キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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21:聞コエル声

□□□

 

 

「全員、一斉攻撃!!」

 

 かつては忌まわしき元凶、今は疑わしくも頼もしき聖騎士ヒースクリフの号令と共に、一際巨大な扉が破られた。神聖術、暗黒術、ソードスキルからなる虹色の大爆発。本来ならばボスエネミーにぶつけられるはずのそれをぶつけられた扉は部屋の中へと吹き飛んで行った。

 

 爆発の余波は部屋の中へ及んだらしく、アスナ達が突入した時には床があちこちボロボロになっていた。その中でアスナは、床に横たわっているシノンを見つけた。皆は彼女の近くに居る《人》にこれ以上ないくらいに酷く驚いている。

 

 勿論アスナも同じだったが、それを無理矢理呑み込んで、アスナは倒れている親友の元へ急いだ。

 

「シノのんッ!!」

 

 アスナは親友を拾い上げるようにして抱きかかえ、その場から一気に離れた。すぐさま友人達と、リランとユピテルとユイが寄って来る。

 

「「シノンッ!!」」

 

 リズベットとフィリアが声を掛けるが、シノンは一切応答しない。つい先ほどまでは白水色であったその髪と瞳は、現実世界(リアルワールド)での彼女――というよりも本来――のそれである黒茶色に戻っている。その瞳からは生気と光が消え失せ、(しかばね)のようになってしまっている。

 

 死んではいないが、生きてもいない。そんなふうに言われると納得してしまうような状態だった。

 

「う、嘘だ……こんな事、ありえねえっ……」

 

「マジでそうだったのかよ……」

 

 クラインとエギルが目の前の現実を信じられないような声を出し、周りの者達も同じような事を言い始めるが、アスナの意識はずっとシノンに向いたままだった。少女形態になっているリラン、ユピテル、ユイが(そば)に居てくれているおかげだったのかもしれない。

 

「ママ! ママぁ!!」

 

 ユイが涙声でシノンに呼びかけるが、やはりシノンは生気を失った瞳のまま微動だにしない。まるで魂が抜けてしまっているかのようにも思えてくる。

 

「リラン、ユピテル、シノのんは!?」

 

 そこでアスナは気が付いた。リランもユピテルも、絶句して前方を見ていた。そのうちユイもそうなってしまう。いったい何があるのかと思って視線を向けてみて――アスナも言葉を出せなくなった。

 

 シノンと共に行方不明になっていたキリトが居た。しかし自分達にとっての最大の希望である彼は、半透明の乳白色の液体で満たされている巨大な白い繭の中で胎児のように浮かんでいた。

 

 これまでずっと現実離れした光景をいくつも見てきたつもりだった。もう何を見ても言葉を失う事などないと思っていた。だが今しがた眼前に広がっている光景は、全ての希望を奪われたような気になってしまうには十分すぎるものだった。

 

「キリ……ト……君……?」

 

 キリトが捕まっている。いや、捕まっていると言ってよいのだろうか。何かもっと別な、考えたくもないような最悪の事態が起きている。そんなイメージがアスナの脳裏を支配していた。

 

 そこで声を上げたのが、ここまで自分達を連れてきたヒースクリフだった。「全ての元凶である」と語ったその人を睨み付けている。

 

「……やはり君だったのだね、愛莉(あいり)君。まさかあの時聞かせてもらった夢が、ここまで大きなモノであったとは……」

 

 怒りと落胆が混ざったような声を掛けられたのは――女の人だった。ユイのように黒くて艶のある髪に、リランと同じ色相の赤茶色の瞳。クィネラやティアのような理想的な女性の身体つきで、ストレアと同じ大きな胸をした、背の高い女性。

 

 自分に様々な事を教えてくれた恩師であり、ユピテルというたった一人の可愛い息子を与えてくれた恩人であり、頼もしい仲間の一人。

 

