キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

620 / 649
12:氾濫

          □□□

 

 

 戦況は一変した。ドロシーが自身の天命を糧にして発動させた大規模神聖術により、暗黒神ベクタの能力で操られていた者達は、一斉に自我を取り戻した。ある者は完全に呆然とし、ある者は同胞を手にかけた事に泣き崩れ、ある者は――見下していたアメンク達に深く謝罪し、礼を言っていた。

 

 そしてそれらの全員に共通している事は、激しい怒りを露にしている事だった。戦いたくなかった自身らまで無理矢理戦わせるように差し向け、同胞さえも殺させた。いったい誰がそんな真似をさせたのか。そんな事を命令してきたような奴は誰だ。《力の掟》など知るものか、そいつの事を許せないと、誰もがそんな声を上げていた。

 

 そこで愛娘の叫びと術によって正気を取り戻したシャスターが号令。「暗黒神ベクタと大教皇は自分達暗黒界の者達を虫けらのように扱い、大義もなく私利私欲のために利用した極悪人に他ならない。暗黒騎士団は暗黒神ベクタに反旗を翻し、暗黒神ベクタを討つ」と高らかに宣言した。

 

 《力の掟》がこびり付いて離れない者達からすれば愕然とするであろうその宣言は、大いなる拍手と同意の声で受け入れられた。暗黒騎士団だけではなく、商工ギルド、オーガ族、オーク族、ジャイアント族の戦士達も同じようにシャスターに同意の念を示していた。最早キリトの視界に映るその場に、暗黒神ベクタと大教皇に万歳をする者など誰一人として存在しなくなっていた。

 

 彼らには当然暗黒神ベクタを信仰する者も大勢いたのだろう。しかし、彼らの信仰心は暗黒神ベクタに洗脳されて、友人、同胞を殺してしまった事が決定打となって崩れ去り、激しい怒りに変わったようだ。自分達が神だと信じていたのは、神のふりをしていた大いなる悪鬼だったのだと。

 

「俺は今日ほど憤っている日はない! 俺達を自分の欲望のために利用し、仲間を殺させ、それでもなお暗黒界を蹂躙しようとしている暗黒神ベクタと大教皇を止める! 奴らこそが暗黒界に破滅をもたらす厄災そのものだ! 行くぞ!」

 

 いつにもなく正しき怒りを多分に含ませた声で発せられた、ビクスル・ウル・シャスターの号令を受けた暗黒騎士団は、アリスが立ち上らせたと思わしき光の柱の発生地点へと行軍を開始した。そこに生き残っていた商工ギルド、オーガ族、オーク族、ジャイアント族も加わり、大軍団となって進んでいった。

 

 その中、キリトは倒れたドロシーに意識を向けた。ドロシーはもう一人の母親と言うべき暗黒騎士リピアと、アメンク達に介抱されていた。ドロシーも属するアメンク達は「ドロシー、しっかりしてくれ!」「ドロシーちゃん!」といった仲間を思うような声で呼びかけていたが、ドロシーは一切の返事をする事なく倒れているだけだった。

 

 幸い、身体からは絶命の光は出ていなかったため、命を繋ぎ止めているのはわかった。だが、事実上の昏睡状態なのは確かであろう。あれだけの大規模術式をたった一人で放ったのだから、一般人ならばとっくに絶命している量の天命を使ったに違いない。

 

 恐らくドロシーも死を覚悟して術を使ったのだろうが、彼女の持ちうる膨大な天命が彼女の命をこの世界に留めてくれたのだ。そしてこれら全ての悲劇と惨劇を招いたのは、暗黒神ベクタと大教皇という簒奪者(さんだつしゃ)。決して許しておけない。

 

 キリトはドロシーをリピアとアメンク達に頼み込むと、リランの背中に跨った。PoHの《使い魔》からの攻撃で重傷を負っていたリランは、集まっていた神聖術師と神聖術が得意なアメンク達によって治療され、その人間の十倍以上ある天命を全回復させていたのだった。

 

 そして何より、暗黒神ベクタと大教皇の暴挙と横暴に心底腹が立っているらしく、ぐるぐると(うな)り続けていた。

 

「リラン、いつもの仕事だ。悪人を叩きのめしに行くぞ」

 

