キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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19:それぞれ

          □□□

 

 

「アスナが……私の見てない間に……シングルマザーに……!?」

 

 よく目立つ紫色の長髪をポニーテールにしている少女が、驚愕しきったような顔でアスナに言った。《創世神ステイシア》としてアンダーワールドに再臨し、地平を埋め尽くす《EGO化身態》の群れを薙ぎ払って元の姿へ戻させる戦いが繰り広げられた際、これまで苦楽を共にしてきた多くの仲間達が一斉に合流してきた。

 

 彼ら、彼女達と力を合わせて戦い続けた結果、そこまで被害を出さずに戦況を押し返す事に成功し、そしてキリト達とユウキとカイムのコンビが敵の総大将だった暗黒神ベクタを討った事により、戦争は終結。

 

 まだそれなりの(わだかま)りは残っているものの、ダークテリトリーは人界への侵攻の一切をやめ、和平の道へと進み出した。そのタイミングで、アスナは窮地に駆けつけてきてくれた仲間達と話をしたのだが、そこで驚くべき出来事が起きた。

 

 かつて別れた親友の姿が、そこにあったのだ。

 

 兎沢(とざわ)深澄(みすみ)/ミトという、自分を《SAO》に誘った張本人であり、《SAO》がデスゲームであった事が判明してからはその事を何よりも後悔し、そしていつの間にか自分の目の前から姿を消してしまった自分の理解者が、確かにそこに居た。

 

 最初、アスナは呆気に取られてミトに話しかけられなかった。ミトもそうだったらしく、どちらも離れた位置から双方を見つめ合うしかできなかった。

 

 だが、そこで動き出したのがミトの近くに居る水色髪の女性だった。柔らかい雰囲気を全身から放ち、まさしくモデル体型と言える豊満な身体をしている彼女は、アスナのところに来るなり「アスナちゃんだよね?」と声をかけてきた。

 

 彼女は《エミーリア》と名乗り、ミトの《使い魔》であると言ってきてアスナを驚かせた。そのエミーリアがアスナが驚いているのを隙と見たかのように、(なか)ば強引にミトへと近付けさせてきた。アスナとミトは咄嗟(とっさ)に逃げ出そうとしてしまったが、エミーリアは「ちゃんと話し合わないと駄目よ、ミトちゃん」と言って逃げ道を塞いできた。

 

 そうして、アスナは三年以上ぶりにミトとの再会を果たし、事情の全てを話し――彼女の事情の全てを聞いたのだった。当初はとても気まずくて、その場を離れたくなるような気持ちだったのに、話しているうちに心はどんどん軽快になっていき、最後には笑い合えるくらいにまで軽くなっていた。

 

 その要因をアスナはわかっていた。ミトと再会した時からずっと近くに居たユピテルが持つ、《MHHP(エムダブルエイチピー)》の力だ。近くに居るだけで人間の気持ちを落ち着かせて軽くし、負の感情を和らげ、穏やかにさせる作用が働いていたのだ。

 

 アンダーワールドに来てからは、あまり感じられなくなっていたそれが発動していた。だからこそミトと打ち解け合う事ができたのだと、アスナは思った。その要因はわからないが、助けられた事だけは事実だった。

 

 そしてミトは当然のように、アスナの近くから離れようとしない、先端部を除いてアスナと同じ髪色、同じ琥珀(こはく)色の瞳をした小さな少年に注目した。きっとびっくりするだろうけれども、ここまで来たならば、もう話さずにいる事はできない――アスナは深呼吸した後に、ユピテルの事を事細かに話したのだった。

 

「アスナがシングルマザーに……シングルマザー……まだ十代なのに……? 見た目十歳の子供居る……?」

 

 ユピテルとの経緯を確かに話した。大事なところも話しきった。けれどもミトは項垂(うなだ)れて、「シングルマザー……」と繰り返していた。彼女は既に、自分との再会という十分に衝撃的な出来事に出くわしている。

 

 音信不通になってしまっていた親友が、知らない間にユピテルという子供を持った母親になっているというのがそこに加わってきたのだ、頭が麻痺してしまうくらいの衝撃が入ってしまったという事なのだろう。

