キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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15:異界人の間の子供

          □□□

 

 大教皇の勧め通り、キリトは仲間達と共に暗黒術師ギルドの陣屋へ向かった。そこでは大教皇の言っていた通りに、暗黒術師達のボスであり、《十候》の一番の問題人物であるとされるディー・アイ・エルが待ち構えていた。

 

 相変わらず様々なところへ挑発をしているような雰囲気をその身体から遠慮なく放出しているディー・アイ・エルであったが、キリトはできる限り通じるように丁寧に話をした。すると、ディー・アイ・エルは出会った時のままの態度で答えてきた。

 

 暗黒術師ギルドは実利を望む者達である。有益ではない相手とは交渉の卓にすら着きたくない。なので、まずは自分達が会話をするに値するかどうかを見極めさせてもらう。

 

 もし暗黒術師ギルドと話をしたいのであれば、オーガ族領地で暴れている巨大魔獣の爪を剥ぎ取って持って来い。無事に持って来る事ができた場合のみ、話に応じる――ディー・アイ・エルはそう言って去って行ってしまった。

 

 巨大魔獣の爪を手に入れて来い――つまるところお使いクエスト。ここまで来てまさかそんなものをやる事になるなんて、全く予想していなかったものだから、意外性を感じると同時にげんなりした。

 

 ドロシーとダハーカにその巨大魔獣とやらについて聞いてみたところ、そいつはある時、オーガ族の拠点の周辺に現れ、そこを縄張りにして居座るようになってしまった個体であるという。

 

 オーガ族の戦士達は、突如として拠点のすぐ近くに居座り出した余所者のそいつを討伐せんと挑んだ。しかし、精鋭の者達が居たにもかかわらず、全員が返り討ちに遭い、多数の死傷者が出たそうだ。

 

 そしてそれは今でも続いていて、現在進行系で犠牲者が増えていっているのだという。オーガ族の者達が皆フルグルのような脳筋らしい戦い方をしているのか、はたまたダハーカのような、しなやかで知的な戦い方をしているのかは定かではないが、いずれにしても彼らを(ことごと)く殺してしまうような巨大魔獣の爪をディー・アイ・エルは欲している。

 

 本当ならば、そんな危険な相手との戦いなど避けるべきである。しかし、暗黒術師ギルドを和平賛同派に回らせるにはそれをクリアしなければならない。やらない限りはずっと膠着状態(こうちゃくじょうたい)どころか、少しずつ情勢が戦争に(かたむ)いていってしまう。

 

 仕方がないので、キリトはディー・アイ・エルの頼みを承諾(しょうだく)し、シャスターにこの事を報告した後、指定された場所に向かう事にした。パーティメンバーはキリト、シノン、リランの三人に加え、アリスとユージオと冬追(フユオイ)の二人と一匹、メディナとグラジオの二人、ドロシーとダハーカの二人の、合計九人と一匹。

 

 巨大魔獣がどういう存在なのかはまだ把握できていないが、《EGO(イージーオー)使い》が六人、強い力を持った巨獣であるリランと冬追も居れば、十分に相手にできるはず。巨大魔獣は魔獣ではなく《EGO化身態(イージーオーけしんたい)》であるという可能性も考えたが、もし本当にそうであったならば、より多くの被害が出ていて、今頃オーガ族領は壊滅しているはずである。その線は薄いだろう。

 

 しかし、いずれにしても注意するに越した事はない。キリトは皆にそう呼びかけて、オーガ族領土へとリランを羽ばたかせた。

 

 いつも通りダハーカとドロシーに先導してもらって辿り着いたオーガ族領は、山ゴブリン族領と同じような岩山地帯にあったが、その中でも特に空気が乾燥している地域だった。

 

 《帝都オブシディア》、交易街と言った主要都市の近くは、都市のあちこちに建設されている蒸気機関工場からの排気によって湿っているのだが、オーガ族領はその真逆の環境で、湿り気がそこまで感じられない。長居すればすぐにでも喉が渇いてきそうなくらいだ。

 

 しかし、如何に空気が乾燥していようとも、オーガ族は渇きを感じられずに居る事ができるのだ――オーガ族の《アメンク》であるダハーカはそう言っていたが、その顔は酷い曇天のようだった。

 

 シャスターから聞いた話によると、ダハーカは幼少期の頃に《アメンク》であるという理由でオーガ族領を追放され、近隣を彷徨(さまよ)っていたところを若かりし頃のシャスターに保護されたとの事だった。

