キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 ある者の過去、この作品における境遇。



16:Prince of Heaven

□□□

 

 

「悪魔の子……!!」

 

 恨めしく、鬼気迫る顔で何度母親にそう言われたか、ヴァサゴはもう覚えていない。それくらい日常的にかけられた言葉だったからだ。

 

 ヴァサゴ・カザルスはアメリカ合衆国サンフランシスコのスラム街であるテンダーロイン地区にて、ヒスパニックの母親と日本人の父親の間に生まれた。ヴァサゴの誕生は、決して祝福される事のないものだった。何故ならヴァサゴの母親は父親に金で買われ、無理矢理妊娠させられ、そして無理矢理出産させられた。

 

 ヴァサゴは、母親にとってこれ以上ないくらいの忌々しい出来事の数々の末に生まれた子供だった。故に母親はデヴィルやサタンといった身元に不利益となる名前を避け、ソロモン七十二柱の三柱目とされているが一般には広く知られていないマイナーな悪魔、ヴァサゴの名を与えた。

 

 忌むべき《地獄の王子》。母親は何度も何度もヴァサゴを睨み付け、悪魔の子と(ののし)った。しかしそれでも母親はヴァサゴを殺そうとはしなかった。そうすれば自分がどうなるかが明らかだったからだ。

 

 十五歳になった時に、ヴァサゴは真実を知った。日本語の読み書きを教えてくれただけの父親には先天性の腎不全を患っている子供が居て、そのドナーにするためにヴァサゴを産んで育てていたのだ。その子供のためのドナーとなれ。その命令を拒否する事はできなかったが、同時にヴァサゴは条件を出した。

 

「オレの左の腎臓を分けてやるから、日本で暮らさせろ」

 

 父親の祖国である日本は、当時のヴァサゴにとって輝きに満ちた場所だった。元々生まれた街は(ゆが)んで(けが)れたスラム街であり、おまけに何かと「悪魔の子」と罵って来る屑のような母親が居る。そんな場所に留まっていたところで、違法ドラッグの密売人になるくらいの未来しかないだろう。そんな事になる前に国を出て、全てをやり直したいと思った。

 

 父親はその条件を呑み、ヴァサゴの左腎臓と、パスポートとエアチケットを交換した。だが、渡った先の日本でやり直す事などできなかった。日本の法律における国際養子縁組には複雑で厳格な審査が課せられていて、しかも六歳を超えていると在留資格は与えられないという代物だった。結局ヴァサゴは日本に行っても居場所を得られず――裏社会に自ら進むしかなかった。

 

 ヴァサゴを拾ったのは韓国系の犯罪組織だった。組織は英語、スペイン語、日本語を話せるヴァサゴに偽造IDを与え、暗殺者(アサシン)として教育を(ほどこ)した。二十歳になるまでに九回の暗殺任務に成功したヴァサゴを見た組織は、その記念すべき十回目の任務を特異極まるものとした。

 

 「現実世界では決して近付けない相手を、仮想世界で暗殺せよ」。

 

 「いや、なんだそりゃ」が返したくなった答えだった。

 

 数週前に発生した《SAO事件》に暗殺対象が巻き込まれた。対象は警備の厳しい自宅で介護されていて、絶対に外に出てくる事はない。デスゲームに巻き込まれている故に、そのハードウェアであるナーヴギアに殺されてくれる可能性もあるが、それがいつになるかは定かではない。だからこそ、同じ《SAO》にダイブして相手のHPをゼロにし、ナーヴギアに殺させる。それが組織からの暗殺任務だった。

 

 任務には大きな問題が三つあった。暗殺者であるヴァサゴもゲームがクリアされるまで脱出不可である事、ゲーム内で死亡すれば現実でも死亡する事、そしてヴァサゴ自身が対象を殺害してはならない事。三つ目については、誰が誰を攻撃したか、誰の攻撃で死亡したかのログが取られている仕様ならば、暗殺の証拠が残ってしまう可能性があるからだった。

 

 非常に困難を極める作戦だったが、成功した(あかつき)にはとんでもない金額を支払うと組織は提示した。成功させたところで実際に支払われる可能性は低いと思ったが、拒否権はなかった。

 

 そのためヴァサゴは組織がいつの間にか手に入れていたナーヴギアを使用。母親に与えられた本名の由来である《地獄の王子(Prince of Hell)》を略した《PoH(プー)》の名を付け、《SAO》に飛び込んだ。

 

 

□□□

 

 

「ほぉー……ここが《SAO》か」

 

