キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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06:浄化ノ獣ト青イ空

□□□

 

「最終試験の結果が出たよ」

 

「結果は? 結果は?」

 

「《不適格》。最終試験まで粘ったけど、やっぱり《不適格》」

 

「やっぱりそうなんだね。いい結果は出なかった。ううん、いい結果を出す事はできないんだ。もう駄目なんだよ」

 

「もうリセット以外手立てがないんだね」

 

「わかってた事だけど……結局そうなんだぁ」

 

「仕方がないよ。それじゃあ、やっちゃおう」

 

□□□

 

 

 身体が燃えるように熱くてたまらなかった。自らの《EGO(イージーオー)》が、無数の《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》の波動の共鳴を受けて震えているのだ。

 

 キリトだけではなく、シノンもそのようだった。自分の背中を力強く(つか)んだまま震えている。元々人間の悪感情に(さら)され続けてきた彼女だ、目の前の地獄から生じるそれを誰よりも敏感に感じ取ってしまっているのだろう。

 

 そうしている間にも、日本人、アメリカ人、韓国人、中国人が成れ果てた《EGO化身態》達は殺し合いを続けていた。巨大な武器で叩き潰し、薙ぎ払うだけでなく、殴打、踏みつけと多様な攻撃で互いを滅ぼさんとしている。それまで舞い飛んでいた赤い血はどす黒い色へ変わり、大地も人も怪物も同じ色に染まっていった。

 

 そして、利己心を乗り越えた者には《EGO》という祝福を、逆に利己心に呑み込まれた弱き者には《EGO化身態》という呪いを与える《進想力(しんそうりょく)》は、赤黒い光の粒子の形を取って、依然として濁流のように流れ続けていた。

 

 日本語、英語、韓国語、中国語が入り混じって溶け合った怒声、罵声、絶叫が聞こえたかと思えば、そこに赤黒い光の《卵》が作り出される。そして新たな《EGO化身態》が孵化し、既に生まれている《EGO化身態》及びまだそうなっていない者達と殺し合いを始める。

 

 そうでない者達の行く末は、混乱と焦燥の断末魔を上げて叩き潰されるか、《進想力》を集めて《卵》となり《EGO化身態》へ成り果てるかのどちらかだった。どちらが多い傾向にあるかは最早(もはや)わからない。理解が及んでいるのは、先の人界と暗黒界の戦争を超える規模で、《EGO化身態》は爆発的にその数を増やしていっている事だった。

 

 その惨状を引き起こしているのがアンダーワールド人ではなく現実世界人(リアルワールドじん)なのだから、眩暈(めまい)と吐き気が込み上げてくる。そんな中で叫び声が聞こえた。

 

「キリト、キリトよぉ!!」

 

 声の主はクラインだった。ディアベルとエギル、そして共に赤鎧達を迎え撃っていたプレイヤー達を連れてやってきていた。全員が恐怖と混乱を極めた顔をしている。恐らく自分もそんな顔をしているのだろう。

 

「何なんだよ、どうなってんだよこりゃあ!?」

 

「プレイヤー達が……人がモンスターになっていってるぞ!?」

 

「これもこの世界の仕様なのか!? だとすりゃあ、悪趣味が過ぎるだろ!?」

 

 クライン、ディアベル、エギルの順でそう言ってきた。赤鎧達の襲撃まで、完全なる異世界を観光している気分だったこの三人には、まだ《この世界の隠された仕組み》を説明していなかった。

 

 人が怪物となるメカニズムや理由は話せる。本来ならば今すぐ説明して、納得してもらう事が妥当なのかもしれない。だが、そんな事をしている暇も余裕もない。そうしている間にも、現実世界人は次から次へと赤黒い光の粒子を集めて《卵》となり、怪物として孵化していた。

 

 それを免れている現実世界人は、混乱と焦燥に呑み込まれて行動不能になっており、怪物と化した同胞に叩き潰されるか踏み潰されるかして、血飛沫と肉片を撒き散らして(たお)れていった。