 

 他のオーガ族達と違って頭の回転も速いので、流暢(りゅうちょう)に言葉を喋る事ができ、短銃を使いこなす事もできるという、オーガ族らしくない強さを持ったオーガ族であるダハーカを追放した者達が住まう場所。それがオーガ族領だ。ダハーカからすれば寄り付きたくない、忌まわしい場所と言えるだろう。

 

 これならば、ダハーカには帝都で待っているよう言って、案内役はドロシーにやってもらえばよかったかもしれない。オーガ族領に辿(たど)り着いて早々、キリトは自分の失敗についてダハーカに謝りたい気持ちになっていた。

 

 拠点の入り口に着くと、思わぬ先客が居た。つい先日、和平賛同派として自分達の協力者になってくれたイスカーンとリルピリンだった。話を伺ってみると、二人はシャスターから自分達がオーガ族領へ向かったという話を聞いて、先回りしてきたとの事だ。

 

 それだけじゃなく、オーガ族族長のフルグルとも話を付け、オーガ族領で戦闘して良い事、拠点の近くに住まう巨大魔獣の討伐の許可をもらったとも言っていた。これで思う存分暴れていいぜ――イスカーンはどこか嬉しそうに言っていた。どうやら彼は件の巨大魔獣と戦うつもりでいるらしい。

 

 彼だけじゃなく、リルピリンとフルグルもまた巨大魔獣を討伐すると言ってキリト達に同行してきた。《十候》のうちの三人という頼もしい味方を加えて、キリト達は問題の巨大魔獣の居る場所へ向かった。

 

 オーガ族が多数住まう拠点から程近いところに、そいつの縄張りはあった。オーガ族を苦しめているとされる巨大魔獣は、猿やゴリラに近い形をしていた。

 

 しかし細部を見てみると、ゴリラや猿といった生き物達のような体毛は見受けられず、全身を赤茶と黒色を基調とした甲殻で包んでおり、下半身は獅子のそれのような形状になっていて、脚は逆関節になっているなど、あまりにも猿やゴリラからはかけ離れた姿だった。そしてディー・アイ・エルのお望みの品であると思わしき爪のある手は、ガントレットを思わせる形状になっている。

 

 黒い装甲はないので《EGO化身態》ではないとわかったが、どちらかというと魔獣というよりも《EGO化身態》を思わせる見た目だった。そのためなのか、そこら辺に居る魔獣の群れを簡単に蹴散らして縄張りを思うがままに広げてきた、並み外れた強さを持った魔獣であると直感でわかった。

 

 なるほど確かに、こいつならば立ち向かってきたオーガ族の戦士達を悉く返り討ちにできた事だろう。だが、自分達《EGO使い》と、リランと冬追という更に並外れた強さを持つ巨獣が相手ならばどうだろうか。そう思いながら、(たけ)る仲間達と共に戦闘を開始した。

 

 ――結果はキリトの予想を遥かに超えるほどの善戦だった。まず最初にリルピリンが素早く動いて巨大魔獣の注意を逸らさせると、イスカーンがジャンプして巨大魔獣の頭部に連撃を叩き込んだ。

 

 イスカーンから目にも留まらぬ速度で繰り出されるパンチとキックの暴風雨に見舞われた巨大魔獣は、ふらついてほとんど身動きを取らなくなる。どうやら脳震盪(のうしんとう)を起こしたらしい。ゲーム的に言えばスタンだった。

 

 そこにすかさず六人の《EGO》によるソードスキルと、リランと冬追のタックルとパンチをぶち込んだ。魔獣よりも強力かつ強靭な存在である《EGO化身態》の身体を容易に斬り裂いて倒す力を持つ武器による攻撃は、巨大魔獣も想定していなかったものであったようで、巨大魔獣は激甚なダメージを負った。

 

 攻撃が終わった頃には、既に巨大魔獣はボロボロになっていて、あと数発程度で倒せるくらいにまで弱っていた。そのうえ、イスカーンのスタンがまだ効いているらしく、巨大魔獣は動かない。

 

「常勝の戦士の名は『ドロシー・イザヤ・エリシュヴァ』……この祈りで彼の者は守護を得る。災厄の神は笑わない。彼の者は常に勝利する!」

 

