見慣れた戸に手をかける。
ガタタタっと引き戸にあるまじき音をたてながら先には何も変わらない家があった。
傷んだ畳、敷かれたままの布団、少し埃のかぶってそうな竈。
数日前まで俺はここで暮らしていた。暮らすといっても同じ村の人たちみたいな生活じゃない。毎朝日が昇るよりも早くに起き、日中は汗まみれになりながら畑を耕し田を植え、夜になれば、沈む日と共に自身の身体を布団に埋める。そんな暮らし方は随分と前に辞めてしまった。
ただ起きて、扉の向こうから差し出される食べ物をただ口にして、日がな壁や天井の木目を数えて瞼を落とす。周りの村人達からは穀潰しと疎われ、蔑まれ、体の良い発奮対象として扱われる。
人というよりも獣。それも軒先から吊るされた、ただ干上がるのを待つばかりの魚のようだった。
全く生きていない。しかし、生きるということがよくわからなくなった自分にはある意味身の丈にあった生活ではあった。
それを認めたくはないけれど、納得はしていた。
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妹紅は目を丸くしてから大げさにため息をついて斜め上を見上げて首筋を掻く。
唐突な話だ。さっきの話から急に提案を飲むと言われても正直面食らうばかりだった。
「一週間………、ようは七日間って話じゃなかったっけ?あんたが私を信じるか信じないか見極めるのに必要な時間って」
「別に遅くなる分には困るかもしれないが、早くなるなら別に構わないだろ」
「それはそうだけどさ…、急に言われると普通に考えれば疑わしいよねえ…?あれだけきっぱりと言ってたし」
眉をひそめながら目を細めて飛倉を睨む。
飛倉に私が初めに提案したとき、飛倉は私を信用できないという理由でその話を一度は蹴った。そして、飛倉は私がそのような提案を本心から行うような信用に足る人物であるか見極めるために今のような奇妙な共同生活が始まったわけである。
そうして今日で飛倉と過ごした日数は四日。明日がちょうど五日目の朝ということになる。
まあ百歩譲って私の提案を受け入れる期間が早まったということは一旦脇に置いておくとしても、今までの五日間で七日分の時間を埋めるほど共にいた記憶はない。むしろ初日以外はお互い食材採取のためにそれぞれ別行動の方が多く、顔を合わせた時など今のような日が沈んだあとだけだ。そんな状況で相手を信用できるできないの判別するなど七日間ですら怪しいと言っていたのだ。土台無理な話だと思う。
まさかさっきの私の話だけが信じた理由になるというのだろうか。あんな他人が聞いたらよくわからない話だけで。それはそれで少し怖い話ではある。
なんにしても、一度七日間の共同生活を信じる条件として聞いたので急にそんなことを言われても釈然としない。さらに言えば、私は今の飛倉をあまり信用していなかった。
まあ、構わない。受け入れてくれるというのなら話は早い。飛倉を救おうと動くことを一応は認められたのだ。素直に喜んでいいんだろう。
「それなら明日、やってほしいことがあるんだ」
「なんだ?」
「飛倉はさ、あそこの村長さんと取り次ぐことはできるんでしょ?」
「…ああ。こちらから話そうと思えば話せるとは思う」
「ならさ、ちょっといくつか聞いて来て欲しいことがあるんだ」
「なんでわざわざ村長から聞く必要があるんだ?儀式のことなら別に俺からでもいいと思うんだが」
「そう?なら今からいくつか村長さんに訊いて欲しいことを言うから、もしも答えられそうなら答えて」
今はもう日が落ちている上に今日は雨と分厚い雲がある。室内はひどく暗くあまり遠くの方は見えなかった。まだ室内に残っていた木材を綺麗になった囲炉裏に適当に散らし、いつものように火をつける。
どうやら飛倉は足場を崩して、屋根の修理に使ったものを一旦隅に寄せているようだった。
「一つ目に村の中で流れている呪いに罹りにくくなる方法の出自とその噂が流れ始めた時期について。二つ目に村長が村長として選ばれるまでの経緯。三つ目に呪いにかかって死んだ人のご遺体は蟲に食われてから一体とどうなったのか」
「確かに俺が答えられそうなものはないな」
「でしょ?中にはその村長さんが答えられるのかも怪しいようなものだってあるしね」
「二つ目なんかは言われてみると俺もよく知らないし。最後のやつなんかはそうだろうな、村長も結構歳だから忘れてるかもしれない」
「なに、村長さんってそんなにおじいちゃんなの?」
「ああ、農作業もできないぐらいだからな。見た目もそれなりに年寄りだ」
まただ。またあの茶屋の店員さんが話した村の中でに通説とずれてくる。
やっぱりその噂とやら自体が怪しい…。それと理由はわからないけど、あの店員さん自体に騙されたってことも全く無いわけとも言い切れなくなってきた。
囲炉裏に火がついたおかげでこちら位置に気づいた飛倉は私の様子を見て怪訝な顔をして私に訊ねた。
「なんだ、まだなにか気になるのか?」
「あ、いや、気になるというか、えーっと…。やっぱりなんで急に聞く気分になったのかな、と」
