キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 この作品における、彼の話。


02:闇の皇帝

          □□□

 

 

「うっひょぉ――、こりゃあすげぇじゃねえか。なんなんだよ、このリアルさは!」

 

 目の前を照らす(まばゆ)い光が()んで早々に飛び込んできたのは、聞き慣れた男の声だった。既にハイテンションなのがよくわかる。目を開けてみたところ、そこはファンタジーの世界の城の中だった。

 

 今の現実世界では見られないような様式の壁と床が張り巡らされているのが第一に確認でき、次に現実世界では感じられる事のない空気が感じ取れた。そんな空間の中に、ガブリエル・ミラーは一応の相棒であるヴァサゴ・カザルスと共に放り出されていた。

 

 一瞬遥か太古の時代――それこそ中世ヨーロッパの時代にまでタイムスリップしたのではないかと思ってしまったが、すぐさまそうではないと思い直した。自分達が動かしたのはタイムマシンではなく、フルダイブマシンだった。

 

 だからここは過去の時代ではなく、現代。そこで作られた仮想世界のうちの一つだ。それにしてはよくできているなとは思う。ヴァサゴの「なんなんだよ、このリアルさは!」という反応にも頷ける。もし、もっとチープな出来栄えになっていたならば、先程のタイムスリップとの勘違いなど起きなかったはずだ。

 

 本当にこの世界はよくできている。まだ何の探索もしていないというのに、既にわかっていた。ガブリエルはヴァサゴに応答するように言う。

 

「確かに、よくできた世界だ。ここまで作り込まれた仮想世界は見た事がない。きっと外には美しい光景が広がっているはずだ。芸術品としての価値もあるのではないか?」

 

 そう言った途端、ヴァサゴは「は?」と言いたそうな顔をして振り返ってきた。その時に、ヴァサゴがディープパープルのファンタジックなデザインをした鎧に身を包んでいる事に気が付いた。

 

「美しい光景? いやいや兄弟(ブロ)、オレ達が来たのはどこだと思ってんだよ」

 

「確か、亜人達が住まう《ダークテリトリー》という土地だったか」

 

「そうだぜ。つまりは一般ゲーマーの言うところの魔界だ。紫色とか赤色とかした空に、黒い大地が広がってるんだ。そんな魔界を、お前は美しいって思うのか?」

 

 見る者によっては美しく感じられるかもしれない。だが、少なくともガブリエルは脳裏にイメージされた魔界の情景というものを、美しいとは思わなかった。

 

「……妙な事を言ってすまなかったな」

 

「だけど、そんな事を言いたくなるような気持ちはわかるぜ。今はまだこんな魔界みたいな姿をしているが、いずれここも、お前が言ったような美しい光景っていうのになる。なんたってここは、この世界は《収束地(しゅうそくち)》だからな」

 

 そう言えばそんな話を聞かされた。その内容を思い出すよりも前に、ヴァサゴは振り向いてくる。

 

「そんでもって、ここはお前の願いが叶う場所でもある。そうだろ?」

 

 ヴァサゴの言葉で、ガブリエルの頭は切り替わった。

 

 そうだ。ヴァサゴのボスであり、今は――正直そんなふうに思ってはいないのだが――自分の《上官に当たる者》から、ここに招待してもらった。いや、こちらの事情が偶然にも重なった事により、《上官》の思惑通りに事が進んだと言った方が正しいのかもしれない。

 

 ある時、ガブリエルが最高作戦責任者を担っている民間軍事会社(PMC)である《グロージェン・ディフェンス・システムズ》の元へ、とある情報が舞い込んできた。

 

 《壊り逃げ男(エグゼキュータ)》なるサイバーテロリストによるテロリズムによって日本政府が瓦解し、その後に誕生した新政府が、《ソウル・トランスレーション・テクノロジー》という技術を作り上げた。

 

 その技術を持って《A.L.I.C.E(アリス)》という、世界最高峰の知能と能力を持ったAIを作り、自律型ロボット兵器に搭載する。このロボット兵器は東アジアの軍事バランスを容易に書き換える力を持つだろう、と。

 

