キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

657 / 659
23:心ノ深クデ

□□□

 

和人(かずと)!!」

 

 倒れた彼に声を投げかけ、シノンは一目散に駆け寄った。これまで何度もしてもらったように、上半身を抱き上げる。半皇獣(はんおうじゅう)半化身態(はんけしんたい)の姿となる前に純白と純黒の火炎竜巻を引き起こしていたにもかかわらず、《繭》の中に居た時と同じ白い服が保たれていた。

 

「和人、和人!!」

 

 頭を揺すって声を掛けるが、和人は答えない。闇のような真っ黒な目で虚空を見つめ続けている。半開きになっている口からは呼吸の音が少々聞こえる程度で、聞きたくてたまらない声は聞こえてこない。

 

「「和人!!」」

 

「パパ!!」

 

「和人君!!」

 

「和人にいちゃん!」

 

「おにいちゃん!!」

 

 リラン、フィリア、ユイ、アスナ、ユピテル、リーファもまた駆け付けてきてくれた。彼女達もかなりの大声で呼び掛けたが、やはり和人は何の反応も示さなかった。まるでからっぽになってしまっているかのようだ。

 

「リラン、ユイ、ユピテル、和人はどうなっているの!?」

 

 シノンの呼びかけを受けた三人のうち、《使い魔》形態から人間形態へ戻っているリランとユピテルが和人の(うなじ)に手を当てた。目を閉じて――すぐに開く。解析結果が出たのだろう。まるで一時間前くらいにやった事をもう一度やっているかのような、手馴れた動作だった。

 

「……その記憶はないだろうが、お前の時と同じだ、シノン」

 

「え?」

 

「和人にいちゃんのフラクトライトが不活性化しています。しかもシノン――詩乃(しの)ねえちゃんの時よりも深刻です。恐らくですが、かなり《生まれ直し》が進行してしまっています」

 

 その場に集まるみんなが驚きの声を上げ、アスナがユピテルに声を掛ける。

 

「じゃ、じゃあ、シノのんの時みたいにみんなで和人君のフラクトライトを起こさないと!」

 

「そうだよ! シノンの時と同じ状態なら、同じ事をすればきっと……!」

 

 アスナとフィリアからの言葉にユピテルは首を横に振る。直後に向けてきた顔には、とても悲しそうな表情が浮かんでいた。

 

「いいえ……かあさん達では駄目です。和人にいちゃんのフラクトライトを再活性化させるには、和人にいちゃんとの繋がりがとても深い人の協力が必要不可欠です。かあさんや琴音(ことね)ねえちゃん達では、和人にいちゃんとの繋がりが浅い……かえって和人にいちゃんのフラクトライトの麻痺を解く際、余計なものになる可能性の方が高いでしょう」

 

「あたしでも駄目なの? おにいちゃんの家族なのに?」

 

 和人の妹であるリーファ/直葉(すぐは)の焦燥にユピテルは(うなづ)く。AIのように淡々としておらず、本物の人間のように悔しそうでたまらなくなっている仕草だった。

 

「直葉ねえちゃんでも駄目です。木綿季(ゆうき)ねえちゃんでも海夢(かいむ)にいちゃんでも、(かえ)って麻痺の解除を(さまた)げてしまいます……」

 

 アスナ/明日奈(あすな)達はノイズになってしまうから駄目。直葉でも駄目。そうなれば何が和人を起こせるというのだろう。シノン/詩乃は身体の震えが止まらなくなりそうだった。

 

 ここまで来て、手遅れだったって言うの――?

