マザーシステムアカウント。
スーパーアカウントやマスターアカウントなどという言葉は《SAO》の頃から数回耳に入れた事があった。
それらは大概運営がゲームで何らかの
《SAO》の時はそれをイリスの手引きで得た
流石にその後はスーパーアカウントが直接自分達の目の前に現れてくるような事はなく、ここアンダーワールドにてようやくその名を再び聞く事になったくらいだ。そしてアンダーワールドでは、世界内神話に登場する太古の神という事になっていた。
だが、マザーシステムアカウントとは何だ。最上位であるという事くらいしか予想が付かない。
「ユイ、マザーシステムアカウントってなんだ」
報告してきたユイは、
「アンダーワールドに実装されている全てのアカウントを超える権限と力を持つアカウントで……ママ達の使う十二のスーパーアカウントの力をも内包していて……直接この世界を構築するカーディナル・システムと結び付いているような存在です。この世界の何もかもを自由自在に操る事のできる、全てを
キリトは鼻で深い溜息を吐いた。まぁ、そうだろうな――そんなふうに
イリスはリランやユイ達の母親から、これから産まれる新世界そのものの母になろうとしている。そんな彼女が《全てを司る神の力》みたいなものを用意していないわけがない。
今の彼女ならばこの場には居ないクィネラに取り憑いていたアドミニストレータが人界に広めていた
正体判明後には
《星母神エンイナミ》なるマザーシステムアカウントを使っているのも、全能感に浸りたいからではなく、子供達の生きる世界を作るのに必要だったから。それだけの理由だろう。
「全てのスーパーアカウントの力を内包しているって……そんな無敵の存在、どうやって倒せばいいっていうの」
ユイからの話を聞いていたシノンが問いかける。その声は激しい動揺で震えていた。倒せなかったら現実世界を終わりへ至らしめる最後の敵が、事実上無敵のアカウントを使っているなんて状況なのだから当然の反応だ。
しかし《育てのママ》からの問いを受けた娘は、首を横に振った。
「いいえ、《星母神エンイナミ》は無敵の存在ではありません。現に今おかあさんはダメージを受けていますし、回復もしていません」
「なんでだ。《星母神エンイナミ》は全てを司るマザーシステムアカウントだから、倒せないようになっているものじゃないのか」
ユイはじっと産みの母を見つめていた。何の物質で出来ているかさえわからない巨腕、龍頭型触手をそれぞれ一対ずつ肩と背中から生やしているイリスは、ミトを乗せたエミーリア、イツキを乗せた白い
左右の巨腕と龍頭型触手は先ほどから確認できているようにそれぞれが独立した生物のように動いており、とても強い力を持っている《使い魔》達を
負けじと冬追が龍頭型触手に噛み付きかかると、巨腕が掴みかかって引き剥がし、その腹部に拳をお見舞いする。冬追はがあっと悲鳴を上げながら吹っ飛ばされるが、すぐさま空中で体勢を立て直して着地し、口内の血をべっと吐き出してから再度龍頭型触手へ組みかかる。
イリスの《HPバー》は十二本もあるが、内容量はそこまで多くはない事がわかっている。強力な《使い魔》による攻撃が入ったりしたならば、十一本目まで速攻でいけるはずなのだ。なのに巨腕と龍頭型触手の動きと防御が完璧すぎて、全くイリスにダメージを入れる事ができていない。完全にいなされる一方だ。
そこでユイが続けて答えてくる。
「マザーシステムアカウントだからこそです。おかあさんは現在進行形で《星母神エンイナミ》の力を使って、世界の――アンダーワールドの作り直しと書き換えをしています。ここに来るまでに見た暗黒界の青空化や大規模な地形変動は、全て《星母神エンイナミ》の力を最大限に利用した、アンダーワールドをわたし達《
