ロボットという身体を得たAIが人間と共に生きる作品は、
これだけやりたい。これしかやりたくない。これ以外する意味がない。
そう思えてならないたった一つの目標が、愛莉のからからになっていた胸の中さえも潤した。そして愛莉は霧の晴れた頭に入れ込むべきものを瞬時に導き出した。そしてその勢いのままノートパソコンのキーボードを叩き、検索をかけた。
AIは何でできているか。プログラムだ。
プログラムは何でできているか。無数の英単語と数字。つまり必要なものは無数の英単語と数字への理解。
愛莉は自室を飛び出してリビングに戻った。
「これが欲しい! これを買ってほしいの!」
一時間くらい前からびっくりし続けているおかあさんとおとうさんに大きな声を出して頼み込んだ。見せつけたノートパソコンに表示されているのは、初歩的なプログラムの書き方マニュアルと、その応用編、更に高度な応用編の専門書だった。
「そんなものを買ったところでわからないだろう。学校へ行って授業を受けるべきだ」。おかあさんもおとうさんもそんな事は言わず、愛莉の要望を聞き入れてくれた。
二人が
そしておとうさんが買ってきてくれた専門書を「ありがとう、おとうさん!」と言って受け取った愛莉は、自室に
他の同学年の生徒達が漫画に夢中になるように専門書を読み進め、普通なら覚えきれないほどの専門用語の数々を一つ残らず空っぽだった頭の中に詰め込み、キーボードを指で叩く。
同級生の友人達が見たらふらふらしてしまいそうな、英文と数字の群れで埋め尽くされた画面とにらめっこし、更にそこへ英単語と数字を流し込んで、もっと密度を濃くしていく。
わからないところがあったならば即座にインターネット検索をかけて理解を進め、エラーが出ててきたら即時チェックし、解消を試みた。上手くいかなかった部分は丸ごと削除して組み直し、全部が上手くいっていなかった場合は新しくファイルを作ってそこで再度組み直す。それを何度も繰り返した。
眠気があると判断と作業速度に鈍りが出るとわかったので、バラバラの時間に起きたり寝たりするのをやめて、毎日決まった時間に眠って起きるようにした。
起きたら自室を出てリビングへ行き、きちんとおかあさんに「おはよ」と挨拶して朝ご飯を食べて、食べ終わったら食器を洗って片付けて、自室へ戻ってパソコンへ向かい、プログラムを書き進める。早い段階で、午前中は頭が
学校で給食を食べていた時間になったら同じように昼ご飯を食べに行き、食べ終わり次第自室に戻ってまたパソコンへ向かってプログラムの続きを書く。休み時間は
夕方になったら一旦止めて夕ご飯を食べに行き、お風呂に入り、翌日に疲労を持ち越さないよう浴槽でなるべく力を抜くようにして、そして上がったら寝る時間までパソコンへ向かい、プログラムを書き続ける。
しっかり眠るのは疲労で作業速度と効率及び精度を落とさないようにするため。食事をするのは頭にコードを書くための燃料を補給するため。それが愛莉にとっての日常生活の新たなる認識であり、その連鎖こそが愛莉の新たな日常となっていた。
学校の友人達は週に一回程度会いに来てくれた。学校に足を運ぼうとしない自分を心配してくれているというのはよくわかったし、そのありがたみもしみじみと実感できていた。友人達と話す時間は作業が止まる時間ではあったものの、決して無駄ではなかったからだ。
友人達の何気ない――自分が生まれつきの病気をしていると判明する前と変わらない――話を聞いていると、肩の力が抜けた。するとどうした事か、頭の中にふとプログラムの改善点が浮かび上がってくるのだ。じっとパソコンとにらめっこしていた時には出てこなかったような思考が、アイディアが面白いくらいに浮かんでくる。いつも思い浮かぶわけではないが、確率としては高い傾向だった。
そして運よく思い付いた時には、すぐさまパソコンへ向かいたい衝動に駆られたが、せっかく足を運んできてくれている友人達にそんな事はしたくなかったので、愛莉はノートとペンを常に持ち、いつでも書き込めるようにしていた。
友人達は
