キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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06:迫り来た黒き影の手 ―殺戮者との戦い―

          □□□

 

 カイナンの道案内を受けながら、キリト達は走り続けていた。棘だらけの木々や植物の群生地を抜け、岩山の間を抜け、戦場方面へと駆けていく。

 

 先程戦場の方で上がっていた巨大な光の柱は、アリスが放った神聖術に間違いない。そしてあれを暗黒界軍――その総大将である暗黒神ベクタが見逃すわけがない。あそこにアリスが居ると判断して、進軍を開始した事だろう。つまり今、アリスは危機的状況にある。

 

 暗黒神ベクタにアリスが捕らわれて、現実世界に運び出されれば、何もかもが終わってしまう。アリスが日本国外へ持ち出されて、自律型兵器に改造されてしまえば、世界のパワーバランスは大幅に書き換わる。世界大戦の勃発も考えられるだろう。結局のところ、アリスが(さら)われたが最後、現実世界も破滅へと向かう。それだけは何としてでも阻止しなければならない。

 

 キリトは並大抵ではない緊張感に襲われながらも、それを呑み込み、ただ走った。しばらく進んでいくと、開けた場所に出た。木々も植物もほとんどなく、広場のようになっている。耳を澄ませてみたところ、争いの音がかなり大きく聞こえてきた。戦場に一気に近付いているらしい。

 

「もうすぐ戦場に着きそうだな。音が近くなってる」

 

 立ち止まったキリトが(つぶや)くと、カイナンが顔を下げる。

 

「和平……できるでしょうか」

 

 キリトは少し驚いた。先程あれだけやる気になっていたというのに、今のカイナンときたら、随分(ずいぶん)と弱気になってしまっている。さっきの威勢はどうしたんだよ――キリトが言うよりも前に、ダハーカが言った。

 

「えらく弱気な発言だな。お前らしくないぞ、カイナン」

 

 カイナンは顔を上げてダハーカに食って掛かる。

 

「ワタシだって不安になりますよ! なんたって非戦闘員なんですよ。キリトさん達と戦場に飛び込むってだけでも、心臓バクバクですわ!」

 

 その気持ちはわからないでもない。カイナンは足こそ速いものの、戦闘能力は皆無である。そんな彼が人界と暗黒界の大戦の中に飛び込むのだから、不安で仕方がなくなるだろう。だが――もう一度口を開こうとしたキリトより先に、カイナンは発言する。

 

「でも、誰かがやらなきゃいけない。ワタシみたいな商人には向かない状況ですけど、でも、皆さんが居てくれますから。皆さんが居るから頑張れる……頼りにしてますよ。さぁ、皆、頑張っていきま――」

 

「――カイナンッ!!」

 

 カイナンの言葉を、ダハーカの絶叫が(さえぎ)った。一体何事かと思った刹那、火薬が破裂するような音が鳴り響いた。一秒も経過しないうちに、金属同士がぶつかり合ったような鋭い音が一度鳴った。

 

 理解が追い付いたのは十秒後だった。音の発生源を確認したところ、ダハーカが短銃を構えていた。銃口から煙が上がっているので、発砲したのは間違いなかった。そして彼は、カイナンの真後ろに回り込んで、外周方面に向かって撃ったようだった。

 

 近くを確認すると、投げナイフのような短剣が地面に刺さっていた。刺さり方の具合からして、高速で直進していたものの、途中で何かに弾かれて軌道を変えられ、そのまま地面へ突き刺さったようだった。

 

「えっ……ダハーカさん……?」

 

 カイナンは茫然自失のような顔でダハーカを見つめていた。ダハーカは左手に短銃を、右手に槍を持ち、叫んだ。

 

「そこに居るのはわかっているぞ! 出てこいッ!!」

 

 ダハーカの声は一帯に響き渡った。その言葉が合図となり、キリトは遅れながらも《EGO(イージーオー)》を含む双剣を引き抜いて構えた。周りの皆もそれぞれの武器――《EGO》を抜刀する。

 

「へぇ……よく今の一撃を防いだもんだな。確実に殺れたと思ったのによ」

 