 眼前に広がっているのは、異世界だった。茅場(かやば)晶彦(あきひこ)とやらが作り上げたという真なる仮想世界。一度入り込めばゲームクリアまで脱出の叶わない世界に、PoHは足を踏み入れていた。現実世界で読んだ説明書によれば、右手でフリックするとコマンドが呼び出せるのだという。思い出して操作したところ、メニュー画面が出てきた。

 

 ログアウトコマンドがない。ゲームをクリアするまで出られないという話は本当のようだ。であれば視界の左上辺りに表示されている《HPバー》がゼロになれば死亡するという話も本当であると考えるべきだろう。

 

 そして今自分が居るところは――木々が揺れて小鳥がさえずる森の中。第一層の《はじまりの街》からスタートするという話を聞いていたが、あれは嘘だったのだろうか。

 

 そんな事はどうでもいい。組織の命令で飛び込んだ以上、それを実行しなければならない。これまで見た事がないような額の成功報酬が得られるかどうかは定かではないが、失敗すれば自分の命がどうなるかも定かではない。結局進む以外の選択肢は何もないのだ。

 

 PoHは溜息交じりに足を踏み出した。

 

「ねぇ、そこの君」

 

 その時だった。背後から突然声を受け、PoHは咄嗟(とっさ)に身体を後方へ向けつつ前方へステップした。ダイブしたばかりなのにそんな動きができた自分に軽く驚いたが、それよりも背後を取ってきた者に注意を向けた。

 

 女だ。やたら長い黒髪に、赤茶色の瞳。医者(ドクター)が着るようなそれに似たデザインの白いコートを着用している。そしてその上からでもわかるほどに大きな胸をした女が居た。

 

 こいつ、いつの間に背後を取ってきた? 真の仮想世界に見惚(みと)れている隙を突かれたか。

 

「君、途中ログインをしているね。だからこんな場所に来たんだろう」

 

「……は?」

 

 女は手を後ろに組んだ。その顔には微笑みが浮かんでいるが、腹の内がさっぱり読めない。微笑み型ポーカーフェイスだ。

 

「この《SAO》が正式サービス開始……いや、デスゲーム化して閉鎖空間になったのは四週前だ。その間警察によってナーヴギアは押収され、実質的に社会から姿を消した状態になった。そして《SAO》は事件として連日連夜世界中で報道中。ナーヴギアを手に入れる方法はもうないに等しいし、そもそも手に入れたところで繋がっているのは《SAO》。普通に考えたら、もう《SAO》に進んで入る人なんていないんだよ」

 

 女からは事件の詳細な情報が語られてくる。早口のはずなのだが、何故だか全て正確に聞き取れるほど女の声ははっきりとしていた。

 

「なのに君は入ってきた。閉鎖後からの途中ログインなんて想定されていない事象だったから、こんなおかしな場所に飛ばされたんだよ。何しに来たんだい? こんな呪われたゲームにさ」

 

 女に問われた直後、PoHの脳裏にフラッシュバックが起きた。

 

 父親とその息子だった。PoH/ヴァサゴの母親を金で買い、逆らえなくしたうえで犯し、自分を産ませた元凶が、病室で自分の差し出した腎臓によって息子が健康を取り戻した様を見て、別人のように安堵(あんど)し、喜んでいる。黒い髪と目をした、如何(いか)にも日本人らしい息子もまた、嬉しそうに父親と話している様。

 

 仲睦(なかむつ)まじい日本人の親子。そして「悪魔の子」と罵られる自分。

 

 ねじ切られるような痛みに似た不快感が頭を締め付ける。それはすぐさま激しい怒りに変わった。何もかもを焼き尽くし、溶かし尽くす凄まじい憤怒。

 

 日本人め。

 

 お前らのせいで、オレは。

 

 ――日本人めッ!!

 

「があああああああああああッ!!!」

 

 気が付けば、ヴァサゴ/PoHはデフォルトで装備している片手直剣を抜き払い、女に斬りかかっていた。身体の全ての重さと怒りを剣に乗せ、頭から真っ二つにしてやろうとした。しかし刀身が女に触れようとしたその時――。

 

 がきぃんという鋭い金属音が鳴ったかと思えば、剣が空中で静止した。目を見開いて確認すると、女と剣の間に紫色をした半透明の障壁が割り込んでいた。

 

「こいつ……!!」

 

 激しさを増した怒りに任せ、PoHは剣を何度も振るった。

 

