓に矢を三本番え、ぎゅうと弦を絞る。

 

 次の瞬間、その弓にまで異変が起きた。あっという間に白水色の粒子の光が蠢く黒色に染まり、その上から白水色の装甲らしき装飾に包まれたようになる。まるで弓までも《EGO化身態》になってしまったかのようだった。

 

 しかしシノンはほとんど気にしなかった。目に映っているのはキリトを奪おうとする簒奪者(さんだつしゃ)。そしてキリトが奪われようとしている光景。

 

 それを断つ事以外の思考はシノンの頭からは消えていた。簒奪者シリカに狙いを定め、矢を放つ。尋常ならざる力で放たれた矢は大気を裂いて飛翔し、シリカに突き刺さった。

 

 どぉんという普段ならば鳴らない音が鳴り響き、シリカは悲鳴を上げて後退する。まるで弾丸に撃たれたかのような反応の仕方だった。

 

 手応えはしっかりとあった。今のは間違いなく効いた。だが急所を当てそびれたせいで、あまり効果的なダメージは与えられなかったかもしれない。

 

 その証拠にシリカは怒気を大量に含んだ目でシノンを睨み付け、身体そのものを向けてきた。かと思えばその尻尾を上に大きく突き上げる。

 

 直後、シリカの尻尾に風が円形状に渦を巻き、雷が混ざり込んでバチバチとスパークが起こる。まるで尻尾で巨大な円月輪(チャクラム)を回しているかのようだ。あれを飛ばすつもりだろうか。

 

 シノンの予想は当たった。シリカは風雷の円月輪を廻す尻尾で前方を薙ぎ払い、回していたそれを飛ばしてきた。

 

 放たれた風雷の円月輪――どんなに経験を積んだ神聖術士でも思い付かないであろうもの――は地面を抉りながら勢いよく回転し、シノンの元へと突進してきた。

 

 地面を削るように縦方向に回転しながら飛んできた一つ目を、シノンは咄嗟に横方向に飛び込む事で回避した。すぐさま二つ目が迫ってくる。今度は水平方向に回転しており、飛び込みでは回避できそうにない。

 

 その時、身体が勝手に動いた。右手に自動的に力が込められたところ、弧を描いていた弓が槍のような形に変形した。

 

 それを思い切り地面に突き立て、そのまま所謂(いわゆる)棒高跳びの要領で飛び上がった。

 

 凄まじい力でシノンの身体は空中に持ち上げられ、完全に宙へ舞った時には迫り来ていた風雷の円月輪が真下を通り過ぎて行った。

 

 そこで身体の制御権がシノンへ返却され、瞬時に頭の中にやるべき事が浮かび上がる。今は――簒奪者であるシリカを討ち滅ぼす事が最優先だ。

 

 シノンは弓から長棍となった武器を手に地面へ着地し、シリカの元へ駆けた。外敵の排除に失敗したシリカは引き続き怒気でぎらつく目でシノンを睨み付け、尻尾で横方向から薙ぎ払いを仕掛けてくる。

 

 横一文字の軌道。到達まで一秒程度――頭の中にシリカの動きが描き出され、次の瞬間にはシノンは再度上空へジャンプしていた。

 

 弓から変形した長棍ではなく、《EGO化身態》となっている足によって発揮された跳躍力によって。シリカは繰り出した尻尾の薙ぎ払いを空振りで終わらせ、隙だらけになる。

 

 その一瞬でシノンは長棍を弓へ戻し、瞬時に矢を弦に番えた。狙いはシリカの眉間。シリカは既に満身創痍であり、身体のあちこちから闇のように黒い血が溢れ出ていて、地面を黒く汚している。

 

 最早残っている《天命》も極僅かになっているはず。シノンは全身の力を弓を握る手に、そして矢を持つ手に集中させた。世界がスローモーションのように遅くなり、その中で自分だけが等速で動いているような光景が見えていた。

 

 目の前にシリカが居る。倒すべき簒奪者であるシリカがスローモーションになりながら、こちらを見ている。ブレスを放とうとしているわけではなさそうだった。

 