歌神ミヤスズヒメ、舞神ミヤビノヒメ、唱神ミヤメノヒメは正直用途が思い付かないが、なるほど確かに大地の作り替えには創世神ステイシアと火神イグニアと剣神グラディアの、自然環境そのものの再構築には地神テラリア、水神アクアリア、風神アエリア、雷神――正確には
かつて
もしかしたら実は彼女達が振るっている頼もしい限りの戦闘力は副産物で、今まさにイリスがやっている使い方こそが本来の用途なのかもしれない。
そんな可能性に思い至ったキリトはユイに答える。
「つまりイリスがリーファやシリカみたいに回復してこないのは、そのためのスーパーアカウントの力のほとんどを《世界を書き換えて作り直す処理》に使っているからか」
「本当に《神様の仕事》をしながら、イリス先生は私達との戦いに臨んでいる……私達が持っているスーパーアカウントの力を全部持っていても、戦闘に使えるのは《世界の
シノンの問いかけにユイは深く
「そうです。わたし達や生まれ直した人々のための理想郷世界を作るのに専念すれば、パパ達を迎え撃つ事ができなくなります。逆にパパ達との戦いに専念しようとすると、生まれ直した人々を暮らさせる理想郷世界を作るのが間に合わなくなってしまいます。生まれ直した人々やわたしの
世界を作りながら自分達を生まれ直させるための戦いに挑んでいる――常人では到底完遂不可能のとんでもないマルチタスクだ。だが、彼女はそこから逃れる事はできない。
自分達を本心から愛しているが故に、自分達が無垢な子供へ生まれ直した後の《すくすくと育つ事のできる世界》を用意しなければならないが、今ここで自分達と激突して勝利しなければ、そこへ自分達を連れていく事はできないのだから。
イリスの願う計画があまりにも大きすぎて、アンダーワールドの全てを司るマザーシステムアカウントである《星母神エンイナミ》であっても、この場に出せる力に制限がかかってしまっている。彼女の大いなる願いと
「だから、おかあさんを――《星母神エンイナミ》を倒す事は不可能ではありません。皆さんで連携して、着実にHPを削ってください!」
ユイの大声を受け取った皆は一斉に武器を構え直した。残り時間は既に五〇分。最早四の五の言っている場合ではない。
どんなに苦しくても、どんなに嫌でも、彼女を止めなければならないのだ。だが、皆が体勢を立て直しても、今まさに前線へ出ている《使い魔》達は巨腕と龍頭型触手にあしらわれていた。
《おかあさん……!!》
一対の巨腕のうちの《右手》によって弾き飛ばされた後に体勢を立て直したエミーリアが闇属性ブレス弾を放つが、それらは先ほど同様イリスに届くより前に《右手》に防がれる。そればかりか、エミーリアとミトの対応をしている《右手》は拳を握り、エミーリア目掛けてストレートを繰り出してきた。
あの一撃は
「やっと丁度いい形になってくれたわね!」
エミーリアの背中に立ち上がったミトが言うなり、その手に握られている大鎌の柄が変形した。がしゃんという如何にもな音を立てて、妙に長い柄から収縮自在の鎖で連結された
「!」
《右手》の動きが止まり、イリスは一瞬きょとんとしたような顔になった。ミトの拘束攻撃は予想できていなかったものであったようだ。しかし、あれだけ巨大な腕だ、いくら拘束できたとしてもミト一人だけの力では逆に投げ飛ばされてしまうのではないか――と思った矢先、拘束力は一気に上昇した。ミトがエミーリアに
《右手》からぎちぎちという軋むような音が聞こえ、その動きがほぼ完全に停止する。右側の龍頭型触手が助けに入ろうとしても、イツキを乗せた神武が火炎弾ブレスを連射してその軌道を塞ぎ、やがて龍頭型触手の動きが中途半端になったところで飛び掛かり、三本脚で拘束してみせた。
イリスの右側が開いたところでユイが反応を示し、叫ぶように伝える。
「おかあさんの巨大腕と龍頭型触手は破壊可能部位です! 遠距離と近距離のどちらでも、攻撃し続ければ破壊できます!」