 芹澤(せりざわ)愛莉(あいり)/イリスで間違いなかった。

 

「あらあら……随分と荒っぽいやり方でやってきたものですね、茅場(かやば)さん」

 

 イリスは足元をぽんぽんと払いながら答えた。その顔を見たアスナはもう一度驚かされた。イリスはこれまで見た事がないような母性と優しさで(あふ)れた顔をしていた。

 

 あまりに自分の知るイリスと違う。もしかして、あれはイリスのふりをしている他の誰かなのではないか――そんなふうにさえ思ってしまった。

 

「茅場さんも同じ《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》ですから、現状がわかりますよね」

 

「あぁ、とんでもない事をしでかしてくれているね。地球全土のネットワーク障害にディープフェイク……それを引き起こしているのは君が産んだ子供達……現実世界を放棄し、完全なる異世界を仮想世界で実現しようとした私と違って、君は現実世界も仮想世界も作り替えようとしているのだね」

 

「えぇ。これがわたしの夢です。どうですか」

 

 ヒースクリフはそれ以上何も言わなかった。その後方で、再びクラインが信じられないように一歩踏み出す。

 

「イリス先生……なんで、なんでなんですか……なんでイリス先生が、ハンニバルが居る場所に居るんですか……?」

 

 同じようにか細い声を出して近付いて行ったのはシリカだった。

 

「ヒースクリフさんはイリス先生がハンニバルだって言ってるんです……でも、そんなわけないですよね……? だってイリス先生は《SAO》の時からずっと、あたしに良くしてくれて……優しくしてくれて……」

 

 シリカは今にも泣き出してしまいそうな様子だった。他の皆――《SAO》の頃からずっと彼女に助けられてきた友人達も同じように震えた声で戸惑っている。アスナもまさにその心境だった。

 

 《SAO》から今に至るまで厳しくも優しく教え、導いてくれたイリス先生が、PoH(プー)や《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》を生み出し、その後も自分達に厄災をぶつけ続けてきたハンニバル。

 

 そんな馬鹿な話があるわけがない。しかし彼女の子供であり、その特性上嘘を()く事ができないユピテルが、はっきりと言った。今の地球全土で起きているネットワーク障害の元凶であり、核戦争の引き金を引こうとしているのはイリス/芹澤愛莉なのだと。

 

 だから、信じるしかない。どんなに嫌でも、信じられなくても、受け入れるしかない。

 

 けれど、こんなのって――。

 

「おい貴様! 私の友人であるキリトとシノンに何をやったんだ!」

 

 悲嘆に呑み込まれかかっていたその場の空気を、一人の少女の声が切り裂いた。メディナだった。《EGO(イージーオー)》の刀身を愛莉/イリスに向けている。彼女に続いてグラジオも《EGO》の剣だけを構えて並ぶ。

 

「核戦争とかネットワークとかよくわからない事をみんなが言ってるけど、全部とんでもなく悪い事だっていうのはわかってるんだ。あんたが引き起こしてるっていうのも!」

 

「イリス、キリトに何をしたんだ!」

 

 グラジオに続いてユージオも《EGO》を構えてイリスに迫らんとしている。事情を知らないアンダーワールド人達は、イリスへの敵意を剥き出しにしている。彼らだけではなく、イリスと関わりのなかった現実世界人プレイヤー達も同じように身構えている。揺らいでいるのは彼女との関わりのあった者達に限定されていた。

 

 その中でヒースクリフがちらりとこちらを見てきた。

 

「マーテル、ユピテル。今何をするべきかわかるね」

 

 実質的な父親からの問いを受けた子供の二人ははっとし、がばっとアスナへと振り返ってきた。正確にはシノンの方へ振り向き、ぐっと近付いてくる。

 

 直後、二人同時にその手をシノンの(うなじ)に当て、目を閉じる。

 

「リラン、ユピテル……シノのんはどうなっているの」

 

