01:来訪者
休暇を終えた俺達は攻略に戻る運びとなった。
じっくりと身体と心を休める事が出来たおかげか、いつも以上にやる気と力が漲る最中、俺はシノン、リランと共に次の階層である第83層に向かおうとしたのだが、その途中でアスナからのメッセージを受けて立ち止まる事になった。
一体何事かと思って中身を確認してみれば、血盟騎士団に入って戦いたいと願う人が現れて、ボスである俺を待っているという事だった。
今更になって、血盟騎士団に入団したいと願う人とはどんな人なのだろうか。いやそもそも、俺達血盟騎士団は常に最前線を戦っていて、いつも危険に晒されているようなところだ。いくら最前線で戦えると言っても、普通に考えれば危なっかしいところだとわかるはず。その来訪者は余程の命知らずか、俺並みの
しかし、いくらそんな人であっても俺と会わさずに追い返すのは失礼極まりない。一度会って話をしてから、その人の事について考えよう。そう思い付いた俺は、ひとまずアスナに攻略をそっちに任せると連絡、シノンとリランを連れて、来訪者のいる血盟騎士団本部に戻る事にしたのだった。
冷たい鋼鉄の城塞都市の街中を歩いていると、肩に乗っているリランが《声》をかけてきた。
《来訪者とは、どのような人物であろうか》
「わからないな。どういう人なのかは教えてくれなかったし」
シノンが目を半開きにする。
「でも、こんな時期に血盟騎士団に入りたいなんて思う人いるのかしら。それこそ、今の血盟騎士団は最前線に挑んでいる、危険な任務をこなす人達。臆病な傍から見れば自殺志願者よ」
俺も同じ考えだ。今、血盟騎士団は積極的に最前線に挑んで、手強いモンスターとの戦いに明け暮れている。
血盟騎士団に入ったら強いモンスターと戦わなければならないし、更に言えば、血盟騎士団に入るには手強いモンスター達と互角に戦えるくらいのレベルと戦闘能力、欲を言えばポテンシャルが必要だ。
こんなの、早々入れるようなレベルじゃないし、すぐに犠牲になりそうな強さしか持ってないなら、入ってもらいたくないくらいだ。
「確かに……でも意外と実力が伴ってる人かもしれないから、行くしかない。強そうな人だったら一緒にモンスターと戦ってみてみるし、弱そうな人だったらやんわりとお断りして、変人だったら「いーやっ!!」しよう」
シノンが静かな笑顔になる。今のは面白かったらしい。
「最後のそれ、イリス先生の真似?」
「まぁね。さてと、本部が見えてきた」
普段と変わらないような世間話を続けていたところ、俺達は既に血盟騎士団本部の目の前に辿り着いていた。玄関口の方には、ディアベルが来ていた時と同じように、ゴドフリーが待機しており、辺りを見回していた。
そしてこの前とほとんど同じように俺達を見つけて、大きな声を出す。
「団長――!」
《相変わらず声のデカい髭面だ》
大声を出して、周囲をびっくりさせているゴドフリーへの、リランのぼやきに苦笑いしながら近付き、俺は声をかける。
「ゴドフリー、待たせた。来訪者というか客というか、その人はこの中か」
「はい。あまりに突然現れるものでしたから、私も驚きましたよ。客人なら会議室でお待ちになってますよ。何やら豪勢な装備をしておりましたが」
シノンが腕組みをする。
「へぇー。それはキリトの着てる装備よりいいのなの」
「いいえ、詳しくは伺っていないので何とも。まぁとりあえず、話だけでも伺ってやってください。一応入団志望者ですから」
「俺は面接官かっての。まぁいいや、ところで副団長、アスナはどうした」
「副団長様ならば、団長と交替する形で攻略の方に向かわれましたよ。傍には紫色の髪の毛の女の人もいました」
どうやらアスナは俺の言葉を受け入れてくれて、ユウキと一緒に攻略に向かってくれたようだ。そりゃそうだ、俺が攻略しない分、誰かが代わりにやらなければならないのだから。
俺は本部の中に軽く入り込んで、振り返った。入団希望者がどんな人なのか、そして入団に値する人なのかどうかを判断するのは団長である俺の役目だから、団長夫人であり、幹部クラスの権限を持っているシノンとリランにはあまり関係のない事。ここは一つ、話が終わるまで待っていてもらうべきだろう。
そう思った俺は、肩に乗っているリランをシノンへ手渡す。
「シノン、リラン。その人が会いたがってるのは俺だから、君達はここで待っていてほしい」
「別に構わないけれど、大丈夫なの。一応、得体のしれない人物でしょう」
