キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 2024年最後の更新。

 


11:恋焦がれし時を迎えて

          □□□

 

 

《あ……あぁ……》

 

 

 アドミニストレータは一切の攻撃行動と回復行動を止め、倒れ伏していた。その禍々しい異形の身体のあちこちからは黒い炎が上がっている。

 

 これまで倒してきた《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》、アドミニストレータの息子であるハァシリアンが死に行く際に見せた光景と同じものだった。

 

 アドミニストレータも天命が尽き、黒い炎に包まれて消えようとしているのだ。

 

 しかし、これからアドミニストレータが何よりも恐れていたであろう死へ向かっているというのに、彼の女から時折漏れてくる声に苦痛や恐怖などは一切感じられなかった。

 

 (むし)ろ、この結末に辿り着けた事に対して深く安堵している。そう思えた。そんなアドミニストレータの目の前に床を構築してキリト達を降り立たせたクィネラが、声をかける。

 

 

「……終わりです、アドミニストレータ。《あなた》の中に……いいえ、《あなた》を蝕んでいた《最高支配者の力》は全て取り除きました」

 

《あぁ……だからなのね……とても、自由になったような気がする……《あなた》に憑いていた頃にも、自分の身体を得た後も……感じられなかった感覚に……満たされているわ……》

 

 

 そこでキリトは気が付いた。

 

 やはりアドミニストレータは《最高支配者の力》に支配されていたようなものだった。悪意を持ったラースの研究員のいずれかによって、分不相応な巨大な力を宿すクィネラに無理矢理取り憑かされた事で、クィネラの持つ《最高支配者の力》に魅入られた。

 

 その後は常日頃その力を奪われる事に怯え、そうならないための支配を強行するしかなくなっていた。そしていつしか、その《支配する事そのもの》に支配された。

 

 人界を機械人間で満たそうとしていたのも、《メイン・ビジュアライザー》に意識を構築して不死の存在になろうとしていたのも、結局は《最高支配者の力》を起源とする終わりのない支配欲に呑み込まれていたためだったのだ。

 

 ここに来る前にベルクーリが言っていた、「《支配するという事》に支配されているよう」という言葉こそが真実だった。

 

 そんな終わりなき支配欲の牢獄に閉じ込められていた囚人に、アリスが声をかける。

 

 

「もういいのですよ、アドミニストレータ。もう苦しまなくていいのです。終わりのない支配欲に縛られる必要も、死の恐怖に怯えて、その他の者達に支配と恐怖を強いる必要もありません。《あなた》は自由になったのですよ」

 

 

 そう告げるアリスの声はとても優しさに満ちていた。今の彼女にとってのアドミニストレータは、全ての厄災の元凶ではなく、苦痛から解放されて安らかに眠ろうとしている同姓の人間だった。

 

 

《……そうね……確かに、私は解放された……あなた達が、終わらせてくれた……もう……支配する事にこだわる必要は……何もないのね……》

 

「あぁ、その通りだ。もう眠っていいんだよ、アドミニストレータ」

 

 

 あれほどアドミニストレータの事を憎んでいたメディナさえも、慈悲を多分に含んだ声で告げた。

 

 直後、アドミニストレータの身体を包んでいた黒い炎は勢いを増した。いよいよ消滅の時が近付いてきている。

 

 その中で、アドミニストレータはもう一度クィネラの方を見た。

 

 

《……《あなた》は、すごかったのね……《最高支配者の力》なんて危険な物を手にしておきながら……魅入られずに……支配されずに済んでいるのだから……ね……》

 

 

 クィネラは胸元にそっと手を乗せた。そこに《最高支配者の力》があるのだろう。そう、アドミニストレータから全てを取り戻し、完全な形へ至った《管理者権限の群体》が。

 

 

「えぇ。この力はとても危険な物です。きっとわたくしも、支えてくださる皆様が居らず、居たとしてもその人達を信じる事ができず、孤独であったならば、《あなた》のようになっていたでしょう」

 

《なるほどね……《あなた》は周りの人達を信頼し、その人達のために《最高支配者の力》を使いたいって思い続けて、実行していたから……私みたいにならずに済んだってわけね……ようやく納得できたわ……》

 

 

 アドミニストレータの身体が、ぼろぼろと崩れ出した。背中の翼が、下半身の後部が、完全に焼失していく。

 

 

《……おやすみなさい……クィネラ()()と、私を解放してくれた戦士達……私は先に眠って……美しい夢でも見ている事にするわ……》

 

「はい……おやすみなさい……もう一人のわたくし……アドミニストレータ()