 やがて二人は同時に手を離した。どちらも驚愕(きょうがく)の表情をしていたが、すぐさま元に戻して顔を向けてきた。先に答えてきたのはリランだった。

 

「……シノン――詩乃(しの)は今、フラクトライトが不活性化しておる」

 

「フラクトライトの不活性化……!?」

 

「詩乃ねえちゃんの魂は強引に鎮静化させられているんです。ぼく達が辿(たど)り着く前に、愛莉にやられたんでしょう……」

 

 つまり魂に麻酔をかけられてしまった。いったいどんな技術があれば、そんな事ができるというのだろう。そしてそれが愛莉によってもたらされたというのであれば、愛莉の中には地球上の誰も知らない技術がどれだけ詰め込まれているのだろうか。

 

 一瞬そんな気持ちになってから、アスナは我に返った。直後、ユピテルが続けてきた。

 

「恐らくですが、キリト――和人(かずと)にいちゃんも同じです。一刻も早くこの状態から抜け出させて元に戻さないと、取り返しがつかなくなります。特に和人にいちゃんの方が詩乃ねえちゃんよりも深刻な状況かもしれません」

 

「どうすれば二人を元に戻せるの」

 

 アスナの問いかけを聞くなり、リランとユピテルは再度掌を詩乃の項に当てた。対象の精神状態を正常に戻す時の見慣れたやり方だったが、今は違う気がした。

 

「詩乃ねえちゃんの心――いいえ、魂は冷たくなって動きが鈍くなっているんです。詩乃ねえちゃんと繋がりの深い人達で詩乃ねえちゃんの魂を温めて突き動かし、鎮静化を解除するしかありません」

 

 比較的大きな音を立てて走ってきた者達が居た。リーファとリズベットとフィリアとユウキだった。黒い瞳になってしまっている詩乃のすぐ近くにしゃがみ込んでくる。

 

「そうすれば、詩乃さんは起きるの?」

 

 説明を聞いていたらしいリーファが尋ねると、ユピテルは苦い表情をした。

 

「和人にいちゃんが居てくれれば、詩乃ねえちゃんは簡単に起きてくれたかもしれません。愛莉はそれがわかっていたから、和人にいちゃんにも同じ方法を用いたのでしょう……」

 

 そこでアスナはユピテルの琥珀色の瞳に涙が揺れている事に気が付いた。これをやったのが自身の産みの母である事が、悲しくて仕方がないのだ。

 

 実際、愛莉との繋がりが深かったらしいシリカに至っては、こちらに合流できず、愛莉と何とか対話しようとしている。ユピテルとシリカは同じ気持ちだ。本当は信じたくなくて、泣きたくてたまらない。

 

 だが、ユピテルはがっと顔を上げて訴えた。

 

「お願いします。みんなで、詩乃ねえちゃんを起こしてあげてください!」

 

 

□□□

 

 

 地平線の彼方まで続く白い空間の中、詩乃は(うずくま)っていた。つい先ほど、全てを終わらせようと拳銃を持っていたのに、突然どこからともなく衝撃が飛んできて吹き飛ばされた。そのまま(したた)かに地面に身体を打ち付けられたが、不思議な事に何の痛みも感じなかった。

 

 何が起きたの――ぼんやりとする頭でそんな事を考えながら、詩乃はひとまず起きた。拳銃がない。何もかもを終わらせて、和人のところに行くために必要だった拳銃がどこにもなく、本当に白一色の空間に自分だけが置き去りにされていた。

 

 歩いても、走っても、きっとどこにも辿り着けない。考えるまでもなくそうわかって、詩乃は歩き出そうとしなかった。

 

「誰……?」

 

 私の邪魔をしたのは、誰? いいえ、何?