 キリトが一声かけたところ、リランは思いっきり地を蹴り、一目散にアリスが起こしたと思わしき光の柱の発生地点へと走り出した。かと思えば、走り出した数秒後にその翼を大きく広げ、空へと舞い上がった。

 

 付近に居る暗黒界軍は既にシャスターの号令によって暗黒神ベクタから離反し、人界軍と共に行軍している。つまり飛んでいるリランを打ち落とそうとする脅威は既にいなくなっているという事だ。だからこそ彼女は空を飛ぶ事を選んだのだ。

 

 まだシャスター達に同意していない者達が居るのも確かであろうが、少なくとも、この付近で対空攻撃が飛んでくる事はない。もう少し進めば、きっと暗黒神ベクタに従い続ける者達のところに着くだろうが、その時にはリランは着地しているだろう。

 

 そう思って風を浴びながらリランの背中にしがみ付き続けたところ、しばらく経過したタイミングでゆっくりと高度を落としていき、やがてしなやかに着地した。まさしく負傷が治っているからこそできる見事な身のこなしだった。

 

《キリト!》

 

 初老女性の《声》が頭の中に響いてきた。前を見ろという意思を受け取り、キリトは目線を前方へ向ける。複数の人影があり、その中の一人を認めてキリトは軽くはっとさせられた。亜麻色の髪をしていて、青い服を纏った青年。ユージオだった。

 

 周りには彼の実質的な《使い魔》である竜の冬追(フユオイ)、整合騎士であるエルドリエ、レンリ、見習いのメディナ、メディナの《傍付き練士》のグラジオの姿もある。レンリを除く全員が《EGO》を構えて何かと対峙しているようだった。

 

 更に彼らの目線の先を確認した時、キリトは驚いた。くたびれているように見えなくもない髪質の金髪をしていて、マントの付属した黒と赤に彩られた豪勢な鎧に身を包んだ長身の男が、明るい金色の髪の、ぐったりとしている少女を所謂(いわゆる)お姫様抱っこの形で抱き上げている。

 

 その様子はどう見ても姫を連れ去らんとしている魔王の構図だ。そしてユージオ達は魔王から姫を取り戻そうとしている騎士であった。

 

 彼らと魔王の間には忠臣の姿もあった。暗黒術師ギルドの長であり、ついこの前和平を結ぼうとした直前で結局裏切ったディー・アイ・エルだった。更にその周囲には彼女に付き従っている暗黒術師達、そして魔王に忠誠を誓い続けているであろう暗黒騎士達の姿もかなりの数が確認できる。

 

 数だけで見ればユージオ達を遥かに上回っていた。

 

「ユージオ!!」

 

 キリトは叫び、リランを走らせた。同時にリランはかっと(あぎと)を開いて口内から火炎弾ブレスを連射し、ディー・アイ・エル達へ浴びせようとしたが、周りの暗黒術師ギルドの者達が間に入って暗黒術による防御壁を展開して防いできた。

 

 リランの放つ火炎弾ブレスの威力はすさまじいものであり、一人や二人の防御壁など簡単に破ってしまえるが、暗黒術師達は何人も集まって一斉に防御壁を展開する事で防ぎ切るという強引な方法を取ったようだった。

 

 しかしリランのブレスの爆炎はある種の煙幕となり、その隙にキリトはユージオのすぐ隣へと駆け付ける事ができたのだった。

 

「キリト……キリトなんだね!?」

 

 信じられないモノを見ているような顔の親友に、キリトは頷きで答える。

 

「あぁ、俺だぜユージオ。あの時は突然居なくなってしまって、すまなかったな」

 

「すごく理由や事情が気になってるんだけど、今はそんな事を聞いている暇はないね」

 

「……そうだな」

 

 キリトが《EGO》と《リメインズ・ハート》を抜刀したのと、煙幕が晴れて魔王の軍勢が再び見えるようになったのはほぼ同時だった。そこで真っ先に反応してきたのは案の定ディー・アイ・エルだった。

 

「あら坊や、この間ぶりね。私に会いに来てくれたの?」

 

 あんたと話したいわけじゃない――その気持ちをキリトは沈黙する事で伝えた。ディー・アイ・エルは素直にわかってくれたように返答してくる。

 