 

 

 クィネラがアドミニストレータに初めてかけるのであろう優しい声をかけると、アドミニストレータの全身を燃やす黒い炎の勢いは一気に増した。

 

 そこから十秒も経たないうちに、怪物となって顕現していたアドミニストレータはこの世界から消滅した。灰も煤も残らない、完全なる滅却だった。

 

 今日この時を持って、人界の最大の脅威となっていた厄災アドミニストレータは消滅し、その魂も無事に成仏を遂げた。これにて、対策本部の最終作戦は成功に終わった。

 

 

「……終わったわね、クィネラ」

 

 

 アドミニストレータ消滅の瞬間を最後まで見届けたシノンがクィネラに労いの言葉をかけたが、果たしてクィネラは俯いていた。せっかく最後の作戦が成功したと言うのに、浮かばれない様子だった。

 

 

《クィネラ、どうした》

 

 

 姉の《声》が頭の中に響いた直後に、妹は口を開いた。

 

 

「《あの人》は、歪で不完全な形をしていた人でした。わたくしに取り憑いた時から、人らしく自然に生きる事ができず、ただただ、周りの全てを支配しようとしていた。まるでそれしか知らない、()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように……」

 

 

 今しがたクィネラの言った事は、ここに突入する前にベルクーリも言っていた事だった。アドミニストレータは支配するという事に支配され、クィネラのように人々のためではあるものの、自由に生きているという感じはなかった。

 

 その行動や思考の何もかもが世界の支配のためであり、それ以外に何も考える事ができない。まるで人間というよりも、少しだけ人間に近い思考回路、演算回路を持った機械やプログラムのような印象を与えてくるのが、アドミニストレータだった。

 

 悪く言えば――出来損ないの《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》のようだ。イリス以外の何者かがイリスの()()《電脳生命体》の存在とその素晴らしさを知って、模造品を自身で作り出そうとした結果出来上がってしまった、人間とも《電脳生命体》とも似つかない怪物。

 

 もしかしたら、アドミニストレータは他のアンダーワールド人と違って他人の肉体とする必要のあった単なるフラクトライトではなく、そういうものだったのではないか。

 

 今のクィネラの話と、これまで相手にしてきたアドミニストレータの言動を思い出すと、そんな考えが頭の中を巡るようになってきた。

 

 出来損ないのような存在だったからクィネラに取り憑き、《最高支配者の力》を手に入れる必要があり、出来損ないであったが故に《最高支配者の力》に逆に呑み込まれ、自由になる事はできなかった。

 

 それこそが、アドミニストレータという女だった。たった今倒したばかりだというのに、彼の女のイメージが形を変えつつあった。

 

 

《だが、そうであったとしても、奴は人界に生きる全ての者達を理不尽に支配し、気まぐれに殺戮(さつりく)し、これ以上ないくらいの非道な行いを繰り返していた。奴が如何なる存在であったとしても、その事実が覆る事はないし、奴があれほどの行為を働いた事への言い訳にはならぬ》

 

 

 そう伝えてきたのはリランだった。

 

 彼女の言う通りだ。アドミニストレータは考え方次第では被害者だったのかもしれないが、彼の女は《最高支配者の力》を手に入れたのを良い事に悪逆非道を繰り返し、この人界に生きる罪のない人々を二百年以上に亘って支配し、一方的に束縛し、苦しめてきた。

 

 アドミニストレータも被害者だったと言ったところで、彼の女が繰り返してきた悪行と暴挙の数々が許される事は決してない。あの女は完全に消滅する事でしか、罪を清算できなかったのだ。

 

 姉に言われたクィネラは小さく「そうです、ね」と答えたのだった。

 

 だが何にしても、リランによればクィネラにアドミニストレータを取り憑かせたのはラースの研究員のいずれかであり、下衆な男であるとの事だ。現実世界(リアルワールド)に帰ったらすぐさまイリスと菊岡にその事を伝え、対策してもらう必要があるだろう。

 

 取り憑かせたアドミニストレータが死んでクィネラが正常に戻ったのだ、その男は次の一手を打ってくるに違いない。

 

 それを未然に防がねば、クィネラもアンダーワールドも次こそ危ないったらありはしない。やるべき事はまだまだある。

 

 そう思った直後だった。突然、キリト達の身体が光を放ち始めた。

 

 いったい何事かと思った次の瞬間、この《メイン・ビジュアライザー》内へやってきた時と同じ、意識がどこか遠くへ引っ張られる感覚に襲われ、やがて意識そのものが薄れた。

 

 

