◇◇◇
俺達は無事に結晶恐竜の中から脱出し、結晶恐竜はリランによって倒された。
あの時、俺の思い付いた事は、中にいるフィリアを捕まえて、あいつの身体の中をよじ登るという作戦だった。
あいつは身軽に動くけれど、腹の中は意外にもそんなに揺れないように出来ていたらしく、フィリアを捕まえたまま2本の剣でロッククライミングをするように登ってみたところ、実にうまく行って、脱出する事が出来たのだ。
「なんとかなったか……」
俺はじっと、爆発四散した結晶恐竜を見ていた。結晶恐竜は完全にリランが仕留めてくれたようで、復活する気配もない。恐らくしばらくここに居ても、もう出てくる事はないだろう。
「キリト、わたし、助かったの」
「あぁ助かったとも。助けた……とも」
俺は抱いているフィリアに目を向けて、魂が抜けてしまいそうになった。そこにあったのはほぼほぼ肌色一色、一糸まとわぬ現実のフィリアと同じ身体、裸体。
恐らくあの結晶恐竜の腹の中は、下着を含めた防具を溶かしてしまう効果があったのだろう。その中にしばらく漬けられていたのだから、当然フィリアは何も装備していない状態になる。
「ちょ、ちょっとフィリア……」
「キリト……キリト――ッ!!!」
そして、フィリアは肌色一色の格好のまま、泣き出して俺に飛び付いてきた。あんな目に遭ったのだから、大層怖かったのだろう。
だから、俺に飛び付きたくなるのもわかるけれど、どこを触っても人肌だけが持つ温もりと感触が来る……流石にこれはヤバい。
「ちょ、ちょ、フィリアってば、フィリアってば……!」
「怖かった、怖かったよぉぉ!!」
「確かにあんなところにいれば怖かっただろうけれど……!」
柔らかいフィリアの身体にがっちりと抱き付かれて、まるで身動きが取れない。これじゃあ俺のコートを脱いでフィリアに着せる事も出来ないうえに、フィリア本人は完全に自分が裸である事に気付いていない。
普通の男なら、最高に興奮できるシチュエーションかもしれないけれど、妻と娘がいて妻を抱いた事のある俺からすればそんな事はない。
「えぇい……!」
俺は咄嗟にウインドウを開いて装備を選択し、いつものコートの予備を召喚してフィリアに無理やり被せようとしたが、顔が隠れたところでフィリアが慌て始めた。
「うわわ、また真っ暗、また真っ暗ぁ!!?」
「違う、違うってフィリア、とりあえずこれを着てくれ、君、何も着てないんだッ」
「え」
その時、フィリアは俺から手を離した。その隙を突くように、俺は一気にフィリアの身体にコートを被せて、そのまま頭を通らせた。すっぽりとコートから頭を出して、驚いたような表情を浮かべたフィリアの顔、その青色の瞳と、自分の目が合う。
「わたし……もしかして今まで裸でキリトに……?」
俺はフィリアから視線を逸らした。多分、俺の顔を赤くなっているのだろう。
「えっと……君はさっきまで自覚が無かったのか……?」
フィリアは俺から身体を離すと、徐々にその顔を真っ赤に紅潮させて、やがて手で顔を覆った。
「そうだった……わたし、防具を壊されて、そのまま身体まで溶かされそうになってて……うわぁぁぁぁぁ……」
明らかに悶絶している。まるでシノンが人前で恋人らしい行動をしてしまった後のようだ。自分が裸にされている事を無自覚なまま俺に抱き付いて、泣いてたものだから、悶絶したくもなるのだろう。
「でもよかったよ。飛び込んだ時にフィリアが生きてくれてて……」
直後、フィリアは顔から手を離した。その表情は、何か重大な事に気付いているようなものに代わっており、色も元に戻っていた。
「そうだ……キリト、あの時どうやってわたしを助けたの。何だか、昇ってるような感じだったけれど」
「あの時は、あのモンスターに食われて君の所へ行って、そのままロッククライミングの要領で脱出したんだ。本当は範囲攻撃でもぶちかましてやれば脱出できたんだろうけれど、あの場には君がいたからな。下手に攻撃すれば、君も一緒に斬ってしまうところだったから」
少し遠くにいたリランが歩いてきて、フィリアに顔を近付けた。
《我もあの時はほとんど攻撃が出来なかった。我の攻撃によって、お前を殺してしまう可能性もあったからな。もっとも、攻撃するなと命じたのはキリトだったが》
フィリアは少し戸惑ったような顔をして、俺に問うた。
「キリト……キリトはなんで、わたしを助けようとしてくれたの。あんなモンスターに出くわしたら、逃げるのが普通なのに」
「あの時俺は逃げようなんて考えてなかったよ。仲間を見捨てて逃げるような真似は、したくなかったんだ」
しかし正直なところ、あいつの腹の中に飛び込んだ時には恐怖も感じていた。もし飛び込んだ先でフィリアが死んでいなくなっていたら、生きていたとしてもすぐに力尽きて死んでしまったらと、頭の中で考えてしまった。