「まぁそうだけど、いくらなんでも圏内で殺人をする事は出来ないし、いざとなったら返り討ちにする。だから、待っていてくれ」
《一応気を付けて行けよ、キリト》
心配そうな表情を浮かべてリランを抱き締めているシノンと、少し険しい表情を浮かべてシノンに抱き締められているリラン、そしてどこか不安そうな顔をしているゴドフリーに手を振って、俺は血盟騎士団本部の中へ入り込んだ。
鋼鉄と石で構成された城の廊下を歩き、2階へあがって会議室の前へ行くと、中から1人の気配が感じられた。どうやらこれが、入団希望の客人のそれらしい。
会議室の大きな戸を開けて入ると、がらんどうになっている部屋の中に、1人の人影が確認できた。俺よりも背が――クラインくらいに――高くて、白い戦闘服と鎧が混ざり合ったような装備を身に纏い、金色の髪飾りを付けている、少し短めの金髪の男性だった。
「遅れてすみませんでした」
その一声に男性は反応を示し、俺の方に振り向いた。そして、少し驚いたような顔をした。
「あれ、貴方が血盟騎士団の団長殿ですか」
「はい、そうですが……話に伺っていた入団希望の方、でしょうか」
男性は頷き、静かに微笑んだ。
「アルベリヒと申します。本日、血盟騎士団に入団したく、お伺いしました」
丁寧な言葉遣いで男性は自己紹介をし、御辞儀をした。そのあまりに丁寧さに俺は驚き、思わず即席で御辞儀を返した。
「け、血盟騎士団団長キリトと言います。こ、こちらこそ。よ、よろしくお願いします……」
なんという噛みっぷり、なんというぎこちなさだろう。まさかこんなふうに丁寧に接してくるとは想定していなかったものだから、言葉を上手く紡ぎ出す事が出来なかった。何だか、恥ずかしい。
御辞儀を終えて顔を上げると、男性はきょとんとしたような表情を顔に浮かべていた。
「キリト? もしかして、《黒の竜剣士》のキリトさんですか」
「え、あ、はい」
「これは驚きました。まさか血盟騎士団の団長殿が、あのキリトさんだったなんて……」
この男、俺の名前は知っていたようだが、俺が血盟騎士団の団長をやっている事は知らなかったらしい。少し特徴的な情報の取り方でもしていたのだろうか。まぁどうでもいい事だけれど。
「さ、さぁおかけください。えぇっと」
「アルベリヒです」
「あ、アルベリヒさん、どうぞおかけください」
「はい。失礼いたします」
そう言って、アルベリヒは椅子に座り、俺もまた同じように、対岸の席に座る。まるでどこかの面接会場のようになった会議室、俺はどこか緊張しながら、アルベリヒの顔を眺めた。まるでこっちの様子を察しているかのように、穏やかな表情が顔に浮かんでいる。
「えぇっと、何からお話したらいいのか……」
「あぁ、そんなに堅苦しくならなくていいはずですよ。権限は貴方の方が上ですから」
「え、いいんですか」
「構いませんよ」
俺はひとまずアルベリヒの言葉に従い、喋り方を粗方崩す事にした。これならば、問題なく喋る事が出来そうだ。
「それでアルベリヒさん。血盟騎士団に入団したいという事で伺ってますが、本気ですか」
「本気でないなら、このような場所に来る事はないでしょう。
今この世界は非常に不安定な状態になっているのは、貴方もご存じのはずです」
「確かにこの世界は今、何が起きてもおかしくない状況ですね。現に今だって、階層を登ってもボスが現れないなんて事が起きてるくらいですから」
アルベリヒは少し険しい表情を顔に浮かべた。
「今のアインクラッドはいつ何が起きてもおかしくない状況……いつ起こるかわからない重大な異変から身を守る方法は、もはや我々が力を合わせて、一刻も早くこのゲームをクリアするしかありません」
そこで、俺はアルベリヒがどういった経緯で、どう言った思いを抱いてここにやって来たのかを察する事が出来たような気を感じた。
「つまり、攻略を素早く進めるために、俺達の力になりたい……そういう事ですね」
「簡潔に言えば、そういう事です。どうか、僕を入団させてくださいませんか。貴方方の力となって攻略に加わり、一刻も早くこの城を、このゲームをクリアしたいのです」
そう思ってこのギルドに入団してきている人が多い事を、最近になって俺は知ったのだが、そういう人に限ってボスなどにやられて死んで行っている傾向にあるらしい。現にこのアルベリヒもその1人なのだろうし、このゲームを一刻も早くクリアして現実に帰りたい、周りの人々を解放したいという気持ちもすごくよくわかる。