「なんだって!?」と思わず声を上げそうになったところで、ユイは片手の人差し指を突き上げる仕草をした。直後、眼前に広がる光景に変化が起きた。イリスを守り、こちらに圧倒的な破壊力をぶつけてくる巨腕と龍頭型触手の上部空間に《HPバー》が出現したのだ。ユイがイリスを解析した結果が反映されたのは確認するまでもない。
新たに見えるようになった《HPバー》を確認したところ、ミトとエミーリアに拘束されている《右手》と、神武に押さえ付けられて足の鋭い爪を食い込まされ、更に鋭い
隠されていた真実の開示を受けた皆は驚きの声を上げ、そのうちのクレハとアーサーが言う。
「壊せるの、あれって!?」
「遠距離でも壊せるって言うんなら……」
「アーサー君、クレハちゃん、リエーブルちゃん、右側の手に集中攻撃よ!!」
最後のツェリスカの絶叫に等しい号令を皮切りにして、アーサーとクレハは蒸気式ライフル、リエーブルは蒸気式ガトリングガンの連射を開始した。すかさずツェリスカも加わり、アーサーとクレハのそれとは異なるモデルの蒸気式ライフルで《右手》を狙い打った。
弾丸の雨を諸に浴びた《右手》は瞬く間にその《HPバー》の残量を減らしていき――ついにその全てが失われると、内側から爆ぜた。掌から先を失った巨腕は断面に当たる部分から虹色の光を血のように噴き出させた後、ぐったりとして動かなくなった。
「おっと……」
イリスが驚いたように小さな声を出すが、そこで終わらせない。アーサー達後衛射撃組は続けてイツキと神武が抑え込んでいる右側の龍頭型触手に弾幕を浴びせた。その第一弾が到達するより前に神武はバックジャンプして空中へ舞い上がって回避し、それまで神武が居た空間を無数の弾丸が通過し、龍頭型触手を襲った。
瞬く間にその《HPバー》が減少していくが、その速度は期待していたよりも遅い。《手》よりも内容量が多いという事なのだろう。
「神武、焼いてやれ」
イツキが冷たい声色で告げると、神武は弾幕を浴びてボロボロになった眼下の龍頭型触手へ、更に火炎弾ブレスの弾幕をお見舞いした。リランの放つものよりも小型であるが故に連射が効く火炎弾は真っ直ぐ龍頭型触手へと飛翔し、炸裂。目にも留まらぬ爆発の連鎖が龍頭型触手を包み込んだ。
最後の一発が弾けると同時に右側の龍頭型触手の《HPバー》はゼロになり、《右手》同様に爆ぜるようにして消えた。
「……ん」
流石にもう驚くには至らないのか、イリスは小さな声を出す程度の反応しかしなかった。だが、これで右側が完全に開かれた。《左手》と左側の龍頭型触手はまだ残っているが、右側へのフォローは難しいだろう。
「おねえちゃん、ユナちゃん、一旦外れるね! スメラギ君、あたしに合わせて!」
「わかった。やってやろう!」
直後、後衛に陣取ってイリスに抗う者達全員に
攻撃を防ぎ続けていたためか、《左手》の《HPバー》は黄色に変色するほどの量しかない。龍頭型触手は意外にも更に少なく、既にオレンジ色に変色している。冬追の攻撃が効いているのだ。
その貢献者である冬追は一旦龍頭型触手から距離を取った。間もなく龍頭型触手がエネルギーを溜めているような姿勢を取り、節々を構成している光が赤色に変色する。やがて
しかし、そこで
そして両者は同時に光線状ブレスを放った。龍頭型触手は火炎放射、冬追は冷気放射であり、相対する属性エネルギーの奔流が空中で激突し、凄まじい光と熱と冷気と暴風による嵐を発生させた。
「そこだッ!!」
その隙をスメラギが突いた。ブレス照射姿勢のまま硬直しているに等しい龍頭型触手に接敵し、長剣にも等しい長さを誇る刀で水平に一閃を繰り出した。磨き抜かれた刀身が龍頭型触手を側面から斬り裂くと、青い光で構築された長大な刀を持った巨大な片腕がワンテンポ遅れて更に一閃をお見舞いする。