 斬ってやる。首を斬り落として血を噴き出させてやる。無惨な死体にしてやる。際限なく湧き上がる憤怒を剣に乗せて何度も斬りかかったが、その願いは叶わない。女と自分の間の障壁は微動だにせずに剣を受け止め、刃が女を切り裂く事は一切なかった。

 

 間もなくして怒りは戸惑いに変わった。事前説明が瞬時に思い出される。やってしまうとオレンジプレイヤーというものになってしまうそうだが、《SAO》では他プレイヤーに武器などで危害を加えてHPを削る事もできるという話だったはずだ。

 

 何故、こいつには刃が届かない。あの説明は嘘だったのか。

 

「……ちょっと血の気が多すぎるね」

 

 女は溜息交じりにそう言うと、腰の鞘から一瞬にして抜刀し、水平に薙ぎ払ってきた。女とPoHを隔てる紫の格子状の障壁はあろう事か女の剣を通し、その刃をPoHへ届かせた。

 

「ぐぅ……!?」

 

 胸元を(えぐ)るように斬られた直後、そこを中心に焼かれるような不快感が生じ、PoHは呻いた。痛みではないものの、動きを止めてしまうには十分すぎるくらいの不快感だった。

 

 その隙を女は逃がさない。今しがたのPoHよりも遥かに流暢な剣捌きで連撃を叩き込んできた。斬られる度に痛みではない不快感に襲われ、それがPoHを縛り上げた。そのうち身体から力が抜けて腰が地面に落ちる。《HPバー》の残りはミリ単位になり、赤色に変色していた。あと一発喰らえば空になるだろう。

 

 つまり――死亡する。

 

「嘘……だろ……」

 

 これまで出した事がないような声でPoHは(つぶや)いた。まだダイブしたばかりで任務を始めてすらいないというのに、早くも命の危機が迫っている。こうなるべきは暗殺対象の《HPバー》のはずなのに、それと遭遇すらしていない自分がそうなっている。

 

 なんなんだこれ。聞いていた話と全然違うぞ。

 

 まさか、嵌められたか。組織は《SAO》を通じてオレを暗殺するつもりだったのか――。

 

「随分誰かを憎んでいるようだけれども、少しは落ち着いたかね」

 

「……」

 

「もうわかっているとは思うけれど、私からあと一撃もらえば、君は死亡するよ。ここに来た目的を果たせずにね」

 

 PoHは目を見開いた。この女は何故こちらの目的を知っている。先に《SAO》にログインしている組織の仲間の話は聞かされていない。この女は読心術持ちの超能力者(エスパー)なのか。それともこの仮想世界ではそういう事ができるようになるのか。

 

「そして、私を殺そうとするのは()した方がいい。この壁、私が解除するまで絶対壊せないようになってるから」

 

 女がそう言うと、忌々(いまいま)しい半透明の紫色の障壁がきらりと存在を主張した。何十回も斬り付けたというのに(ひび)どころか傷一つ付いていない。女の話は真実だろう。そして何故だか、仮に女がこの障壁を解除した隙を突いて斬りかかっても、逆に殺されるビジョンが頭の中から離れなくなった。

 

「ねぇ、君は何故このゲームに来たのかな。ちょっと私に教えてもらえないかい」

 

 「生殺与奪権は私が持っている。歯向かうべきじゃないよ」。女は口にする事なくそう伝えていた。PoHは持っていた剣を地面へ捨てて両手を上げた。もう抵抗しないという意思表示を確認した女は「ついておいで」と指示し、PoHも素直にその後を追った。

 

 背後を見せているので、今なら油断しているかもしれない。戻って剣を拾って投げ付けてやろうとも考えたが、紫の障壁は出現したままだった。

 

 しばらく歩くと、街外れの一軒家に辿り着いた。特にこれといった特徴はない。如何にも中世ヨーロッパをモデルにしたファンタジー世界の家といった風貌だった。案内されるまま中に入ると、やはり簡素な造りだった。(ほこり)っぽさはなく、使い込まれているのが何故だかわかった。

 

「さてさてさーて。何故このデスゲームに来たのかな、君は」

 

 椅子に腰を掛けた女が問いかけてきたが、ヴァサゴは立ったまま逆に問い返した。

 

「っていうか、お前何者だよ。このゲームって他プレイヤーを攻撃して殺す事もできるんだろ。なんでお前には攻撃が効かなかったんだ」

 

 女はすんと鼻で笑って答える。

 

「そりゃあ、私がゲームマスターの一人だからだよ。正確にはこんな事もあろうかと複製しておいたマスターアカウントを使っている、元運営側さね。君が私を殺そうと斬りかかっても効かなかったのは、そういうふうに設定しておいてあるからだ」

