キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 何回ぶりかわからない、キリシノ回。


17:俺の大切な君

          □□□

 

 

 ユウキとカイムにとっての因縁の相手であったサトライザー。この世界へ暗黒神ベクタとなって降臨した彼の者は、ずっと勝ち続けていた相手であるユウキとカイムの二人によってついに敗北し、アンダーワールドから強制的に排除された。

 

 大教皇という小さな少女の姿を取って、ダークテリトリーを支配していた黒龍もまた、《ビーストテイマー》であるサトライザーがこの世界から脱した事により、同じように光に包み込まれて消え去った。

 

 連れ去られようとしていたアリスの身柄は、無事に取り戻す事ができた。彼女は精一杯サトライザーに反抗していたが、内心とても恐ろしかったらしく、サトライザーが消えたのが確認されるなり、すぐさま恋人であるユージオに抱き付き、その胸の中で泣いていた。ユージオも愛する人を取り戻せた事への安堵(あんど)が切っ掛けとなったのか、同じようにアリスを抱き締めて泣いていたのだった。

 

 サトライザー/暗黒神ベクタの討滅から二日後。彼の者の身勝手によって引き起こされた戦争は、停戦という形で収束した。人界とダークテリトリーという実質的な二か国間には、遺恨はあるものの、それを乗り越えて、今度こそ和平条約を結ぼうという流れになってきていた。

 

 勿論、双方共に傷付け合った事実は消えないし、死者が(よみがえ)るわけでもない。だが、そもそもの発端は暗黒神ベクタの洗脳術と、大教皇であった黒龍の放った《矢》による将兵達の強制的な《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》化である。それらの大厄災を乗り越えるために、戦場に居た者達が敵味方関係なく協力し合った事。それらが、皆の心に大きく作用したようだった。

 

 おかげで、キリト達を含めた人界人達は、カイナンのくれた《冥漠(めいばく)の香水》を使用せずとも、ダークテリトリーを歩き回れるようになっていた。

 

 それだけではない。これまでずっと差別や迫害を受けていた《アメンク》と呼ばれる者達の扱いが、目に見えて変わった。ダークテリトリーの将兵達が暗黒神ベクタの洗脳で理性と正気を失って凶暴化する中、そうならなかった《アメンク》達の活躍によって守られた命が無数にあったのだ。

 

 《暗黒神ベクタにまつろう》とはどういう意味だったのか。《まつろわぬもの》とはどういうものだったのか。それを戦争で身をもって思い知った者達は、《まつろわぬもの》への見方を一八〇度変えた。

 

 それまでの差別の一切をやめて愚行を謝り、その贖罪(しょくざい)をするかのように《アメンク》達を恩人として、同胞として接するようになった。《アメンク》は《まつろわぬもの》だから追放対象――各種族のそんな認識が変わるのも時間の問題であろう。

 

 そして、両国が再び和平の道へと歩み寄る切っ掛けを作り、今回の停戦の実質的な立役者となった《アメンク》の一人は、今もずっと眠り続けたままだった。その日の夜の始めに、そんな英雄の《アメンク》というべき人となった人の元へ、キリトはユージオ、アリスと共に足を運んだ。

 

 暗黒界人だけではなく、人界人も迎え入れるようになったオブシディア城の一角にある部屋がそこだった。二回ノックし、ドアを開いて中に入る。そこは比較的簡素な部屋だった。装飾らしい装飾は特になく、部屋の中央付近に椅子とテーブルが、隅にベッドが置かれているだけの部屋だ。

 

 そのベッドの上に、件の人物は眠っていた。雪のように白い髪で、暗黒界人でありながら人界人と変わらぬ色の肌をした少女。身を包んでいるのは重々しい鎧ではなく、その下に着ている黒いシャツとスカートのセット。眠っている最中にかかる身体の負荷を減らすためだった。

 