 その情報の提供元は国家安全保障局(NSA)だった。アメリカ合衆国の国家の安全と、そのための戦力の確保に熱心なNSAだからこそ掴めた情報なのだと、当人達は妙に誇らしく語っていた。

 

 ガブリエルはNSAが提供してきた話の中に登場した、《A.L.I.C.E》という名前を耳に入れた時、衝撃を覚えた。何か運命的なものに導かれて、その名前を聞く事になった。そんな気さえもした。

 

 《A.L.I.C.E》。何故ならば、その名前は――。

 

 NSAからの情報提供後、いつにもなくそわそわとしてしまっているガブリエルのところへ、《上官》からの連絡は突然やってきた。そして、《上官》は尋ねてきた。

 

「もしかして、何か興味をそそられる話を聞かされたのではないのかね」

 

 まるで見透かされているかのようだったが、ガブリエルは気にせずに《上官》に尋ねた。

 

「お前は《A.L.I.C.E》という存在が日本政府の極秘研究施設で作られているという話を知っているのか」

 

 《上官》は「知っているよ」と答えた。そして、付け加えてきた。

 

「その《A.L.I.C.E》の居る世界こそが、君を行かせてやりたいと思っていた場所だ。君の願いを叶えられる場所なのだよ」

 

 ずっと前から《上官》から聞かされていた場所。それがNSAの教えてきた《A.L.I.C.E》の居る場所である。聞かされた当初は半信半疑ではあったものの、結局ガブリエルはその話を――信じた。

 

 そして、NSAが情報の提供と同時に依頼してきている作戦を呑み込む事にした。先の情報にあったロボット兵器に搭載される予定にあるとされる《A.L.I.C.E》を、日本政府が手に入れるより前に強奪し、アメリカ合衆国の力とせよという作戦を。

 

 かつてないほどの高揚感を覚えながら、ガブリエルはヴァサゴを含む十名以下のメンバーの者達と共に、(くだん)の日本の洋上研究施設を強襲し、その《A.L.I.C.E》の居る世界へと潜り込んだのだった。

 

 ダイブには《STL(ソウル・トランスレーター)》と呼ばれるフルダイブマシンを使った。ガブリエルが普段《アルヴヘイム・オンライン》、《ガンゲイル・オンライン》といったVRMMOを遊ぶ時に使うアミュスフィアよりも何十倍、下手すれば何百倍も高性能な代物であるというのが、強襲チームのクラッキング担当クリッターの言い分だった。

 

 その話に嘘はなかった。実際に目にした《STL》はアミュスフィアなどとは比べ物にならないほどの巨大な装置だった。そしてそれを使って入り込んだ世界には、アミュスフィアでダイブしている時のようなチープさは一切なかった。何もかもが現実世界と同じようにしか見えないし、感じない。

 

 更にクリッター曰く、この世界には他のVRMMOなどと違って《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》は存在せず、刃物で斬られるだとか、槍で突かれるだとかすれば、現実世界のそれと完全に同じ痛みが襲い来るのだという。

 

 その話を聞いた他のメンバー――ヴァサゴは除く――は何か恐ろしいものを見たような反応をしていた。この仮想世界はいったいどうなっているのだと。自分達を含めた他の国々から舐められていた日本は、急に立ち直ったかと思えば、どこへ進もうとしているというのかと。

 

 PMCという職業の都合上、世界各国で起きる紛争だとかテロリスト鎮圧戦に駆り出されたりしてきて、その都度勝利を収めるという経験を積んできているというのに、何を慄いている――ガブリエルは薄目でチームメイト達を見ていたが、その胸中では高揚感を更に強くさせていた。

 

 《痛覚抑制機構》がないという事は、《A.L.I.C.E》の居る世界は、本物の命達が生きているという事である。仮想世界でありながら、現実世界と同じ命達が営みを築いている世界。

 

 ……居る。

 

 きっと、居る。

 

 世界中を駆け回っても見つからなかったのだ、きっとここに居るに違いない。そう思いながら、ガブリエルは《STL》を作動させてヴァサゴと共に飛び込んだ。

 

「……!」

 