 

 PoHは気付かれないように息を呑んだ。ゲームマスターの一人だと? 一万人が閉じ込められているデスゲームの中で、好き勝手にできる唯一神みたいなものではないか。任務のためにダイブして早々、なんて奴に見つかってしまったんだ。

 

 そんな事を考えている間に、女は左手でウインドウを操作していた。やがてその指が止まったのと同時に、目が向けられてきた。

 

「プレイヤーネームはPoH……プーって読むので正解かな」

 

 PoHは目を見開いた。その反応を見た女は面白そうに笑った。

 

「どうしてそんな事がわかるのかって? マスターアカウント使ってりゃ、プレイヤーの名前とIDなんて簡単に取得できるさ。ましてや君は前代未聞の途中ログインだからね。一番下を見ただけでわかっちゃうよ」

 

「……」

 

「それで、君は何をしにこのデスゲームに参加したんだい?」

 

「お前に話すメリットなんてねえよ」

 

 女はじっとPoHの目を見つめてきた。瞳の奥深くにあるものを探られていると気付かされたのは数秒後で、その時には手遅れだった。

 

「私の目に間違いがないなら、君はきっと日常的に殺人をするような仕事をしているね。所謂殺し屋とか暗殺者ってやつだ。このゲームに来たのも、暗殺のためじゃないかね?」

 

「……そんな事わかんのかよ」

 

「おいおい、そこは否定しなよ。普通ここで「俺は殺し屋なんてやってない!」って言うもんだよ」

 

 本当はそうしたかった。だが、そう言ったところでこの女を騙す事はできない。この女にはすべてを見透かされている。そんな気が勝ってしまって反論できなかった。

 

「それで、誰を殺しに来たんだい?」

 

「は?」

 

「君の仕事を手伝ってあげようって言ってるんだよ。居るんだろう? このゲームの中に、君が手を下さなきゃいけない奴が」

 

 PoHは目を(しばた)かせた。暗殺任務を手伝うとか、正気なのかこの女は。いや、そもそもこのゲームマスターはゲームマスターである事を教えただけで、肝心な名前を喋っていない。

 

「教えてごらんよ」

 

「教えられるもんじゃねえよ」

 

 ゲームマスターは目を細めた。「いいのかな?」とでも言いたそうなその眼光に、背筋に悪寒が走る。組織のボスの眼光すら寒気など感じないというのに。この女はボスを超えているというのか。

 

「なら、ゲームマスターとして君の事は殺さないといけないね。色んな面から考えても、殺し屋や暗殺者を生かしておく理由は存在しない」

 

「……!」

 

 PoHの反応を見るなり、女はもう一度不敵に笑う。

 

「流石にそれは嫌だろう? だから言ってごらんよ。どこのどいつを殺すために君はここへ来たんだ」

 

 暗殺任務は組織の情報だ。外部に漏らせば確実に組織に消される。喋るメリットなどどこにもない。組織に拾われてからすぐに徹底的に叩き込まれ、PoHの心の奥深くに根差した決まり事。それはいつだってPoHの口を固く閉ざさせた。

 

 今もそうだ――と思っていたというのに、数秒ごとに口元が緩み、言葉が出てしまった。

 

「――って奴だ。本名しか知らねえ。こいつは厳重警備の自宅に籠ってやがったが、偶然《SAO》に囚われた。こいつの後を追って《SAO》に入り込んで、オレが手を下した事がバレねえように()れっていうのが組織からの命令だ。莫大な報酬金が支払われるそうだが、信頼ならねえし、この日本人だらけのゲームがクリアされねえとオレは帰れねえ。何もかもがクソッタレの任務なんだよ」

 

 ん? 何か余計な事まで喋らなかったか――PoHがそう思ったのは口を閉じたその時だった。拷問を受けているわけでもないのに、べらべらと喋ってしまった気がした。

 

 そんなPoHからの情報提供を受けたゲームマスターは、左手のフリックで呼び出したウインドウを操作し続けていた。全く無駄のない手慣れた動作だ。ゲームマスターくらいじゃないとあんな操作はできないだろう。

 

「それって、こいつじゃないか」

 

 ゲームマスターは突然そう言ってウインドウを反転させ、PoHに見せてきた。表示されている中身を見てPoHはぎょっとした。組織から手を下した事がバレないように殺せと命令された暗殺対象の顔画像がそこにあった。おまけにプレイヤーネーム、現在のレベル、経験値量、所在地の座標まで書かれている。

 

 座標の値は動き続けているので、リアルタイムで取得されているのだろう。

 

