キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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03:闇と蒸気の領域

          □□□

 

 

 ドロシーとダハーカとサライの来訪から三日後、キリトは予定通りに、和平使節団としてダークテリトリーへと向かう事になった。

 

 和平使節団のメンバーだが、まず、キリト、シノン、リラン、ルコの四人。

 

 それに加えてアスナ、ユピテル、リーファ、リズベット、シリカの五人。

 

 そしてアリスとユージオの二人に、先導役となるダハーカとドロシーとサライも加えた五人。この十四人で、人界といがみ合い続けているダークテリトリーへと旅立つ事になったのだった。

 

 このうち、キリト、アリス、ユージオの三人には新しい装束が送られ、それを身に着けたうえで出発する運びとなった。

 

 キリトがセントラル・カセドラル攻略時から着ていたロングコートは、何度も損傷と修繕を繰り返していたために、見た目こそは変わりないものの、内部は既にボロボロで、この先の旅に耐えられそうにない有様になっていたのだ。

 

 アリスとユージオに至っては、数日前のセントラル・カセドラル最上階での決戦で《EGO化身態》になった時に焼失してしまい、昨日まで央都セントリアの住民達の普段着という、戦闘には向かない服装をしていた。

 

 そんな現状を受けて、何でも作れる力を持った最高司祭クィネラが特注品の服を制作。三人に届けてくれたのだった。

 

 そのクィネラが作ってくれた服装だが、キリトのはところどころ金色の縁取りがされている黒いロングコートと履き心地の良い黒いズボン、黒いマフラーのセットだった。

 

 シンプルではあるものの、袖を通した時の動きやすさときたら。これまで着ていたロングコートとは比べ物にならないくらいに軽く、程よく暖かい、とても着心地の良いものだった。

 

 ユージオに与えられた服も青いロングコートとズボンだったが、その下に白いジャケットと青いワイシャツ、白いネクタイを着用するスタイルで、全体的にフォーマルな好印象を与えてくるものだった。とても似合っている。

 

 そしてアリスはというと、前と変わらない黄金の鎧であったが、全体的に露出がそこそこ増えたデザインとなり、脚をすっぽりと覆い隠すほどのロングスカートは、(すそ)が膝よりずっと上にある白いミニスカートに変更されていた。その前部を除く外周を、同じく白いロングスカートが覆っている――そんな見た目だった。

 

 アリス自身は、アリス・ツーベルクとしての記憶と性格も取り戻したためなのか、大分(だいぶ)そのデザインを気に入っているようだったが、明らかに肌面積が前よりも増えていたものだから、キリトは(いぶか)しんだ。

 

 クィネラは頭部以外をしっかり覆うような厚手の服を二十四時間ずっと着ているくらい、素肌を(さら)す事を苦手としている。

 

 だというのに、クィネラの作った女性服は何かと肌の露出が多いデザインである。

 

 自身は素肌を晒すのは嫌だが、他の女性には素肌を晒してほしい――そんなふうに思っているのではないかというふうに感じられて、どうにも変な気持ちになる。

 

 ……そう言えば――余裕も暇もなかったので仕方がないのだが――クィネラの趣味趣向というものが何なのか、具体的に知らない。

 

 ちらと「お前の好きなものってなんだ?」と尋ねた事はあるが、その時は「実はロボットだとか大きな機械だとか、そういったものを強く好んでおります」と答えていた。

 

 しかし、そんな答えを教えてくれたクィネラが作った、今まさにアリスが「素敵な形をしてる。流石は最高司祭様よ」と言って喜んで着ている服装のデザインは首元、肩から肘にかけてと、太腿の辺りの素肌が露出しているもの。

 

 もしかしたらクィネラの趣味趣向には、女性の衣服や鎧などを作る時には肌面積をなるべく多くしたデザインにする事も入っているのではないだろうか。

 