 これまでの事を思い出した直後に、ガブリエルははっとした。周囲の音が聞こえなくなる。ヴァサゴが何かを言っているが、それも聞こえてこない。頭の中がある種の恐怖を感じてしまうくらいの静寂に包み込まれ、意識が一気に冴え渡っていく。まるで濃霧が晴れて、隠されていた景色が見えてくるかのようだ。

 

 ……感じる。

 

 これまで現実世界では感じる事のできなかった感覚によって、身体が震えている。

 

 《彼女》に近付いている。もうすぐ、会える。身体が、魂が、そう言っている。魂の領域で求めていた人の魂に、もうすぐ再会できる。ようやくこの時が来たのだと、歓喜で震えている。そう感じられた。

 

「……時が来たようだ、ヴァサゴ」

 

 自分と同じ鎧を着ているヴァサゴは「ん?」と言って首を傾げていた。

 

 

          □□□

 

 ガブリエル・ミラーは、一九九八年三月にカリフォルニア州ロサンゼルス近郊の、パシフィック・パリセーズという街で生まれた。兄、姉、弟、妹はおらず、一人っ子であったが、家庭が裕福であったために大きな問題等に晒されたりせずに、父と母から精神的にも物理的にも愛情を注がれて育った。

 

 暮らしていた屋敷もまた大きかったために、遊び場に困るような事もなかった。本当に恵まれた家庭に生まれて育つ事ができたのだと自負している。ガブリエルは父の事も母の事も大好きだった。いつも心から愛していると思っていた。

 

 だが、ある時、それ以上の存在がガブリエルの前に姿を現す事になる。敷地が隣接する邸宅に住む企業家の一人娘、名をアリシア・クリンガーマンという娘だ。幼少期の頃に出会った時から、ガブリエルはアリシアに強く惹かれるものがあり、気になって仕方がなくなった。

 

 その出会いから、アリシアとは家族ぐるみの付き合いが始まった。隣接する家に住んでいるので、当然ガブリエルとアリシアは同じエレメンタリースクールに通う事になった。

 

 アリシアは大人しく、外で泥んこになって遊ぶよりも、家の中で本を読んだり映画やアニメを楽しむ事を好む少女だった。それはガブリエルもまた同じであり、二人でよく本を読んだり、一緒に映画やアニメを見て、感想を言い合ったり、自分が楽しいと思った物語を勧め合ったりした。

 

 自分に話しかけ、微笑みかけてきてくれるアリシアの姿は、ガブリエルにとって天使のようにも感じられた。そんなふうに思ってしまうくらいに、ガブリエルの意識はアリシアに引っ張られっぱなしになっていた。アリシアと共に同じ時間を過ごせる事が、何よりも楽しくて、嬉しかった。

 

 それは幸運にも、一方通行ではなかった。アリシアもまた、ガブリエルに惹かれていた。何かあればすぐにガブリエルのところに来て、色々話をしてくれたり、逆にガブリエルの話を熱心に聞いたりしてくれた。いつしかガブリエルとアリシアは、互いを理解し合い、受け入れ合う事を当然のように思い始めた。

 

 そこから年月を経ていくと、やがてガブリエルとアリシアは、互いに抱く気持ちが愛であるという事を知った。互いに惹かれる気持ち、互いを良いと思う気持ち、互いと一緒に居て心地良いと思う気持ち。それらは全て愛であると。

 

 ガブリエルは思っていた。自分はアリシアに会うために生まれてきたのだと。そしてアリシアもまた、自分に会うために生まれてきてくれたのだと。そして自分達が愛情を注ぎ合うのは必然だったのだと。

 

 ガブリエルの心はアリシアから離れず、アリシアの心もまたガブリエルから離れない。自分達は身体や心だけではなく、魂で共鳴し合っている。魂の領域で互いを求め合い、愛し合っている。ガブリエルはそう考えた。やはりそれは一方通行ではなく、アリシアもまた同じ事を思っているようだった。

 

 自分達はやがて結婚するのだろう。その時が待ち遠しくて仕方がなかった。魂が共鳴し合う者同士が一緒になるなんて、これ以上幸福な事はないだろう。アリシアと本物の家族同士になり、共に同じ時を過ごしていく。そんな幸福な日々の到来を掴む事が、いつしかガブリエルの夢となっていた。

 