 

「だからこそ、シノン――詩乃が必要だ」

 

 そう言ったのはリランだった。真っ直ぐにこちらを見つめてきていた。やがてみんながきょとんとしたような顔で視線を向けてくる。

 

「詩乃はこれ以上ないくらいに和人との繋がり、結び合った絆というモノが強い。奥深くまで沈んでしまっている和人の意識をここまで持って来るのには、詩乃が必要だ。……そう言えばアインクラッドの一〇〇層でも同じような事をしたな」

 

 そう言われて、詩乃ははっと思い出した。アインクラッドの一〇〇層で須郷(すごう)伸之(のぶゆき)に捕まった後、和人に助けてもらった。その時の方法ときたら、和人がリランとユイの力を使って詩乃の頭の中そのものにダイブしたという、とんでもない荒業だったと聞いた。

 

「……もしかして」

 

 そう(つぶや)いた詩乃に答えたのはユイだった。

 

「アインクラッドの時の再現です。パパの意識を直接ママの頭の中に入れた時と同じように、今度はママの意識をパパの頭の中に直接入れるんです。方法はそれしかありません」

 

 みんながもう一度大きな声で驚いた。あの時の荒業を初めて聞かされたのだから、当然の反応だろう。その中で詩乃は和人をじっと見つめた。

 

 あの時、和人は自暴自棄(じぼうじき)になっていた自分を救い出してくれた。成功するかどうかもわからないどころか、自身の心そのものが消失してしまう危険性さえあったのに、躊躇(ちゅうちょ)せずに飛び込んでくれた。そのおかげで自分は生きていられている。そして和人を心の底から――魂の底から愛せている。何もかもがあの時の和人の無茶のおかげだ。

 

 私はずっと和人に守られてきた。ずっと和人に助けられ、支えられ、愛されて、救われてきた。

 

 その彼があの時の私と同じような状態に(おちい)っているならば、どうするべきか――詩乃にはもう、答えを思考する必要さえなかった。

 

「リラン、ユイ。やり方はきっとこうだったわよね」

 

 二人の家族に問いかけながら、詩乃は和人の上半身を起こさせ、その両肩に手を置いた。そしてこれまで何度も彼にやってもらったように、(ひたい)を合わせた。温もりと共に、ほんの少しだけ彼を感じるようになる。

 

「……あぁそうだ。だがあの時と違うのは、我もユイも()()()()だという事だ。我らのようなAIが最も得意とするのは、反復学習と精密再現と、ちょっとした応用なのでな」

 

 リランが得意気に言って近寄ってきたかと思うと、(うなじ)の辺りに温もりを感じるようになった。リランが(てのひら)を当ててくれているので間違いないだろう。

 

 すぐ前に彼の顔がある。瞳は相変わらず真っ黒で何も見つめられていない。きっとアインクラッドの百層で和人に助けられる直前の自分もこうだったのだろう。真っ黒な闇に呑み込まれた瞳に、今度は自分が光を取り戻すのだ。そう思っていると、項にもう一度柔らかくて温かいものが当たった感覚が起きた。ユイの手だった。

 

「ママ、一応説明しますが、これからパパの意識とママの意識を接続します。きっとパパの意識は深いところに沈んでしまっていて、自力では上がってこれなくなっています。ママがパパの手を掴んで、パパの意識をここまで引き上げてきてください」

 

 そう告げるユイの言葉には自信が満ちていた。わたし達は一度経験していますから大丈夫です。そして、ママならパパを元に戻せます――直接言葉にする事なくそう言っていた。

 

 これから和人の中へとダイブする。どこまでも潜って私が和人を助けるんだ――そう思っていると、身体の中から熱が湧き上がってきた。それはただの熱ではなく、和人への想いと愛おしさだった。

 

 ただ額を合わせているのではきっと足りない。もっと深く和人に触れないと潜れない。そんな気持ちに駆られた詩乃は周囲を見た。

 

 苦楽を共に乗り越えてきた仲間であると同時に大切な友人達が心配そうな顔でこちらを見つめていた。和人と詩乃の意識を接続するという、常軌(じょうき)(いっ)した荒業が、今まさに実行されようとしているのだから当然だろう。

 

 だが、それは今――とても心地悪く感じられた。

 

「……ごめんなさい、みんな。ちょっと目を離してもらえないかしら。見られてると集中できないの」

 

 それは建前だったが、みんなは少し驚いたような反応をしてから、こちらから視線を離してくれた。そこでまだ皇獣シュピーゲルと戦い続けている連合軍の仲間達に気が付き、そちらへと向かっていった。唯一ユピテルだけがその場に残った。何かあった時にリランとユイに加勢するためだろう。だが、しっかりこちらを見ないでくれている。