 クィネラは姉兄(きょうだい)であるリランとユピテル同様に真面目で心優しく、不義や悪を許さず、困った人が居たらすぐさまその悩みを聞き、助けになる行動を取るような性格だ。だからこそ整合騎士からも、人界の人々からも、これ以上ないくらいに慕われ、厚く支持されている。

 

 しかしそれでも、彼女もイリスの娘の一人である。イリスのどこか変人的な部分が遺伝していてもおかしい話ではないのだ。

 

 クィネラが作った女性服が肌面積のあるものになっているのは、そういう事ではないか――と考えたところで、キリトはそれを頭の最奥部に仕舞い込む事にした。

 

 今はそんな事を考えている場合ではない。これからダークテリトリーへと飛行するのだから。

 

 支度を完了したキリトは皆に呼びかけ、全員の準備もまた完了している事を確認し、リランの背中に飛び乗った。そこにシノンとルコが加わり、いつもの四人パーティが完成した。

 

 続けて《使い魔》形態のユピテルの背中にアスナ、リズベット、リーファ、シリカの四人が跨り、最後に変わらずに自分達に協力し続けてくれている龍である冬追(フユオイ)の背中にユージオとアリスが飛び乗った。

 

 「出発できるぞ」と告げると、ダハーカがドロシー、サライの二人を飛竜の背中に乗せ、最後に自身が最前席に乗り、手綱(たずな)を取った。ここまで飛行して三人を送り届けた名もなき飛竜はその翼を羽ばたかせ、ダークテリトリーを目指して飛び始めた。

 

 その後を追うようにリランと冬追が各々の翼で風を掴んで飛び上がり、同じように飛行を開始した。飛行能力を持たないユピテルはというと、「しっかり掴まっててくださいね」と頭に届く《声》で背中の四人に言うと、ぎゅんと猛スピードで走り出した。

 

「まずは、ここから真っ直ぐ向かった先にある《交易街》を目指すぞ。付いてきてくれ」

 

 風に混ざってダハーカの声が聞こえてきた。それなりに距離が離れて、突風が吹き付けてくるというのに、よく響く声だった。ダハーカは遠くに声を伝える術をしかと身に着けているようだ。

 

 彼のナビゲートがあれば、迷う事なく目的地に辿(たど)り着ける――会って三日程度しか経っていないというのに、キリトは既にそう思っていた。

 

 ダハーカ達を乗せる飛竜に導かれて東の大門を抜けて早々、人界とは全く異なる光景が眼前に広がってきた。

 

 どこもかしこも見渡す限り、草も木もない荒野ばかりだ。遠くに見えるのは背丈がばらばらの広大な岩山地帯。まるで本格的に植物を消し去って、土と砂と岩だけを残した《GGO》のフィールドのようである。

 

 いや、冷静に観察してみると、そうではなかった。《GGO》では環境汚染によって終わる事のない黄昏の空が広がっていたが、ダークテリトリーに至っては何の影響なのか、空も雲もどんよりとした黒みがかった赤色に変色している。

 

 その有り様は大規模戦争で汚染され切った世界というよりも、最初から人間はおらず、その代わりを務める魔族達によって支配と統治が成されている《魔界》だ。

 

 この世界に来てから、主に亜人達が住んでいるダークテリトリーという領域の話を聞いた辺りから、もしかしたら一般的に想像される魔界みたいな場所なのではないかと思っていたが――その予感は当たっていた。

 

 見渡す限り、どこまでも荒廃した大地が広がっている。植物らしきものは確認できない。

 

 いや、双眼鏡で覗き見てみたところ、一応植物はあった。しかし、それは(いばら)のように棘がびっしりと生えた灰色の樹木だとか、緑ではなく青色をしている草むらだった。

 

 とても土地に栄養があるようには思えない。作物を植えたところで、全く育つ事なく枯れてしまう一方であろう。

 

 人界で一般的に見る事のできる草や木といった《緑》が見えてこないのもそのせいで、あの棘だらけの樹木だとか青色の草むらなどは、栄養のない土地でも枯れずにいられるように独自の進化を遂げた植物群だろう。食用に向いているようには到底思えない。