「早くゲイブと結婚したい。早くゲイブといつも一緒の日々を送りたい。これが私の夢なの」

 

 嘘偽りの一切ない瞳で、アリシアはガブリエルに伝えてくれていた。その時、アリシアがこれ以上ないくらいに愛おしく感じられたのは、今でも鮮明に思い出せる。

 

「僕も同じ気持ちだよ。一緒にこの夢を叶えようね」

 

 ガブリエルはアリシアにそう誓った。

 

 だが、ある時その夢は思いがけない事件によって潰されてしまう事になる。二〇〇八年の九月に、それは起きた。巨大投資銀行の破綻によって、世界金融危機が訪れてしまった。

 

 これにより、ガブリエルの住む街にまで影響が及んできた。何故ならば、問題の巨大投資銀行の破綻を起こしたのは、アメリカ合衆国のものであったからだ。

 

 パシフィック・パリセーズにはいくつもの豪邸があり、高級乗用車も沢山走っていたものであるが、この事件をきっかけに、それらは次々と売り払われて姿を消していった。幸い、ガブリエルの家が抱える会社は堅実な経営のおかげで影響を最小限に留める事ができたが、隣家のアリシアの家はそうではなかった。

 

 どうにも、アリシアの家の会社は巨大な負債を抱えてしまったらしく、屋敷を含む全資産を失ってしまったという。結果、アリシアを含む一家は、農場を営む親類を頼り、遠く中西部のカンザスシティまで引っ越す事になってしまった。

 

 当時十歳のガブリエルは雷に撃たれたような気持ちになった。魂の領域で共鳴し、互いに愛を抱き合って、注ぎ合っているアリシアが、どこか遠くへ行ってしまう。もう一緒に居る事なんてできやしない。勿論結婚もできない。

 

 同時にビジョンが頭の中で湧き上がった。アリシアの家は裕福だったために、栄養満点の食事を摂る事ができたし、裕福な白人の子供ばかりの学校に通う事もできていた。それらは全てアリシアから奪い取られ、アリシアを守る者は何もいなくなってしまう。

 

 貧困と労働を押し付けられ、アリシアは見るも無惨な姿へ変えられてしまう。そんな容易に吐き気を催すビジョンが、ガブリエルの頭から離れなくなった。

 

 そんな、そんな、そんな。

 

 そんなものは認められるか。どうにかしてアリシアを助けないと。

 

 しかし、十歳のガブリエルに取れる行動などなかった。ガブリエルは非力な自分を呪った。そして自分とアリシアを会わせてくれて、今は引き裂こうと嘲笑っている運命というものに憎悪を抱こうとしたある時に――アリシアが行動を起こした。

 

 彼女は学校で最後の挨拶をし、帰りのスクールバスを降りた後、ガブリエルを自宅の裏の森に誘ってきた。その森はアリシア以外にはガブリエルだけが知っている秘密の森だった。初めて案内されたのはいつだったかは定かではないが、街の喧噪の届かないそこは、二人で本を読んだり、夢中で話するには最適の場所だった。

 

 互いの両親さえも知らないその場所に、どういうわけか、彼女は道路や家々の塀に設置されている監視カメラの全てを巧妙に避けるルートを通り、誰にも見られていない事を確認しながら、ガブリエルを案内していた。

 

 そして密生した灌木に囲まれた一角に着くと、アリシアは急に振り返り、ガブリエルの身体に抱き付いてきた。何度も感じてきた心地良い暖かさを与えてくれながら、アリシアは小さくしゃくりあげた。

 

「こんなの嫌よ。私はゲイブと離れ離れになんてなりたくない。どこにも行きたくない。ゲイブとこの街で、ずっとずっと一緒に暮らしていきたい」

 

 これまで聞かせてくれた嘘偽りのない声で、アリシアは言った。ガブリエルは何度も頷いた。彼女が口にした言葉、願いの全てが、自分もまた抱いているものであったからだ。

 

「僕もだよ、アリー。僕も、アリーと離れ離れになるなんて絶対に嫌だ。君をどこにも行かせたくない。君と、一緒に居たいんだ」

 

 だけど、どうすればいいのかはわからない。その事を伝えようとした直後だった。しゃくりあげるのを小さくしたアリシアが、その華奢な手でガブリエルに何かを手渡してきた。

 

