キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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03:副団長の決断

 《壊り逃げ男》の説明を聞いたリズベットが、腕組みをしながらうんうんと頷く。

 

「えっとつまり、そいつはネットの世界で知らぬ者はいない、サイバー犯罪のスペシャリストってわけね」

 

「正確には、サイバーテロリストだよ。いま日本中を震撼させててさ、企業も政治家もマスコミも、みんなそいつに怯えているんだ」

 

 《壊り逃げ男》の説明を終えた俺に、リーファがすかさず付け加える。

 

「アスナさん達、というかおにいちゃんも知らないだろうけれど、《壊り逃げ男》の事はSAOと同じくらいのニュースになってるんだよ」

 

 リーファによると、俺達がSAOに閉じ込められてから一年後経ったくらいに、ニュース番組が《壊り逃げ男》にハッキングされて、ニュースの中でわざとらしくカットした映像だとか、マスコミに巨額の賄賂を渡して、都合の悪い事を報道させないようにしてた政治家とか広告代理店とか著名人とかの、その時の映像とかが全国のテレビに放送されてしまうという事件が起きたらしい。

 

 ……おかげでニュース番組も政府も広告代理店も、炎上を通り越して大火災。広告代理店は10個くらい潰れて、政治家及び著名人も実に30人以上首がすっとんで、ニュース番組なんか全ての都道府県特有のものも合わせて、20個以上消えてしまったそうだ。

 

 なお、生き残った広告代理店も株価を操作されて大暴落。瀕死の状態に追い込まれてしまったらしい。

 

「そんな事までやったのか、《壊り逃げ男》は。ネットの中でしか影響を与えていないと思ってたけど、テレビ番組や政治界にまで影響を及ぼしてしまってたなんて、いよいよ放っておけなくなったな。いや、元から放っておいてはいけない存在って思ってたけどさ」

 

 説明を終えたリーファが両手を広げる。

 

「これは立派なサイバー犯罪なのに、ネットの中じゃ「《壊り逃げ男》万歳」とか「《壊り逃げ男》は害悪なマスコミや政治家に鉄槌を下した英雄」とかいう意見が相次いで。一部の過激派みたいな人達からは、「《壊り逃げ男》は不正に鉄槌を下す真の正義」、「悪を潰す正義の神」とか言われてるよ。そんな事はないはずなのにね」

 

「でも、《壊り逃げ男》がやった事も一理あるんじゃないかな。現にそうやってマスコミや広告代理店や政治家が不正を行いつつも、それを秘匿にしてたんだから、彼らは国民すべてに詐欺を行っていたようなもの、立派な詐欺師集団だ。そのマスコミや政治家が詐欺をやっていたという事実を国民の元に晒したのは、評価できるんじゃないかな」

 

 イリスの言う通り、マスコミに賄賂を渡して牛耳っていた広告代理店や政治家もいたのも事実。《壊り逃げ男》の行為と存在は許されざるものだけど、同時にマスコミや政治家、広告会社の行為も俺達国民からすれば、許されざるものだ。

 

 リーファの展開する「《壊り逃げ男》のやっている事は間違いなく犯罪」という言葉は正論だと思うが、同時にイリスの《壊り逃げ男》を庇護するような意見も一理あると思ってしまった。

 

「もっとも、その評価は度重なるハッキングおよびクラッキング行為で大勢の人間に迷惑をかけた点で、全て無に帰るけどね。そいつは善良な企業、善良な人々にクラッキングを仕掛けて、文字通り壊したんだから」

 

 そこでようやく、イリスの意見に完全に賛同できた。

《壊り逃げ男》が悪質な報道を行ったり、賄賂を受け取っていたマスコミや、受け渡していた政治家や広告会社だけを狙ってやったのであれば、多少評価が変わったかもしれない。

 

 けれど《壊り逃げ男》は、善良な人々にすらも無差別的に攻撃を仕掛けて破壊工作を行った。これは立派なテロ行為だし、《壊り逃げ男》は完全なるサイバーテロリストだ。

 

 そこまで把握した俺は、イリスに問う。

 

「その《壊り逃げ男》が、ユピテルの封印を解き放ってしまったって事ですか」

 

「そうだね。考えられる方法と言えば、そのくらいしかないよ。いくら50桁のパスワードを敷いたとしても、ハッキングやクラッキングをかけられれば瞬く間に解かれてしまう。

 ましてや相手は厳重なセキュリティを強いているはずの、大企業の株価さえも操作し、テレビ機材やその他システムを操作して、マスコミの隠したかった情報をネットとテレビ前部にリークさせるような相手、50桁のパスワードなんて、どうって事ないだろう」

