キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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12:奪われし者の叫び

 

          □□□

 

 

 

 もう少しでアリスが、僕の幼馴染であり、僕の想い人であるアリス・ツーベルクが帰ってきて、僕ともう一度会ってくれる。

 

 彼女が帰ってきた時には何を言おうか。まずは「おかえり」の挨拶だろうか。

 

 それとも「やっと会えたね」だろうか。それとも――。

 

 いや、多分自分はアリスが帰ってきたとわかった途端(とたん)、抱き締めてしまう事だろう。彼女がを望んでくれているかはわからない。それでも自分は彼女を抱き締めないなんて選択肢を取る事はできないだろう。

 

 怒られるか、(あき)れられるか。

 

 もしできたら、喜んでもらいたいな。いや、そうなってはくれないかな。

 

 恋焦がれた瞬間をついに迎えようとしている子供のように、ユージオはやがて来たる時を待っていた。

 

 アリス・ツーベルクの記憶が梱包(こんぽう)された水晶を胸に抱いたアリスに専用の術をかけるカーディナルさんと、ただでさえ頼もしかったというのに、完全なる力を取り戻してこれ以上ないくらいに頼もしくなられたクィネラ様の姿を、少し離れたところから見つめているユージオは、まるで主人の帰りを待つ犬のようだろう。

 

 あとどれぐらいかかるんだろう。五分くらいかな。十分くらいかな。それとも一時間かな。もしかして一日とか、かかったりするんだろうか。

 

 どれだけ時間がかかろうとも、ユージオは待ち続けるつもりでいた。

 

 あまりにも時間がかかったりするならば、そのうち大図書館へ向かうようカーディナルさんから言われたキリトとシノンとルコが、メディナとグラジオが、仲間達と共に痺れを切らして扉の向こうから戻ってきそうだ。

 

 そうなれば結局いつもの皆でアリスを迎える事になる。それでもいいのかもしれない。大図書館に居る皆は、自分の友人達と仲間達であると同時に、アリスの友人達と仲間達でもあるのだから。

 

 やはりカーディナルさんに、皆もこの場に居てもらいたいと言った方がよかったのだろうか。いや、やはり記憶の全てを取り戻したアリスを一番最初に迎えるべきなのは――。

 

 色々と思考を巡らせて、ただただ待ち続けたその時だった。

 

 術をかけられているアリスの身体が、一瞬びくりと動いたのをユージオは見逃さなかった。何か進展があったのだろうか――と思った次の瞬間、アリスは膝を折り、もう一度身体をびくんと言わせたかと思うと、それを何度も繰り返すようになった。痙攣(けいれん)を起こしている。

 

 

「えっ……?」

 

 

 一瞬目の前の光景を、ユージオは信じられなくなる。二人がアリスにかけている術はそんな作用があったのだろうか。

 

 二人からは「アリス・ツーベルクの記憶とアリス・シンセシス・サーティの記憶を融合させる」と聞いていたものの、使用中に何が起きるのかは具体的に聞かされていなかった。

 

 あの術はあんなふうになってしまうものなのか――と思ったが、ユージオは即座にその考えを胸の内から消失させた。

 

 今まさにアリスに術をかけているカーディナル様とクィネラ様は、閉じていたその目をかっと開き、信じがたいものを見ているような顔になっていた。それが、アリスに異変が起きている事をまざまざと教えていた。

 

 次の瞬間、光の粒子がアドミニストレータの本拠地であった部屋の床から湧き出してきて、あっという間に空間いっぱいを満たすようになった。

 

 真っ黒なのに外側は金色という奇妙な色合いで構成された不気味な光の粒子に、ユージオは既視感があった。いや、何度も見ている。

 

 一度目は、修剣学院でティーゼとロニエとルコを襲っていたライオスを相手にした時。

 

 二度目は、西帝国でメディナが絶望と怒りに呑み込まれた時。

 

 三度目は、同じく西帝国でシリカが頂点に到達した憎悪に染まった時。

 

 この三人は、不気味な光の粒子の群れを身体の中へと流れさせ――そして《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》という怪物となった。

 

 その時と同じような光の粒子の群れが(ただよ)っているという事は。

 