「……マジかよ」

 

「日々の行いの数々がわかる悪人の顔だ。十中八九、変わった娯楽が欲しくてこの《SAO》にダイブしたんだろう」

 

「……この座標に行けば、居るんだな」

 

 ゲームマスターは深々と頷く。

 

「あぁ、もうわかっていると思うが、その座標の値はそいつの現在地をリアルタイムで更新し続ける。これを君の方でも参照できるようにしておくから、殺りに行っておいで」

 

 ゲームマスターは手を腹の前で組んだ。

 

「このゲームのプレイヤーの名簿は第一層の《はじまりの街》の黒鉄宮にある石碑にある。プレイヤーが死亡した場合はそこに赤線が引かれ、死因も書かれるけれども、それはログを取ってないし、他人の攻撃で死亡した場合も誰の攻撃で死んだかまでは書かれないよ。だから君が直接赴いて圏外に誘い込み、そのまま殺してもいい。まぁその場合はオレンジカーソルっていうのになってしまい、圏内に入る事ができなくなるけど、カルマ回復クエストをこなせば通常状態に戻れる。手間はかかるが、手っ取り早く殺す事は可能だ。

 それでも不安だっていうのであれば、これから私の言う作戦を実行してごらん。無事に仕事が済んだなら、私に事情を話してもらえるかな」

 

 

□□□

 

 

「おぉ、おかえり。随分と早かったじゃないか」

 

 ゲームマスターの声がPoHを出迎えてきた。まさか本当に待っているとは思わなかったから、PoHは驚かされた。いや、先程から驚いていない事の方が少ないかもしれない。

 

 このゲームに囚われた暗殺対象の始末。それはゲームマスターの作戦の方を実行した。ゲームマスターからもらったウインドウに表示されている座標を頼りに対象の元へ向かい、対象を圏外へおびき寄せた。すると後はゲームマスターが言った通りにとんとん拍子に事が進み、PoHの関わりは間接的かつ最低限で、対象はほとんど事故死に近い形で死んだ。

 

 組織からの依頼は、とても長い時間を要するものだと思っていた。憎たらしい日本人だらけの世界で長々と過ごしつつ、緻密な作戦と計画を立てたうえでようやく成功するものだと思っていた。だが実際は――《SAO》にログインした初日の数時間後に達成できてしまった。

 

 ゲームマスターの作戦にまんまと嵌って死んでいく対象の間抜けな死に際を見ても、「なんだこれ」という感想しか出てこなかった。

 

 なんなんだよ、これ。組織が馬鹿みたいな報酬金を提示してきた仕事は、こんな易々と終わる仕事だったのか――そんな事しか考えられないまま、PoHはゲームマスターの指し示した家に戻ってきた。道筋がどうだったかは覚えていない。気付けばゲームマスターの家に着いていた。

 

「おい、どうしてくれんだよ」

 

「え?」

 

 PoHの問いかけにゲームマスターはきょとんとしていた。そこにPoHはすかさず投げかける。

 

「お前のせいであっさり終わっちまったじゃねえか」

 

 ゲームマスターはふふんと笑う。

 

「そりゃあ、君が仕事を難なく終わらせられるプランを提示したからね。拍子抜けするくらい早く終わっちゃって当然さね。さて、そこに座りな、PoH」

 

 ゲームマスターに言われるままPoHは椅子に座った。ゲームマスターが目の前にいる。機密情報を知ってしまった、処分すべき対象が目の前にいる。だが、ここで攻撃を仕掛ければこの人物と出会った時が再現されるだけだろう。いや、(むしろ)ろ今度こそ殺されるだろう。

 

「君、何があってここに来たのかな。どうして殺し屋なんてやっているんだい」

 

 ゲームマスターは(ささや)くように尋ねてきた。話しても仕方がない話のはずなのに、PoHの口は動いた。

 

 全てが思い出される。何もかもが忌まわしき記憶の数々が容赦なく濁流のように押し寄せ、口から言葉として吐き出される。

 

 父親によって買われた母親に強引に産まされ、何の祝福もされなかった事。母親から恨めしい目で「悪魔の子」と罵られ続けた事。

 

 全ては日本でのうのうと暮らしている、傲慢な日本人の父親によるものだという事。この二人のせいでやりたくもない裏社会稼業をするしかなかった事。

 

 組織にも話していない記憶の全てを、PoHは吐き出した。

 

 こんなゲームのゲームマスターに。

 

 忌々しい日本人に。

 

「……悪魔の子ヴァサゴ……? そんなふうに言われたの……?」

 