 

「キリト!」

 

 もう一度声が聞こえてきた。顔を向けるとアリス、ユージオ、メディナ、グラジオの四人がいつの間にか揃っていた。各々の手元で、利己心が昇華した武器《EGO》が煌々(こうこう)と光を放っている。だが四人の表情は困惑を極めたものになっていた。《EGO》だけが《EGO化身態》の群れを感じ取って臨戦状態になっているが、使い手はそうではなかった。

 

「現実世界からのキリト達の仲間が皆、《EGO化身態》になっていってる……どうなっているの」

 

「しかもあの粒子みたいな細かい光を放つ部位のある肉体……あれは《EGO化身態》の中でも特段強い奴の特徴ではなかったか!?」

 

 ユージオは茫然自失になりかけているような顔と声色で、メディナはそこに焦燥を混ぜた顔で伝えてきた。その間にも日本語、英語、韓国語、中国語の罵声と怒声が聞こえてきて、放った者が新たな《EGO化身態》となって大地を、人を踏み荒らす。帝都オブシディアを守るべく戦っていたアンダーワールド人はほとんど全員が(おび)えるように前線から離れていた。

 

 最前線はつい先ほどまで日本人、アメリカ人、韓国人、中国人だった者の成れの果てが殺し合うだけの場となっていた。現実世界とほとんど関係を持たない人々が暮らすアンダーワールドに強引に押し入り、現実世界で抱き続けた憎悪をぶつけて争い合っている。

 

 まるで現実世界で戦争できないから、代わりにアンダーワールドで戦争をしているかのようだった。

 

「あんなに沢山の強い《EGO化身態》を相手にするなんて、たとえ《EGO》を持つわたし達でも無理だわ……!」

 

 アリスが他の三人同様に焦燥した様子で言うと、既にやってきているドロシーとダハーカも続いてくる。彼女達だけではなく、暗黒界人と亜人族からなる暗黒騎士達も集まってきていた。先ほどまで嬉々としてアンダーワールド人への殺戮(さつりく)を働いていた現実世界人達は、《EGO化身態》となって憎悪する敵を潰す事しかできなくなっていた。

 

「キリト、小官達はどうすれば……あんな怪物の群れなんて、見た事がありません……」

 

「あれらはどうすればいい。奴らは帝都オブシディアへ襲って来るのか?」

 

 ドロシーとダハーカからも質問が飛んでくる。

 

 これで(いく)つ目だろうか。突然現実世界からの敵が来て暗黒界人達を殺戮したかと思えば、同じ現実世界からそれらと敵対する者達が現れて防衛を開始した。しかし新たな襲撃者が押し寄せると、帝都を防衛してくれていた現実世界人達が怒り狂って殺し合いを始め、ついには《EGO化身態》となって暴れ狂っている。

 

 あまりに突然すぎる出来事が連続しているのだ、彼らがそう思ってしまうのも仕方がない。だが、そこに対する答えは――。

 

 答えは――。

 

「――!」

 

 何かを言おうとした瞬間、衝撃が襲ってきた。《EGO化身態》の群れから飛んできたものではない。地面から突き上げられる激しい縦揺れだった。

 

「な、何!?」

 

「今度はなんだ!?」

 

 アリシャ・ルーとサクヤが声を上げ、《EGO化身態》にならずに撤退していた現実世界プレイヤー達も一斉にざわめく。直後、縦揺れは横揺れへ変化し、すぐにまた縦揺れへ変わる。その繰り返しで、立っていられなくなるまで時間はかからなかった。

 

「全員、伏せろ!!」

 

 質問への答えではないが、キリトはできる限りの大声で伝えた後に、地面に剣を突き刺して膝を下ろした。空いた片手で背中にしがみ付いているシノンの身体を抱き締める。正気を保っている者達も各々の武器を地面に突き刺して支えにして、姿勢を低くする。間もなくして揺れは強くなった。

 