「戻ってきたわ!」

 

「ようやくか!」

 

 

 次に意識がはっきりしてきた時、複数の声に出迎えられた。目を開けてみたところ、そこに宇宙を模したような電脳空間は広がっておらず、大理石などで構築された円形の広い部屋があった。

 

 《メイン・ビジュアライザー》ではなく、セントラル・カセドラルの最上階、アドミニストレータの根城だった場所だ。そこでキリトは、先程まで共にアドミニストレータを討った者達と、その場所から弾かれてしまった友人達と仲間達に囲まれていた。

 

 彼女達は皆、深い安堵を抱いたような顔をしてキリト達を見ていた。この瞬間が来る事を待ちわびていたかのようだ。

 

 いや、実際そうなのだろう。キリト達がアドミニストレータの居る《メイン・ビジュアライザー》に招かれて、自身達は置いてけぼりにされてしまっていたのだから。

 

 

「上手くやったのじゃな、キリト。シノンもクィネラも……」

 

 

 そんな仲間達に混ざっていたカーディナルが近寄りつつ、声をかけてきた。その声にキリトは応じようとしたが、先にクィネラが応じたのだった。

 

 

「カーディナル様……」

 

「……カセドラルを(おお)っていた《カセドラル・シダー》は全て朽ち果てて消えた。もう《あいつ》の(よこしま)な心意はこの世界のどこにもない。決着をつけたのじゃな、クィネラよ」

 

 

 先程まではこの部屋の壁面も黒き樹の根、《カセドラル・シダー》にびっしり覆われていたものだが、今現在それらの姿は一切確認できなかった。アドミニストレータの完全消滅に(ともな)って、《カセドラル・シダー》も主と役目を失って自壊を遂げたのだろう。

 

 

「はい。《あの人》はキリトにいさま達によって解放され、無事に成仏いたしました。《あの人》の持っていた……いいえ、《あの人》を縛っていた《最高支配者の力》も、わたくしの中へと戻ってきました」

 

 

 カーディナルもまた深い安堵を抱いているような表情を浮かべていた。その顔のままクィネラへ問う。

 

 

「なるほど、そうか。つまりお前は完全体に戻ったと言えるわけじゃが……お前はその《力》をどう使うつもりじゃ?」

 

「これまでと同じです。この世界を生き、この世界の未来を創っていく皆様を未曽有の危機からお守りし、皆様の命と営みを助けるために使う。それ以外の事や私利私欲のために、この《最高支配者の力》を使うつもりは毛頭ございません」

 

「うむ。お前がアドミニストレータのようになってしまう可能性はなさそうじゃな。しかし、あれほどアドミニストレータの事を憎んでいたというのに、いざ消滅されてみたらどうじゃ。何やら喪失感に似た感情に襲われておる。これもクィネラ、お前やキリト達と一緒に過ごしたせいかのう」

 

 

 カーディナルはアドミニストレータによって作り出された、彼の女の片割れのようなものだ。その内には憎しみ以外に、ほんの少しの同族意識や愛情のような感情もあったのだろう。

 

 それが感情豊かなクィネラや自分達と接しているうちに表に出てくるようになった――そういう事なのかもしれない。そんなカーディナルは深呼吸をした後にくっと顔を上げた。

 

 

「じゃが、そんな気持ちに駆られて落ち込んでもいられん。まだやる事は沢山残っておるし、そのうちの一つに取りかからねばならん」

 

 

 カーディナルはそのまま天井を見上げた。つられるようにキリトも、周りの皆も天井を見上げる。そこにあったのは楽園のような場所に佇む神々の姿が描かれた巨大な絵画。アドミニストレータが生前に作らせたアンダーワールドの創世神話の場面の一つだ。

 

 その中に、一際強くきらきらと光る水晶があった。その姿を見た途端、一気に頭の中で思い出された事があった。

 

 

「ア……リス……!」

 

 

 天井を見上げて愕然(がくぜん)としそうになっているユージオが(つぶや)いた。

 

 そうだ、アリスだ。

 

 アドミニストレータによって整合騎士にされる際に抜き取られた、アリスの本来の記憶。ユージオの幼馴染であり、恋人であるアリス・ツーベルク。それが水晶という形で保管されているのが、このセントラル・カセドラルの最上階であった。

 

 ユージオはそれを取り返す事だけを目指してこの塔を昇り、自身達の、人界の障害として立ち塞がったアドミニストレータと戦っていたのだった。

 

