キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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08:静寂の刻

「えっと、アスナさん、これは一体」

 

 俺とシノン、リランは結局血盟騎士団に入団する事となって、アスナとユピテルと共に血盟騎士団本部へと赴かなければならなくなった。その内の一室を借りて、アスナが済まなそうにしながら、俺とシノンに血盟騎士団用の装備を手渡してきたのだが、それを受け取ったところで、俺は驚いてしまった。

 

 ズボンこそ、俺が普段使っていたものと同じ黒色だったが、上半身にリランの毛のような白金色の鎧を着て、籠手(ガントレット)を付け、その上から白の生地に赤色のラインが入った、俺の装備であるアンダーエージェントよりも裾の短い、ジャケットと間違えても仕方無いようなコートを身に纏う装備だったのだ。

 

「えっと、団長からの贈り物だよ。キリト君はデュエルに負けたけれど、あそこまで私を追い詰めて見せたから、報酬を与えようって言って……それ全部74層のボスのラストアタックボーナスなんだって。色合いもちょうどよかったからキリト君に是非って」

 

 俺はアスナの言葉を聞いた後に、装備ウインドウを開いて、装備品を注視した。纏っているジャケットの名前は《ホワイトナイツ・ジャケット》、下に着ている鎧が《ホワイトナイツ・アーマー》、籠手が《ホワイトナイツ・アームズ》ズボンと脚用鎧が一体化している下半身装備は《ホワイトナイツ・レギンス》というらしい。全部、《ホワイトナイツ》と付くので、これ一式が74層のボスのドロップ品だと理解する。

 

 しかも悔しいのが、俺の嫌いな派手な見た目なのに、追加効果がどれも俺の使っていたどの防具よりも強く、防御力に至っては250以上総合値が上昇する有様だったという事だ。

 

「派手なのが悔しい。でも強くて使わざるを得ない……ッ」

 

「その装備は、今のところ団長を除くすべての団員の中で一番いいのなんだよ。少し派手かもしれないけれど我慢して使ってください」

 

 俺は渋々それを受け入れる事にした。これほどまでに上質な装備は、俺のアイテムウインドウの中を隈なく探したとしても見つからないだろう。

 

「ねぇアスナ、私のこれは?」

 

 俺はシノンの方へ目を向けた。シノンの装備も白と赤を基調としたコートの上から白い胸当てを付けて、白色の長ズボンを履いているという、血盟騎士団の弓使いになったような格好になっている。恐らくこれも、ヒースクリフからの贈り物だろう。

 

「シノのんのも、私と使っているのとほとんど同じ性能を持った防具だよ。多分だけど、シノのんがこれまで使ってた装備よりも、いいものだと思う」

 

 シノンはどこか納得したような顔をして、自分の身体を見つめた。シノンの使っている装備は、実のところ一番最初に俺に落ちて来た時から変わっていないのだ。いや、その時から今現在まで十分に通じるくらいの防御力だったから、変えなかったというのが本当のところだけど。

 

「ほぼ無理矢理団長が貴方達を加えたようなものだけれど……これからよろしくね、キリト君、シノのん」

 

「あぁ。改めてお願いします、アスナ副団長」

 

 一般の団員達のように言ってみると、アスナは首を横に振った。

 

「あぁそれなんだけど、アスナでいいわ。だって、キリト君の権力はほぼ団長クラスだから」

 

「え、なんで」

 

「団長からの指示……っていうのが建前で、本当はキリト君が最強のプレイヤーだからだよ。キリト君はリランを連れてる上に、《二刀流》使い。団長と並ぶ実力者じゃない」

 

 確かに俺は、ヒースクリフ以外の誰も持っていない《二刀流》を使いこなしているし、それに加えて、クォーターポイントのボス並みの力を持つリランを<使い魔>にしている<ビーストテイマー>だ。……ヒースクリフと戦った結果、聖騎士の伝説にページを加える事になってしまったけれど、このアインクラッドで唯一、ヒースクリフと互角にやりあえるプレイヤーという扱いなのだろうな。

 

「そうだけど……だからって入団早々騎士団長クラスの権限を渡されたって、何に使うべきなのか」

 

「キリト君の言いように使ったらいいよ。まぁ、自分の利権のために組織を利用されたらたまったものじゃないけれど、キリト君はそんな人じゃないから、大丈夫ね」

 

「それ、イリスさんの言ってた組織の緩やかな死が始まる瞬間……」

 

「だから、そんなふうに使うのはやめてね」

 