 

 そこで俺はある事を思い付いて、ぞっとした。ここまで《壊り逃げ男》がやったとされる現象が起きているという事は、《壊り逃げ男》は俺達のすぐ傍にまで来ていて、というか、この世界そのものにやってきている可能性がある。

 

「イリスさん、まさかとは思いますけれど、《壊り逃げ男》がこの世界に来ていて、世界にクラッキングを仕掛けているんじゃ……」

 

「考えたくないけれど、ありえそうだね。知ってのとおり、この世界はALOからも、メディキュボイドのその他VRMMOでも入って来れるほど、外からの侵入にはガバガバだ。……《壊り逃げ男》が入って来ていても、不思議ではないだろう」

 

 シノンが険しい顔になる。

 

「私達は偶然この世界に巻き込まれたのに、《壊り逃げ男》は自らここへ入り込んだとでもいうの」

 

 イリスは首を横に振る。

 

「それはわからないよ。ひょっとしたら彼自身も何らかの要因で、この世界に巻き込まれてしまったのかもしれないし。でも、何にせよユピテルのパスワードが破れているという事は、《壊り逃げ男》がクラッキングを行ったと推測してもいいだろう。何が目的なのかわからないけどね」

 

 イリスもやはり、俺と同じ考えのようだ。ここアインクラッドに、ネット世界を震撼させているサイバーテロリスト、《壊り逃げ男》が侵入してきている可能性があり、早速ユピテルを解放してしまうと言う悪事を行っている。

 

 一体何の目的のためにここへやって来たのか不明だが、《壊り逃げ男》は更なる被害をアインクラッドにもたらす可能性がある。

 

 そうなる前に《壊り逃げ男》を見つけ出したいところだが、そもそも《壊り逃げ男》がどのような人物で、どのような外観をしているのか……。

 

「ん……んん……」

 

 考え込もうとした直後、この部屋の誰のものでもない声が耳元に届いてきた。発生源は、アスナに撫でられながら、意識を中々取り戻してくれなかったユピテルだった。

 

 そのユピテルの声を直に聞いて驚いたアスナが、イリスに声をかける。

 

「イリス先生、ユピテルが!」

 

 イリスは頷きながらユピテルの顔を覗き込み、俺達もまたユピテルのすぐ近くに向かったが、直後にイリスが声掛けした。

 

「ユピ坊、ユピ坊!」

 

 イリスの声に反応したのか、これまでほとんど変化を見せなかったユピテルの瞼が動き、その目を俺達に見せつけた。――まるで海のように青い瞳だった。

 

「ユピ坊、ユピ坊聞こえるか」

 

 ユピテルはゆっくりとその目を動かして、イリスではなくアスナの方に向けた。

 

「よかった。もう目を覚まさないんじゃないかって思ってたのよ」

 

 そう言いながら、アスナはユピテルの身体に手を伸ばし、ゆっくりと上半身を起こさせた。

 

 ユピテルは物事がよく理解できていないような顔をして周囲を見回すが、すかさずイリスが話しかける。

 

「ユピ坊、《アイリ》だ。わかるね、ユピ坊」

 

 ユピテルはイリスの方へ顔を向けたが、即座に首を傾げる。

 

「あ、いり? あぃり?」

 

「そうだ、そうだよユピ坊。また出会う事ができるなんて、思ってもみなかっただろう」

 

 イリスの言葉がわかっていないように、ユピテルは首を傾げる。その仕草を目の当たりにしたリーファが笑顔になる。

 

「うっはぁ。可愛い子ですね」

 

 その言葉に答えるように、シノンが頷く。

 

「なんというか、如何にも女性が喜ぶ男の子って感じの子ね」

 

 恐らくそういうのを意図して作られているのだろう。

 

 だがこのユピテル、何だか様子がおかしい。イリスがユピテルの製作者で、制作中もダイブして、ユピテルに自分の事を沢山教えていたという話なのに、ユピテルはイリスにずっと首を傾げたままだ。

 

 ――それこそ、ユイが目覚めたばかりの時のように。

 

「なぁ、何だか様子がおかしくないか」

 

 イリスは「なに?」と言ってユピテルを見つめ直した。そのすぐ後に、ユピテルが小さく口を開く。

 

「だぁれ……?」

 

 その言葉を聞いて、イリスは唖然としてしまったように目を見開き、口を半開きにする。

 

「お、おいおいユピ坊。アイリだ。わからないか」

 

 ユピテルは首を横に振った。

 

「わから……ない。だれ……?」

 

 ユピテルの言葉と仕草に、部屋中の皆が凍り付いたように声を失う。

 