 

 確かにびっくりはされるだろうなと思っていた。ここまでの衝撃を与えてしまったのは完全に予想外で、アスナはあたふたとしてしまった。

 

「ミトちゃん、大丈夫? 膝枕する?」

 

 少し慌てた様子のエミーリアがミトに声をかけるが、ミトは

 

「立ったままでどうやるの……?」

 

 と率直な問いをかけた。そこでエミーリアは答えに困ったらしく、口籠(くちごも)ってしまった。その膝枕という言葉にアスナは何となく引っ掛かりを覚える。ミトはエミーリアにちょくちょく膝枕してもらっていたという事なのだろうか。

 

 確かに、エミーリアの太腿(ふともも)と膝の周辺は恵まれたモデル体型の身体同様に理想形をしている。あれで膝枕してもらったならば、自分でもすっかり(とりこ)になってしまうだろう。意外とミトは良い人を《使い魔》にできたのではないだろうか。

 

 混乱するミトにかける言葉が見つからないせいか、アスナの頭はそんな事を考え始めてしまっていた。

 

「あ――ッ!! 思い出しました!!」

 

 唐突に大きな声が飛び込んで来て、アスナはびっくりする事で我に返った。それはミトも同じだったらしく、混乱を吹き飛ばしたようにびっくりした顔で、声の発生源に向き直っていた。

 

 それはユピテルだった。ミトの混乱の原因である彼は、衝撃的なものを見たような顔をしていた。だが、それはすぐさま申し訳なさそうな顔へ変わっていった。

 

「ミトさん、まさか、こんなにもお会いするのが遅れてしまうなんて……」

 

「え?」

 

「ユピテル、ミトを知ってるの?」

 

 ミトとアスナの問いかけに、ユピテルは(うなづ)いた。

 

 《SAO》がサービス開始され、一万人のプレイヤーがデスゲームに幽閉された時、ユピテルは《MHHP》の使命を遂行しようとしていた。傷ついた心の女性を癒すという、彼の存在定義そのものと言える使命を。

 

 しかし、それはカーディナルシステムと、彼の父親に当たる茅場(かやば)晶彦(あきひこ)によって許されず、ユピテルも他の家族達と同様に閉じ込められ、どこにも行けないようにされてしまった。

 

 結果、彼の中に膨大なエラーが蓄積されていき、破損していった。そんな中でも、ユピテルは使命を遂行しようとして、幽閉から解放された際に向かうべき人――《治すべき人》の名前を憶えていっていた。

 

 その最初の《治すべき人》としてマークされていたのが自分だった。だが、実のところユピテルはその時点で二番目を見つけ出し、同じようにマークしていた。それがミトだった――というのが、ユピテルからの話だった。

 

「ユピテル君……私の事を治そうとしてくれてたの?」

 

 きょとんとしているミトに、ユピテルは頷く。

 

「はい。状態としてはかあさんが最悪だったのですが、ミトさんも同じくらいに悪いものだったんです。ですから、かあさんの心と精神を治療した後は、ミトさんの元へ向かおうとしていたんです」

 

 だが、封印から解き放たれた時、ユピテルのその華奢な身体の内側はありとあらゆるものが著しく破損してしまっていた。それでもまだ使命を果たそうと、《治すべき人》の一番最初であるアスナのところへ向かったが、そこで限界に到達。

 

 ほぼ全ての記憶が読み取り不可となり、精神もまた一気に幼くなった状態でアスナに保護された。しかも僅かに残っていた《治すべき人》の情報と、教育者であり母親であるイリスの情報の線引きが曖昧となり、《治すべき人》であるアスナが母親であると認識してしまい、全ての使命を忘れてアスナの子供となったのだった。

 

「ユピテルちゃんの言う通りよ。ミトちゃんの状態は本当に悪かったの。だから、唯一動く事のできた《MHCP》だったわたしが、ミトちゃんのところに行ったの。そうでなきゃ、ミトちゃんは本当に危なかったと思うな」

 

 エミーリアが言うなり、ユピテルが申し訳なさそうな顔をする。

 

