遠くから見えていた城は《はじまりの街》と思しき街の高台にあった。その大きさは現実のヨーロッパなどに世界文化遺産として残っている城と
扉を開けてその中に入る。まず、広大なエントランスが出迎えてきた。オブシディア城とも、セントラル・カセドラルのそれとも異なる大理石の床と、純白の石造りの壁。そして真昼の太陽の下に居るかのように明るい。どこを見回しても照明が見受けられないのにやたらと明るいのが、不気味さを
更に不気味なのは、やはり街と同様に敵性存在の気配が一切感じられないところだ。普通、こういうところには警備兵に該当する敵がうろついているのが当たり前であるが、それらが発する物音も気配もしない。誰にも警備をしてもらう事なく、城は開かれているようだった。
「気を付けな」というイリスの注意喚起に
その《EGO》が感知しているキリトの《EGO》の反応の方角へと足を運ばせていく。そうしているうちに自然と城の奥へと進んでいった。扉を数回開き、廊下を歩き、部屋を通り、また回廊を歩く。どこまで行っても無人だった。
警備兵も敵も居ないどころか、人さえ居ないだなんて、この城はいったいどうなっているのだろう。そんな事を思っているうちに、回廊の最奥部に差し掛かった。
目の前にあるのは一際大きな扉。これまで通ってきた扉は何も塗られていない木製だったが、眼前のそれは木製ではないようだった。浴びた光を照り返している辺り、光沢処理のされたセラミックでできているようだ。明らかに普通ではない。
キリトの《EGO》の反応を強く感じる。扉の奥から飛んできているのは確かなようだ。この扉を超えた先にキリトが居る。シノンは確信を得ていた。
「イリス先生、この奥からです。ここにキリトが居ます」
イリスは顔を少し上げ、顎元に指を添えた。何度も見てきた仕草だ。
「ふむ……なんともキリト君が飛び込んでいそうな、ボス部屋の前っぽいところだね」
続けてイリスはシノンと顔を合わせてきた。何度も見てきた赤茶色の瞳の中に自分の姿が映っている。
「けれどシノン、覚えているかい。この《塔》に来る前にハンニバルが言っていた事を」
言われたシノンは
《はじまりの街》そっくりの街の中でぐっすりと昼寝している子供達が変じていたとされる皇獣達によって《
内容は、ハンニバルは自分達のために特別な舞台を用意し、ここで自分達を待っているというものだった。先程自分が居たログハウスのあった《はじまりの街》と思しき場所は《塔》の最上階の一歩手前。ならばその上部に位置するこの城は、《塔》の最上階と言っていいだろう。
そしてここまで来て、ハンニバルに出くわさなかったという事は――。
「ここにハンニバルが居る……!?」
「キリト君はいち早くそれに気付いたからこそ、単身でこの部屋に飛び込んだ。ハンニバルとの決着を付けるために。君が
《SAO》で自分やリランと出会う前は、パーティを組まずにソロに徹していたという話をキリト本人から数回聞かされた事がある。俺が複数人行動を心がけるようになったのはシノンやリランと会ってからだよ――確かに彼はそう言っていた。
しかしそれ以降、キリトがソロでの行動を強いられる状況に置かれる事はなくなり、基本的に誰かと一緒にパーティを組んで動くようになっていた。誰も彼を一人にしようとしなかったのだ。
だが、今の彼はかつての《SAO》時代と同じソロという状況下に置かれている。ならば、イリスの言ったような行動を起こしていたとしても不思議な事はないだろう。そしてキリトが単身で乗り込んでくるというのは、彼を欲しているハンニバルにとっては最大の好機だ。
「キリト!!」
不安と焦燥に突き動かされて、シノンはセラミックの大扉を押し込んだ。如何にも力を思いっきり込めて押さなければ動きそうにない見た目をしている扉は、果たしてその見た目に反して非常に軽やかに動いたものだから、開き切った際には勢い余ってふらついてしまった。
身体のバランスを取り戻しながら顔を上げる。そこは非常に大きな部屋だった。闘技場と言われても差支えがないほどに広いが、しかし観客席はない。純白の壁と床で構成されているが、あちこちに城の外壁同様に虹色に光るラインが見受けられる。それらを除くと、全体的にどこか見覚えがあるような気がしたが、子細を思い出すより先にシノンは部屋の中央に意識を奪われた。