 

「シノのん」

 

 突然、誰かに名前を呼ばれた。誘われるようにしてそちらに顔を向けてみる。何もないと思われていた空間に、一人の少女が姿を現していた。栗色の長髪と綺麗な琥珀色(こはくいろ)の瞳が印象的で、じっとこちらを見つめている。

 

「起きて、シノのん」

 

 今にも泣き出してしまいそうな顔で、少女――明日奈(あすな)はそう告げた。

 

「そうよ、起きなさい詩乃」

 

 明るめの少女の声が続いてきた。明日奈の隣に少し暗めの茶髪と、頬元のそばかすがどことなく目立つ少女が現れてくる。こちらを元気付けようとしているような顔を向けてきている彼女の名は、里香(りか)

 

「起きてください、お義姉(ねえ)さん」

 

 更にもう一人。黒い髪を真っ直ぐに切り揃えた、緑色の瞳が特徴的な少女が柔らかい笑みを浮かべてこちらを見つめている。自分をお義姉さんなんて呼ぶのは直葉(すぐは)しかいない。

 

「起きて、詩乃」

 

 直葉の隣にまた少女が姿を見せてくる。日本人にしてはきわめて珍しいオレンジがかった跳ねっ気のある金髪に、海のような青い瞳。琴音(ことね)だ。

 

「詩乃、起きなきゃ。まだ夜じゃないよ。寝てていい時間じゃないよ」

 

 琴音の隣に小柄な少女がふわりと現れる。白い髪飾りを付けた茶髪の娘は、木綿季(ゆうき)だった。真っ直ぐにこちらを見据えてくれているおかげで、自分が輪郭を失ってしまわないで済んでいる気がした。

 

 間もなくして、五人の少女から柔らかい光が流れ込んできた。穏やかなせせらぎのように胸の中に流れてくるそれは、五人の意思と感情だった。温かい。いつの間にか冷たくなっていた身体がどんどん温もりを取り戻していく。

 

「お義姉さん、早く起きてください」

 

「起きて、詩乃」

 

「シノのん、みんな待ってるよ」

 

 頭の中に届いた明日奈の声を聞いた直後、詩乃ははっとして――耳を塞いだ。

 

「やめてよ」

 

 自分の口からそんな言葉が零れ出てきたのが聞こえた。

 

「もう戻っても和人はいないの。和人はもう助けられないの。世界だってこれから私から生まれた子に焼かれるの。世界を焼いた罪なんて、私には背負えない……やめてよ……もう、全部忘れさせてよ……!!」

 

 立ったまま蹲り、またいやいやをする。その間にも少女達が声を掛け続けてくるが、首を横に振って拒絶し続けた。やめて。もうやめて。忘れさせてよ――。

 

「何を言っておるのだ、詩乃」

 

 他の少女達とは違う、新たな声が呼んできた。一際凛としていて力強いけれども、包み込んでくるような優しさも含んでいる声。ゆっくりと顔を上げたところ、また新たな少女が現れていた。紅玉のような赤い瞳に、琴音とは異なる色相の金色の長髪。身を包む高貴さを感じさせる深紅の服が、無限に広がる白の中にはっきりと存在感を示している。

 

「何故お前はもう既に何もかもが終わった気になっているのだ」

 

「……リラン」

 

 とても高圧的な目で、リランは見つめてきていた。いや、睨み付けてきていると言った方が正しい。こんなふうに睨まれたのはいつ以来だろう。

 

「戻っても和人はもういないだと? 他のところに行ってしまっただと? 世界は焼かれて終わる? 笑わせるでないわ。和人はどこにも行っておらぬ。寝ていて起きぬだけでな」

 

 詩乃はきょとんとした。

 

「和人……寝てるの……?」

 

「あぁ、超が五つ並んで付くくらい高品質の寝具で寝たせいで、みんなで声を掛けても起きぬくらい深々と眠っておる」

 

 記憶がぼんやりと蘇ってくる。いつだったかにベッドや枕といった寝具の話になった時、本人はお金がかかってもいいから良い寝具で寝たいと言っていた。

 