 その(まぶた)は閉じられたまま、全く開く気配を見せない。しかし、耳を澄ませば寝息が聞こえてくるし、上半身を見れば胸元が非常にゆっくりと上下しているのがわかる。死んでいない事だけは確かだった。

 

「今日になったら起きてるんじゃないかって思ったんだけど……そうでもなかったみたいだね……」

 

「やっぱり、かなりの重症なのね……」

 

 ユージオとアリスが残念そうに(つぶや)いた。それはキリトも思っていた事だった。二日もあればきっと起きてくれる――そう願っていたのだが、しかし彼女はこんこんと眠り続けたままだった。

 

「そうしょぼくれるな。それでは見舞いとは言えないぞ」

 

 少女の近くに立っている、重厚な鎧を着た黒髪の偉丈夫(いじょうふ)が振り向いてくる。暗黒騎士団の団長であり、圧倒的に数を増した暗黒界の和平派を取りまとめるリーダーでもあるシャスターだった。その近くには彼の婚約者とされる女性リピアの姿もあった。

 

「シャスターさんとリピアさんも来てたんだな」

 

 この二人が居る事は意外だった。シャスターもリピアも、先の戦争によって勢力を一気に強くした和平派の筆頭みたいなものである。彼らをまとめるために、ここに来る余裕などないのではないかと思っていた。そんな二人のうち、リピアが答える。

 

「暗黒騎士団のごたごたは、割と個人個人でなんとかできているの。《アメンク》のみんなが差別されなくなって、戦争推進派が大勢戦死したのもあるかもしれないわね」

 

 リピアはどこか複雑そうだった。確かに、先の戦争では人界の侵略と略奪を考える《暗黒神ベクタにまつろうもの》達が率先して突撃していったのだろう。そして暗黒神ベクタと黒龍という――あの場に居合わせていたメディナ(いわ)く――冷血野郎達に従ったばかりに、無数の将兵達が無駄死と犬死にをしたに違いない。

 

 そんな大厄災を生き延びたのは、《暗黒神ベクタにまつろわぬもの》である《アメンク》達。真実を知らず、差別と迫害をしていた者達が徒に落命し、それを受けていた者達が生き残って、後の世界を見ていく事になるとは、なんという皮肉だろうか。

 

 いや、これもある種の因果応報なのかもしれない。《アメンク》を差別していた者達は、それ自体がツケだったという事を知らずにやり続け、最終的にその命で支払いをする事になってしまった。そういう事なのかもしれない。

 

「それに、ドロシーにあぁも言われてしまっては、放っておく事もできなくなってしまった」

 

「あぁ、シャスターさんをとうさんって呼んでたもんな、その()。それがシャスターさんにかかっていた洗脳を弱くしてくれたんだ」

 

 キリトにそう言われて、シャスターはドロシーを見下ろした。そこでキリトは驚かされる。出会った時から、シャスターは生真面目(きまじめ)で堅物のような人だと思っていた。その鉄仮面のような表情も基本的に変わらないものだと。

 

 だが、今のシャスターはというと、柔らかく優しい目線をドロシーへ送っている。それは(まぎ)れもなく、娘を見る父親の顔だった。リピアも合わせて、病気や重傷で昏睡している愛娘(まなむすめ)を心配する両親にしか見えなくなってきていた。

 

「俺をそんなふうに思ってくれていたとはな……本当の父親もちゃんと居るというのに」

 

「ドロシーは本当のとうさんの事をほとんど憶えていないんだ。だから、どうしてもシャスターさんの方の事をとうさんだって思っちゃうんだろうな」

 

 キリトは戦争中にドロシーの言っていた事を話していた。本当は本人に伝えさせるのが一番良いというのはわかっているのだが、しかしドロシーはこうして昏睡したままである。

 

 それに、仮に彼女が目を覚ましたとしても、あの時語っていた気持ちを素直にシャスターとリピアに伝えられるかは、彼女の性格面から考えて怪しいところがある。

 