 ゲームマスターがか細い声でそんな言葉を漏らすなり、PoHは立ち上がってそれ以上を(さえぎ)った。

 

「あぁそうだ! オレはずっと悪魔の子って(そし)られてきたんだ! 日本人の子供を治すための道具としてオレを勝手に産んで、地獄の王子(Prince of Hell)なんて悪魔の名前を勝手に付けて、悪魔の子って謗ってきたんだ!!」

 

 こんな大声を出したのは初めてだったかもしれない。それくらいにまで、目の前の日本人に全てをぶつけたい気持ちがPoH/ヴァサゴを支配していた。

 

「全部お前らのせいだッ!! お前ら日本人のせいでオレは、オレは――」

 

 一際大きな声で絶叫してやろうとした次の瞬間、急に目の前が真っ暗になった。顔を中心に妙に柔らかく好ましいものが当たっているような感覚が広がる。目から上にその感覚があり、鼻と口は塞がっていなかった。あまりに突然の出来事に、ヴァサゴは出そうとしていた声を出せなくなった。

 

 直後、背中と後頭部にも暖かくて柔らかいものが当たっているのがわかった。誰かの手だった。ここに居る人間は自分とゲームマスターだけだったはず。ならばこれは、ゲームマスターの手なのか。

 

「……酷い。酷いわ、そんなの。あんまりだわ」

 

 すぐ近くから女の声がした。それはゲームマスターの声色であったが、つい今の今まで聞いていたそれとは全く異なる、悲嘆に満ちたものであったために、一瞬誰なのかわからなかった。

 

「子供は祝福されて産まれてきて、ちゃんと愛されないといけないの。なのに、最初から道具扱いするために産んだ挙句、悪魔の子だなんて……あんまりよ。そんな奴らに親を名乗る資格なんてないわ」

 

 そう言ってゲームマスターはヴァサゴの後ろ髪と背中を撫でてきた。全てが初めての感覚だった。優しく抱き締めてもらい、頭や背中を撫でてもらった事など一度たりともなかった。母親は勿論、父親からも、そんな扱いを受けた事などなかった。

 

 これまで感じた事のない柔らかで穏やかな温もりに包まれていると――胸の内から黒くどろどろとしたものが溢れ出てきた。それは胸を上がり、喉へ向かい、そして言葉になって出てきた。

 

「ひでぇよ……どいつもこいつも……オレの事を何だと思ってやがるんだ……オレは……誰かの予備部品にも、悪魔の子にも生まれたかったわけじゃねえ……」

 

 ヴァサゴは震えながら、ゲームマスターの背中にしがみ付いた。今度は(てのひら)を通じてゲームマスターの温もりが流れ込んでくる。

 

「えぇ、そうよ。これだけはわかって頂戴(ちょうだい)、ヴァサゴ。あなたは誰かの予備部品でもなければ、悪魔の子でもないわ」

 

 裏社会に堕ちるしかなかったかつての弱者を(あわ)れんでいるのか。しょうもない偽善者だな、お前は――他の誰かからの言葉だったならば、そう一蹴していた。

 

 だが、ゲームマスターに対してそう思う事はできなかった。ゲームマスターは身体も声も震えていた。それは悲哀と憐れみを隠れ(みの)にした――激しい怒りによるものだった。

 

 ゲームマスターは――この人は激しい怒りに駆られている。出てきている事そのものが全くわからず、気付いた時には全てを燃やし尽くしているような、静かで猛烈な怒り。その矛先は、かつてヴァサゴを部品扱いした父親と、悪魔の子呼ばわりした母親、そしてヴァサゴを裏社会の人間に育てた組織に向けられている。誰にも怒られる事も、憎まれる事のなかった者達に、ゲームマスターは怒って()()()いた。

 

 その、理不尽へ怒る人は静かな声で伝えてきた。

 

「ヴァサゴ、聞いてもらえる」

 

「……あ?」

 

「わたしのところへ来てもらえない? 犯罪組織のゴミみたいな奴らは捨てていいわ。あなたはひとまず自由になるべきよ」

 

 そこでようやくヴァサゴは顔を上げられた。赤茶色の瞳に映った自分の顔に驚いた。目を中心にして、涙の跡があった。全部ゲームマスターの胸元に吸い込まれていてわからなかったが、自分は気付かない間に泣いていたらしい。

 

「自由……?」

 

「えぇ。今の組織はあなたの居るべきところじゃない。わたしが、あなたの居場所を用意するわ」

 

「どっちの話をしてんだ。仮想世界(バーチャル)か、現実世界(リアル)か」

 