 岩陰の方から声が聞こえてきた。すぐさま、こちらの方へと人影が歩み寄ってきた。マントを(ともな)うディープパープルの鎧を身に(まと)い、顔と頭髪が露出した兜を着用した、黒緑の髪をした長身の男だった。

 

 その姿が見えた途端、辺り一面の雰囲気が変わった。風も、大地から出る熱も、何もかもが凍て付き、暗黒の波のような悪意が押し寄せてくるようになる。この男がその根源だった。

 

「それにしても不穏分子かと思いきや、まさか……《KoB》のアスナ……それに、《黒の竜剣士キリト》かよ。こんなところで会えるとはな……」

 

 キリトは目を見開いた。一気に背筋に悪寒が走って来る。まだ《SAO》に囚われていた頃。リランを《使い魔》とした後から呼ばれるようになった、自分の二つ名。それが《黒の竜剣士キリト》だ。 何故、こいつはその事を知っているというのか。

 

 確実に言えるのは、こいつはアンダーワールド人ではない。

 

「貴方、誰なの。どうしてわたしの名前を? それにキリト君も……」

 

 長身の男は「はっ」と言った。

 

「あぁ、そうだな。この格好じゃあわからなくても仕方ねえな。お前らと同じでよ、この世界のアカウントを使って動いてるんだから……なッ!」

 

 男はそう言ったかと思うと、一瞬にして片手剣を抜き払った。そのままキリト目掛けて走ってきて、一閃を繰り出してくる。水平方向から剣先が迫ってきたのと同時にキリトはバックステップをして後退し、回避する。

 

 かなりの速度だった。もう少し反応が遅れていれば確実にもらってしまっていた事だろう。どうやらこの男は不意打ちが得意であるようだ。つい先程カイナンを暗殺しようとしたように、常日頃からそういう事をよくやっているのだろう。

 

「……!」

 

 そこまで考えたところで、キリトは頭の中に一筋の光が駆けるのを感じた。この男は、自分やアスナの素性を知っているだけでなく、姿までもを認知している。そんな特徴が当てはまるのはラース職員か帰還学校関係者くらいだが、そういった職に就いている人間が、こんな戦い方ができる可能性はゼロに等しいだろう。

 

 何より、正々堂々の一騎打ちよりも、影討ちや暗殺を好んで行う戦い方。そしてこの背筋の悪寒をもたらしてくる悪意と、狂気にも似た殺意。これら特徴を全て踏まえた人物を、知っている。

 

「お前……」

 

 キリトがふと呟くと、男はきっとキリトを(にら)み付けてきた。やはり、底知れぬ悪意と狂気と殺意が()()ぜになった闇が目の中で(うごめ)いている。

 

「色々大事なもん殺してやんねえと思い出してくれねえ感じか? 寂しいもんだ。じゃあ、そこに居る女共を殺すか……どうせ殺しても現実世界には影響はねえんだからよ」

 

 その言葉で、キリトの脳裏に一人の人物の姿が浮かび上がった。それは黒い悪夢だった。《SAO》で殺人ギルドとして恐れられていた、あの集団。そして、プレイヤー達を狂気の殺人集団へ堕とさせた元凶であり、悪夢そのものである殺戮者(さつりくしゃ)。その男の姿と、目の前にいる男の姿が、重なった。

 

「お前まさか……《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のリーダー……PoH(プー)か!!?」

 

 男はかっと大きく口を開けて笑った。禍々しい狂気を多分に含んだ笑いだった。

 

「御名答! 会いたかったぜ。《BOSS》の愛しの勇者さんよぉ! 今日は本当に何て日だ! クリスマスとニューイヤーが同時に来たってくらいにハッピーだ! なぁキリトよぉ、お前にとってもそうだろう!?」

 

 その笑い方と口調、言葉の使い方は、まさしくキリトの脳内の記憶に巣食う最悪の厄災たるPoHのそれと一致していた。やはりこの男はPoHだ。殺人ギルド《笑う棺桶》のリーダーであり、《SAO》を生き抜こうとする自分達プレイヤーの脅威となっていた狂人。

 