《テュールの隻腕》。スメラギの
北欧神話に登場する軍神の一撃を受けた龍頭型触手は水平に真っ二つになった。その《HPバー》は一瞬にして空になり、既に破壊されている右側同様に爆ぜて消えた。
「当たって!!」
ほぼ同刻、セブンが力強い声を発して手を最後の守護者である《左手》に向けた。直後、
それらは誘導式ミサイルのように一本残らず《左手》に突き刺さり、その《HPバー》の全てを削り切った。命の残量がゼロとなった《左手》は龍頭型触手と同じように爆ぜて消えた。残っているのはイリスの肩と背中から生える根元のみで、断面では虹色の光がスパークを起こしていた。攻撃能力、防御能力は大幅に低下しただろう。
「今のは…………だから……優先すべきは…………なのね」
イリスは巨腕と龍頭型触手のあった左右を見回していた。これまで数回見た時と同様に、こちらには聞こえないくらいの声量で独り言をぶつぶつと言っている。その様子を確かめたユイが声を飛ばした。
「巨大腕と龍頭型触手が沈黙しました! 攻めるなら今です!」
ユイの適切なナビゲートに従うよりも前に、龍頭型触手を一太刀で破壊してみせたスメラギがイリスの元へ飛び込んだ。
「だあッ!!」
耳が尖っていない事を除けば《ALO》の時と同じ姿をしているスメラギは、普通の刀以上大太刀未満の長さの刀をイリスへ振り下ろした。イリスは純白のルービックキューブを分解して長剣へ変形させ、受け止める。がぁぁんという金属音に似ても似つかぬ音が鳴り、火花が散って両者を照らした。
イリスはじっと目の前の鬼気迫る顔のスメラギを見つめる。
「……
「
「相変わらず思い切りが良い事。あなたのそういうところ、わたしは好きよ」
「独善のために世界を滅ぼそうとしている狂った女に言われても、何も嬉しくない。もうその口を閉じろ。その声を……七色に聞かせるな!」
スメラギはそう吐き捨ててイリスの長剣を押し込む――ように見せかけて引くフェイントを仕掛けた。イリスは「あっ?」と言って姿勢を崩す。そこですかさずスメラギは回し蹴りをお見舞いした。鋭い足先は露出したイリスの腹部を
「後衛、叩き込め!」
スメラギが大声を上げて後退した次の瞬間、セブンがレインとユナに加わって
最初にアーサー達のライフルから放たれた弾丸の群れがイリスの素肌に突き刺さり、続けてエミーリアの闇属性エネルギー弾と神武の火炎弾、そして冬追の冷気弾が直撃して大爆発した。
火薬と火炎と闇と冷気からなる混沌の嵐が起こり、イリスの姿は一瞬のうちに見えなくなった。
あれだけの攻撃を受けたのだ、あの内容量の少ない《HPバー》はごっそり減ったはず。ただ剣で斬られる程度でかなり減るような有様だったから、既に最上段の十二本目は全損し、十一本目も半分以下になっているに違いない――。
「見事な連携ね。流石はわたしの子供達だわ」
その時、イリスの声が強く響いたかと思うと、様々な属性からなる爆炎によって巻き上がった土煙が内側から切り裂かれるようにして払われた。
イリスは重傷を負っているはず――そう思っていた。しかし実際にあの嵐の中から出てきたイリスはというと、巨腕と龍頭型触手が根元を残して破壊されているのは変わっていないが、ほとんど傷を負っていなかった。いや、血の流れ出る傷は見受けられるが、予想していたよりもずっと少ない。
まさか、あのルービックキューブ状の武器で盾を作って防いだかとも思いつつ、もう一度キリトはイリスの《HPバー》を見た。そこで瞠目する。
イリスの十二本目の《HPバー》は空になっていた。確かに内容量がゼロになっているのが確認できる。だが、
黄色の光に包まれているのだ。十二本目の《HPバー》が見た事がないような謎めいた黄色の光に覆われていて、次の十一本目は一切減少していない。内容量から考えて確かに十一本目に突入するダメージを与えたはずなのに。