 何だか様子が似ているなとは思っていたけれど、やはり、ユイの時と同じだ。

 

「どういう事だ……?」

 

「ユピテルは記憶を失ってるみたいです。見つけたばかりのユイの時によく似てます」

 

 イリスは驚いたように俺に向き直る。

 

「記憶を失っているだと。言語機能や記憶能力を破損したとでも言うのか」

 

 当事者であるユイが頷く。

 

「恐らくユピテルさんも、わたしと同じようにエラーを蓄積して、言語機能や記憶を失ってしまったのだと思われます。今のこの世界はMHCPが多大なエラーを抱えてしまうような状態……わたしと同じ、プレイヤーを癒す力を持つMHHPも、わたしと同じ症状を起こしてしまったとしても不思議ではないはずです、イリスさん」

 

 イリスは頭を抱えて、これまで俺達に見せた事が無いような、とても悲しそうな顔をした。

 

「茅場さん……あなたが好きだったMHHPは、この有様よ……! 一体なんで……」

 

 イリスの行動と記憶喪失のユピテルを目の当たりした者達で、部屋を重い沈黙で包み込む。どう声をかければいいのか、記憶を失っていると思われるユピテルにどう接すればいいのか、全くわからなかった。

 

 しかしその最中でイリスが顔を戻して、ユピテルの肩をいきなり掴んだ。

 

「おいユピ坊、本当に何も覚えていないのか。好きな食べ物は何だった、どこに行くのが好きだった、誰と話すのが好きだった、覚えてる事は何もないのか!?」

 

「お、おいイリスさん」

 

 険しい剣幕で迫るイリスが近付くと、ユピテルの表情が徐々に歪んで行って、青い瞳の目から涙が零れ始めた。 

 

 「あ」と、一同が気付いた直後に、ユピテルは大きな声を上げて泣き出してしまい、全員で驚いてしまった。

 

「ちょ、ちょっとイリス先生、ユピテルが怖がって泣き出しちゃったじゃないの!」

 

 リズベットの声にイリスが戸惑い、ユピテルの肩から手を離す。

 

「そ、そんなつもりは……ユピ坊……」

 

 イリスは子供の扱いにも慣れていて、教会で泣いてる子を慰めているのを、宿泊した時に見た事があったが、今はそれも形無しになってしまっている。

 

 多分だが、今まで接してきたユピテルが記憶を失い、簡単に泣くようになってしまっている事に戸惑って、どうすればいいのかわからなくなっているのだろう。

 

 俺も、ユイがあんなふうになってしまったら戸惑う自信があるし、というかこの場に入るほぼ全員が、戸惑っているのだが。

 

 一番頼りだったイリスさえも対処方法がわからなくて困っていて、俺達も方法を考えようとしたその次の瞬間――いきなりアスナがユピテルの身体を抱き寄せて、そのまま胸元に連れ込み、抱き締めた。

 

「びっくりさせちゃってごめんね、ユピテル。ほら、もう大丈夫だよ……大丈夫だから……」

 

 アスナが静かな声をかけつつ、ユピテルの頭を優しく撫で続けると、ユピテルの声はしゃっくりに変わり、やがて止んだ。

 

 ……まさかアスナが泣き止ませてしまうなんて思ってもみず、俺達は瞠目をアスナに送った。やがてリズベットがアスナに言う。

 

「あ、アスナ、随分手馴れてるわね……」

 

 それまで無言を貫いていたリランが、俺の肩に乗りながら《声》を送ってきた。

 

《アスナは子供達に料理を振る舞ってから、すっかり子供たちの人気者でな。休みになると、イリスの教会に赴いては、子供達と接していたのだ。それに……》

 

「それに?」

 

《アスナは以前から、普通に暮らして普通に結婚し、普通に子供を産んで、愛していきたいと言う気持ちをずっと押さえつけていた事を、教えてくれた》

 

「なるほど。だからそんなふうに、子供達と積極的に接したりしてるわけか。そしてユピテルとも……」

 

 以前アスナにユイと接させた時から、アスナは子供との接し方に慣れていて、その時なんか、アスナがユイの母親に思えるくらいだった。そして今も、なんだかアスナがユピテルの母親や家族のように見えてくる。

 

 完全にユピテルを泣き止ませてみせたアスナに、イリスが驚いたような顔になった。

 

「アスナ……君は……」

 

「イリス先生、らしくないですよ。いつもの貴方なら、あんなふうに子供と接する事無いじゃないですか」

 

「そ、そうだな。つい取り乱してしまって……ユピ坊を怖がらせてしまった。いや、というか、こんな事じゃ驚きもしない子だったのだが……」

 