 もう何もできなくなり、ただこちらを見ているしかなくなっているかのようだ。

 

 ――終わらせましょう。

 

 

「終わりよ」

 

 

 シノンはほとんど口を動かさずにそう言い、矢から指を離した。先程までとは違い、一本だけの矢がばしゅんという音と共に放たれ、真っ直ぐに飛翔する。そして全てを裂くかのような勢いでシリカの元へ向かい――その眉間に突き立てられた。

 

 《EGO化身態》という異様極まりない怪物は一際大きな声を上げて苦悶したかと思うと、空を仰ぐように上半身を持ち上げるような姿勢をして、やがて地面へ倒れた。声はただの悲鳴ではなく、断末魔だった。

 

 完全に活動を停止した怪物は、その身体を光の粒子に変える形で崩壊させていった。そして光の粒子の群れが霧散した時、それまで怪物が横たわっていた場所には一人の少女が倒れていた。

 

 明るい茶髪に、周りの者達よりも小さな身体。元の姿を取り戻したシリカで間違いなかった。シノンの思惑通りに事は進み、簒奪者となったシリカは倒され、脅威は完全に排除された。

 

 ――まだ終わっていないでしょ? 全てを片付けないと、キリトを守った事にはならないわ。

 

 聞こえた声に、シノンは目を見開いた。数分前に消え去ったと思っていた頭痛が再来する。本当に万力で締め付けられているかのような痛みだった。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ」

 

 

 思わず悲鳴を上げて両手で頭を抱える。その腕からめきめきという嫌な音が響くようになっているのが認められ、何かに身体を食われているような痛みまで加わってきた。

 

 刻一刻と自分が自分でなくなっていく。シリカと入れ替わるようにして自分が怪物になろうとしている。そんな気持ちがして止まらなかった。

 

 視界が黒く染められていく。恐れていた闇が再びやってきて、自分を再び包み込もうとしている。

 

 

 嫌。

 

 お願い、やめて。

 

 怪物になりたくない。

 

 おねがい、たすけて。

 

 だれか、たすけて。

 

 きりと、たすけて。

 

 

「シノンッ!!」

 

 

 

          □□□

 

 

 

「「シリカちゃんッ!」」

 

「「「シリカッ!」」」

 

 

 友人達が、解放されて元の姿に戻ったシリカのところへ急ぐ中、キリトは一人だけ別方向を目指して駆け出した。

 

 シリカを一人で鎮圧し、元の姿へと戻らせた英雄というべき人。自分にとって掛け替えのない大切な人であり、生涯に渡って守り、その傍に居続けると誓った、ただ一人の伴侶。

 

 何度も呼び慣れたシノンという名の少女の元へ、キリトは駆け付けた。

 

 

「シノンッ!!」

 

 

 キリトが辿り着いた時、シノンは両手で頭を抱え、酷く苦しんでいた。激しすぎる頭痛に襲われているのは確かなようだ。

 

 いや、それだけではない。時折頭から片手を離し、それで身体中のあちこちを掻き毟るような動作をしている。苦痛が全身に及んでいるのだ。

 

 そしてその身体は今、変異を遂げている最中だった。白水色の装甲らしきものが身体の至るところに出現し、隙間から見える肌は黒く染まり、白水色の粒子状の光が蠢くように動いている。

 

 その特徴は今まさに彼女が鎮圧してみせたシリカ――《EGO化身態》の特徴そのものだった。シリカを鎮圧して救ったシノンが、次の《EGO化身態》になろうとしていた。

 

 《EGO化身態》を鎮圧したらそれで終わるんじゃないのか。《EGO化身態》が倒されたら即座に新たな《EGO化身態》が補充される。そんな話じゃなかっただろうに。

 

 

「きり……と……」

 

 

 シノンの弱々しい声による呼びかけをキリトは聞き逃さなかった。その身体を支えるように手を回すと、シノンは完全にキリトに身体を預けている状態になった。

 

