キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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02:旅立ちを前に

           □□□

 

 

 暗黒界。またの名をダークテリトリー。 自分達の居る場所、人界からすると長年(にら)み合いをしている敵対勢力――ゴブリンやジャイアントなどといった亜人族を中心とした者達が住まう土地だ。

 

 この二つの土地を分断しているのが、《果ての山脈》と、ここ《東の大門》である。

 

 《果ての山脈》はそうではないものの、《東の大門》は最終負荷実験の際に自壊してしまうという。そうなれば、暗黒界の者達はこの時を待っていたと言わんばかりに一斉に戦争を仕掛けてくるらしい。そして今、《東の大門》は崩壊の時が迫ってきているのだそうだ。

 

 人界と暗黒界の戦争が日に日に近付きつつある中で、暗黒界から来訪者が三名やってきたものだから、人界側は大いに混乱し、その者達を捕らえてしまった。

 

 手枷(てかせ)()められて身動きを封じられた暗黒騎士二名が、今、キリト達の目の前に居るのだった。二人はミニオンを迎撃した時には武器を持っていたものの、今はそれを手放し、完全に無抵抗を貫いている。

 

 だから、こうして拘束する必要性が感じられなかった。キリトはこの二人を(そば)で見ていたという賢人に抗議の声をかけた。

 

「武器を手放しているっていうのに、拘束する必要はあるのか。彼女達が無抵抗だったのはわかってるだろ」

 

 ベルベットのような光沢のある黒いローブと、同じ素材で構成された帽子に身に包み、栗色の巻き毛と、髪と同じ色の瞳をした小柄な少女の姿をしている賢人カーディナルは、悲しそうな顔をした。どちらかと言えば、捕まっている彼女達への申し訳ない気持ちが表れている顔だった。

 

「わしもそう言ったんじゃが、怯えている者がそれなりに居るのも確かでな。現に暗黒界人、亜人族を初めて見る者も多い……」

 

 キリトはふと周囲を見回した。自分達を取り囲むようにしている兵士達の姿があったが、皆揃って捕まっている暗黒界人の二人を睨み付けていた。攻撃を仕掛けてきた魔獣や《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》を迎撃する時と同じ、焦りと怒りと恐れの色が(にじ)んだ目をしている。

 

 こいつらがあの暗黒界人なのか。なんでここに居やがるんだ――明確な敵意を()き出しにして、そう言いたそうにしているように感じられた。

 

 彼らと同じように、キリトは暗黒界からの来訪者を見つめる。ダハーカと名乗ったオーガ族の青年――だろうか――は、頭部を除く全身に紫色のプレートアーマーを着込んだ、紺色の毛並みの狼男という言葉がそのまま当てはまる姿をしていた。

 

 しかし、一般的に想像される凶悪で禍々しい狼男と違って、その翡翠(ひすい)色の瞳には整合騎士達にも引けを取らない、(せい)の意志を多分に含んだ光が宿されており、輪郭も狼竜形態のリランのように凛としているものだった。

 

 確かに凶悪そうな見た目こそはしているかもしれないが、根までそうであるという気は一切しない。まさしく亜人の国の騎士といった風貌(ふうぼう)だった。

 

 片割れであるドロシーと名乗った少女は、亜人族ではなく、所謂(いわゆる)暗黒界人であった。しかしその肌はシノンや少女形態のリラン、アスナ達と全く変わらない色をしていて、腰に届くくらいにまで伸ばされた髪は降り積もった雪のような純白だった。

 

 瞳は上半分が紫色、下半分が深緑色という、どこか不思議な色合いになっているものの、邪悪な意思を由来とする闇は見受けられない。暗黒界人ではなく、人界人であると言われたとしても普通に納得してしまう見た目をしていた。

 

 二人に向けて魔獣や《EGO化身態》を睨む時のような目をしなければならない理由が、キリトには思い付かなかった。

 

 襲ってくる事のない人畜無害な小動物を勝手に有害だと決め付けて勝手に恐れているかのようだ。

 

「なんだこりゃあ、情けねえ。人界のど真ん中で武器一つ持ってねえ亜人と娘を寄って集って怖いってか?」

 

 不意に後方から声がして、キリトはそちらを見た。青い鎧を着こんだ、青色の髪と目をした筋骨隆々の大男――整合騎士長ベルクーリが、整合騎士達を引き連れてやってきた。

 