「でもないみたいね。じゃあ、ベクタ様への御拝謁(ごはいえつ)がお望みかしら」

 

 キリトはぎりっと問題の人物を(にら)み付けた。アリスとはまた異なる色相の金髪をしていて、更に言えばアリス同様に青い瞳をしている。しかしその瞳には何の光も宿っておらず、その逆である闇が蓄えられている。まるで何もかもを呑み込まんとしているブラックホールのような闇だった。

 

 明らかに並大抵の人物ではないと判断できる長身の男が、気絶しているらしいアリスを抱きかかえていた。もう少し到着が遅ければ、この魔王にアリスは連れ去られていた事だろう。

 

「お前、何者だ」

 

 キリトは魔王――暗黒神ベクタに尋ねた。ベクタは「ふん」と鼻で笑うような反応を示してから答えてきた。

 

「我が名を知らないわけじゃないだろう、人界の剣士よ」

 

「この世界に許可なく土足で入り込んだ賊が、暗黒神ベクタを名乗ってるのは知っている。役割を演じているのは大したもんだな。そのガワに相応しいよ。だが、お前は自分のしでかした事をもっと深刻に考えるべきだ」

 

 ベクタの立場に居る襲撃者は何も言わずにキリトを見つめていた。その闇を宿す瞳に向かってキリトは投げかける。

 

「皆、生きてるんだ。この世界で生きてるんだよ。姿形が異なる者だって人間なんだ。お前はここに生きる人々の生活を蹂躙したんだ。命を(もてあそ)んだんだよ! お前は絶対に許されない事をしたんだ!!」

 

 やがてベクタは目を細めていった。こちらに何か気になるモノがあるかのような反応だ。それがキリトに怒りを募らせた。こいつはこちらの話を理解しようとさえしないのか。この世界の本質を知ろうともせず、ここに生きる人々はただのモノでしかない――そういうふうに考えているとでもいうのか。

 

《あら、キリトさま! お戻りになられたのですね》

 

 その時、聞き覚えのある《声》が頭の中に響いてきた。純真無垢そうに見えるけれども、得体の知れなさが溢れ出ている少女の声色。この世界を一度脱する事になった際にも聞いていたそれが聞こえてきた事にキリトが驚くと、ベクタの背後で大きな影が動いた。どすん、どすんと大きな音と震動をもたらしながら、それはベクタのすぐ後方にまで歩いてきた。

 

 ドラゴンだった。全身を隙間なく黒い鱗で構成された甲殻で覆い、リラン、冬追、飛竜といったモノ達とは違って首がとても長いが、一方で頭部と顔はリラン達と同じくらいの大きさだ。そして飛竜達とは比べ物にならないほど立派な一対の角が生えている。尻尾は身体を超えるほどに長く、背中からは巨大な漆黒の翼が生えていて、空を覆い隠さんとしている。

 

 まさしく現実世界における神話や御伽噺(おとぎばなし)の中に登場するブラックドラゴン――黒龍とも言うべき存在が、ベクタの背後で堂々と立っていた。

 

 その時、キリトは以前ドロシーとダハーカから聞いたベクタの神話を思い出した。暗黒神ベクタは暗黒界に生きる全ての生命を支配するだけじゃなく、黒龍と呼ばれる強力な《使い魔》を従える《ビーストテイマー》でもあると。

 

 こいつがその黒龍なのか。なるほど確かに、暗黒神ベクタの《使い魔》としては十分すぎるほどの姿だ。まだ戦ってすらいないが、戦闘能力も抜きんでて高い事だろう。なんて言ったって暗黒界の頂点に立つ魔王の《使い魔》なのだから。

 

 だが、今の声はいったいなんだ。あの声の持ち主と言えば――。

 

「なんだ……!?」

 

 ふと思った事を口にしたところ、信じがたい事に、黒龍が首を傾げるような仕草をした。

 

《あぁ、あまりにも姿が違うから、わたくしだとわからないのですね。わたくしですよ、キリトさま》

 