「だけど君は生きていた。だから、その時はすごく安心したんだぜ」
フィリアはきょとんとしていた。やはりまだ、俺に裸を見られた事を根に持っているのだろうかと思ったその時、その顔は笑みに変わった。
「わたしも、あそこにいた時はすごく怖かったよ。武器も防具もなくなって、何も出来なくて、もうすぐ死んじゃうんだって思って、本当に怖かった。だから……大きな声じゃ言えないけれど、キリトに助けてって言っちゃった」
「俺に?」
「うん。本当は、そんな事言ってもどうにもならないって思ってた。きっと見捨てられた、助けを求めたって意味がないって思ってたんだ。でも、キリトは本当にわたしのところに飛び込んできたから、すごくびっくりしたし、すごく嬉しかった」
そう言われて、何だか身体の中が暖かくなってきた。まさかフィリアにここまで信じられているとは思ってみなかった。
「俺だって脱出が上手くいくとは思ってなかったんだ。ひょっとしたら2人そろって共倒れになるかもしれなかった。でも、やっぱりフィリアを見捨てたくなかったんだよ」
「そのおかげで、わたしはこうして助かった……ううん、キリトが助けてくれた」
フィリアはにっこりと笑んだ。
「ありがとう、キリト」
「……どう、いたしまして」
俺はフィリアから目を離したままだった。フィリアに何とかコートを被せる事が出来たけれど、コートの下のフィリアは裸身のままだ。
先程フィリアの裸身はばっちり見てしまったため、頭の中に焦げ付いたかのように残っている。
しかもいつも作戦の立案や攻略計画、戦闘のイメージトレーニングなどを行っているためか、フィリアのコート一枚だけの身体をちょっと見るだけで、あの裸身が浮かんでくる有様だ。
しかしフィリアに装備をしてもらえば、多分このイメージは全て崩れ去るだろう。早くフィリアに装備を着てもらわないと、頭の中が色々とヤバい。
「ところでフィリア、換えの装備みたいなのは持ってないのか」
「えっ……」
フィリアは自らの身体を見て、再び顔を紅潮させた。
「うっわ、そうだった。わたし、コート一枚だけだったっけ……!」
フィリアは慌てて俺の方に顔を向ける。
「き、キリト、あっち向いてて!」
「あっはい」
俺は再度フィリアから視線を逸らしたが、直後にウインドウを操作するような音が聞こえてきて、それが終わった時に目を向けてみれば、フィリアは結晶恐竜に呑み込まれる前の姿に戻っていた。どうやら、あの装備は複数持っていたらしい。
「さてと、色々あったけれど……《黒晶鉄》はどうなったやら。あいつの背中にかなりの数が生えていたように思えるけれど」
「あっとそうだった! わたし、あいつの背中に生えてる《黒晶鉄》が欲しくて……《黒晶鉄》はどうなったかな?」
その時に、頭の中に《声》が響いてきた。
《《黒晶鉄》ならばここにあるぞ》
声に従うように顔を向けてみると、そこにあったのはリランの姿。その足元には沢山の《黒晶鉄》が並んでいる。
恐らくあいつを倒した事によりドロップされた物だろう。ようやく目的のアイテムに辿り着けた俺達は《黒晶鉄》へ飛び付くように駆け寄った。
「これが《黒晶鉄》か……確かにここいらで採れる《黒晶鉄片》よりも大きいな」
「これがあれば、リズのところに胸を張って帰れるね」
「あぁ」
そう言って、俺は目の前にある黒色の結晶を手に持ち、アイテム化させた。アイテム名は《黒晶鉄》。《黒晶鉄片》ではなく、《インセインルーラー》の色を変えられるであろう《黒晶鉄》。しかもその数は要級数を超える6つだ。
「よし、これだけあればOKだ。ひとまずこのクエストみたいなものは完了だな」
「うん。でも、すごくとんでもない目に遭っちゃったね」
「あぁ。だけどやっぱり、君が無事でよかったよ。これが手に入る代わりに、君の命が失われたなんて、本当に洒落にならないからな」
フィリアは一瞬きょとんとしたような顔をした後に、微笑んだ。
「……やっぱり、キリトは血盟騎士団のボスに選ばれる人なんだね」
「え、何が」
「だってキリト、最初から最後まで素材の心配よりも、わたしの命の心配をしてるじゃない。それにモンスターのお腹の中にまで飛び込んで来ちゃうし。そういう事が平然とできるからこそ、キリトは血盟騎士団のボスに選ばれたんだね」
確かに俺は普通のプレイヤーから、異常な行動をするプレイヤーであると言われた事がある。それが理由で血盟騎士団のボスに選ばれたのだろうか。
てっきり俺が一番強いと思われているから、ボスに選ばれたんじゃないかって思っていたのだけれど。
「そうなのかな」
「絶対そうだよ。キリトは強くて、とても優しい人だから……」
フィリアの言葉に続くように、リランの笑みの混ざった《声》が聞こえてきた。