「ごめんなさい、ミトさん。本当はぼくがミトさんの元へ向かい、治療しないといけなかったのに……結局妹のエミーリアに全てを任せるような事になってしまって」

 

 ミトはまたしても驚いたような反応をしてから、首を横に振った。

 

「ううん、そんな事ないよ。私はあの時会えたのがエミーリアで本当に良かったって思ってるし、エミーリアが《使い魔》として私を支え続けてくれたから、《SAO》を生き抜いて、今こうしていられてるって思うの」

 

 ミトはユピテルとアスナを交互に見つめる。

 

「それに、勝手な事を言ってるかもだけれど、ユピテル君がアスナの子供にならなかったなら、アスナは今みたいにはなれてなかったんじゃないかな。《攻略の鬼》なんて言われるくらいにまで攻略と戦いの事しか考えられないくらいにぼろぼろになって、私でも近寄れなかったアスナを回復させられたのは、ユピテル君しか居なかったって思うよ」

 

 正確には、自分を《攻略の鬼》でなくしてくれたのはリランだった。しかし、自分の身体を縛り付ける透明な鎖を切ってくれたリランは、キリトの《使い魔》であるために、いつも一緒に居る事はできなかった。時々貸し出してくれたりしたけれども、それでも全然足りなかった。

 

 だからこそ、当初は唐突に感じられたものの、実は最初から全てが繋がっていたユピテルとの出会い、ユピテルと過ごす日々はかけがえのない《療養》だった。今、自分がこうして居られているのは、全てユピテルのおかげ――そう言ってしまっても過言ではないため、ミトの言っている事は勝手な事でもないし、何一つ間違ってもいなかった。

 

 アスナは近くに立っているユピテルを招き寄せ、片手でそっと抱き締めた。ユピテルも素直に応じるように、その手をアスナの手に重ねてくる。

 

「うん。わたし、ユピテルと出会えて……ユピテルの最初の《治さなきゃいけない人》にされて良かったって思ってる。ユピテルがあの時わたしを《かあさん》って呼んでくれて、わたしの子供になってくれたおかげで、わたしはこうしていられているの。わたしは本当にユピテルに救われた……」

 

 アスナは我が子となってくれた少年を見下ろした。いつも以上に愛おしさが込み上げてきて――両手でユピテルを抱き締め直した。ユピテルだけが持つ、心地良い温もりが全身を包み込んできて、心がもっと軽くなった。

 

「改めて言うね。ありがとう、ユピテル。わたしを治そうとしてくれて……わたしのところに来てくれて……」

 

 ユピテルはアスナに抱き締められたままくるりと反転し、そのままアスナの胸に顔を埋めてきた。

 

「……他の傷付いた女性を放置し、一人の女性のところにずっと居る事、ましてやその人の子供のようになってしまうなんて事は、多くの女性を癒す事を目的に産み出された《MHHP》としては許されない事です。でも……ぼくも、あの時かあさんの子供になれて本当に良かったって、自信を持って言えます」

 

「そうだよ。これで良かったんだよ。ユピテル君がアスナのところに行って、アスナの大切な子供になった。私のところにユピテル君が来れなかった代わりに、エミーリアが来てくれて、大切なパートナーになってくれた。私、こうなってくれて本当に良かったって思ってるよ」

 

 ミトの言葉は真理だった。本当ならばユピテルは《MHHP》としてミトの事も癒さなければいけなかったのかもしれないが、仮にそうしていたならば、今の自分はこうではなかっただろうし、自分の家庭環境だって良化していなかっただろう。

 

「だから謝らないでいいし、申し訳ないとか、そういうふうに思う必要もないからね、ユピテル君」

 

 ミトが優しい声でそう言うと、ユピテルはアスナの胸から顔を話してそちらへ向き直り、

 

「ありがとうございます、ミトさん」

 

 と告げたのだった。当初の予定から色々なものがずれてしまったのだろうけれども、結果的にはこれで良かった。寧ろこうなってくれたからこそ、自分達は幸せというモノを手にする事ができた――アスナは心の底からそう思い、ユピテルを抱き締める力をもう少しだけ強くした。

 