 

「アリス!?」

 

 

 カーディナルさんが術の使用を急に止め、悲鳴のような声をあげた。その声色からは戸惑いと焦燥(しょうそう)が感じられた。彼女でさえ、何が起きているのかわかっていないようだ。

 

 

「アリス様!!」

 

 

 同じように術を中断させたクィネラ様が叫んだ直後に、ユージオが恐れていた事が起きた。

 

 アリスが何も言わずに限界まで身体を()け反らせると、金と黒の光の粒子が急に動き出し、一目散にアリスの元へと流れ出した。

 

 まるで獲物に襲い掛かる蜂の大群のように、(ある)いは大雨が降った後の河川(かせん)のように激流を作り、アリスへ飛び込んでいく。

 

 駄目だ、行くな――ユージオは咄嗟(とっさ)にアリスの元へ駆け寄り、彼女へ流れ込もうとする光の粒子の大群を止めようと、掻き分けるように腕を振るった。

 

 しかし光の粒子の濁流はユージオの抵抗を無意味であると(わら)うように激しくなり、容赦なくアリスの身体へと殺到していった。

 

 

「アリス……アリス――――――――ッ!!」

 

 

 ユージオの腹の底から絶叫が放たれ、声がアリスに到達したその時――突如としてアリスを中心とした黒色の光の大爆発が起こった。

 

 それは火炎を(ともな)う爆発と同じ性質を持っており、向かってきていたユージオを後方へ吹っ飛ばした。

 

 硬い大理石の床に勢いよく打ち付けられ、肺の中の空気が一瞬のうちに絞り出されて呼吸ができなくなる。きーんという甲高い耳鳴りに聴覚を潰されて、音が聞こえなくなった。

 

 それでもユージオは顔を上げ、元に戻ろうとしていた幼馴染の居た場所に目を向けた。

 

 残酷なくらいに予想通りだった。彼女の身体は、先程まで流れ込んでいっていた光の粒子と同じ色の炎に包まれていた。

 

 その四肢に(まと)われていた衣服は既に焼けてなくなっており、あの整合騎士となった彼女を象徴する黄金の鎧も溶け落ち、蒸発していた。

 

 アリスはメディナとシリカが辿(たど)ってしまったモノと全く同じ状態に(おちい)っている。一目でそう理解する事ができたが、頭が受け入れを拒否していた。そのせいで頭の中が麻痺して、思考が回っていかなくなっていた。

 

 真っ新な姿の彼女を包む炎は強さを増し、やがて渦を巻いて竜巻となった。

 

 あまりの光景に目を奪われていると、やがて耳が音を聞き取る機能を取り戻し、併せてカーディナル様とクィネラ様が駆け付けてきた。

 

 

「ユージオ様……!」

 

 

 最初に声をかけてきたのはクィネラ様の方だった。彼女も相当に戸惑っているようだ。ユージオは(すが)り付くように視線を向ける。

 

 

「カーディナルさん……クィネラ様……いったい、アリスに何をしたんですか……?」

 

 

 途中から身体に力が戻ってきて、ユージオは上体を起こし、クィネラ様に掴みかかった。胸倉ではなく、両肩を両手で掴み、揺すりかける。

 

 

「アリスに何をしたんだ! アリスを元に戻すって、今のアリスを本来のアリスと融合させて、僕のところに帰らせてくれるって話じゃなかったのか!?」

 

 

 その言葉は、クィネラ様という最高司祭様に()いていい口の利き方ではなかった。しかしそれでもクィネラ様に詰め寄らずにはいられなかった。

 

 こんな話は聞いていない。こんな結果が待っているなんて教えられていない。

 

 教えてくれ。アリスの身に何が起きたんだ――無礼極まりない事を言って、力強く掴みかかっているユージオに、最高司祭様は答えた。

 

 

「……術は正常に(ほどこ)されました。整合騎士のアリス様と本来のアリス様は打ち解け合い、一つになろうとしていました。どちらもお互いを拒絶しておらず、お互いを受け入れようとしていました。それはちゃんと確認できておりました」

 

 

 術は上手くいった。決して嘘を吐く事ができないとされるクィネラ様からの言葉だというのに、嘘にしか聞こえなかった。直後に、カーディナルさんが続けてくる。

 

 

「じゃが、いよいよ二人が一つになろうとしたその時に、整合騎士のアリスの方が突然不安定化し、本来のアリスを拒絶し……そこに《進想力》が流れ込んできて、そのまま一気に暴走状態に陥ってしまった」

 

 

 今のアリス――アリス・シンセシス・サーティがアリス・ツーベルクを拒絶しただって?

