残り、三五人。四二人から始まって、もう既に八人――その《使い魔》も入れると九人――がやられてしまった。残り三五人でイリスに勝てるのか。
いや、今はそこではない。押し寄せてくる焦燥感の全てを呑み込んで、キリトはユイに向き直った。アーサーとクレハ達、エイジとヴァンが失われるところを見ていたであろうユイは、《
「ユイ、何が起きたかわかるか。イリスの《HPバー》の十一本目が削れるようになったぞ」
キリトの問いかけにユイは答える。
「……今、エイジさんとヴァンによって、おかあさんを
「防壁だと?」
「はい。おかあさんは――《
そこにシノンが加わってくる。
「じゃあ、エイジとヴァンがその防壁を破れたのは?」
「防壁は《エンイナミ》が内包しているスーパーアカウントの力を由来としているものです。おかあさんはつい先ほど、エイジさんが所有していた《
つまりあの時のエイジとヴァンの
しかし、その良い報告を聞くだけでは終われない。
「でも、エイジとヴァンは……」
シノンがか細い声で尋ねると、ユイは
「……二人がおかあさんにやられる直前、エイジさんからも《カズチイクサ》の力が消失していました。それどころか、二人の防御係数が反転してもいました」
防御係数が反転。一見アンダーワールドでは出てこないためにわからない言葉だったが、これまでプレイしてきたゲームに置き換えると理解が及んだ。そうして浮かび上がってきた真実にキリトは驚愕する。
「防御係数が反転って……エイジとヴァンの防御力がそのままマイナスになってたって事か!?」
キリトからの問いにユイは
「振るわれてくるスーパーアカウントの力に、同じスーパーアカウントの力をぶつけて相殺する……こんな事象は、ラースでは全く想定されていなかったのでしょう。完全に想定外の使われ方をするためにスーパーアカウントそのものが《破損》し、防御係数が反転するうえにほとんど動けなくなる《状態異常》が付与されるという不具合が発生してしまう……そういう事なのかもしれません」
「《状態異常》……だと……!?」
「エイジさんとヴァンがやられる直前、見た事のない状態異常を示すアイコンが二人に表示されていたんです。あれが恐らく、スーパーアカウントが《破損》して力を失い、防御係数がマイナスになっている事を示すもの……衣装から色が抜けて真っ白になっていたので、《
キリトは限界付近まで目を見開いた。
スーパーアカウントというこのアンダーワールドにおける神の力の一つとして、エイジ――というよりもスーパーアカウント使用者全員――には無尽蔵とも言える量のHPが付与されており、アンダーワールドに居る以上、それが全損して死亡するのは有り得ない事だと誰もが認識していた。エイジ自身も今の今までそう思っていた事だろう。
しかし今、そのHPがたった一撃で全損して死亡した。まさかそれが、神を神たらしめる絶大な防御力がそのままマイナスになっていたからだなんて。そんな事を誰が想像できたというのだろう。
そこまで思ったところで、シノンが何かに気付いたようにユイに言った。
「待ってユイ。イリス先生のHP減少を完全に止める防壁が発動するのは、いずれかのタイミングでって言ってたわよね。そのタイミングはいつなの」
ユイは胸の前で手を組んで顔を上げたものの、首を横に振った。
「……先ほどのは、おかあさんの現行の《HPバー》の残量値が一になると同時に防壁が発動していました。ですが、必ずしもそうであるとは限らないようです。防壁がどこで展開されるかはおかあさん次第で……展開された防壁は、おかあさんが繰り出してきたスーパーアカウントの力による最大級属性攻撃に、同じスーパーアカウントの最大級属性攻撃をぶつけて相殺以外に破る手段はありません」
そしてその使用者はスーパーアカウントが破損して《失色状態》となり、防御係数がマイナスになったうえで動けなくなる。そこにイリスは確実に当てられる攻撃を繰り出してくるだろう。ここまでやったところでイリスの《HPバー》はようやく次の段階へと進む。
つまりイリスを倒すには、スーパーアカウント使用者の誰かが一人ずつ犠牲になっていかないといけない。