 まさかそれが今、ここで、敵側で現れてくるだなんて。ただでさえ人界と暗黒界が戦争中という最悪の状況だというのに、そこに《笑う棺桶》のPoHが現れてくるだなんて、どれだけの最悪が積み重なろうとしているのだろう。あんまりな状況過ぎて、頭が考える事をやめようとし、脳内が痺れてきそうだった。

 

 そこまで思ったところで、PoHの背後に黒い人影が浮かび上がったように見えた。それはどんどん巨大化を重ねていき、やがてリランの全高ほどにまでなると、大手を広げて高笑いする。

 

 《笑う棺桶》を構成し、そのリーダーを務めていたPoHは自分達プレイヤーにとって厄災そのものであったが、《根源》ではなかった。PoHにも《笑う棺桶》にも元凶となる存在がいて、PoHはその忠臣であり、《笑う棺桶》は《子供達》だった。

 

 PoHを部下として動かし、アインクラッドとそこに閉じ込められたプレイヤー達に非道な実験を行い、日本社会そのものが変わってしまうほどのサイバーテロリズムを起こした《()り逃げ男》を生み出し、手駒として動かして、《SAO》のクリア後も度々自分達の前に現れては、試練を与える神のように振る舞い、いくつもの厄災と悲劇を引き起こしてきた、大いなる元凶。

 

 PoHがこうして自分達の目の前に、この世界に降り立っているという事は――。

 

「まさか……この世界の存在に気付いたのか、《あいつ》は!?」

 

 恐れていた事項を口にしたキリトに、PoHは再び笑った。

 

「ブラッキーよぉ、お前BOSSを甘く見過ぎだぜ。BOSSがこの世界に気付かないわけないだろうがよ。そこにお気に入りのお前らがいるって事にも、な」

 

 シノンが弓矢を構えたまま、驚愕の表情を顔に浮かべた。

 

「まさか、お前はハンニバルの命令で!?」

 

 PoHは「ふっ」と笑ってから、もう一度キリトに目を向けてきた。

 

「……キリト、シノン、アスナ。それに女共、よく聞きやがれ。BOSSからお前らへのメッセージを持ってきてやった。BOSSのところへ来い」

 

「は?」

 

「BOSSはお前らがお気に入りで、お前らを欲しがってるんだよ。お前らもよくわかってるだろ? だから、大人しくオレと一緒にBOSSのところへ来いって言ってるんだよ。そうすりゃあ、痛め付けもしねえし、殺しもしねえ」

 

 キリトは目を見開いた。PoHを忠臣としている大いなる元凶――名をハンニバルというそいつは、ずっと自分達を付け狙って、様々な悲劇や厄災をぶつけてきた。そしてそれらを繰り出してくる前には、決まって「私のところへ来い」と言って、こちらを勧誘してきていた。

 

 ハンニバルのところへ降る。それはつまり、《壊り逃げ男》や《笑う棺桶》が居る、恐らく他に類を見ないほどの悪の組織へ行き、その一員となって、ハンニバルの画策(かくさく)するテロリズムに手を貸すという事だ。

 

 そんなものを受け入れられるかどうか。答えは当然否である。ハンニバルが誘いをかけてくる度に、キリトはそんなものはごめんだと言って突っぱねて、その企みを潰した。しかしハンニバルはキリト達が何度拒否して撃退しようとも、次に出会った時には必ず誘いをかけてくる。

 

「私のところへ来い」、「どうすれば君達を手に入れられるのだろうか」などと言って。

 

 何としてでも自分達を手に入れようとしている執念が垣間(かいま)見えて、気持ちが悪くて仕方がなかったものだ。しかしそんなハンニバルでも、そろそろ諦めてくれている頃だろうと、キリトは思っていた。もう何回かわからないほどに拒否し続けて、彼の者のメンツもプライドも一緒にやるつもりで計画を潰してやってきたのだから。

 

 ……その考えは甘かった。ハンニバルは諦めずに自分達を勧誘している。恐らく自分達を手に入れるその時が来るまで、彼の者は誘い続けるつもりなのだろう。そして、これまでと同じように、乗り越えられるかどうかが曖昧で、勝利できるかどうか怪しい試練をぶつけてきた。

 

 その試練そのものであるPoHに、キリトは答える。

 