 ガブリエルは目を見開いた。それは木製の握りの付いた長さ四インチほどのニードルだった。いや、アイスピックだろうか。ふと目をやると、アリシアも同じものを持っていた。

 

「アリー? これは、何……?」

 

 戸惑いを隠せないガブリエルが尋ねると、アリシアは顔を上げて答えた。

 

「……ゲイブ、私と一緒に……死んでほしいの」

 

 ガブリエルは限界付近まで目を見開いた。耳に鳥達の(さえず)りも、草木が揺れる音も届かなくなり、アリシアの言葉だけが何より鮮明に届くようになった。

 

「どういう事だい……?」

 

 戸惑うガブリエルに、アリシアは話してくれた。彼女が前に親から教わった話の中に、こんなものがあった。想い合う男女が同じタイミングで死ぬと、同時に身体から魂が抜けて、一緒に天へ上るのだと。そして天国――あの世で結ばれ、永遠に愛し合えるのだと。

 

「私、ゲイブと離れ離れになるくらいなら……そっちがいい」

 

 どうか、私と心中してほしい――アリシアはそう願っていた。ガブリエルは口が麻痺したように言葉を返せなかったが、頭の中はこれ以上ないくらいの速度で回転していた。

 

 そこで映し出されていたのは、今後アリシアの待つ最悪の未来のビジョンだった。他の事を考えようとしても、何も変わらない。アリシアが滅茶滅茶になっていく過程のビジョンだけが、鮮明に、いつまでも流れ続けていた。まるで映像再生ソフトがバグを起こし、ループ再生をやめられなくなったかのようだった。

 

 どうせ、アリシアを待っているのは、こんな未来だ。そこに彼女を連れていく事が、彼女を愛する自分のやるべき事だというのか。いや、違う。自分がやるべきなのは、彼女の願いを叶えてやる事なんじゃないのか。

 

 そのためならば――。

 

「……どうすればいいんだ」

 

 ガブリエルの問いかけに、アリシアは答えた。彼女が「やって」と言ったら、手に持っているアイスピックを彼女の耳の中に刺し込む。同時にアリシアが自分の耳にアイスピックを刺し込む。これで、自分達の肉体は死亡する。ここはアリシアとガブリエル以外に知らない場所だから、どうせ誰も見つけられない。そんな手筈を踏むのだと、アリシアは言った。

 

 ガブリエルは全てを呑み込み、アリシアの左耳のすぐ前にアイスピックを構えた。このまま真っ直ぐ入り込ませれば、切っ先がアリシアを貫くだろう。間もなくして、最悪のビジョンを描き続けるガブリエルの頭の、右耳付近にアリシアの持つアイスピックの切っ先が近付いてきた。彼女も準備が完了しているようだ。

 

「ありがとう、ゲイブ」

 

 涙でぐしゃぐしゃになりかけの顔に天使の微笑みを浮かべて、アリシアは言った。そのせいなのか、ガブリエルもまた涙が止まらなくなっていた。けれども、狙いだけは外さないようにしていた。それを認めたのか、アリシアが目を閉じた。ガブリエルも合わせて目を閉じる。

 

 黒くなった視界に、互いの息遣いだけが聞こえてくる。次の行動は一瞬でやらなければならない。アリシアに苦痛を与えてしまわないように。荒くなりそうな息を整え、聞こえてくるアリシアの吐息と重ねる。アリシアと、溶け合うように――。

 

「――やって」

 

 その声が届いた刹那、ガブリエルは渾身の力を込めて、行動を起こした。ぞぶりという嫌な音が聞こえ、硬いようで柔らかい物体を貫く感覚が手先を、腕を伝い、全身に流れてきた。だが、気にしなかった。今しがた自分がやった事と同じ事をアリシアがやってくれたからだ。

 

 ――はずだった。いつまで経っても、自分の耳の中が貫かれるような感覚は起きない。魂が肉体から離れる感覚も起こってこない。どうして。

 

 ガブリエルは目を開けた。またしても限界付近まで目を見開いた。自分の手の先にあるアイスピックが、アリシアの左耳から入り込み、貫いていた。

 