《だが、その優しさが時にトラブルを呼ぶ。キリトはトンデモトラブルメーカーだ》
「そ、そりゃないだろリラン。まぁ確かにトラブルは沢山経験したけれど……というかトラブルなんてこの世界じゃ日常茶飯事だろうが」
直後に、フィリアが「あはは」と笑った。
「確かに、キリトって色んな目に遭わされてそう」
「フィリアまでそんな事言って……」
しかしその時、俺は大事な事に気が付いて、辺りを見回した。《黒晶鉄片》が壁や地面、天井を覆っている洞窟の中に、《黒晶鉄》とは違う煌めきを持つ金属を見つけた。フィリアが落とした武器だ。
俺は立ち上がってその武器に近付き、拾い上げた後にフィリアの元へ戻る。
「ほらフィリア。これ、君の武器だろう」
「あ、わたしの武器。やっぱり落としちゃってたんだ」
フィリアは少し驚いたような顔をした後に、俺から武器を受け取った。
「多分あいつの腹の中は、武器で攻撃すれば出て来れるものだったと思うけれど、もしかしてフィリアはその武器以外のものを持っていないのか」
「そうなんだ。これ、すごく高性能だから、武器とか拾っても全部売ってた」
「そりゃ駄目だな。武器が本当に1つしかないと、いざとなった時対応できない恐れだって出てくる。今回みたいなのがまた起きないように、何かしらの予備は持っておいた方がいいぜ」
「……わかった。ねぇキリト」
「なんだ」
フィリアは改まった様子で、俺に言った。
「今回わたし、キリトに助けてもらってばっかりだった。だから今度は、わたしがキリトの力になる。わたし……これからはキリトと一緒に戦う」
「なんだよ藪から棒に。というかそれって、君が攻略組に加わるって事なのか」
「そうだよ。わたし、これでもレベルは92まで上げてるんだ」
フィリアの口から飛び出した数字に思わず驚く。攻略組でもないフィリアだから、てっきりレベルは70代だと思っていた。
だが、そういえばフィリアは
それに、危険なダンジョンに潜って無事に戻ってきているという事は、戦闘慣れしているという事にもなる。
「マジかよ。俺ですら108レベルだっていうのに……かなり近かったんだな」
「これでも色んなダンジョンに潜って、色んな敵と戦って来たもん。そこら辺のモンスター相手なら、負けるつもりないわ」
《だがお前、先程死にかけたではないか》
「あ、あれは不意打ちを喰らっちゃっただけで……!」
「なるほど……だけど確かに、そこまでレベルを上げれているという事は、君の実力は俺の想定を超えているものかもしれないな。いいだろう。試しに次、最前線で一緒に戦おう」
俺の言葉に驚いたのか、リランが俺へと顔を向ける。
《お、おいキリト、大丈夫なのか。フィリアはこれまで最前線で戦った事はないみたいだぞ》
リランの《声》にフィリアは反応を示さなかった。俺にだけチャンネルを合わせて《声》を発しているらしい。
「最前線と言ってもすぐに強すぎる敵が出てくるわけじゃない。いざとなったら俺とお前の力を使えばいいだけだから、ひとまず連れて行ってみようぜ。最初から決め付けて何もしないのが一番いけないし、フィリアはきっと頼りになる」
《……お前、血盟騎士団のボスになってから変わったか》
「かもしれないな」
リランとの小声の会話を終えて、俺はフィリアに向き直った。
「フィリア、それじゃあ明日辺り、最前線で一緒に攻略をしよう。そこで君の腕前を見てみたい」
「わかったわ。きっとキリトもびっくりすると思うわ」
「そうか。なら楽しみにさせてもらおう」
俺は落ちている《黒晶鉄》を全てアイテム化させた後に、残り2つをギフトボックスの中へと転送し、宛先をフィリアに設定して送信した。いきなりプレゼントが送られてきたフィリアは驚いて、手元のウインドウを注視した。
「あれっ、プレゼントが……ってこれは《黒晶鉄》?」
「そうだよ。俺が必要な分は3つ。残り3つはフィリアの分だ」
「え、なんで。だってこれ」
「2人で見つけたじゃないか。あっと、正確にはリランを含めて3人か」
フィリアは俺とウインドウを交互に見つめた後に、俺へ顔を向ける。
「い、いいの? 本当にいいの」
「いいよ。最初に見つけたのはフィリアだしな。それにこれは強化素材でもあるはずだから、ひょっとしたらフィリアの武器も強化できるかもしれないだろ」
フィリアは若干顔を赤くした後に、もう一度にっこりと笑んだ。
「ありがとう、キリト」
「どういたしまして」
そのすぐ後に、その場に腰を下ろしていた狼竜が立ち上がり、俺達に声を送ってきた。
《さぁ、リズベットの元へ戻るぞ。またあのようなモンスターが出てきてもおかしくはないからな》
「そうだな。よし、早く戻ろう」
「うん」
俺はフィリアとリランを連れて、結晶に覆い尽くされた洞窟の中を、出口目指して進み始めた。その足取りは、来た時と比べてかなり軽く感じられた。