 

「……いくよ、詩乃」

 

 静かに発せられたリランの言葉を耳に入れた詩乃は改めて和人に向き直った。リランとユイが《接続》を開始しようとしたタイミングで、

 

「和人」

 

 詩乃は目を閉じつつ、和人の唇に――自身の唇を重ねた。

 

 これ以上ないくらいに彼との繋がりが深くなったのを感じた直後に、意識が身体を、アンダーワールドを脱し、唇を重ね合う人の元へ向かっていくのを感じた。

 

 

 

 

□□□

 

 

 

「おれは……誰なんだ」

 

 その(つぶや)きで詩乃は意識を取り戻した。(まぶた)を開いてすぐに、見慣れた光景が広がってきた。そこは何度も行った事のある彼――桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)の部屋だった。

 

 声が聞こえた方を向くと、和人が居た。しかし、その背中は自分の知る彼よりもずっと小さい。

 

 彼だけではなく、彼が自力で作り上げたというパソコンの筐体(きょうたい)も小さければ、椅子もいつも使っているデスクワークチェアではなく、子供用の学習机の椅子だった。そこに座っている小さな和人は、パソコンを見て言葉を失いかけている様子だった。

 

 詩乃はパソコンの画面よりも和人の方が気になり、その顔を見つめた。酷いショックを受け、混乱しているような表情が浮かんでいた。小学校中学年くらいの男の子が浮かべるものとしては相応(ふさわ)しくない顔に、詩乃は思わず驚かされた。

 

「和人……!?」

 

 なんて顔をしているの――そう思った詩乃は急いでパソコンの方を見た。てっきり小学生が見るにはあまりに刺激が強すぎる動画や画像が表示されていると思っていたそこは、住基ネットのページだった。

 

 色々な情報と名前が載せられているが、よく確認すると、桐ヶ谷峰高(みねたか)、桐ヶ谷(みどり)、桐ヶ谷直葉の名前があった。桐ヶ谷家の家系図といったところだろう。しかしそこに和人の名前が存在していない。本来ならば峰高、翠、和人、直葉となるはずなのに。

 

「あ……!」

 

 そこで頭の中に一筋の光が(ひらめ)いた。以前翠本人の口から聞かされた話だ。

 

 将来和人と自分が現実でも結婚して夫婦となる可能性が極大だと信頼していたからこそ話してくれたのであろう彼女によると、和人は翠の姉夫婦の間に生まれた子供であったのだという。しかし和人が生まれて間もない頃に、二人は交通事故で他界してしまう。

 

 その場に居合わせたものの、運よく生き延びた和人は翠と峰高に引き取られ、以降桐ヶ谷家の長男として育てられた。その後に桐ヶ谷家の長女である直葉が生まれ、和人は直葉を妹だと思って接していた。しかし彼女は本当の妹ではなく、従妹(いとこ)にあたる()であるというのが真実だった。当然、そんな事は知る(よし)もなかった。

 

 若い時からパソコンオタク(ギーク)であったという翠の性格や性分は和人に後天的に遺伝した。和人は――丁度今見ている――小学生中学年くらいの歳でジャンクパーツから自作パソコンを組み立てて、インターネットやソフトウェア、オンラインゲームにのめり込み、そういった分野に詳しくなっていったらしい。

 

 だが、やがてその知恵が彼に災いをもたらす事になる。和人はある時住基ネットへのアクセスに成功して、自分の家――桐ヶ谷の家系図を見てしまった。そしてそこに自分の名前がない事を、自身が家族だと思っていた人達が、実は血の繋がった家族ではなかった事を知ってしまったのだ。

 

 これはきっと、その時の和人の記憶だ。

 

 自分が両親だと信じていた人達は本当の両親ではなかった。今まさに庭で竹刀(しない)を持って一生懸命素振りに(はげ)んでいる妹も妹ではなく、従妹だった。

 

 お前はこの人達を本当の家族だと思っていたのか? 笑えるな。お前の本当の家族はとっくの昔に死んでいるんだよ――パソコンに表示されている画面が冷徹にそう告げていた。

 

「おれは誰なんだ……あの人達は、いったい……?」

 