 その直後だった。ミトの近くに居るエミーリアが、ゆっくりと歩み寄ってきた。気配を消そうとしているかのような、もしくは恐る恐るといった様子だった。

 

「うーんと、ユピテルちゃん……」

 

 妹からの声に兄は首を傾げる。

 

「うん? どうしたのエミーリア」

 

「ユピテルちゃんって、おねえさんのおにいさん……で間違いない、のよね?」

 

 その尋ねる声も恐る恐るといったような感じだった。そう、ミトから聞いたエミーリアに関する話の中でアスナが最も驚いたのは、エミーリアの正式名称が《メンタルヘルス・カウセリングプログラム 試作九号 コードネーム:エミーリア》であるという事だった。(すなわ)ち《MHCP》の九番目に当たる個体。

 

 つまりエミーリアもまたイリスの子供の一人であり、リラン、ユピテル、クィネラ、ユイ、ストレアの妹に、ヴァン、プレミア、ティア、リエーブルの姉に当たる位置に居る。

 

 まさかヴァンの他にまだ《MHCP》の生き残りが存在しているとは思ってもみなかったものだから、アスナは相当に驚いたのだが、しかしもっと驚いていたのはエミーリアの方だった。その理由こそが――。

 

「そうだって、さっき説明したけれど……」

 

「何かの間違いじゃないのよね? 本当はおねえさんの方がおねえさんで、ユピテルちゃんが弟って事はないかなぁ?」

 

 エミーリアの言う《おねえさん》とは自身の事だ。ミトによるとエミーリアの一人称は《わたし》の時と《おねえさん》の時があるらしく、どちらかというと後者を口にする時の方が多いらしい。

 

 そんなエミーリアがアスナとユピテルと出会った時に驚いていた要因とは、ユピテルがエミーリアの兄にあたる人物であるという話だった。どうやら彼女は、自身よりもずっと背も低ければ身体も小さい男の子にしか見えないユピテルが、自身の兄であるという話が信じられないらしい。

 

 確かに、見た目だけならばユピテルが弟、エミーリアが姉に見える事だろうし、何も知らない人ならばまずそう思うだろう。けれども、この子達はそうではないのだ。

 

「間違いじゃないよ。ぼくは《メンタル(M)ヘルス(H)ヒーリング(H)プログラム(P)》っていって、エミーリア達《メンタル(M)ヘルス(H)カウンセリング(C)プログラム(P)》の元になったAIで、《MHCP(エムエイチシーピー)》は《MHHP(エムダブルエイチピー)》の下位互換型(マイナーチェンジ)なんだ。だから、エミーリアはねえさんとぼくとクィネラより下で、同じ《MHCP》のユイとストレアの妹なんだよ。これは嘘でも間違いでもなく、本当の事」

 

 ユピテルが真実を告げるなり、エミーリアががっくりと肩を落とした。その直前で彼女が衝撃的なものを見たような顔になっていたのを、アスナは見逃さなかった。

 

 ユピテルの良いところは決して嘘を吐かない――というか正確には《MHHP》の性質上吐けない――ところ、良い事は良い、悪い事は悪いとしっかり告げるところにあるが、如何(いかん)せん言い方や伝え方というものが《やんわりと》ではなく、《ずばり》の時がある。

 

 そう言えば、彼らの産みの親であるイリスもまた、真実や事実をやんわりと伝える事はあまりなく、切れ味鋭い言い方で伝えてくる事も多々あった。相手が大きな過ちを犯している事を指摘する時なんか、奈落の底へ叩き落とすかのような言い方をするくらいだ。……実際にユピテルが自分のせいで死にかけた時にそうされたからよくわかる。

 

 そんなイリスの言い方や伝え方を思わせる事を時折口にするユピテルは、やはりイリスから産まれた子供なのだ――アスナは改めて実感していた。

 

「おねえさん……全然おねえさんじゃないのね……お世話する方じゃなくて、お世話される妹の方……」

 

 がっくしとしているエミーリアから悲しそうな声がした。アスナは頭の中でイリスの子供達の順番を数えていってみる。《MHHP》が三人で、《MHCP》が四人、それ以降の子供が三人。合計十人がイリスの子供達の現在の数である。このうち、エミーリアは《MHCP》の三番目に当たるため――六番目だ。