 だが、あれはいずれにしてもシャスターとリピアに伝えねばならない事だ。もしかしたら彼女が望んでいない事だったかもしれないが、それでも伝えずに居るという事は、キリトにはできそうになかった。

 

「ドロシー、全然起きない。ほっぺをいっぱいつんつんしたけど、起きない」

 

 ドロシーの近くには小さな少女の姿もあった。なんとなく紫がかっているように見える黒髪をツインテールにしていて、暗黒界人特有の浅黒い肌。ドロシーとダハーカの二人と共に人界へ転がり込んできたサライだった。リピアの経営する孤児院に保護されている子供であったという点がドロシーとダハーカと共通している。サライの言葉に答えるようにして、シャスターが呟く。

 

「広範囲に及んでいたベクタの洗脳術にやられていた俺達を元に戻させる神聖術を使ったんだ。並大抵じゃない《天命》が消費されてしまったのだろう。そんな短期間では起きられないだろうな」

 

「このままずっと目を覚まさないとか、そういう事にはならないよね……?」

 

 ユージオが不安そうに言うが、シャスターは首を横に振る。

 

「何とも言えないな。やはりここは一つ、人界の最高司祭殿という者に要請を――」

 

 シャスターが言いかけたその時、連続する大きな音が部屋の中に飛び込んできた。それは力強い足音だった。徐々に大きくなってきているので、誰かが大急ぎでこちらに走ってきているのが推測できた。それだけじゃない。足音は高頻度で鳴っている。複数人がこちらへ来ている。

 

「ドロシー!!」

 

「ドロシーさん!!」

 

 ドアが勢いよく開かれたばんっという音と、怒声にも近しい大声が飛び込んできた。何事かと思って驚きながらそちらに向き直ったところで、キリトは言葉を出せなくなるくらいに目を見開く事になった。

 

 部屋に飛び込んできたのは、二人組だった。片方は紺色の体毛に全身を包み、その上から紫色のアーマーを着込んだ、凛とした目つきと輪郭(りんかく)の狼男。もう片方は腹が大きく出た体型で、ゆったりした服を着用し、頭にターバンを巻いているのが特徴的な暗黒界人の男。

 

 一瞬見間違いかと思った。夢なのではないかとも思った。だが、そう思っても彼らは消えず、この場に留まり続けていた。

 

「ダハーカ、カイナン!!?」

 

 キリトの呼びかけにシャスターもリピアもサライも、ユージオとアリスも驚く。ドロシーの兄であり、暗黒騎士団の中でも上位の立場に居るとされる、オーガ族の《アメンク》であるダハーカと、商工ギルドの一員であり、ダークテリトリーに来た自分達を案内すると同時に色々とお使いをやらせていたカイナンに違いなかった。

 

 二人は先の戦争の最中に自分達と共に行動していたが、途中で黒龍の放った呪物である《矢》を喰らってしまい、《EGO化身態》となってしまった。()(すべ)のなかった自分達は、シノンに囮を買ってもらう事で逃げ延びる事ができたが、それ以降どうなっていたのかは把握できていなかった。

 

 もしかしたら元に戻れはしたものの、戦死してしまっていたのではないかとも思っていた。

 

「キリト!」

 

「キリトさん!」

 

 二人はキリトの呼びかけに応じてきた。大分疲れが見えているが、そこまで酷くはない。

 

「二人とも、生きてたのか……!」

 

「貴殿も生き延びてくれていたのだな……」

 

「キリトさん、まさか、またこうしてお会いできるとは……もうこのような事はないとばかり思ってしまっていました……!」

 

 どちらも喜びを隠しきれないような顔をしていた。きっと自分もそんな顔をして二人を見つめているのだろう。二人は自分を写している鏡なのかもしれない――そんな気もした。

 

「けれど、二人ともどうして。二人はあの時、《EGO化身態》になったんじゃ」

 