 いつもの言葉を(つぶや)きながら、大鎌を構えたドロシーが飛び込んでいった。そして彼女が大ジャンプすると、巨大魔獣が意識を取り戻した。だが、反撃に転じる事はできなかった。ドロシーは既に巨大魔獣の顔面に一閃を放っていたからだ。

 

 巨大魔獣は断末魔を上げ、ドロシーが着地すると同時に地面へ倒れた。動き出す気配はない。今ので致命傷だったようだ。

 

 安全が確保されたのを認めた後にキリトは皆に呼びかけて、巨大魔獣の遺骸から爪を剥ぎ取った。数は両手分を併せて八枚入手できた。これならばディー・アイ・エルも文句を言わずに話を聞くしかないだろう。

 

 この結果へ至る最後のピースを埋めてくれた少女に、キリトは近付く。

 

「お疲れ、ドロシー。今のは良い一撃だったな」

 

 ドロシーは大鎌を背負い、振り向いてきた。激しい戦闘の後であるためだろう、頬が少し紅潮していた。

 

「キリト、お疲れ様でした。これでディー・アイ・エルの鼻っ柱を折る事ができますね」

 

 その言葉にキリトは思わず吹き出しそうになった。ディー・アイ・エルがドロシーを何かにつけて狙っているという、大教皇の話は真実のようだ。その証拠に、ドロシーからこれ以上ないくらいにディー・アイ・エルの事を嫌っていなければ出てこないような言葉が出てきていた。

 

 近くにいるダハーカも腕組をして、深々と(うなづ)くのを繰り返している。ディー・アイ・エルが腰を抜かすところを想像して、「いい気味だ」と思っていそうだ。この分だとディー・アイ・エルはダハーカにも相当な事をやっていたらしい。いや、あの魔女の事だ、恐らく彼を含んだ《アメンク》達全員に常日頃そういう事をやっていたのだろう。

 

 その行為が具体的に何だったのか――を想像するのは取りやめ、キリトはひとまずドロシーに頷く。

 

「あぁ。あいつ、かなり感じ悪い奴だったからな。あぁいうのが想定外の出来事に襲われたりして腰を抜かしたりすると、笑えるもんだ」

 

「これであいつも、ドロシーに手を出さなくなればよいのだがな」

 

 ダハーカが呟いた直後に、キリトはとある事を思い出した。それはドロシーがよく言っている言葉だった。何かの呪文にも聞こえる言葉。その詳細をよくよく考えたら、まだ知らない。

 

 気になったキリトは、当の本人であるドロシーに尋ねる。

 

「そう言えば、ドロシーが戦闘の時によく言ってるそれ、何か意味がある言葉なのか。常勝の戦士の名はってやつ」

 

 ドロシーとダハーカが一瞬目を丸くした。すぐ後にダハーカが答える。

 

「あぁ。あれは我が師の(つがい)……ドロシーの父が教えたものだ。ドロシーの父(いわ)く……」

 

「『この世界での強さというものは()()()()する力に比例する。だから自分を鼓舞する言葉で武装するのが有効なんだ』というお話です。名前の部分を置き換えれば、誰でもすぐに使える御呪(おまじな)いですよ。強く思わないと意味がありませんが」

 

 ドロシーからの説明にキリトは顎元に指を添えた。なるほど、あれは自分自身を鼓舞して、力を上げるためのバフ系呪文みたいなものだったのか。そしてドロシーはその父親からの教えに素直に従い、自身を強くするために口癖のように言っていた――という事らしい。

 

「なるほどな。言葉で自分を高める。それが心意の強さに繋がっていくって考えか。確かにそうだな。()()()()する力は大事……」

 

 そこでキリトははっとした。待てよ、今、何かおかしな言葉が出てきていなかったか。そんな気がしてならない。もう一度ドロシーの説明を頭の中でリフレインさせる。

 

 ――この世界での強さというものは()()()()する力に比例する。だから自分を鼓舞する言葉で武装するのが有効なんだ――

 

「ん? ()()()()?」

 

「そうだ。この()()()()の力というのは結構(あなど)れないものでな。拙者もよくやっているぞ。まぁ、ドロシーのように大きな声では言えぬがな」

 

 苦笑いするダハーカからの言葉でキリトは目を見開く。

 

 《イメージ》。現実世界における英語であり、この世界における神聖語だ。現実世界(リアルワールド)ならば日常的に使われている、なんて事のない単語であるが、この世界でのそれは神聖術師や暗黒術師くらいしか知らぬモノであり、普段何気なく口にされるような事はないモノだ。