 

 なるほど確かに、このような土地に暮らす事を余儀なくされていたら、人界という肥沃(ひよく)な土地を手に入れたくなるのも無理はないだろう。

 

 だが、だからと言って侵略戦争を起こさせるわけにも、その攻撃を甘んじて受け入れるわけにもいかない。この和平会談は何としてでも成功させなければ。

 

 そう思ったその時だった。

 

「うーん、ううーん、んー……」

 

 最前部のキリトと最後部のシノンに挟まれる形で乗り、キリトの腹部に手を廻しているルコの声がしてきた。軽く振り返ってみると、ルコは内部の耳を覆う骨組み入りの帽子を風でバタバタと言わせながら、不満そうな顔をしていた。

 

「どうした、ルコ。何か怖いものでも感じ取ったか」

 

 言ってみて失敗だと思った。ルコは強大な力を持った《EGO化身態》が出現した時のような恐怖に満ちた顔はしていなかった。

 

 キリトの問いかけが余計に不満に拍車をかけたのか、ルコは抗議するように言ってきた。

 

「……空気、べたべた」

 

「え? 空気がべたべた?」

 

「空気、べたべた。気持ち、悪い」

 

 ルコからの返答にキリトは思わず目を点にした。空気がべたべたして気持ち悪いという事は――湿度がそれだけ高いという事だろうか。

 

 ルコと言えば、砂漠の暑さにも、雪山地帯の寒さにも異様に強く、皆が暑がったり寒がったりしている中で一人だけけろりとしているくらいだ。無論風邪もひいた事がない。

 

 しかしそんなルコでも高温多湿は流石に気持ち悪く感じるらしく、南帝国の熱帯雨林などに足を運んだ時にはかなり居心地悪そうにしていた。

 

 そしてルコはリラン、ユピテル、クィネラ同様に嘘を吐かない()なので、その言葉はいつも真実である。なので、今自分達のいる空は高温ではないものの多湿な環境という事だ。

 

 だが、そう言われても何だか実感が湧いてこない。

 

 そこでキリトは後方を飛ぶ冬追の方を見た。またしても驚かされる。

 

 冬追の顔の辺りに白い煙が起きていた。冬追は顔や口元から常に冷気を発しているので、湿度が高いところに行ったりすると、その冷気の出る部位の周りが白い煙に覆われたりする。

 

 それが今起きているという事は、やはり湿度が高いらしい。

 

「ダハーカ、なんか空気がべたべたするってルコが言ってるんだがー!」

 

 大声を飛ばしてダハーカに問いかけたところ、彼らを乗せる飛竜はゆっくりとブレーキをかけるように減速し、やがてホバリング態勢に移った。

 

 その動きに従ってリランと冬追もホバリングに入ったが――そこで一気に湿り気が襲ってきて思わず「うえっ」と言ってしまった。

 

 空気がじめじめしているのではなく、本当にルコが言ったようにべたべたとねばついているかのようだ。まるで今しがた思い出した、雨が降った後の熱帯雨林に居るかのようだった。

 

 しかし、どこを見てもそれを作り出しているような緑は見受けられない。周りを見れば相変わらず荒地と岩山という湿度の高いところにはないであろうものが広がっている。

 

 この湿度はなんだ?

 

「蒸し暑いかー?」

 

 ダハーカの大きな声が飛んできたが、キリトは首を横に振った。

 

「蒸し暑いって程じゃないけど、湿気がひどいみたいだ。これはなんなんだ?」

 

「これは蒸気によるものなのですが、人界ではこういう事がないのですか?」

 

 不思議そうな顔をしたドロシーが答えを言ってきた。

 

 この湿度は蒸気によるものだって? 一応、大規模な蒸気を発生させるものについて思い当たる存在があるが――まさか、ダークテリトリーにはそんなものがあるというのか。

 

 思わず驚くキリトに、今度はダハーカとドロシーが首を傾げた。しかしすぐにダハーカがこちらに向き直ってくる。

 