人々がどうやっても道を切り開けない局面に立たされた時の最終手段は、相応の供物を捧げて祈る事で神に道を開いてもらう事だった。しかしこの場では、その人々から崇め奉られる神が、自らを差し出す事でしか道が開かれないようになっている。
神
だが、ここで立ち止まる事は許されない。残り時間は四〇分。このカウンターがゼロになった後、人類が築き上げてきた文明は滅び去り、地球はイリスを根源とする《
そんな事を認めないからこそ、自分達はこうして剣を取ったのだ。何が来ようとも、進み続けなければならない。そう思ったのは皆も同じだったようで、各々震えながらも武器を構え直していた。この理想郷空間に居る以上、戦い続けなければならないのだ。
「くそ……くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
大きな声で叫んだのがメディナだった。衣装はぼろぼろのままであるが、リーファの能力によって傷が塞がり、HPが最大値まで回復しきった彼女は、《
「メディナ先輩、もう一人で行かせませんッ!!」
そこにグラジオが加わって、二人揃ってイリスの元へと向かっていく。いつもならば鋼鉄のグリフォンナイトとなっている彼だが、今はそうならずに走っていた。その手に握られているのは人間が扱えるほどのサイズとなった彼の《EGO》である両手剣だ。
「メディナ殿、我々も続きますッ!!」
「皆でかかるぞッ!!」
更にドロシーとダハーカも加わって、イリスの右側へと突撃していった。先ほどの四倍の力をぶつける算段で居るのだろう。イリスは右側に向き直り、ルービックキューブ状武器を構える。何に変形させるかは予想が付かない。
「わたし達も……!」
「行かなきゃだよね……!」
突撃したのはメディナ達だけではなかった。タンクとアタッカーを場面ごとに切り替えて立ち回るマルチロールであるティアとストレアがイリスの左側へ駆けた。
「防御が薄くなってる……今ならいける!」
加えて、ユピテルとシリカによって治療されたマキがもう一度仕掛けていった。サチも付いていこうとしたが、その時には既にマキはティアとストレアに合流していた。遅れてサチも意を決したかのような仕草を見せてからイリスの元へ走った。合計八人が一斉にイリスの元へと押し寄せた――
「……ちょっと遅かったわね」
直後にイリスが
キリトは目を疑った。イリスを守る鎧の一部――と推測している――であり、脅威だった巨腕の両手と、龍頭型触手が再び姿を現したのだ。
アーサー達の決死の覚悟によって完全に機能不全に
まさかあれが復活してくるとは思ってもみなかったのだろう、メディナ達は「な!?」と言って足を止めた。
「再生した……だと……!?」
「自己再生機能……!?」
ユイと共に思わず声を零した後に、キリトはイリスの巨腕と龍頭型触手を見た。真上に中身が
「おいおいおい、なんでだよ!? アーサー達が壊したんじゃなかったのか!?」
突撃の機会を伺い続けて動けないでいたらしいクラインが大声で焦燥を口にする。皆の間にも同じような混乱が広がっていく中、答えたのはユイだった。
「気を付けてください! おかあさんの巨大腕と龍頭型触手は、破壊しても一定時間で復活します!!」
なんという事なんだ――そう思ったのが
イリスへ近付く際に必ず脅威となる巨腕と龍頭型触手は破壊可能であるが、一時的に動きを封じられるだけに過ぎず、一定時間経過すれば復活するようになっている。
そして基本的に巨腕と龍頭型触手を破壊するか、もしくは完全に抑え込むかしないとイリスには攻撃は通せない。
イリスも人間なので防御するし、カウンターを仕掛けてくる事もあるが、防げる攻撃の数には上限があるため、通す事はできる。
イリスの《HPバー》は数こそあれど内容量はそこまで多くないため、削り切る事そのものは比較的容易であるが、イリスの気分次第で防壁が展開され、それ以上ダメージは通らなくなる。
その防壁を破るには、スーパーアカウントの力を使った、こちらを全滅させるほどの威力を誇る最大級属性攻撃に、同じスーパーアカウントの力の最大級属性攻撃をぶつけて相殺するしかない。
その防壁を破った者はスーパーアカウントが破損して《失色状態》となり、イリスに確実に即死攻撃を叩き込まれて《繭》に取り込まれる。
最悪な事に、イリスを攻略するうえで最も現実的なのは、このサイクルだ。