 

 なのに、二人はさも当然のように口にしている。これはどういう事なんだ。詳細をキリトは尋ねる。

 

「ドロシーにダハーカ。イメージってどういう意味で使ってるんだ」

 

 ドロシーとダハーカは目を丸くして見つめ合った。すぐさまドロシーがこちらに向き直ってくる。

 

「え? ええっと、これは神聖語です。心の中に思い描くという意味で……」

 

「そういうのを日常的に使ってるのか」

 

「はい……」

 

 特に責めているつもりではないのだが、ドロシーは責められているかのように軽く委縮(いしゅく)してしまっている。これも恐らく人族で唯一無二の《アメンク》として差別されているが故なのだろう。だが、キリトにそこを気にしている余裕はなかった。

 

 ドロシーによると、今のような神聖語は父親から教わったという話だった。では――。

 

「あのさ。もしかしたら他にも神聖語を、そのとうさんから習ったりしてるのか。どんなのを知ってる?」

 

 キリトからの問いかけを受け、ドロシーとダハーカは再度顔を合わせる。それからまたこちらへと顔を向けてきて、ドロシーが答える。

 

「星が空を煌めく時は、《トゥインクル・スター》」

 

 次はダハーカが答えた。

 

「干上がった大地に雨が降って、時折珍しく虹が出る時がある。そういう時は、《オーバー・ザ・レインボー》……と言うのだと、教わったな」

 

「……!」

 

 直後、ドロシーとダハーカは戸惑っているような表情をした。こちらの顔を見た後の反応だったので、どうやら自分は今二人を混乱させるには十分すぎるような険しい顔をしているらしい。

 

「キリト、そんな目で見ないでください……自分で勝手に作った神聖語じゃないんです。本当ですよ」

 

「ドロシーの言う通りだ。拙者も同じ言葉をドロシーの父から教わった」

 

 キリトは目を見開くのを抑え、思考を巡らせた。思い付く限りの神聖語――英語を浮かび上がらせ、いくつかを口にする。

 

「二人とも、これ、わかるか。誰かを応援する時は《ファイト》」

 

「「!」」

 

 今度は二人はびっくりしたような表情をする。自分の口から神聖語が出てきている事に驚いているらしい。キリトは続けて問う。

 

「誕生日祝いの言葉は」

 

「「ハッピーバースデー」」

 

 二人は息ぴったりで答えてきた。その言葉を耳に入れた二秒後に、キリトは全てを察した。

 

 《ファイト》、《イメージ》、《オーバー・ザ・レインボー》、《ハッピーバースデー》。これら英単語は、アンダーワールドの神聖語としては存在していないものであり、神聖術師でも知る由のないものだ。だというのに、ドロシーの父親はこれらを知っていて、ドロシーとダハーカに教えていた。

 

 ドロシーの父親は人界人であるという話だったが――それは誤りだ。ドロシーの父親は人界人ではない。そもそもとして――。

 

「あの、キリト。どうして知ってるんですか」

 

「……君のとうさんは、俺と同じ星の生まれなんだ」

 

「星?」

 

 ここまで来たならば、話すしかないだろう。皆からは既に許可を取ってあり、彼女達が信頼できるようになった時に話そうと決めていた。今がその時だ。

 

 キリトは二人にずっと話していなかった真実を、なるべく驚かせないように話した。自分達は現実世界という、この世界とは違う世界――違う星からやってきた異界人なのであると。人界でも暗黒界でもなく、最果ての地よりも更に向こう側にある別世界からやってきた民であると。しかし特別な存在などではなく、ただ生まれ故郷が違うだけだと考えてくれてよいのだと。

 

 開始時には二人とも驚いていたが、すぐに落ち着き、呑み込んでくれた。それはここまで共に過ごしてきた時間のおかげだったのかもしれない。

 

「現実世界……小官のとうさんも現実世界人という事ですか。キリトと同じ故郷の人だったんですね!」

 

「なるほどな。道理で拙者達どころか、師さえも知らぬ言葉を知っていたわけだ」

 

 意外な事を知れて嬉しそうにしているドロシーと、色々と合点がいって納得しているダハーカへ、キリトは言葉をかける事が難しくなりつつあった。

 