 一見すると地震だが、アンダーワールドで過ごした二年間、地震に見舞われた事も地震という単語を聞いた事もなかった。そのため、大規模神聖術以外では地震は発生しないと思っていた。こんな地獄のような状況下で地震まで加わるとは、踏んだり蹴ったりどころではない。

 

 お願いだ、もうやめてくれ――そう思っていたところ、地面からの揺れは一層強さを増した。周囲から男女問わない悲鳴が届いてくる中で、キリトははっとした。

 

 ……何かが居る。途轍もなく巨大な何かが地の奥深くで動いている。上を目指して突き進み、ついに地表を突き破って姿を見せようとしている――そんなイメージが頭から離れなくなった。そのイメージは聞こえてくる悲鳴を全て消し去り、キリトに静寂をもたらした。背中にしがみ付くシノンの声さえも聞こえなくなった。

 

 ただ、揺れだけを感じる。地面の中から、巨大な何かがどんどん近付いてくる。何故か、そう感じてならない。

 

 

「――来る」

 

 

 呟いた次の瞬間、一際大きな轟音が聞こえてきた。空間を満たすありとあらゆる悲鳴と雑音をかき消し、はっきりと聞こえた。方角は――南。向き直ったところ、遥か彼方で、白い槍の穂先のようなものが地表を突き破って出てきているのが認められた。

 

 細かいディテールは見えないが、かなり遠いここからでも形がわかるほど巨大だった。

 

 あれは、武器?

 

 それとも建造物? 

 

 疑問が頭に広まりかけた直後、巨大な槍の穂先にも見えるそれから何かが飛び上がった。具体的な姿は把握できないが、白い光を(まと)う球体のように見える。夜空に大輪を咲かせるべく打ち上げられた花火のようだった。

 

「え」

 

 キリトは茫然自失になりながら、その軌道を目で追いかけていた。どんな綺麗な花が開くのだろう――そんな期待を胸に抱いて、空へ打ち上げられる花火玉を見る花火大会の観客のように、ただその行く末を見つめていた。

 

 そして、白い光の球体は爆発した。音はなかったものの、強烈な閃光が放たれ、一瞬のうちに視界が真っ白になる。目が焼けてしまいそうな錯覚に陥りそうになり、キリトは剣から手を離して腕で目を覆った。光を目の中に入れないようにしっかりと押さえ付け、閃光が止むのを待った。

 

 もしかしたら本当に爆発だったのかもしれない。あの白い光の球体は極大の破壊をもたらす未知の神聖術であり、この世界そのものを吹き飛ばすほどの爆発を起こしたのかもしれない。

 

 いや、もしかしたら神聖術に見せかけたリセット処理かもしれない。アンダーワールドはあろう事かコントロールの一部を武装産業スパイ達に乗っ取られてしまっているうえ、無数のアメリカ人、韓国人、中国人プレイヤーが押し寄せて身勝手に戦争をし、ついには《EGO化身態》と化して暴れ狂う地獄となっている。ラース側がもう歯止めが効かなくなったと判断し、リセット処理を強行したのかもしれない。

 

 それならせめて何とかして通信手段を回復させて「もう駄目だ、キリト君。アンダーワールドをリセットする」と伝えてくれよ、菊岡さん――キリトは胸中で(つぶや)いた。

 

 この世界で過ごした日々、出会った人々、共に窮地も厄災も乗り越えた仲間達の姿が思い出されてくる。こんな終わり方になってしまうだなんて。どうしてこの世界を守れなかったのか――。

 

 これ以上ない後悔が押し寄せ、潰されそうになる。

 

 ごめん、俺が弱かったばかりに、こんな終わり方になってしまって――何度も胸の中で謝罪を繰り返し、消滅の時を待った。

 

 しかしいつまで経っても身体の感覚は消えなかった。《EGO化身態》が争う地獄の音も再度聞こえてくる。光も止んでいるらしい。キリトは目元から腕を離し、かっと(まぶた)を開いた。

 

「……え」

 

 それ以外の言葉が出なかった。そこに広がっていたのは、()()だった。

 