「いい加減しつこいな。そんなに俺の言葉が信用できないなら今からでもこの家を出ていけばいい。そしたら俺はただ儀式を受けるだけだから」
「…それでいいの?」
「いいもなにも元から俺はそういうつもりだったんだ。今更何も変わらないさ」
「嘘も休み休みにいいなよ。私を信じて、提案を受け入れようって気になったのは過程がどうであれほんのちょっとでも生きたいって思ったからだろ?違うの?」
「まあな、確かにできたさ。今ここでは死ねない、死にたくない。でも今はってだけで絶対じゃないんだ。どのみち近いうちには死ぬと思ってるから」
「その今と未来までの間が大切なんじゃないの?」
「…そうでもないさ」
嘘だ。
飛倉の反応からそれは容易に分かった。そしてそれを彼にそういうことは簡単だろう。でも、それは今の私がしていいことじゃない。
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少し湿っぽい部屋の中を忙しなく歩き回り、流しを開けてみたり、引き出しの中をひっくり返す。
確かにどこかに仕舞ったはずなのだ。妹が出て行く時に荷物やらなんやらを色々と用意したが、その時にわざわざ持って行く必要はないと思ったものをいくつかまとめておいた。
その中にあった、と思う。今の俺にはそれが何よりも欲しかった。
「あった……ッ!」
ようやく見つけたまとめられた荷物の中にその目的のものはあった。
なんてことはないただの白い布だ。
これは妹がいらないと言って置いていってしまった。ここを出るまで毎日この布で髪を結び、ずっと大切に扱っていたはずなのに、出て行く当日になっていらないといってこの部屋に置いてしまった代物。
当時の俺にはどうしてそんなことをするのかよくわからなかった。でも今の俺にとってはまだこれがこの家にあることが何よりもありがたかった。
それを取り出し、そのまま持っていくと落としてしまいそうだし、せっかくの綺麗な白におかしな折り目がつきそうで怖かったから、右手首に何回か巻いた後、口で咥えながら震える手つきでその布をどうにか結んだ。
こんなことしたところでなんの意味もないことは分かっている。しかし今も震え続けるこの身体を抑えるにはこれぐらいしか方法が思いつかなかった。
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あまり目立たぬように以前のように適当な布を頭に巻いて、色素の抜けた髪を隠した状態で村の近くの田んぼを歩いていく。今は昼間なのでやっぱり頭が蒸れてかなり熱くて苦しかった。
飛倉があの小屋を出てからしばらくしてから小屋を離れた妹紅は村を大きく迂回するようにして、このあたりの田へ足を運んでいた。予定では今日中に村の周辺の田を回っていくつもりだ。
だから、本音を言えばこんなあぜ道は走ってさっさと次のところへと移動したいが、それでは村人たちの目を引いてしまうので歩くことにしていた。人目を引くこと自体が何か悪いことではないが、私には都合が悪かった。なぜなら何をしているかとここらで作業をしている男達に訊かれたら私は何も答えられないのだ。
素直にそう答えたところでおそらく首を傾げられるだろうし、最悪私が憂き目に遭うことになるかも知れない。それほど今の私のこの行動は村人たちから奇異なものでしかなかった。
目立ったりして変に話しかけるきっかけを作らないのも見知らぬ私に、ましてやあのような状況の村人たちが話しかけてくるとは思えないが対策としてだ。
そうまでして、この確認作業をするにはもちろん理由がある。それはあの茶屋店員の言う村人の間で広がる通説とやらの真偽を確かめるのと、もしも本当だとしたら、その通説の例外がいないか探すためだ。
今まで考えたこともなかったが昨日の飛倉から新しく得た情報で、茶屋の店員に担がれた可能性がちらついていた。もしもあの話が全て店員の作り話とかだったりするとここを離れるか強硬手段に出るしかなくなる。が、今のところそれは杞憂に終わりそうだった。
害虫が湧かぬように丁寧に田の雑草を処理し、手入れをしている男たちはどの人も今まで私が見てきた大人たちに比べ筋肉質なのは遠目からでも分かるほどだったからだ。都にいた商人や貴族に比べればもっと分かりやすいだろう。
あのような体はただ身体を鍛えるだけではおそらくできない。それ相応の量の飯を平らげなければならないだろうし、そのような身体を維持するのも老人には難しいだろう。
(やっぱり、店主の言ってたことは本当みたいだね…)
そして、今のところ例外らしい例外もいない。まだ村の中で女たちを見て来たわけではないから、そちらの方の例外はまだ見ていないがこの調子だとおそらくいないだろう。
(直接飛倉に訊くことができれば話は簡単なんだけど…)
しかし、今それをするのは危ない。信じたくはないし、考えたくもないが、万が一というのはやはり存在する。飛倉に私が村の決まりごとを知っているということを知られるのは危険なのだ。
(私だって背中から斬られるのは御免だ…)
なんにしても、今日の頼みごとの結果次第というところだろう。帰ってくる時の話と村長の反応を聞いてからだ。