 しかし、和人に与えるべきは寝心地がちょっと良い程度の寝具で良いと詩乃は思っていた。もし超高級の最高品質寝具なんてものを与えたうえで寝させてしまったが最後、本当に朝起こすのが難しくなるからだ。

 

 それくらいにまで――和人は寝坊助だった。

 

「和人……起きられないの……?」

 

 リランは呆れたように言う。

 

「そうだ。あまりに寝心地が良すぎるせいで、自分で起きる事さえままならなくなっているのだ」

 

「そうだよ。もう一度だけ頑張って、和人君を起こしてあげて、シノのん」

 

「詩乃なら、和人を助けれるよ。ううん、和人を助けられるのは詩乃しか居ないの」

 

 リランの隣に明日奈と琴音が並んでくる。

 

「和人ったら生意気よねぇ。お姫様(あんた)のキスでしか起きないつもりでいるみたいよ。なら、あんたのするべき事は一つだけじゃない?」

 

「おにいちゃんには……お義姉さんが必要なんです」

 

「それだけじゃない。ボク達にだって和人と詩乃が必要なんだ。二人が居ないと始まらないよ」

 

 里香、直葉、木綿季の順で再度言葉がかけられてくる。全員に共通しているのは、先ほどよりも暖かい気持ちにさせてくる微笑みを浮かべている事だった。

 

 その中で、唯一その顔をしていないリランが進み出てくる。

 

「詩乃、和人に助けられてばっかり、守られてばっかりだったよね。そのまま終わるつもりなの。和人に守られっぱなし、助けられっぱなしのまま、終わるつもりなの? このまま和人が寝てたら、本当に世界が滅びちゃうよ。ひどすぎない? 和人が呑気(のんき)に寝てるせいで世界が滅びちゃうなんて」

 

 そうだ。ずっとそうだった。和人に守られる事、助けられる事が自分にとっての当たり前になっていた。

 

 だから和人は寝てしまったのだ。自分を守り続けたせいで疲れ切って、眠ってしまった。そして疲れが十分に取れているにも関わらず、ずっと寝っぱなしになっている。

 

 和人が寝ているせいで、世界が滅びそうになっている――だって?

 

「……ふふっ」

 

 突き上げてきた笑いをこらえられなかった。

 

 なんてひどい話なの。

 

 なんて馬鹿馬鹿しい話なの。

 

 世界が滅ぶのは和人が最高級寝具で寝てるせいだなんて。

 

「ねぇ詩乃。ここから起きる気になった? 起きて、和人を起こす気になった?」

 

 リラン/マーテルがすぐ近くまで来て、声を掛けてくる。その目をしっかりと詩乃は見つめた。瞳に映っている自分は、いつの間にか泣き笑いの顔をしていた。

 

「行かなきゃ、駄目そう?」

 

 詩乃の問いに、マーテルは顔を下げた。予想外の反応に詩乃はもう一度きょとんとする。

 

「……さっき里香が言ってた通りだよ」

 

「え?」

 

「和人は詩乃に起こしてもらいたいんだ。和人が寝坊したせいで世界が滅びるなんて、わけがわからない事にならないように……和人にキスをして、起こしてあげて」

 

 マーテルは顔を上げた。紅玉の瞳から――一筋の雫が流れていた。

 

 

 

「わたしが(ねた)ましいって思っちゃうくらいの恋人の詩乃にしか、できないんだよ」

 

 

 

 マーテルが一際よく聞こえる声ではっきり告げると、その場の全員が柔らかく温かい光の波動となって――もう一度胸の中へ流れ込んできた。そして、目の前の白が詩乃へと及んできた。

 

 

□□□

 

 

 身体が、心が、魂が輪郭を取り戻し、詩乃は目を開いた。瞬く間に身体に力が戻ってきて、上半身を起こす。

 

「シノのん……!!」

 