 アスナは苦笑いした後に、表情を戻した。

 

「それで、キリト君はこれからどうするの」

 

 その言葉で、俺は昨日の夜、というか今日の深夜にしたシノンとの話を思いだした。

 

「あぁそうだ。なぁアスナ、リランとユイをちょっとの間預かってくれないかな」

 

「え、なんでまた? というかユイちゃんもなの?」

 

「あぁ。少しだけ用があってさ。それと、静かに過ごせる場所が欲しいんだが……」

 

「別にリランとユイちゃんを預かるのは、大丈夫だけれど……静かに過ごせる場所って言ったら……あそこかなぁ」

 

「何か知ってるのか」

 

 アスナは頷いた。なんでも、別名スプリングフィールドと呼ばれる、フィールドモンスターの出現しない一帯が、第70層の東部に存在しているそうだ。しかもここはかなりの隠れ家スポットで、血盟騎士団の中でもアスナとその付添いであるユウキのみが知っているところらしい。当然、他の一般プレイヤー達も、その存在を知らないそうだ。というか、敵が出現しないエリアで、レアなアイテムやモンスターがいるフィールドでもないから、興味を持たれないそうだ。

 

「なるほど70層か」

 

「うん。そこは桜が1年中咲いてて、すごく綺麗な場所なんだよ。近くにある小さな町の宿屋の料理もすごく美味しくて、本当に穴場スポットって言えるところ。静かに過ごしたいなら、あそこが一番いいよ。団長すらも知らないみたいだし」

 

「ヒースクリフも知らないのか。なら尚更丁度いい」

 

「教えてくれてありがとうね、アスナ。丁度そういうところが欲しかったのよ。でも、私達が抜けて大丈夫なの?」

 

 アスナはシノンに笑む。

 

「大丈夫だよ。攻略は私達だけで何とかなるし、今は攻略に団長も赴いてるしね。余程の事が無ければ、何とでもなるわ」

 

「いや、何とでもならないと思う」

 

 俺の言葉に反応して、シノンとアスナが顔を向けてきた。今挑んでいるのは75層、75層は100層を4で割った際のクォーターポイントとなる地点だ。ボス戦でとんでもないのが待ち受けている可能性が非常に高い事を説明すると、アスナは表情を険しくした。

 

「確かに今は75の地点だから100のクォーター……すごく強いボスが出てくるかも」

 

「だから、何かあったらすぐさま俺達に連絡をくれ。用事を出来る限り早く済ませて戻ってくるから。俺も今回から晴れて血盟騎士団だ、ガンガン頼ってくれよ」

 

「わかったわ。何かあった時は、よろしくね、キリト君、シノのん」

 

 俺達はアスナに頷いた。その直後に、アスナが笑みを取り戻した。

 

「でも、二人はまず静かなところへ行って、過ごしてきてよ。リランとユイちゃんには、私から話しておくし、ユイちゃんとリランが来れば、ユピテルも喜ぶわ」

 

「なら安心だ。任せたぜ、アスナ」

 

 アスナは再度にっと笑顔になった。

 

 

 

           ◇◇◇

 

 

 その日の午後、俺達はアスナの教えてくれた穴場スポットである第70層の東部、スプリングフィールドへ赴いたが、そこで思い切り驚く事になってしまった。今は夏だと言うのに、そこの気候は春そのもので、現実世界の千本桜を思わせるくらいに桜が咲き乱れて、花弁の雪が舞っていたのだ。まるで季節が逆戻りしてしまっているかのようだった。

 

「すごい……本当に桜が咲き乱れてる……!」

 

「こんなに綺麗な場所があったなんて……やっぱりアインクラッドの世界も捨てたもんじゃないな」

 

 これだけ綺麗な場所だと言うのに、どこを見てもプレイヤーの姿はなく、索敵スキルを展開しても、モンスターもプレイヤーの気配も引っかからない。完全に、俺達だけがこの場所にいる、貸し切り状態だ。

 

「こんな事なら、ユイとリランも……おっと、二人だけだったな、今日は」

 

 シノンをがっかりさせてしまったかなと思った直後、そのシノンから声が聞こえてきた。

 

「……私も同じ事考えてた。ユイとリランを連れてくる事が出来たら、どれだけ楽しいかなって。でも、今日はあなたとだけ過ごしたい」

 

 そう言いつつ、シノンは俺の方へと手を伸ばして来た。顔には微笑みが浮かべられているため、手を繋いで歩こうと言う意思表示なのがすぐにわかった。普段、恋人らしいことを拒むシノンだが、こうして本当に二人きりになった時は、積極的に手を繋いだりだとか、そういう恋人らしい事をしたがるようになるのが、一緒に過ごしてきてわかった事だ。