 そして今、アドミニストレータは倒されて消え、アリス・ツーベルクの記憶を取り戻す事を邪魔する者は誰も居ない。ついに彼の戦いは終わり、悲願が達成される瞬間がやってきたのだ。

 

 

「やっと会えた……アリス……」

 

 

 ユージオの瞳から涙が零れて、頬を伝っていた。悲しさや虚しさなど一切含まず、純粋な歓喜のみを多分に含んだ美しい涙だった。

 

 そんな彼の心を()み取ったかのように、クィネラがそっと天井に手を差し伸べた。

 

 ユージオと皆の視線を集めていた水晶が軽い音を立てて天井から外れ、見えない糸にゆっくり引っ張られるように空中から降りてきて、クィネラの手に収まった。

 

 そこでようやく、水晶がアリスの髪のような美しい金色をしている事がわかった。

 

 

「アリス様、こちらを……」

 

 

 クィネラは静かな声で告げ、整合騎士アリス・シンセシス・サーティに水晶を手渡した。アリスは両手で(すく)い上げるように水晶を受け取り、その姿に目を向ける。

 

 

「これが、私の記憶……アリス・ツーベルク……」

 

 

 自分自身の本来の姿に、アリスは目を見開いていた。

 

 彼女もまた本来の記憶を取り戻し、アリス・ツーベルクとなり、ユージオへの想いと愛の全てを思い出す時を夢見て、自分達と共に戦い続けてきた。そして大敵であったアドミニストレータを討ち滅ぼし、ずっと抱いていた願いを叶える時を迎えた。

 

 ……はずだというのに、アリスの顔はどこか浮かないものだった。沈み切ってはいないものの、浮かんでいない。

 

 それに気が付いたシノンが不思議そうに言葉をかける。

 

 

「アリス、どうしたのよ。なんか浮かない顔してるみたいだけど」

 

「アリス、元に戻りたい、なかった? ユージオの事、思い出したい、違った?」

 

 

 まさしくキリトが思っていた疑問を首を傾げたルコが口にすると、アリスは答えた。

 

 

「私はこれまで、この時を夢見てきました。私のこの身体をアリス・ツーベルクにお返しする。私がかつての私へと戻る時を。しかし、そうやってしまって大丈夫なのかと思ってしまっているのです」

 

「大丈夫なのかって……そりゃあどういう意味だ」

 

 

 直属の上司であり師匠でもあるベルクーリが問うと、アリスは更に続けた。

 

 

「アドミニストレータを倒したからといって、人界から脅威が完全に取り除かれたわけではありません。残った魔獣達と、不幸にも生まれ来る《EGO化身態》を倒し……暗黒界との和平交渉に臨まなければならない。

 その対話に万が一失敗するような事があれば、待ち構えているのは暗黒界との全面戦争ではありませんか。いくら完全な力を取り戻した最高司祭様がいらっしゃるとはいえ、その戦争で人界を勝利させるには我々整合騎士の力が必要なはずです」

 

 

 アリス・ツーベルクに戻ってしまったが最後、整合騎士としての戦闘能力を失い、戦争が起きたら安全地帯から傍観(ぼうかん)しているしかなくなる。これまでのように皆と肩を並べて戦う事ができなくなり、皆に戦いを押し付けるしかなくなってしまうのではないか――アリスは、そう話した。

 

 確かに彼女――アリス・シンセシス・サーティの剣技、技術力、戦闘力というものは、これまで傍で見てきた通り折り紙付きであり、暗黒界との戦争が起こった時には必要不可欠なモノであると言える。

 

 彼女のその力が、アリス・ツーベルクに戻る事によって失われてしまうのであれば、人界にとってはこれ以上ないくらいの痛手と損失になるだろう。

 

 ベルクーリやクィネラ達の指導で、アリス・ツーベルクへ戻った彼女をもう一度騎士として鍛え直すという手段も取れなくもないだろうが、暗黒界との和平交渉及びその失敗による戦争勃発までに間に合うとは到底思えない。

 

 アリスはアリス・ツーベルクへ戻るためにここまで戦い抜いてきた。しかしその選択を取った場合、相応のリスクもある事に気が付いたのだ。

 

 キリトもこれは予想外で、出す答えに困ってしまった。

 

 ユージオとアリスの当初の願いを優先するべきか、それとも人界の戦力確保のために現状維持を続けるか。

 

 最適な選択肢はどちらなのか――とキリトが考え出そうとしたその時だった。

 

 

「心配いらんぞ、アリス」

 

 

 そう言ったのはカーディナルだった。アリスはきょとんとしてそちらへ振り返る。

 

 

「え?」

 

