キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:暗黒騎士団団長

 

          □□□

 

 

 和平使節団を《オブシディア城》へ招き入れる準備ができた。そう告げたダハーカとカイナンの言葉に従い、キリト達は交易街を出た。

 

 交易街から《帝都オブシディア》まで結構な距離があるそうで、飛べばあっという間に着くのだそうだが、やはり人界側の飛竜などが来ると帝都に居る者達が戦争の開幕と勘違いしてしまいかねないらしい。なので、結局オーク族、山ゴブリン族、平地ゴブリン族領土の視察に向かった時のように地上を進むしかなかった。

 

 だが、それでも問題なかった。今回はオーク族領土へ向かった時のように、リラン達の背中に乗って移動する事にしたからだ。平地ゴブリン族領土の時はベルクーリの進言で徒歩であったが、今回は徒歩で行くと一日から二日くらいは平気でかかってしまうくらいの距離があると、ダハーカが言ってきた。

 

 その話を聞いたベルクーリは「飛竜に乗っていこう」とだけ言い、キリトも承諾。リラン達の背中に乗って《オブシディア城》を目指したのだった。

 

 交易街から《帝都オブシディア》へ繋がる道は、凹凸の激しい岩山地帯を縫うような形で続いていた。ところどころ石造りの廃墟と思わしき建物もあったが、そこは過去に使われていた砦の跡であるとダハーカ達から聞いた。

 

 過去の砦の跡があるなら、オーク族領土や平地ゴブリン族領土で見た古代文明の遺構もあるのではないか。そう思って探してみたものの、それらしきものは特に見当たらなかった。《帝都オブシディア》の辺りにはないのだろうか。

 

 すると遺構がある場所とない場所の違いや傾向は何なのだろうか。道を塞ぐ魔獣達を蹴散らして強引に道を切り開くリランの背中にしがみ付きながら、キリトは色々と考えを巡らせていた。

 

 しばらく進んでいくと、湿気が急激に高くなってきた。岩山地帯を抜けた先に広がっていたのは湿った大地だった。あちこちに苔やら背の低い草が生えて、木々も青々としている。熱帯雨林とまではいかないものの、十分に湿っぽく感じるくらいの湿気で空気が作られている一帯だった。

 

 カイナンに聞いたところ、ここは元々荒野であったそうだが、暗黒界に蒸気機関が普及した辺りから、《帝都オブシディア》に点在する工場の煙突から排出された水蒸気が流れ込んでくるようになり、荒野から湿地帯へ変わってしまったというのだ。

 

 工場からの水蒸気で荒野が湿地帯に変化したなんて話は、現実世界では聞いた事がない話だが、この世界は現実世界に極めて近しい性質と構造を持った電脳の異世界。そういう事があっても不思議ではないのだろう。キリトはそう納得して、人の手で湿地となった大地を見回しつつ、リランに足を進ませた。

 

 そこから更に進んでいくと、驚くべき光景が見えてきた。街だ。しかしその規模は《央都セントリア》と同じくらいか、もしくはそれ以上にも思えるほど大きく、背の高い建物がいくつか確認できる。街のあちこちに煙突があり、白い煙がもくもくと噴き出ている。

 

 まさしく《スチームパンク》と《ヴィクトリア朝》という言葉から連想される風貌をした、無数の建物で構成されているのが、今目の前にある街の姿だった。一応ダハーカ達に聞いてみたところ、あそこが《帝都オブシディア》なのだという。そしてその中央部にある高い丘の上に(そび)え立つ巨大な城こそが《オブシディア城》なのだそうだ。つまり、和平使節団の目的地だ。

 

 《帝都オブシディア》とはどのようなところなのだろう、《央都セントリア》と同じくらいなのかなとつくづく考えていたものだが、現実は予想を遥かに上回っていた。《オブシディア城》も城下街も規模から文明レベルまで、何もかもが《央都セントリア》など容易に超えている。

 

 ダークテリトリーの文明の域を話した時の、カーディナルの言葉が思い出された。人界がアドミニストレータによって支配され、停滞させられていた間に、ダークテリトリーはここまで発展を遂げた。