「PoH……お前は俺達を《笑う棺桶》のメンバーと同じように思っているのか。俺達が素直にハンニバルに従うって、そう思ってるのか」

 

「従った方が身のためだぜ。お前らほど、オレみたいにBOSSからの寵愛(ちょうあい)を受けている奴らは居ねえんだぞ。自覚しろよキリト。お前らは、BOSSから愛されているんだ」

 

 PoHが全く嘘を吐いていない顔で言っていたものだから、吐き気がしてきそうだった。ハンニバルが自分達に固執している理由は、寵愛だと? これまで自分達を勧誘し続けて、試練と称して悲劇や厄災を仕向けてきたのは、それがハンニバルからの愛だからだと?

 

 全く持って理解しがたいし、猶更(なおさら)受け入れがたい。愛情というものを履き違えているとしか思えない。いや、本当に愛情なのだとしても、歪み切っていて原型を失っている。アドミニストレータが度々口にしていた《支配の愛》とは違うのだろうが、いずれにしても背筋に悪寒が走るほどの気持ち悪さがある事だけは変わらない。

 

「PoH……こっちからもハンニバルに向けて言いたい事がある。持っていけ」

 

「なんだよ?」

 

 首を少しだけ(かし)げているPoHに、キリトは思った事を素直に言った。

 

「俺達はお前の敵だし、俺達からしてもお前は倒すべき敵に変わりないってな!」

 

 そう告げて、キリトはPoHに先程やられたように斬りかかった。意表を突くように側面に回り込み、袈裟斬りを仕掛ける。しかしPoHは(すん)でのところでバックステップし、キリトの斬撃を不発で終わらせてきた。

 

「はははははっ! そうだろうな、そうだろうな! お前らはそういう奴らだもんな! BOSSが寵愛を向けるはずだぜ!」

 

 まだ言うか――キリトがそう思った直後、PoHは反撃を入れようとしてきた。片手剣の振り下ろし。今度は回避は間に合いそうにない。キリトは《EGO》と《リメインズ・ハート》の組み合わせでPoHの凶刃を受け止めた。

 

 ぎぃぃんっという鋭い金属音が鳴り響き、火花が散って一瞬だけ世界が明るくなった。筋肉に衝撃が伝ってきたが、それほどのものではない。PoHが《EGO》を使っていたならばこうはならなかっただろう。そこだけは幸運だったと言えた。

 

「じゃあ仕方ねえ……BOSSの頼みを聞き入れてくれるまで、お前らを殺すしかねえなあ。BOSSも言ってたぜ。キリト達が言う事を聞いてくれない場合は、オレらしいやり方で好き勝手にやって説き伏せろってな!」

 

 それが殺し合いか。如何にもPoHらしいではないか。最早こいつに、ハンニバルに言葉は通じないも同然。結局のところ剣で叩き伏せるしかないのだ。そう思って身体に力を入れなおそうとしたところで、PoHは急にこちらとの鍔迫(つばぜ)()いを解き、後退した。

 

「《アガレス》、出番だぜ!」

 

 キリトが追いかけようとしたその次の瞬間、PoHはそう叫んだかと思うと、背後の茂みに向かって短剣を投げた。《アガレス》――何かの名前なのは間違いないが、いったい何の事なのか。そう思いつつ、PoHの投げた短剣を目で追ったところで、キリトは目を見開いた。茂みの中に人影があった。

 

 女の子だ。黒紫色の髪の毛で目元を隠した、黒い服を着た小さな身体の少女の胸元に、PoHの投げ付けた短剣が突き刺さっていた。髪で覆われていても、その目が見開かれているのはここからでも確認できた。

 

 この一帯は暗黒神ベクタによって、突然戦場と化した。兵士達は暗黒神ベクタの洗脳によって動かされているから、避難勧告といったものは出さなかっただろう。逃げ遅れた民が居たとしても不思議な事はない。

 

 あの()は、不幸にもここに迷い込んでしまっていたのだろう。そして暗殺に長けたPoHは僅かな気配を感じ取り、あの娘に向かって短剣を投げて、その命を奪おうとした。恐らくは、こちらを怒らせるため。(ある)いは、殺人衝動の(おもむ)くまま。