「お主が自分の記憶を取り戻し、アリス・ツーベルクなる少女に戻るために戦っている事は把握しておったよ。そこでわしとクィネラで、お主がその段階へ辿り着けた際、今現在のお主とアリス・ツーベルクなる少女を融合させる方法を考案しておいた」

 

 

 皆の間に驚きの声が広がる。キリトもそのうちの一人だった。

 

 アドミニストレータが一度倒れてから、四帝国に広がった《カラント》と生まれる魔獣、《カラント》に呼び寄せられ、時に央都をも襲う《EGO化身態》への対策に追われて、こちらは手いっぱいになっていたというのに、二人はいつの間にそんなものを考えたというのだろう。

 

 陰ながらそんな手法を編み出してみせたクィネラに、ユージオが縋り付くように言った。

 

 

「その方法は、上手くいくんですか。今のアリスに、僕の知っているアリスを融合させるっていうのは、本当に上手くいくんですか?」

 

「……それについては、アリス様次第となるでしょう」

 

 

 アリスがもう一度目を見開くと、クィネラはそちらへ向き直った。

 

 

「アリス様。貴女様は元のご自分の記憶を取り戻してユージオ様との仲も取り戻す事も、人界を守る騎士としてのご自分も両方欲しい。そう思われますか」

 

 

 アリスは胸元に手を添え、心に呼びかけるような仕草をしてから、深く頷いた。

 

 

「……はい。私はアリス・ツーベルクの記憶も、この身に宿された整合騎士の力の、両方が欲しいです。私は……その両方を手にするために、ここまで戦ってきたのです。

 どんなに『欲深い奴だ』と、『解放される前のアドミニストレータと何ら変わらない傲慢な女だ』と(さげす)まれても構いません。私は、アリス・ツーベルクの記憶も整合騎士の力も欲しいです!」

 

 

 それはアリスの心からの願いと欲望の告白だった。確かにアリス・ツーベルクの記憶と整合騎士の力を天秤(てんびん)にかけておきながら、どちらも欲しいというのは欲深い、悪く言えば傲慢であろう。

 

 だがそれでも――と思ったところでアリスに笑いかける者が居た。先程の戦いの立役者の一人であるメディナだった。

 

 

「アリス様、全然欲深くないですよ。その程度の欲で欲深いなんて言われるんなら、私はどうなるんですか。私なんて『《欠陥品》呼ばわりをやめさせろ』、『私を整合騎士に入れろ』、『婚約者を寄越せ』、『結婚させろ』、ですよ」

 

「そ、それならおれだって、『整合騎士を超える強さを寄越せ』、『皇帝より偉い地位を寄越せ』、『結婚相手を寄越せ』なんて思ってますよ。アリス様は全然欲深くないです!」

 

 

 メディナの婚約者となっているグラジオも加わって、アリスに柔らかい言葉をかける。そのうち周りの皆までもが「わたしだって」「あたしだって!」「私だってなぁ!」「我も……」とそれぞれの欲を言い出し、アリスは欲深くない事を主張し始める。

 

 皆の主張が次々と上がり、軽い混乱にまでなりそうになったところで、カーディナルが「やめんか!」と言って宥めた。その直後に、クィネラが改めてアリスに声をかける。

 

 

「では、アリス様。その欲を、ご意志をしっかりと抱いてください。貴女様のご意志が強ければ強いほど、術の成功率は格段に上昇します」

 

「はい。よろしくお願いいたします、最高司祭様、カーディナル様」

 

 

 アリスはそう言って、手元の水晶を両手でしっかり持ち、自身の胸元に押し当てる姿勢を取った。

 

 いよいよその時が来る。アリス・ツーベルクがここに取り戻される瞬間が来たのだ――と思ったそこで、突如としてカーディナルが少し離れたところに向けて何か術を唱えた。

 

 光がどこからともなく集まり、一つの大きな扉が構築された。カーディナルが大図書館に移動する際に使っている扉だ。

 

 

「カーディナル?」

 

 

 キリトが問いかけると、カーディナルは顔を一瞬だけぷいと扉の方へ向けて戻した。あの扉の向こうへ行けと言っているようだが、それは何故なのか。

 

 

「引き裂かれていた二人がようやく再会する時が来たのじゃ。外野は大図書館で待っておれ」

 

「あ。あぁそうだな。そうするべき、だな……」

 

 

 カーディナルの意図を把握したキリトは皆に号令を出した。ここからは二人だけの時間、そっとしておいてやろう。

 