 つい先ほどまでの赤紫色の空と赤い雲ではなく、澄み渡った青い空と美しさすら感じる白い雲が、眼前に広がっていた。

 

「なんですか、これ……」

 

 キリトが今まさに言おうとした事を先に口にしたのは、ドロシーだった。暗黒界生まれ暗黒界育ちである彼女は、目をこれ以上ないくらいに見開いて、青い空を見ていた。隣にいる兄のダハーカ――どころではなく、その場で確認できる全ての暗黒界人が、青く染まる空を見て唖然としていた。

 

「青い……空……?」

 

 次に呟いたのはダハーカだった。彼らにとっての常識の空とは赤紫色で赤い雲が浮かぶ、まさに《魔界》の様相だった。それが今、真反対の目の覚めるような青色となり、雲は白に変わっている。これまでの常識(あたりまえ)が破壊されて、言葉が出なくなっているのだ。

 

 その空をキリトも呆然としながら見上げていた。人界を出て以来久しぶりに見る青い空だ。いや、その青の純度と白い雲とのコントラストの美しさは、人界でいつも見ていたそれを上回っている――そんな気がしてならなかった。あまりに綺麗で、気を抜けば足が地面を離れ、そのまま空へ()()()いきそうな錯覚さえ覚えた。

 

「これは、何だ……?」

 

 唯一それだけが口にできた。アンダーワールドはリセットされるんじゃなかったのか。あの白い光の球体は、世界を終わらせる終末の爆弾ではなかったのか。

 

 では、あれはいったい何だったというのだろうか。

 

 暗黒界の赤紫の空を純粋なる青空へと変えるための神聖術だったのだろうか。

 

 何のためにそんな事を。疑問が水源から絶え間なく湧き出る水のように生まれ、脳内がいっぱいになる。溢れ出しそうなところで何とか踏みとどまっていた。だが、それでも現象の正体は掴めそうになかった。

 

「何が、起きておる……?」

 

 (みにく)く争う現実世界人への怒りと戸惑いを募らせていたカーディナルが、混乱を極めた顔でそう言ったその時だった。どこからともなく大きな音が轟いてきた。名匠が作り上げた楽器と獣の声を合わせたような音――聞いた事のないようなそんな音が、確かに空から聞こえてきた。

 

「え?」

 

 それまでキリトにしがみ付いていたシノンが声を漏らした直後、もう一度地震が襲ってきた。周りの仲間達が「またか!?」という言葉と悲鳴を上げると、より一層地震は激しくなり、誰も立っている事ができなくなった。

 

 憎むべき敵を殺戮する事しか眼中になかった《EGO化身態》の群れも同様だった。足元を掬われたようにバランスを崩して地面に膝を落とし、這いつくばっている。

 

 しかし、地震は青い空の顕現前よりは長続きしなかった。永遠に続くのではと思われていた地鳴りが収まり、周囲を静寂が包み込む。暴れ狂っていた《EGO化身態》達も足元を取られてしまって動けず、静まり返っていた。

 

 地震、光球の打ち上げと爆発、空の青空化、そして静寂。完全に置いてけぼりになり、頭の回転が麻痺している。今何が起きているのかを理解している者は、この場に誰も居なかった。

 

 だが、沈黙はすぐさま破られる事になった。もう一度空から鋭い音が聞こえたかと思うと、視界の隅に巨大な影が落ちてきた。心臓を掴まれたかのように驚き、キリトはそこを見る。

 

 そこは身勝手な憎悪を利己心へ変え、《EGO化身態》という名の怪物へ至った者達が争い合っていた最前線だった。そこに闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れていたが、その特徴を目にしたキリトはもう一度目を見開く。

 

 全長は一五メートルほどで、純白の毛並みに全身を包み、天使のような翼を肩から、聖剣のような角を(ひたい)から生やし、人間の頭髪を思わせる(たてがみ)を頭部になびかせた巨大な狼竜。

 

 全て既視感があるどころではない。その特徴は完全に――。

 