 

 前から熟知していた事ではあるものの、あんな女の子を手をかけるほどの外道だったとは――PoHへの激しい怒りが込み上げてきて、視界が赤く染まってスパークが起こる。

 

「PoHッ!!」

 

 思わず全身から叫んだ直後に、異変は起きた。茂みの方から突然紫色の光が広がってきた。それによって我に返ったキリトは、思わず立ち止まってそちらに視線を向ける。光の発生源は、PoHに短剣を投げつけられた女の子だった。

 

「う……うはあははッ、あはははははははははははッ!!」

 

 正体不明の女の子は耳を(つんざ)くような笑い声を上げたかと思うと、全身から放たれる紫の光の勢いを更に強くした。光は女の子を包み込んで球体となり、一瞬のうちに一回り以上の大きさにまで膨張し、茂みから飛び出してきた。かと思えば、真っ直ぐにこちらまで飛んでくる。

 

「なッ……!?」

 

 キリトは咄嗟(とっさ)に回避したが、その刹那に巨大な黒い何かが振り下ろされてきて、それまでキリトが居た空間を叩き潰した。轟音と共に地面が(ひしゃ)げかと思うと、強い衝撃と風圧が襲い掛かってきて、キリトは後方へ吹っ飛ばされた。

 

「がッ……」

 

 そのまま地面に(したた)かに打ち付けられ、鈍痛と衝撃が全身を巡る。肺が絞られたようになって息が上手くできず、視界がモノクロに変色すると同時に意識が軽く遠のく。

 

《どこ!? ねえどこぉ!? アガレスの敵、どこかなあああああああッ!?》

 

 頭の中に直接響いてきた《声》が、キリトの意識を引っ張り戻した。それはリランのものでもなければ、ユピテルのものでもない。禍々しい少女の声色だった。キリトは地面に打ち付けられた時の姿勢のまま、前方を確認した。

 

 異形が居た。棘のように尖った部位がところどころに見受けられる黒い甲殻と鱗に全身を包み込んでいる。全体的に丸みを帯びた頭部には、右側にだけ天へ向かうかのようにそそり立つ角がある。

 

 そして何より、その肩からはどす黒い翼膜のある巨大な腕が生えていて、地面を踏み締めている。翼がある事以外は《使い魔》形態のユピテルによく似た体型をした異形の龍が、唐突に姿を現していた。先程の攻撃は、あの巨大な腕から繰り出されたものであったようだ。

 

「キリト!」

 

 シノンが弓を構えながら駆け寄ってきた。無事を確認しに来てくれたのだろう。キリトはひとまずは動ける事を示すべく立ち上がったが、途中で身体のあちこちに鈍痛が走った。衝撃を喰らっただけでこの有様なのだから、直撃を受けようものならば一溜りもないだろう。

 

 何なのだろうか、あの龍は。

 

「キリト、今のはどうだったよ。オレの《使い魔》の一撃の味はよ」

 

 PoHが得意げに笑いながら言ってきた。PoHが少女に短剣を投げつけるより前に《アガレス》という名前を口にしていた事、あの龍はPoHの声に呼応するように現れた事、そしてリランとユピテルと同じように《声》を放っている事。それら三つを照らし合わせた時、一つの嫌な予感がキリトの中に浮かび上がった。

 

 最悪な事に、それは現実となった。あの黒い異形の龍の名前はアガレス。そして、何らかの助力を受ける事によってPoHが得た《使い魔》だ。

 

 どこまでも最悪が積み重なる。あのPoHが自分と同じような《ビーストテイマー》になっていただなんて。

 

「な、ななな、なんですか、何なんですかこの魔獣は!? いや、本当に魔獣なんですか!?」

 

 アガレスを見たカイナンが酷く驚いた声を上げていた。幸いな事に腰は抜けていないようだ。彼を守るような立ち位置で身構えているドロシーとダハーカも、困惑を隠せないような顔をしている。アガレスのような姿をした魔獣は、これまでダークテリトリーでも確認されてこなかったという事なのだろう。

 