そしてすぐさま理解した。この部屋こそが城の最奥部であり、《塔》の中枢区だ。部屋の一番奥の壁側に、巨大な丸い影があった。
《
《繭》の中はぼんやりと白く光っていて、中身が見えそうだった。何が居るの――歩み寄りながらシノンは目を細め、《繭》の中を注視した。間もなくして見えたモノに、今度は目を大きく見開く。
液体らしきものに満たされているらしい《繭》の中に、人が浮かんでいた。見慣れたどころではない黒い髪に、線の細い顔立ちで、今の自分と同じような服を着ている男性が、胎児のように身体を丸めて浮かんでいる。
その姿を認めた次の瞬間、シノンは叫んでいた。
「キリトッ!!!」
「あぁ、君も来たんだね。
どこからともなく声が聞こえてきた。頻度こそはそこまで高くはないものの聞き慣れてはいる声だった。まるで自分を歓迎するかのような声色がした事に、シノンは戸惑いを覚えた。直後、声の主の居場所がわかった。内部にキリトが浮かんでいる巨大な《繭》の前に、椅子が設置されている。
座る者の姿を隠してしまうほどに大きな背もたれは、多くの国々を一つの帝国に
「……え」
シノンは言葉を失った。頭の中の全てが麻痺してしまったかのようだった。純白の玉座という奇をてらった椅子に座っているのは、これまで起きてきたありとあらゆる厄災の根源である魔王、ハンニバルだと思っていた。
しかし、その白亜の椅子に座っていたのは、流石にユピテルやカイムほどに小さくはないものの、茶髪の
その名を、シノンはか細い声で口にした。それが今、唯一できる事だった。
「シュピー……ゲル…………?」
《ALO》を皆で遊び始めた辺りでイリスの紹介によってやってきて、一緒に遊ぶようになっていた仲間の一人。そして自分と同じようにイリスから治療を受けていた患者であるシュピーゲルが、その元の姿である
嘘ではないか、見間違えているのではないかと思った。だが、何度見直しても恭二だった。恭二は次第にきょろきょろとし始めるシノンをじっと見つめている。その目は面白そうなものを見る
「どういう事……? なんで、なんでシュピーゲルが……新川君が、ここに居るの?」
ここはハンニバルが居る、《塔》の中枢区であったはずではないのか。あの憎きハンニバルが魔王を気取って待ち構えている終点ではなかったのか。それは間違いないはずだ。
しかし、そのハンニバルが座っているはずの椅子に座っていたのは、同じイリスからの治療を受けている患者同士である恭二。そして彼は恐らく、こうして姿を見せてくるまでに、キリトを捕らえる《繭》を眺めていたのだろう。
という事は、まさか。
そんな、まさか――。
「まさか、新川君が……ハン……ニバル……?」
これ以上ないくらいにか細い声で、シノンは確認するように言った。既にそんな声しか出せなくなっていた。しかしそれでもしっかりと恭二の耳には届いたらしく、即座に反応があった。
――恭二は目を少しだけ見開き、きょとんとした。「え? 何言ってるの?」とでも言いたそうな、純粋な驚きの表情だった。それがシノンの戸惑いを加速させた。
何かもが掴めない。何もかもが――わからない。
「イリス先生――」
最後の助けを求めるべく、シノンはかつて――実は今もそう思っている――専属医師に振り返ろうとしたが、果たしてそこにその姿はなかった。彼女は既にハンニバルが座っているはずの椅子に腰を掛けている恭二のすぐ傍に居た。
「……ただいま、恭二」
まるで母親が帰りを待っていた愛おしい子供にかけるような声色でイリスが言うと、
「おかえり、《かあさん》」
母親の帰りを待っていた小さな息子の声と顔をして、恭二が答えた。より一層頭の中の痺れが酷くなる。まるでイリス/
「少し遅かったね。何かトラブルあったの?」
「いいえ、何もなかったわ。トラブルって言えば、そっちの方はどう? わたしが出ている間、何か問題は起きなかった?」
「ううん、かあさんが心配するような事は何もないよ。みんな最後の決断をして、取りかかってくれてる。《シノン》も無事に動いてくれているよ」
「そう。それならよかったわ」
まるで違う世界の出来事のように何一つ理解が及ばない話の中で、一つだけわかる言葉が出てきていた。シノンは麻痺しかけの脳裏でそれを
《シノン》も無事に動いてくれている――確かに彼はそう言っていた。そこですぐに疑問が生じる。もういくつ目なのかわからない。
シノンは私の名前だけれど、私がどうかしたの?