 キリトは限界付近まで目を見開きそうになった。こちらに《さま》を付けて呼ぶ癖、クィネラと同じ《わたくし》という一人称。そして身体の小さな少女の声色。これら全ての特徴が重なり合っている人物を、キリトは一人だけ知っている。だからこそ信じられなかった。

 

「まさか、大教皇……!?」

 

《そうですよ、キリトさま。これがわたくしの本当の姿でございます》

 

 その事実にも驚かされる。あのゴスロリ姿の小さな少女の姿は仮初(かりそめ)の姿であり、今の黒龍としか言いようのない姿こそが、あの大教皇の本来の姿。そして大教皇こそがベクタの《使い魔》であり、自分達はずっとベクタの《使い魔》と話をしていた。

 

 真実の濁流に押し流されないようにするので精いっぱいになりそうだった。その中で、黒龍はベクタに顔を近付ける。

 

《マスター、キリトさまの事を憶えていらっしゃいますよね?》

 

 ベクタは黒龍に目を向けつつ、その目を細める。

 

「……キリト? 誰だったか」

 

《ほぉら、《GGO》で絶剣さまと交戦した時に、一緒に居た人達がいらっしゃったではありませんか。キリトさまは、あの時の黒髪の剣士ですよ》

 

 大教皇はわざとこちらにもチャンネルを合わせて話しているようだった。その中に登場した言葉の数々にキリトはもう一度目を見開かせられる。絶剣、《GGO》、黒髪の剣士。絶剣とはユウキの二つ名であり、《GGO》は《ガンゲイル・オンライン》の事だ。

 

 そしてそれらは、例えアンダーワールド人ではなくても、自分達と関りがないと知り得ない事である。何故こいつはその事を知っている? いよいよ呆然としそうなキリトに向き直るなり、ベクタは突然笑い出した。

 

「そうか、そうだったか。こいつはあの時絶剣と共に居た剣士だったか! よもや、こんな場所で再び相まみえる事となるとはな!」

 

 まるで忘れていた真実に気付いて、笑いが止まらないかのようだった。そこでキリトの中に思い出された事があった。

 

 この男から放たれている、周囲の雰囲気さえ変えてしまうほどの凍て付くような殺気と、全てを呑み込む虚無のような闇と、底知れぬ悪意。これらを感じ取ったのは今が最初ではない。ずっと前にも感じさせられた事がある。

 

 ユウキを絶剣と呼び、斬りかかる彼女を叩き伏せ、そして鋼鉄の黒龍を従えていたガンナーが、今まさにベクタの《使い魔》が口にした《GGO》に居た。その思い出された常軌を逸したガンナーの姿と、目の前にいるベクタの姿が重なり合い――完全に一致した。

 

「お前はまさか……サトライザー!?」

 

 ベクタは「ふはははっ」と笑った。正解を引いたこちらを笑っているのだ。

 

「その通りだ、絶剣の友人よ。私からしても意外だ。お前とこのような場所で再び出会う事になるとはな」

 

 やはりベクタは、あの時のサトライザーで間違いないようだった。そしてこれによって合点がいった。暗黒神ベクタとなった者が、何故ここまで悪逆非道な事をして、人界人も暗黒界人も苦しめて破滅させるような真似をしていたのか。

 

 その答えは、暗黒神ベクタがあのサトライザーだったから。暗黒神ベクタがこれまで取っていた行動は全て、《GGO》であれだけの厄災を振りまき、自分達を、リエーブルを苦しめていたサトライザーならばやりかねない行動そのものだった。

 

「……何も変わってないんだな、お前。《GGO》でも十分に酷い事をやりまくってたのに、こっちに来たらもっと酷い事やってやがる」

 

「そう言うお前も変わっていないようだな。《GGO》でも何かを守ろうとする守護者(ガーディアン)のようだったが、この世界でもそんな事をしているのか。相変わらず興味深い奴だ」

 

 サトライザー/ベクタは不敵に笑っていた。その口調こそ違うものの、言っている内容はどこかハンニバルを彷彿とさせる。PoHというハンニバルの忠臣と戦った後だから、そんなふうに感じてしまっているのだろうか。

 

「だが少年よ、お前の相手をしている暇は私にはない。私はこのターゲットを連れ出さねばならんのだ。お前は私と戦いたがっているようだが、期待に応えてやれそうになくてすまないな」

