キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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12:心カラ願ウ事

□□□

 

 

「……ん」

 

 ガブリエル・ミラーはようやく声を出せた。

 

 いつからなのかは定かではないが、途轍もない力が自分を包んでいた。最初こそは、まさしく神の力に酔いしれて、抵抗してくる者達、旅路を邪魔する者達を排除すべく攻撃を繰り出していた。

 

 振るわれた手や尾にそれらが薙ぎ倒され、吐き出した火炎に飲み込まれて消し炭となっていく様には快感を覚えた。今の自分に(かな)う者は誰も居ない――そんな全能感に包まれ、思うがままにガブリエルは力を振るった。

 

 力はどんどん勢いを増していき、邪魔者達への攻撃を重ねるごとに快感も強くなっていった。そんな楽しい時間を続けていたところ――いつの間にか、何も見えなくなっていた。辺り一面がどす黒い闇に包み込まれていて、自分がどこにいるのか、どのような姿になっているのかさえもわからなくなっていた。

 

 それどころか、何かを考える事もできなくなっていたが、胸の内にある願いと愛情だけは消えずに残っていた。その願いを、愛する人への思いを、ガブリエルは口に出し続けていた。ただそれだけを時間を忘れて繰り返した。

 

 そうしていたところ――ある時突然、黒い闇は白い光へと反転し、ガブリエルは解き放たれた。しかしそれでも、感覚と輪郭を取り戻せずにいた。まるで不定形な海月(ジェリーフィッシュ)になって海中を漂っているかのようだった。

 

 

 ――ゲイブ――

 

 

 声が聞こえた。誰かが自分を呼んでいる。聞き覚えがあるような、ないような、はっきりしない。

 

 

 ――ゲイブ――

 

 

 もう一度聞こえた声がトリガーになった。溶けかかっていたガブリエルの身体は元の姿に再構築され、感覚が戻ってきた。海中から海面へと、原型を取り戻した身体が上がっていく。深き底から明るい太陽の下へ向かっていく。

 

「ゲイブ」

 

 全てを取り戻したガブリエルはゆっくりと(まぶた)を開いた。最初に見えたのは――ただただ白い空間だった。他の何色も混ざっていない純白が、どこまでも広がっていた。どこかの部屋の中ではないというのはすぐに(つか)めた。

 

 不思議な事に、その白は美しく感じられた。これといった特別さはないのに、美しい。何故かそう感じられていた。

 

「ゲイブ」

 

 声が聞こえた。女性の声色。何となくだが聞き覚えがあるような気がする。誘われるようにして視線を上へ向けてみたところ、声の主が見つかった。

 

 女性だった。絹のようにさらさらとした金色の長髪を下ろし、自分のそれとは少し違う色相の青い瞳をした女性がこちらを(のぞ)き込んでいた。そこでガブリエルは女性に膝枕をされている事に気が付いたが――そのあまりにも美しい顔立ちと柔らかくて温かい微笑みに意識を奪われ、動く事ができなかった。

 

「……ようやく、会えたわね」

 

 女性が小さくもよく聞こえる声で言った。職人が己の全てを注ぎ込んで作り上げた楽器の奏でる音色のような声。その口ぶりは、まるでずっと会えなかった大切な人との再会を果たせたようなそれだった。

 

 ガブリエルは首を(かし)げたい気持ちになっていた。ようやく会えた? この人は自分と会う事を望んでいたという事なのだろうか。困った事に、この女性に関する記憶がまったくない。この美しい女性はいったい――。

 

「……え」

 

 もう一度記憶を探ったその時、ガブリエルはある存在を思い出した。それは自分が今ここに至るまでの経緯そのものである《旅》の目的だった。

 

 ずっと一緒にいたけれども、理不尽な運命によって引き裂かれる事になってしまった。その運命に少しでも抗おうとして――共に一つになろうとして失敗してしまった、()()()愛する人。

 

 当時は十歳の少女だったその人の特徴と、今自分に膝枕している女性の特徴を照らし合わせたところで、ガブリエルは目を見開いた。女性は――大人になったアリシア・クリンガーマンと言われれば素直に受け入れられる容姿をしていた。

 

「アリ……シア……?」

 

 ガブリエルはがっと起き上がり、振り返って女性を見つめた。金色の髪と紺碧の瞳は、確かに自分が探し求めていたアリシアのものと同じだった。それらを持つ女性は、こちらから一切目を離さずに、静かに口を開いた。