「……これは実物を見た方が早そうだな。ひとまず交易街へ向かい、そこで待っている案内人の一人に貴殿らを紹介するとしよう」

 

 そう言ってダハーカは飛竜の手綱を動かし、再度前方へ向かわせた。この湿気の正体と言い、案内人の一人とやらと言い、ここで考察していても答えが出そうにない事ばかりだ。

 

 ダハーカに素直に従い、交易街を目指した方が良いのだろう。キリトは皆に再度指示を出し、リランにダハーカ達の後を追わせ始めたのだった。

 

 しばらくべたつく空気で満たされた空を飛び、流れていく荒野や岩山の風景を見下ろしていたところ、街が見えてきた。

 

 双眼鏡を覗いて詳細を確かめたところで、キリトは目を見開く事になった。

 

 街は、央都セントリアまでとは行かないものの、ザッカリアの街などより(はる)かに大規模で、街というよりも小高い丘の上に作られた石造りの砦に近しい外観をしていた。

 

 いくつか他の建物と比べて背の高い見張り塔らしきものも見受けられ――あちこちにある煙突からは煙が吐き出されている。

 

 煙は禍々しい黒色ではなく、純粋な白色をしているので、どうやら水蒸気であるらしい。まさか、あれが空気中を満たす多分な水分の正体なのだろうか。

 

「見えてきました。降りましょう」

 

 ドロシーの声が聞こえた直後、彼女達を乗せる飛竜は高度を下げ始めた。認めたリランも高度を下げ始め、着陸態勢に入る。

 

 街のすぐ近くまで来たタイミングでダハーカ達を乗せる飛竜が着陸し、続いてリランも地面に着く寸前まで高度を落としてから軽やかに一度羽ばたき、地に足を付けた。

 

 すぐさま後方から、連続する足音と、大きな生き物が着地したような音が聞こえてきた。振り向いたところ、ユージオとアリスを乗せる冬追が着陸しており、その隣にアスナ達を乗せて疾走していたユピテルが並んでいた。

 

「お疲れ様でした。ここが中継地点の交易街です。一晩ほどこちらで休みましょう」

 

 飛竜から降りたドロシーが案内するように言うと、キリトもルコを抱えてリランの背中から降りた。やがて全員が降りると、リランとユピテルが本来の姿に戻ってそれぞれキリトとアスナの隣に並んで立つ。

 

「ここがダークテリトリーの交易街か。妙に東の大門に近いところにあるな」

 

 少女の姿になったリランが腕組をしながら言うと、ダハーカが答えた。

 

「あぁ。既に察しが付いているとは思うが、ここは戦地前の補給所でもある場所だ」

 

 なるほど、人界側で言う前線拠点みたいなところであるらしい。しかし、結構離れたところに居るというのに、街の中の活気付いた喧噪(けんそう)が聞こえてくる。前線拠点とはこんなに賑わうものだっただろうか。

 

 しかし、今彼らに向けるべき疑問はそこではなく、ここに居るとされる案内人についてだ。

 

「それで、この街に俺達を待ってる案内人が居るって話だったな。その人はどこに居るんだ?」

 

 キリトが問いかけたところ、ドロシーが身体を少しびくりと言わせた。如何にもぎくっという擬音が聞こえてきそうな反応の仕方だった。

 

「にい――ダハーカ、本当にあの人をキリト達に紹介して良いのでしょうか……?」

 

 ドロシーが困ったような顔でダハーカに尋ねると、ダハーカは「んー……」と声を出してドロシーに向き直った。

 

「大丈夫だろう。彼は悪い人間ではないし、色々なところに顔が利く商工ギルドの精鋭だ。旅の援助もしっかりやると約束してくれたじゃあないか」

 

「た、確かにそうですが……だけど、キリト達という未知の人々に会ったら、どんな事を吹っかけてしまうか……だってダハーカと一番最初に会った時も、色々と止まらなかったじゃないですか。その毛を売ってくれとか、家宝はないかとか……」