 

 ベクタは振り向き、黒龍に声をかけた。

 

「ジブリル、そう言えばお前の放ったアレはどうなっているんだ」

 

 《ジブリル》と呼ばれた黒龍は上を向いた。リラン以上に表情がわからないような顔つきをしているというのに、微笑んでいるというのがわかった。

 

《……ごめんなさい、マスター。どうやらあの《矢》をそのまま放ったのが良くなかったようです。なので、わたくしの方でもう一度操りますね》

 

 ジブリルは《声》でそう伝えたかと思うと、突然その咢を開き、咆吼した。リランや冬追のものとは全く性質の異なる、金属音が混ざっているような異質な生物の咆吼だった。今のいったい何だ。

 

 ジブリルは何をした――そう思ってジブリルの見つめる空を見上げた直後だった。魔界のそれと呼ぶに相応しい空に、紫色の光の粒が複数個見えた。

 

 最初は星かと思ったが、まだ昼なのでそれはあり得ない。更にその刹那、紫の光の粒はあっという間にその数を増やし、空を覆い尽くすほどにまでになった。そして光の粒は――大きさをも増していっていた。

 

 いや、違う。大きくなっているのではなく、近付いてきている。何かが高高度から地上目掛けて降ってこようとしている。

 

《さぁ、暗黒神ベクタさまに《まつろわぬみなさま》はまつろう、《まつろうみなさま》はより大きな力を持ってまつろう時です》

 

 ジブリルの《声》がはっきり聞こえた次の瞬間、キリトはかっと目を見開いた。降ってきているのは、鋭利なものだ。大きさ自体はそこまでのものではないが、とにかく鋭利な槍とも矢ともつかないものがやってきている。

 

「避けろッ!!」

 

 キリトは咄嗟に皆に回避指示を下して、有効かどうか定かではないものの、後方へダイブして飛来物を避けようとした。間もなくして、どすんという柔らかいものに鋭く尖ったモノが刺さったような音が連続して聞こえてきた。

 

 キリトは顔を上げて周囲を確認し――一瞬動揺した。近くで同じように回避行動を取ったものの、上手くいくかどうかがわからなかったために身を強張らせていたユージオ、メディナ、グラジオ、エルドリエ、リランに飛来物は当たっていなかった。それどころか、地面に突き刺さったであろう飛来物の姿さえも見当たらなかった。

 

 てっきり紫色の光を纏う槍もしくは矢が雨のように降って来たかと思ったというのに。今のはいったい何だったというのだろう。

 

「!? レンリ殿ッ!!」

 

 その時、叫び声が聞こえてキリトは驚いた。声の主はエルドリエのようだった。焦燥に駆られながらそちらに向き直ったところで、キリトは絶句した。そこにはレンリが居たのだが、その鎧に守られているはずの胸元に深々と何かが突き刺さっており、それを信じられないような顔で見つめていた。

 

 彼の胸を貫いていたのは、矢だ。しかもただの矢ではなく、赤黒く禍々しい形状をしている。その姿にキリトは見覚えがあるような気がした。つい先程も、これを見なかっただろうか。その時は確か――。

 

「あ゛あ゛ッッ」

 

「う゛ッッ」

 

 続けて悲鳴と呻き声がした。そちらを確認したところ、レンリと同じように胸に禍々しい矢が刺さっている者達が何人も見受けられた。シャスターに従わずベクタに従っていた暗黒騎士、亜人の戦士、ディー・アイ・エルに付き従っていた暗黒術師達もその中に含まれている。誰もが何が起きたのかわからないような顔をしていた。

 

「えっ、何……何よそれ……?」

 

 今起きている事を知っているだろうと思っていた暗黒術師ギルドの長であるディー・アイ・エルは、果たして驚愕しきったような反応をしていた。彼女でさえ、今自身の管轄(かんかつ)するギルドの構成員達の身に起きている事がわからないらしい。

 

 やがて、レンリに刺さっていた禍々しい矢が一瞬にして赤黒い光の粒子の群れに分解され、レンリの身体の中へ飛び込むように消えていった。周りの者達の胸に突き立てられていた矢もまた、同じように禍々しい光の粒子となってその身体へと飛び込んでいく。