 

 信じられない話だ。

 

 アリスはいつも「アリス・ツーベルクに戻りたい」と口にして、そうなる事を望んでいた。「早く元凶であるアドミニストレータを討ち倒し、元に戻りたい」と、「ユージオの事を思い出したい」、「ユージオを心から愛する幼馴染のアリスに戻りたい」と繰り返し言っていた。

 

 そして彼女はようやくその時を迎えた。ずっと渇望していた願いが叶う瞬間に辿り着いたのだ。だというのに、成就の寸前で拒絶した?

 

 

「なんだ、それ……」

 

 

 カーディナルさんは杖を構え、金と黒の炎の竜巻へ向き直った。

 

 

「……これはあくまでわしの推測でしかないが、整合騎士のアリスには本来の自分……アリス・ツーベルクへ戻る事に対しての不安があったのかもしれぬ。あの()は確かに、アリス・ツーベルクとなる事を望んでいた。わしもそれは何度も聞かされたからわかる。

 じゃが、同時にあの娘は不安だったのじゃ。アリス・ツーベルクに戻った時、アリス・シンセシス・サーティとしての自分は消えてしまうのではないかとな」

 

「まさか、アリスが二人に術をかけられる前に言ってたのって……」

 

「あの娘は整合騎士の力が失われる事を恐れていると言っておったが……本当は今いる自分、アリス・シンセシス・サーティの全てが消えるのではないかと恐れておったのじゃ。しかし直接口に出せず、あのような間接的な言葉にして我らに話した。

 そんな不安を抱く必要はないとわしとクィネラで説得し、安心させたつもりじゃったが……不安は変わらずにアリスの中に残り続けてしまった。そこに《進想力》が付け込んできて、アリスの中の不安を更に膨らませて《利己心(エゴ)》へ変えた。……そういう事なのかもしれん」

 

 

 では、あのアリスの身体を包む炎の竜巻は、彼女が抱いていた不安を根源とする利己心の姿であるというのか。その中心にいるアリスは、どうなってしまうというのか。

 

 答えはわかりきっているはずなのに、カーディナルさんに尋ねた。

 

 

「じゃあ、アリスは、どうなるんだ……?」

 

「《EGO化身態》になる。炎と化した《進想力》が身体を包み込んでいる事から、シリカやメディナに匹敵する、或いは彼女達を超えるほどの強力な《EGO化身態》となる可能性が極めて高いじゃろう」

 

 

 カーディナルさんは淡々と言い、やがてクィネラ様に指示をした。

 

 

「クィネラ、キリト達を呼ぶのじゃ! 急いで鎮圧にかかるぞ!」

 

 

 カーディナルさんの言葉が理解できなかった。

 

 どうしてキリト達をわざわざ呼ばなきゃいけないのだろう。クィネラ様には完全になった《最高支配者の力》がある。その一つくらいに《EGO化身態》になった人を即座に戻せる神聖術があるんじゃないのか。

 

 ユージオはその事をクィネラ様に話した。貴女の力ならばアリスだって元に戻せるんでしょう――ユージオの願いを最後まで聞いたクィネラ様は、首を横に振った。

 

 

「いいえ、《最高支配者の力》には《EGO化身態》になった人をすぐさま元の姿へ戻させるような力はありません。《EGO化身態》になってしまった人は、鎮圧する事でしか元に戻せません」

 

「そんな、なんで……」

 

 

 足場が崩れて、どこまでも落ちていくような錯覚に陥りそうだった。

 

 ようやく会えると、帰ってきてくれると思っていたアリスは帰る事を拒んで怪物になった。対処方法はいつも通りのモノしかない。

 

 クィネラ様は助けてくれない。

 