「……リラン……?」

 

 自分の《使い魔》であり、家族の一人であるリランの狼竜形態に酷似していた。よく確認してみると、鬣の色や長さ、目の色、角の形状、体格にばらつきがあるとわかったが、大まかなシルエットはリランと瓜二つだった。リランが属する種族の同胞と言われれば納得がいくほどだ。

 

 そこでキリトはリランに向き直った。案の定彼女は絶句して、自身にそっくりな狼竜の群れを見ていた。その間にも、空から次々とリランの同胞と思わしき狼竜達が舞い降り、《EGO化身態》と成り果てた者達と戦い始める。

 

 ただでさえ強い《EGO化身態》が群れを成しているという、絶望的な光景。狩り尽くそうと意気込んで突っ込んだところで捻り潰される事は目に見えている。その中へ舞い降りてきた狼竜達は、あろう事か《EGO化身態》を薙ぎ倒し、切り裂き、引き千切り、咬み千切っていった。

 

 勢いを取り戻した《EGO化身態》の軍勢は怒り狂い、各々の得物を狼竜達へ振り下ろし薙ぎ払い殺戮しようとするが、狼竜達は飛んできた攻撃を適切に防ぎ、いなし、(さば)いて、猛烈な反撃で逆に斃していく。その間にも空からの狼竜は数を増やしていき、百体、二百体となり、千体となり――ついには数え切れなくなった。

 

 ただでさえ巨大な狼竜の軍勢が、大小様々な《EGO化身態》の軍勢と激突している光景は、最早渾沌以外の何物でもなかった。

 

 しかし、圧倒的な力で狼竜達が《EGO化身態》達を蹂躙(じゅうりん)していく様には、何故か神々しさを覚えた。まるで欲望の果てに怪物となった愚かな人間達に裁きを下し、穢された地上を浄化するために天界の最高神が遣わした者達による聖戦を見ているかのようだ。

 

「――キリト君!」

 

 暴れ狂う《EGO化身態》と、それを適切に処理するように倒していく狼竜達の戦闘に釘付けになっていたキリトは、飛び込んできた呼び声で我に返り、そちらへ向き直った。

 

 ユイと同じ黒い髪をなびかせ、リランと似た赤茶色の瞳、大人になったクィネラに似た体型で、ストレアと同じ大きな胸をした女性の姿があった。イリスだ。

 

 その背後には東西南北に散らばって現実世界からの襲撃者達を迎撃していたアスナ、リーファ、リズベット、シリカ、フィリア、セブン、レイン達といった仲間全員の姿もあった。よく見ればユイとルコまで居るから驚いた。

 

「イリスさん!? それに皆も……」

 

「おにいちゃん、大丈夫!?」

 

「どこか大怪我とかしてない!?」

 

 かけようとした言葉は駆け寄ってきたリーファとフィリアにかき消された。キリトは集った仲間達を見る。多少の傷はあるものの、酷く負傷した者はいないようだ。それがわかっただけでも僥倖(ぎょうこう)だった。

 

 だが、巨大且つ根本的な疑問の解決には至っていない。その答えを持っているかもしれないイリスに、キリトは近付く。

 

「イリスさん、何が起きているんですか。空が青くなったかと思ったら、リランそっくりの狼竜が押し寄せてきて、《EGO化身態》と戦い始めて……」

 

 本来ならばもっと丁寧に話すべきだったが、その余裕はなかった。この場で唯一のラースのスタッフであるイリスに、ただ疑問を投げかけるしかできなかった。

 

 現状打破の希望のようにも感じられていたイリスは――果たして首を横に振った。

 

「本当に申し訳ないんだけどキリト君、私にも現状はさっぱりだよ」

 

「え」

 

 キリトは目を丸くした。イリスですらわからないだって? 何かの悪い冗談のように思えたが、イリスの言葉は真実だった。彼女の顔は動揺と混乱が入り混じった表情で、(ひたい)に冷や汗すらあったからだ。