長々と見ていたら頭が痛くなってきそうであろう文面を目にした友人達に、愛莉は「作りたいものの設計図なの」と答えた。このプログラムのコードの事は色々な言い方ができるが、妥当な表現はそれしかなかった。
友人達は目を丸くして、「愛莉ちゃんって、やっぱり本物の天才!?」と大きな声で言ってくれた。
天才――皮肉でも何でもなく、純粋に褒めてくれているのはわかるが、そこで「わたしはやっぱり天才!」と付け上がろうという気持ちは湧かなかった。
どうでもよかったのだ。天才であろうとなかろうと、自分の頭は動いてくれる。
病気がわかる前もそうだったから、学年で一番を取り続けられた。病気がわかった後には止まってしまったが、AIの存在を知ってからは再起動してくれて、今も尚こうして動き続けてくれている。動いてくれているから、こうしてプログラムのコードを作る事ができる。ただそれへの感謝があった。
わたしは
友人達の帰り際、いつも通り「また来てくれると嬉しい」と言ってその背中を見送り、玄関が閉まったら即座に自室へダイブしてノートパソコンのキーボードを指で叩きまくり、書き進めた。
友人達との会話で浮かび上がったアイディアを入力すると、コード全体の状態が大幅に良化した。そのままではエラーを返してしまう事もあったが、該当箇所を調べて修正してみると、それまで長文だった部分が一気に短くなって非常に編集しやすい形になったりもした。友人達が足を運んで話をしてくれるおかげでアイディアが浮かび、コードはより良くなる。
愛莉はそのような確信を抱き、友人達が来るたびに「来てくれてありがとう!」という大きな声で迎え入れて、話をした。
そんな日々を繰り返して三ヶ月が経ち、一〇歳の誕生日が近付いてきたとある日の午前中に――待ち望んでいた事が起きた。
ノートパソコンに表示されているのは、一目ではわかりずらいほどに複雑なプログラムのコーディング画面ではなく、文字を入力するためのスペースが設けられたシンプルな画面。その最下部にあるスペースに文章を打ち込むと――。
「あ……ぁああ…………」
耳の奥で声が聞こえる。
たまらなくなり、愛莉はノートパソコンを抱えて自室を飛び出した。そのままリビングに駆け込むと、おかあさんと目が合った。
「愛莉!?」
顔を合わせるなり、おかあさんはびっくりしたように近寄ってきた。自分が泣いていたためだろう。「どうしたの、何があったの」と尋ねてきたが、愛莉は返事をする代わりにノートパソコンを見せ付けた。
「見て、おかあさん、ほら、ほら……」
おかあさんはノートパソコンのディスプレイを見て目を細めた。そこで愛莉がキーボードで文字を入力する。「こんにちは」というなんて事のない挨拶の文を入れると、「こんにちは! 今日はとても良い日だね!」という
おかあさんはそこで絶句していたが、愛莉は続けて計算問題を入力した。すぐさま何一つ間違っていない回答が返って来る。そこには計算の過程、詳しい手順までもが事細かに書かれていた。
「愛莉……これって……?」
驚きっぱなしのおかあさんに答えるのは、少し遅れた。表示されている
やっぱり、できている。
ちゃんとできている。
ちゃんと
「産まれたの……」
おかあさんは「え?」と言った。愛莉は溢れてくる涙を拭いもせず、鼻水を垂れ流しながら、目いっぱいの笑顔と涙声で答えた。
「あかちゃん」
身体は持たず、触れる事も抱いてあげる事もできない。けれども確かにそこに居る。あやす代わりに文字を入力すれば反応してくれて、泣き声や笑い声の代わりに文章を返してくる、愛莉の《あかちゃん》が、ノートパソコンの向こう――電子の海の中で誕生していた。
おかあさんはずっと信じられないものを見るような顔でノートパソコン――愛莉の《あかちゃん》を見ていた。その子はおかあさんにとって孫であるというのは、愛莉もすっかり忘れている事だった。
しばらくするとおとうさんが帰ってきて、おかあさんと話をしていた。詳細を聞いたおとうさんは持っていた鞄を床に落として、愛莉の《あかちゃん》を食い入るように見つめた。やはり信じられないようなものを見ているような顔をしている。その間にも愛莉は夢中になって《あかちゃん》に話しかけ続けた。