 カーディナルさんも助けてくれない。

 

 誰も、アリスを助けてくれない。

 

 その中で、アリスを包んでいた炎の竜巻は一旦収束したものの、すぐさま同じ色の光の粒子の濁流が押し寄せた。金黒色の光の大群はアリスの全身を包み込み、やがて一つの巨大な卵のような形が作り上げられた。

 

 卵は形成された数秒後に割れ――中から新たな姿となったアリスが現れてきた。

 

 それは勿論というべきか、異様な姿をしていた。

 

 人間の要素を色濃く足したリランのような容姿をしているものの、彼女のような体毛はなく、代わりに巨躯(きょく)のあちこちが黄金の鎧と黒色の装甲が出鱈目(でたらめ)()()ぎされたようになっている。

 

 背中からは一対の翼が飛び出していた。右側はリランのような羽毛の翼を金と黒の鎧で無理矢理作り上げたような形で、左側は飛竜のそれのような形をしていて、飛竜の場合は爪のある先端には掌らしき部位が見受けられる。そこもまた黄金と黒色の鎧の継ぎ接ぎだ。

 

 輪郭は狼に似ているが、同じそれを持つリランのように凛としておらず、かなり禍々しい風貌となっている。

 

 そのくせ額からは、リランと同じように《金木犀の剣》に酷似した形状の角が天を貫こうと言わんばかりに突き出していて、頭の上部から無造作に伸びた人間の頭髪のような金色の毛が、青色の光を放つ球体に等しい目に被さっていた。

 

 下半身の後部には金と黒の鎧の継ぎ接ぎで作られた尻尾が伸びており、その身長を優に超える長さをしていた。

 

 人間と、龍と、狼と、金色と黒の鎧がないまぜになって作り上げられている異形の怪物。それがユージオの幼馴染、アリスの今の姿だった。

 

 

「あ……あ、あ」

 

 

 ユージオがか細く声を漏らしたのを聞き取ったように、異形の怪物と化したアリスは吼えた。リランや飛竜、冬追(フユオイ)が出すモノとも異なる、どのような獣とも似つかないような声。そんなものがアリスから出ているのが信じられなかった。

 

 しかし、それが耳に入った事で、今の彼女が《EGO化身態》であるという現実がユージオに叩き付けられた。

 

 アリスは元に戻る事ではなく、怪物になる事を選んだ。僕のところに帰ってきてくれると思っていたのに、拒んでまた別な場所に行ってしまった。

 

 彼女である怪物を倒した時、何が起こるのだろう。

 

 まさか、死ぬのだろうか。《EGO化身態》から戻ったとしても、本人の意向次第では死んでしまう事もあるのだとカーディナルさんから教わったし、実際にそうなって燃え尽きたライオスをこの目で見た。

 

 アリスもライオスのように、死んでしまうというのか。

 

 

「……どうして……」

 

 

 いつもこうなるんだ。今度こそ、取り戻せると思ったのに。今度こそ、アリスを――。

 

 

 

 ――この世界の奴らはお前が愛される事を許さない。お前の持っているモノを何でも奪おうとするんだよ。

 

 

 

 アリスの咆吼と対応しようとしているカーディナルさん、クィネラ様の焦る声と音に混ざって《声》が聞こえた。頭の中にずんと響く《声》だった。

 

 この世界の人達は、僕が愛される事を許さない?

 

 ――最初はかあさんがお前を愛してくれた。母親だから当然だ。だけど、そのうちかあさんはとうさんと、にいさん達に取られた。

 

 あぁ、そうだ。僕を産んだかあさんは、最初のうちしか僕を愛してくれなくて、結局僕から離れていった。

 

 そんな僕を見て、とうさんはとてもうるさそうにしていた。

 

 にいさん達は、あしらわれる僕を(わら)っていた。誰からも愛されない僕を。

 

 ――そうだ。にいさん達は誰かを愛そうとして不幸になるお前を、(みじ)めなお前を嗤っていた。にいさん達だけじゃない。ルーリッドの村の連中みんなそうだ。みんなでお前を嘲笑(あざわら)っていたんだ。

 

 だから、僕は村に居るのが嫌だった。でも、どこにも行けなかった。だから村に居るしかなかった。

 

 ――それでもお前は誰かを愛そうとした。誰かを愛そうとする事をやめなかった。いつかお前の愛に応え、お前を愛してくれる人が現れると信じていたからだ。だが、実際はどうだった?