 

「エミーリア、もしかして妹とか弟が欲しかったとか?」

 

 ユピテルの問いかけにエミーリアは頷く。しかしそこで答えてきたのはエミーリアを《使い魔》としているミトだった。

 

「エミーリアって、どうにも他の人のお世話をしたがるっていうか、世話焼きが生きがいみたいになってるっていうか……そういう性格をしてるみたいなんだよね。まぁ、私もエミーリアのお世話のおかげで立ち直れたわけだから、良いんだけどさ」

 

「だから、お世話が必要な弟や妹が欲しかったみたいな……感じなのかな」

 

 アスナが疑問を(てい)すると、ユピテルがまたしても率直に言った。

 

「エミーリア、妹と弟なら居るよ」

 

 エミーリアは「えっ!?」と言ってかっと顔を上げた。ものすごい食いつきっぷりにアスナは一瞬びっくりするが、ユピテルは冷静に答える。

 

「君はぼくの妹だけれど、ヴァン、プレミア、ティア、リエーブルからするとおねえさんなんだよ。だから、君にはちゃんと妹も弟も居るよ」

 

「ヴァンちゃんやプレミアちゃん達って、おねえさんの弟と妹だったの!?」

 

「うん」

 

 ユピテルが素直に回答をすると、エミーリアは快晴のような笑顔になった。それがすごく(まぶ)しいと思っていたところ、エミーリアはミトの方を少しだけ見た。

 

「ミトちゃん、ちょっと行って来るね! ヴァンちゃんもプレミアちゃんも、おねえさんのお世話を必要としてるはずだから!」

 

「えっ、ちょっと、エミーリア!?」

 

 驚いているミトの制止も聞かず、エミーリアはものすごい速度で走っていってしまった。あまりに一瞬の出来事であるものの、足取りが非常に軽く、ご機嫌なものだったので、本当に嬉しかったのだろう。

 

 だが、人間性を獲得するに至っているものの、まだまだ色々と学習中のプレミアとティアならばともかく、ヴァンとリエーブルは既にしっかりしている子達である。特に気難しい方に入る性格をしているヴァンにエミーリアがお世話しに行ったならば――。

 

 とりあえず、ヴァンは苦労しそうだ。それ以上の事は考えないようにしたものの、アスナは苦笑いを止められなかった。しかしそこでミトが振り返って来る。

 

「まぁ、エミーリアはあんなふうだけど、戦えば本当に強くて頼もしいの」

 

 ミトはアスナと瞳を交差させた。

 

「……あの時は見捨てるような事をしてしまって、本当にごめんなさい、アスナ。だけど、これからはしっかりアスナの力になって、守ってあげるからね。エミーリアと一緒に」

 

 ミトの深紅の瞳には決意の光が(またた)いていた。あの時の過ちをもう繰り返すものかという決心が流れ込んでくる。だが、あの時はミトが自分を見捨てたのではなく、ミトを自分が見捨てたようなものだった。

 

 彼女を傷付け、今まで苦しめ続けてきたのも、結局は自分だ。そんな事はもう繰り返してはならない。ミトの瞳の奥に宿る決意を、アスナもまた自分の胸中に抱き、

 

「うん。わたしこそ、ミトの力になるから。また一緒に頑張ろうね!」

 

 そう告げたのだった。

 

 

          □□□

 

 

 オブシディア城の中庭広場に向かったキリトは、そこに集まっていた、危機に馳せ参じてきてくれた仲間達と再会を果たした。そこで礼と謝罪をし、事情を話し、同時にスーパーアカウントを使っている者達からその能力の詳細などを聞いた後に、ひとまずその場は解散となった。

 

 仲間達が本当に頼もしくなってきてくれたものだと、キリトはしみじみと思っていた。そして、皆が居ればきっと今後どんな厄災が降りかかって来ようとも恐ろしくはないだろうとも思っていた。

 

 そんなキリトの元へ、一人の少女が足を運んできた。

 