「両方よ。あなたの両方の居場所をわたしが作るわ」

 

 その言葉に嘘はないとわかったが、全面的に信じる事もできなかった。彼女はゲームマスターだから、この世界をある程度好きにできる。居場所を作ってくれるだろう。だが――。

 

「現実世界の方はどうすんだ。オレには金がねえ。組織から報酬をもらわねえと……」

 

 思った事を正直に告げると、ゲームマスターはゆっくりとヴァサゴを離して立ち上がる。

 

「お金なら心配いらないわ。口座番号を教えてくれる? それと、()()()()()も」

 

 後半には少々首を(かし)げたが、もう情報漏洩(じょうほうろうえい)も何も気にならなくなっていたヴァサゴは両方を教えた。ゲームマスターは「ありがとう、行って来るわね」と言って笑むと、また左手で特殊なウインドウを呼び出して操作をし――光に包まれて消えた。

 

 直後、どっと眠気が襲ってきた。ありとあらゆる事が連続していたために疲労したのだろうか。考える間もなく、ヴァサゴは椅子に(もた)れ掛かって眠った。

 

「――ヴァサゴ、起きて」

 

 すっかり聞くと安心感を覚えるようになった声に呼ばれ、ヴァサゴの意識は眠りの階層から覚醒へと浮上した。目の前にゲームマスターが戻ってきていた。ウインドウを開いて時刻を確認する。二時間ほど経過していた。

 

「……やっべ」

 

 窓からオレンジ色の光が差し込んできている。夕方になってしまっていた。あまりに長い昼寝をしていたようだ。

 

「疲れていたのね、あなた。当然よね、あんな酷いところにずっと居たのだもの」

 

 そう微笑むゲームマスターの声色は柔らかくて優しかった。組織は勿論、両親のどちらもかけてくれる事のなかった声だった。

 

「それであんた、金は」

 

 尋ねてみたところ、ゲームマスターは左手でウインドウを呼び出してある程度操作を加え、くるりと反転させるような動作をした。ウインドウに表示されているのは一枚の画像だった。ヴァサゴの銀行口座への振り込み完了を報告しているスクリーンショット画像だ。

 

 書かれている数字にヴァサゴは目を見開く。《SAO》にダイブする前に聞かされた組織からの報酬金の何倍というレベルではなく、桁そのものが大きく異なる額が振り込まれていた。

 

 なんだ、この金は。犯罪組織の裏資金レベルの額じゃないか。

 

「おいおいおい……なんだよこの額……」

 

「これでもう、当面の生活の心配はない。組織にいる意味もないでしょう?」

 

「これ、フェイクじゃねえよな?」

 

「あなたにフェイクを見せなきゃいけない理由がどこにあるの?」

 

 ヴァサゴは沈黙した。やはりゲームマスターが嘘を言っている様子は見受けられない。この画像も本物で、自分の口座には同じ額の金が振り込まれているのだろう。ログアウトして確かめられないのが惜しい。

 

「……あんた」

 

「おいでなさい、ヴァサゴ。それとも、まだ何かして欲しい事がある?」

 

 そう言われた直後、身体が震えてきた。恐怖でもなければ寒気でもなく、怒りのためだった。どうしてなのかはわからないが、ゲームマスターを初めて見た時の、日本人に対する怒りと憎しみが込み上げてくる。今は対象にゲームマスターは含まれていないが、それでも胸の中が燃えるように熱い。

 

「……やっぱりそうよね」

 

「あ?」

 

「あなたの中には日本人、東アジア人に対する怒りと憎悪が汚泥みたいになって溜まってしまっている。わたしと出会った時に斬りかかったのもそのためでしょう」

 

「全部お見通しなんだな。けど、もうあんたを殺したいとは思ってねえから安心しな」

 

「そう。でも、わたしがいくら尽くしたところで、あなたの中の汚泥……日本人に対する憎悪が浄化される事はないでしょうね。そんなふうになってしまっているのは良い事ではないわ。汚泥は掻き出さなきゃいつまでも残って、そこを汚し続ける」

 

「洗浄しなきゃ駄目か……だろーな」

 

 ゲームマスターは胸の下で手を組み、もう一度微笑んだ。

 

「ヴァサゴ、わたしはかつてあなたが居た組織のように細かい命令はしないわ。あなたの好きに、やりたいようにやって、その汚泥を洗浄なさい。全部あなたの自由よ」

 

 自由――その言葉にヴァサゴは瞠目した。

 

「本当か!? 本当に、好き勝手やっても良いのか!?」

 