 

「そうよ、ゲイブ」

 

 そう言って浮かべられた微笑みに、ガブリエルは限界付近まで目を見開く。女性の微笑みは――アリシアが自分にだけ向けてくれていたそれと一致していた。

 

 間違いない。この女性は――。

 

「アリー……!!」

 

 ガブリエルは精一杯腕を広げ、アリシアを抱き締めた。力を入れたかったが、そうしてしまうと壊してしまいそうで、そっとしか抱けなかった。それでも十分だった。心地よい温もりがじんわりと全身に渡っていく。十年前のアリシアだけが持っていたものと相違がなかった。

 

「アリー、ずっと……ずっと君に会いたかった……!」

 

「私もよ、ゲイブ……ずっとあなたに会いたかった……」

 

 背中に手が当たる。アリシアの手だった。そこからも心地良い温もりが伝わってくる。同時に、十年前のあの時から体内に取り憑いた冷たさが消えていくのを感じた。

 

 この世に存在する何物にも例える事のできないどろどろとした冷たい闇。アメリカ政府から《伝説の兵士》とさえ言われたガブリエルでもどうする事もできなかったそれが、アリシアに触れた途端、浄化されるようにガブリエルの中から消えていった。

 

「ずっと君を探していた……あちこち探して、探し回って……それでも見つからなくて……」

 

 誰にも話せないために心の中に溜め込み続けるしかなかった気持ちが、自然と口から出ていく。アリシアはその全てを受け止めてくれた。

 

「……そうだったのね。私も、あなたにずっと気付いてもらえないでいて……」

 

 ガブリエルは「え?」と言って顔を上げた。何物にも代えがたい彼女の紺碧の瞳の中に、自分の顔が映っていた。酷い泣き顔だった。

 

「あなたと一つになろうとしたあの時……私はあなたを殺せなかった」

 

「あぁ。僕も君を追おうとした。そしたら、君の身体から何かが出てきて……僕の中に入ってきて……」

 

「そうよ。あの時からずっと、私はゲイブの中に居たの」

 

 ガブリエルは目を見開いた。ずっと(そば)に居てくれた?

 

「あの時から……? でも、あの後すぐに君の事が感じられなくなったんだ。僕は君がどこかへ行ってしまったと思って……」

 

「えぇ。多分だけど、私はゲイブの中の、けれどゲイブにはわからない場所に入ってしまっていたんだと思う。そこからずっとゲイブに呼びかけ続けていたんだけど、ゲイブは気付いてくれなくて……」

 

 何という事だ――ガブリエルは落胆と驚きと不甲斐なさをいっぺんに胸中に抱いた。アリシアは誰よりも自分のすぐ傍に居てくれていて、声を掛け続けてくれていた。

 

 なのに自分ときたら、「アリシアを見つける《旅》をしよう」と心に決めて、あちこちを巡り巡って、何百人も殺して、《伝説の兵士》なんて言われるようにまでなったというのに、誰よりも愛するアリシアの、すぐ傍からの訴えに全然気付かなかった。

 

 僕がアメリカ合衆国が世界に誇る《伝説の兵士》? 馬鹿じゃないのか。

 

「そうだったのか……君を誰よりも愛していたのに、君の声に気付かないでいただなんて……僕は、なんて……」

 

 アリシアはぎゅうときつく抱き締めてきた。顔がアリシアの胸に押し付けられる。「それ以上言わないで」というアリシアからの声なき(うった)えだった。

 

「もういいのよ、ゲイブ……こうしてまた、会えて……これからはずっと一緒なんだから」

 

 ガブリエルは頷き、アリシアを抱き締め返した。

 

 終わりの見えなかった堂々巡りが、ようやく終わる。身体から力が抜けていき――すぐに戻ってきた。愛する人を探し出すための力が、愛する人を離さずにいるための力に変わった。

 

「あぁ。これからはずっと、ずっと一緒だよアリー……もう君を離すものか。君から、離れるものか」

 

「ねぇゲイブ、あなたはずっと《旅》をしてきたって言ってたわよね」

 

「うん。この世のどこかに君が居ると思って、ずっと《旅》をしていたんだ。実際はとんだ無駄足だったけど」

 

「いいえ、無駄足なんかじゃないわ。全部ゲイブの頑張りよ。その《旅》の話を、私に聞かせてもらえないかしら。大好きなゲイブが私のためにどれだけ頑張ってくれてたのか、知りたいの」