無事に動いてくれてるってどういう事なの?
完全に置いてけぼりになっているシノンに気付いたのか、愛莉は何かに気付いたような反応をしてから、戻ってきた。シノンは勿論、キリトよりも背の高い愛莉は、いつものように見下ろしていた。
その顔と目を見た途端、シノンは目をぱちくりと
見ていると身体も心もぽかぽかと温かくなってきそうな――これ以上ないくらいに場違いな表情と目つきをしている愛莉に、シノンは問うた。
「イリス……愛莉先生……どう……なって……?」
戸惑いを隠す術を失ったシノンが言うと、愛莉は無言で更にシノンへと歩み寄ってきた。そして両腕をゆっくりと広げると、ふんわりと抱きすくめてきた。つい先程も入れてもらう事で、落ち着けた胸の中。その時と同様に身体中に心地良い温もりが伝わってくる。
直後、背中と頭に柔らかく触れてくるものがあった。愛莉の手だった。
「……よく、ここまで来てくれたわね、詩乃」
愛莉はいつもの手つきでシノン/詩乃の髪と背中を優しく撫でてくれながら、
「……いいえ、我が子」
《あははははははは!! またばらばらにしてあげるよぉ!!》
直接揺さぶって
龍の姿を見るのは二度目だ。しかし一度目と違って、身体のあちこちに紫色の鋭い結晶状の棘が生え、右側にしか生えていなかった角は一対になっていて、それもまた紫色の結晶に包まれてより刺々しさを増している。
体躯や見た目の禍々しさこそつい先程討ち倒したガブリエル/
「ははは!
黒紫の龍を《使い魔》とする
戦闘開始直前、殺戮者――《SAO》の時からの因縁の敵である
この一連の流れによって、状況は最悪化した。ただでさえ強かった彼の者の戦闘力が劇的に向上したのだ。魔剣
両手剣のリーチと重さから繰り出される片手剣の軽やかな連撃と広範囲攻撃。達人のそれの域に到達した剣撃の嵐によって連合軍の多くが切り伏せられ、黄金の光へと変えられた。
戦闘開始から何分経過したかも、何人が犠牲になっているかもわからない。PoH本人はこちらが善戦していると言っているが、いつもの煽り文句だ。実際はPoHの方が押している。
たった一人と一体の龍によって八百人ほどの軍団が劣勢を強いられているという、ヒーロー番組にありがちな展開の逆転現象が連合軍を襲っていた。
画面の前の視聴者の胸を高鳴らせるヒーローはPoHと黒紫の龍で、彼らによって討たれる悪の組織の軍団は自分達連合軍。
何の悪夢だろう。
《お前の相手なら、我らがしてやる!》
今度は初老の女性の《声》が頭の中に響いた。リランの《声》だった。キリトという《ビーストテイマー》を連れ去られ、一人残されていようとも、リランは決して後ろを振り向かず、ただ前だけを見つめていた。その道を塞いでいる黒紫の龍に走り、タックルをお見舞いする。どぉんという轟音と衝撃がもう一度腹の中にまで響いてきた。
続けて《使い魔》形態を取っているユピテルが黒紫の龍に突撃していき、更にその後方からミトを乗せたエミーリア及びイツキを乗せた
黒紫の龍は最初に受けたリランの攻撃に吹っ飛ばされる形で後退させられた。当然のように戻って来ようとしたが、こちらへの道を大型の《使い魔》達によって塞がれる。黒紫の龍は狂ったような笑い《声》ではなく、強い憤怒の《声》を轟かせて《使い魔》達との戦闘を開始した。こちらの方は見えていないようだ。
ひとまずPoHの《使い魔》と
ユウキの使う《剣神グラディア》のようにオブジェクトクラスを無視して全ての物を切断できるわけではないだろう。だが、こちらの防御を無意味にするほどの攻撃力と切れ味があの魔剣には備わっている。そうでなければ、この惨状は説明が付かない。
ならば、あの魔剣を破壊してしまえば、PoHの力を削ぐ事ができるのではないだろうか。そこまで考えたところで、アスナはそれが現実逃避に近しい希望的観測であると自ら