 

 人界を大きく引き離したダークテリトリーとの戦争には、人界側に勝ち目があるのか。前から思っていた不安点は、ダークテリトリーの本拠地の姿を見た途端大きくなりつつあった。

 

 急に背中に重荷が載せられたような感覚に陥る。自分達和平使節団に課せられた使命の成否は、人界の未来を左右するものだと何回も思ってきた。

 

 成功すれば人界とダークテリトリーは手を取り合って生きていく未来を手にし、失敗すれば人界は圧倒的な技術の差を開かせたダークテリトリーに蹂躙されて終わり。

 

 そしてダークテリトリー側に居るダハーカからの話によれば、ダークテリトリーは人界を滅ぼした後、今度はその豊かな大地と資源を巡って仲間割れし、異種族もしくは同族同士で殺し合い、最終的に破滅へ至る。

 

 そうしてアンダーワールドは生き残りの居ない最悪のポストアポカリプスを迎え、実験失敗を確信したラースによって何もかもがリセットされる。

 

 その最悪の結末を回避するために、自分達はダークテリトリーとの和平会談へ臨むべく《オブシディア城》を目指していた。だが、いざ《帝都オブシディア》の姿を目にしたところ、一気に緊張感が押し寄せてきた。

 

 あの街の頂上付近に陣取る巨大な城にて、自分達はダークテリトリーの十候なる権力者達と話し合いをして、今後の方針を取り決める。何としてでも成功させなければならないと何度も繰り返し思ってきたつもりだったが――本当に上手くいかせられるものなのだろうか。

 

 そんな事を考えても仕方がないと思い直そうとしても、不安は尽きてくれなかった。和平会談を上手く運び、十候を説得する事など俺達にできるのか――。

 

 そう思っていたそこで急にどしんと大きな震動がしてきて、キリトは我に返った。ふと周囲を見回すと、いつの間にか湿地帯ではなく、蒸気機関の繁栄する街の入り口になっていた。つい先程まで遠くに見えていた煙突が聳え立つ工場の群れもかなり近くにある。

 

 ……ワープでもしたのか?

 

《キリト、どうした?》

 

 色々と思考が巡っていた頭の中に響いた初老の女性の《声》にキリトは更に我に返らされる。後ろを見てみると、一緒に乗っていたシノンとルコの姿がない。

 

 あれ、どこへ行ったんだろうと思って周りを見回してみたところ、各々の飛竜からダハーカ達やベルクーリ達が、ユピテルと冬追からアスナ達とユージオ達が降りていた。

 

 その中にシノンとルコも含まれていて、彼女達はリランの足元付近でキリトを不思議そうに見上げていた。キリトはどこか置いていかれたようにぽかんとしてしまっていたが、やがて頭の中に響いてきた《声》で再度はっとさせられた。

 

《おいキリト、お前本当にどうしたのだ。《オブシディア城》が見えてきた辺りから微動だにしなくなりおって》

 

「え、えっと……」

 

 思わず答えに困っていると、リランの《声》は続いてきた。

 

《そういえばお前、アインクラッドに居た頃から思考に深く耽ってしまって周りが見えなくなったり、状況の変化に気付けなくなったりする事があったな。最近は見なくなっていたが》

 

 リランに言われた事は図星だった。《帝都オブシディア》の姿を目にした時から、今しがたリランに《声》を掛けられるまで、どんな道を通って来たかの記憶が全くない。

 

 《SAO》に閉じ込められてからどれくらい経った頃なのかは定かではないが、自分には時々深く思考を巡らせるあまり、その世界に入り込んでしまって時間を忘れ、周りの状況が見えなくなったりしまう悪癖がついていた。

 

 それは《SAO》の最前線で戦っていた頃がピークで、《SAO》をクリアし、《ALO》、《SA:O》、《GGO》と渡っていくに連れて薄まっていき、このアンダーワールドに来た頃には全く発動しなくなっていた。だから、キリト自身もすっかり忘れていたし、この悪癖は治ったものだとも思っていた。

 

 どうやら、そうではなかったらしい。キリトは不甲斐なく思いながらリランに返答した。

 