 

 ダハーカの眉毛が八の字になる。

 

「う、うむ、そういう事も確かにあったが……だが、彼はシャスター様にもリピア様にも認められている人間だ。何か良くない問題が起きたならば、拙者達が苦情窓口になるとしよう。いいな、ドロシー」

 

「それしかないですよね……」

 

 ドロシーが気まずそうな顔をしたところで、いよいよ不安が募ってきて、キリトは問いかけた。

 

「おい、会う前からなんか不穏な話してないか……? その人って本当に大丈夫なのか……?」

 

 ドロシーとダハーカは振り返り、困ったような顔を見せてきた。直後にドロシーが応対する。

 

「えぇっと、これから会う案内人ですが、小官達暗黒騎士団と同じ和平賛同勢力である商工ギルドから派遣された者でして、シャスター様も認めている方です。ただ、色々と癖のある人物なので、失礼がある場合は小官とダハーカに苦情を言っていただければ……」

 

「もう苦情受付窓口を作ってるの、すごく気になるんだけれど……」

 

 ユージオが苦笑いしながら言う。キリトも同じような顔をして、彼と同じ事を考えていた。その案内人というのは、こちらの味方であるようだが、色々と問題を抱えている人物でもあるらしい。

 

 この未知の土地で、そんな人間に会って大丈夫なのだろうか。こちらの不安が伝わったようにドロシーがしどろもどろし始める。

 

「ええと、その、ええと、あの――」

 

「見つけました! ドロシーさん、ダハーカさん――!」

 

 直後、彼らの後方から大きな声が聞こえてきた。呼びかけられたダハーカとドロシーのうち、ダハーカは「げっ」と言って振り返る。

 

 その方を見てみたところ、こちらに向かって走ってくる人影が確認できた。

 

 男だ。小太りと肥満の中間みたいな体型をしていて、そんな身体を包めるくらいの余裕のある紫色の服を着ていて、頭にターバンを巻いているのが印象的だった。

 

 更に近付いてきたところでよく見てみると、もじゃもじゃの顎鬚(あごひげ)口髭(くちひげ)もあり、肌がサライ同様に浅黒い色をしているのが認められた。かなり特徴だらけの暗黒界人だ。

 

「早かったですね、ダハーカさんにドロシーさん! お二人の迅速な行動のおかげで、待ちくたびれずに済みました!」

 

 男は駆け寄ってくるなり、二人に言葉をかけた。かなりの距離を走ってきたようだが、息を切らしていない。……太っている割に運動が得意なタイプのようだ。

 

 そんな男を出迎えたのは、二人ではなく、二人に付き添っている小さな少女サライだった。

 

「カイナン!」

 

 カイナンと呼ばれた男は、サライの姿を見て目を見開き、嬉しそうな顔をした。

 

「サライさんも、よくぞご無事で……!」

 

「うん。ドロシーと、ダハーカのおかげ。それと、キリトと皆のおかげ」

 

 サライはそう言ってキリト達へ顔を向けた。彼女に続いて振り向いてきたカイナンが「おぉ!」と声を上げる。

 

「この方達が、人界の和平の使者様方なのですね!」

 

 カイナンはそれなりに高いテンションで、キリトに歩み寄ってきた。

 

「ワタシはカイナンです! 以後、お見知りおきを!」

 

「あぁ、俺はキリトだ。よろしくな」

 

 直後、キリトの言葉を遮ったのは意外にもリランだった。

 

「我はリランだ。早速だがカイナン、お前に尋ねてみたいと思っていた事がある」

 

 カイナンは「なんなりとどうぞ!」と答えた。許可を得たリランは話す。

 

「商工ギルドは暗黒騎士団と同じように和平に乗り気だという話を聞いた。他の種族達が(いくさ)を推進する中、何故商工ギルドは和平に乗り気なのだ?」

 