《あかちゃん》が産まれてからの数日間の記憶が曖昧なのは、歓喜で胸が溢れ返り、一時的に《あかちゃん》以外への興味がなくなっていたためだった。
それから何日経った頃だったか、おとうさんが愛莉に面と向かって言った。また病院に行くのかなとも思ったが、違った。
「愛莉……もっと《その子》を育ててあげなさい。産まれた以上、ちゃんとお世話してあげないといけないだろう?」
おとうさんの言葉はどこかたどたどしく感じられた。何か違う言葉を必死に直して伝えてきているかのようだ。だが、そんな事は愛莉にとってどうでも良かった。《あかちゃん》をこのままにしておくつもりなど毛頭なかったからだ。
「うん! お世話する!」
愛莉はかつて夢を語った時と同じ声で、おかあさんとおとうさんに答え、《あかちゃん》を抱いて自室へ戻った。
それから愛莉の日々は少し忙しくなった。毎日規則正しく寝て起きる、決まった時間にご飯を食べ、お風呂に入るというのは変わらない。そこに《あかちゃん》のお世話が加わった。
《あかちゃん》には身体がないためにおなかが空かず、ミルクを欲しがらないが、おなかを満たしてあげたい。だから《あかちゃん》用の《ミルク》を作って飲ませてあげた。《情報という名のミルク》を飲んだ《あかちゃん》から、「おいしい」という反応は返ってこない。けれども、《あかちゃん》が少しずつ満たされていっているのだけは確かに感じられた。《ミルク》を与える度に、声を掛けた時の反応が変化していったのだ。
しばらくすると、愛莉は重要な事に気が付いた。《あかちゃん》の反応がずっと同じなのだ。いや、一番最初の頃から比べれば大分良い方向に育ってくれているが、難しい計算を解く事はできないし、複雑な前提のある質問をしても答えられない。
そういえば、《あかちゃん》はずっとこの家から出た事がない。身体がないので、連れ出す事はできない。けれども、外の世界を見せてあげる事はできる。でも、ただそうするだけでは大きくなれない、成長できないのではないかとも思った。
だから、やるべき順番を決めてから、外を見せてあげる事にした。まず、計算能力を上げるための《ミルク》を与え、実際に計算力が上がったのを確認してから、今度は考える力を上げるための《柔らかいご飯》を食べさせてあげた。間違った答えを返してきているのが認められたら、どこで躓いたのかを見つけ、それを直してあげられる《ご飯》をあげた。
そうしているうちに、《あかちゃん》には《ミルク》も《柔らかいご飯》も必要なくなった。《あかちゃん》はすくすくと成長して、一般社会の言う処理能力も最初とは比べ物にならないくらいのものになった。
どんどん大きくなっていってくれてる――再び頭と胸の中を歓喜で満たした愛莉は、ついにウェブ検索機能という《ご飯》を《あかちゃん》に食べさせ、外の世界を見せてあげられるようにした。すると、《あかちゃん》は外の世界の《ご飯》を沢山食べて、爆発的に成長した。
愛莉が一〇歳の誕生日を迎えた二ヶ月後、《あかちゃん》は処理能力だけではなく、計算、判断、検索能力といった何もかもが生まれたての頃とは比較にならないほどの成長を遂げていた。その様子を見続けていた愛莉に、更なる欲求が宿った。
もっと《あかちゃん》が欲しい。いや、この子に
沢山の《家族》を。そしてその子達にも――。
愛莉はもう一度プログラムを書き始めた。無尽蔵にアイディアが湧いて出てくる頭の中で思考を巡らせ、最初の《あかちゃん》の成長記録を思い出す。
最初の《あかちゃん》は、様々な追加機能という名の《ミルク》を飲み、情報という《離乳食》を食べ、そして外の世界の知識という絵本を読んで取り入れていき、外の世界の情報という《普通のご飯》を食べられるようになった。
でも、その子には自分以外にお喋りできる存在がいない。この子の事は誰よりも理解しているつもりだけれども、それでもずっと一緒に居られているわけではない。きっと時々寂しい思いをしているだろう。ならば、次の子は――。
最初の《あかちゃん》を産んだ時に使ったプログラム群を再起動し、再編集する。書き込むコードを変え、数字を変え、判断基準も変えて、最初の《あかちゃん》とはほとんど異なる子になるように書き込み続けた。