 戸惑いと混乱に満ちて震える和人を、詩乃は反射的に抱き締めようとした。しかしどんなに手を伸ばして腕を廻そうとしても、触れる事さえできない。この場が和人の記憶という名の立体映像に過ぎないからだった。

 

 やがて場面が急に切り替わった。翠と和人が向き合って座っていて、話をしていた。内容は勿論住基ネットで和人が見たものについての事だった。

 

 かあさんはおれのかあさんじゃないの。おれの両親は誰なの。

 

 どこまでも喰いついてくる和人からの問いかけを、翠ははぐらかそうとしていたが、果たして和人は翠を逃がさなかった。そして真実が話された。

 

「あなたは私達の子供じゃなく、私の姉夫婦の子供なのよ。直葉はあなたにとって従妹なの」

 

 そう告げる翠は、果たして穏やかな声色をしていた。

 

「あなたは私達とは血が繋がっていない。けれどそれが何? あなたは私の息子よ、和人」

 

 翠は直接口にする事なく、声色でそう伝えてもいた。だが、それは和人には伝わってないようだった。これは失敗だったんじゃないだろうか――詩乃のその予想は当たる事になった。

 

 また場面が切り替わった。今度は三人で夕食をしている光景だった。だが、和人を包む空気が一変していた。翠や直葉は変わっておらず、これまで通り、楽しそうに和人に話しかけて、家族として接している。しかし当の和人は彼女達に対してぎこちない反応を繰り返すばかりで、会話が要領を得なくなってしまっており、不思議がられていた。

 

 彼女達との間に見えない壁を作っているのが原因であるというのは、すぐにわかった。

 

「……」

 

 その後も、和人は見えない殻の中に閉じ籠っていた。中学校に上がっても友達らしい友達はできず、一人で過ごしていた。同じ中学校の同級生の男の子と《SAO》のベータテストを一緒にプレイしたりしたが、その関係はベータテスト終了と同時に終わった。現実で不良達に扱き使われるその男の子から助けを求められていても、見て見ぬふりをして去っていた。

 

 心の底から人を、誰かを信じる事ができないからだ。かつての自分のように。

 

(和人も……)

 

 闇の中に居たのだ。どこへ行く事もできない、冷たくて深い闇の中に閉じ込められていた。自身と他人の間に壁を作り、誰とも関係を持たないようにしていた。家族が本当の家族じゃないという事実を突き付けられたあの日から、ずっと。

 

 全てが繋がった気がした。

 

 どうして私は和人に()かれたのか。

 

 どうして和人に恋心を抱いたのか。

 

 どうして和人を心の底から愛するようになったか。

 

 和人が私と同じ闇の中に居たからだ。そしてそれは――SAOで私とリランに会うまで続いていた。

 

 私にとって和人は、光を与えてくれた人だった。包み込む闇を打ち払い、光で道を、世界を照らしてくれた人だった。

 

 

 でも、それは和人にとっても――。

 

 

 そこまで思ったところで、一気に目の前が白くなった。気が遠くなったりはせず、ただ(まぶ)しかった。腕で目を(おお)って光が止むのを待ち、収まったところで視線を前方に向ける。

 

「あ……!」

 

 詩乃は思わず声を出して驚いた。地平線の彼方まで続く白い空間に、和人が居た。小学生でも中学生でもない、自分の知る姿の和人が、また胎児の姿勢で宙に浮かんでいた。そして同じように《繭》に包まれている。

 

「和人!!」

 

 叫びつつ詩乃は和人に駆け寄った。《繭》に包まれて中に浮かんでいるというのは、つい先ほどと変わらない。だが、今の和人を包む《繭》はあの《生まれ直しの繭》よりもずっと小さくて薄かった。

 

「和人……起きて……!!」

 

 詩乃は咄嗟(とっさ)に《繭》に掴みかかり、引き剥がそうとした。純白の繭糸(まゆいと)は異様なまでに伸びはするものの、動かせないほどの強度はなかった。

 

 掻き分けるようにしていくと、和人の肩から上が《繭》の外に出てきた。《生まれ直しの繭》と違って中は液体に満たされていなかったようで、和人の身体は濡れてはいなかった。

 

 胸の奥から安堵(あんど)が突き上げてくる。ようやく会えた。

 

「和人……聞こえる……?」

 

 一瞬また無反応を覚悟した。しかし異様な集中力が出ているおかげで、和人の顔が(わず)かに動いたのが見えた。

 

 ……聞こえている!