 イリスは戸惑いを残したまま、そっとユピテルに声をかけた。

 

「怖がらせてごめんな、ユピ坊」

 

 ユピテルはギュッとアスナの胸元にしがみ付いたまま、動こうとしなかった。まるでイリスの事を拒んでいるように見える。

 

 ずっと胸元から動かないユピテルにはアスナも戸惑ったらしく、焦っている時のそれによく似た表情を浮かべて、ユピテルに声をかけた。

 

「えっと、ユピテル。貴方のママはそっちだけど?」

 

 イリスは首を横に振り、顔を半分手で覆った。

 

「……心にぐさりと来たが……その子は私の事を認識できていない。そのうえ、私を心の底から怖がってしまったようだ」

 

 そう言ってイリスは席を立ち、出口の方へと歩き出した。突然の行動に驚いたシノンが、イリスを呼び止める。

 

「あの、イリス先生」

 

「私が居てはその子が怖がる。ちょっとずらかっておくよ。その間にできる限りその子から聞き出して、その子の状態を突きとめてくれ。それを理解したうえで、今後の対策を出すから。特にアスナ、その子は今のところ君を気に入っているみたいだから、君がなるべくユピ坊から聞き出してくれ」

 

 イリスはシノンとアスナに軽く手を振ると、そのままドアを開けて、部屋の外へと出て行ってしまった。今、イリスはとても残念そうで悲しそうな表情を浮かべていたけれど、あんな顔をしたイリスを見たのは初めてな気がする。

 

 現実世界でカウンセリングを受けていたシノンも、酷く驚いているような顔をしているので、イリスがあんな顔をしているところは、今日初めて見たのだろう。

 

「……イリス先生、何だかすごくショックを受けてたみたいですね」

 

 シリカの言葉に頷く。どうやら、イリスの様子に驚いたのは俺とシノンだけじゃなかったようだ。その直後に、ユウキがアスナに抱き付いたままのユピテルに声をかける。

 

「ユピテル、怖いお姉さんはいなくなったよ。もう大丈夫だから」

 

「怖いお姉さんって……」

 

 アスナがどこか複雑そうな顔をすると、ユピテルはゆっくりとアスナの胸元から顔を離して、青色の瞳で辺りを見回して、どこか安心したように溜息を吐く。イリスの事を心の底から怖がっているというのは本当だったようだと、俺は思う。

 

「えっとユピテル、覚えてる事とかある? 貴方の名前は、ユピテルであってるよね?」

 

 アスナの声に反応したように、ユピテルは顔を向けて、頷いた。

 

「ぼくのなまえ……ユピテル」

 

「うん。ユピテルであってるのね。私の名前はアスナだよ」

 

 ユピテルは首を傾げて、口を動かす。

 

「あ……ぅな?」

 

「アスナよ。アスナ」

 

「ぁうな?」

 

 思わず俺はユイを見つめる。今のユピテルは、まるで目を覚ました時のユイを思い出させるような状態だ。あの時のユイも、俺やシノンの名前をきちんと口にする事ができなかった。だけど、ユピテルの身体と言い、言葉遣いと言い、何だかユイよりも幼いような気がする。

 

「どうやら舌が上手く回っていないらしい」

 

「はい。恐らくですが、わたしよりもひどく言語機能を破損していると思われます」

 

 ユイの言葉にシノンが答える。

 

「言語機能が破損か……となると、私達の時のように、好きなように呼ばせてあげるのが、効果的かもしれないわね」

 

 咄嗟に、俺はアスナに提案する。

 

「アスナ、無理に名前を呼ばせないで、ユピテルの呼びたいように、呼ばせてやるといいよ」

 

 アスナは「そっか」と言って、ユピテルに向き直ると、ユピテルは小さく口を動かした。

 

「あぅな、あうな」

 

 アスナは微笑みながら、ユピテルの頭を撫でる。

 

「名前を呼ぶのは難しいみたいね。ユピテルの好きに呼んだらいいわ」

 

 ユピテルは何かを考え出したかのように下を向いて、何も言わなくなった。それから十数秒後、顔を上げて、アスナと目を合わせた。

 

「……かあさん」

 

「え」

 

「かあさん」

 

「かあさん? わたしが?」

 

 ユピテルを除いた全員が、瞠目して口を閉じる。今、ユピテルはアスナを「かあさん」と呼んだような気がする。いや、間違いなくそう呼んだ。そうでなければ、こんなに驚いたりはしないはず。――俺達が。

 

「え、かあさん? アスナがユピテルの母さん?」

 