「その気持ちはよくわかります。団長である俺も、貴方とほとんど同じような事を考えて、攻略に挑んでいますから。しかし、俺達が立ち向かっていくのは常に最前線、手強いモンスター達の巣窟です。血盟騎士団に入るには、まずそう言ったモンスター達と戦えるくらいの実力とレベルが無いと、難しいですね」
「レベルと実力ならば十二分に足りると、自負しております。なんなら、お見せしましょうか」
「お願いします」
そう頼み込むと、アルベリヒはウインドウを操作して、何かの画面を開いたところで外部可視状態にし、動作を停止した。席を立ってアルベリヒの隣へ並び、覗き込んでみたところ、それはアルベリヒのステータス画面であり、様々な情報が俺達と同じ形で表示されていた。
それによると、アルベリヒのレベルは俺とリランと同じ110。主に使っている武器は細剣であり、スキルレベルも、片手剣ならば両手剣が使用可能になるくらいの高い値になっていた。この辺りの事に、俺はあまり驚かなかったのだが、防御力を確認したところで驚く事になってしまった。アルベリヒの着ているこの装備は余程いいものなのか、防御力が俺よりも100以上高い数値を叩き出しているのだ。この、血盟騎士団の中で最もいい装備を着ている俺よりも、だ。
「レベルは110、俺と同じですね。防御力がきわめて高いですが、それって何の装備です?」
「これは82層の武具店にて購入したものです。あまりに高い値段でしたけれど、今まで貯蓄をしていたので、買えました」
こんなに強い防具が店屋に売っているとは、迂闊だった。しかし、その値段が家よりも高そうなのは想像するに容易かった。
「そうですか。まだ買えますかね」
「いいえ、僕が買ったところで完全売り切れになりまして……どうやら先着1名のみの限定品みたいなものだったらしいのです」
確かにこのゲームの武具店は、時々ものすごい性能を持った防具などを、恐ろしい額で、先着1名という条件付きで売っている事がある。それを購入できれば、攻略が安定するし、高い防御力のおかげで余程の事がない限りは死ななくなるけれど、やはり豪邸よりも高い金を出せる人なんて、同じく余程の事が無い限りはいないので、結局誰にも買われずに残っている。アルベリヒの着ているこれは、それなのだ。
「よくもまぁ、それだけのお金がありましたね」
「えぇ。実に様々な方法を使ってお金を稼いでいましたから。
銀行や国家が潰れたり、ハイパーインフレみたいな事が起きない限りは、身を守る事が出来る最大の武器はお金です」
「違いない。そしてこの防御力ならば、そこら辺の敵には負けそうにないですね。あとは武器ですけれど……」
そのまま武器の方へ視線を移す。そこに書かれているのは《インフェルノスピア》という一見すれば槍なのではないかと勘違い名前の細剣。性能は……意外にもリズ特製の《ダークリパルサー》に匹敵するくらいのものだった。
「武器も強いですね。どこで手に入れたんです」
「これはダンジョンに潜った時に手に入れましたね。強敵のいるダンジョンでしたが、何とか切り抜けて手に入れました」
そんなダンジョンを切り抜けて、この剣を手に入れたという事は、この人は思いの外の実力者という事だ。いや、これだけの装備を纏って、これだけのレベルを持っているのだから、実力者に間違いないだろう。――この時点では、血盟騎士団に入れても問題ない。
「これだけの強さがあるならば、十分に入団に値していますが……」
待ってましたと言わんばかりに、アルベリヒの顔が明るくなる。
「という事は、入団させてくれるのですか!?」
しかし、防御力や攻撃力が高くても、実力や立ち回りが伴っていなければ、手強いモンスターに勝つ事は出来ないし、最前線に行くのはとても危険だ。この時点では、アルベリヒを入れるかどうかは判断しかねる。
「いいえ、実力を見せてもらいたいですね。さっきも言った通り、俺達はほぼ常に最前線で戦う集団……装備の強さだけではなく、実力も見せてもらわないと、判断できないと言いますか」
「なるほど、実力を見せればいいんですね。どういった方法があります? やはりモンスターとの戦いですか」
「それが一番わかりやすいですね。俺と一緒に83層に行って、フィールドモンスターと戦ってみてください。今のところ83層のモンスター達が一番強い奴らですからね」
そう言うと、アルベリヒはやる気に満ちた表情で立ち上がった。