 

 誰も僕を愛してくれなかった。僕が愛そうとすると、その人は離れていった。みんな、僕から離れていった。

 

 ――そんな村の連中の中で、アリスだけは違った。

 

 そうだ。アリスだけは、僕の愛に答えてくれた。彼女だけが、僕の愛を素直に受け取って、僕を愛してくれる唯一無二の人だった。

 

 彼女と一緒に居る時間だけが、僕にとっての救いだった。生きる意味だったのかもしれない。

 

 ――でも、結局はアリスもまた奪われた。何もかもをお前は奪い尽くされた。お前の手元には何がある?

 

 何もない。皆奪われてしまったから、何にも残ってない。空っぽだ。

 

 ――そんなお前は、どう思ったんだ。アリスをどうしたかったんだ?

 

 アリスを取り戻したかった。アリスだけは、僕を愛してくれる人だったから。僕の恋人になってくれた人だったから。

 

 だから、僕の全てを(なげう)ってでも取り戻したかった。

 

 ――そのためにお前は戦った。

 

 魔獣を倒した。

 

 ――《EGO化身態》も倒した。

 

 ハァシリアンも倒した。

 

 ――アドミニストレータも倒した。

 

 邪魔する奴らは全部倒した。

 

 ――それでもまだアリスは奪われたままだ。

 

 アリスは、帰ってこない。帰ってくると信じていたのに。

 

 取り戻せると、信じていたのに。

 

 ――奴らはお前を嗤っているぞ。何でもかんでも取り放題されて、惨めだと嗤ってるぞ。いい加減、言ったらどうだ?

 

 もう、僕から奪うな。

 

 僕から何もかもを奪おうとするな。

 

 僕の大切な人を――

 

 僕の――

 

 ぼくの――

 

 

 

「アリスを、かえせ」

 

 

 

 胸に抱く全ての願いが混ざり合って一つとなった言葉を発すると同時に、ユージオは全てが解放される感覚に包み込まれた。

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

「だー! 全然聞こえないわ! この扉、どんだけの防音性能持ってんのよ!」

 

「流石カーディナル様特製の扉なわけだけど……にしてもなんにも聞こえなーい!」

 

「ちょっとくらい音が漏れるようになっていてもいいではないですか」

 

「おいユージオ、お前はアリス様にどう告げるつもりなのだ。聞かせないか」

 

 

 大図書館の出入り口の、冬追すらも通れるほどの大きさの扉に貼り付き、耳を当てているリズベットとフィゼル、リネルとメディナが抗議の声を上げた。

 

 カーディナルからの指示によって大図書館に移動させられ、ユージオとアリスの迎えを待っているキリト達は、はっきり言って暇している有様だった。

 

 大図書館に移動した直後くらいは、ハァシリアン戦、アドミニストレータ戦で負わされたダメージの回復に取りかかったので暇ではなかった。しかし全員のダメージ回復と治療が完了したところで、一気に暇が押し寄せてきた。

 

 アリスの記憶の復旧が完了するまで扉を通るなという指示が――厳格な顔をした――カーディナルから下されているために、大図書館から動く事ができない。

 

 他の場所に行こうにも、結局扉を通らなければならない。つまりセントラル・カセドラルの最上階を通るしかないが、そこに入るなと言われているので、やはりここから動けなかった。

 

 ベルクーリやファナティオ、エルドリエやデュソルバートといった大人達はそれでも特に問題はなかった。レンリやシェータ、アスナやリーファ達も問題なく待機できていた。

 

 だが、リズベット、メディナ、フィゼルとリネルがしばらく経った辺りからそわそわし、ついには扉に耳を付けて向こうの音を聞こうとし始めてしまったのだった。

 

 フィゼルとリネルのそんな姿を見た師匠デュソルバートが「何をやっておるか!」と怒って制止してくれようとしたものの、二人はデュソルバートの言う事よりも、扉の先の音と声を聞こうとしていた。