「……ごめんリラン。多分お前の言った事をやってた。《帝都オブシディア》が見えた辺りから今まで記憶がない」

 

 リランは溜息を吐いた。狼竜形態をしているというのに、人間が吐く溜息そのものをするのだからびっくりする。

 

《まぁ、お前がその深い思考に(ふけ)った結果思い付いた作戦に助けられる事もあったから、一概に悪いとは言わぬよ。だが、頼むから状況と場所を把握してやってくれ。戦闘中にやられたら、例え我でも守り切れぬかもしれぬからな》

 

 これまでの《SAO》を除くゲームの世界でそうなったとしても、戦闘不能になるだけで済んでいたし、何ならそうなっても即座に蘇生する方法だってあった。だから、この悪癖があったとしてもある程度は安心していられた。

 

 だが、このアンダーワールドは《SAO》同様に《HP》である《天命》が無くなればそれで終わり。リカバリは効かない。

 

 そして今自分の《天命》が尽きるような事があれば、それは和平使節団そのものの《天命》が尽きて、ダークテリトリーとの和平交渉なども全部失敗に終わるのと同じだ。自分が考え事に耽ったばかりにそんな事になるなど、絶対にあってはならない。

 

 キリトは両手で両頬をぱんぱんと二回叩き、意識をこの場に持ってき直した。リランに「気を付けるよ」と言ってその背中から降りると、リランはその身体を光に包み込ませ、狼竜形態から少女形態に移行した。

 

「ダハーカ、ドロシー、サライ!」

 

 直後、街の方から複数の足音と呼び声がした。何事かと振り向いてみたところ、こちらへ走ってくる人影が二つ確認できた。片方はダハーカとドロシーとほとんど同じデザインの紫色で、マントを伴う鎧を纏った、灰青色の長い髪の毛をなびかせた浅黒い肌色をした女性。

 

 もう片方はフルフェイスヘルメットで顔を隠しているうえ、全身を鎧に包んでいるために男なのか女なのかわからない。いずれにしても、どちらも暗黒騎士で間違いなかった。

 

「リピア様……!」

 

「リピア様――!」

 

 駆け寄ってくる女性暗黒騎士の方を見てドロシーが呟き、サライが大声を出して手を振る。二人から《リピア》と呼ばれた女性は、三人のすぐ傍に駆け付けるなり、手を広げてサライを抱き締めた。「あぁ、良かった……」という安堵の声がリピアからしたが、彼女はすぐさま立ち上がってドロシーへ顔を向ける。

 

「ドロシーあなた、どうして勝手に人界へ向かったの!? 任務を拝命したのは私だと説明したはずよ。それにダハーカまで連れて行って……!」

 

 リピアは怒っていた。純粋な怒りと心配がないまぜになった顔をしている。まるで言う事を聞かずに危険を犯した娘を叱る母親のそれのようにも見えた。

 

 だが、キリトはその話の方に意識を向けた。彼女の言葉を聞く限り、やはりダハーカとドロシーが人界に来る予定ではなかったというのは本当の事のようだ。

 

「リピア様、どうかドロシーを責めないでくだされ。ドロシーはリピア様とシャスターの事を想い、なけなしの勇気を振り絞って人界へ飛び込む決断をしたのです。拙者はその気持ちに共感したからこそ、同行いたしました」

 

 叱られる娘のように黙りこくるドロシーにダハーカが助け舟を出した。リピアはその言葉が意外だったのか、きょとんとしたような表情になる。

 

「え? 私とシャスター様の事を?」

 

「……リピア様とシャスター様が、ご婚約をされたと聞きました。お二人がかねてから想い合っていたのは、小官もにいさんもわかっておりました。……敵地に和平の使者としてゆくなど、死にに行くようなものです。事実、小官は使者の書状を手にしてから、ディー・アイ・エルに追跡されていたのか、詰所で襲われました。奴らは、和平の使者を襲うつもりでいたんです」

 

 ようやく口を開いたドロシーが一旦言い終えると、今度はサライがリピアに声をかける。

 