「ならば早速83層に向かいましょう。そこで僕の実力というものを披露しますが、その時にキリトさんの判断基準を満たしていれば、僕は入団していいんですね」
「はい。やる気みたいですから、早速行くとしましょうか」
「よろしくお願いします」というアルベリヒの返事を聞いてから、俺は会議室を出て、アルベリヒの事を不思議そうな目で見つめる団員達とすれ違いながら廊下を歩き、玄関口に辿り着いた。そこには先程と同じようにシノンとリラン、ゴドフリーがおり、3人は俺の後ろを歩いているアルベリヒを、どこか不思議そうな目で見始めた。
「団長、お帰りなさい」
「今戻ったよ」
いつもとは違う呼び方をするシノンに答える。実は最近、新たに入団者がいた場合は、シノンと俺が夫婦である事を悟られるような事を避けるべきであると2人で相談し合い、新たな入団者の前では「団長と部下の関係」しかしない事を決めたのだ。だからこそ、アルベリヒの前ではシノンは俺の事を団長としか呼ばない。
「えぇっとキリトさん、こちらの方々は?」
アルベリヒの問いかけに答える。
「この女性はシノン、こっちの男性はゴドフリーで、いずれも俺の部下、血盟騎士団の幹部です。
そしてシノンの抱えているこの竜は、俺を《黒の竜剣士》足らしめるドラゴンのリランです。んで、この人入団希望者のアルベリヒさんだ」
ゴドフリーが「ほほぅ」と言って、軽く頭を下げる。
「この人が先程の……私がゴドフリーというものです」
「シノンです。以後、お見知りおきを」
リランは《声》を送らない。アルベリヒを混乱させると悪いから、喋らないでおいているのだろう。直後に、アルベリヒがシノンを見て驚いたような顔をする。
「こんなにお若い方が、血盟騎士団の幹部をやっておられるとは」
「強さと年齢はあまり関係がありませんよ。現に俺だって低年層ですし」
「そうなんですか……」
アルベリヒとの会話を終えた後、シノンが俺に声をかける。
「それでキリ……団長。その人はどうするのです。入団されたのですか」
「あぁいや、これから83層へ行って、実技試験をするんだよ。この人の実力が血盟騎士団に入ってやっていけるものかどうかを確認しなければならない」
「いきなり最前線ですか。少しきついのでは?」
ゴドフリーの言葉に、俺は顔を向ける。
「いいや。この人のレベルは俺と同じ110。レベルなら不足はないし、装備品だって十分にいいものを使っている。ちょっとやそっとでやられる事なんてないはずだ。それに、いざとなった時は俺が手助けするから」
「団長の手助けは必要ないと自負しているのですが……従っておきます」
シノンが少し心配そうな表情を浮かべる。
「大丈夫ですか。団長と同じレベルってところには驚きましたけれど……」
アルベリヒが少し余裕層に笑う。
「大丈夫ですよ。これでも困難なダンジョンを潜って生き延びて来ましたから」
ゴドフリーが顎に手を添えて、髭を軽く触る。
「ほほぅ。それならば信頼できるかもしれませんな。現に貴方の装備している鎧も、我々があまり挑戦しようと考えない、高難度ダンジョンの奥底で手に入りそうなものですし」
「まぁそういう事だ。それじゃあちょっと、83層まで行って来るよ」
「いってらっしゃい。何かあった時は、連絡してくださいね」
奥の方はアスナ達が攻略してるから、街から比較的近い狩場で戦う事にしよう。街から近い場所ならば、すぐそこが圏内だから、いざとなった時もすぐに対処する事が出来る。特に問題が起こるような事はそうそうないだろう――そう思った俺はアルベリヒを連れて街を歩き、転移門をくぐって83層へと飛んだ。
□□□
玄関口でキリトとアルベリヒという男を見送ったすぐ後で、シノンは大きな溜息を吐いた。普段はキリトの事をそのまま呼んでいるし、夫婦っぽく接しているから、いざこうやってキリトを団長と呼び、夫婦ではないようにするのは慣れていないし、急にやろうとしても上手く出来ない。現に、一度キリトと呼びそうになった。
「中々の隠しっぷりですな、団長夫人」
ゴドフリーが苦笑いしながら声をかけてくると、シノンは軽く下を向いて答えた。
「えぇ。慣れない事はするものじゃないわ。でも、私達がそういう関係だっていうのは、なるべく知られたくないのよ」
「別に団長と夫婦関係であるというのは、知られてもよさそうな気がしますが」
リランがゴドフリーの方へ顔を向ける。
《キリトは今やアインクラッドで最も有名なプレイヤーだ。シノンがその妻であるなんて聞いたなら、入団希望者を変に驚かせてしまうだけだろう。察しろゴドフリー》