 しかしキリトが言うまでもなかったのか、皆はすぐさま回れ右をしてぞろぞろと大図書館へと向かっていった。鈍感だったのは自分だったのか――そんな思いに駆られて肩を落としてから、キリトはカーディナルの出現させた扉へと歩き出す。

 

 その途中で、この場に唯一残るユージオに呼びかけた。

 

 

「ユージオ……良かったな」

 

 

 この時だけを夢見てきた亜麻色の髪の剣士は、柔らかい笑みを顔に浮かべて頷いた。

 

 

「キリト……少しだけ待っててくれ。終わったら二人で迎えに行くから!」

 

「あぁ、楽しみにしてるぜ」

 

 

 きっとその瞬間はすぐに来る。そう確信して、キリトは一旦セントラル・カセドラルの最上階を後にした。

 

 

 

          □□□

 

 

 

「さぁて、始めるとするかの、アリス」

 

 

 目を閉じて意図的に暗闇を作っていると、カーディナル様の声が聞こえた。

 

 これから待ち望んでいた瞬間が訪れる。自分が元の自分を取り戻すという悲願を達成する瞬間が。

 

 自分の家族の事を、すぐ傍に居るであろうユージオの事を全て思い出し、彼への純粋な愛情を胸にする事ができるようになる。その時に恋い焦がれ、自分はここまで足を進めてきたのだ。

 

 だというのに――何故か、胸の中がざわめいていた。本来の自分の記憶であるアリス・ツーベルクの記憶が内包された黄金の水晶を抱いているためではないだろう。このざわめきはいったい何なのだろう。

 

 これから自分が元の自分に戻るのに、どうしてこんなふうに胸の中がざわめいているというのだろう。問答を繰り返しても答えは出てきてくれそうにない。

 

 そしてそれを、ユージオに言う気にもなれなかった。彼は自分以上にアリス・ツーベルクとの再会を切実に願い、そのために危険な戦いに何度も何度も身を投じ、その都度勝利を収めてきた。

 

 全てはこの時を迎えて、愛するアリス・ツーベルクをその両腕で抱き締めるため。

 

 彼の願いが叶おうとしているこの時に、余計な事を言うべきではない――そんな思いが先行してしまい、アリスは何も言い出す気になれなくなった。そうしているうちに、クィネラ様の声が聞こえてきた。

 

 

「アリス様、これより施術を開始します」

 

「術を受けている間、意識は……なくなるのですか……?」

 

 

 何故か、か細い声しか出せなかった。それでもクィネラ様は答えてくれた。

 

 

「はい。目が覚めた時には、貴女様は全てを思い出しています。大丈夫です、安心してください」

 

 

 クィネラ様の優しい声を聞けば、いつでも安らぎを得る事ができた。しかし、今回はそうはいかなかった。胸のざわめきは取られないまま残り続けていた。

 

 

「では、始めましょう、カーディナル様」

 

「うむ、息を合わせろ、クィネラ。ゆくぞ」

 

 

 クィネラ様とカーディナル様の声がもう一度聞こえた。その次に耳に届いてきた時、二人の声は重なっていた。

 

 

「「システム・コール――」」

 

 

 数え切れないほど聞いてきたその言葉が耳に入った次の瞬間、目の前は真っ黒から真っ白へと反転し、意識が一気に遠のいた。

 

 自分自身――魂が引き抜かれて、どこか別な場所に飛んで行っているような感覚だった。

 

 

 それが収まった頃に、アリスは目を開いた。

 

 そこはセントラル・カセドラルの最上階の一角でもない、真っ白な空間だった。目と顔を動かして見回してみても、どこまでも真っ白で、それ以外の色が存在していない。

 

 地平線の彼方どころか、天と地の境界線さえ確認できない。分かたれているはずの天と地が溶け合って一つになってしまったかのようだ。

 

 ここはいったいどこなのだろう。私は確かクィネラ様とカーディナル様の術を受けていたはずだ。術の影響でどこか別の空間に飛んでしまったのだろうか。

 

 いや、それはない。あの人達が失敗するはずなどない事は、これまでの経験で重々思い知っている。だとするとここは――。

 

 

「ようやく、会えたわね」

 

 

 呼びかけられた気がして、アリスは咄嗟に背後へ振り返った。どこまでも続く白い無の空間の中、唯一存在する有である自分以外の有がそこに居た。

 

 金色の長い髪の毛を三つ編みにして、青いドレスの上から白いエプロンを着た、自分より背丈の低い少女。優しい光を(たくわ)えたくりくりとした青い瞳が、アリスの事をしかと見つめていたのだった。

 

 

「アリス・ツーベルク……」

 