 リズベットがアスナとユピテルを交互に見つめるが、隣のシリカもまた、同じような行動をしながら、ぱくぱくと口を動かしている。

 

「え、えぇっ。アスナさんが、ユピテルのお母さんになるんですか?」

 

 リーファとユウキも、アスナ、ユピテル、アスナと視線を動かしつつ、その名を呼ぶ。

 

「あ、アスナさん……」

 

「ユピテルが、アスナを母さんって……」

 

 シノンがユイと一緒に、俺に顔を向ける。

 

「キリト、私なんだかデジャヴを感じる」

 

「わたしも、なんだかそんな気がします。これがデジャヴというものですか」

 

「俺もだよシノンにユイ。ものすごくデジャヴ」

 

《そうなのか》

 

 というか、言語機能などを破損して、記憶喪失に陥った、高度AIを搭載したプログラムは、最初に見た女性の事を母親だと思う傾向でもあるのだろうか。ユイにそう呼ばれた時には、シノンはそのまま受け入れたけれど、アスナはどうするのだろう。

 

「アスナ、どうする」

 

 尋ねると、アスナは俺と顔を合わせてから、しょんぼりとした顔をしているユピテルに再度目を合わせて……やがて笑んだ。

 

 

「そう、だよ。そうだよ。――かあさん、だよ、ユピテル!」

 

 

 その途端、ユピテルの表情はぱぁと一気に明るくなり、弾けるような笑顔に変わった。

 

「……かあさん、かあさん!」

 

「ええええええええええええッ!!!?」

 

 皆で、一斉にアスナとユピテルに驚く。受け入れたよ、この人。ユピテルにかあさんって呼ばれるのを、受け入れちまったよこの副団長。

 

 こう思ったのは俺だけではないらしく、リズベットが早速、アスナに焦った様子で声掛けする。

 

「ちょっとアスナ、それでいいの!?」

 

「いいわ。この子がそう呼びたい、そう思いたいって思ってるんだから」

 

 ユウキが大いに慌てた様子で、アスナに言う。

 

「で、でもでも、大丈夫なの!? アスナ、ユピテルの母さんになっちゃうんだよ!?」

 

「えぇ。わたし、前からシノのんのユイちゃんみたいな子がほしいって思ってたから、丁度いいわ」

 

 シノンがユイを抱き締める。その顔には焦りに似た表情が浮かんでいた。

 

「ユピテルがユイみたいにいい子じゃないかもしれないわよ!?」

 

「生まれつきいい子なんていないわ。ユイちゃんくらいの子になるまで、私が育てる」

 

「ほ、本気なのかアスナ」

 

 アスナはユピテルに顔を向け直し、その頭をそっと撫でた。ユピテルは気持ちよさそうに笑む。

 

「……普通、子供は親を選ぶ事はできないわ。でもこの子は、私の事を「かあさん」って呼んで、こうして接してくれた。この子は自ら、私を親に選んでくれたって事じゃないかしら?」

 

 確かに、ユピテルがアスナをそう呼んだという事は、アスナの事を本当の母親だと認識して、懐いたという証拠だ。アスナの言う通り、自らの意志で、アスナを母親に選んだと言っても間違いではない。

 

《という事は、お前……》

 

「えぇ。わたし、この子の親になる。この子を、育てていく」

 

 だが、イリスによればユピテルは記憶を失う前は、結構な経験をしていたという。もしユピテルが記憶を取り戻したら、アスナの事をどう認識するのだろうか。

 

 ユイは記憶を取り戻しても、俺とシノンをパパ、ママと言ってくれて、ずっと親だって思ってくれてるけど、ユピテルはユイじゃないから、同じ事が起きるとは限らない。しかもユピテルはユイよりも上位のプログラムだから、尚更だ。

 

「だけど、前もってユピテルがどんな子だったか、イリスさんに聞いておかないとな。それで――」

 

 言いかけたその次の瞬間、きゅぅぅという、少し高い奇妙で愛らしい音が、ユピテルの方から聞こえてきた。何事かと思ってそこに目を向けてみれば、ユピテルが少し不機嫌そうな顔をして、腹を頻りに触り始めた。

 

「おなか、すい、た」

 

「そうね。まだ何も食べてないもんね。ご飯にしましょうか」

 

 アスナはそう言ってユピテルの頭をとても軽く叩くと、俺に目を向けてきた。

 

「この子に詳しい話を聞き出すのは、ご飯の後にしましょう、キリト君」

 

「そうだな。よしユピテル、下の階に行くぞ」

 




アスナ、原作通りかあさん(ママ)になる。
ユピテルの詳しい話はまた次回。

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