「仕方なかったの。ドロシーとダハーカはサライにさようならをしに来ただけだったの。なのに、ディー・アイ・エルがサライ達を襲ってきて……」

 

 ディー・アイ・エル。確か十候の一人で、魔術師ギルドの長を務める存在であると聞いた。ドロシーとサライの話が本当なのであれば、典型的な戦争推進派であるらしい。

 

 そんな者の話を聞いた途端、リピアは全てを理解したように目を見開き、やがて穏やかな顔でドロシーを再度見た。

 

「ドロシー……そうであって、せめて相談くらいはしてもらいたかったわ」

 

 ドロシーは首を横に振った。

 

「あなたはこんな小官にも優しくしてくれる方です。きっと一人で行ってしまう。それがわかっていました。人界に辿り着いた後、小官とにいさんはベルクーリ殿とキリト達の庇護を得られたので、傷一つなくこうして戻れましたが、人界人との接触方法が今回とまた一つ違えば、どうなっていたかわかりません。死んでいた可能性も大いにあります。だから、行くべきなのはあなたではなく、小官であるべきでした。これは絶対です」

 

 そこでようやくドロシーの気持ちがわかった。ドロシーがあんな無茶をして人界へ飛び込んできたのは、このリピアを守りたかったからだ。リピアを死なせたくなかったからこそ、同じ気持ちを抱くダハーカと共に自分達とここまで旅する事を選び、ついに《帝都オブシディア》まで戻ってきたのだ。

 

「小官は、あなたが今も無事で、こうしてシャスター様のお膝元に居てくださる事に何より安堵しています。この安堵のために、あなたからの信頼を裏切る背徳行為を致しました。小官がやった事は許されない事。シャスター様に手打ちにされても、今ここであなたに粛清されても構いません。どうぞ、如何様にもしてください」

 

 ドロシーはそう言って膝を下ろした。ここで処刑されても文句はない。全てを受け入れるという思いが感じられた。

 

 それだけでも驚くべき事であったというのに、ダハーカまでもがドロシーと同じように膝を落としたものだから、キリトは更に驚かされた。

 

「いいえ、リピア様。今回の事はドロシーの上官でありながら引き止めなかった拙者のせいです。ドロシーではなく、拙者を処罰してくだされ。どうか、ドロシーは……」

 

「違いますリピア様。悪いのは小官であって、にいさんは……」

 

 目の高さがずっと下になったドロシーとダハーカを見て、リピアは「そんな……」と呟いたが、直後に後ろに居た暗黒騎士が歩み寄った。

 

「リピア様、シャスター様がお呼びです」

 

 リピアは「わかっているわ」と言って二人からこちらの方へと向き直り、引き締めたような表情をした。

 

「人界の皆様、お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ございません。私は暗黒騎士第十一位、リピア・ザンケールという者です。これより皆様を《オブシディア城》の城下街に設けた拠点へとご案内いたします」

 

 リピアはそう言って、街の方へと歩いて行った。ドロシーとダハーカについては何も言わなかったので、許している――のだろう。(ある)いは上官であるシャスターに話した上で処遇を決めるつもりでいるのか。いずれにしても、ここで二人が処刑されるような事にならず、キリトは安心した。

 

 と思っていたところ、リピアに声をかけた暗黒騎士が立ち上がった二人に歩み寄った。

 

「ドロシー、良い事をしたな。お前の無断の独断行動によってシャスター様の懐刀であるリピア様の御命は守られた。あの方を失うのは団にとっても痛いからな。お前達ならば死んでも悲しむ者はいない。だから、お前達の行動は適切だったな」

 

 そう告げた暗黒騎士は、前半こそまだ穏やかな声色をしていたが、途中で一気に悪意と軽蔑を多分に内包した冷たい声色へ変わっていた。まるで自身よりもずっと劣った弱者を踏み躙ろうとしているかのようだ。

 

 話を聞いた皆の雰囲気が一気に静かな怒気を含んだものに変わる。そのうちの一人になっているキリトは、暗黒騎士に詰め寄った。

 

「おい。今のはちょっと聞き捨てならないな。仲間に対してそんな言葉をかけるのは、ないんじゃないか」

 