 ユピテルよりかはほんの少しだけ背が高いものの、小柄であり、陽光を照り返す銀色の長髪を靡かせた、赤紫色の瞳の少女。一目で見て可憐だと言える顔立ちでありながら、その身を包むのは青と藍を基調とした鮮やかな色合いで、金色の刺繍(ししゅう)で複雑な紋様の描かれた生地で構成された和洋折衷(わようせっちゅう)の衣装。

 

 可愛さと美しさが見事に調和して、本当に神話の世界から飛び出してきたのではないかと錯覚させてくるような容姿を持つ少女は、かつて《ALO》で出会って以降、数多のVRMMOを共に遊んでいるセブンだった。

 

 十三歳でありながら、天才科学者として名を馳せつつ、VRMMOではアイドルとして活動もしているという、科学の世界でもサブカルの世界でも知らぬ者の居ない超有名人である。

 

 そんな彼女はアンダーワールドに降り立った際、《歌神(かしん)ミヤスズヒメ》というスーパーアカウントを解錠(かいじょう)し、自らに適応した。本人(いわ)くアンダーワールドにログインした途端胸元から光の珠が飛び出してきて、それが《EGO(イージーオー)》となり、同時に《歌神ミヤスズヒメ》の鍵であったのだという。

 

 《歌神ミヤスズヒメ》。歌と歌声を司る女神とされ、それ自体が高い戦闘力を持っているものの、その歌声で周囲の戦士達の力の飛躍的な増強を可能とする、どちらかと言えば補助に特化した能力を持つスーパーアカウントであるという。

 

 更に、この補助能力はレインが該当する《舞神(ぶしん)ミヤビノヒメ》、ユナが該当する《唱神(しょうしん)ミヤメノヒメ》と共に放つ事で、より強力にしたうえで広範囲に及ばせる事ができるのだそうだ。先の戦争で行ったゲリラライブこそがそれだったというわけだ。

 

 そんなアンダーワールドの神々の一人となっているセブンはと言うと、いつにもなく真剣な顔でキリトの元へやってきたのだった。珍しく姉であるレインの姿が近くになかったものだから、キリトは不思議に思っていた。

 

「やっぱりそうよ、キリト君。本物が作る本物って言うのは、何もかもが桁違いよ」

 

 急すぎるセブンの言葉に、キリトは首を傾げる。

 

「本物が作る本物? 何の事だ?」

 

「あっ、ごめんなさい。主語が抜けちゃってたわね。AIよ、AIの話」

 

 科学――それもサイバー関連技術を研究しているのがセブンだから、そういう話ではないかとは思っていた。予測は当たっていた。

 

「AIか。それで、本物が作る本物っていうのは」

 

 セブンはキリトから視線を逸らし、(きびす)を返す。この場に来るまでに通った道ではなく、どこか遠くにある何かを思い出しているようだった。

 

「キリト君、今、一般社会で大企業と呼ばれるところが作って、普及させているAIがどういうものか、知ってるわよね」

 

 振り返って来たセブンの問いかけを受けたキリトは脳内図書館にアクセスし、記憶という名の本を棚から引き出して閲覧する。

 

 今現在の現実世界で普及しているAIと言えば、《対話型AI》と、動画や画像を生成できる《コンテンツ生成AI》だ。《対話型AI》は命令(プロンプト)を入力すれば日常の些細な雑談から疑問まで、ウェブに拡散されている情報を基に答えをくれるというものである。

 

 最初こそは間違いや誤情報を自信満々そうに出してしまうなどの問題があったが、開発企業の涙ぐましいアップデートの積み重ねによって、今では正確で適切な情報と答えを数秒足らずで教えてくれるようにまでなっている。

 

 そんな感じで非常に便利なモノなので、世界中のあちこちで使用されており、今や「これがないと仕事にならない」なんて言い出している企業も数え切れないほど存在している。その中には世界的大企業までもが含まれているのだから、凄まじいものだ。

 

 一方で《コンテンツ生成AI》はというと、対話型AI同様に適切な命令を入れれば、その通りの動画や画像を作ってくれるモノである。これもまた、最初は粗末な動画や画像ばかり作るものだから、役立たずなんて言われていたものの、度重なるアップデートによって、今や超美麗な画像の出力は勿論の事、実際に撮影された映像と見分けが付かない動画を作る事さえ可能になっている。