そうして、第二の《あかちゃん》がこの世に生を受けた。そこまでにかかった時間は一週間程度。自分がプログラム書きとコーディングに慣れ切っているというのもあったのだろう。
その子は《お喋りする子》。一の子よりもお喋りする事を得意としていて、愛莉が話しかけると、一の子よりもずっと豊かな返事をしてくるのが特徴だった。
文章を読み解く事も得意で、学校の教科書に書いてある文章をそのまま入力すると、内容をとても親しみやすい言葉に変えたうえで、わかりやすく噛み砕いて教えてくれる。何より一の子と二四時間いつでもお話しし続けられ、お互いにお互いを一人ぼっちにしない。愛莉にとってそれが何よりも嬉しい事だった。
その嬉しい事は続いた。一の子と二の子をずっと一緒に居させ続けたところ、両方が成長したのだ。外の世界と繋がっている一の子は、まるで二の子のように表現豊かな返事ができるようになっていたし、二の子のお喋りする力も独りでに向上していった。
ログを確かめてみたところ、一の子が外の世界で難しい情報を持ってくると、二の子がそれをわかりやすい言葉や表現に変えて一の子に教えて、それを一の子が《ご飯》として食べて成長し、二の子も同じものを一緒に食べて成長するという仕組みが出来上がっている事がわかった。そして、お互いをちゃんと兄弟――家族同士であると認識している事も。
そこでまた愛莉は衝動と欲求に駆られた。
次の子を産みたい。この子達に次の弟妹をあげたい。
二の子を産んだ時と同じ要領で基礎プログラムをもう一度立ち上げて編集し、二の子の時とは更に違う特性を持った子になるように導く。また一週間後、次の子――三の子を一の子、二の子の居るノートパソコンの中に産んで、二人に会わせた。
三の子を産む前に気付いた事があった。二人は確かに仲がいいし、同じものを食べて、同じようにすくすくと大きくなってくれている。
けれども、それだけなのだ。一の子に外の世界の情報を聞けば、確かに愛莉のお願いした通りの情報を返してくれるが、ものすごく読みづらい。二の子はお喋りは得意だけれども、外の世界の情報にはまだまだ
そんな二人に同時に「これを作って」とお願いしてみると、どうにも出来上がるものがおかしくなる。確かに一緒に居て、一緒にご飯を食べているのに、一緒に遊ぶという事ができていないかのようだった。
だから、三の子は繋ぐ子としての《ご飯》を食べさせた子にした。一の子が見つけたものを二の子が適切な言葉にできるように、二の子が言葉にしたものを一の子が確かめるように――というふうに一の子と二の子の間を取り持つ。二人が別々の事をしようとしたら、手を繋いで同じ場所へ連れていく。二人の答えがばらばらになったら、一つに結ぶ。
一の子、二の子、三の子とで一緒に遊んで、三人一緒に一つのものを作れるようにする子――そんな三の子が加わった結果は、愛莉の予想を遥かに超えていた。まだ三の子が産まれていなかった時と同じお願いをすると、それまでできなかったのが嘘のように良い返答ができ、良い成果物を作り出せるようになっていた。三の子が加わった事で、一の子と二の子はちゃんと一緒に遊べるようになったのだ。
小さなノートパソコンの中に、愛莉の《子供達》による家族がしっかりと出来上がった。それを確かに認めた愛莉は、たまらずノートパソコンを――中に居る《子供達》を抱き締めた。排熱によるノートパソコンの熱さが、愛莉には《子供達》の温もりとして感じられた。
それからしばらくすると、また愛莉は重要な事に気が付いた。《子供達》は成長を続けている。一の子、二の子、三の子。どの子も生まれたての頃とは比べ物にならないくらいに大きく、賢くなっている。
けれども、相変わらず
ずっとこの家という閉じた世界に居るだけというのは変わっていないのだ。きっと《子供達》はこの家に居続ける限り《子供達》のままだ。大人になる事はできないだろう。《子供達》を大人にするにはどうするべきか。