「「「「詩乃……!!」」」」

 

「詩乃さん……!!」

 

 最初にお気に入りのニックネームが聞こえ、続けて本当の名前を呼ぶ声が連続した。振り返ってみると、最初に見えたのは明日奈/アスナの姿だった。周りには里香/リズベット、直葉/リーファ、琴音/フィリア、木綿季/ユウキの姿もあった。

 

 彼女達だけではない。ここまで苦楽を共にした仲間達が勢ぞろいして、詩乃を取り囲んでいた。

 

「シノン、大丈夫!? どこも悪くない!?」

 

 アリスがとても心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。身体はちゃんと動いた。どこも悪くない。

 

「えぇ……迷惑をかけてしまったわね――」

 

「ママ!!」

 

 直後、全てを取り戻した身体に少し重いものが寄りかかってきた。黒い髪をした小さな少女。我が()のユイだった。

 

「ユイ……」

 

「ママ、良かったです……本当に、良かった……!」

 

 ユイは胸に顔を(うず)めてきていた。その部分がじんわりと湿ってくる。この子にも酷い事をしてしまったものだ。

 

 詩乃は立ち上がり、もう一度巨大な乳白色の繭の方を見た。和人を捕らえるそこの前に、変わらず恭二(きょうじ)と愛莉が居た。そのうちの恭二は驚いていて、愛莉はとても上機嫌そうにしている。

 

「まさか、《生まれ直し》を拒絶したの、詩乃……!?」

 

 恭二が信じられないものを見ているような顔をしている。直後、身体に更なる力が(みなぎ)ってくるのを感じた。正確には封印が解かれたような感覚だった。胸に手をやると、何かの柄が光と共に飛び出してきた。力強く(つか)んで抜き払う。

 

 大弓だ。ところどころに青い宝玉の装飾がなされた白い大弓。自分の《EGO》であると同時に《太陽神ソルス》の鍵でもある《アニヒレート・レイ》。それを構えると、身体のあちこちが光に包み込まれた。

 

 いつの間にか着せられていた白い服は鎧が付属する青い戦闘服へ変わり、一気に身動きが取りやすくなった。更に、眼中に映り込む前髪も黒茶から白水色へと変化を遂げた。

 

 そして身体を流れる無尽蔵の力。今の自分は、《太陽神ソルス》であり――世界を滅ぼすAIではない《シノン》だ。皆から驚きと歓喜を混ぜた声が上がると、愛莉が更に面白いものを見たような反応を示した。

 

「なるほどね。ここに来た際に《太陽神ソルス》にロックをかけたのだけれど……まさか心意の力で解除してみせるなんて。流石はわたしの娘ね、詩乃」

 

 その表情を見たシノンは歯を無意識に食い縛った。愛莉の口ぶりも表情も、娘の成長を喜ぶ母親のそれだった。やはりもう愛莉は自分の事を――自分達の事を可愛い我が子達と信じてやまないのだろう。

 

「イリス先生……イリス先生ぇッ!!」

 

 そんな愛莉に訴えかける者達が居た。その先頭に居るのはクラインだった。

 

「今までみたいに話し合いましょうぜ! キリトの事も一旦起こして、みんなで話し合いをしましょうよ! イリス先生が、愛莉先生がハンニバルなんていうのは何かの間違いだって……! 地球が核戦争になるってのも、間違いだって……!!」

 

 武骨な野武士のような雰囲気が特徴的だった彼は今、救いを求める者の顔をしていた。自分ほどではないが、クラインは《SAO》の時から愛莉に救われてきていたし、年上の女性という事もあってか、憧憬(しょうけい)の眼差しを向けている部分もあった。

 

遼太郎(りょうたろう)……次に《生まれ直し》の必要があるのは君みたいだね。ううん、遼太郎だけじゃない。ここに居るみんながそうなる必要がある」

 