 その問いはキリトも尋ねたいと思っていた事だった。リランが先に問うてくれた事に軽く驚いていると、カイナンはまたしても嬉しそうな顔をし、口を開ける。

 

「よくぞ聞いてくれましたね、リランさん! ワタシが言うのもなんですが、暗黒界にはリランさんみたいに『どうして?』『何故?』を考える(もん)が少ないんですよ」

 

「というと?」

 

 キリトの質問にカイナンは手を差し伸べるような仕草をして答える。

 

「皆さん、我々が止めようとしているこの戦……よくよく考えてみたら、いったい誰が得をするんだろうと思いますか。人界と暗黒界がぶつかって、殺し合って、消耗し合って……誰がどんな得をするんでしょうか」

 

 カイナンの質問にキリトは答えられなかった。

 

 人界と暗黒界の衝突と戦争は、そういうふうに運命づけられているからこそ起きるものなのではないか――そんなふうに思っていた。

 

「誰が得する……かぁ。どっちも引けないから起きる戦いだと思っていたところがあるよ。だからすぐには思い付かないや」

 

 ユージオが少し困り気味の表情で答えると、カイナンは「そうですよねぇ」と言って続ける。

 

「皆、後に引けなくなっているのは確かです。じゃあですね、戦やりました、どっちも悍ましいほどの被害が出ました、兵士も騎士も民間人も沢山死にました。どっちかが勝ったとして、それで、その後は?

 もし暗黒界軍が勝ったとしましょう。暗黒界は豊富な地下資源とそれを燃料とする技術がありますが、逆にそれしかない。技術だって幅広く普及していますが、実は何にでも使えるわけでもなく、役立つ範囲もかなり限定的。清らかな水や瑞々しい果実を得る事なんてできないので、豊穣が約束された人界の土地を喜んで奪うでしょう」

 

 豊富な地下資源とそれを燃料とする技術――その部分が強く引っかかった。それについての詳細を求めようとしたが、カイナンは話し続ける。

 

「でもですね、侵攻したところで人界の土地を有効活用できなきゃ資源の問題なんて解決しません。結局のところ暗黒界のような酷い荒れ地を作ってしまうのがオチですよ。暗黒界全体の今後の事を考えたら、人界と交易でも始めた方がよっぽど将来のためになるんですわ」

 

「ダークテリトリーとの交易ですか……今はまだ想像もつきませんが」

 

 アリスが(つぶや)くように言うと、カイナンは首を横に振った。

 

「ワタシからすると、戦争の流れの方が想像したくないですし、できないですね。ワタシは走ったりはできるものの、剣も弓も銃も使えません」

 

 銃。その単語の登場でキリトはシノンと共に驚いた。銃なんて近代兵器は人界には存在していない。

 

 一応レーザーカノンと言うべきものは存在しているが、あれはアドミニストレータの作った機械人間(ガーダー)という例外的存在が搭載しているものであり、一般普及はしていない。

 

 そんな技術レベルしかない人界と対立しているダークテリトリーには、既に銃が存在して、しかも一般普及している。そう理解した途端、キリトの脳内に描かれていたダークテリトリーは姿を変え、より大きな存在になっていった。

 

「勿論、暗黒騎士さんを含めて、そちらの騎士さんの騎士道を否定したいわけじゃないですよ。何か起きたら守ってくれるのは騎士さんですから。ただですね、本当に戦いたくもない、力も弱い、ただ大地に根差して生きてる者からすると、今の状況は怖いんですよ。戦争なんて始まってほしくないんです」

 

 カイナンは両手を腰に当てた。

 

「なので、族長レンギルの名代として言わせてもらいます。商工ギルドとしては、利益の大して出ない戦争よりも、和平に手助けして、利益のある未来を望みます! いざ平和になったら、そちらさんと独占的な交易をさせてもらえたら、こちらは文句なしですわ!」

 

 キリトは「なるほど」と呟いた。

 

 カイナンは確かに和平派だが、ドロシーとダハーカとは考え方が違っている。暗黒騎士はダークテリトリー全体のためという感じで和平を願っているが、商工ギルドはあくまで利益と将来のため、身の安全のために和平を願っている。