 

 頭の中に色々な物事が(よみがえ)ってきた。今日ここに至るまでの《旅路》が、鮮明に浮かび上がってくる。しかし困った事に、思い出達は「私が先だ!」「僕が先!」と言わんばかりにぶつかり合い、記念すべき一番手を奪い合い始めてしまった。

 

「あぁ、話すよ。全部話そう。僕が君を見つけるまでに通ってきた道を……《旅》の全てを。あぁ、でも、あはは……どれから話せばいいのかな……あれかな、いや、あれかなぁ……あぁ、あれがいいか!」

 

 ガブリエル・ミラーはアリシア・クリンガーマンに全てを話し始めた。その時には、鎖となって彼を縛り付けていた《伝説の兵士》、《闇の皇帝サトライザー》という肩書きも名誉も、無限に広がる白い光の中に消え去っていた。

 

 

□□□

 

 ユウキとカイム。ラースによって《剣神グラディア》と《月神ツクユミ》の力を与えられた二人の剣が閃いた瞬間が、未だにキリトの脳裏に残っていた。金剛石の剣のような(まばゆ)い光を放つ二人の一撃が、闇を引き剥がされる事によって露出した邪龍の中枢核に突き立てられた。

 

 次の瞬間、あらゆる音の渾沌(こんとん)に呑み込まれていた大部屋に静寂が取り戻された。その元凶だった《闇界神(あんかいしん)ヤビコマガツキ》の身体は時間が止まったかのように完全に静止し――やがて闇の奔流(ほんりゅう)の中で光を放っていた白い結晶のような中枢核が音もなく砕け散ると、それまで異形の邪龍の姿を形作っていた闇は床へと流れ落ち、浄化されるように黄金の光へと分解された。

 

 ヤビコマガツキはガブリエル・ミラーであり、ガブリエルはヤビコマガツキの大きすぎる力に呑み込まれて暴走していた。その闇が光へと変わっていく様は、ガブリエルの魂が解き放たれ、ありとあらゆる(しがらみ)から自由になったかのようだった。そうして彼の魂を含んでいるであろう黄金の光は、それまで彼によって守られていた次の階層への扉へと吸い込まれていった。

 

 三百人以上の犠牲を払う事になったが、戦いは終わった。ユウキとカイムはついにガブリエルとの因縁を断った。

 

 不意に、カイムの実家が縁断ちと縁結びを(つかさど)る神様を(まつ)る神社である事が思い出されてきた。そして元々ガブリエルとの因縁を持っていたのはユウキの方だ。

 

 彼女がガブリエルとの因縁を断てたのも、縁断ちと縁結びの神様を祀る家系のカイムと家族になれたからなのではないか――そんな考えがキリトの中に浮かび上がり、泡のように消えた。

 

「ディー様!!」

 

「ディーさまぁ!!」

 

 ボスの居なくなった大部屋に多くの女性の悲鳴が響いた。キリトは振り返り、狼竜形態のままのリランと共に発生源へ向かった。連合軍の戦士達が多く集まっている。その中心付近に居るのは、多くの暗黒術師達だ。道を開けてもらい、中心に辿り着いた。暗黒術師達に囲まれていたのは、そのギルドの長だった。

 

 白銀色の髪をなびかせ、浅黒い肌を広く露出させる服装をしていた、美しくも妖しく、残酷な魔女と呼ばれていた女。現在の彼女は、ただでさえ布の少ない服がぼろぼろになっていて、露出した肌のあちこちが黒く変色し、黒い血が(あふ)れ出て止まらなくなっている。

 

 《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》の流す血に似ていなくもないが、《進想力(しんそうりょく)》は湧いてきていない。《EGO化身態》になりかけているのではなく、闇が混ざる事で黒く変色しているのだ。

 

 そして女性の理想形とも言えるその四肢はほとんど千切れているに等しい――見るも無惨な姿だった。

 

「ディー・アイ・エル……」

 

 キリトが小さく声を掛けると、返事があった。水色のメイクがところどころに見受けられるその顔も、いたるところが闇によって(ひび)割れ、黒い血が(にじ)んでいた。口からも黒い血が流れて止まる気配がない。

 

現実世界人(リアルワールドじん)だとかいう坊や……あいつはどうなったの……身体がいう事聞いてくれなくて……確認できないのよ……」

 

「ヤビコマガツキなら、消滅したよ。あんたがとんでもない術を使ってくれたおかげで俺達は――」

 