 人界を支配して、監視の目を隅々まで巡らせていたアドミニストレータが斃れて、クィネラが人界人達を自由にしたのはここ最近の出来事である。ドロシーが生まれるより前は、全ての人界人がアドミニストレータの監視下にあった。

 

 だから、人界人と暗黒界人が恋愛したり、結婚したりする事など一切できず、この二種族は決して交わる事はできなかった。……だが、それはあくまでこのアンダーワールドの人界人の場合のみだ。

 

 このアンダーワールドを管理するモノ――ラースの職員であれば、そのような監視や規制など一切受ける事なく、システムコマンドを利用して、自由に活動する事ができる。現に、ドロシーの父親はそうしたのだろう。

 

 ドロシーの父親の正体は、イリス/芹澤愛莉と同じラースの職員。彼は頭の中に入れ込んだ支配者としての権限を使い、人界人のように振る舞いながら、暗黒界へと足を運び――暗黒界の娘を愛した。

 

 もしこの仮説が本当なのであれば――と思っていたところで、ドロシーが言葉をかけてくる。

 

「実を言うと、とうさんの事はあまり憶えていないのです。おかしいですよね、教えられた事は憶えているというのに」

 

「拙者もそうだ。拙者もドロシーの父親と、ドロシーよりも長く共に暮らしていた。実に様々な事を教えてもらったものだが……ドロシーの父親がどのような人物であったのかと聞かれると、憶えていなくて、答えに困ってしまう」

 

「かあさんもとうさんの事をすごく好きだったのに、顔だけは何故か思い出せなかったそうです。とうさんが、別れ際に、もうあまり思い出さないでほしいと、呪いをかけてしまったんだと……」

 

 二人の思い出話を聞くたびに、胸の内が痛んだ。その男は、なんて残酷な仕打ちをこの者達にしたいうのだろう。

 

「暗黒騎士だったかあさんと恋に落ちた神聖術師……と、聞かされてはいるんですが、小官はとうさんが、もしかしたら人界で言うところの、天界の使者の類だったのではと思ったりもします」

 

 ドロシーは夢物語を語るような表情をしていた。隣にいるダハーカが、また深く頷いている。どちらも父親に対して思っている事は同じなのだ。

 

「とにかく不思議な人だったな。教えられたのは加護の言葉だけではない。拙者とドロシーは、暗黒騎士ではあるものの、実は神聖術も知っているのだ」

 

「小官は特に、大規模術式とされるものも習っていて……」

 

 そこでドロシーははっとしたような顔になった。すぐさま、失敗したような苦笑いの表情になる。

 

「すみません、キリト。小官達ばかり話してしまって。キリト達がとうさんと同じ故郷出身かもしれないと思ったら……」

 

 そこまで言ったところで、ドロシーは再び目を輝かせた。

 

「けど、嬉しいなぁ。キリト達ととうさんの故郷が同じだなんて。あの、キリト。現実世界とはどんなところか、聞かせてくれますか」

 

 文明は、確かにこの世界よりも発展していて、仮想世界という異世界を生み出すくらいの技術を得るに至っている。見方によれば綺麗なところと言えるかもしれない。

 

 だが、そこに暮らす者達の多くが、未だに私利私欲のために他者や弱者を巻き込み、虐げて苦しめる邪悪な画策(かくさく)をし、(みにく)い争いに明け暮れている。

 

 数年前はアドミニストレータにも引けを取らない邪悪な思想を持つ者の大群による悪政によって、キリト達の住まう国の社会は、治安の悪化と混乱に(おとしい)れられていた。

 

 しかし、とある前代未聞のサイバーテロリストによるテロリズムの発生によって、それらは《国の敵》として駆逐され、社会全体が比較的マシな方向に進み出しはしたが、マシになった国を憎む《敵》達による妨害や攻撃は今こうしている間にも続いている事だろう。

 

 そしてここは、そんな《敵》達を効率よく殲滅する兵器に搭載するAIを作るために創造された場所であり、ドロシーもダハーカも、アリスもユージオも、メディナもグラジオも――アンダーワールド人の全てが、その素材である。

 

 そんな事実は、話せるものではなかった。

 

「現実世界は、まぁ、綺麗なところだな。人も沢山居る。けど、あんまりにも沢山居るものだから、ドロシーのおとうさんが誰なのか、見当もつかないけど」

 

 ドロシーとダハーカは「そうなんですね」、「そうなのか」と答えた。

 