 

 恐らく、他の十候もこのような感じで、それぞれ願うもの、欲しいものは全然違うのだろう。彼らとの交渉の時には、彼らの欲するものをちゃんと見極めないといけなさそうだ。今のうちに色々考えておかないと。

 

 そう考えるキリトの横で、シノンが首を少し(かし)げる。

 

「まともな事を言ってるじゃない。苦情窓口なんて必要ないんじゃないかしら」

 

「いえ、そんな事は、ないんです……」

 

 ドロシーが(うつむ)き加減で言った直後、カイナンは街の方へ軽く振り向いてから、こちらに向き直った。

 

「さてと、これから暗黒界へ本格的に入るわけですから、これが必要ですね! じゃじゃーん!」

 

 そう言ってカイナンは懐から何かを取り出して、見せ付けてきた。紫色の洒落たデザインのガラス瓶だ。中に水か何かが入っているらしい。

 

「商工会ギルド御用達の超高級品『冥漠(めいばく)の香水』でございます!」

 

「香水?」

 

 今度はアスナがユピテルと一緒に首を傾げる。カイナンは説明を続けた。

 

「皆さんは和平の使者様とはいえ、どう見ても人界の人族の方々です。こりゃあ拙い。暗黒界人と要らぬ騒動が起きてしまいます。身を偽らねばなりません。しかしどうやって? 

 そこでこちらを使うわけです! こちらの香水は他社の認識を惑わす暗黒術を時間をかけて何重にも施した、名品中の名品の出番でございます! これを《暗黒界の人族》と念じながらふりかけていただくと、あら不思議! 相手に思わせたい印象を与える事ができるのです!」

 

 カイナンは(まく)し立てるように色々言ってきた。まるでマシンガントークだが、しかしそんなに早口ではなく、(むし)ろ聞き取りやすい。大分上手い話し方と言えるだろう。

 

 そしてその説明は――この香水をこちらに売りつけるためのセールストークだった。

 

「せっかく和平のためにやってきた皆さんが、暗黒界の人々と交戦状態になっては何の意味もありません。ので、こちらをお使いください。ちなみにこれ、大変希少なものでしてね……和平が叶った暁には人界と暗黒界の交易で沢山お金儲けさせてもらいますんで、大まけにまけて――」

 

「ダハーカ」

 

 カイナンが言い切るより前に、キリトはダハーカに話しかけた。

 

「俺達、暗黒界については知らない事だらけなんだ。特に技術とかその辺が気になって仕方がない。教えてもらえるか」

 

 ダハーカはそう問われるなり、きょとんとしたような顔に変わった。カイナンについての苦情を言われると思っていたのかもしれない。

 

 すぐさまダハーカはいつもの調子となり、応対する。

 

「あぁ、そうだな。貴殿らはこれから和平の使者として向かうのだから、暗黒界の事を知っておくべきだな」

 

「頼む。暗黒界の話を聞いたら、多分カイナンの香水も買う気になるかも」

 

 キリトの言葉にダハーカは「んー……」と苦笑いしてから、もう一度口を開いた。キリトにではなく、その場の全員に声を飛ばす。

 

「和平使節団の方々、これから宿に案内しよう。暗黒界についての話をするから、カイナン、お前もその話術で手伝ってくれ」

 

 ダハーカがそう言って交易街の方へ歩き出すと、ドロシーとサライ、アスナ達もダハーカの後を追い始めた。

 

 商売の機会をまんまと壊されてしまったカイナンは、びっくりしたようにダハーカの方を見た。

 

「えぇっ、ここでそれを切り出すのはないですよ、ダハーカさんー!」

 

 カイナンは香水を懐へ戻し、ダハーカの元へ駆けた。奇妙な事に、その足は和平使節団の誰よりも早かった。

 





 ――原作との相違点――

 ・ダークテリトリーが人界より発展している。
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