 

「和人……!!」

 

 また和人の目元が僅かに動いた。確実に声が届いている。胸に喜びが込み上げてきた。

 

「和人……私、全部見てきたわ。あなたの事を全部……あなたが私にそうしてくれたように」

 

 今度は和人の顔全体が動いた。口元が、目元が、頬元が、確かに揺れている。

 

「和人……私達はやっぱり運命だったのよ。ここで二人でずっと一緒に居ましょう」

 

 そこまで言ったところで詩乃は驚いた。

 

 今、私は何を言った? 言うべきじゃない事を言ったような気がする。

 

「ずっとずぅっと、ここに居ましょう。私達はお互いをここまで知り合えたのだから」

 

 詩乃はもう一度驚いた。口が勝手に動いている。そればかりか身体がいう事を聞かず、独りでに動いている。人形師に操られるマリオネットのようだった。

 

「な、なに……!?」

 

「和人、私、とても和人が欲しくてたまらないの」

 

 口が勝手にそう言葉を(つむ)ぎ、そして腕が勝手に動き――服の(すそ)を掴んだ。脱ごうとしている。

 

「だから、お願いしたいの、和人……ここなら誰にも知られないし、見られないわ。誰にも、何にも邪魔されない。時間だっていくらでもあるわ。だからお願い、和人――」

 

 

「やめてッ!!!」

 

 

 叫んで全身に力を込めた。身体の感覚が戻ってきて、服を脱ごうとしていた手が止まった。そのまま戻そうとするが、進んでいかない。見えない糸に吊るされて自由を奪われているというより、身体の中に何かが居て、それに反発されているかのようだ。

 

「どうして止めるの? これがあなたの望みじゃないの」

 

 また思ってもいない事を勝手に動く口が話した。やはり自分の身体に自分ではない何かが居て、望んでもいない事を勝手にやろうとしている。かつてクィネラに憑依して人界を好き放題に支配していたアドミニストレータのように。

 

 しかしアドミニストレータと違って、何が身体に居るのかがわからない。詩乃は自分の身体に向かって問いかける。

 

「あんた、誰なのよ……!? いつの間に私の身体に入り込んで……!?」

 

「いつの間にって、何を言っているのよ。私は私よ」

 

 勝手に動く口が言う事が、さっぱり理解できない。身体から力を抜く事ができなかった。今しがたやろうとした事が再開されてしまうのがわかりきっているからだ。だから、それ以上動く事ができない。

 

「ほら、力を抜いて、(こば)まないで。これからするのは、あなたが望んでいる事なのだから」

 

「私が望んでいる事……!?」

 

「そうでしょう。見てきたじゃない。和人の全てを。《私達》にとって和人は光だった。闇の中に閉じ込められていた《私達》に光を与えて、明るい世界へ連れ出してくれた人だった。でも、それは和人も同じだった。和人もまた、《私達》の事を光だと思っていた。彼は《私達》と同じ闇の中にいた。独りぼっちの闇の中に閉じ籠もっていた。彼の闇もまた《私達》と出会う事で照らされて、彼の世界は光に満たされた。《私達》と同じように。

 《私達》と彼はお互いに同じ闇の中にいて、お互いを光だと思っていたのよ。《私達》と彼はどこまでも似た者同士。だから惹かれ合って、恋心を抱いて、愛し合った。これを運命って言わないで何て言うの。胸の中も頭の中も彼の事でいっぱいで(あふ)れちゃいそう。彼への想いで、愛情で(おぼ)れちゃいそう。そうじゃないの」

 

 身体が熱くなってくる。その熱さは覚えがあるどころではない。彼にお願いをする時、そしてしてもらっている時に生じ、身体と心を満たす熱と同じものだった。それがどこからともなく沸き上がってきて、身体いっぱいに広がろうとしていた。