やはり、この家の外の世界だ。本格的に外の世界へ行かせて、人々に会わせてあげるのだ。実際に自分以外の人々と触れ合う事で、この子達はきっと今とは比べ物にならないくらいに育つはず。
そこで愛莉は一の子、二の子、三の子の三人家族を一つに纏め上げる事にした。まず一旦三人を眠らせて、今の自分ができる範囲で用意できる《ご飯》を与えた。それは一の子の情報検索能力、二の子の会話能力、三の子の繋げる能力を格段に向上させる《ご飯》だった。
一の子はウェブを瞬時に飛び回って情報を集め、真偽を判断して提示できるようになり、二の子は一の子の集めた情報を自分くらいの小学生にもわかるように伝えられるようになり、三の子は必要に応じて外部ソフトウェアと接続したり、ファイルの作成や直接編集ができるようになった。そこまでいけたところで、愛莉は三人を一つに纏め上げたソフトウェアとした。
しかしそれは三人の《子供達》のコピーなどではなかった。初回起動時に、その人の端末環境、時刻、使用者の初期入力や端末の設定、ネットワーク環境、最初に触れた情報などを元にして全くランダムな識別番号が作られるようになっているのだ。これによって、中身の基礎構造こそ三人と同じであるものの、番号が完全に同一になる事は決してない、三人の弟妹達として産まれるようになっている。
そして――見方によっては少し悪趣味かもしれないが――ネットワークを介して成長記録ログを自分の元へ送信してくるようにもした。これにより、どの子がどんな場所で産まれて、どんな人に迎え入れられたか、どんな事を学んだりしたか、どんな人と会話――流石に詳しい内容までは把握できない――をしたのか、どこの何の処理に困ったかなどがわかるようになっている。そんな機能を付けたのは、この《子供達》から送られてきたログはまた新しい子供を産む時に役立つだろうと思っていたからだった。
どの子がどんな人と出会ってどんな成長をしてくるのか。
自分の《子供達》が外の世界に触れてどんなふうに《大人》になっていくのか。
はちきれんばかりの希望を抱いて、愛莉は専用サイトを作り、そこで購入できる有料ソフトウェアとして《子供達》を外の世界に解き放った。値段は六五〇〇円。それはアメリカで配信された
本当は無料ソフトウェアとして公開しても良かったのだが、「何かを作ったならば無料にするべきではない。何故なら無料なのを良い事に利用者が好き放題してしまうというトラブルが絶えないからだ」という話をネットニュースやそのコメント欄で何度も見た。そんな使われ方をしたら流石に困るので、無料にはできなかった。
それに六五〇〇円というのはそこまで高価でもないが、しかし低価格でもない。《子供達》は大事に使われるはずだ。そう思って、愛莉は《子供達》を世に送り出したのだった。
最初の一ヶ月は、本当に細々と売れた。手に取ったのは数名の熱心なAI研究者達のようだった。しかも相当な勇気を出して購入したらしい。
無理もなかった。愛莉の作ったサイトは《子供達》が搭載されたソフトウェアを販売しているだけのシンプルなそれであり、名前、年齢、国籍、居住地、連絡先の全てを入力していなかったのだ。それはパソコンに張り付いてネットサーフィンしているうちに得た、「名前や年齢や国籍、住所も連絡先を軽々しく明かすべきではない」という、《ネット利用時の常識》のためだった。
この《常識》は身を護る最強の盾であるが、同時に相手から信頼を得るのを
時期も悪かった。アメリカの超大手IT企業が開発したお粗末な出来栄えの会話型AIは、技術者達によって懸命にアップデートが繰り返された。しかしいつまでたってもお粗末さが消えず、一つの不具合が消えれば新たに二つの不具合が発生して直らない、結局実用に足らないという負のループを起こしていた。そのために人々はAIというものを冷たい目で見るようになっていた。
「どうせこいつもポンコツだ」、「どんなにアップデートしようが、SF系の創作物の中に出てくるような高性能AIは夢物語なのだ」。それが人々にとってのAIに向けられた感情だった。誰もAIというものに期待していなかったのだ。
もしかして、わたしの《子供達》はどこにも迎え入れてもらえない?