 キリトに言われるなり、暗黒騎士は「はははっ」と笑った。明らかにこちらも二人も嘲笑している。

 

「仲間だと? こいつらがか? 冗談は止せ。確かに同じ団に所属している団員と上官だが、こいつらとは永遠に仲間にはなれないし、団の上官であっても、上官だと思った事は一度もない」

 

 思わず目を見開きそうになった。ここまで来る際に経験した戦闘での実力から鑑みて、この暗黒騎士の上官というのはダハーカの事のようだが、こいつはあろう事かダハーカを上官扱いしていないらしい。

 

 もし、整合騎士団や近衛兵団などでそのような態度を取れば、即座に解雇処分どころか牢獄にぶち込まれるくらいの事をされそうなものだが、こいつは平然とそれをやっている。ただの身の程知らずにしか見えない。

 

「あんた、さっきから何なのよ。上官っていうのはダハーカの事? 上官に対してそんな事言っていいと思ってるわけ?」

 

 キリトの隣にシノンが並び、暗黒騎士に食って掛かる。周りに居る仲間達の暗黒騎士に対する怒気が強まっていた。皆が一斉に暗黒騎士に詰め寄るのも時間の問題であろう。しかし、そこでドロシーとダハーカが突如として待ったをかけてきた。

 

「キリト、シノン、やめてください!」

 

「いいのだ。これで、いいのだ……」

 

 キリトはもう一度目を見開きそうになりながら二人を見る。こんな横暴を放っておけだって?

 

「いや、全然良くないだろ!」

 

 その時、暗黒騎士が何かに気付いたような反応を示した。

 

「おいドロシーにダハーカ。お前ら自分達が《アメンク》だって事を話してやってないのか?」

 

 《アメンク》。また何やら特殊な単語が飛び出してきた。無論その意味はわからない。なんだそれは。わかるように話せないのか。そう言おうとしたが、暗黒騎士は遮るように声を出してきた。

 

「じゃあ、代わりに教えてやるよ。ドロシーとダハーカは暗黒神ベクタ様に従わない穢れた《アメンク》。特にドロシーは、人界人と暗黒界人の間が交わった事で生まれた、人族で唯一無二の《アメンク》だ!」

 

 暗黒騎士のあからさまに大きな声で放たれた言葉によって、その場に居る全員が口を閉ざされた。ドロシーが、暗黒界人と人界人の間にできた子供であるという話の衝撃は、彼女を見知った自分達を黙らせるには十分すぎるものだった。そして彼女は人族で唯一無二の《アメンク》でもある。

 

 そこだけ教えて《アメンク》の詳細について教えないのはわざとだろう。

 

「気持ち悪いよなぁ? だが、使者にはぴったりだ。暗黒界にも人界にも居場所がない紛い物なんだからな」

 

 暗黒騎士はどこまでもドロシーとダハーカを嘲笑していた。人界に居る腐りきった性根の貴族達が思い出される。こいつもあいつらと同類で、性根が腐っている。そして口を開けていればいつまでも汚い言葉を吐き続ける。

 

「おい、それ以上ドロシーとダハーカを蔑んだら……!」

 

「あぁ? どうするってか? 今ここでオレをぶん殴るのか? そうすりゃあ、せっかくの交渉は台無しだなぁ。なあ、和平の使者殿よぉ」

 

 暗黒騎士はこちらにまで向けてきた。何か言えば煽ってくるところまで貴族共とよく似ている。いよいよその口を強引に閉ざしてやりたくなったその時、街の方から怒声が飛んできた。

 

「あなた、何をしているの!」

 

 リピアだった。自分達が待てども来ないから、不思議に思って戻ってきたのだろう。そしていざ戻って来てみれば、部下が同僚だけに飽き足らず、一緒に居る上官を上官扱いせずに口汚く罵倒しているなんていう倒錯した光景が広がっている始末。誰であろうと怒って当然だ。

 

 リピアの怒りの原因となった暗黒騎士は萎縮したりせずに「なんでもありません」と白々しく言い、リピアを追い越して街の方へ歩いて行ってしまった。

 