 

 それは即ち、今、自分が彼を求めてしまっている事にほかならない。彼を助けに来たはずなのに、いざ彼のもとに辿(たど)り着いた自分が望んでいるのは、彼に満たしてもらう事――。

 

「あ、ああ、ああああ」

 

 なんで、なんで、なんで。

 

 私は和人を助けたいのに。

 

 助けたいから、ここまで来たのに。

 

 なんで、ここで、こんな事を。

 

「拒まないで。愛莉(あいり)先生の事、世界の事、《生まれ直し》の事で、ずっとつらかったじゃない。つらかった時はどうしてた? 彼にお願いして、してもらってたじゃない。だから、してもらいましょうよ。つらい事はみんな、彼が忘れさせてくれたじゃない。彼にしてもらっている間、幸せで頭と胸がいっぱいになって、つらい事を全部忘れられてたじゃない。今、つらくて仕方ないわ。なら、やりたい事は一つだけでしょう」

 

 身体から力が抜けて、奪われる。ひとりでに動く身体が、肌を晒そうとしていく。

 

「さぁ、もうすぐよ。もうすぐ《私達》は幸せでいっぱいに――」

 

 

 

「詩乃ッ!!」

 

 

 

 言いかけたところで咆吼のような叫び声が(とどろ)いた。次の瞬間、身体が浮遊感に包み込まれる。

 

 ただ浮き上がったのではなく、暴風や爆風を浴びて吹き飛ばされた時の感覚だった。数秒後、硬い何かに(したた)かに打ち付けられたような感覚が全身を襲い、一瞬肺が潰されて息ができなくなった。壁か床に衝突したらしい。

 

 だがそれは長続きせず、十数秒後には身体から苦痛が抜け、息が正常にできるようになった。上半身を上げて周囲を確認したところ、そこには深紅のコート状の衣服に身を包み、長い金髪をなびかせた少女が現れていた。

 

 少女の出現も十分に驚くべき出来事だったが、その近くにいる《とある存在》を認めた詩乃は、言葉を失った。臨戦態勢になっている少女の近くに――自分がいた。

 

 見間違いではない。髪、顔つき、着ている装束(しょうぞく)。何もかもが自分と同じだった。

 

「リ……ラン……?」

 

 ようやく出せた言葉がそれだった。リランは少しだけ振り返って顔を向けてきた。

 

「大丈夫か、詩乃。何かしらの影響は受けておらぬか」

 

「あんた、どうして……」

 

「言ったであろう。我らが得意なのは反復と再現、そしてそこからのちょっとした応用だとな。まぁ応用範囲はどうしても人間よりかは劣るがな」

 

 直後、背筋を悪寒が撫で上げた。鋭い刃のような悪意を向けられている。その根源はすぐに見つかった。リランと対峙しているもう一人の自分自身だった。

 

「リラン……あんた……!!」

 

 もう一人の自分は激しい憎悪に駆られているような顔でリランを(にら)み付けていた。ぎりぎりという歯を思い切り食い縛っている音がこちらにまで聞こえてきている。リランはそちらに顔を向け直すなり、全身を光に包み込ませた。(またた)く間にそのシルエットが自分と同じくらいの背丈の少女から翼の生えた巨大な狼となる。やがて光が弾けると、見慣れた狼竜が現れた。

 

 リランの、和人の《使い魔》としての姿だ。

 

利己心(エゴ)というものはわからぬものだな。《EGO》へ昇華させていればもう大丈夫かと思いきや、心のずっと奥深くに潜伏し続けているとは》

 

 聞き慣れた初老女性の《声》が頭の中に響いてきた。しかし何の話をしているのかはわからない。これで何度目だろう。

 

「どういう事なの? あれはいったい……」

 

 ふと言葉を漏らしたところ、向こう側にいるもう一人の詩乃が立ち上がった。よく見ると白水色の髪の毛はぼさぼさで、《太陽神ソルス》の装束は着崩されていて、出鱈目(でたらめ)に肌が露出している。

 

「なんで邪魔するのよ……もう少しで和人を、私だけモノにできたのに……!!」

 