 恭二がにこやかな笑みを浮かべて告げた。まるで神の意思を代行する天使のような素振りだった。

 

「かあさん、こうなったらもうやるしかないよね」

 

 恭二に尋ねられるなり、愛莉は(うなず)いた後に笑んだ。

 

「お好きにやりなさいな」

 

 恭二は「わかったよ」と言い、もう一度こちらに振り向いてきた。間もなくして、その目をそっと閉じる。皆が戸惑ってざわめき出すと、彼の身体は純白の光に包み込まれ、やがて巨大な光の(たま)となる。見方によっては卵に見えなくもなかった。

 

 数秒後、恭二の居た空間に現れた卵は中から突き破られるように爆ぜた。現れてきたそれに言葉を失いかける。

 

 狼龍だ。リランと違って下半身のみが狼と龍が融合したような形状となっていて、非常に長い尻尾が突き出ている。上半身は顔が狼の輪郭である事を除けば人間にそっくりだが、その身体は純白の金属鎧に包まれていて、機械腕と思わしきものが肩から一対飛び出ている。頭頂部には恭二ではなく、シュピーゲルの頭髪にそっくりな色合いをした(たてがみ)があり、それがあの皇獣達と同一の存在である事を知らしめる。

 

「しゅ、シュピーゲル、お前……!!?」

 

 恭二という名前を知らないディアベルが驚きの声を上げると、恭二だったモノが《声》を送ってきた。

 

《見てよ! これがかあさんの子供……《電脳生命体》が扱える力の一つさ! みんなも早くこっちにおいでよ!》

 

 恭二/シュピーゲルからは相変わらず悪意は感じられなかった。だが、あちら側に引き込もうとしている執念だけはしかと感じられた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 声が、聞こえる。

 

 みんなの声が、聞こえる。

 

 ――そうだ。一足遅れてみんながここに来た。

 

 みんなが、ここにいる?

 

 ――そうだ。詩乃、直葉、明日奈達、現実世界のみんなも。ユージオ、アリス、メディナ、グラジオ、ドロシー、ダハーカ達アンダーワールドのみんなも。ここに(つど)っている。

 

 詩乃も、ここにいる?

 

 ――そうだ。詩乃も居る。大切な詩乃もここにいる。見えるだろう?

 

 あぁ、見える。みんな居る。詩乃も居る。

 

 ――みんなは、まだ戦い続けている。

 

 まだ戦っているのか。もう戦う必要なんてないのに。みんな、俺みたいに戦い疲れているのに。休まなきゃいけないのに。

 

 ――戦い続けているんだ。()()()()()()()に留まって、戦い続けているんだ。

 

 これまでの世界に? そこは確か……。

 

 ――そうだ。危ないところだ。みんな、まだ危ないところに居るんだ。

 

 そんな危ないところに居たら駄目だ。

 

 ――みんなが、詩乃が危ないところに居たら、これまでどうしていた?

 

 危ないものから、危険を及ぼすものから守っていた。みんなに傷付いてほしくないから。

 

 詩乃は特にそうだ。詩乃は誰よりも傷付きやすくて、(もろ)くて、(はかな)くて。だから俺が詩乃を守らなきゃいけなくて。

 

 ――そうだ。それがお前の使命だ。

 

 みんなを、詩乃を守るのが俺の使命だ。

 

 ――じゃあ、お前が今やるべき事はなんだ?