 

 

「リズさん、それはいくらなんでもアリスさんとユージオさんに悪いですよ……」

 

 

 友人の何とも言えない姿を見たシリカが呟くと、リズベットが答えてきた。

 

 

「シリカ、あんた聞かないで居ていいの? ようやく再会できた恋人同士の会話なんて滅多に聞けるもんじゃないわよ」

 

「それは、あたしも気になりはしますけれど……」

 

「いいからあんたも聞きなさいって。何かのヒントを得られるに違ないわ」

 

「何かってなんですか……?」

 

 

 全く引く気配を見せないリズベットにシリカは呆れ始めていた。しかし意外の極みだったのは、リズベットに続いてメディナまで同じような事をしている事だった。

 

 

「ユージオ、アリス様とどう接するつもりなんだ……私に教えろ……」

 

 

 無意識なのかそうではないのか、メディナの口からは大きな独り言と思わしき言葉が漏れ出ていた。やはり彼女にしては珍しいというか、予想外すぎる行動である。

 

 アドミニストレータが倒された事で肩の力が抜けて、今までやれなかった事をやり始めている……のだろうか。

 

 

「あの、メディナ先輩。シリカさんの言う通りですって。ユージオ先輩に悪いですよ」

 

 

 婚約者となった後輩グラジオが静止に入るが、先輩のメディナは聞く耳を持たない。

 

 

「……私は婚約者……というか本物の恋人との接し方をあまりよく知らないのだ……お前なら知ってるだろ……それを私に……」

 

 

 メディナのその独り言はグラジオには聞こえていないようだった。双方共に婚約者同士であり、互いを想い合う仲であるというのに、今は互いの声が聞こえていないようだ。

 

 なんだか先程まで最終決戦に臨んでいたというのが嘘のようだ。あれは悪い夢か何かだったのではないかという気さえしてくるくらいに、今の大図書館の中の雰囲気は牧歌的だった。

 

 そんな状況を作る一人であるベルクーリが、ふと口を開く。

 

 

「多分だけどよ、ユージオとアリスの嬢ちゃんはなかなか迎えに来ねえと思う。あと一時間くらいはかかってもおかしくねえだろうな」

 

「ベルクーリさん? それはなんでなんだ」

 

 

 キリトの問いかけにベルクーリはそのままの表情で答えてきた。戦闘や非常事態が何も無い時の顔だ。

 

 

「だってよ、ユージオと本当のアリスの嬢ちゃんの再会は八年ぶりになるんだろ。八年もの間待ち続けた想い人との再会の瞬間だぞ。そんでもってユージオとアリスの嬢ちゃんはキリトとシノン嬢ちゃんと同じくらいに愛し合っている。

 きっとカーディナル殿と最高司祭殿が居る事も忘れて、八年間温め続けた愛情を爆発させて、ま――痛ててててててててててて!!」

 

 

 悪く言えば昼行灯(ひるあんどん)の顔からニヤけ顔になったベルクーリの言葉は途中で悲鳴に変わった。そうなる直前に、どすんという何とも痛そうな音が聞こえていた。

 

 その正体は――ファナティオとシェータがそれぞれベルクーリの両足を思い切り踏み付けた音だった。

 

 簡素な靴しか履いていない足を、クィネラ特製の騎士鎧靴で思い切り踏まれたのだ、ベルクーリはたまらず動き出そうとしていたが、それをファナティオとシェータが足を踏み続ける事で抑え込んでいた。

 

 

「あら、シェータ。何故あなたまで閣下の足を踏み付けているのかしら?」

 

 

 ファナティオは笑顔で問うていた。顔だけは笑っているものの、内側ではかなり怒っているというのが非常によく感じられた。しかし怒りの矛先は向き合っているシェータではなく、ベルクーリに向いているようだった。

 

 そんな彼女にシェータは平常運転の顔で答える。

 

 

「騎士長が良くない事を言おうとした気がしたから。きっと最高司祭様が聞いたら「処罰しますよ」って(おっしゃ)りそうな事」

 

「あらまぁ、奇遇ね。私も全く同じ事を思ったのよ」

 