 これまで簡素な服を着ているところしか見た事がなかったため、鎧姿の彼にはどこか新鮮さがあった。

 

「大の大人が雁首(がんくび)揃えて何やってんだ。いいか、外すぞ」

 

 周りの兵士達を見て呆れたような顔で言うなり、ベルクーリはドロシーとダハーカのすぐ近くへ向かい、その拘束具を解いた。

 

「ありがとう、ござい……ます……」

 

 ドロシーが小さな声で礼を言うと、ベルクーリは首を横に振った。

 

「いや、こちらこそ非礼を()びる」

 

「……かたじけない」

 

 ダハーカは少し頭を下げてから、ドロシーに手を貸しつつ立ち上がった。ひとまず話ができる態勢が整うと、ベルクーリは早速二人に問いかけた。

 

「それで、お前さん達は何の用事があって人界に来たんだ? 話してもらえるか」

 

 ダハーカとドロシーは二秒程度見つめ合った後に、ベルクーリに向き直った。

 

「承知いたしました。改めまして……小官は暗黒界の暗黒騎士団の団員が一人、ドロシー・イザヤ・エリシュヴァと申します」

 

拙者(せっしゃ)はダハーカと申す。ドロシーと二人で、十候(じゅっこう)が一人、暗黒騎士団団長ビクスル・ウル・シャスターの名代として参った」

 

 二人の自己紹介を聞いたベルクーリは途中で目を丸くした。整合騎士団団長の自身とほとんど同じ立場にいると思われる、暗黒騎士団団長の名前に反応したようだ。ダハーカが続ける。

 

「暗黒界は現在、十候をそれぞれの長とする暗黒軍を編成し、人界との決戦を今か今かと待ち侘びている。肥沃(ひよく)な大地と安定した気候を持つ、この地を我が物にせんとして」

 

 やはり暗黒軍の狙いは人界の土地の奪取か。戦争になれば当然暗黒界側にも甚大な被害が及ぶが、そこまでして欲しがるという事は、暗黒界は良いとは言えないような土地がどこまでも広がっているような有様なのかもしれない。

 

 思考を回すキリトの背後から、デュソルバートがドロシーとダハーカに話しかける。

 

「そして貴殿達はその敵対する土地へとやってきた。だが、いったい何のために? わざわざそれを聞かせたかったとでも?」

 

 そう話すデュソルバートの声は険しかった。声と同じような険しい表情を浮かべ、かなりの敵意を二人に向けているのが、見ていなくてもわかる。

 

 その問いかけにドロシーが答えた。

 

「人界との戦争は、我ら暗黒界側の総意ではありません。中には大戦の流れを止めようとする者達が居ます。小官とに――ダハーカもまたその一人です」

 

戯言(ざれごと)を。いったいどれほどの年月を互いに憎しみ合っているか、知らぬわけでもなかろうに」

 

「デュソルバート様の言う通りだ。今更何を言っている。人界とダークテリトリーの間には血塗られた歴史がある! 人界人がどれほど貴様ら暗黒界に殺されてきたか、貴様らにはわかるまい! ここに居る兵士達の家族すらも、暗黒界との戦いで命を落としておるのだ!」

 

 デュソルバートの冷たい応答の次に続いたのはエルドリエだった。彼もまたデュソルバートと同じように強い怒りと嫌悪を抱いたような声で告げていた。

 

 暗黒界は憎むべき存在であり、無数の人界人の仇である――それが整合騎士達の共通認識であるようだ。例え非戦闘員が相手であったとしても。

 

「貴様らも人界の戦士を死に至らしめた者の一人のはず! どの口がそんな事をほざく――」

 

 エルドリエが引き続き激しい怒りをぶつけようとした途中で、ダハーカが答えた。

 

「……こちらが一方的に、無血で人界人を殺しているとでも思っているのか。我が師でもあったドロシーの母親もまた、人界の戦士によって死している」

 

 ドロシーが悲しそうに(うつむ)いた。本当はドロシーが話すつもりでいたが、ダハーカがあえて代わって伝えたという事のようだ。

 

 その言葉を聞いたエルドリエは声を詰まらせる。人界人と暗黒界人が争った時、血を流したのはどちらも同じなのだ。 

 

 俯いていたドロシーが顔を上げ、険しい表情をそこに浮かべる。

 