 触れている事で余計な苦痛を与えてしまっているかもしれなかったが、それでもキリトはシノンの身体を支えてやりたかった。

 

 

「シノン、しっかりしろ、詩乃……!!」

 

 

 思わず彼女の本当の名を呼び、その顔を見る。既に顔の右半分が《EGO化身態》のそれになっており、目元だけが辛うじて残されているような有り様だった。

 

 そして吐き出される息も辛うじて出されているようなものになっていた。

 

 確実に(むしば)まれている。メディナの時のようにゆっくりから急速にではなく、本当にじわじわとシノンは《EGO化身態》になっていっている。

 

 止める手立ては――聞いた事もなければ見た事もない。

 

 

「キリト……!」

 

《キリト!》

 

 

 耳に届く声と頭の中に直接響く《声》がして、キリトはそちらに振り返った。最初からシリカの元へ向かっていなかったルコとリランが駆け寄ってきていた。

 

 そこでキリトは閃き、目を見開く。

 

 そうだ、ルコだ。

 

 ルコはこれまでリーファとリズベットが《EGO化身態》になった時、その事に気が付いたり、メディナが過去最強の《EGO化身態》に至った時には酷く怯えたりなど、とにかく《EGO化身態》が根底に居る現象を感じ取ったりしていた。

 

 そしてシリカが《EGO化身態》になる時も真っ先に気が付き、自分達に離れるよう言っていた。

 

 もしかしたらルコならば、こうなった場合の処置方法がわかったりするのではないか。いや、そうである事を祈るしかない。キリトは(すが)り付くようにルコへ呼びかけた。

 

 

「ルコ、シノンはこの状態だ。お前、何か知らないか。どうすれば助けられるとか、わからないか!?」

 

 

 抱きかかえられたシノンを見せてみたところ、ルコは答えた。

 

 

「シノン……止めない、駄目……」

 

「それはわかってる! どうやったら止められるんだ。どうやったらシノンを《EGO化身態》にならせないで済ませられる!?」

 

 

 ルコは不安そうな、或いは悲しそうな顔をする。やはり無理な事を言っているのかもしれない。ルコは意外な事を知っている時もあるし、今はカーディナルとクィネラの教えのおかげで立派な神聖術士とも言えるくらいの実力を付けている。

 

 しかし根本はまだ何も知らない小さな子供だ。頼ろうとする方が間違っているのは頭ではわかっているものの、頼らずにはいられなかった。

 

 

「……近付いてる」

 

 

 絶え絶えの息をして、時折痛みに悶えるような様子を見せるシノンを見つめた後に、ルコは小さく呟いた。

 

 

「え?」

 

「シノン、《EGO化身態》、近付いてる。ちょっとずつ、《天命》、《EGO化身態》のに、なっていってる」

 

 

 それも知っている。人間を含む動植物が《EGO化身態》となった時、《EGO化身態》としての《天命》が本来の《天命》と入れ替わるように出現し、それを一定期間が過ぎる前にゼロにできれば、対象を元の姿へ戻す事ができる。

 

 つい先程までのシリカもそうだったし、今まさに《EGO化身態》になろうとしているシノンもそうであろう。

 

 

「そうだよ。それもわかってるんだ。だからどうしたらシノンが《EGO化身態》になるのを止められるんだ!?」

 

「シノン、《EGO化身態》、なる前に、《天命》、削る」

 

 

 思わずもう一度「えっ」と言ってしまった。シノンが《EGO化身態》になる前に《天命》を削るとはどういう事だ。ルコは続けてくる。

 

 

「クィネラさま、教えてくれた。人、《EGO化身態》、なる前、少しずつ、《天命》、変わってく事、ある。器、水入れる、みたいに、少しずつ、その人に、《EGO化身態》の《天命》、溜まってく。満たん、なったら、《EGO化身態》の《天命》、その人の《天命》、入れ替わる」

 

 

 理解が追い付かない。ルコがたどたどしい言葉で喋る()であるのが最大限に災いしている気がした。しかし首を傾げたくなくとも傾げたくて仕方のないキリトを横にして、リランがはっとしたような顔をした。