 

 その名前が自然と口から(つむ)ぎ出された。間違いない。アリス・シンセシス・サーティが宿るこの身体の本来の持ち主であり、自分が取り戻そうとしていた記憶。それが今、目の前に居る少女だった。

 

 

「初めまして、になるかしらね。騎士になったわたし……さん」

 

 

 そう伝えてきたアリス・ツーベルクは、途中からぎこちない声になっていた。自分と実際にこうして出会った事に混乱しているのだろうか。

 

 当然だろう。何故ならば自分は――。

 

 

「――ごめんなさい」

 

 

 口を開けて最初に出てきた言葉はそれだった。それ以外に思い付くものなどなかった。

 

 

「えっ?」

 

 

 目の前のアリス・ツーベルクから戸惑うような声がした気がしたが、懺悔(ざんげ)が、申し訳なさが溢れ出てきて、アリスは言葉を止められなかった。

 

 

「貴女は、本当ならば今もルーリッドの村で、幼馴染の、想い人のユージオと一緒に暮らしているはずだった。もしかしたらユージオと結婚をして、幸せな日々を送っていたかもしれない。ユージオを愛し、ユージオから愛されて……いるはずだった。

 なのに、私が貴女のこの身体を奪ってしまったばっかりに、貴女はセントラル・カセドラルの最上階のあんなところに閉じ込められた。私はそんな大切な事を気にも留めず、整合騎士などという立場にいる自分を特別な存在だと思い込み、好き勝手に振る舞っていた」

 

 

 話しているうちに足の力が抜け、アリスはその場に腰を落とした。そうなっても、涙と一緒に出てくる懺悔の言葉は止まる気配を見せなかった。これが、先程までの胸中のざわめきの正体だと感じた。

 

 

「それだけに留まらず、貴女が愛するユージオまでも奪い取った。彼の事を何一つ知らないくせに、偽りのアリスであるくせに、ユージオからの愛情を受けて……それを心地良いとさえ思っていた。本来ならば貴女が享受するはずの愛を……彼からの愛を、彼と共にある幸せを、何もかもを奪い尽くしていた。

 ユージオだけではない、キリトやシノンやリランといった友人達との日々も、彼らとの交流も、そこで感じた心地良さも楽しさも、全て貴女が受けるはずだったもの。私は私が受けるべきものではなかったものを、貴女が手にするはずだったものを全て横から(かす)め取って、貴女の生きる未来を滅茶滅茶(めちゃめちゃ)にした」

 

 

 だから、私は――。

 

 

「私は……クィネラ様に取り憑いていたアドミニストレータと同じ、《悪霊》なのです。だからどうか……早く、私を追い出してください。早く、身体を取り戻して……本来のあるべき姿に戻って……」

 

 

 そこでようやく懺悔の言葉は途切れた。けれども涙は止まらなかった。だが、どんなに泣いたところで許される事などない。

 

 私は結局アドミニストレータと同じだ。他人の身体に取り憑き、奪い取り、その人と成り代わっていた悪霊なのだ。どんな悪罵をぶつけられた後に消滅させられても、仕方がないのだ。

 

 そう思ったそこで、今の自分の状態が《EGO化身態》から戻った時のメディナと同じである事に気が付いた。懺悔をして、罰せられる事を望んでいた彼女と、全く同じ事をしている。

 

 後悔と情けなさ、自分への怒りと悲しみ。どこへもぶつけられない感情の渦。これが、あの時の彼女の気持ちだったのか。

 

 しかし、自分はメディナと比較にならないほど邪悪だ。アドミニストレータの計画に何の疑問も抱かずに加担し続け、アドミニストレータが身勝手に定めた規則に従わぬ者を連行し、機械人間に作り変えさせていた。

 

 何人もの罪なき人々を、正義だと思っていたモノの基に処刑していたようなものなのだ。

 

 だから、全てを受け入れよう。私は悪霊なのだから――そう思ってアリス・ツーベルクからの罵倒、悪罵、消滅の時を待ち続けたその時だった。

 

 

「……ありがとう、もう一人のわたし」

 

 

 聞こえてきた言葉に、アリスは思わず顔を上げた。その時確認できたアリス・ツーベルクは自分のすぐ前で姿勢を落とし、目の高さを同じにしていた。

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった自分の顔を映すその瞳には、先程よりもずっと優しい光が宿り、その顔には微笑みが浮かべられていた。

 

 