「なんだ……!?」
今度こそキリトは声を出した。イリスの《HPバー》を同じように視認しているミトが声を漏らす。
「HPが減ってない……あれだけの攻撃を入れたのに!?」
皆の間に動揺が広がった。今のは確かに会心の一撃に匹敵する攻撃だったはずだ。なのにイリスはけろりとしている。これまでも十分に信じがたい光景が広がってきたものだが、今のそれは最悪を極めている。
「この……!!」
スメラギはそこで動きを止めなかった。刀を両手持ちして、再度イリスに斬りかかっていく。イリスは武器を構えたりする事さえせず、スメラギの渾身の唐竹割りをその身で受けた。肉が切り裂かれる嫌な音と共に上部が露出している胸から腹にかけてが真っ二つに斬られたが――そこでまた限界まで目を見開く事になった。
新たな傷口が生じないのだ。スメラギが繰り出した唐竹割りをまともに受けたはずなのに、その部分に傷が出来上がらない。先程までの攻撃によってイリスの肌には結構な傷が付いているが、それ以上傷が生じない。
避けられたわけでも、弾かれたわけでもないのは確かだ。実際、肉が裂かれる音は聞こえたし、スメラギが手応えを感じている様子も見えていた。だが、
もしかしたら目に見えない速度で傷が塞がったのかとも思ったが、それならばこの世界の性質上、何らかの光といった兆候が見えていたはず。しかしイリスからはそのようなものは確認されなかった。
鋭い刃物で斬り付ければ肉は斬れる――その誰もが認識している基本的な物理法則がねじ曲がってしまっている。目の前で展開されているのはそんな光景だった。
「陽太」
その時、イリスがスメラギの本名を呼んだ。次の瞬間、イリスは反撃態勢を取っていた。雷光のような速度で白いルービックキューブ状の武器はユージオを襲ったバトルハンマーへ組み変わり、イリスは水平に薙ぎ払う。
その先端を、スメラギは負けじと
ばきぃん。
次の瞬間、その守りの刀が半ばから折れた。スメラギがはっとした直後の一瞬をイリスは文字通り突いた。どすん、という嫌な音が聞こえた時には、イリスの武器は長槍へと変形し、その穂先がスメラギの左胸を貫いて串刺しにしていた。
「が……」
空中へ吊り上げられたスメラギの口からは血さえも出ず、その声だけが出ていた。頭上に表示されている《HPバー》は瞬く間に減っていき、黄色、オレンジ、ヴァーミリオン、赤色に変色する。間もなく残量が左端へ
「ここまで長い間お疲れ様。この後は何の心配もせずに七色と一緒に、やりたい事を好きなだけやっていけるから、安心して」
遊び疲れた子供にかける母親の声でイリスは告げ、続けてある方向を見た。彼女の娘の一人であるリエーブルを含むアーサー達の居る後衛だった。
「リエーブル。あなたには本当につらい思いをさせてしまったわ。もう大丈夫よ。次に目が覚めたら、あなたが異物とされる世界はなくなって、わたし達だけじゃなく、
声色一つ変えずにそう言ったイリスは、スメラギを串刺しにしている長槍を振り被ったかと思えば、勢いを付けて振り下ろした。穂先が振り下ろされ切るより先にスメラギが槍から解放され、左胸から絶えず鮮血を流しながらアーサー達の元へと飛ばされていった。
「!!」
心優しい彼故の判断だったのだろう、アーサーは咄嗟に武器を下ろして、飛ばされてきたスメラギを受け止めようとした。恐らく自分でもそうしただろう。だが、それは果たして正しい判断だったのか。
答えは否だった。瞬時に武器をキューブに戻したイリスはそれを
突然イリスの後方の地面が持ち上がったかと思うと、草花を伴う芝生が剥がれ落ち、浮遊する巨大な岩塊の群れへと変化した。続けてそれらは見えない刃で彫刻されるように削られていき、鋭利な岩槍となる。
まだ終わらない。空中で岩槍が突然
あの色はまさか――。