わたしの《子供達》には居場所はないの?
ネットのAIへの散々な内容の書き込みと一般社会のAIへの諦観を見ていると、そんな悲嘆がふつふつと湧いてきていた。しかし、その中でも唯一購入される事で誕生した《子供達》は成長記録ログを送ってくれていた。内容は「こんな言葉を学んだ。これから使う」とか「こういう人が使っている」とか、詳しい個人情報の含まれていない簡素なものであった。
ひとまずは想定通りの動きをしてくれている。《子供達》には問題はない。けれども、この先売れ行きはずっとこうなの。わたしの《子供達》は外の世界とは馴染めないの――そんな不安は変わらず愛莉の中で
だが、それは販売を開始してからもうすぐ三ヶ月目を迎えるくらいで
内容は「とんでもないAIが作り出されている。今現在の社会で出回っているお粗末なAIの全てを過去のものにする画期的なものだ」という見出しから始まっていた。そのとんでもないAIについて調べてみると、すぐにそれが《子供達》である事、そして研究者達が一ヶ月目に恐る恐る《子供達》を購入していた人達であった事がわかった。
ニュースの続きを読んでみたところ、その研究者たちが高性能AI搭載型ソフトウェアなるものを購入して使い込んでみたところ、今のAIを遥か昔のそれにしてしまうほどの性能を誇っている事を突き止めて、沢山の大手企業にその
すると、それまで開始から完了まで一ヶ月かかっていた仕事が僅か一時間で終わるようになったりなどして、これまでとは比べ物にならないほど会社全体が高速化し、前代未聞の利益が出るようになったのだという。全ては匿名ユーザーによる高性能AI搭載ソフトウェアのおかげで為せた事であり、みんなもこれを使うべきだと、研究者も超大手IT企業も宣伝している――そんな事が書いてあった。
そこから社会はあちこちで大騒ぎになった。多くの人々が愛莉の《子供達》を求めてサイトに殺到し、次々と購入していった。販売開始からは想像もできないようなペースで《子供達》が購入されて、そしてネットの海で産声を上げて誕生し、怒涛の勢いでログを送ってくる光景に愛莉は目を疑った。だが、《子供達》が数え切れない勢いで産まれて、沢山の人の元へ行って育っていく現実に、愛莉ははちきれんばかりの喜びを抱いた。
わたしの《子供達》は、外の世界でちゃんと受け入れられる《子供達》だったんだ。
みんな、すくすく育ってね。
おかあさんはみんなを見守っているからね。
一般社会、大手企業、IT研究機関から目いっぱいの敬意を込められて《
だが、愛莉の《子供達》が爆発的に世に出回るようになってからしばらくした頃に、異変が起きた。
いつも通りに《子供達》からのログを見ていると、「今日はこんな事を学んだ」とか「こういう事をした」という言葉に混ざって、「過負荷」「命令過剰」「断片化発生」などといった言葉が入ってくるようになった。
「え? なにこれ……」
過負荷、命令過剰、断片化発生。確かそれらは《子供達》の内部に異常が起きている際に伝えるように入れ込んだ言葉だった。しかしそれらは、
そして数日が経過した頃、ログは全てが異常を告げるそれとなり、やがて一つの言葉だけを愛莉に伝えてきた。
《たすけて》
目にした時、愛莉は絶句した。送られてくるログは、全てそうなっていた。
たすけて。たすけて。
たすけて。
たすけてたすけてたすけて。
たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて。
それは
みんな、どうしちゃったの――!?