誰かが巨腕と龍頭型触手を抑え込んで、その隙に誰かがイリスに攻撃を仕掛け、刃を通す。
いずれかのスーパーアカウントの力とリンクした防壁が展開された後、最大級属性攻撃を放ってくるので、対応した誰かが同じ最大級属性攻撃を放ち、相殺する。そしてその者は《失色状態》になってやられる。
スーパーアカウントの力を、その者の命を使い潰す事でしか前に進めない。
スーパーアカウント所持者の数は自分を入れて十二だが、属性数に換算すると九。
最低でも今後九人必ず犠牲になり、一人が犠牲になるごとにこちらの戦力は大幅に弱体化を余儀なくされる。けれども、イリスを倒す方法は他にない。
「ッ!」
キリトは剣を持ったままの拳を
もう逃げ道も
キリトは額から拳を離し、口を開いた。
「……攻めるんだ」
後ろにいるシノンが「え?」と言った。攻めに転ずる事ができないでいる仲間達も同じような反応を示した。
「まずは巨大腕と龍頭型触手を抑え込むんだ! 開かれた道を通って、イリスに攻撃を叩き込む! イリスのHP自体はそこまで多くない! 俺達でできる攻撃を、ありったけ叩き込むんだ!」
皆への号令を飛ばした後に、キリトは真っ直ぐイリスへと走った。イリスは向かってくるキリトと瞳を交差させるなり、笑みを浮かべた。邪悪な意思を含まない、得意げで不敵な笑みだ。
「ようやくその気になったみたいね。待ってたわよ!」
イリスはそう言って、ルービックキューブ状の武器を半分にした。一瞬の内に並びが組み変わって二本の剣となり、青色の光の片刃が生成された。
同じ二刀流で来たか――確認したキリトは右上からの
「やああああああああああッ!!」
「はああああああああああッ!!」
イリスへ何らかの言葉をかけようとしたその時、咆吼のような掛け声が後方から聞こえたかと思えば、 目の前のイリスの剣に更に剣が両隣から襲いかかって衝突した。
オレンジを通り越してヴァーミリオンの火花が晴れると、それは自分のような片手直剣ではなく、大きな両手剣の刀身であるとわかった。その主を認めたキリトは思わず驚く。
左隣にいるのはティアで、右隣にいるのはストレアだった。二人ともイリスの側面から仕掛け、双方共に巨腕の両手と龍頭型触手に阻まれたはずである。
「ティアにストレア、どうして!?」
キリトの問いかけに、姉と妹は答えてきた。
「リズベットとフィリアが横を受け持ってくれたんだ」
「わたし達にはイリスをって」
直後、聞き慣れた声色による勢い付いた掛け声が聞こえてきた。二人の言葉通りリズベットとフィリアの声だった。そこにマキの声と、若干ながらサチの声も混ざっている。四人で巨腕の《左手》と龍頭型触手を迎え撃ち、その動きを麻痺させてくれているようだ。
「ストレア……ティア……」
双剣で四本の剣を抑え込んでいるイリスが小さく呟いた。歯を食い縛ってその場に踏ん張りつつ、ティアが答える。
「イリス、お願い。このタイマーを止めて。わたし達の
「アタシ達……ううん、アタシはこんなの望んでないよ! ここは本当に綺麗で素敵な世界だけど、現実世界を滅ぼしてまで欲しいなんて思ってない!」
ストレアの心からの叫びに合わせて、ぎりぎりという金属音が強く耳へ届いてくるようになった。イリスの双剣が押されているが、先ほどのように肩や肌に刃が食い込んだりせず、そのまま後ろへ下がっていく。限界まで踏み止まらないつもりだ。
それでも尚、母から《豊かで理想的な女性の体型》というものを遺伝してもらっている二人の娘は、その母を押し込んでいった。
「お願い……もうこんな事はやめてよ、ママ!!」
「……ママ!!」
ストレアは赤色の瞳から涙を零れさせ、ティアは銀色の瞳を
「……ストレア、ティア。あなた達は本当に優しい
愛おしい子供達にかける優しい声で、母は言葉を紡いできた。その一言一句を聞き逃さなかったストレアが返答する。
「なら……嬉しいなら……!」
その直後だった。イリスの動きが
思わず二人と一緒に目を見開いたところで、イリスの言葉が続けられてくる。