 

 そしてそんなシノンの意思表示を俺は受け入れ、シノンの手をそっと握った。柔らかな感触とシノンだけが持つ温もりがじんわりと広がり、やがて身体全体が暖かくなったような気がした。

 

「さぁ、歩いて行こうか」

 

 俺の言葉にシノンは頷いて、俺と歩調を合わせつつ、歩き始めた。現実世界にいた時は、こんなふうに愛する女性と手を繋いで歩いていくなんて事はないと思っていた。しかし、そんな俺の考え、予想を、こうしてシノンは裏切ってくれて、そして今も、俺の傍にいてくれている。――それがたまらなく嬉しく感じられた。

 

「しかしまぁ、スプリングフィールドとは、よく言ったものね。ここだけ完全に春の気候になってる。まるで春のまま時間が止まっているみたいね」

 

「あぁ。お花見とかしたら最高だろうな」

 

「うん。夜はライトアップとか……されないか。ここは現実みたいに設備が揃ってるわけじゃないものね」

 

 その言葉で、俺はハッとした。そうだ、この世界はゲームの中の世界、死ねば現実でも死んでしまうデスゲームの中だ。あまりに綺麗で、隣にシノンがいてくれているせいで、忘れかけていた。

 

(だけど……)

 

 この世界が本当にデスゲームでしかない世界とは、もはや思わない。この世界はゲームの中の世界ではあるけれど、こうして暖かさを感じる事も、生きていく事も出来、そしてこの世界で本当に生きている存在もある。最初は俺も所詮はゲームの中の世界なんだと思っていたけれど、今となっては、そんな事を唱えて世界を否定する奴が許せないくらいだ。

 

 しかしこの世界は、レクトプログレスという会社によって何とか保っている世界だ。レクトの社員たちが下手にこの世界を弄繰り回せば、たちまちこの世界は崩壊してしまうだろうし、回線切断や身体の限界などでプレイヤーが死んでしまう事もあるかもしれない。

 

(……ッ)

 

 頭の中に、それが俺とシノンの身に起きた場合の光景が想像される。

 

 朝起きたらシノンが居なくなってたりしたら。

 

 逆に俺が死んでしまったら、シノンは――。

 

「キリト、ねぇキリトってば」

 

 シノンの言葉で俺は我に返った。目の前に広がっているのは、桜吹雪の舞うスプリングフィールド、そして俺の隣に、不安そうな表情を顔に浮かべたシノンがいた。

 

「シノン……」

 

「どうしたのよ。また考え事に耽っちゃった? その割には、顔色が少し悪くなったみたいだけど……」

 

「だ、大丈夫さ。なんでもないよ」

 

 シノンはどこか納得できないような顔をしたが、そのまま目の前の方へ顔を向け直して、歩き始めた。ひとまず、心の中にある不安は仕舞い込んでおこうと思ったけれど、考えるだけでは、あまり抑え込む事は出来なかった。

 

(そういえば)

 

 今日の深夜、シノンはとても不安そうな様子を見せていた。わけを聞いてみれば、俺が死ぬ夢を見たそうなのだが、とてもそれだけが理由だとは思えなかった。きっとそれ以外にも、何かしらの理由があるはずだ。

 

「なぁシノン」

 

「なにかしら」

 

「今日の深夜、どんな夢を見たんだ」

 

 顔を向けてみれば、シノンは不安そうな表情に変えていた。聞いたのは拙かったかな。

 

「ごめん。無理に教えてくれる必要はないんだ。悪いこと聞いちゃってごめ――」

 

「……夜になったら」

 

 割り込んできたシノンに、俺は少し驚いて、顔を向け直す。

 シノンは若干頬を赤らめて、続けた。

 

「夜になったら……また、お願いできる?」

 

「またお願いって……あ」

 

 シノンの言いたい事がわかって、俺も身体の中が少し熱くなった。シノンが遠まわしにお願いしたい事と言えば……。

 

「別に……大丈夫だけど……いいのか?」

 

「何度も言わせないで。あなただから、こんな事頼むのよ……」

 

「……わかった」

 

「……その時、一緒に話すから、ちゃんと聞いてね……?」

 

「……聞くよ」

 

 俺はシノンの手をぎゅっと握りしめて、桜吹雪の中を歩き続けた。

 

 

 

           □□□

 

 

 アインクラッド 第61層

 