「皆、同じ悲劇を経験しています。だからこそ、これ以上無駄な血を流したくないと思うのは、おかしいのでしょうか。一度戦が起きれば、()(にじ)られるのはいつだって力なき民達です。幼かった小官が母を喪ったように、親を喪う子供が大量に出るでしょう。整合騎士殿は……人界の子供達にそんな悲劇を味わわせたいのですか!?」

 

 ドロシーは一際大きな声で叫ぶように伝えてきた。彼女が幼少期に親を喪うという苦境に見舞われたのは真実だ。そして自身の体験した苦痛を、今を生きる子供達に与えたくないという気持ちもまた真実であると、キリトは感じ取った。

 

 こちらを嵌めようと嘘を吐いている様子は微塵も感じられないし、何よりそうだったのであればリランが既に反応し、「こいつらはこちらを騙そうとしておる」と言ってきている頃だ。

 

 キリトの右隣のシノンのまた隣にいるリランは、そんな様子は見せず、かつてドロシーの受けた苦痛を感じ取っているかのような苦い表情をしていた。

 

「どうか、ご一考いただきたい……小官とダハーカは、いえ、シャスター様率いる暗黒騎士団は、人界側との和平を望んでいます!」

 

 ドロシーが渾身の力を込めた声で放った一言が、その場の全員を驚かせた。その中には無論キリトも含まれている。

 

 この二人の暗黒騎士は、その大本である暗黒騎士団なる者達は、自分達と同じように和平を望んでいる。その話はいささか信じられないものだが、一方でドロシーとダハーカが嘘を吐いている様子は相変わらず認められない。

 

 彼女達の言っている事は――やはり真実だ。

 

 直後、驚く人々の中の一人である、整合騎士団副騎士長ファナティオ・シンセシス・ツーが騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンに尋ねる。

 

「閣下。この場で心音一つ乱さぬのはお見事だと思いますが、何かご存知だったのですか?」

 

 キリトは咄嗟(とっさ)にそちらを見た。騎士長は「くっくっ」と笑って副騎士長を見下ろしていた。よく見たところ、ベルクーリは驚いていなかった。

 

「流石、副騎士長殿はお見通しか。まあ、今から言うつもりだったんだ。

 すまんな、皆。この話は本当だ。かねてより、オレと暗黒騎士のシャスターとで、和平の道を探っていたんだ」

 

 兵士達と整合騎士達はほぼ一斉にベルクーリの方を見た。人界側が暗黒界との和平交渉を進めているというのは皆の共通認識であったが、そこに暗黒騎士団長シャスターが協力しているというのは初耳だった。

 

 なので、誰もが「何故そんな大事な事を今まで黙っていた?」と言いたそうにしていた。

 

 その事に気が付いたであろうベルクーリが釈明しようとしたが、それより前に割って入ってきたのがカーディナルだった。

 

「ベルクーリを責めんでやってくれ。隠しておいてくれと頼んでおいたのはわしとクィネラなのじゃ。実を結ぶかわからん事じゃったからな。しかし、幸運な事に大門崩壊前に間に合った……これは吉報と言えよう」

 

 ベルクーリは腕組をして「うんうん」と二回ほど(うなづ)いた。

 

「そうだな。だが、シャスターの連絡では、来るのは暗黒騎士だけどもダハーカとドロシーなんて名前じゃなかったはずだが……まぁ、誰が来たのかは別に問題じゃねえ。大切なのは、暗黒界の奴らが、整合騎士団団長であるオレとの約束を守って来たという事実だ」

 

 ベルクーリは振り返り、部下の整合騎士達を見回した。

 

「いいかお前ら、これは査問会議じゃない。この和平の使者殿二人から、色々と事情を(うかが)うぞ」

 

 騎士長ベルクーリの指示に整合騎士達は頷きで答えた。

 

 間もなくして、ドロシーとダハーカの二人による、暗黒界の事情の説明が行われた。

 

 まず、ダークテリトリーの権力構造であるが、十の部族の長――十候と呼ばれる者達が統治者として存在している。

 

 拳で戦う事を主体とする好戦的な戦闘組織、拳闘士ギルドの族長イスカーン。

 

 山や平地に暮らす亜人族オーク族のリルピリン。

 

 その名の通り暗殺を得意とする組織、暗殺者ギルドのフ・ザ。

 

 小規模なものから大規模なものまで、様々な暗黒術の行使を得意とする組織、暗黒術師ギルドのディー・アイ・エル。

 