 重い沈黙が周囲を満たす。誰もがドロシーとダハーカに何を言えばいいのかわからなくなっていた。だが、その沈黙はすぐさま破られた。それもまたリピアの声だった。

 

「……本当に申し訳ございません、和平使節団の皆様。こちらへ付いてきてください」

 

 キリトは何も言う気になれず、リピアの言葉と案内に従った。

 

 

 

          □□□

 

 

 キリト達はリピアに案内され、和平使節団のために用意された拠点にやってきた。案内されて早々キリトは驚いた。そこは《オブシディア城》の一角だったのだ。

 

 リピアから聞いた話によると、自分達はあまりにも早く《オブシディア城》に到着してしまったらしく、和平使節団を受け入れる準備はできていたものの、肝心な和平会談の準備はまだだったらしい。和平会談の開催は明日の正午頃を予定しており、それまで各々待機していてもらいたいと、彼女は話した。

 

 まさかの会談開催日は明日だったという事に皆は驚いたものの、あちらの準備が整っていないのでは、こちらが起こせる行動は何もないに等しい。キリトはリピアの言葉に従い、用意してもらった部屋のうちの一つで待機する事にした。

 

 しかし、やる事が思いつかない。見方を変えれば、ここはこちらを敵視している異国の住民達の本拠地のど真ん中であり、無数の敵に取り囲まれた状態にあるに等しい。

 

 住民達は今のところ――辛うじて――敵ではないけれども、こちらが何か不穏に感じる動きを見せようものならば瞬く間に敵性勢力になり、こちらを袋叩きにする。そうなればこれまで積み重ねた何もかもが無駄になり、終わりである。

 

 ここまでやってきた事を無駄にして終わるなんて絶対に許されない。そう思ったために、キリトは下手に動く事ができなかった。部屋にはシノンとリランも居てくれているため、この二人についての心配はいらなかったが、アリスとユージオとルコ、アスナ達、ベルクーリ達は別室に居るため、彼女達が今どうしているのか気になる。

 

 彼女達も数々の戦闘を生き延びてきた猛者達であるため、何か起きたとしても大丈夫だとは思うが、それでも心配せずにはいられなかった。

 

 彼女達は本当に大丈夫か。本当に明日、和平交渉会談に臨めるのか。交易街から《帝都オブシディア》へ続く道を進み、《オブシディア城》と城下街を見た時の不安がまた湧き始め、心の中を満たそうとしたその時だった。

 

 不意にドアをノックする音が聞こえた。シノンと同年代の少女の見た目によらず、両手剣を軽々と振り回せるほどの筋力を持つリランが応対すると、それはベルクーリだった。

 

 なんでも、彼は暗黒騎士団の団長であり、敵対者であるベルクーリの一応の理解者でもあるビスクル・ウル・シャスターと話をしてきたらしい。その中でベルクーリがキリトの名前を出したところ、シャスターはそこに興味を持ち、連れてきてもらいたいと言ってきたのだという。

 

 シャスターは和平派だから、今のうちに話をしておくのもいいかもしれねえぞ――ベルクーリはそう勧めてきた。

 

 シャスターなる暗黒騎士団長の話はドロシーとダハーカから何度か聞かされていたため、どんな人物なのだろうと興味があった。そして、話によればその人はあの二人の一番の上官。悪い人物ではないのだろう。何より、今一番気になっている情報を持っているのもシャスターである可能性も高い。

 

 キリトはベルクーリの勧めを承諾し、シノンとリランと共に部屋を出て、シャスターの元へと向かった。ベルクーリに案内されて辿り着いたのは、《オブシディア城》の最上階に程近い十八階の、奥まった一室のドアの前だった。どうやらここがシャスターの私室であるらしい。

 

「連れてきたぞ、シャスター」

 

 ベルクーリがそう言ってドアをノックすると、すぐさま「入れ」という低い声が届いてきた。ベルクーリが開いたドアをくぐり、部屋の中に入る。

 

 装飾らしい装飾がごく最低限に抑えられているためか、大分質素な雰囲気が満ちている男の部屋だった。そこに一際強い存在感を放つ人影が認められ、キリトはそちらへ向き直った。