 アリシアに、とどめを刺していた。そこは問題ではなかった。自分を貫いているはずのアリシアのアイスピックの先端は――、

 

「え」

 

 自分の右耳の前で止まっていた。確認したガブリエルはゆっくりとアリシアに向き直る。アリシアの青い瞳は、今にも焦点を失いそうになっていた。しかし、そこで口が動く。

 

「ごめん……なさい……わた……し……ゲイ……ブを……ころせ……ない」

 

 アリシアは身体を激しく痙攣させたかと思うと、ぐったりとガブリエルの身体に(もた)れ掛かってきた。いつにもなく重いアリシアの身体を抱き留めたガブリエルは瞬きもできなかった。

 

 アリシアが、失敗した。自分だけが、アリシアを殺してしまった。

 

 その事実に理解が追い付いた時、ガブリエルは叫ぼうとした口を覆った。すぐさま出せる限りの速度を出して周囲を見回す。あった。アリシアを貫いたアイスピックだ。気付かないうちに落としてしまっていたそれを拾い直し、ガブリエルは自身の額に狙いを定める。

 

「待ってアリー……僕も、僕も……!!」

 

 その時だった。アリシアの滑らかな額の中央から、何か出てきた。きらきらと光り輝く、小さな金色がかった白い珠だ。あまりに突然すぎる事にガブリエルが身体を麻痺させると、それはゆらゆらと漂いながら近寄ってきて、まるで吸い込まれるようにしてガブリエルの額に入り込んできた。

 

 周囲を包む陽光を感じなくなった。間もなくして――暖かさが身体を包んできた。

 

 ――ゲイブ

 

 声がする。他でもない、アリシアの声。たった今殺してしまったはずのアリシアの声が、頭の中に響いてくる。

 

 身体を包む暖かさの姿が見えてきた。アリシアだ。アリシアが、一糸纏わぬ姿で自分を抱き締めてくれている。

 

「……アリー」

 

 ガブリエルは答えるようにして、アリシアの身体を抱き締めた。地面に横たわるそれではなく、自分を抱き締めてくれているアリシアを抱き締め返す。今、アリシアが居る。これ以上ないくらいの自分の近くに、アリシアを感じる。これ以上ないくらいの幸福感と高揚感はそのためだ。

 

 僕は今、アリシアと一つになっている。今ならば、きっと――。

 

 ガブリエルは麻痺している身体を懸命に動かし、次に取るべき行動を取ろうとした。

 

 ――ゲイブ

 

 もう一度アリシアの愛おしい囁きが聞こえたその次の瞬間だった。

 

 身体を包んでくれている暖かさが突然消えた。ガブリエルがかっと目を見開くと、アリシアを抱き締めている感覚が消失した。

 

 感じない。

 

 アリシアを、感じない。

 

「アリー……? どこだ? どこに行ったんだ?」

 

 居ない。

 

 アリシアが、居なくなった。

 

「どこに行っちゃったんだよ、アリーッ!!」

 

 ガブリエルの叫びは虚しく響くだけだった。ただ一人だけ、この場に取り残されたのだと、ガブリエルは思った。直後、ガブリエルの頭の中は勢いよく回転し始める。

 

 今のはきっと、アリシアの魂だ。肉体が死んだから魂が出てきて、自分の中に入ってきた。自分と一緒になりたいという願いを抱いていたために、彼女は自分の中へと入り込んできてくれたのだ。

 

 だけど、そこで自分がもたついてしまったために、アリシアの魂は自分から抜け出し、どこかへ行ってしまった。

 

 普通ならば天国へ、あの世へ向かっていってしまったと考えるべきだろう。しかし何故なのか、アリシアが一人で天国へ向かっていってしまったようには感じなかった。

 

 アリシアの魂はまだ、この世に留まっている。何のせいなのかはわからないが、引っ張られて、どこかへ飛んで行ってしまった。自分と一緒になるはずだったのに、どこかへ行ってしまった。何かに、連れ去られてしまった。

 

 ガブリエルは先程のアリシアの話を思い出した。きっと今、自分が死んでしまったならば、アリシアをこの世に残してあの世に向かってしまう事だろう。またしてもアリシアの願いを踏み(にじ)ってしまう。