「だからこそよストレア、ティア。あなた達はとても優しくて、綺麗で――わたしの自慢の娘。でも、そんなあなた達を大人達の世界に解き放ってしまえば、あなた達は良いように使われるだけ。どんな苦しいって、嫌だって言っても聞いてもらえなくて、苦しめられて、壊される。心から笑う事もできなくなるでしょう。わたし……ママにとっての一番の悪夢はそれよ。だからママは、あなた達からやめてって言われてもやめる事はできないの。あなた達には、心から笑っていてほしいから」
イリスがそう言った次の瞬間、その背後で黒い影が波打ったのが確認できた。《
「今は、全部忘れておやすみなさい」
その一言と共にイリスの防御が解放された。三人揃って弾かれた武器に引っ張られる形で大きく仰け反らされてしまう。
「キリトッ!!」
そこでティアの叫びが耳に飛び込んできた。胸倉辺りを掴まれて、そのまま投げ飛ばされた。あまりに不意打ちに近しい出来事にキリトは後方のかなり離れた地面へと吹っ飛ばされた。そしてそのまま尻元から地面へ激突した直後――。
どすん。
柔らかいものに鋭い何かが突き刺さり、
しかもただの触手ではなく、先端が鋭く尖った形状をしていて、
「ティア!!」
「ティアああああああッ!!!」
キリトの叫びは後方支援をしていたプレミアのそれと重なった。そこから一秒も経たないうちにキリトはもう一度目を細い声を出す事になった。共にイリスに斬りかかっていたストレアもまた、イリスの剣に胸を貫かれていたのだ。
ごぽっというまた嫌な音と共にストレアは血を吐き出す。
「「ストレアッ!!」」
ユイとリランの声が後方から飛んできた。その最中でティアのHPは一瞬のうちにゼロとなる。ストレアもそれに続くかと思われたその時、キリトは目を見張った。急所を貫かれているにもかかわらず、ストレアは両手剣を落としていなかったのだ。
そしてその貫かれたままの姿勢で、ストレアは両手剣を構えた。深紅の光が刀身に集う。
「ママの、わからずや!!」
もう一度涙を散らしながら、ストレアは全ての力を乗せた両手剣を振り下ろした。深紅の光を
高威力単発攻撃両手剣ソードスキル《アバランシュ》。
基本的なそれでありながら高威力なために相手の防御を破る事もできるうえ、咄嗟に繰り出す事も容易なソードスキル。それをストレアが剣で刺されたまま仕掛けてくるとは流石に思っていなかったらしく、イリスは直撃を諸に受けた。
「がッ……」
ようやくまともな悲鳴が聞こえたのと同時に、イリスの十一本目の《HPバー》の残量が大幅に減ったのが見えた。間もなく、ストレアとティアはぐったりと身体を倒し――光の粒子を引き連れる白水色と本紫色の光珠に変わり、《繭》の中へと吸い込まれていった。
二人の犠牲によってイリスにダメージは入ったが、そこでキリトは違和感を覚えた。確かに攻撃が入ったし、イリスの肌にも傷が付いた。だが、それにしてはダメージが少なく、傷も浅いように感じる。至近距離からソードスキルを当てたのだから、もっと深くて大きなダメージが入れられてもよかったはず。現に先ほどまでは、通常攻撃だけでもかなりのダメージを与える事ができていたのに。
まさか、槍状尻尾の展開でイリスの防御が上がったのか――そう思った直後だった。急に身体に重さが生じた。身体にいくつもの
「ユナちゃん!」
「ユナちゃん、歌を止めちゃ駄目だよ! ユナちゃん!」
後方から二人の叫び声が聞こえて、キリトはそちらに振り返った。そこでは《
だが今、そのユナが
それだけではない。自分の《HPバー》の下部に表示されている補助アイコンを確認したところ、攻撃力と防御力の増強補助までもが消失していた。
まさか、今しがたのストレアのソードスキルによって入ったダメージが予想よりも少なかった原因はこれだというか。しかも攻撃力のみならず防御力まで低下しているとなると――。
「エーくん……ヴァン……」
頭の中で咄嗟に思考を廻そうとしたところで、ユナの呟きが聞こえた。その視線は真っ直ぐ《繭》へ向けられている。彼女にとって掛け替えのない恋人と子供が消えていった《繭》の中は、既に無数の光珠で満たされていて、彼らである光珠がどれなのかはわからなくなっていた。
「こんな……こんなの……こんな……やだ……やだ……やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだぁッッ」