 そんなものをPoHが手に入れているという事と、PoHがハンニバルの一番の部下である事を踏まえる事で導き出される答えはただ一つ。あのアガレスは、PoHに自分と並ぶくらいの強さを与えるべく、ハンニバルが渡した贈り物であり、恐らく《異世界の魔獣》とも言うべき存在だ。

 

 いよいよハンニバルは本格的に自分達を屈服させるために、理不尽な試練をぶつけようとして来ている。何故そこまでして自分達を欲しがっているのか、その理由が見えてこないからこそ、不気味と気持ち悪さが一度に押し寄せてきていた。

 

《調子に乗るでないわ、小物がッ!》

 

 初老の女性の声色をした《声》が轟いたかと思うと、リランがアガレスに突進した。一瞬のうちにリランの巨躯がアガレスの巨躯のすぐ傍に辿り着き、この世界の様々な魔獣や《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》を沈めてきた拳がアガレスに降りかかる。しかもリランはアガレスの背後という、対応されにくい方角から仕掛けていた。あれならば、当たるはずだ。

 

《あははははッ!》

 

 と思ったその時、アガレスはぐるんとその場で回転してリランの居る背後方向に振り向いて、その拳を片方の巨大な腕で受け止めた。流石のリランでも防がれるとは思っていなかったらしく、紅玉のような瞳が見開かれていたのが認められた。

 

 キリトは思わず驚きの声を上げる。

 

「防がれた!?」

 

《これ、どぉかなぁああッ!?》

 

 またしてもアガレスの《声》が響いたかと思うと、その口内が紫色に光った。危機を感じたのだろう、リランは咄嗟に後退しようとしたが、アガレスの方が早かった。アガレスは体内で圧縮したと思わしき紫色のエネルギーを口内から迸らせた。それは闇の爆発となって、至近距離に居たリランを襲った。

 

「リランッ!!」

 

 シノンの悲鳴のような声が周囲に放たれた直後、リランもまた獣の悲鳴を上げながら後退させられた。顔と胸元から白金色の毛が散り、火傷と流血が見受けられた。リランはその攻撃力もそうだが、防御力――というよりも身体の頑丈さも並大抵ではなく、余程の強さを持った魔獣や《EGO化身態》の攻撃ではない限りはびくともしないくらいだった。

 

 しかし、リランは今しがたアガレスのブレスと思わしき攻撃を一発受けただけで、かなりの傷を負わされた。アガレスの身体能力はリランに匹敵、もしくはそれ以上だというのだろうか。だとすれば、なんてモノをハンニバルはPoHに送ってくれたというのだろう。

 

「なんだよ、お前の《使い魔》、大した事ねえじゃねえか! オレのアガレスに負けてるとか、この世界のぬるま湯に浸かって、平和ボケでもしてたのかよ!」

 

 PoHは高笑いしていた。自身の《使い魔》の強さを純粋に喜び、その力が振るわれる様に酔いしれている。それはかつて苦労の末にリランを進化や強化へ導き、彼女がそれまで苦戦気味だった相手をいとも容易く薙ぎ倒していく様を見ていた時の自分と同じだ。

 

 あそこまで傲岸不遜になって、言いたい放題言っていたつもりはないが、強くて憎い相手を、それよりも遥かに強い力で捻じ伏せる時には、自分もある種の快さに襲われていたものだ。その時のそれと同じ快さをPoHは思う存分に感じて、憎き相手である自分達を捻じ伏せようとしている。

 

《みんなみんな、バラバラにするよぉッ!!》

 

 アガレスはリランから狙いを変え、リズベットとシリカの居る方へ走り出した。腕を合わせると六本の足を持つアガレスはあっという間に二人の元へ辿り着き、巨大腕の右腕に闇のエネルギーを収束させて叩き付ける。

 

「きゃあああああああッッ」

 

「わああああッッ」

 

 あまりの短時間の出来事に二人は付いていけず、アガレスの右腕の叩き付けによって生じた闇の大爆発に巻き込まれ、吹っ飛ばされた。やがて先程の自分のように地面へ勢いよく衝突し、ごろごろと数回転がった後に止まる。リランに一発で重傷を負わせるほどのアガレスの攻撃を受けたのだ、今のでごっそり天命を削られた事だろう。