「えぇ、周りの兵士達と一緒よ」

 

 部屋の中へと割り込んでくる声があった。軽く驚きながら向き直ると、シノンがやってきていた。先の戦争時と同様に《太陽神ソルス》の装備と衣装に身を包んでいる。

 

「シノン」

 

 キリトの呼び声に答えるようにして、シノンは事情を話してくれた。

 

 先の戦争で自分達がアリスを連れ去った暗黒神ベクタ/サトライザーを追っていた最中、スーパーアカウントを使用する仲間達が《EGO化身態》となった将兵達の鎮圧に当たってくれた。

 

 それはスーパーアカウントそのものと、彼女達の使う《EGO》のおかげで迅速に行われ、瞬く間に《EGO化身態》となった将兵達は倒され、元の姿を取り戻していった。そんな大規模鎮圧戦が終盤に差し掛かった頃、スーパーアカウントに備わっている能力によって無限飛行していたエイジとユナ、その《使い魔》であるヴァンが残っている《EGO化身態》を探していたところ、主戦場から離れたところで取っ組み合いを続けている奇妙な《EGO化身態》を発見。

 

 倒すべき敵として教えられていたそれを見つけたエイジは、迷う事なく二体の《EGO化身態》をその《EGO》で切り裂いた。既に弱っていたというのもあるが、エイジにユナがバフをかけて強化していたために、一撃で二体の《EGO化身態》は倒れ、元に戻った。

 

 そうして現れてきたのが、ダハーカとカイナンだったそうだ。当然二人の事を知らないエイジとユナは、ヴァンの言葉もあってすぐに捜索へ戻ろうとしたが、二人がキリトの名を口にしたのを聞いた事で立ち止まり、他の者達とは違う特別な二人だと思い、連れ帰ったのだという。

 

 三人の手助けによって無事に生還できたダハーカとカイナンは、オブシディア城内の病院区画へと運び込まれ、他の将兵達と同様に入院を余儀なくされていた。しかし他の将兵達と比べて軽傷()つ回復が早かったために、こうして翌日退院してここへやってきた――という事らしい。

 

「ダハーカ、カイナン……《EGO化身態》となっていたと聞いていたが、生き残ってくれたとは」

 

 彼らのボスに当たるシャスターと、上官であるリピアも驚きと感動を隠せないようだった。特にリピアに至っては口元を抑えて涙を零しそうになっている。それはドロシーだけではなく、ダハーカの事も息子のように思っている事の証左だった。そんな二人を見て、ダハーカも目を見開く。

 

「シャスター様、リピア様、よくぞご無事で……!」

 

「キリトさんだけじゃなく、お二方とまで再びこうしてお会いできるとは……希望は捨てずに取っておいてよかったです」

 

 カイナンも泣きそうになっていた。まさか、またこちらへ抱き付いてくるつもりではないかと、キリトは一瞬身構えそうになったが、果たして彼が向いたのはドロシーの方だった。

 

「ですが……ドロシーさん……」

 

 カイナンに続いて、ダハーカが飛び付くようにドロシーへ近付いた。目の高さを同じにして、顔を覗き込むようにして声をかける。

 

「ドロシー、拙者だ。にいさんだ。わかるか? 聞こえるか?」

 

 愛する家族である兄の声を受けても、妹は無反応を貫いていた。もしかしたらダハーカの声を聞けば、ドロシーも昏睡から起きるのではないかと思ったが、やはりそう上手くいってはくれなかった。ダハーカはその手を伸ばし、眠るドロシーの頬に優しく置いた。

 

「ドロシー……よくやってくれたぞ。全部お前のおかげだ。にいさんはとても誇らしいよ」

 

 手元だけではなく、声もまた優しかった。カイナンがキリトへと振り向いてくる。

 