「違うわよ……あの、ベクタだった奴と……大教皇(クソ餓鬼)よ……あいつらはどうなったって聞いてんの……」 

 

「あいつらも消えたようだ。あんたの術がなきゃ勝ち目がなかった。あんたのおかげで勝てたんだ」

 

 ディー・アイ・エルは「はぁ?」と言った。こちらが言った事を不服に思っているらしい。

 

「何よ……大教皇を引っ張り出せなかったわけ……? 私はそのつもりでやったっていうのに……」

 

 ディー・アイ・エルは弱々しく()き込んだ。黒い血が吐き出され、口元が汚される。

 

「ディー・アイ・エル、お前は何をやってみせたんだ」

 

 《十候》同士で仲は最悪の暗黒騎士団団長シャスターが尋ねると、倒れし魔女は答えた。

 

「……私は暗黒術師ギルドの長。闇を操るのは……何よりも得意なのよ……だから……闇の奔流で出来てたあいつの身体に直接指を突っ込んで、闇を支配する術を使って……流れを滅茶滅茶にしてやったのよ……そうしてやれば、あの濃厚で最高な闇を(むさぼ)ってる大教皇を引っぺがして、表に出せると踏んでたんだけど……何よ……私に手を下されるより前に勝手に消えるなんて……どこまでも私をその気にさせておいて、最後には裏切る……とんだくそったれだったわね……」

 

「もう喋っちゃ駄目です、ディー様!」

 

「今、治しますから!」

 

 ディー・アイ・エルに従えられている暗黒術師達が一斉に回復の神聖術を唱える。彼女達を見て、ディー・アイ・エルは首を横に振った。

 

「無駄よ……こんだけ身体が壊れちゃってるんだもの……もう、私は助からない……」

 

 そこでリーファとシリカが駆け付けてきて、膝を落とした。

 

「なら、あたしの《無制限天命自然回復能力》を使えば!」

 

「あたしの治癒術も効くはずです! だから今――」

 

 キリトははっとした。そうだ、リーファに適用されている《地神テラリア》の真の能力は周囲の広範囲空間から自動的にエネルギーを吸収し、自身や他の動的・静的オブジェクトの《天命》を無限に回復させられるというものだった。ヤビコマガツキ戦では回復の隙を与えられなかったのと、攻撃を受けた者達が回復以前に即死してしまっていたために使えなかったが、脅威の去った今なら使える。

 

 そしてシリカの《風神アエリア》にも《無制限気象操作》の他に、強力な回復術が使えるという能力も備わっている。二人の術ならば、ここまでボロボロにされたディー・アイ・エルでも助けられるはずだ。

 

 だが、ディー・アイ・エルはまたしても首を横に振った。

 

「やめなさい……その能力って、使えばあなた達の魂が削れるものなんでしょ……なら、温存しておきなさい……この先に、どうにもならない敵が待ち構えていたら、どうするつもりなのよ……」

 

「でも、それじゃああなたが……!」

 

 リーファが反論しようとすると、ディー・アイ・エルは顔を上に向けて、黒い血が溢れる口を開いた。

 

「ほぉら、見なさいよ。最悪の魔女がもうすぐくたばるわ。大教皇の口車に乗せられて本気で女王になろうとしていた愚かな魔女の最期を見なさい。清々するわよ」

 

 キリトはそこで引っかかりを覚えた。そう言えば先の戦争の時にも、ディー・アイ・エルは王が何とかと言っていたような気がする。そしてヤビコマガツキにも女王がどうとか言っていた。

 

「女王になろうとした?」

 

 キリトが尋ねると、ディー・アイ・エルは「はん」と鼻で笑った。

 

「私はね……暗黒界の頂点に昇り詰めて、全てを支配する王になってやろうって思ってたのよ。気に入らない連中を力で押さえ付けて踏み(にじ)って高笑いしてやって、二度と立ち上がれなくしてやろうってね。だから、どんなに屈辱的でも、あの大教皇に気に入られるために()(へつら)い続けた……大教皇が暗黒界を仕切っていて、民の中から王を決める事もできるのは事実だったから……」

 

 連合軍の暗黒界側の者達にざわめきが起こり、周囲の暗黒術師達も驚いていた。彼女達さえもディー・アイ・エルの野望を知らなかったらしい。その断片を聞かされたリーファが尋ねる。

 

「なんでそこまで支配に……王にこだわるの?」

 