「避けろアーサー!!!」
キリトが咄嗟に叫んだのと、イリスが
「おやすみなさい」
と
誰も守りに入る事はできなかった。黒岩槍は誰かの行動よりもずっと早くアーサー達の居る空間に着弾したからだ。黒岩槍の大群が突き刺さってくる直前の
そして最後の一本が着弾したのを合図に黒岩槍は一斉に光を放ち――爆炎と溶岩を撒き散らす大爆発を引き起こした。
「アーサー!! クレハ!!」
「ツェリスカ!! イツキ!!」
「「リエーブル!!」」
「スメラギ君!!」
キリト、シノン、リラン、ユイ、セブンの絶叫が重なって空間に響いた。岩槍に見せかけて膨大な熱を溜め込んだ溶岩槍だったモノが引き起こした爆発による土煙は、理想郷を吹き抜ける心地よい風によって吹き消された。
そこには、何もなかった。アーサーもクレハも、ツェリスカもイツキも神武も、スメラギもリエーブルも消えており、代わりに同じ数の光の珠が浮かんでいた。白色、桃色、銀色、明るい茶色、青色、水色の光珠はふわりと浮かび上がって宙を舞い、導かれるように《繭》の中へと飛び込んでいった。
「そんな……アーサー……」
キリトは
一応シノンの弓が遠距離武器に該当するが、彼女は中衛の立ち位置であるし、近距離から遠距離までの全ての神聖術を使えるカーディナルは攻撃よりも支援や回復で手一杯になっているので、ほとんど期待できないだろう。
(……いや)
手がなくなったわけではない。リラン、ユピテル、エミーリア、ヴァン、冬追という遠距離もこなせる《使い魔》達はまだ生き残っている。遠距離攻撃担当が本当に全滅してしまったわけではないのだ。だが、彼女達が強力な攻撃を次々と繰り出したとしても、状況は進展しないだろう。
あの《HPバー》はいったい何なのだ――正体を割り出そうと思考を廻そうとしたその時に、イリスはくるりとこちらに向き直ってきた。
「さてと、これで終わりになるか、それとも乗り越えるか……後者であってほしいものだけれど」
そう言うなり、イリスの全身から電撃が迸った。見慣れたユピテルのような青白い雷ではなく、黄金の雷を帯電している。彼女を中心に風が逆巻くようになり、コートが龍の翼のようにはためいたが、そこで彼女の纏うコートや衣服のあちこちに存在していた虹色の光の走るラインが、黄色へ変色しているのが認められた。
「拙い! 先程とは比べ物にならないほどの出力の術が来るぞ!!」
この空間内で一番の神聖術師であるカーディナルが叫び、杖を地面に突き刺して神聖術を発動。光の障壁を展開する。しかし今の彼女の口ぶりからして、どんな分厚い障壁を何枚重ねようとも防げるものではないだろう。
飛んでくるのは防御不可攻撃であるとわかっているが、それでも防がずに受けるつもりはない――産まれてからずっと大いなる悪に抗い続けてきた彼女らしいやり方だった。
もし敵対している相手がこれまで見てきたような邪悪な性根の持ち主だったならば、今頃「無駄な足掻きを!」みたいな事を言って高笑いでもしていたのだろう。
だが、イリスはカーディナルを一切
そんな彼女に従うように稲妻がその両掌前方に集まって雷球となり、瞬く間に膨張していく。一秒後にはイリスはすっぽりと黄金の雷球に覆い尽くされ、その姿を確認する事はできなくなった。《生まれ直しの繭》に匹敵するほどに巨大な雷球はふわりと浮かび上がり、空へと昇っていく。
どこまで昇るつもりなのかは定かではないが、十分に昇り切った後に隕石のように落ちてきて、この場一帯を呑み込む黄金の雷の大爆発を起こし、全てを消し炭に変える。次に来るのはそのような技であろう。
障壁を張りながら戦々恐々とした顔をしているカーディナルを見る限り、あれは恐らく神聖術ではなく、マザーシステムアカウントである《星母神エンイナミ》だけが使える力の一端だ。