「あなたは、わたしがセントラル・カセドラルの最上階に捕らえられた後からずっと、わたしの代わりにこの世界を生きてくれていたのね。まぁ、整合騎士なんていう偉くて強い人になってたってのは正直びっくりだけども……それでも、あなたはわたしとなってこの世界を生きて……わたしの大切な人達を守り続けてくれた。今、こうしてわたしとあなたが出会えているのは、あなたがここまで生きてきてくれたおかげよ」

 

「そんな……私は……」

 

 

 首を横に振ろうとしたアリスの肩に、アリス・ツーベルクが優しく両手を置いた。

 

 

「だからね、わたし……あなたにわたしの事を全部話そうと思う。わたしの全部をあなたに教えるから……その後に、あなたの事を知りたいな。あなたがこれまで見てきたもの、聞いてきたもの、体験してきた事、感じてきた事を全部、わたしに教えてほしい。要するに、わたしの全部とあなたの全部の取り替えっこをしてもらいたいのよ」

 

「取り替えっこ……私と貴女の、全ての……」

 

「えぇ。わたし、あなたの事を知りたくて仕方がないの。あなたは、どう思ってる?」

 

 

 そう問われて、アリス・シンセシス・サーティは涙を止めた。静寂を取り戻した頭の中で思考を巡らせる。

 

 アリス・ツーベルクの事を知りたいかどうか。

 

 自分がこれまで見てきた全てをアリス・ツーベルクに教えたいかどうか。

 

 二人の記憶の全てを、取り替えっこしたいかどうか。

 

 その答えは――ここに来て、アリス・ツーベルクを目の前にしている今の状況そのものだった。

 

 

「えぇ……えぇ。私の全てをお話しします。貴女と入れ替わった後に私が見聞きした事、記憶の全てを、貴女にお話しします。だからアリス、どうか貴女の全てを、私に話してほしい――」

 

 

 そう言って、アリス・ツーベルクの手に自分の手を重ねた――

 

 

 

 ――嘘だ。こいつは私を消すつもりだ。

 

 

 ――その時、突然頭の中に《声》が響いた。

 

 アリス・シンセシス・サーティのものでも、アリス・ツーベルクのものでもある声色だが、どちらかというとアリス・シンセシス・サーティのそれに似ている気がした。

 

 

 ――この身体を渡すものか。これは私の身体なのだから。

 

 

「あうッ!?」

 

 

 もう一度《声》がしたかと思うと、肩に手が当たっている感覚が急に消失した。同時に悲鳴が聞こえてきて、アリスは顔を上げる。

 

 見えてきた光景に、全ての感覚を消された。

 

 アリス・ツーベルクが宙吊りになっている。無数の黒い腕にその腕を、足を、腹を、胸を、顔を掴まれる事によって。あまりの光景に頭の中が麻痺して思考が回っていかない。

 

 今、何が起きているの?

 

 アリス・ツーベルクを襲っている、この黒いのは何?

 

 

「駄目……不安に、なっては、駄目……!」

 

 

 アリス・ツーベルクは必死に訴えていた。だが、何の事を言っているのかわからない。

 

 

 ――嫌だ、いやだ、消えたくない。消されたくない。消されてなるものか。

 

 

 またしても《声》が頭の中に響くと、胸の中が一気にざわめき出した。

 

 まだ、居た。ここに来る前から胸の中に居続けていたざわめきは、まだここに居た。そしてそれは、いつの間にか胸を突き破ろうとするくらいにまで大きく、強くなっていた。

 

 

「違うよ……わたしは、あなたを消したいなんて……思ってない……!」

 

 

 アリス・ツーベルクの悲鳴のような訴えが響いた時、その華奢(きゃしゃ)な身体を掴み、握り潰さんとしている黒い腕の数が増えた。その様子を認めたアリスは、その腕の根元を追った。

 

 辿り着いたのは、自分の背中だった。いつの間にか、自分の着ている鎧と服の背部が破壊されて、背中が露出していた。

 

 その背中から――無数の黒い腕が飛び出して伸び、アリス・ツーベルクを捕らえていた。

 

 

「あ、あ、ああ、ああ、あ、あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 

 口から声が漏れ出し、止まっていた涙も再び溢れ出す。一緒に、ありとあらゆる感情が胸の中で一気に膨れ上がり、爆発を起こした。

 

 

 

 ――アリスは、この私だ。消えろ、アリス・ツーベルク。

 

 

 

 自分自身の《声》がはっきりと告げたその時、アリスの纏っていた全ての衣類が弾け飛び、真っ新になった身体から無数の黒い腕が飛び出し、アリス・ツーベルクを、空間そのものを呑み込んだ。

 

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