 

「あっ、ああああっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ」

 

 次の瞬間、レンリは頭を両手で押さえ付けて悲鳴を上げ始めた。逃げようのない激しい苦痛に襲われているかのようだ。そして周囲の者達もそうだ。ある者は激しく転げ廻り、ある者は頭を地面へ叩き付け、ある者は地面に倒れて激しく痙攣している。

 

 いずれにしても、あの矢によって苦痛が世界にばら撒かれたのだけは確かだった。

 

「いやああ゛あ゛あああ゛ッッ」

 

「ディーさま、たすけ、だずげ、だずげでぇえぇッッ」

 

 暗黒術師達の中にはディー・アイ・エルに助けを求める者も居た。ディー・アイ・エルは身動き一つできず、苦痛から逃れようとしている部下達が手を差し伸べてくる様を呆然と見ているだけだった。

 

 そして、悪夢が始まった。

 

 どこからともなく大小様々な赤黒い光の粒子が湧き上がってきて、空間中を満たしてきた。それらは河川のように流れを作り、苦痛に悶える者達の体内へと吸い込まれていく。

 

 その時既に、キリトは次に起きるであろう事象をイメージできていた。これは――ダハーカとカイナンを襲った現象と同じだ。そしてその既視感通りの事象が現実となる。レンリを含んだ暗黒騎士、暗黒術師、亜人戦士達は、赤黒い光の球体となった。

 

 矢を受けずに済んだであろう者達が唖然としている中、禍々しい卵は孵化し、殻を破って中から巨大な影が姿を見せてきた。キリトはその中でレンリが居た空間に現れた卵のあった方へ顔を向ける。卵は既に(かえ)っていた。

 

 怪物だ。神話に登場する鳥を歪に解釈したような姿で、片翼が緑色の羽毛で、もう片方が黒い装甲のみで構成されているという、異形の鳥の怪物が生まれていた。更に周りを見てみれば、人よりもずっと身長が高い巨大な鬼や、異形の蛇や蜥蜴(トカゲ)、或いは多足の蟲といった、数多の巨大な異形が戦場を満たしていた。

 

 それらに共通している事は、やはり身体のあちこちに黒い装甲のような人工物らしき部位が存在している事だった。それは紛れもなく――。

 

「《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》……!!」

 

 ダハーカとカイナンが陥ったモノと同じだった。ダハーカとカイナンは、突然飛んできたと思わしき矢が刺さった直後に、《EGO化身態》となった。そしてレンリ、暗黒騎士達、暗黒術師達、亜人戦士達も、黒龍が放ったであろう矢が刺さったすぐ後にこうして《EGO化身態》となった。

 

 考えられる答えは一つしかない。あれは突き立てられた者を《EGO化身態》へと変えるという、悍ましい性質を持ったモノだったのだ。そんな兵器が存在しているという事が信じられない。

 

「うわ、うわああ、ああああああッッ」

 

 暗黒騎士の悲鳴がした。《EGO化身態》となった同胞達に襲われそうになっていて、腰を抜かしている。

 

「やめ、やめ……だっ、誰か、ベクタ様、大教皇様、助けてえええッッ」

 

 当然ベクタは助けるわけがない。大教皇も同じだ。二人揃って冷徹な笑みを浮かべて周囲を見回しているだけである。それでも残された暗黒騎士、暗黒術師、亜人戦士達はベクタと大教皇に助けを求め続けていた。そこへじりじりと《EGO化身態》がにじり寄る。

 

 そのうちの巨大な剣らしきものを持った鬼のような姿の《EGO化身態》が、その得物を振り上げた。キリトは咄嗟に助けに入ろうとしたが、間に合いそうにない。

 

《だあああああああッ!!》

 

 駄目か――そう思ったその時に轟いた声があった。同時に金属同士が激突したような鋭い音が鳴り響く。襲われそうになっていた暗黒騎士達と《EGO化身態》の間に、茜色の巨大な影が割り込んでいた。

 

 全身を隙間なく茜色の鎧に包み込んだ鋼鉄のグリフォンナイト――《EGO》を纏ったグラジオだ。彼の方がこちらよりも暗黒騎士達の近くに居たために、助けに入れたらしい。

 

