「飛倉っ!!!」
破裂音と共に駆け込んだ部屋の中はひどく暗い。今朝方からそうだったが、今日は一段と空が低いせいだろう。今にも降り出しそうな天候だった。
それでも部屋の中に誰もいないのはすぐにわかる。
出かける前、もとい昨夜に余計なことを明日しないで欲しいと言ったのでもしかしたら…、とも思ったがそれは流石に甘い見立てだったらしい。
「くっそ! あいつの言ってたことはホントってことか!?」
話によれば、飛倉は村にいる中年の男のところに向かっているとのことだった。それがいつの話で、いま移動中なのか、それとももう着いてしまっているのかはわからないが、どのみちその中年の元に私も行くしかない。
「ふざけるな………っ、もうあんな思いは御免なんだよっ!」
じりじりと焦げ付くような不安が体を包む。ひきつるような全身を無理やり動かすような感覚の中、昔のことを思い出した。
違う、違う、あの時とはもう違う。大人しかった私じゃないし、いい子だった私でもない。ただ訳も分からず屋敷を飛び出した幼い私じゃない。
(間に合って………っ)
私は一人、祈るような気持ちで村へと駆け下りていった。
⇔
息も絶えだえの中這うようにして飛倉は山を登っていた。目的地はもちろん、あの儀式場。
妹紅と初めて会った、あの儀式場だ。
「ずいぶんと、俺の体も…、ヤワになっ、た、もんだな…」
やはり妹がいなくなってからの間、農作業一つもせず代償は大きかったらしい。昔ならなんてこともなかったこの山道も通るだけでこの息の上がりようだ。
上へ上へとかき分けながら登っていく。がさりと開けた先に、あの場所が見えた。そして花に囲まれた広場の中央には腰の曲がったあの老体がいた。
「………着いたか」
「ん? お前か。こんなところでどうした?」
中央の広場に近づいた。そしてすぐに足を止めてしまいそうになってしまった。
ゆっくりと振り向く村長。しかし雰囲気はいつもとは違う。言葉にしづらいが、気弱なまま対面すればその空気に飲まれそうになってしまう、そんな雰囲気がしたのだ。
出発する前に結んだあの布を解いて、左手で強く握り締める。
勇気はいらない、希望も欲しくない。曖昧な支えももういらない。妹紅はそれを捨てて、苦しいながらももがいていた。偉そうなことを言っていた俺は捨てれなかった曖昧さを捨てて、進んだその先で迷っていた。信じようと思ったのも、それがなんとなくわかったからだ。
そして、そんな妹紅に憧れた自分がいたんだ。
だから、確かな真実を目指してここまで来た。おやっさんの言葉に止まることなく、村長を追っかけた。
ここで引き返すつもりなど、とうになくなっていた。
「―――訊きたいことがあるんだ」
「悪いが、急ぎじゃないなら後にせい。こっちはいろいろと忙しい」
「何言ってるんだ。急ぎじゃなかったらそもそもこんなところに来るわけないだろ」
「ふうむ、耳が悪くなったかの? 飛倉。儂が後にしろ、と言ってる意味がわからんのか?」
もちろん、意味はわかってるしそれに従うならどうすべきかもわかっている。それでも必死に逆らう。
どうしてこんな老体にこれほどの威圧感があるのだえろう。どうして俺はこれほどまでに恐れてしまうのだろう。
簡単だ。こいつが鬼だからだ。
赤くなった巨人のような姿、弾けてしまいそうなほど膨れ上がった筋肉質な全身。口元から収まりきらずに飛び出した八重歯。
そして、頭部に生えている特徴的なそれは紛れも無く角。
村長はその姿を惜しげもなく晒したままだった。
「村長、あんたが殺したのか?」
「誰を?」
「俺の…、治療に行った俺の妹だ」
「阿呆なことを抜かすな、飛倉。お前は今まで殺した虫の数を完璧に覚えているのか?」
「………っ」
それは紛れもない本心だった。何を言ってる、と言わんばかりの口調と、そのめんどくさそうな様子は間違いなく本音だろう。そしてそれが問意の答えということは、その数えられていない人たちの一人に妹が入っているということだ。
脳裏に初めて見た儀式の景色がフラッシュバックする。裂けた腸をすすり、垂れ下がった左腕を噛みちぎる鬼の姿。よく見えなかった食われていた人物が妹のそれへと変わっていった。
「まったく…、どうやら知ってしまったようじゃの。あいつも口が軽い。義理堅いのは美徳じゃが、頭が固いのは如何せんよろしくないのう………」
吐き気がする。立っていることすら辛い。逃げ出してしまいたい。なにもかも捨てて、膝を抱えられたらどんなに楽なことだろう。
そんな思いを押し殺した反動だろうか。つい言葉が漏れる。そしてそれを村長は目ざとく拾ってきた。
「なら俺は………、なら俺は一体何のためにあんたのために!?」
「そうじゃのう……せっかくだし少ししゃべってやろうか」
「なに………?」
「まず、お前の知ってのとおりこの村に呪いなんてものは存在せん。あるのは鬼の遊戯と食卓だけじゃ。そしてあの小娘はなんの因果かそれに気づいてしまった…。
して、その兄、お前にまで知られてしまった。しかしそれは儂らには分かっていたことじゃ。そこで思いつたのがちょっとしたお遊びじゃよ」
「お遊び…?」