 

 偉丈夫(いじょうふ)だ。背丈は高身長だと思っていたオーガ族のダハーカよりも高く、ベルクーリに匹敵するほどである。身体はドロシーやダハーカ、リピアのそれとは異なるデザインの灰色の鎧に包まれているものの、しっかりと鍛えられた(たくま)しい筋肉で構築されているのが一目でわかる。どんな地位に居ようとも進んで前線に立ち、鍛錬を欠かさない武人の身体つき。

 

 黒々とした髪を短く刈り込み、口元の(ひげ)もまた綺麗に整えられているが、顔のあちこちに傷跡が目立つ、だらしなさが一切感じられない、浅黒い肌をした黒い瞳の男性。緊急事態時のベルクーリとはまた異なる性質の威圧感を放つその人が、こちらを見ていた。

 

 だが、その目はすぐさま丸くなった。こちらを確認して軽く驚いたようだ。

 

「そいつらが、和平使節団の中心人物なのか」

 

 黒髪の偉丈夫の問いかけに、整合騎士団長は頷く。

 

「おうよ。見た目こそはひょろひょろの子供かもしれねえが、どんなに強え魔獣や怪物を相手にしても必ず勝利を収める実力を持った戦士達だ」

 

 黒髪の偉丈夫は「見た目によらない、か」と呟き、三人の方を再度見つめた。そのタイミングで口を開いたのはリランだった。

 

「お前がドロシーとダハーカの上官のシャスターか」

 

 リランは早速シャスターと思わしき偉丈夫をお前呼ばわりしていた。それはどうなんだとも思うけれども、リランは《SAO》で出会った時からずっとこうだ。誰が相手であろうとも一人称は《我》で二人称は《お前》。それは何回直せと言っても一向に直らないので、キリトは既に諦めていた。

 

 明らかに無礼極まりない喋り方のリランに話しかけられた偉丈夫は、「ほぅ」と言った。

 

「随分と豪胆な奴らだな。だが、変に縮こまられて話が円滑に進まないよりかはいい方だ」

 

「貴方が暗黒騎士団団長で、和平派の筆頭のシャスターさん、ですか」

 

 キリトの問いかけに偉丈夫は頷いた。

 

「あぁ、ビクスル・ウル・シャスターだ。そこの金髪の少女みたいに敬語でなくてもいいぞ」

 

 キリトは思わずきょとんとしてしまった。シャスターをひと目見た時に感じられた第一印象は、まさしくダハーカの上官であり、ダハーカに技術や礼儀作法、生真面目さまで教え込んだと思えるような、《とても生真面目》という概念そのものが鎧と服を着て歩いているような感じで、年下の人間に砕けた口調で喋られる事を何よりも嫌っていそうに思えた。

 

 しかし、どうやら本人はそこまで堅物な考え方をしているというわけではないらしい。意外であるが、ベルクーリと話す時のように気を楽にして喋っていいのであれば、それに甘える事にしよう。キリトはそう思った後に軽い自己紹介をした。

 

 シノン、リランと続いて紹介を終わると、シャスターは早速――申し訳なさそうな顔をした。

 

「ここまで来るのに苦労をかけさせてしまったな。それに団員であるダハーカとドロシーが世話になった。いや、迷惑をかけてしまったな」

 

「迷惑だなんてとんでもないよ。ダハーカとドロシーが俺達のところに来てくれたおかげで、ここまで楽しい旅をする事ができたぜ」

 

 キリトがそう言っても、シャスターの顔は晴れなかった。

 

「本来ならばリピアが向かう手筈だったのだが、ダハーカとドロシー……特にドロシーが勝手な行動を起こしてしまった。あの二人の行動は規則違反だ。あとで処罰しなければならない」

 

 確かに、《オブシディア城》の城下街へ来た時に迎えてきたリピアは、「私が行く予定だったのよ」と言ってドロシーを叱っていた。ドロシーがあのような行動に出たために、リピアは命令を果たす事ができなくなり、予定が狂ってしまった。このような事態を招いたドロシーとダハーカは処罰されるべきであろう。