 こちらはアスナ。リラン、ユイを預かり、ユピテルが喜んだ事によって、アスナの家はこれまで体験した事のないくらいに賑やかになった。しかし、ユピテルが大喜びした理由と言えば、小動物のような姿をしているリランがやって来た事が一番で、ユイが来たのは二番目くらいだろうと言うのがわかった。それほどまでに、ユピテルの示した反応というのははっきりしていたのだ。

 

「ふわふわ、ふわふわー、あったかいー」

 

「はい。リランさんの毛並みは、すっごくふわふわなんですよ。最近は進化してしまって、ごつごつしているところが増えてますけれどね」

 

 リビングの方でユイと並んでリランを愛でているユピテルを見ながら、アスナとユウキはダイニングの椅子に座り、紅茶を飲んでいたが、やがてアスナが二人を見つつ、ユウキに言った。

 

「なんだか複雑だね」

 

 ユウキが首を傾げながら答える。

 

「何が複雑なの、アスナ」

 

 イリスとキリトによれば、ユピテルはMHHPという、プレイヤーの心を癒すために作り出されたAIで、ユイよりも高性能且つ、高度な進化能力を持ったものなんだそうだ。それに、ユイが作られたのもMHHPであるユピテルの後、即ちユイはユピテルの妹という事になるのだが、今のユピテルはユイの弟と言っても差し支えが無いくらいに、幼く見える。それが、アスナにはどこか複雑に思えた。

 

「ユピテルはユイちゃんよりも先に生まれたAI。だから、ユイちゃんのお兄ちゃんなんだけど、今のユピテルは明らかにユイちゃんよりも小さくて、ユイちゃんの方がお姉ちゃんに見える」

 

 アスナの言葉に納得したようにユウキは頷き、やがて苦笑いした。

 

「確かに今のユピテルはユイちゃんのお兄ちゃんっていうより、ユイちゃんの弟って感じがするね。でも、イリス先生によれば生まれたのはユピテルの方。なんだかわけがわからなくなってくるね」

 

「でも、あの子は……」

 

 アスナが朗らかに笑んだその時に、いきなり何かがぶつかってきたような感覚を、アスナは感じて驚いた。何事かと思いきや、リビングにいたはずのユピテルが、いつの間にか自分の胸の辺りに抱き付いてきていたのだ。

 

「ちょ、ちょっとユピテル?」

 

 少し焦りながら言うと、ユピテルは頬を擦り付けながら、呟くように言った。

 

「かあさんがいちばんあったかくて、きもちいいもん」

 

 その言葉を聞くと、アスナは胸の中に愛おしさが込み上げて来たのを感じて、そっとユピテルの銀色の髪の毛を撫でた。ユピテルはこうして、血がつながっている母親でもないのに、自分の事を母と呼んで甘えてきてくれるし、抱き締めたり、一緒に寝たりするととても暖かい。もはや、ゲームの中の存在、AIだというのが間違いであると思えるくらいだ。

 

 いや、AIだけど、もうAIだとかゲームだとか、そんなのは関係ない。ユピテルは間違いなく、自分の息子だ。アスナはそう思い、ユピテルの小さな身体を抱き締めた。

 

「そうよ。私だってリランに負けないくらい暖かいんだから。ユピテルはわかってるね」

 

「えへへ」

 

 ユピテルは気持ちよさそうに、もう一度頬を胸に擦り付けてきた。が、その直後に、アスナはユピテルではない重みを感じて、一瞬驚き、ユピテルに顔を向けた。ユピテルの隣に、黒髪の女の子……ユイが並び、ユピテルと同じように抱き付いてきていたのだ。

 

「ゆ、ユイちゃん!?」

 

「本当です、アスナさんも、すごく暖かいです」

 

 アスナは苦笑いしながら、ユイの頭も撫でた。まるで絹か何かのように柔らかい、ユピテルの髪の毛とは明らかに違う手触りを感じた。

 

「こらこら二人とも、私を暖房みたいに扱わないの」

 

 アスナが困りながら笑っていると、ユウキは物事に納得できたような顔をして、アスナに言った。

 

「おぉー、やっぱりアスナは子供に好かれるんだねぇ。イリス先生が保母さんにスカウトしようとする理由が、何だかわかるような気がするよ」

 

「ちょっと、ユウキってば……」

 

 確かに、自分が1層を歩くと、子供達が寄って来る事が多いし、初めてイリスの教会に行った時も何故か子供に出迎えられた。そして今も、ユイに拒絶されたりしてないし、ユピテルが息子のようになった。やはり自分には、子供に好かれる何かがあるのではないかと、アスナは最近思うようになってきていた。