 

 

《なるほど、そういう事か! そういう仕組みになっているのだな!》

 

「おい、どういう事だ!?」

 

 

 理解が及ばずに振り回されるキリトの問いかけに、リランははっきりとした《声》で伝えてきた。

 

 

《これまで我らは人間が《EGO化身態》になる際、《EGO化身態》の《天命》が急に出現してその者の《天命》と入れ替わるものだと思っていた。だが、実際の《EGO化身態》の《天命》はその者の中で一から十、十から五十と、少しずつ構築されていき、やがて百パーセントになった時にその者の《天命》と入れ替わるようになっていたのだ》

 

「《EGO化身態》の《天命》は少しずつ構築されていくようになってる……?」

 

《恐らく個人差はある。リーファやリズベット、シリカの場合は《声》が聞こえ始めた時点でじわじわと増えていっていて、感情が高ぶったタイミングで急激に百になり、《EGO化身態》となったのであろう。だが、メディナやシノンは違う。急に百になる事なく、少しずつ百になっていっているのだ。そういう事なのだろう、ルコ》

 

 

 尋ねるリランにルコは頷く。その時ようやくキリトはルコの話を理解する事ができた。

 

 《EGO化身態》の《天命》は対象者の中に少しずつ作られていき、それが百パーセントに至った際に対象者は《EGO化身態》となる。

 

 《HPバー》で例えるならば、対象者本来の《HPバー》を上書きする別な色のバーが少しずつ伸びていき、それが右端に辿り着くと、対象者は《EGO化身態》となる。そういうメカニズムになっていたのだ。

 

 このアンダーワールドにはない《HPバー》の存在を思い出す事によって、ようやく理解に至れた。

 

 が、同時に気付いた。この話は今現在《EGO化身態》になりかけているシノンを救う話に繋がっていない。

 

 

「それで、結局どうすればいいんだ。どうすればシノンは助かる!?」

 

「シノン、《EGO化身態》、なる前に、シノン、中の、《EGO化身態》の《天命》、削り切る。シノン、《EGO化身態》、ならない」

 

 

 もう何度目かわからない「えっ」を言ってしまった。そんな至極単純なやり方でいいのか。驚くキリトにルコは話しかけてくる。

 

 

「キリト、《EGO》。《EGO》、使って、シノンの、《EGO化身態》の《天命》、削り切って」

 

「それでいいのか」

 

「うん。だけど……」

 

 

 ルコは急に顔を下げた。覗き込もうとしてみると、悲しそうな表情をしているのが見えた。

 

 

「シノンの、《EGO化身態》の《天命》、シノンの《天命》と、入れ替わって、ない。だから、《EGO化身態》の《天命》、削る時、一緒に、シノンの《天命》も、削れちゃう」

 

「……!」

 

 

 そうだ。シノンは《EGO化身態》のなりかけであり、完全に《EGO化身態》になっていない。

 

 これまで相手にしてきた《EGO化身態》は、《EGO化身態》の《天命》が受けるダメージを肩代わりし、本人の《天命》を無事で済ませられるようになっていたからこそ気兼ねなく攻撃でき、鎮圧にあたる事ができた。

 

 だが、シノンはそうなっていない。攻撃を受ければそのまま《天命》が減少してしまうし――ゼロになれば死に至る。普段と何も変わらない状態なのだ。

 

 《EGO化身態》に致命傷を与える事ができるほどの威力を持つ《EGO》で攻撃されれば一溜りもない。

 

 

「待て。シノンの《EGO化身態》の《天命》って今どれくらいの数値があるんだ。それがシノンの《天命》の数値を超えてたりしたら、どうなんだ」

 

「わから、ない」

 

 

 ルコの声は一気にか細いものになっていた。それが答えを言っていた。

 

 シノンの中で刻一刻と作られていっている《EGO化身態》の《天命》の数値は不明。削り切る事は可能であるが、それがシノンの《天命》の数値を上回っていた場合は、シノンが先に力尽き、死亡する。

 