「一日だけでしたけど、病院区画に入院している間、ワタシとダハーカさんはベッドが隣同士でした。そしたら、暗黒騎士団の鎧と、商工ギルドの服を着た亜人族の方々が沢山お見舞いに来てくれました。《アメンク》の皆さんです。彼らは皆、ドロシーさんのおかげで助かった、ドロシーさんのおかげで《アメンク》は差別されなくなったと口々に言って、感謝していました。そして、キリトさん達が暗黒神ベクタと大教皇を討ってくれたおかげで、戦争は終わったとも……」

 

 カイナンは改まるような仕草をした。

 

「キリトさん、ありがとうございました。キリトさん達が戦ってくれたおかげで、ワタシもダハーカさんも……いえ、多くの暗黒界の人々が救われました。キリトさん達が居てくれなかったならば、今頃どうなっていた事か」

 

「少なくとも、ベクタの野郎に好き勝手されて、何もかもが破滅していただろうな」

 

 シャスターはそう言って、カイナンの隣に並んだ。

 

「キリト、俺からも暗黒騎士団の長として礼を言う。本当にありがとう。お前達が戦い、ベクタと大教皇を討ってくれたからこそ、俺達はこうして命を繋ぎ止める事ができた。暗黒界も人界も、お前達が救ってくれた世界だ」

 

 シャスターもリピアもサライも、ダハーカもカイナンも心から感謝してくれているようだった。確かにあの時ベクタ/サトライザーを討てていなかったならば、この場に居る全員が死亡し、何もかもがサトライザーの思惑通りに終わっていた事だろう。それを防げたのは何よりであると言えよう。

 

 だが、これで厄災が終わったとは到底思えない。サトライザーと共にこの世界へ降り立っていたPoH(プー)は、(しき)りにBOSS(ボス)がどうだとか言っていた。確実にわかるのは、この世界はPoHのBOSS――自分達の因縁の敵であり、大厄災そのものと言えるハンニバルに目を付けられた。

 

 今は一時退却をしているに過ぎない。近いうちに次の手を打ってくる。今回の戦争よりもずっと対処が難しいか、もしくは完全に攻略不能の理不尽な作戦を仕掛けてくるはずだ。

 

 シャスター達もダハーカ達も、戦争が終結し、人界と争う必要がなくなった事に安堵している。これ以上の厄災が降りかかってくるとは想像もしてない事だろう。まだ終わっていない。ハンニバルという大いなる敵がこの世界を狙っていて、間もなく次の手を打ってくる――そう伝えるべきなのだろうが、果たしてキリトはその気にはなれなかった。

 

 そう見えないように健気に振る舞っているけれども、シャスター達もダハーカ達も先日の戦争で疲労しきっている。そんな彼らにハンニバルの事を伝えるのは、まだ先にしておいてもいいかもしれない。それが悪手であろうとも、キリトは話す気にはなれなかった。

 

 ドロシーは結局まだ起きない――そう把握したキリトはドロシーをすっかり家族のようになっている者達に任せ、部屋に戻った。そこにはシノンも一緒に付いてきて、二人で部屋に入った。

 

 もう戻って来る事もないのではないかと思われていた、和平使節団のために用意された部屋。今はキリト、シノン、リラン、ルコの自室として扱われているそこは、戦争が起こる前と変わっている様子はなかった。簡素なテーブルと椅子が部屋の中央付近に置かれていて、窓はない。

 

 部屋の片隅には二つのベッドが置かれていて、その大きさは二人で寝てもまだ余裕がある。だからこそ、キリトはシノンとルコの三人で使っていた。しかし、これからはここにユイも加わるため、流石に狭くなるかもしれなかった。

 

「ドロシー、起きてなかったわね。重症なのはわかってたけれど……」

 

 シノンが残念そうに呟きながら、部屋の中央へと歩いて行く。キリトは足を止めて、その様子をじっと見ていた。

 

 頬の付近を結わえた白水色の髪に、そこそこ肌の露出が見受けられる、青を基調とした神の装束。背中には短剣のようなものが三本ほど浮いている。それはアンダーワールドの神話に語られる《太陽神ソルス》の姿だった。

 

 それが今のシノンの姿だ。

 

 間違いなく、シノンなのだ。

 

 だが、それは――本当に?