 ダハーカが該当するオーガ族のフルグル。ジャイアント族のシグロシグ。

 

 山ゴブリン族のハガシと平地ゴブリン族のクビリ。

 

 暗黒界の商業を担う商工ギルドのレンギル・ギラ・スコボ。

 

 ドロシーとダハーカが所属する暗黒騎士団のリーダーであるビクスル・ウル・シャスター。

 

 このうちの暗黒騎士団と商工ギルドが和平寄りの考えであるという。この二つの部族が他の八つの部族に、人界との和平交渉の会談の席についてほしいと願ったのだが、首を縦に振る者は少なかったそうだ。

 

 それどころか、一刻も早く人界へ攻め込むべきなどと言い出す始末だったらしい。

 

「だが、そこで待ったをかけたのが《大教皇様》だった。大教皇様は十候達を説得し、ある条件を満たせば人界との会談に応じると(おっしゃ)った。十候達のうちディー・アイ・エルは素直に受け入れ、残りは渋々受け入れた」

 

 ダハーカからの説明にキリトは思わず首を(かし)げた。

 

 大教皇――その役職の名前自体は、ここではないファンタジー世界を舞台にしたゲームに時折出てきたりするものであるため、知っている。

 

 だが、この世界における大教皇がどういうものになっているのかは全く想像がつかない。ダークテリトリー側のものならば尚更だ。

 

 クィネラの役職である最高司祭に近しいものだろうか。すると、ダークテリトリーにも公理教会のような宗教組織が存在しているという事なのだろうか。

 

 しかし、ドロシーとダハーカの話を聞いていても、それらしきものは登場してきていない。つまり大教皇だけが存在しているという事か。

 

「その大教皇様って人が提示した条件っていうのは、なんだ」

 

 キリトの問いかけにはドロシーが答えた。

 

「和平会談は、暗黒界で行うという事です。人界側の人々に暗黒界へ来てもらい、十候と大教皇様と会ってもらう……そうでなければ、十候達は和平会談には応じないつもり……だそうです……」

 

 ドロシーからの言葉に周囲の者達はもう一度大いに驚かされた。

 

 こっちから暗黒界へ(おもむ)いて和平会談をしろだって?

 

「どう考えても罠だろう、それは……!」

 

 先程からドロシーとダハーカによく噛み付くエルドリエが言い、デュソルバートが更に問う。

 

「ドロシー・イザヤ・エリシュヴァとダハーカ、貴殿らに問おう。その条件は人界の要人を手引きし、謀殺(ぼうさつ)せんとするダークテリトリー側の罠でないと言える証拠は?」

 

 デュソルバートの問いかけは(もっと)もだった。

 

 暗黒界の者達が和平会談の場を設けると言って、こちらの重要人物を呼び寄せ、そこで抹殺しようと画策(かくさく)しているとしか思えない。

 

 暗黒界と人界の境目辺りで行うというのであればまだ信じられたが、暗黒界内で行うとなると、流石に信じるのは難しい。

 

 皆が怪訝(けげん)な顔をして見つめ始めた中、ドロシーとダハーカは俯いた。

 

「……ありません」

 

 そう聞かされてキリトは落胆しそうになる。

 

 この二人でも、この話が罠ではないという証明はできないらしい。

 

 ……もしかしたら、この二人も暗黒界の戦争派連中に嵌められたのではないか? そんな気までしてきた。

 

 俯く二人に、デュソルバートがもう一度言う。

 

「和平を願い、死も覚悟の上で敵地にやってきた騎士には、敬意を払ってやりたいが……」

 

「ええ、安直に話に乗って出る損失は、この小娘と人狼の首で到底(まかな)えるものではない。こちらから使者を出して敵の根城に向かわせるなど、狂気の沙汰です」

 

 エルドリエが再び二人に噛み付くように言ったが、キリトはその言葉を否定できなかった。彼の師匠であるアリスも、何も言えないでいる。

 

 ドロシーとダハーカの事は信じたいが、彼女達の後ろに居る者達を信じるのはあまりに難しかった。その中で、ダハーカは顔を上げた。

 

「だが、求めているものが、その猜疑心(さいぎしん)を乗り越えた心の強さなのだから、正直に乞い願うしかないのだ……!」

 