 キリトは愕然とした。目の前が真っ暗になりそうだった。

 

 そんな方法しかないのか。シノンが死ぬかもしれない賭けをするしかないというのか。

 

 そう思ったところで、頭の中に一つ思い付くものがあった。キリトは迷わずにそれを口にする。

 

 

「そうだ、シノンに回復系神聖術をかけながらやったらどうだ。そうすればシノンの《天命》が減らずに、《EGO化身態》の《天命》だけ削れるんじゃないか」

 

「ううん。それだと、シノンの《天命》と、一緒に、《EGO化身態》の《天命》、回復しちゃう」

 

 

 キリトの考えはルコに即座に斬り捨てられてしまった。

 

 試した事はないものの、《EGO化身態》に回復系神聖術をかければ普通に《天命》が回復するのだろう。《EGO化身態》は《天命》を回復する事ができないなんていう都合の良い特徴はないのだ。

 

 

「……じゃあ……このままシノンを《EGO化身態》にするのは」

 

「え?」

 

「……シノンを《EGO化身態》にして、俺一人で鎮圧する。そうすれば、シノン自身は死の危険に晒されないで済むだろ」

 

 

 ルコが目を見開いた。直後にリランの怒号が頭の中に飛んできた。

 

 

《キリト!! お前自分が何を言っているのかわかっておるのか!? ルコに助けを求めた時と真逆の事を言っておるぞ!!》

 

 

 そうだ。自分でも何を言っているのかとは思っている。

 

 シノンを《EGO化身態》にしたくないという気持ちは当初からしかとある。シノンが《EGO化身態》になった時の事など考えたくもない。

 

 だが、それしかシノンを死の危険に晒さずに済む方法がないというのであれば――。

 

 そこまで考えさせてはくれなかった。リランの怒声が続いてきたからだ。

 

 

《お前一人で《EGO化身態》になったシノンを鎮圧するだと? おかしな事を言うでないわ! お前は今《EGO化身態》になっていたシリカとの戦いで既に消耗しきっていて、百パーセントの実力で戦える状態ではないであろう! そんな状態で《EGO化身態》になったシノンと一騎打ちして勝てる見込みなどあるのか!? 《EGO化身態》になったシノンに逆に殺されてしまうかもしれないと何故わからぬ!?》

 

「じゃあ、ルコから聞いた処置をしてシノンが死んだらどうする!? 今、俺達がここで死ぬような事があれば、俺達は現実世界(リアルワールド)の身体に引き戻される。だけど、今俺達の身体が現実世界でどうなっているかわからない。

 《ソウル・トランスレーター》には身体回復機能があるけど、それで回復しきれてるのかもわかってないんだぞ。もし回復しきってなくて、意識をアンダーワールドに預けていないといけない状態で無理矢理現実世界に戻されたら――」

 

 

 リランの言っている事の方が正しいとは思うが、キリトも譲る気にはなれなかった。更に付け加えて言おうとした――その時だった。

 

 

「キリ……ト……やっ……て……」

 

 

 キリトははっとしてシノンの方を見た。息を絶え絶えにしながら、シノンは小さな声で言葉を伝えてきていた。

 

 

「キリト……いい……やって、ほしい……」

 

「やってほしいって……ルコの言った事か」

 

 

 シノンは力なく頷いた。

 

 

「わた……し……いーじーおー……けしんたい……に……なりたく……ない……もし……わ……たしが……いーじーおー……けしんたい……になったら……みんなの……事……きずつける……あなたの事も……ころしちゃうかも……しれない……そんなの……いや……なの……わた……し……だれも……きずつけ……たく……ないの…………」

 

 

 シノンは今にも崩れそう落ちそうな手を伸ばし、キリトの肩に触れた。小刻みで弱々しい震えが伝わってきた。

 

 

「だから……おねが……い……かず……と…………やっ……て……たす……けて…………」

 

 

 今にも消えてしまいそうな声で、シノンは訴えかけていた。長年ずっと寄り添い続けてきた結果、それがシノンの心からの訴えであると、キリトは即座に理解できてしまった。

 