 ドロシーの父親は、自分がテストモニターで何度かラースを訪れた際に接触した誰かなのだろうか。それとも既に去ってしまった職員なのだろうか。

 

「きっと、ドロシー達の前から消えたのは、何か理由があったんだと思うよ。すごく遠い場所だから、行くのも戻るのも大変なんだ。二人とも、この事はしばらく、他の人には内緒にしよう。俺も驚いていて整理が付かないんだ。きっと他の人が聞いたら、もっと整理が付かなくなってしまうと思うから」

 

「はい、キリト。でも、またこの事を話してもいいですか。とうさんの事を話せる相手ができて嬉しいんです」

 

「うむ。ドロシーの父親の事は、シャスター様やリピア様にも話せていないくらいだからな」

 

 彼はこの現実と見紛(みまご)う世界で、一人の女性を(もてあそ)んだのか。それとも本気で愛したのだろうか。

 

 どちらにせよ最悪だ。目の前にいる二人は、目をきらきらとさせて、父親の事を話している。

 

 二人とも、父親の事を愛しているのだ。どんな事情であれ、ドロシーをこの世界に産み落とすだけ産み落として、捨てた父親だというのに。

 

「ドロシー殿、ダハーカ殿――」

 

 遠くから声が聞こえてきた。振り向いてみると、アリスとユージオの姿があり、そのうちのユージオは手を振っていた。今しがたの呼び声からするに、どうやら二人に何か用があるらしい。

 

「呼んでるぞ、二人とも」

 

「なんでしょうか。はーい、ただいまー!」

 

 ドロシーはダハーカを連れるようにして、キリトのすぐ近くから去っていった。その後ろ姿をじっと見つめていた、その時だった。

 

《キリトにいさま、聞こえますか》

 

 頭の中に《声》が飛んできた。リランの初老女性のものでもなければ、ユピテルの少年のものでもない。二十歳前後の女性の声色。クィネラのものだった。キリトは耳元に手を当てて応じる。

 

「クィネラ……だな」

 

《はい、わたくしでございます。定期報告をお願いしたく、通信いたしました》

 

「丁度良かった。話したい事があったんだ。ちょっと他の人にはまだ言えなくて……」

 

 キリトはクィネラに、今しがたドロシーとダハーカから聞かされた真実を話した。精神と心の治療をする事を使命としているクィネラは、驚かずに話を最後まで聞いてくれた。

 

《ドロシー様のお父上様が、現実世界人である可能性が高い……というのですか》

 

「あぁ。ありえない事か?」

 

《いえ、ありえない話ではありません。断片的な情報を拾っても妥当ですし、その推測は全くの的外れとは言えません。

 ……アンダーワールド人には、それぞれ魂とも呼べるフラクトライトがございます。それを保存しているのが、《ライトキューブ》と呼ばれるものです》

 

 フラクトライトは、人間の脳細胞にある、《マイクロチューブル》と言われる管状になっているごく細かい骨の中に存在する光であり、人間の魂とも呼べる代物。それを格納し、保存できるようにした超巨大な装置が《ライトキューブ》。この《ライトキューブ》はラースの最高傑作であり、国家機密の一つであるとも聞いた。

 

《約百万個あるとされているライトキューブが集まったものを、《ライトキューブ・クラスタ》。そしてその中央に主記憶装置であるメイン・ビジュアライザーがあるのですが、このお話は今は置いておきましょう。

 ライトキューブは開発時に「念には念を」という事で、当初約二十万個の予定のところを五倍の約百万個に増設して作られました。そのライトキューブには、アンダーワールドの総人口が飽和しない限り、空きキューブというものが存在します。夫婦となった男女が修道士や修道女に婚姻登録を行ってもらう事で、この空きキューブが新生児のものへと変換されるようになっています》

 

「つまり?」

 

《この世界で子供を作る事自体はそれほど難しいものではありません。現にキリトにいさまでも、やろうと思えば可能でございます》

 

 笑う事も動揺する事もできなかった。ドロシーの話を聞いた事が原因だ。

 

「……お前でも冗談を言うんだな。だけど、それは笑えないよ。だって、現に産まれてるんだぞ? 軍事転用するAIを作るための実験場で、その中の一人と子供を作って、それで捨てて逃げやがったんだぞ。許される事じゃあない」

 