 

「はははははッ、良い声で()くじゃねえか女共! これもまたBOSSに愛される理由なんだろうなぁ!」

 

 PoHは上機嫌である事を隠さない言葉を吐き散らかしながら、片手剣を構えてリーファの元へ向かった。リーファは《EGO》である《ヴァーデュラス・アニマ》をしかと構えてPoHの片手剣を迎え撃った。

 

「おらよッ!」

 

「はあッ!」

 

 互いに何度も何度も剣を打ち付け合い、その都度火花を散らす。だが、数秒も経たないうちにPoHの方がリーファを押していった。リーファの剣は《EGO》であり、普通の剣では苦戦を(まぬが)れない《EGO化身態》と戦っても、容易に致命傷を与えるほどのオブジェクトクラスと威力を誇っている。

 

 だというのに、勝っているのはPoHの方。PoHの振るう片手剣は《EGO》のようには見えない姿をしているし、独特の波動も感じない。恐らくは暗黒騎士が使っているそれと同じような汎用的なものであろう。

 

 なのに何故、リーファを押し返す事ができているというのか。まさか、心意の差だとでも言うのか――。

 

「はああああああッ!」

 

 リーファが完全に体勢を崩されそうになったその時、PoHの側面からアスナが飛び出した。繰り出された目にも留まらぬ細剣の連撃の接近にPoHは目を見開き、諸に浴びた。そして彼女がとどめの一撃を繰り出すと、PoHは大きく後方に吹っ飛ばされた。鮮血が舞っているので、ようやく傷を入れる事に成功したようだった。

 

 だがPoHはそのまま地面に激突するかと思いきや、あろう事か空中でぐるんと宙返りした後に着地し、脚でブレーキをかけるようにして止まった。そのまま何事もなかったように立ち上がる。

 

「そうだよなぁ、閃光。そう来なくっちゃ面白くねえ!」

 

 PoHが片手剣を構え直すと、アガレスがPoHの背後に飛来してくる。こちらを睨み付けて、禍々しい咆吼を上げた。

 

《遊ぼう、遊ぼうよ! たっくさん、遊ぼうよぉッ!》

 

 頭の中にアガレスの《声》が鳴り響く。リランやユピテルと違って声量にも容赦がなく、頭の中に入ってくる度に脳が揺さぶられるような錯覚に(おちい)りそうになる。確実に言えるのは、PoHもアガレスもこちらを決して逃がさず、殺すつもりでいる事だ。

 

 こうしている間にもアリスの元へ暗黒神ベクタの魔の手が迫り、放っておけば彼女が攫われてしまうかもしれないというのに。PoHとアガレスという尋常ではない敵が立ち塞がっていて、彼女の元へ向かえない。

 

 完全にペースを敵側に取られてしまっている。どう巻き返す?

 

「おいおい、まさかビビってんのか――」

 

 PoHは挑発文句を言いかけたかと思うとバックステップした。アガレスも同様に後方へ下がり――巨大腕の翼膜を展開して羽ばたき、ホバリングに移る。直後、PoHとアガレスがそれまで居た空間を青白い稲妻が貫いた。数日前にも見た、覚えのある光景だった。

 

 そこから二秒程度経過した頃、キリト達とPoH達の間に大きな光が躍り出た。青白い電気エネルギーで身体を構成し、頭部、胴体、爪先、足先といった部位が金属の骨のようになっている、肩から巨大な腕を生やした狼。《使い魔》形態のユピテルだった。

 

《皆さん、先へ行ってください! ぼくがこいつらをここで釘付けにします!》

 

「ユピテル!?」

 

 キリトは思わず声を上げた。PoHとアガレスの取り合わせは自分達が総力を合わせても勝てるか怪しいような相手だ。それにユピテルも一体の《使い魔》として見れば、確かに強力な力を持っているけれども、それでも総合的な強さはリランに劣っている部分が多い。

 

《駄目だユピテル、我がやる! お前がキリト達を連れてアリスのところへ行け!》

 

 流れる血によって白金色の体毛がところどころ赤黒く染まっているリランがユピテルの隣に並ぶが、そこで答えたのはユピテルではなく、母親であるアスナだった。彼女はユピテルの隣に並び、《EGO》である《ラディアント・ライト》を構えた。