 

「そんな、イリス先生でもわからないんですか!?」

 

 イリスから専門治療を受けていた患者であるシノンも驚きを隠せない声で言うが、イリスの様子は変わらない。

 

「あぁ、なんだろうね、あれ。少なくとも私が知る限りのデータにあんなのは――」

 

「――皇獣(おうじゅう)

 

 イリスの言葉に割り込んできたのはカーディナルだった。全員でそちらを向くと、現実離れした光景――実際そうなのだが――を見ているような顔をしていた。口が半開きになっているところが、普段の彼女からは考えられない様相だった。

 

「カーディナル、今なんて?」

 

 キリトの問いかけにカーディナルは答える。視線は狼竜の軍勢によって《EGO化身態》の群れが蹂躙される前線へ向けられたままだ。

 

「皇獣じゃ。全身を雪のような純白の毛に包み、彩色豊かな鬣をなびかせ、額からは剣のような角を、肩からは大きな翼を生やした、狼の輪郭を持つ巨大な獣……名を広く知られるアンダーワールドの神々を超える上位神によって使役されるとも、それ自体が神であるともされる存在……まさか、実在していたとは……」

 

 カーディナルは表情一つ変えずに淡々と語っていた。そこでキリトは引っかかりを覚える。今しがたカーディナルが語った皇獣とやらの特徴は、リランの狼竜形態そのままである。という事はまさか、リランは初めから狼竜ではなく、皇獣という名の特別な存在としてアンダーワールドに顕現していたというのだろうか。

 

「待ってくれ。あいつらはリランそっくりじゃないか。リランもその皇獣だったっていうのか」

 

「わしも最初はそう思った。じゃが、お主達が現実世界からやって来た者だと知ってから、リランはアンダーワールドに入り込んだ際に皇獣に似た姿を取った、皇獣ではないものだと思い直した。そして神々はラースがログインするために作ったスーパーアカウントで、神話はそれをアンダーワールド人に悟られぬようにと作られた創作話であり……今の人界に広く知れ渡っているのはアドミニストレータがそこに手を加えたものじゃ。だから、皇獣などというものは実在しないとばかり思っておった。……ついさっきまでな」

 

 皇獣という実在しない存在が描かれた神話を作成したのは、他のスタッフの誰か。だからこそイリスも知らなかったのだろう。何となくではあるが、合点がいった。

 

「どうしてそんなものが急に現れたっていうの」

 

 アスナの問いはキリトが今まさに言いたかった事だった。架空の存在とされていたはずの皇獣が、どうしてこの場に顕現し、《EGO化身態》との戦闘を開始したというのだろうか。投げかけられたと思ったのか、カーディナルが振り向きつつ答えてくる。

 

「……その言葉、そっくりそのまま返すしかない。イリスよ、何故皇獣がアンダーワールドに現れたと思う」

 

 カーディナルの顔はイリスに向けられていた。イリスはこの場で唯一アンダーワールドの仕組みを知るラースのスタッフである。先の自分のように問いたくなるのも当然だろう。そんなイリスはというと、気難しそうな顔をして答える。

 

「考えられる要因としては、武装産業スパイ達がメインコントロールルームのコンソールでクラッキングを仕掛け、アンダーワールドでの神話の存在となっている皇獣を生成するようカーディナル・システムに命令(プロンプト)を入力したか……いや、メインコントロールルームのコンソールだってセキュリティはばっちりだったから、もう命令は入れられないはず……」

 

 イリスは顎に指を添えて独り言を口にし始めた。《EGO化身態》達は皇獣の相手に精一杯で、尚且つ着実に数を減らしつつあった。皇獣達はこちらに意識を向けてくる気配もない。

 

 ひとまずこの場で考え事をしていても安全ではあるが――今それが妥当かと言われたら頷けはしない。

 

「えっ……皆、あれを見て!」

 