何より恐ろしさを感じるほどの強い波動がかつてPoHの友切包丁だったモノから発せられているのを感じる。あれはPoHの愛用していた凶悪な友切包丁ではなく、その姿に酷似した彼の者の《EGO》なのだ。
かつて《SAO》で数多のプレイヤー達の心をどす黒く染め上げて殺人鬼に変貌させ、それらを構成員とした殺人ギルド《
脳裏にこれまで《EGO化身態》になった友人達の姿が思い出される。リーファ、リズベット、シリカ、メディナ、アリス、ユージオ。清らかな心を持つ彼女達は《EGO化身態》化する苦難を乗り越える事で《EGO》を手に入れた。PoHはそんな彼女達とは真逆の人間性の持ち主であり、邪悪そのものだ。
PoHこそが《EGO化身態》という怪物に堕ちるべき奴だ。なのに何故PoHは怪物にならず、《暗剣将マガツイクサ》という神に至れているというのだろうか。まさか、彼の者のボスであるハンニバルの差し金だろうか。
「おいおいおい、ぼーっとしちまうなんて、随分余裕じゃねえか《閃光》!!」
アスナははっと我に返った。すぐ目の前に暗黒のポンチョと和洋折衷を纏ったPoHが迫ってきていた。その邪悪な闇を宿す目でこちらにしかと狙いをつけ、回転斬りを繰り出す直前の姿勢を取っている。
時間の流れが一気に遅くなったように感じられた。周りから志を同じくする仲間達が駆け付けてきているのがわかる。きっとPoHの攻撃を阻止しようとしてくれているのだろう。だが、それよりもPoHの動きの方が早かった。
見る見るうちに黒紫の闇を纏う刀身が迫って来る。咄嗟に防御態勢を取ろうとしたが、気休めにすらならないだろう。自分の《EGO》である《ラディアント・ライト》はアンダーワールドの神器を圧倒するほどのオブジェクトクラスと攻撃力を誇っているが、同じ《EGO》からの攻撃を着実に受け止められる防御性能があるかと言われると未知数だ。
そしてPoHは《EGO》どころかスーパーアカウントを使用している。彼の者の刃を諸に受ければ、例え仕様上無限に近い天命を持つ《創世神ステイシア》でも耐えられないのではないか。
ここで
直後、かぁぁぁぁんという鋭い金属音が耳を
視界に飛び込んできたのは邪神となったPoHではなく、白いマントを
その手に持たれている赤い十字架の模様が刻まれた白い剣と大きな盾が、PoHの凶刃を受け止めていた。その姿を目にしたアスナは、再び時間が止まったような錯覚に陥った。
嘘。
どうして、あなたがここに居るの。
「なっ……!?」
時間は動き出し、驚いたようにPoHが後方へと飛び退く。その様子を見た深紅の騎士は一旦力を抜いて背筋を伸ばした姿勢を取った。しかしそれでも戦闘態勢である事には変わらない。アスナはもう一度眼前の騎士を凝視した。大きな赤い十字が思わず目を引く純白のマントに、紅玉のような深紅の鎧。そして大きな盾と十字架を模した直剣を装備した男性。
その姿は――。
「ヒース……クリフ……?」
かつて《SAO》の実力者をかき集めたギルド《血盟騎士団》の初代団長を務め、《最強の男》、《聖騎士》、《生ける伝説》などの異名と、それに違わぬ実力を持っていた男の名を、アスナは自然と口にしていた。
その正体は《SAO》というデスゲームをリリースし、一万人もの罪なきプレイヤーを閉じ込め、最終的に四千人の命を奪うに至った
「えっ、ええっ!?」
「なっ、おいおい!?」
「なんで、なんでお前が居るんだよ!?」
リズベット、クライン、エギルの順でそんな言葉が飛んだ。周りの《SAO
《パパ!?》
《とうさん!?》
間もなく少女形態時のリランの《声》、ユピテルの《声》が響いてきた。どちらも皆と同じように酷く混乱しているような声色をしていた。いや、彼女達の驚きは仲間達のそれよりも遥かに大きいだろう。
二人にとって茅場晶彦は、ずっと行方不明だった唯一無二の父親なのだから。
「ヒースクリフ、あなた、なんでここに……!?」