 

「私って……そんなに子供に好かれるのかなぁ」

 

 ユイとユピテルに散々遊ばれたせいで、鬣や毛並みがぼさぼさになっているリランが《声》を出してきた。

 

《お前は優しい気を放っている。お前の優しさが、子供達を導くのであろうな》

 

「私って、子供達まで導いてしまってるの。まぁ確かに、血盟騎士団の副団長として団員達を導いてはいるけれど」

 

《そうだ。皆がお前に導かれてここにきて、先に進もうとしている。お前が導いてくれるからこそ、皆が安心して歩みを進める事が出来るのだ。そのことについては、誇りに思っていいはずだぞ》

 

「人を導くか……私は指導者に向いてないって思ってたんだけど……」

 

《そうでもないぞ。お前は人に導く素質があり、尚且つ優しさと暖かさも兼ね揃えている。だからこそ、皆はお前についていこうとするし、ユピテルもお前に懐くのだろう。お前が傍若無人だったならば、人が付いてこようとも、ユピテルはお前に懐かなかっただろうな》

 

 アスナは目を閉じて、かつての自分の姿を思い出した。親の鎖に縛り付けられて、現実世界に帰る事だけを考えて、攻略の鬼と呼ばれていた頃の自分。もし、自分があの時の自分のままだったのならば、確かに人が付いてきたかもしれないが、ユピテルは自分の事を母とは思ってくれなかっただろうし、そもそも寄ってこなかっただろう。

 

「でも、そんな私を変えてくれたのはリランよ」

 

《我一人の力だけではない。お前が自ら、それをやめようとしてくれた事が一番大きいのだ。もしお前が我を完全に拒絶していたのであれば、我はどうする事も出来なかっただろう》

 

「そうかもしれないね。それでも、貴方の言葉は凄く説得力あったし、貴方は私の力になってくれた。今度は私が貴方の力になってあげたいところだけど……」

 

 リランは首を傾げた。

 

《どうした》

 

「リラン、何か思い出した事はある? 貴方はずっと記憶喪失のまま、ここまで来ちゃったわけだけど……」

 

 リランはこれまで、記憶を失ったまま突き進み続けてきた。キリトによると、キリトが始めてリランと出会った時に、頭を剣で叩きまくったから記憶が飛んだという事らしいのだが、同時にこの城を登り続けていれば、いずれ記憶を取り戻すかもしれないそうだ。

 しかし、ここまで登って来たというのに、リランは記憶らしい記憶を取り戻したような様子を見せた事はないし、キリトもそんな話をしていた事はない。

 

《残念だが、我の記憶は一向に戻って来ぬ。いつか取り戻せそうな気がするというのに》

 

「そうなんだ。どうすれば、リランの記憶は取り戻せるかな」

 

 その時、ユウキは何かを閃いたように言った。

 

「みんなでリランの頭を叩いてみたらどうかな。叩かれて記憶が飛んだなら、同じ衝撃で記憶が戻って来るかも」

 

 リランは吃驚したように、ユウキに答えた。

 

《これ、やめぬか! お前達に頭を叩かれたら、お前達に関する記憶が飛んでしまうわ!》

 

「じょ、冗談だよ。流石にリランの頭叩こうなんて考えてないから!」

 

 ユウキが焦りながら両掌を振ると、リランは呆れたようにむすっと息を吐いた。

 しかし、やはりここまで一緒に過ごして、戦ってきた仲間であるリランの記憶の中身は、第100層の紅玉宮の中身よりも気になって仕方がない。一体リランが何者だったのか、リランはどんな事をしていたのか、色んな事が気になってしまい、考え始めると止まらなくなりそうだったが、聞こえてきたユピテルの声で、アスナは我に返った。

 

「かあさん」

 

「なぁにユピテル」

 

「おなかすいた」

 

 アスナはハッとして時計を見た。時刻は既に18時30分を示していた。普段、夕食を摂っている時間だ。

 

「いけない、もうご飯の時間だわ。準備するわね」

 

 アスナがそう言って立ち上がると、ユイが言った。

 

「ママの料理とどう違うのか、楽しみです」

 

 アスナは笑みながら振り返り、答えた。

 

「ユイちゃんのママに料理を教えたのは私なんだから、きっと吃驚するわよ!」

 

 そう答えて、ユイの期待の笑みを瞳に映した後に、アスナはキッチンへ向かった。

 


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