 ディー・アイ・エルはリーファに顔を向けた。目を細めて口角をほんの少しだけ上げる。今まで絶対に見る事のできなかった、微笑みだった。

 

「……優しくて(まぶ)しい目。暗黒界人とは全然違う、綺麗な女の子ねぇあなたは」

 

「え?」

 

「でもね、あなたみたいな優しくて可愛い女の子の何人が、平穏に笑って生きていられたと思う? 暗黒界で女が生きていくのは、酷く難しい事なのよ。あなたみたいに綺麗な心を持っていたり、誰もが(うらや)むような美しい身体をしていたりしたのであれば、それだけで(けだもの)のような奴らの標的にされてしまう。

 だから、あなた達みたいに優しく、女らしく居ちゃ駄目だったのよ。暗黒界で女が女らしく居る事は……獣共に(なぶ)られる事にしか繋がらない……だから、女達は暗黒術師みたいに意地汚く狡猾になるか、女らしさを捨てた暗黒騎士になって獣共を狩れるようになるかのいずれかになるしかない……そういう世界だったのよ。商工ギルドに入れた女達でも、安全が保障されるわけじゃなかった」

 

 不意にリルピリン達オーク族の女性を襲っていた山賊まがいの連中が脳裏に浮かんだ。奴らはオーク族の弱い女性を狙って乱暴を繰り返していた。それはオーク族が基本的に力が弱いからというのもあるのだろうが、縄張りの近くにオーク族しかいなかったから、仕方なく襲っていたというのもあるのかもしれない。

 

 もし、ディー・アイ・エルのような美しい暗黒界人の女性を見つけたならば、率先して(みにく)い本性を(さら)け出し、そちらを襲っていただろう。醜悪(しゅうあく)な男達は女達に(よだれ)を垂らして襲おうとし、力無き女達はその脅威に怯える――そのような事態が平然と起こるのが暗黒界の日常であり、(ひず)みだったのだ。

 

 魔女と恐れられし女は続ける。

 

「暗黒界は力の強い者が全てを握れる。私が女王になれば、どいつもこいつも私のいう事を素直に聞き入れる……どんなに痛め付けて嬲ってやっても、受け入れるしかない。そうして、散々痛め付けてやって、上から飛び乗って躙り倒して押さえ付けてやって……弱い女達に一方的に危害を加えた奴を同じ目に遭わせてやって、恐怖でその顔を(ゆが)ませて心をぶっ壊してやる快感に浸りたかった。

 そうすれば誰もが私に恐怖して、女に手を出さなくなる。女達も、両手が血に(まみ)れた女王みたいになってはいけないって思って、私みたいに狡猾で意地汚くならず、普通の女として暮らすようになる……そうなれば、ほんのちょっとはマシだったかもしれないじゃない……?」

 

 ディー・アイ・エルの言葉に皆が目を見開いていた。数々の横暴と残虐非道を繰り返していた魔女の真の目的と願いは、女性達が女性らしく生きていく事ができる暗黒界の実現。大教皇に擦り寄って媚び諂っていたのも、歪んでいた暗黒界を変えたいがためだった。それは本当に誰も知らなかったらしく、彼女の手下である暗黒術師ギルドの構成員達までもが驚き切って言葉を失っていた。

 

 だが、そこで口を開いたのはダハーカだった。近くには血の繋がらない妹であるドロシーがおり、二人でディー・アイ・エルを見下ろしていた。その表情は、決して許す事のできない者への静かな怒りを募らせたものだった。

 

「……それでも、貴様のやった事を拙者達は許さぬぞ。貴様は拙者達アメンクを玩具のように(もてあそ)んできた。多くのアメンクが貴様のせいで命を落としてきた事実は変わらぬ。特に貴様が何度も何度もドロシーに手を出そうとした事を……拙者は断じて許さぬ。どんなに崇高な願いを口にし、釈明をしたところでな」

 

 ドロシーも頷いた。ダハーカ同様に許せない悪を睨む顔でディー・アイ・エルを見下ろしている。確認したところ二人だけではなく、暗黒騎士団として連合軍に加わっている亜人族のほとんどがディー・アイ・エルを睨み付けていた。それだけディー・アイ・エルがアメンクに対して行った横暴は酷いものだったのだと、キリトは改めて思い知った。

 

 そんなかつての被害者達から睨まれているディー・アイ・エルは「ふん」と鼻で笑ったが、そこでリーファが言葉をかけた。

 