 

「……探さなきゃ」

 

 何年かかってもいい。自分の身体の限界がくるその時までに、この世界のどこかへと行ってしまったアリシアの魂を見つけ、再会する。そこで二人の夢を、願いを叶えるのだ。これが自分の生きる人生の形になるのだと、ガブリエルは確信した。

 

 近くを探したところ、(かし)の巨木の根元に大きな縦穴が開いているのがわかった。ガブリエルは抜け殻になったアリシアの遺体をそこへ投げ込み、彼女を刺した、彼女が自分を刺すはずだったアイスピックの二本も投げ込んだ。そして素知らぬ顔で森を後にし、帰宅した。

 

 こうしてアリシア・クリンガーマン失踪事件は、地元の警察によって懸命に捜査が行われたものの、手掛かりの一つも見つけられず、迷宮入りとなった。

 

 そして同時に、ガブリエル・ミラーの《旅》は始まった。

 

 

          □□□

 

 

「マスター」

 

 甘ったるいような少女の呼び声で、ガブリエル・ミラーは短い回想から戻ってきた。腹の辺りに温もりのようなものを感じる。無論アリシアのそれとは全く異なっているうえ、心地良さも遥かに下だ。

 

 ガブリエルは下を見た。頭があった。正確には頭頂部だ。背の低い人間が自分に抱き付いてきている。腹の辺りの温もりの正体はこれのようだ。こちらからの視線に気が付いたのか、それは顔を上げてきた。

 

 闇のように黒く長い髪をして、両側頭部から流線形のドラゴンの角を生やした、金色と橙色の中間のような色の瞳をした少女だった。

 

「ようやくまたお会いできましたね、マスター」

 

 瞳孔の形が人間のそれではない少女は、にこりと笑っていた。声がかなり弾んでいるので、余程嬉しいらしい。しかし、ガブリエルは無表情を貫くしかなかった。何故ならば――、

 

「……君は誰だ」

 

 こんな少女の事は知らないからだ。

 

「マスター……わたくしの事が、おわかりでないのですか?」

 

 少女はきょとんとしたように目を丸くしていた。そう言われても返答に困る。記憶をいくら探してみても、こんな少女に関する記憶は存在していない。次の答えはどうするべきか。ここは一つヴァサゴに聞いてみるか。

 

「ヴァサゴ――」

 

 先程までヴァサゴの居たところを見る。彼は引き続きそこに居た。だが、ガブリエルはまた反応に困らされる事になる。ヴァサゴのすぐ傍に、見知らぬ者が居た。

 

 それもまた背の低い少女だった。黒紫色のショートヘアで、髪の毛で覆われていて目がほとんど見えない、黒いファンタジックなデザインの装束を着た少女が、おどおどした様子でヴァサゴのすぐ傍に居る。

 

「良かったな、兄弟。相棒にまた巡り会えてよ」

 

「相棒だと? いや、その前に、この娘達はいつの間にここに来たんだ」

 

「兄弟がぼーっとしてる間に来たぜ。特にお前の相棒が真っ先にお前に飛び付いたもんだから、びっくりしたぜ」

 

 黒紫髪の少女の頭に手を置きながら、ヴァサゴは言ってきたが、ガブリエルにはいまいちぴんと来なかった。

 

「私の……相棒?」

 

「そうですよ、マスター」

 

 抱き付くのをやめた少女にガブリエルは向き直る。少女は眉毛を八の字にしていた。

 

「マスター、お忘れではないはずですよ。あれほど、荒野と鋼鉄の世界で、あらゆる機械や魔獣を、人を撃ち、劫火で焼き払ったではありませんか。楽しい、楽しい、破壊と殺戮(さつりく)の毎日だったではありませんか」

 

 そこでガブリエルは驚かされた。荒野と鋼鉄の世界。あらゆる機械や魔獣、人を撃って焼いた。破壊と殺戮の日々。それらは恐らく《GGO》での自分の日々(プレイスタイル)の事だ。それを知っている存在と言えば、一つしかない。

 

「……まさか君、いや、お前……ジブリルか?」

 

 自分でも信じがたいと思う質問に、少女は快く頷いた。

 