 

「……キリト?」

 

 視線を感じたのだろう、彼女は振り返り、キリトに目を向けてきていた。不思議なものを見ているような表情が顔に浮かんでいる。その声で我に返るわけでもなく、キリトは口を開いた。

 

「シノン」

 

「え?」

 

「自分でもおかしな事を聞いてるって思ってる。けれど、聞かせてくれ。君は本当に……シノンなんだよな?」

 

 彼女は数回瞬きを繰り返した。キリトはそこに付け加える。

 

「本当はあの時シノンは死んでいて……ここに居る君はシノンの人格だとかを模して作られた《太陽神ソルス》そのもの……そういうわけじゃないんだよな?」

 

 彼女は完全にきょとんとした顔になっていた。自分は本当に愚かな事を言っている。けれども、それでもこの事の真偽を確かめずにはいられなかった。ここに居るシノンは本当に自分の愛するシノン/朝田(あさだ)詩乃(しの)その人なのか――その答えを、彼女は行動で示してきた。

 

 キリトにそっと歩み寄ると、その両手でキリトの両頬を包み込んできた。

 

「……そんなわけないでしょう。私はちゃんと生きて、あなたの目の前に居るわ」

 

「……」

 

「話すのが遅れてしまって、ごめんなさい。あの後ね――」

 

 そう言ってから、シノンは経緯を話してくれた。アスナ達にPoHとアガレスの囮を買ってもらって先に進んだ後、ただ一人生存して合流してきたダハーカと、カイナンが黒龍の放った《矢》によって《EGO化身態》になった。

 

 その二体の《EGO化身態》の注意を引く囮になる事をシノンは決意し、実行。リランに自分達を捕まえさせて、先へ進ませた。自分達の姿が見えなくなるくらいになった辺りで、シノンはなるべく遠くへ《EGO化身態》の二体を引き連れようとした。

 

 それは上手くいった。暗黒神ベクタ/サトライザーの元へと向かった自分達に影響が及ばない辺りまで、二体の《EGO化身態》を引き離させる事はできた。だが、そこで《EGO化身態》の二体は怒り狂い、猛攻撃をシノンへ仕掛けた。

 

 シノンは応戦しようとしたが、《EGO》を持ったとしても二体の《EGO化身態》と同等に戦う事などできず、あっという間に天命を全損。現実世界への強制帰還を余儀なくされた。そう、襲撃者達に今まさに攻撃されている現実世界へと。

 

 しかし、そこで運は尽きていなかった。現実世界――オーシャン・タートルに戻ると、スーパーアカウントを使って再ログインするという話になった。当初それは専用の《鍵》が必要で、動かす事はできないかもしれないと言われていたが、シノン達の持つ《EGO》が《鍵》であった事が判明。

 

 そうして、他の皆と合わせて再ログイン。《EGO》を掲げて《専用の言葉》を口にした事でスーパーアカウントが解錠(かいじょう)され、シノンは《太陽神ソルス》となって自分達の目の前に再度現れた――というのが、彼女からの話だった。

 

「スーパーアカウントのロックを解除する専用の鍵の話を聞いた時、どうにもならないんじゃないかって思ったんだけれど……上手くいってくれて本当に良かったわ」

 

「けど、君はあの時……」

 

 キリトの脳裏にフラッシュバックし続けているのは、あの戦争で最も最悪だったと思う出来事だった。守るべきシノンを置き去りにして、先へ進んでいく自分達。遠ざかっていくシノンの背中。伸ばしても伸ばしても届かない手。そして地平線の彼方に消えた、愛する人。

 