 その時、アリスが戦場を指差した。言われた通りに皆でそちらを見る。そこは《EGO化身態》と皇獣が殺し合う地獄であったが、奇妙な事が起きていた。皇獣達に斃された《EGO化身態》は元の姿へ戻る事なく、金色の光の粒子となって消滅していたのだ。アンダーワールドで落命した者が出す《絶命の光》だ。

 

 あまりの惨状に目を背け続けていたが、いつの間にか戦場の地表は金色の光で埋め尽くされていた。万単位の人間が一斉に戦闘して、死亡しているのだから、当然といえば当然だった。

 

 次の瞬間、その《絶命の光》はふわりと空へ浮かび上がると、一体の超巨大な蛇を思わせる形となって、ある一点へと吸い込まれるように飛んで行った。誘われるように視線を動かしたところ、そこは空が青く染まる原因を作った白い光球が打ち上げられた場所であり――かつて暗黒神ベクタとなってログインしていたサトライザーがアリスを連れ去るために利用しようとしていた、《果ての祭壇》のある方角だった。

 

 改めてそこに意識を向けたところ、キリトは目を限界まで見開いた。ワールドエンド・オールターとも呼ばれるそこから、《果ての祭壇》は消え去っていた。代わりにあるのは、地面から伸びる巨大な白い(つた)に支えられ、天へ向かって(そび)え立つ巨大な建造物。

 

 

「アイン……クラッド……?」

 

 

 実物のそれと比べて大分細く、人界のセントラル・カセドラルよりも眩しい白色をしていて、ところどころに虹色の光が走るラインがあるという相違点はあるものの、自分達にとって全ての始まりのゲームとも言える《ソードアート・オンライン(SAO)》の舞台である鋼鉄の浮遊城アインクラッドに酷似した外観をしていた。

 

「おいおいおい、何なんだ、ありゃあ……!?」

 

「虹色に光る塔……だと……!?」

 

 そう言ったのはアスナ達と共にやってきた整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンと、暗黒騎士団長ビクスル・ウル・シャスターの二人だった。彼らだけではなく、その場にいる全員が驚き切った顔で未知の建造物を見つめていた。

 

「まさか神の塔? いいえ、天界だの神だのは《あいつ》の作った与太話(よたばなし)だったはず……じゃあ、あれはいったい?」

 

「《生命の光》が吸い込まれていっているわ……まさか、あの塔は命を吸っているというの?」

 

 普段は冷静な整合副騎士長ファナティオ・シンセシス・ツー、シャスターとこれから夫婦となる暗黒騎士リピア・ザンケールも動揺と驚きを隠せていない顔をしていた。その間にもリピアの言っている通り、《生命の光》が群れを成して目的地へ向かう渡り鳥のように《塔》へと吸い込まれていく。

 

 それだけで終わらなかった。《塔》を注意深く見つめると、白い影が動いているのがわかった。距離が遠すぎて詳細は分からない。クィネラから支給された双眼鏡を取り出して(のぞ)くと、皇獣の群れだと把握できた。

 

「皇獣だ……あの《塔》から皇獣が来てる」

 

 既に驚き切ってしまっている皆が、キリトの言葉に更に驚いて声を上げる。キリトが双眼鏡を覗くのを止めた時には、皇獣の増援が戦場へ到着し、《EGO化身態》の群れと交戦を開始した。現実世界プレイヤー達が変じた《EGO化身態》は実に多種多様な姿をしていて、その数も数万体に及ぼうとしているほどだというのに、皇獣達は一体も殺される事なく《EGO化身態》を《絶命の光》――《生命の光》へと変えていった。

 

 まるで《EGO化身態》の掃除という作業に慣れているどころか、そのために最適化されているかのようだ。

 

「キリト……わかるよな」

 

 よく聞いた野武士のような青年の声にキリトは応じる。あれだけの赤鎧を相手にしながらごく軽傷で済んでいるクラインが、身体を震わせていた。

 

「こんな地獄みてえな惨状を作り出す奴なんて、ハンニバルしか居ねえ! 何もかも、あのハンニバルの仕業だ!!」

 

 

 

 

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