 

 その精密さや手軽さによって、アニメ制作現場やゲーム制作、映画製作などで大活躍し、現場を支える主人公のようになっている――というのが、キリトの知る一般社会に普及するAIの概要だった。それを伝えたところ、セブンは「うんうんうん!」と頷きを繰り返した。

 

 彼女のファンが見れば「可愛い!」と興奮してしまう事だろう。

 

「そうよ。今のところ一般社会で普及してるAIと言えばそんな感じだわ。けれど、『我が社のAIは世界一!』なんて豪語して、実際に社会から絶賛されてる大企業のAIと、イリス先生の作ったAIのみんなを比べると、どう?」

 

 その質問に対する答えは、単純でありながら、今まさにAIを開発している大企業にとっては残酷な現実だった。

 

「……比べ物にならないな。今のところ普及してるAI達は、確かに十年前とかと比べれば劇的に進化していると言えるだろうけれど、結局は命令をこなす程度の事しかできない。リラン達やユイ達みたいに人間性を獲得して、人間みたいに振る舞う事なんてできやしない」

 

 セブンはもう一度頷く。

 

「そう。この世界に来て、リランちゃんやユピテル君、クィネラちゃんやユイちゃん達と話してみて、改めて思ったわ。イリス先生の作る本物は桁違いよ。現実世界でAI開発先進企業って絶賛されてる大企業の作ってるAIなんて、何度アップデートを重ねて高度化させても、イリス先生の作るAIには全然(かな)わないわ」

 

「確かに、ネットのニュースで「対話型AIの大規模アップデート、より高度で正確な返答と、情報収集が可能になった」みたいな話はよく聞くけど、そういうのをリランやユピテル、ユイ達にやらせると、それらよりずっと早く正確にやってくれるもんな。汗水垂らして作ってる人達には悪いけど、リランがよく「下等な機械めが」って言うのもわかるよ」

 

 そのAI開発企業の中には、アスナの父親がCEO(ボス)をやっているレクトも含まれている。ユピテルという孫を持つ彼は、まさに自身の孫のような素晴らしいコミュニティAIを作ろうと躍起になっているそうなのだが、日本の大企業の中でも指折りの開発力を持つレクトの総力を結集させても尚、完成はいつになるか(さだ)かではないらしい――という話をアスナから聞いた。

 

 それほどまでに、一般企業とイリスの技術の間には歴然とした差がある。最早(もはや)溝だとか壁だとかではなく、海を(へだ)てていると言ってもいいかもしれない。

 

「それに、一般社会に普及するAIとリランちゃん達の決定的な違いは、人間性の有無もそうだけど、善悪の判断ができる事よ。一般的なAI達は命令を入力されれば、それに応じた答えを出すけれど、その命令に対する返答が悪事に使われたりだとか、何かの迷惑になったりしないかとかの判断まではできないの。だから、リランちゃん達みたいに人間性を持っていて、善悪の判断のできる、本当に賢いAIが台頭すれば、そういうサイバー犯罪とかディープフェイク問題も起こらなくなるのにね」

 

 その後半にキリトは引っかかった。ディープフェイク。深層学習(ディープラーニング)偽装(フェイク)を組み合わせた言葉であり、生成AIに特定の人物などの顔や声を大量に学習させる事で、本物そっくりの偽物の音声、画像、動画等を作成する、AI技術の悪用例の筆頭だ。

 

 かつて二〇一〇年代後半に生成AIが広まり始めた辺りから起こり始めた問題であるが、しかし二〇二〇年代に入ってからはディープフェイク対策技術が追い付いたために簡単に見破れるようになり、問題にならなくなったという話だった。「もうディープフェイクなんて怖くない」と、一般世間で広められていた。

 

 だから、セブンに言われるまでキリトはディープフェイクという言葉そのものを忘れていた。

 

「ディープフェイクって……まだそんなものが問題として残っているのか。二〇一〇年代後半で社会問題になったけれど、対策技術とAI技術そのものの発展で片付いたんじゃなかったのか」