 まるでその時に戻ってしまったかのように、鮮明に思い出されていた。目の前の光景に重なってくれていない事が幸いだが、いつそうなるか定かではないくらいだった。

 

「えぇ……でもね、あぁするしかなかったのよ。私があの時囮にならなければ、あなた達は先に進む事はできなかった。もし、《EGO化身態》になったダハーカとカイナンを真っ向から相手取っていたら、きっとアリスを助けられなくて、何もかもがベクタと大教皇の思うままになっていたわ。そうなれば、私達が守ろうとした人々は全員殺されて……アンダーワールドは終わってたんだと思う。だから、あぁやるしか――」

 

 彼女の言葉を、キリトは(さえぎ)った。無意識のうちに音をたてないように静かに歩み寄り、神の装束に包み込まれた、その華奢(きゃしゃ)な身体を抱きすくめた。何度も何度もやった手つきと動きを再現し、しっかりと抱き締めると、全身に温もりが広がってきた。

 

 それは紛れもなく、シノン/詩乃だけが持ち、詩乃を抱き締めた時にだけ感じられる温もりだった。どこまでも心地良く、いつまでも感じていたくなるような暖かさが腕を、肩を、胸を包み込むと、途端に(せき)を切ったように涙が溢れてきた。

 

「ごめん……俺は……君を守らなきゃいけなかったのに……君を危ない目に遭わせるものか、苦しい思いをさせるものかって誓ってたのに……あの時だって、君を守って、君と一緒に先に進まなきゃいけなかったのに……」

 

 きっと恐ろしい思いをしただろう。そして痛め付けられ、耐えがたい苦痛の末にこの世界から放り出された。その時の光景が自分の体験のように感じられて、申し訳なさと、悲しさと、悔しさがいっぺんに押し寄せてきた。

 

「ごめん……俺の、大切な……詩乃(きみ)……」

 

 そう言うので精一杯で、後は嗚咽(おえつ)にしかならなかった。詩乃の身体を抱き締める腕に力が入ってしまう。きっと痛いだろうが、それでもやめる事はできなかった。

 

「……うん……そうよね。そうなっちゃうって、わかってた」

 

 これまで何度も聞かせてくれた優しい声で、詩乃は答えた。

 

「私とずっと一緒に居てくれて、私をここまで愛してくれているあなただもの。あの時、あなたが苦しんでしまう、あなたを苦しめてしまうって……そう思ってた」

 

 背中に柔らかくて暖かい感触があった。詩乃の手だった。

 

「でもね、本当に、あぁするしかないって思ったの。私はあなたと出会う前、ずっと暗闇の中に居た。周りは真っ暗闇で、何にも見えなくて、冷たくて、どこにも行けなかった。冷たい暗闇の中で塞ぎ込んで、震えてる事しかできなかったの。

 けれど、そこにあなたが現れて、私の手を引いて立ち上がらせてくれて、その剣で暗闇を払って、光を見せてくれた。私を光の下に連れ出してくれた。その後、あなたは私が危ない目に遭えば、一目散に駆け付けてきてくれて、私を守ってくれた。私が苦しくなれば、いつも傍に居て、支えてくれた。どの世界に行っても、ずっとそれを貫いてくれてた。それがずっと、嬉しかった」

 

 それはキリト/和人(かずと)の抱く使命そのものだった。詩乃を守り、支え、共に生きていく。自分のやるべき事であり、失いたくない、かけがえのないモノ。それを詩乃が再度教えてくれていた。

 

「でも、私はずっとあなたに守られて、助けられてばっかりで、全然あなたを助ける事も、あなたを守る事もできていなかった。あなたを守るから、助けるからって言っても、そんな事はできないで、結局あなたに助けられて、守られて、支えられてただけだった。もらうばっかりで、何もあなたに返せていなかったわ。