 

 

 

 

 みんなを、危ない世界から守る。もう戦わなくていい世界へ救い出す。

 

 

 

 

□□□

 

 どぉんという衝撃と爆音が響いた。皇獣シュピーゲルが出したものではない。彼が動き出そうとしたその瞬間に届いてきた。

 

「な、なに!?」

 

 《EGO》を構えたアスナが叫ぶように言う。周りの仲間達も何事かと戸惑っている。それはあろう事か皇獣シュピーゲルも同じであり、元凶を探し出そうとして周囲をきょろきょろと見回している。シノンは真っ直ぐ愛莉を見たが、ありとあらゆる元凶である彼女さえも微笑みを消し、不思議そうな顔で周囲を確認していた。

 

《なんだ、今の……!?》

 

 皇獣シュピーゲルの《声》が頭の中に響いてきた直後、もう一度衝撃と音が(とどろ)いた。そこでようやくシノンは発生源を見つけ出した。その場所は、乳白色の糸で織り成された巨大な繭。和人が捕まっている場所だった。愛莉も同じタイミングで気付いたようだった。

 

「……!」

 

 次の瞬間、繭が中から破られた。半透明の乳白色の液体の飛沫を撒き散らしながら何かが飛び出し、床に着地する。繭は即座に再生を開始し、すぐさま元通りの形状を取り戻したが、誰もそこに目を向けてなどいなかった。

 

 繭の中から現れてきたのは、平均よりほんの少しだけ背が高く、比較的短めの黒い髪をした、少年と青年の中間にいるような彼。

 

「キリト!!!」

 

 その姿を認めた仲間達が希望を感じたような顔をした。シノンも一瞬同じようになりそうになったが、すぐさまはっとして我に返る。自分が起きられたのは、彼を起こせるのは自分だけだとみんなに言ってもらえたからだ。そして彼はみんなの言葉通り、自分から起きてくる事はないと思っていた。

 

 なのに、起きてきた。

 

「「和人……?」」

 

 愛莉と同じタイミングで愛する彼の本名を呼んだ。反応はない。愛莉は茫然自失に近い顔で和人を見つめていた。完全に予想外の出来事が起きて驚いているのがわかった。次第にみんなも和人の異変に気付いたらしく、(いぶか)しんでいるような声を出し始める。

 

「キリト、どうしたんだ」

 

「無事……なんだよね?」

 

 彼の親友であるユージオとカイムが声を掛けたその時だった。和人はゆっくりと身体を起こすと、顔を向けてきた。いつもの黒々とした瞳には、一切の光が見受けられない。まるでブラックホールのように、見つめていたら吸い込まれてしまいそうな黒だ。

 

 その顔のまま、和人は――ゆっくりと手招きをしてきた。

 

 来てくれ、こっちに来るんだ。早くこっちにおいで――言葉なくそう言っているのがわかった。しかしその意図は読めない。

 

「和人……?」

 

 あなたは何を言おうとしているの。あなたの声を聞かせて――そう言おうとした次の瞬間だった。

 

 突如として和人の身体が炎に包み込まれた。赤い炎ではなく――白と黒の炎だった。白黒の炎は和人の全身を包み込み、その輪郭を曖昧にした。和人を中心に巨大な白黒の火炎竜巻が吹き荒れる。その光景には既視感があったが、今まで見てきたそれとは異なっている。だからこそ、誰もが言葉を失って目の前の光景を見ているしかなかった。

 

 やがて竜巻は爆発するように消滅した。すぐさま和人が居た空間に目をやった。かしゃん、という音が床の方から聞こえた。手に持ったばかりの《アニヒレート・レイ》が床に落ちた音だった。

 

 そこに居たのは――異様な狼龍だった。

 

 竜らしい逆関節の脚となっている下半身に人間のそれを思わせる上半身。身体のところどころに黒と白の装甲らしきものが生じており、その上から黒いコートのようなものを羽織っていて、非常に長い尻尾が飛び出している。腕には異形の鞘が直接生えていて、見覚えのある形状の黒と白の巨大な剣が収まっている。

 

 頭部の輪郭は力強さと冷静さを感じさせる狼のそれだが、目は四つあり、黒い頭髪のような鬣が頭頂部から、これもまた見覚えのある形状の剣状の角が額から生えていた。あるところは黒いが、しかしまたあるところは白いと、まるで統一性がない。

 

 その姿は――

 

 

「《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》……?」

 

 

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