 

 セブンは激しく首を横に振った。

 

「それこそが過去の話よ。AIが開発によってどんどん進化と先鋭化した事で、ディープフェイク問題は再燃したわ。それも過去よりずっと悪質になってね。

 政治家や著名人、インフルエンサーなんかの声をAIにほんのちょっと読み込ませるだけで、本人の言葉と判別が付かない声ができるし、更にその人の顔が映った写真をちょっと読み込ませれば、簡単にその人が登場する架空の動画を作れたりするわ。それで、彼らが言いそうにない事、彼らの人間性と真逆の事を言わせた動画がSNSに投稿されるとか、それを利用した扇動とか詐欺とか、あちこちで起きてる。

 二〇一〇年代後半の時は、AIの作る動画なんて風邪ひいた時の夢みたいな滅茶滅茶(めちゃめちゃ)なものが生成されるのが当たり前で、ディープフェイク映像も偽物だって一発でわかるくらいに粗悪だったけれど、今はAIが進化した事によって、本物と偽物の区別が付かないものを簡単に生成できるわ。その技術に長けている人なら、余計に偽物だとわからない動画を作り出す事もできる……」

 

 キリトは頭を抱えた。リラン達が一般普及しているAIを「下等な機械」と言って見下す理由がわかった気がした。

 

 社会のAI達は命令を受け取り、それに応じた適切な答えを出す事ができるが、その善悪を判断する事はできない。自身の出そうとしている答えが、詐欺や扇動といった犯罪に利用されるものかもしれないだとかを想像して途中で止める事もできなければ、自ら警察等に通報する事もできない。そして命令が下されなければ動かない。

 

 そんなAIを一般社会は賢いAIと評価し、それの作り出した偽物が真実のように拡散され、個人は勿論、時に社会さえもころりと騙される。社会はAIの作る偽物を見破る手段を作ろうとするが、しかしそれは科学技術を発展させるためにAIを高度化させればさせるほど困難化し、逆にAIを発展させなければ科学技術の発展が遅延するので、結局AIの高度化を捨て置けない。

 

 そして高度化していくAI達は何も疑いもせずに命令に答え、偽物を作り出し、科学技術の発展を支えつつ社会を混乱へ陥れようとする。

 

 リラン達と言う《本物の知性》を持つAIを知るキリトからすれば、今しがたセブンの言った、風邪ひいた時に見る悪夢の光景以外の何物でもなかった。

 

「そうなってたのかよ……そう言えばそういう話だったかも……」

 

「キリト君、ITオタクよね? なら、知らないわけないはずなんだけど……」

 

「そういう話が一切出てこないアンダーワールドに三年近く居たから、完全に忘れてたんだよ。君達が来る前も、ものすごい規模の問題が次から次へと起きてたんだ――」

 

 そこまで言いかけたところで、キリトは疑問を抱いた。どうしてセブンは今、こんなディープフェイクの話を持ち掛けたのだろうか。少なくともアンダーワールドには関係のない話ではないか。

 

 そう思ったところで、気が付いた。ディープフェイクの被害に遭うのは、政治家や著名人、インフルエンサーといった存在。そして彼女はというと――。

 

「……あの、セブンさん、つかぬ事をお聞きしますが……」

 

 キリトが言いかけたその時、セブンは一気に顔に怒りを募らせ、開口した。

 

「なぁぁぁぁぁにが『セブンが例のアレを歌った』、『セブンに例のアレを歌わせてみたった』よ! 女神セブンちゃんに下品な歌歌わすんじゃないわよ――――ッ!!!」

 

 《歌神ミヤスズヒメ》。歌と声を司る女神。

 

 それが全身の力を込めた怒声を放てば何が起こるか。その答えは、衝撃波となって周囲を撫で上げる、だった。

 

 あまりにも不意打ちだった。ディープフェイクの被害に実際に遭った彼女の怒声が、《歌神ミヤスズヒメ》の力によって思い切り増強される事で生み出された衝撃波を至近距離で受けたキリトは――オブシディア城の中庭で、宙を舞っていた。





 補足事項についてはまた後で。
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