 だから、あの時……ダハーカとカイナンの《EGO化身態》に立ち塞がられてどうにもならなくなったあの時、私の暗闇を払ってくれたあなたの道を、私が切り開いてあげられるって……ようやく、私をいつも助けて、守って、支えてくれるあなたの役に立てるって、そう思ったの。だから私は、《EGO化身態》になってしまったあの二人に弓を引いて、あなたから離れて、あなたを先に進ませる事を選んだの」

 

 詩乃の抱き締める腕に力が入る。二人できつく抱き締め合っていた。

 

「嬉しかったの。あなたの道を切り開いて、あなたを先に進ませる事ができて。そうして、あいつらの目的も野望も台無しにする事ができて……あなたの力になる事ができて、本当に嬉しかった。だからね、もう謝らないで、和人。私は大丈夫だから。ちゃんと、あなたの傍に帰って来たから。もう、本当に大丈夫だから……」

 

 まるで泣きじゃくる子供を慰める母親のような声を、詩乃は和人にかけてくれていた。おかげで涙が徐々に勢いを弱めていき、頭と胸の中が澄んできた。やがて浮き上がってきた、彼女の決死の覚悟と行動のおかげで掴み取れた出来事を事実として一つ一つしっかりと抱き留めるようにして受け入れていき――和人は詩乃の身体を離した。

 

 ほんの数秒の沈黙を置いた後に、和人は顔を上げ、詩乃と瞳を交差させる。

 

「……詩乃、ありがとう。君があの時道を切り開いてくれたおかげで……本当に助かった」

 

 ずっと伝えそびれていた言葉を、ようやく伝えられたところ――詩乃は笑みを返した。何度も見てきた、たまらなく愛おしい笑みだった。

 

「えぇ。あなたの力になれて……本当に良かった」

 

 直後、和人は首を横に振りつつ、胸の内の誓いを口にした。

 

「けれど、あれはあれっきりだ。あんな事はもう繰り返させない。今度こそ、俺が君を守る。君を守るために、どこまでも強くなって、一生君を守ると……誓うから」

 

 詩乃はきょとんとしたような顔になった。大袈裟すぎる、恥ずかしい事を言っているのかもしれない。だが、そうであったとしても、それが和人の胸の内なのだから、他にどうしようもなかった。そんな和人の誓いを聞いた詩乃は――何も言わずに、優しく微笑んでくれた。それもまた、ずっと見てきた微笑みと変わらないものだった。

 

 次の言葉を咄嗟(とっさ)に考えて口にしようとしたその時だった。詩乃が急に手を後ろに回し、顔を逸らした。割と急な出来事だったので、和人は軽く首を(かし)げた。

 

「詩乃?」

 

「うーんとね、和人……その……あの時、あなたの力になれたのは嬉しかったんだけれど……やっぱり、怖かったの。その気持ちがまだ残ってて……それで、あなたとこうしてまた一緒に居られるようになった気持ちとか、戦争が終わってくれた気持ちとか、そういうのが……私の中で色々混ざっちゃってて……整理できてないの……」

 

 詩乃は再度顔を向けてきた。その頬に、赤が射している。

 

「……だからその…………お願い、できないかしら……時間も時間だから……」

 

 詩乃がこうしている時の《お願い》と言えば、一つしかない。それを瞬時に理解できて、和人は身体の内側から熱が込み上げてくるのを感じた。そして自分は今、それに応じられるかどうか。答えを示すようにして和人は回れ右をしてドアへ直行。鍵をしっかりと閉めて――詩乃のすぐ目の前に戻った。

 

 そうして、詩乃が浮かべているのと同じ笑みを返す。

 

「……そのお願い、呑み込んだ」

 

「……ありがと」

 

 詩乃からその言葉をもらった和人は、くっと距離を縮め、血色の良い綺麗な桃色をした唇に自分の唇を重ね合わせた。そのまま歩みを進め、今夜も使うであろうベッドへ、二人同時に全体重を乗せて倒れ込んだ。

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