「小官達が敵地であるこちらに死を覚悟して乗り込んだのは、そちらに敬意を払っての事です。小官達は……あなた方に首を()ねられる覚悟を抱いて、こうして飛び込んできました。人界側は、同じ事ができぬのですか」

 

 ダハーカ同様に顔を上げたドロシーは、エルドリエを見つめていた。エルドリエは睨みで返す。

 

「なんだと、貴様……」

 

「あなたの言う『小娘と人狼』ができた事を、そちらはできないのかと聞いているのです」

 

 エルドリエは喉を鳴らしてから黙った。デュソルバートも口を閉ざしている。

 

 ドロシーは続けた。

 

「騎士の称号が飾りというのであれば仕方がない。ですが、そうでないのならば、小官とダハーカがしたように、危険があるとしても、和平の未来を手繰(たぐ)り寄せる行動を取ってください! 今度は、あなた方の番だ!」

 

 周囲に響く大きな声でドロシーは言い放った。それでも整合騎士達の沈黙は揺るがなかった。

 

 それを見たドロシーは表情を少し曇らせる。

 

「決して、容易くはない……困難な道となるでしょうが……人界にも気高き志を持つ剣士が居る事は、我が身を()て知っています」

 

 ドロシーは表情に明るさを取り戻させ、もう一度訴えるように言った。

 

「ぜひ、和平への道を歩んでいただきたい」

 

 

 

           □□□

 

 

 その夜、作戦会議が行われた結果、ドロシーとダハーカが提示した暗黒界側の要求を、人界側は呑むという話になった。暗黒界が行動したのに対し、人界側は沈黙を貫いたという事にするわけにはいかなかったのだ。

 

 人界側にて和平使節団を形成し、暗黒界へ人員を送り込む事となった。そして当然というべきか、そのメンバーにキリトと仲間達が選ばれ、三日後に暗黒界へ向かう運びとなったのだった。

 

 作戦が大まかに決定された後に、キリトは即席の天幕に戻った。しかしどうにも胸の内がもやもやしてしまって、すぐさま外に出てきてしまった。

 

 周囲は夜にも関わらず、比較的明るかった。《東の大門》は人界の最終防衛ラインであるため、規模の大きな砦が建てられており、多くの篝火(かがりび)が設置されている。その光が夜の闇を照らしていたのだった。

 

 だが、流石に現実世界におけるビル街のそれのような灯には到底届かず、見上げれば星々の姿を認める事ができた。

 

 仮想世界でありながら、現実世界と変わらない夜空がどこまでも広がっている。

 

 そのクィネラから切り離されたばかりのアドミニストレータを倒した直後に見た夜空と同じ空。そこを見てから、《東の大門》の方に目をやったその時だった。

 

「キリト、どうしたの」

 

 後方から声がしてきて、キリトは振り向いた。

 

 今日の午前中に共にセントラル・カセドラルの最上階へ赴き、そこからリランの背に乗ってここまで来て、ミニオンからドロシーとダハーカとサライを救ってくれた、自分の恋人――シノンがこちらにやってきていた。

 

「もう眠った方がいいんじゃない? 明日から暗黒界に行くために準備する事になるし」

 

「うん、そうだけど……」

 

「何か、悩んでる?」

 

 シノンは見事に図星を突いてきた。これまで長年接してきたからこそであろうが、特に最近のシノンの聡さには驚かされる。観念したキリトは、頷く。

 

「まぁ、そんなところ……だな」

 

「無理に話してくれなくても構わないわ。だけど、もし話せそうなら聞かせてほしい。私、あなたの恋人なわけだし……いつもあなたに助けられてばっかりだから、あなたの力になりたいわ」

 

 キリトはもう一度頷き、シノンに近付いた。

 

「あのさ、俺達今、このアンダーワールドで人界側に居るだろう? 今まではこっちに守るものが沢山あったから、当然のように人界側でダークテリトリーと戦うしかないって思ってたんだ」

 

 そこで思い出されてきたのは、今まさに向こうの天幕で休息を取っているドロシーとダハーカの姿だった。

 

「俺が知っているダークテリトリーの住人って、なんだかすごく『敵』としてわかりやすくて……ほら、ルーリッドの村の奥の、《果ての山脈》の洞窟でゴブリンにセルカを攫われて、ユージオを傷付けられた事もあっただろう? そんな事があったせいか、すっかり俺の中では『悪い側』だと思ってたんだ」

 

 思った事を告げると、シノンの表情が少し難しいものになった。

 