ゴドフリーは少し驚いたような顔をした後に、頭に手を当てた。
「……この頭に《声》が来る感覚は、慣れないものですな。そしてその内容も、なかなかに厳しいものですね、リランさん」
そんなリランとゴドフリーとの他愛もない会話を聞いていたその頃、シノンの胸の中には、妙なざわめきが起こっていた。まるでこれから、得体のしれない災いが振りかかってくる前兆を感じているかのような――そしてそれはすぐさま、今アルベリヒと83層に向かって行ったキリトへの強い心配へと変化を遂げた。
「キリト……大丈夫かしら……」
シノンの呟きを感じ取ったゴドフリーがきょとんとする。
「夫人、どうなされました」
「あ、いいえ……ちょっと胸騒ぎがするのよ。なんか、すごく恐ろしい事が起こりそうな気がするっていうか……」
ゴドフリーが「むぅ」と言って、顎に手を添えながら転移門へ顔を向ける。
「確かに75層を超えた辺りから、我々には常に異変が付き纏っておりますな。消えた元団長であるヒースクリフ、進んでも、進んでも、一向に現れないフロアボス、一切敵モンスターのいない80層……これだけの事が起きていると、私も胸騒ぎを感じざるを得ませんな」
「おまけにこの時期に新規入団者と来たわ。何だかすごく胸騒ぎがする」
ゴドフリーが困ったような表情を浮かべたその直後に、ゴドフリーは何かに気付いたような顔をして、ウインドウを操作し始めた。まるでメッセージが届いた時を彷彿とさせるその目の動きを確認して、シノンは首を少し傾げる。
「メッセージが届いたの」
「えぇ、団員の一人から……ええっ!?」
いきなり大声で驚いたゴドフリーにシノンとリランはびくりとして、リランが不機嫌そうな《声》を出す。
《いきなりそんなに大きな声を出すな、髭面!》
「こ、これはっ……」
シノンは少し眉を寄せた。メッセージを見ているであろうゴドフリーの表情が、これ以上ないくらいに蒼褪めているのだ。それこそ、これとても恐ろしい文面を目の当たりにしたかのようだ。
「どうしたのよゴドフリー」
「た、たった今最前線から連絡がありました。攻略に向かった者達は既に迷宮区を突破し、ボス部屋に辿り着いたようです。しかし……」
普通、迷宮区にはフィールドのそれよりも強いモンスター達が徘徊しており、それらとの交戦から逃れる事は基本的には不可能だ。強いモンスター達との戦闘、地形突破などをいっぺんに行うような事になるため、迷宮区は攻略するだけでも一日以上を要する。
なのに、攻略が始まったのは午前9時で、現在時刻は午前12時30分。たったの3時間で迷宮区までの攻略が完了してしまうなんて事は、どんなにハイペースで進めたとしても、ありえないはずなのだ。
「随分と早く……というか恐ろしく早いわね。一体どうしたっていうのよそれで」
「……見つけたそうです」
「何を」
ゴドフリーはゆっくりと顔を動かした。その顔は見る見るうちに蒼褪めていく。
「ボス部屋にボスがいないという状況を、ずっと作り続けてきた原因を」
「……えっ」
その言葉に、頭の中が凍り付いたようになった。ゴドフリーは蒼褪めた顔のまま、メッセージの方へ目を動かす。
「現在、それは83層ボスを捕食……その後ボス部屋を脱して、偵察に向かっていた者達目掛けて、迷宮区を破壊しながら追ってきているそうです……勿論偵察に向かっていた者達は逃亡を続けておりますが……道中でアスナ様達と合流……それでもなお、追跡をやめていないそうです……」
聞こえてくる言葉は、どれこれも今までありえないような事柄で、信じられないような事ばかりなのに、まるでパニック映画を見た後のように、今83層で起きている事が想像できる。異形の存在が突然ボス部屋に現れてボスを喰らい、逃げ出した人間達すらも捕食しようと大きな音と衝撃を撒き散らして地形を破壊しながら走って行くのが、何故か想像出来てしまった。同時に、それに追われていると思われるアスナと偵察隊のパニックもまた、安易に想像できる。これまで発作を防ぐために、パニック映画等は観ないで来たというのに、だ。
そして今、ゴドフリーの上司であり、自分の愛する人が問題の83層に向かってしまった――つーと血のように、頭から顔へ冷や汗が流れ、地面へ落ちた次の瞬間に、シノンは蒼褪めた顔で叫んだ。
「キリトッ!!!」
ついに現れた、ボスのいない原因を作っていた存在。
そして現れたアルベリヒという男。
次回を乞うご期待。