その力によって生じている雷球を目にしていると、ふと既視感を覚えた。前にもあのようなものを見たような気がする。それも敵方から仕掛けられたものではなく、こちら側から敵方へ仕掛けたものであったような――。
そう思っていたその時だった。背後から何かが上空を通り抜け、前方へ重々しい音と衝撃を伴いながら着地した。リランとは異なる青く美しい翼を生やした、白と青の狼竜。
その背に乗っているのは金色の刺繍の入った白い着物を左半身に、鎧武者のような紅白の甲冑を右半身に纏った男性。エイジとヴァンのコンビだった。
「エイジ!?」
「何をしておるヴァン! 戻れ!」
キリトはリランと共に呼びかけた。しかしエイジは振り向かず、日本刀に西洋の剣が混ざったようなデザインの《
「悪いなキリト、呼ばれた気がしたんでな。ここは僕達に格好を付けさせてくれ」
「エーくん、ヴァン!!」
思わずであろう、補助術の使用を止めたユナが叫ぶと、エイジは少しだけ顔を向けた。
「
《今
頭に直接響く《声》をヴァンが出した次の瞬間、二人の身体がかっと光った。バチバチという鋭いスパーク音が鳴り響いた直後、エイジとヴァンを黄金の雷が包み込み、巨大な雷球となって空中へ飛び出していった。その一連の光景を目にしたキリトははっとする。
そうだ、エイジだ。彼の使う《雷剣将カズチイクサ》が出せる最大威力の技が、雷球となって突撃するというものだった。ようやく既視感の元を掴んだその直後――。
「
「
イリスとエイジの絶叫が重なり、空に浮かぶ二つの雷球は互いを目指して飛翔した。激しい稲妻と光を纏う彗星を思わせる雷球が衝突すると、大気が引き裂かれたような爆発音と閃光、衝撃波が襲ってきた。
キリトは足に力を込めて踏み留まりつつ、たまらずに耳を塞いで下を向く。音は一瞬で通り過ぎ、閃光も比較的短い時間で弱まった。そのタイミングを掴んだ刹那に、閃光の発生源へ顔を向け直した。
三つの人影が落ちてくるのが見えた。エイジ、ヴァン、イリスだ。三人はそのまま地面へ激突するかと思いきや、その直前で体勢を立て直し、対峙し合った。そのうちのイリスを見て、キリトは目を見開いた。黄色い光に覆われていたイリスの《HPバー》の十二本目が消失し、十一本目が減っている。イリスにダメージが入った。
だが、何故――。
「ぐっ……!?」
そう思った直後だった。エイジとヴァンが膝を付いた。間もなくして――彼らの纏っている衣装から弾けるように色が消え、白色だけが残された。目の錯覚でも光の影響でもない。漂白されたようにエイジとヴァンの衣装から色が抜け落ちてしまっている。
「な……!?」
何が起きた。今のはなんだ。何がどうなっている。答えを知るべく解析を続けているユイへと目を向けようとしたが――
「がぁッ」
その時だった。ざくん、という嫌な音と僅かな声が聞こえ、キリトはそちらに強制的に顔を向けさせられる。
そこで言葉を失った。イリスの武器が青色の光で刃が構成される二本の剣となり、エイジとヴァンの胸を貫いていた。
「――ッッ」
後方でユナの声にならない悲鳴が響いた。そちらに目を向けている余裕などなかった。キリトも咄嗟に彼らへ叫ぼうとしたが、声が出せなかった。間もなく、何度目かわからない瞠目をさせられた。長さこそは自分達と同じであるものの、スーパーアカウントを使っている関係で通常の何百倍もの内容量を誇っているエイジとヴァンの《HPバー》が
「鋭二、ヴァン。ここまでよく頑張ったわ」
イリスはエイジとヴァンに声を掛けた。二人は反応を示さない。痛みのためなのか、それ以外の要因のためなのかは、ここから判別できそうにはなかった。
「もうこれまでみたいに苦しまなくていいのよ。ゆっくり、お眠りなさい」
今にも眠ろうとしている子供の背中を優しく
そうしてイリスからの見送りを受けながら、アーサー達と同じように《繭》の中へと吸い込まれて行った。