「そうね……あのゴブリン達、全然話も聞いてくれなかったし、乱暴で凶暴だったしで、如何にも『人間の敵』みたいな感じだったものね」

 

 カーディナルとクィネラから聞いた話によると、暗黒界に生きる種族には殺戮(さつりく)と強奪の行動原理がフラクトライト――(すなわ)ちAIの魂に付与されているという。

 

 だからこそ、あのゴブリン達には全く話が通じていなかったし、彼らはこちらに殺意と略奪の意識を剥き出しにしていた。

 

 そしてそれは全ての暗黒界の者達に共通していると思っていた。彼らへの和平交渉の計画は立てていたものの、上手くいかないのではないかとも思っていた。

 

 今日、ドロシーとダハーカと出会って話をするまでは。

 

「うん。だけど、ドロシーとダハーカと出会って……それが一気に揺らいでしまったっていうか……あの二人は俺達人界側から奪うんじゃなく、暗黒界も人界側も守ろうとしてた。思い描いていたダークテリトリーの暗黒騎士とは違ってた」

 

 俺が実際に見て聞いたものだけが全てじゃない。もっと事態はその仕組みは複雑怪奇で、沢山の事柄が起きている――ドロシーとダハーカの来訪は、キリトに強くそう思わせていた。

 

「俺はこの世界が好きだ。ここに居られる間は、皆の役に立ちたいよ。だけど、立っている場所や見ているものが本当に曇っていないか、一方的に決め付けていないかって、今、すごく考えてるんだ……」

 

 そこまで言ったところで、キリトはもう一度シノンに目を向けた。その時シノンのきょとんとした顔が見えて、キリトは同じような反応をした。

 

 すぐにシノンが口を開く。

 

「……あなたも、私と同じ事を考えてたのね」

 

「シノンも?」

 

「えぇ。私もかなりもやもやしてたのよ。私も正直な事を言うと、ダークテリトリーの人達とはどうせわかり合えそうにないんだから、容赦なく弓を射ればいいと思っていたけど……ドロシーとダハーカの話を聞いたら、そんなふうには思えなくなってきて。

 ダークテリトリーの人達の中にも、ドロシーやダハーカみたいな人が少なからず居るって思ったら、もし戦わなきゃいけなくなった時に自分が弓を射る事ができるか、わからなくなりそうで……」

 

 シノンの表情が曇る。これまで見てきたものほどではないものの、結構な不安が感じられた。

 

 だが、それを吞み込むかのように、シノンは顔を上げ、つい今のキリト同様に《東の大門》の方を見つめた。

 

「……結局、ダークテリトリーに行ってみなきゃ、何もわからなそうね」

 

 彼女の言う通りだ。ここで色々と考えを巡らせていたところで、何も答えが出る事はないだろう。出たとしてもそれは机上の空論に過ぎない。

 

 最早、ダークテリトリーという未知の領域へ飛び込むしかないのだ。

 

 そして、未知であるがゆえに危険で満ち(あふ)れている場所に向かうのであれば、自分には優先して取り組むべき事がある。

 

 キリトは一度「うん」と答えた後に、シノンへ言葉をかけた。

 

「シノン」

 

「え?」

 

「まだ、色々思うところはあるけれど……ダークテリトリーで君が危険に晒された時は、俺が君を守るからな」

 

 できるだけ彼女の不安を解消させられるように、できるだけ強い声で言った。

 

 受け取ったシノンはというと、もう一度きょとんとしたような表情を顔に浮かべた。だが、その表情はすぐさま、柔らかくて愛おしい微笑みに変わった。

 

「……ありがとう、キリト」

 

 そう言ってくれた直後、彼女の笑みが強い意志を感じさせるものへと変わる。

 

「けれど、それは私も同じよ。私も、私を守ってくれるあなたのために、あなたを守るために戦う。ダークテリトリーの人達を射れるかどうかは、まだ決心が付かないけど……あなたの命を奪おうとする奴が居たなら、その時は迷わずに射るから」

 

 シノンの青水色の瞳には強い意志の光が瞬いていた。彼女が今言ったように、自分が危険に晒される事があれば、きっと彼女は自分を守るために戦うのだろう。

 

 だが、それで彼女がより大きな危険に晒されてしまっては本末転倒だ。

 

 そんな事にならないためにも、俺がこれまで以上に力を出さなければ――キリトはそう思い直した。

 

 

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