 

 だがしかし、その直後にドロシーが何故あのような行動に出て、ダハーカも巻き込んだのかという告白も聞いた。それがどのようなものなのか、この人はまだ知らないのか。だからこそ、このような事を言っているのか。

 

「待ってくれ、シャスターさん。ドロシーとダハーカの処罰はしないでくれ」

 

 キリトの突然の頼みに、シャスターは少し険しい顔をした。元から険しい顔つきをしているためか、少しするだけでも十分すぎるくらいに険しくなるらしい。

 

「何故だ。何故部外者のお前が止める」

 

「ドロシーが何のために人界に飛び込んだか、知らないの。あの()は、シャスターさんとリピアさんを守ろうとして、リピアさんがやるはずだった任務を代わりにやったのよ」

 

 キリトの隣に並ぶシノンが訴えかけると、シャスターは再び目を丸くした。

 

「俺とリピアを守るため?」

 

「あぁ。あんた達、結婚間近の婚約者同士なんだろ。ドロシーは二人にこのまま幸せになってもらいたいから、どっちかが欠けてしまうような事になってもらいたくないから、危険を承知で人界に飛び込む事を選んだんだ。ダハーカもそんな妹を放っておけなくて、飛び込んだ。全部あんた達のためなんだよ」

 

 シャスターは軽く喉を鳴らした。直後、話を後方で聞いていたベルクーリが加わる。

 

「そもそもオレ達は、ここまで来るための道のりだって何にもわからなかったんだぜ。けれど、ドロシーの嬢ちゃんとダハーカが案内を買ってくれて、懇切丁寧(こんせつていねい)にやってくれたおかげで、無事にお前のところまで来る事ができた。オレ達にとって、あの二人は恩人なんだよ。そりゃあ、規則違反は規則違反だから、やらなきゃいけない部分もあるだろうけれどよ、そこまで重い罰を下す必要もないんじゃねえのか」

 

 シャスターはベルクーリの方を向いた。睨みつけているわけではないが、鋭い眼光を向けている。その姿勢のまま数秒黙った後に、シャスターは溜息を吐く。

 

「俺達を想ったからこその、身の程知らずの規則違反か……理不尽に蔑まれているからこそ、なのか……どうするべきなんだよ……」

 

 理不尽に蔑まれている――その部分を聞いたところで、日中の出来事が脳裏にフラッシュバックした。ドロシーとダハーカが城下街に戻ってくるなり、仲間であるはずの暗黒騎士は二人を罵倒していた。

 

 しかもダハーカは暗黒騎士から見て上官であるらしいのに、そいつはダハーカを上官扱いせずに(ののし)っていた。どちらも、《アメンク》だと言って。

 

 この《アメンク》というのはいったい何なのだろうか。キリトはその時から抱き続けていた疑問を口にせずにいられず、シャスターに問うた。

 

「……話を急に変えてしまって申し訳ないんだけど、シャスターさん」

 

「なんだ」

 

 キリトはドロシーとダハーカを罵った暗黒騎士の事を話した。話が終わると、シャスターはまたしても深く溜息を吐いた。失望と悔しさを多分に含んでいる。

 

「……やはり、どれだけ言い聞かせたところで無意味だというのか。どれだけ力が強くても、《アメンク》であれば従ったりする必要はないと思ってしまうのか……本当にこの問題は根深いな……」

 

 シャスターは大分参っているようだった。どうやらこのような事があったのは一度や二度ではないらしい。その事態を招いているのは恐らく――。

 

「シャスターさん、教えてくれ。《アメンク》ってなんなんだ。ドロシーとダハーカはどうして《アメンク》って言われて蔑まれてるんだ」

 

 あの二人が理不尽に罵られ、蔑まれる要因となっているであろう概念。その詳細を知る事は人界人である自分達にはできない事なのか。(ある)いは、そうではないのか。シャスターはどちらを選ぶのか。

 

 そう思って見ていたところで、シャスターは口を再び開いた。

 

「《アメンク》とは、わかりやすく言えば、《突然変異体》だ」

 

 

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