そう言いながら笑う鬼の顔は、人の頃の姿の面影を残した、とても醜悪な表情だった。それは人である俺から見たからなのだろうか、それとも、追い詰められた俺が見たから、なのだろうか。
「ただ飼うだけでは活気がなくて張り合いがない。なら餌をぶら下げて走り回らせたほうがよっぽど見ものというものじゃろう?それが絶対手に入らないものと知った上で必死になる姿は滑稽極まる。ましてやその行っていることが犬畜生にも劣る下衆なこととなればなおさら、のう?」
「………」
「初めからお前に希望なんぞありゃせんよ。お前の人生は妹がなくなっていた時点で終わっていた。それだけじゃ」
その言葉は深く刺さった。聞き流すこともなく、深々と耳に残る。いや違う。元々あったものだ。ずーっと見ようとしなかったこと。それがいま顕になって、動揺しているだけなんだ。
俺が目を背けたのは妹の死だけじゃない。自分がもう人として生きることができないっていう現実もだった。
そんな俺の様子に満足したのだろうか。舌なめずりをしながら鬼は俺に我慢できないといった様子で話しかけてきた。
「さて、お前はわしの好みにゃあらせんが……、あいつの口に放り込めばよかろう。いくらなんでも一度口にしたものを吐き出しはせんじゃろうし」
「くそ………」
「その前に軽く下ごしらえ。踊り食いよりもひき肉の方がまだ食いやすかろう。のう?飛倉」
⇔
「ここかっ!?」
汗で張り付く髪の毛が鬱陶しい。全速力でここまで走るのは流石にきつく、体も重かった。
村に到着してからこれで3つ目。開け放った扉の先にはようやく目的の人物がいた。何をするわけでもない、ただ座っているだけのその様子は先程まで誰かを待っているかのようだった。
「なんだ……、騒々しい」
「見つけたぞ………、あんただよね?」
「なにがだ? というか、お前は……あの時のか。なんでこんなところに………」
「シラを切る気か?鬼」
切れ長な瞳が更に細まる。渋いその顔立ちと鬼という本質と相まってその迫力は並ではない。
物怖じする気はまったくなかった。
「………何が望みだ」
「あんたの死と飛倉の行方」
「なるほど……、ならこの病人の置き土産がてら言わせてもらおう」
「………」
「飛倉ならまだ生きてる………はずだ。まあ死んでるかもしれんがな」
「どういうこと……?」
「あいつは私に訊きたいことだけ訊いて飛び出していったよ。村長の下―――、鬼のもとにな」
「ッ!?」
まずい、鬼はコイツだけではなかったのか。いや、そもそも本当のことを言っているのか?信じられるほどの人物かもわからない。だが、ここに飛倉がいないのは事実。
ただでさえまともじゃない脳内が余計にぐちゃぐちゃになる。焦りで整理のつかなかった思考が更に収拾のつかない状況になっていた。
「さて…、君はどうする? 訊きたいことは終わったか? 訊くべきことはもうないか? 私の生死ことなら気にしないでいい」
「それは命乞い?」
「違う。事実だ。君が私に手をかけなくても近いうちに私は死ぬだろう、ということだ」
「………」
目の前の鬼はただ淡々と話し続ける。私がここに駆け込んできた最初を除いて、ずっと変わらない能面だ。
どうすればいい?どうすれば間違えない。
「それすらも疑っている暇が君にあるのか? そんな悠長なことをして機を逸すれば後悔するのは君だ。選ぶ覚悟がないならすぐにこの村から去れ」
「…うっさいなっ! くそ!」
疑念を今は振り払い、その家を飛び出した。向かったのはあの花畑。
考えるよりもまず動け、止まるよりもまず動け。動き続けないとまた手が届かないかもしれないのだから。
⇔
「………」
「どうした? 生きてるか? 死んでるか。それともそんなことはどうでもよくなったのか?」
腹部が焼け付くように熱い。背中が今にも折れてしまいそうなほど軋んだのがわかる。頬に伝わる地面の冷たさが意識を保たせていた。
俺は生きていたのか?生かされていたのか?それとも死んでいたのか?死んだことにされていたのか?
それは誰に?妹に?この鬼に?
「まあ儀式にはちと早いがの………、月は見えぬが午に至りて日は改まった頃じゃろう。蹴鞠も飽きたところじゃし………閉幕と参ろう」
違う。俺にだ。生きていたか、死んでいたか、それを決めるのは自分だ。必死に農作業していた間も、妹のためにこいつらに従っていた間も、妹紅と生活していた間も、どれをしている間も、ほかの誰でもない自分で、でも、自分を動かしていたのは妹だったけど。
そうしようとを決めたのは間違いなく自分だ。
「のう、飛倉? お前はいま如何様な心持ちじゃ? 絶念か? 諦観か? それとも厭世か」
「いんや………もう生きていたって、仕方ねえんだ…。この命、あいつのことを思ったまま………、そのまま果てられるなら、悪くない」
悔いはあるし、生きたくないと言えば嘘になる。でも同じくらいにここで死ぬことも悪くないと思ってしまっていた。
つまらなそう鼻を鳴らすとその凶悪な手をこちらへ伸ばしてきた。
「つまらん気狂いが……、壊れた玩具なんぞもう要らん。死ぬといい」
着物で首を締め上げられ、もう視界は危うい。一瞬手が届きそうなほど近づいた空は瞬く間に遠のいていった。
嗚呼。叶うことなら、あいつに一言言いたかった。
(約束、破ってごめん)