《早く逃げてください!!》

 

 グラジオは背後に居る暗黒騎士に声を飛ばしていた。ほぼ即座に暗黒騎士の一人から声が返される。

 

「なっ、なんで!?」

 

 暗黒騎士達は驚いていた。突然の鋼鉄の獣の登場ではなく、敵対しているはずの人界側の勢力に助けられた事に驚いているようだ。当然と言えば当然の反応だが、そんな事をされていては困る状況だ。

 

 更に続けて、グラジオが抑えている《EGO化身態》の元へ一人の少女が躍り出て、その手に携えた長剣で一閃を浴びせた。グラジオを《傍付き練士》としているメディナだった。

 

「いいから早く逃げろッ! 知りえただろう!? ベクタは、お前達の主神と大教皇はあぁいう奴だ! お前達の事なんて微塵も考えていなければ誰の味方でもない、冷血野郎だ!!」

 

「私達の事を、微塵も考えていない……?」

 

 メディナの言葉に反応したのはディー・アイ・エルだった。何もかもが信じられないでいるような顔をして突っ立ち、いつの間にか喰らい付き合っている《EGO化身態》達を見ていた。完全な茫然自失といったところらしい。しかし、そのままにしているかと思いきや突然(きびす)を返し、一目散にどこかへ走り出した。そこは黒龍とベクタの元だった。

 

 ベクタはアリスを抱えて黒龍ジブリルの背中に跨っている。魔王の絵画を描くならばこれ以上ないくらいの、見事な構図だった。

 

「大教皇様、これはどういう事なのですか!? 何故、私達暗黒術師ギルドの者達までも、あのような怪物に!?」

 

 かつての大教皇であったジブリルの《声》が頭の中に響いてくる。

 

《ディーさま、これまで何度もお手伝いしていただけて、本当に嬉しかったですし、楽しかったですわ。あなたさまはご自分の役目を本当によく(まっと)うされました》

 

「そんな……話が違うではないですか! ベクタ様が降臨され、人界を制圧した暁には、暗黒術師ギルドを暗黒界の皇族にし、私を王にするって……だから私はあんなにもあなたに尽くして……!」

 

《ディーさま、やっぱり暗黒界の王に相応しいのはベクタさま……わたくしのマスターだけですわ。だってディーさまの実力では、マスターどころか、わたくしにも敵いませんもの。違いません事?》

 

 直後、ディー・アイ・エルは俯いた。表情は伺えないが、あまりにも巨大な絶望に見舞われて意気消沈しているのかもしれない。

 

 人界を制圧した後、暗黒術師ギルドは暗黒界の皇族となり、その長であるディー・アイ・エルが王となる。如何にもディー・アイ・エルが考えていそうな夢と目標である。それが叶わぬ夢であるという事実を突きつけられて、打ちのめされているのだろう。

 

《ディーさま、今までありがとうございました。さぁディーさまも、よりベクタさまにまつろうお姿に――》

 

 その言葉は最後まで続かなかった。

 

 五秒にも満たないほどの時間で起きた事だった。黒龍ジブリルが動こうとしたその次の瞬間、ディー・アイ・エルが瞬時にその指を触手化させて伸ばし、近くに居た《EGO化身態》のうちの一匹を捕まえ、そのまま思い切りジブリルの顔面に投げ付けたのだ。

 

 あまりの速度で繰り広げられた光景にキリトは瞬きを繰り返すしかなくなっていた。そして顔面に《EGO化身態》を投げ付けられたジブリルはというと――微動だにしていなかった。該当箇所に全く傷が付いていないので、効かなかったようだ。だが、きょとんとしたような顔はしている。

 

「……おい、ディーとやら。何の真似だ?」

 

 サトライザー/ベクタが目を細めて尋ねると、ディー・アイ・エルはかっと顔を上げた。

 

「そういうのやめてもらえるかしら……一番本気で腹立つのよッ!!!」

 

 ディー・アイ・エルは怒声を放つなり、闇のエネルギーを周囲に集結させ、弾丸に変えて連射した。その先に居るのはジブリルだが、しかしディー・アイ・エルの猛烈な怒りの炎の化身であるエネルギー弾を浴びても、ジブリルは平然としていた。それがディー・アイ・エルの怒りを更に燃え上がらせ、より激しい弾幕を浴びせるようになる。