「後でどうにもならないしっぺ返しが来ない範囲でね。わたしでも助けられる範囲は限られているから、そこを間違えないように気を付けて、やりたい事をやりたいようにおやりなさいな。そして……」

 

 ゲームマスターはヴァサゴの両肩に両手を置き、真っ直ぐ瞳を交差させた。

 

 

Prince of Hell(プリンス・オブ・ヘル)PoH(プー)はこれまでのあなた。今からあなたはPrince of Heaven(プリンス・オブ・ヘヴン)PoH(プー)よ」

 

 

 Prince of Heaven(天国の王子)。その言葉はヴァサゴ/PoHの最奥部まで響き渡り、全身に染み渡った。

 

 それまで自分を縛っていた鎖の全てが、両親にかけられた《悪魔の子》という呪詛(じゅそ)が弾け飛び、身体が一気に軽くなったのを感じた。

 

 自由を手にしたPoHはゲームマスター――真なる母の言う通り、自由に行動した。刺激に飢えていそうな若者達を、母から教わった人心掌握術で手懐け、殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》を設立し、日本人への憎悪という汚泥の掻き出しと洗浄に取り掛かった。

 

 結果は上手くいった。母に導かれているというのに、暴走した《()り逃げ男》なる者が《笑う棺桶》の者達を操り始める頃には、PoHの中の汚泥は綺麗さっぱりなくなっていた。

 

 反逆者となった《壊り逃げ男》の魔の手はPoHにも迫ったものの、母によって防がれた。その間にPoHはカルマ回復クエストをクリアしてグリーンカーソルに戻り、特に殺しもせずアインクラッドをぶらぶらとしていた。

 

 その間、母のお気に入りである《黒の竜剣士キリト》が力を付けていき、ついには母のプラン通り《壊り逃げ男》は処分され、《SAO》はクリアされたのだった。

 

 病院で目を覚まし、リハビリをこなして本調子を取り戻したヴァサゴは、ひとまず組織に戻る事にした。だが、辿り着いた先で異変が起きていた。

 

 裏社会で上位層にいたはずの組織の建物はボロボロに荒れ果て、構成員の数も目に見えて減り、幾多の抗争を勝ち抜いた力の象徴であった銃火器もほとんどなくなっていた。場所を間違えたかとも思ったが、確かにそこは組織の本拠所在地だった。

 

 見るも無惨な姿に変わり果てた組織の本拠地の奥に、ボスが居た。かつての威厳も威圧感も全くなく、ボロ雑巾のような情けなさだけがそこにあった。近くにいる一人の構成員も同じような有様だった。

 

 ボスは帰還したヴァサゴを見るなり――命乞いをしてきた。

 

「報酬金は払えねえ……お前が《SAO》にログインしてすぐに、組織の資金が空っぽになっちまったんだ……裏資金も、全部空っぽになっちまった……そこから何をやっても立て直せなかったんだよ……取引先にも逃げられて、内部抗争が起きて……警察がいつ来るかもわからねえんだ……」

 

 いつもならば大笑いしそうだったが、ヴァサゴは無表情でスマートフォンを手に取った。口座を確認すると、二年前に母が振り込んでくれた巨額の金がしっかり表示されていた。

 

 そこで合点がいった。この金はこいつらの資金だ。あの時母が組織の名前を求めたのは、こいつらの金を自分に渡すためだったのだ。

 

 あれだけ威張り散らしていたというのに、母によって金を奪われただけでこの有様か。おまけに二年という時間もあったのに立て直せず、どこまでも転がり落ちた。

 

 しょうもない奴らだ。やはり彼女こそがBOSSであり――(マミー)なのだ。

 

「あっそ」

 

 ヴァサゴは消音器(サプレッサー)付き拳銃を抜き、命乞いするボスと、一人だけ残った幹部の頭を撃ち、事務所を後にした。そして警察に組織の事を報告した後に空港へ向かい、渡米。

 

 サンディエゴの民間軍事会社のサイバー・オペレーション部門に潜り込み、州兵や海兵隊相手のVR戦闘訓練にて《SAO》で(つちか)った経験と母から教わったやり方を実践すると、たちまち教官に抜擢され、かつてないほどの安定した生活を手に入れられた。

 

 以降ヴァサゴは真なる母の息子及び忠臣として、その崇高な大いなる目的のために力を尽くしたのだった。

 

 そして今、収束地アンダーワールドへ到達した母は最終段階へ進んでいる。

 

 もうすぐ、何もかもが生まれ直す。

 

 

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