「あたし、暗黒界の事は全然知らないけど……あなたが暗黒界を少しでも良い方に変えたいって思ってたのはわかる。でも、そんなやり方は間違ってるよ。怖がらせて、壊して、痛め付けて、踏みつけるなんて事をしてしまったら……あなた達を苦しめた人達と同じになっちゃう」

 

「えぇ、そうよ……私は横暴を働く奴にもっと大きな力をぶつけて恐怖させてやりたかっただけ……暗黒界のどこのどいつよりも横暴な魔女の恐怖に支配された国を作ろうとしていた愚かな女よ……結局は、気に入らない奴を、小さくてしょぼい力で横暴を働いて良い気になっている奴を痛め付けて、苦しませてやって、その心が壊れていく様を見て笑いたかっただけ……アメンクを実験材料にしてきたのも、私がやりたかったからよ……《まつろわぬもの》達が苦しんで壊れていく様を見て笑いたかったから……(ゆる)してくれなんて、これっぽっちも思ってないから、安心なさい……」

 

 吐き捨てるように告げたディー・アイ・エルから、黄金の光が立ち上り始めた。彼女の身体を喰らっていた闇が、身体ごと浄化されていく。

 

「あぁ……でも……大教皇を引っぺがせなかったのは心残りだわぁ……憎たらしいくらいに可愛いあいつをひん剥いてやって……それ……で……」

 

 最強の暗黒術師の野望は最後まで口にされなかった。途中で身体の全てが黄金の光の粒子に分解されて消え果てた。魔女と(さげす)まれ続けた彼女を尊敬していた暗黒術師達が嘆きの絶叫を発したその直後、キリトは目を見開いた。

 

 ディー・アイ・エルを構築していた黄金の光の粒子の奔流の中心に、(てのひら)に収まるほどの大きさの白い光珠(たま)が出現し、ゆっくりと宙に浮かび上がった。これまでアンダーワールドで人を含めた動植物が死亡すると、その亡骸(なきがら)は速やかに黄金の光――《生命の光》と呼ばれるそれに還元され、空間リソースとなる仕様だった。

 

 ディー・アイ・エルも必然的にそうなるはずだった。なのに、彼女の亡骸が横たわっていたそこから《生命の光》を(まと)う白い光珠が浮かび上がって来た。こんな現象は見た事がない。これはいったい何だ――そう思った時には、興味本位なのか本能的なものなのか、キリトは《生命の光》の奔流を纏う白い光の珠に両手を伸ばしていた。

 

 壊してしまわないよう包み込む手つきで、迎え入れるように。しかし、指先が触れようとした次の瞬間、白い光の珠はひゅんと更に上空へ浮かび上がった。「あっ」とキリトが声を漏らし、周りの者達が呆然(ぼうぜん)と見つめる中、黄金の光の粒子の群れを纏う珠は大部屋の奥――上層へ続く扉へ吸い込まれるように飛んで行った。

 

 誰もが言葉を失って立ち尽くし、扉を見ていた。長の死を嘆き悲しんでいた暗黒術師達も驚きが(まさ)ってしまって泣き止んでいる。これまで起こり得なかった現象が起きたために、全ての感情が麻痺して動けないのだ。

 

 

「……そうなのね……結局はどこも一緒……」

 

 

 重さのわからない沈黙に支配される大部屋の中で、小さな声がした気がした。聞き覚えのある声色によるものであったために、主を探そうとしたが、その前に呼び止められた。カーディナルだった。

 

「キリト。今の……見たな?」

 

「カーディナル、あれはなんだ。あんなのは見た事ない」

 

「わしもあんな現象は初めて見た。だが、これはわし個人の希望的観測にすぎんが……ディー・アイ・エルはまだ死んではいないのかもしれん」

 

 キリトを含めた連合軍の多くが一斉に驚きの声を上げる。キリトはベルベットの衣装を纏う小さな賢者に問う。

 

「どういう事なんだ」

 

「あの白い光の球体から、(かす)かにディー・アイ・エルの心意が感じられた。普通の《生命の光》からは、そんなものは感じられん」

 

「だから、ディー・アイ・エルはまだ生きてるかもしれないって?」

 

 カーディナルは頷かず、キリトの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「先に進もうぞ。あの扉の先にある真実を……この《塔》の真相を確かめにな」

 

 




――原作との相違点――

・ガブリエル救済エンド√
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