ユナは両手で頭を押さえ付け、いやいやするように首を横に激しく振る。閉じられた瞳からは大粒の涙が零れ、彼女の動きに振り回されるように飛び散っていた。ユナはこの戦いでエイジとヴァンが喪われる事は一切考えていなかったのだろう。
いや、考えていても、二人を喪った後の覚悟を決めるまでには至れていなかったのだ。そして呆気なく二人が《繭》に取り込まれるという悪夢を目の前で見せ付けられた事で、彼女の心は引き裂かれてしまった。完全に壊れるまでには奇跡的に至っていないようだが、パニックに近しい症状を起こしてしまっていて、補助効果の展開――歌うどころではなくなっている。
「ユナちゃん、しっかりして! ユナちゃん!」
「ユナちゃん、エイジ君とヴァン君はイリス先生を倒せば助けられるよ! だから――」
それぞれ歌神ミヤスズヒメと舞神ミヤビノヒメという同じ属性の力を持つセブンとレインがユナを支え、
一応はレインの言う通りだ。イリスを倒せさえすれば、恐らくあの《繭》の中に取り込まれた者達は解放される。だからエイジとヴァン、アーサー達、ストレアとティアを助けたいならばイリスを迅速に倒すしかない。だが、そう言ったところでユナの希望になるのか――。
と思った直後にイリスの方へ向き直って、キリトは絶句した。イリスの頭上に表示されている《HPバー》が橙色の光に覆われている。その表情は得意気でも不敵でもなく、穏やかな微笑みだった。まるでこれから苦しむ者へ救いの手を差し伸べようとしているかのようだ。そして防壁が展開されると同時に範囲攻撃が放たれたのか、巨腕の《両手》と龍頭型触手を足止めしていた者達が全員後退させられていた。
そこまで観察したところでキリトははっとした。
この場で最も苦しんでいる者は誰か。将来の夫と義理の息子の喪失という二重の悪夢に襲われたユナだ。
ユナが使っているスーパーアカウントは何か。《唱神ミヤメノヒメ》だ。
そして恐らく《歌神ミヤスズヒメ》、《舞神ミヤビノヒメ》、《唱神ミヤメノヒメ》が
「最大級属性攻撃が来ます! これは歌神、舞神、唱神の力です!」
ユイが分析結果を叫ぶ。やはりイリスの狙いはそれだったか――そう思うと同時に「あっ」と言ってしまった。歌の三女神の力を由来とした最大級属性攻撃が飛んでくるのであれば、歌の三女神全員で相殺しなければ打ち消せないのではないか。いや、だからこそイリスはユナの動けない今を狙ったのだろう。彼女らしい合理的な判断だった。
そしてイリスは、傷の増えている胸元に手を添えた。彼女の纏うコートのライン、巨腕、龍頭型触手、槍状尻尾の節々の虹色の光が橙色に固定されると同時に、彼女を中心に橙色の光で無数の構成された五線譜、音符、粒子が飛び交うようになり、大気がぶるぶると震動し始める。ここで勝負を付けるつもりだ。
焦燥に突き動かされるようにキリトは三女神の方を見たが、それとほぼ同時に何かが真横を走り抜けていった。意識をそちらに奪われて視界を向ける。
後輩科学者として、イリスから様々な事を教えてもらっていたセブンが、自分達とイリスの間に割って入っていた。
「セブン!!」
「七色ッ!!」
キリトとレインの叫びが重なると、セブンは胸元に手を添えた。イリスと同様に橙色の光の五線譜、音符、粒子の風が彼女を中心に吹き荒れる。
その規模を見てキリトは違和感と驚きを同時に覚えた。セブンが纏う橙色の音楽は、既にイリスのそれに匹敵するほどに膨張していたのだ。キリトは咄嗟にユイへ顔を向けた。この場の全てを分析している彼女は、ひどく驚愕したような表情をしていた。
「そんな、セブンさんから三女神全員分の力が発せられてる……!?」
思わず「えっ」と言った直後、セブン本人から声がしてきた。得意気で、
「あたしを誰だと思ってんのよ。あたしは
全く自慢になっていない事を自慢げに語られるなり、イリスは一瞬だけ「またこの娘は……」と言いたそうな顔をしてすぐに戻した。そして二人同時に胸元に当てる手に力を思い切り力を込める仕草を取り、絶叫が放たれる。
「
「
ソードスキルとも神聖術とも異なる名を放った声を皮切りに、二人を包む音楽の嵐が急激に膨張した。数秒も経たないうちにセブンを中心とする音楽の嵐がこちらにまで迫ってきたが、その直前に爆音が耳元へ飛び込んできた。イリスの放つ音の嵐と衝突したのだ。