 

「ジブリル、時間が惜しい。そろそろ行くとしよう」

 

《そうですわね。了解です、マスター》

 

 ディー・アイ・エルからの弾幕を涼しい顔で浴びているジブリルは、ベクタの声に応じるなり、その巨大な漆黒の翼を広げた。そして力強く羽ばたき、烈風と共に空へと舞い上がった。

 

《それではみなさま、ごきげんよう》

 

 大教皇の時と同じ《声》と態度で告げ、魔王を乗せた黒龍は暗黒の空の彼方へと飛行を開始した。追おうとしたが、その時には既に抱えられているアリスの姿が確認できないほどに遠ざかっていた。

 

「アリス、アリス――――――ッ!!」

 

「待ちなさい!! 待てって言ってんのよ大教皇――ッ!!」

 

 ユージオとディー・アイ・エルの絶叫が重なった。ディー・アイ・エルは黒龍の飛んで行った方角に暗黒弾を撃ち続けていたが、やがてそれを見ているのは叶わなくなった。周囲の《EGO化身態》が一斉に敵視を向けてきたからだ。

 

《おのれあいつらめ、このような外道な方法を使って来るとは!》

 

 リランが《声》を出しながら《EGO化身態》達に火炎弾ブレスを浴びせる。その威力は《EGO化身態》であろうとも十分なダメージを与えられるほどであるが、一体倒してもまた次の《EGO化身態》が襲い掛かってくる始末だ。そして倒したように見えた《EGO化身態》も起き上がって再度押し寄せてくる。

 

 《EGO化身態》はそもそも一体だけが相手でも容易に討伐できるような存在ではない。それが群れを作って絶えず襲い掛かってきているなど、悪夢以外の何物でもないような状況だ。そして《EGO化身態》を《EGO》を使えない者達で倒すとなると、時間ばかりがかかり、じり貧となる。

 

 ベクタとジブリルはそれをわかったうえで、この状況を作ってきたのだろう。

 

「くそぉッ!!」

 

 キリトは吐き捨てるように言いながら、《EGO化身態》となったレンリに斬りかかる。このまま戦い続けようものならば、ベクタとジブリルの思い通りにしかならない。リランの背中に乗って飛び立つ必要があるが、周りの《EGO化身態》が多すぎて、飛ぼうにも邪魔され、落とされるのは目に見えている。そして落とされれば袋叩きにされて終わりだ。

 

 いや、ベクタとジブリルという共通の敵を見出し、この人界と暗黒界が協力しつつある戦況を放置するわけにはいかない。だが、どうすればいいというのだろうか。何か、何かないか。この氾濫のような混沌を鎮圧して、ベクタの思惑を打ち砕く手段は――。

 

 

 ――キリトッ!!

 

 

 名を呼ばれたような気がして、キリトははっとした。かと思えば、今まさに覆い被さろうとして来ていた《EGO化身態》となったレンリが、一筋の光に貫かれて倒れた。物理的なものではなく、膨大なエネルギーで構成された刃に貫かれたかのようだった。

 

「えっ」

 

 呆気に取られたキリトはそんな声を漏らすしかなかった。今、何が起きた。神聖術か? いや、だとしても《EGO化身態》を一撃で倒せるほどの神聖術なんてあるだろうか。そもそもそんなものはもっと大規模な術になるはずで――。

 

《……ふっ、ふふっ、ふはははははは》

 

 麻痺しそうな頭で思考を巡らせていると、またリランの《声》がしてきた。しかしそれが笑っているものだから、わけがわからなかった。

 

 キリトはリランの方へと向き直った。リランは狼竜の顔でもはっきりわかるくらいに笑って、空を眺めていた。いったい空に何があるんだ。そう思ってリランの見ている方向に視線を向けた。

 

「あ…………ふ、ははは……嘘だろ……」

 

 キリトは思わず笑った。空に暖かい金色をした光の柱が立ち上っている。いつの間にあんなものがと思うよりも先に、その中の一つをよく確認したところ、笑うしかなくなった。

 

 キリトにとって最愛の人が、その中に居たからだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。