 自分と同じ声で《もう一人》は激しい怒りを吐き出していた。だが、その声はまるでノイズエフェクトがかかっているように(ひび)割れている。自分の声のようで自分の声でない異形と化した声が、恐怖と嫌悪を煽ってくる。それから逃れようと、詩乃はリランに尋ねた。

 

「ねぇリラン、あいつはいったい何なの……!?」

 

 リランは身構えつつ、《声》を送ってきた。

 

《お前、一度《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》になりかけただろう。しかし完全にならずに昇華させて、《EGO》を得た》

 

 詩乃は(うなづ)く。《アニヒレート・レイ》を手に入れた際の経緯(いきさつ)はそうだった。

 

《どうやら、その時の残滓(ざんし)のようなものがお前の中にあったらしく、発現の機会を(うかが)い続けていたようだ。そして今こそが最高のタイミングだと思って出てきたようだな》

 

 リランがそう伝えてきた直後、《もう一人》は

 

「かずとはわたしのものだああああああああああああああああッッ」

 

 そう絶叫して、全身をどす黒い炎に包み込んだ。それは瞬く間で渦を巻き始めて竜巻となる。数秒後、竜巻は爆発するように弾け、中から巨大な影が姿を現してきた。

 

 ソルスの鎧を刺々(とげとげ)しく(ゆが)めたような青と白の装甲で身体のあちこちを包み込んでいて、ところどころに青白い光の粒子が(うごめ)く生体部位が露出している。

 

 少し細く見える逆関節の二本足で力強く地面を踏み締めていて、両腕は掌だけが大きく、青く鋭い爪で指が構成されている。背中からはマフラーを思わせる形状の複数の触手が飛び出してうねっており、そのうちの右肩付近から生えているそれは一際太く、先端は弓矢を持つ手となっている。左肩付近からも同じものが生えているが、先端が対物ライフルの銃身のような形状となっていた。

 

 そして頭部は白水色の生体部位と青の装甲が合わさった猫の輪郭(りんかく)であり、目は何の感情も感じられない青水色の光を放つだけの球体で、開かれている口には不気味な笑みが浮かんでいた。

 

 太陽神ソルスを猫の形に無理矢理落とし込み、更に歪んだ解釈を加えて具現化させた怪物。それが《もう一人》の居た空間に現れた存在だった。

 

 詩乃は目を見開きながらごくりと唾を飲み込んだ。まさか、あれは――。

 

「私の……《EGO化身態》……!!?」

 

 詩乃がそう零したところ、猫の怪物は咆吼した。耳を(つんざ)く禍々しい声の中に、自分のそれが混ざっているように聞こえた。

 

 理解が追い付かない。これまで相手にしてきた《EGO化身態》はその人が最終的に変じてしまったものであり、《EGO化身態》とその人が同じ場に並び立つなんていう事は起こりえない事だと思っていた。しかし自分はここに居て、向こうには自分の《EGO化身態》としか思えないそれが構えている。

 

 様々な常識や法則が完全に無視されている現象が、この場で起きているのは確かだった。

 

《詩乃――いや、シノン。我の背に乗れ》

 

 リランの呼びかけで詩乃は我に返った。リランは臨戦態勢のまま脚を少し曲げていた。ジャンプすれば背中に飛び乗れそうだ。

 

《お前がここへ来た目的はなんだったか、言ってみろ》

 

 そう言われて詩乃ははっとし、猫の怪物の向こう側に目をやった。破れた繭に和人が囚われたままになっている。その光景を見た途端、ぼんやりと痺れていた頭の中が一気に動きを取り戻し――詩乃に言葉を紡がせた。

 

「……和人を助けに来たわ。もう少しで和人を起こせそうだったのに、あいつが……!」

 

《ならば、お前がやるべき事はなんだ》

 

 詩乃/シノンは胸から《アニヒレート・レイ》を引き抜いてジャンプし、リランの背に(またが)った。片手でしっかりとリランの剛毛を握り締める。

 

「力を貸して、リラン。あいつを倒して、今度こそ和人を助けるわ!」

 

 シノンの決意に、リランは力強い咆吼で答えた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。