 キリトは声に怒りを(にじ)ませるのを止められなかった。ドロシーを勝手に産んで捨てていった見知らぬ男の顔面を思い切り殴りつけるイメージが浮かび上がってくる。そいつは、今どこで何をしているというのだろうか。きっとのうのうと暮らしているに違いない――。

 

《……キリトにいさまがそう思ってしまわれるのも、仕方がないと思います。ですが、少し考えていただけないでしょうか》

 

「え?」

 

《ドロシー様とダハーカ様は、ドロシー様のお父上様の事を恨んでおられないのでしょう。身を守るべき心得を授け、心意を学ばせ、神聖術も教えた。わたくしに様々な事を教えてくださった、キリトにいさま達や、かあさまのように。それは何のためでしょう? このアンダーワールドという厳しい世界で、子供達に強く生きてほしかったからだであると、わたくしは考えます》

 

「……」

 

《ドロシー様とお母上様、ダハーカ様の記憶の欠損がお父上様によるものなら、システムコマンドの操作でしょう。何も言わずに消えれば、妻子はお父上様をお探しになられた事でしょう。残していく妻と子供に、『彼は居たけれど、今は居ない』という状態を与えておけば、要らない悲しみは早々増えません。

 事実、ドロシー様とお母上様は、彼が消えた現実を受け止めて、その後も生きられたのでしょう。自分の存在記憶自体を全て消さなかったのは、良くない選択であるとは思いますが……全部消せなかった理由は、キリトにいさまならばお分かりになられると思います》

 

 クィネラは一呼吸おいてから、問うてきた。

 

《キリトにいさま。この世界から去る時、キリトにいさまは、この世界での大切な友の皆様から、ご自分の記憶を消されてしまうのですか》

 

 その問いかけを聞いた途端、頭の中に数多の情景が蘇ってきた。それは全て、このアンダーワールドで過ごした日々だった。

 

 突然の事ではあったけれども、このアンダーワールドにシノン、リランの三人で送り込まれた時から始まった日々。

 

 ユージオとルコと出会い、メディナと出会い、修剣学院へ行き、そこで修練を積み重ねた。彼らと共に《EGO化身態》という怪物を討ち、アリスと出会い、カセドラルを昇り、カーディナルと出会い、整合騎士達と戦い、アドミニストレータからクィネラを取り戻した。

 

 蘇らんとするアドミニストレータを止めるべく人界のあちこちへ赴き、様々な事象に見舞われた。信頼していた仲間達が怪物になるという悲劇も乗り越えた。

 

 つらい事も、悲しい事も、苦しい事も数えきれないほどあったが、それと同じくらい――いや、それ以上に楽しくて幸せでたまらない出来事があった。

 

 この二年以上に及ぶ日々の中で、この世界の人々と仲を深め、人によっては絆を結ぶ事もできたのだと、自信を持って言える。そしてそれは、これまでのどの体験、記憶よりも眩しく光り輝いていた。

 

 こんな素晴らしい日々を与えてくれた、この世界の人達に、俺の事は――

 

「俺は……忘れてほしくない。皆には、憶えていてほしい……だって、これが、現実じゃないと誰かが言ったとしても、俺には現実なんだ。今もここで生きている。この世界で生きた日々は、俺にとってはかけがえのない宝物だ。もう、俺の人生の一部になってる。この世界そのものがそうだ。俺が例え居なくなったとしても……」

 

 キリトは顔を上げた。遠くに友人達、仲間達が楽しそうに話をしていた。

 

「俺が居た事を、なかった事にしてほしくない」

 

 それがキリトが何よりも強く思っている事だった。最後まで話を聞いてくれたであろうクィネラから返答が来る。

 

《……今、キリトにいさまがお思いになられているお気持ちを、ドロシー様のお父上様も同じように抱いていたからこそ、ドロシー様達の記憶を消さなかったのだと、わたくしは思います。

 そして、ドロシー様のお父上様となられた方は、わたくしに歪んだ愛情を向けていた人のような方ではなく、かあさまのような心優しい方であると、わたくしは信じます》

 

 それはクィネラの希望的観測でしかない。だが、ドロシーの父親がろくでもない奴だったならば、彼女達がこんなにも健気である事はなかっただろう。

 

 キリトはクィネラの観測を、強く信じる気持ちになっていた。

 

 胸と頭の中で燃えていた怒りの炎は、いつの間にか鎮火していた。





 ――原作との相違点――

・ライトキューブの数が原作では約二十万個のところ、五倍の約百万個に増加している。
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