 シノンは絶対に《EGO化身態》になりたくないのだ。《EGO化身態》になって暴走し、皆を、キリトを傷付けるような事を、その命を奪うような事を絶対にしたくない。そうなるくらいならば、きっと死ぬ方を選ぶのだろう。

 

 彼女を《EGO化身態》にさせるのは、彼女の願いと思いを踏みにじるという事。自分が何よりもするべきではないと心に決めてきている事。ならば、自分がやるべき事は――。

 

 キリトは歯を食い縛った後に、シノンの身体を地面へ横たわらせた。それだけでもかなりの苦痛が生じたのか、シノンの表情に苦悶が浮かぶ。それを目にしたキリトは深呼吸し、胸から《EGO》を抜き払った。

 

 《EGO化身態》という(じゃ)を討ち祓う白き炎の剣。これは魔剣ではなく聖剣だと思ってきていたが、今は何よりも邪悪な魔剣に感じられた。

 

 

「……リラン、ルコ」

 

 

 二人に背を向け、キリトは呼びかける。即座にリランから返事があった。

 

 

《なんだ》

 

「今からシノンに《EGO》を突き立てる。それでシノンが死んだら――俺も首か腹を切って死ぬ」

 

《……そんな事にはならないよ》

 

 

 リランの本心の《声》を聞いたキリトは《EGO》の柄を両手でしかと掴んだ。そのまま刃先を――本来ならば絶対に向ける事のないシノンの胸部へ向ける。

 

 もう既に吐き気と眩暈(めまい)がした。意識を強く持とうとしなければ、ブラックアウトしてしまいそうだ。それくらいにまで身体がシノンに剣を突き立てる事を拒絶している。

 

 最早本能が拒否していると言えた。だが、ここで躊躇(ためら)って引き下がるような事があれば、シノン/詩乃の願いを壊してしまうのと同じだ。

 

 詩乃を怪物にするわけにはいかない。行く末に何が待っているのかわからなくても、やらなくてはいけない。

 

 

「――ッ」

 

 

 キリトは何も言わず、声を出さないようにして――白き炎剣を詩乃の胸へ突き刺した。

 

 どすんという嫌な音が鳴ったと同時に、布を裂くような詩乃の絶叫が周囲に轟いた。

 

 

「ああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁあああッッ」

 

 

 指に、手に、腕に、そして肩に、嫌な感触が駆け回った。彼女を構成する組織が一瞬のうちに焼け(ただ)れ、その肉が切り裂かれていくのが直にわかる。

 

 その間にも詩乃は叫び声を上げ、苦しみと痛みのあまり暴れ出そうとしていたが、キリトの《EGO》がそれを許さず、詩乃をその場に縫い付けていた。

 

 まるで美しい蝶を生きたまま標本にしようとしているかのようだった。そうしているのは他でもなく、彼女を守るべき大切な伴侶としている自分。

 

 どうして守るべき伴侶にこんな事をしなければならないというのだろう。どうして俺はこれ以外の方法を見出せなかったというのだろう。

 

 唇を限界を超えて噛み締めていたために、そこが裂けて血が溢れ出ていた。しかしまだ終わらない。

 

 詩乃の悲鳴がずっと耳に飛び込み続けている。大切な人の、聞いていて心地良いと思っていた声による絶叫で頭が揺さぶられて、意識が消える直前で踏み止まっているようだった。

 

 胸の中が燃えるように熱い。それは《EGO》のためでもなく、自分自身への憤怒のためだった。

 

 いつまで、こんな声を詩乃に出させているつもりだ――。

 

 いつまで、詩乃を苦しめ続けるつもりだ――。

 

 いつまで、こんな目に詩乃を遭わせるつもりだ――。

 

 

 俺は、詩乃を――――――。

 

 

「キリト、《EGO》、抜いてッ!!」

 

 

 詩乃の叫びを貫くような声がして、キリトはその場に意識を取り戻し、その声に従って白き炎剣を詩乃の身体から引き抜いた。

 

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