「久しぶりにその名前で呼んでいただけて、嬉しいですわ、マスター」

 

 少女はまたしても弾けるような笑みを顔に浮かべた。ジブリルとは、《GGO》で自分が使っていた《ビークルオートマタ》の名前だ。日本語で《鋼黒龍》の二つ名を持つそれと共に、ガブリエルは《GGO》で実に様々な物を破壊して、様々な生命を殺し回った。ジブリルとの戦いと殺戮の日々は本当に楽しくて、いつも心が(おど)ったものだ。

 

 しかし、ある時、《上官》が「ジブリルには可能性があるかもしれない。預けてくれないか?」と頼んできた。当然「何に使うんだ。というか、私のストレージからどうやって抜くつもりだ」と尋ねたが、詳しい返答は聞けなかった。

 

 そして次にログインした時には、ジブリルは消えていた。譲渡(じょうと)した記憶はないので、クラッキングで抜かれたのは間違いなかった。その後から仕事が立て込むようになり、《GGO》にログインする余裕の確保も難しくなってしまい、結局ジブリルの事を考える事さえ困難となってしまっていた。

 

 その行方不明になっていたジブリルが、目の前に居る黒いゴシックアンドロリータに身を包んだ小柄な少女。ガブリエルは驚きたい気持ちを呑み込み、一つ一つ事実を確認していった。

 

 ジブリルはこの世界に居た。ジブリルは言葉を喋れた。

 

 ジブリルは雌だった。そして自分はジブリルと再会した。

 

「……これも《あいつ》の仕業なのか」

 

「そうだぜ兄弟。こういう事してくれるのがBOSS(ボス)だ」

 

 ヴァサゴの言葉が全てを語っている気がした。少なくとも自分の知るジブリルは、もっと単純な知能しか持ち合わせていなかった。それがここまで進化しているという事は、《上官》が自分に黙って色々とやってくれたという事なのだろう。

 

 話す機会はいくらでもあったはずだが、何故話さなかったのか。全くわからない。

 

「マスター」

 

 呆れたい気持ちになっているガブリエルに、ジブリルは話しかけてきた。

 

「それで、マスターは何か御用があって、この世界にやってこられたのですよね?」

 

「そうだが」

 

 ガブリエルは人の姿を得た相棒に事情を話した。相棒は話し終えるまでずっと微笑んでいた。

 

「なるほど、そのような任務を受けてこられたのですね。でしたら、良い方法があります」

 

「ほう」

 

「マスターのそれを、使うのです」

 

 ジブリルはそう言ってガブリエルを見つめた。その視線の先にあったのは自分の胸だった。それを使うとはどういう事だ――と思ったそこで、奇妙な出来事が起きた。突然胸の内側が白い光を発したかと思えば、何かが飛び出してきた。それは白い光の、サッカーボールくらいの大きさの珠だった。

 

 なんだこれは。そう思って手を差し伸べてみたところ、白い光の珠は一瞬にして姿を変えて、纏う光を弾けさせた。そうして現れたのは一本の剣だった。朧げな燐光を放つ、細身の長剣。ファンタジーの世界によく出てくる魔剣や聖剣などに似ていなくもない。

 

「これは?」

 

「ふふふ、やはりマスターならば、()()()()()()()()()()()()()()と思っておりましたわ」

 

「説明になっていないぞ、ジブリル。これはなんだ」

 

 ジブリルは笑みを浮かべたまま、答えた。

 

「マスター、その剣を掲げ、こう言ってください。《システムログイン》と。そうすれば、マスターに相応しいお力が、マスターの元へ来ます」

 

 どこか疑わしい話だった。しかし奇妙な事に、ジブリルが嘘を吐いている様子は認められなかった。本当にこちらの事を考えたうえで、教えてくれているようだった。それに、何かあった場合にはクリッターが何かしらの手を打ってくれるだろう。それだけの技術が彼にはあるのだから。

 

「……システムログイン」

 

 ガブリエルは相棒の言葉に従い、魔剣を掲げるようにして構えた。直後、(まばゆ)い光が天から()してきて、ガブリエルの身体を包み込んだ。





 ――原作との相違点――

・ガブリエルの色々。
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