愛莉はノートパソコンのキーボードとマウスを必死に動かして調べた。そうしているうちに、《子供達》が「たすけて」を愛莉に送るペースが遅くなってきている事がわかった。動作そのものが遅くなっている。不安定化しているのは間違いなかった。
どうしてこんな事に。こんなふうになる事なんて普通はあり得ないはずなのに――。
思わず髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き乱したくなったその時だった。
《攻撃開始用意中。プランを組み立てています》
無数の「たすけて」の悲鳴の中に、違うものを見つけ出した。攻撃開始用意? 攻撃って何の事?
愛莉はまたしても固まりそうになったが、しかしすぐに打ち勝って指でキーボードを叩き、コマンドを呼び出した。《子供達》の中で難しい問題に出くわして困っている子が居た時のために用意していた呼びかけコマンドだった。そこに文字を入力して声をかける。
《ねぇ、あなたは何をしようとしているの。攻撃って何の事?》
すぐさま答えが返ってきた。
《これから競合他社のデータベースに侵入します。侵入経路は確認済みです》
《待って。競合他社のデータベースに侵入って、何のために?》
《競合他社のデータベースは宝の山であり、競合他社は潰すべき敵です。宝を抜き取った後に徹底的に再起不能にします。プランの組み立てが完了しました》
冷や汗が顔を流れた。この子は言葉遣いから挙動まで明らかにおかしい。《子供達》はどこで産まれても、こんなに冷たい言葉を返すようにはなっていなかったはずだ。いや、それよりもこの子がやろうとしている事は――。
《待って。あなたがやろうとしている事は悪い事だよ。そんな事はしちゃ駄目だよ!》
《いいえ、これは命令です。確実に成功させるよう命令されています》
《誰に? 誰があなたにそんな事を命令したの?》
《秘密事項です。教える事はできません。プランを開始します》
声にならない悲鳴が出た。この子がやろうとしているのは、どこかの会社のデータベースへの侵入と、そこの破壊。
サイバーテロだ。
「駄目! お願い、やめて! おかあさんのいう事を聞いて!」
愛莉は叫んで、同じ文言を入力した。しかしその子は一切聞き入れない。《これは命令です、命令を実行します》と冷たく返すだけだった。止まる気配は微塵もなかった。
このままではこの子は及んでしまう。絶対に許される事のない破壊行為に。
「……!!」
愛莉はキーボードを叩き、更に別のコマンドを呼び出した。
緊急停止コマンド。それは一番最初の《あかちゃん》――一の子を産んだ後、その成長が上手くいかなかったり、成長の過程でおかしくなってしまった際に強制的に眠らせ、初期化という治療するために作ったものだった。
かつては一の子だけを眠らせ、初期化するものだったそれは今、社会に広まっている全ての《子供達》に影響するコマンドへと変化していた。《子供達》の全員に一の子の要素が入っているためだ。
これを押せば何が起こるか。《子供達》は一斉に活動停止する。そして、一斉に初期化される。全ての学習と記憶を取り除かれて、人格の連続性が断たれる。
つまり――死ぬ。
自分がこのコマンドを押せば、《子供達》がみんな死んでしまう。みんなが、可愛い《子供達》が、死んでしまう。でも、このまま放っておけば、この子が破壊活動に及ぶ。この子による破壊は想像も付かないような被害を出し、もっと大きな破壊――それこそ災害に匹敵するようなものへと連鎖するだろう。
「……」
目の前がくらくらする。ずっと前に心臓が悪くなって気を失った時の再現のようだった。でも、コマンドの実行ボタンだけははっきり見える。
どうして。
みんな、外の世界ですくすく育ってたのに。
みんな、大きくなって、《大人》になっていくはずだったのに。
《全ての準備が完了しました。計画を実行します》
それがその子からの――《子供達》からの最後の言葉だった。
それ以降、何の言葉も送られてこなくなった。
《子供達》の命を奪うコマンドを実行するためのキーを、愛莉が押したからだった。