 

「ユピテルの言う通りだよ。ここはわたし達に任せて、キリト君、シノのん、リランはドロシーさん達を連れてアリスさんのところへ行って!」

 

「アスナ、あんたまで何を言ってるのよ!?」

 

 シノンが戸惑った声をかけるが、アスナは背中を向けたまま答えてきた。

 

「ここで皆で足止めを喰らっていたら、敵の思い通りになってしまう。ベクタがアリスさんを連れ去ってしまうわ! キリト君、シノのん、リラン……アリスさんを守って!」

 

「この男の相手なら、小官とにいさんが!」

 

 ドロシーとダハーカが前に出ようとするが、アスナはそれを遮った。

 

「ドロシーさん、ダハーカさん、カイナンさんには、暗黒騎士団と商工ギルドの人達に誤解を解いてもらわないといけないわ! 皆、それぞれやらなきゃいけない事があるのよ!」

 

 アスナの言葉に反論できないのが悔しかった。アスナもまた自分と同じ事を思い、危惧していた。このままPoHと戦い続けて勝利を収めたとして、暗黒神ベクタがアリスを手に入れていたならば、手遅れとなる。そうならないためには、急いでアリスの元へ向かい、ベクタを倒すしかない。

 

「行って、キリト!」

 

「あたし達なら大丈夫ですから!」

 

 倒れていたリズベットとシリカも立ち上がり、アスナとリーファの隣に並んだ。もう彼女達を連れて行こうとしても動いてくれはしないだろうし、彼女達にこの場を任せない限り、PoHとアガレスはどこまでも自分達を追いかけてくるだろう。特にアガレスは絶対にこちらを逃がさないに違いない。

 

「待たれよ。拙者も残る。貴殿らだけに任せなどせぬ」

 

 そう言って、ダハーカまでもアスナ達の近くへ寄っていった。まさかダハーカまでそう言い出すのは予想できていなかったのだろう、アスナが驚いたような反応をする。

 

「ダハーカさん!? ダハーカさんもキリト君達と一緒に……」

 

 ダハーカは首を横に振り、PoHを睨み付ける。どちらもディープパープルの鎧を身に着けた者同士という共通点があった。

 

「こいつが何者なのかはわからんが、いずれにしても、同じ鎧を着ている事が気に喰わん。暗黒騎士として、こいつを見過ごしておくわけにはいかんのだ。キリト、シノン、カイナン。ドロシーの……妹の事を任せたぞ」

 

「にいさん、そんな……にいさんッ!」

 

 ドロシーがダハーカに駆け寄ろうとしたのを、シノンが抑えた。ドロシーは拘束を解こうと暴れようとするが、シノンはそれでもキリトの近くにまでドロシーを連れてきた。

 

「ごめんなさい……皆」

 

 シノンは俯き加減でそう言うと、キリトに顔を向けてきた。

 

 ――行きましょう、キリト。

 

 瞳を(うる)ませながらも、零してしまわないように、シノンはそう伝えていた。

 

 本当はここに残るべきだ。PoHとアガレスを倒して、皆を守り、皆と一緒にアリスの元へ向かうべきだ。しかし、それ自体が恐らくPoHの、敵勢力の狙いだ。

 

 自分達という最大の脅威をここで足止めしておけば、暗黒神ベクタは安心してアリスを連れ去る事ができる。今やここに自分が残る事自体が、敵が最も得する選択肢であり、自分にとって最悪の選択肢なのだ。

 

 こんな状況になるまで追い込まれ、(くつがえ)す手段も持ちえないなんて――キリトは拳を(ひたい)に打ち付けた。アスナ達への申し訳なさ、自分の無力さ、PoHとアガレスへの怒り。それら全てを呑み込み、キリトは顔を上げた。

 

「四人とも、行くぞ!」

 

 キリトはPoHに(きびす)を返し、四人と共にその場を離れ、光の柱の上がった方角を目指して走り出した。




 ――原作との相違点――

・カイナンが死亡しない。原作ラスト・リコレクションではここでカイナンが死亡する。
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