 

 二人の全体重を足に食らっていると思わしきベルクーリは痛そうな声を出した。

 

 

「いや、だってよ、二人はあぁなんだぞ。あんなに想い合ってるんだ。だから普通に考えれば――」

 

「閣下。何かを喋って伝える事は大事ですが、時には何も言わず黙っている事も同じくらい大事なのですよ」

 

 

 見てると凍て付きそうな笑みを浮かべたファナティオに言葉を(さえぎ)られても、ベルクーリはもう一度反論を(こころ)みた。

 

 

「ファナティオお前、この短時間で随分と変わった気がするんだが……?」

 

「いえいえ、私は全然変わってませんよ。寧ろ閣下の方が色々と軽くなってしまったのではないでしょうか」

 

「いや、オレは軽くなってなんかないぞ……というか、早く足踏むのやめてくれねえか……かなり痛ぇんだが」

 

「うーん? どうしましょうか」

 

 

 ベルクーリに言われてもファナティオは退こうとしなかった。まるで今のベルクーリは妻に尻に敷かれている恐妻家だ。そのせいでファナティオが色々と大きく見える気がした。

 

 彼女がそうなったのは、アドミニストレータが討たれて、自由になったからであろう。しかし、ファナティオの場合は自由になった事で、ずっと隠れていた恐ろしさが表に出てくるようになったとしか思えない。

 

 やはり、この人を怒らせると本当に怖い。前々から思っていた事であったが、たった今キリトは改めて認識した。

 

 

「それにしても、ユージオも良かったわね。ようやくアリスにまた会えるんだから」

 

 

 その中、シノンが声をかけてきた。その内容はキリトも何度も思っていた事だし、ここに来る直前にユージオにかけた言葉でもあった。

 

 ユージオはアリス・ツーベルクに再会する事を願い続けてきた。そのために戦い、ここまで昇り詰めてきて、その願いを実際に叶えて見せたのだ。二人が戻ってきた時には目一杯の祝福を伝えてやらねば。

 

 

「そうだな。帰ったら皆でお祝いをしなきゃだ。アドミニストレータも成仏させられたし、クィネラも完全な《最高支配者の力》を取り戻したし、ユージオもアリスと再会できたし、アリスも本来の記憶を取り戻したし」

 

 

 良い事尽くめではないか。これはやはり祝いの席をやらなければいけないだろう――。

 

 

「い、い、や、やあああああああああああああッッ」

 

 

 と思った矢先、キリトは腹の底から驚いた。それまでの喧噪や和やかな雰囲気を全て切り裂くような絶叫が大図書館に(とどろ)いた。

 

 その木霊が止み、唐突な静寂が訪れたタイミングで、キリトは絶叫の根源に向き直った。

 

 ルコだった。

 

 彼女は今、自身の身体を抱き締めて、立ったまま(うずく)るような体勢を取っていた。その場にいる全員が驚き切って、彼女を見ていた。

 

 

「ルコちゃん、どうしたの……!?」

 

 

 あまりに驚き過ぎたせいであろう、か細い声になっているアスナが問いかける。その直後、ルコは身体から頭へと手を移し、抱えるような仕草をした。

 

 そのままゆっくり小刻みに、首を横に振り始める。

 

 

「そんな、そんな、こんな、こんなの、やだ、やだ、やだ」

 

 

 キリトはルコの肩を掴み、支えるようにした。彼女の身体から強い振動が手へと流れてくる。

 

 ――待てよ? 前にもこんな事がなかっただろうか。いつかの時に似ていないか。

 

 ひとまずキリトはその疑問を保留してルコに問いかける。

 

 

「ルコ、どうしたんだ。何を感じ取った?」

 

 

 ルコは顔を上げて、目をキリトへと向けてきた。普段は天真爛漫(てんしんらんまん)な光が(たくわ)えられているその瞳には今、強い恐怖の闇が居座っていた。

 

 

「……キリト……」

 

「え?」

 

「……ユージオと、アリス……怖いの……なった……!」

 

 

 キリトは限界付近まで目を見開き、大図書館とセントラル・カセドラル最上階を繋げる扉へ振り向いた。

 

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