アスナの問いかけに茅場晶彦/ヒースクリフは軽く振り向いてきた。しかしその
「……急ですまない。ユピテル、ユイ、ストレア、ヴァン、エミーリア。今すぐこの場を脱してネットワークへ向かってくれ」
とても懐かしく感じる声で、ヒースクリフは告げた。何年も離れていた子供達にかける言葉がそれなの――と言いたくなったのをアスナは呑み込んだ。
真っ先に応答したのは長男のユピテルだった。黒紫の龍の敵視が冬追と神武に向けられている隙を狙い、ヒースクリフに近付いてきていた。
《とうさん、話が全然読めません。どういう事なのですか》
「本当はもっと詳しい話をすべきなのはわかっている。けれども、その前に君達にはネットワークへ向かってほしいんだ。大変な事が起きている。この場に居る全員が知らなくてはならない出来事が起きているんだ。ここからすぐにネットワークに飛べるよう、手は打っておいてある」
突拍子もない話だった。何か違う世界の話を持ち掛けられているとさえ思った。だが、アスナがそうなっている中、嘘を見抜く力を持つユピテルは――元の少年形態へ戻り、くるりと方向転換した。その先に居たのはユイ、ストレア、プレミア、ティア、リエーブルといった《家族》。
彼女達を認めてすぐに、ヴァンとエミーリアの方にも顔を向ける。
「みんな、とうさんの言う通りにしてみよう。……ネットワークを確認しに行くよ」
そう言ってユピテルは白水色の光に包まれて一瞬のうちに消えた。間もなく彼の
「てめぇ……何しに現れやがった!?」
そう噛み付くように言ったのはクラインだった。PoHへ向けていた敵意と同じそれをヒースクリフに向けている。続けてディアベルも彼と全く同じ様子で口を開く。
「どの
普段のディアベルからは中々想像の付かないほどに荒々しい口調だった。当然だ。ハンニバルに匹敵する巨悪を働いたかつてのデスゲームの主催者が唐突に現れてきたのだから。しかしヒースクリフは息子達に指示した時の冷静さを保ったまま伝えてきた。
「……君達は、ハンニバルを倒すためにここへ来たのだろう」
「だったら何だっていうのよ」
「ここにハンニバルは居ないとか、そう言うんじゃないですよね」
リズベットが刺々しい敵意を、シリカが強い警戒心を示して言う。ヒースクリフは首を横に振ったりせず、ただ答えた。
「いや、ここハンニバルは居る。最上階で君達を待ち受けている」
ヒースクリフがそう言うなり、それまで驚きのあまり黙っていたPoHが口を開いた。
「ハンニバル、ハンニバル、ハンニバル。お前ら、まだBOSSが誰なのかわからないのかよ」
PoHはこちらへの嘲笑をしたかと思えば、急に冷静な顔になった。
「あ? いや、でも仕方ねえか。BOSSの隠し方は本当に上手かったもんな。あれはオレには真似できねえ」
PoHもヒースクリフも、完全に真相を知っている口ぶりだった。彼らの間にだけ真実が共有され、自分達には隠されている。その如何にも不公平な状況に不快感を覚え、アスナはヒースクリフに声を掛ける。
「ヒースクリフ、あなたは知っているの。ハンニバルがどこの誰で、どういう人なのかを」
因縁が始まってからずっと気になって仕方がなかった事。ずっと自分達を苦しめる大厄災として君臨し続けていた元凶。その正体を掴んでいる――こちらを見回したヒースクリフの真鍮色の瞳が、確かにそう伝えてきていた。
そしてその口が再度、静かに開かれる。
「君達の脅威となっていたハンニバル。正直なところ……その正体は私もあまり信じたくはない」
「え」
口籠った? アスナが目を見開く中、ヒースクリフは溜息交じりで続けた。今まで見てきた彼からは想像できないほどに、悲壮感に満ちた溜息だった。
「ハンニバルの正体……それは、かつて私、《茅場晶彦の右腕》と称されたアーガスのチーフプログラマーであり、アーガス消滅後には君達の傍にずっと居続けていて、共に様々なゲームを遊び、君達に力を貸していた――