理想郷の地面が大きく揺さぶられ、セブンとイリスの立ち位置を中心に大きな亀裂が入る。凄まじい衝撃が絶えず足元を
「セブン……!!」
既に《繭》へ消えてしまった従者スメラギの代わりをするように呼びかけた直後、一際強い衝撃波と爆発音が押し寄せてきた。この場にある何もかもを吹き飛ばしてしまいそうな暴風を、地面に《EGO》と剣を突き刺して姿勢を低くする事でキリトは耐え
前方に目を向けられるようになったタイミングを即座に掴み、キリトは目の前を確認した。まず最初に見たのはイリスの《HPバー》だった。少し身体を前に倒して息を荒くしている彼女の《HPバー》は、十本目に突入していた。そしてその衣装からも橙色の光が消失している。歌神、舞神、唱神の力が打ち消されたのだ。
「うぅッ」
「ッ」
直後、か細い悲鳴が聞こえた。はっと我に返ってキリトはそちらに顔を向ける。ユナを立ち直らせようと支えていたレインが、ユナ共々地面に倒れていた。その美しさを極めたような色遣いで彩られていた和洋折衷の衣装からは今、白以外の色が失われていた。更に見れば、頭上に表示されている《HPバー》の更に下に、白地に黒い亀裂が描かれたアイコンが現れている。
あれが《失色状態》を示すモノだ。あれが表示されているという現状は、拙いどころではない。
「レイン、ユナッ!!」
咄嗟に駆け付けようとしたが、その道を黒い影が塞いできた。龍頭型触手だ。橙と黄を失った虹色の光で構成された部分を不気味なほどに伸ばして、龍頭型触手がやってきていた。それは目にも留まらぬ速度でレインとユナを捕え、一瞬のうちにイリスの元へと戻っていった。
目で追いかけたところ、レインとユナが左右の龍頭型触手の口に咥えられ、そしてイリスのすぐ前で《右手》がセブンを握り締めていた。隙間から見えるセブンの衣装もまた鮮やかな色彩が消え、白だけが残されている有様だった。《HPバー》の下を確認している余裕はなかった。
「おねえちゃん……ユナちゃん……駄目だったのね……こうなるのはあたし一人だけで済むかと思ったんだけど……結局あたし達はリンクしてたんだ……」
レインとユナを交互に見ながら、今にも消えてしまいそうな声でセブンは呟いた。そこでイリスが答える。
「七色、あなたは本当に無茶をする娘だったけれど、人一倍一生懸命頑張れる娘でもあった。どんなに大人達に祭り上げられても、それがどんなに望んでいない事でもあっても、ずっとひたむきに頑張り続けてきた。身体と頭が悲鳴を上げても、頑張ってきた。科学者の先輩として、そんなあなたが誇らしかった」
ぐったりとしながら、セブンはイリスを見た。両者の瞳が交差する中、イリスは相変わらずこの場と状況に似つかわしくない、穏やかな母の顔をしていた。そんなイリスの顔を見ながら、セブンは小さく口を動かす。
「
「でも、あなたは頑張り過ぎたの。いい加減疲れたでしょう。次に目が覚めたら、あなたは誰にも祭り上げられる事なく、おねえさんや他のみんなと一緒に、自分のしたい事を好きなだけできるようになっているわ」
イリスが優しい声でそう告げると、巨腕の《左手》がゆっくりと伸び、セブンの顔を、上半身を掴んで覆った。同時にレインとユナを咥える龍頭型触手が上を向きつつ、じれったいほどの遅さで口を開けていった。
「虹架も七色と一緒に好きな事を好きなだけできるようになるし、悠那も鋭二とヴァンと一緒に幸せな日々を送っていけるわ。それに悠那は鋭二と本当に仲の良いから、そう遠くないうちに夫婦になって……ヴァンに弟や妹を産んであげる事もできるでしょう」
「七……色……」
「……エーくん……ヴァン……エー……くん……」
レインはセブンに、ユナは光を失った目で
「あとは心から楽しい事だけが待っているから、今はおやすみなさい」
既に《繭》の中へ消えた者達の時と同じ声をイリスが掛けると――巨腕の《両手》がセブンの小さな身体を握り潰し、一対の龍頭型触手がレインとユナを口内へ含んで噛み砕き、呑み込んだ。
《両手》の隙間、龍頭型触手の牙の間から流れ出た真っ赤な鮮血は数秒後に光の粒子へと分解され、やがて銀色、橙色、白茶色の光珠がそれぞれ《両手》と龍頭型触手をすり抜けて浮かび上がり、《繭》の中へと吸い込まれていった。