2人の間に重苦しい空気が流れる。
それは妹紅の台詞に因るものか、それともそれに答えぬ飛倉に因るものか。
しかし妹紅からこの空気を破ることはない。ただ、自身が提示した案に対して相手がどうするのか、それが肝要なのだ。
彼は信じるのか。蹴散らすのか。それとも試すのか。
あらゆる状況を大まかに考えつつも彼が選ぶまでは言うことなど何もない。
また間を置いて、飛倉がようやくつぐんでいた口を開く。
だが冷たくすら感じる両者の間に次に流れたのはその飛倉の言葉ではなかった。
「誰かいるのか?」
私の背後でドンドンと引き戸が大きく揺れ、それに合わせて古くなった建て付けがギィギィと軋みを上げる。
そして聞こえたその声はやや渋みのある低い声。若者というには些か無理があるが老人というほど活気のない声ではない。またそんな声は扉の向こうからドアを叩いた主以外のおそらくもう一人分、そしてそれの方も聞こえてきていた。
扉側にいた私はすぐさま立ち上がろうとしたが、彼はそれを片手で制し、扉に向かって歩き出した。
かなり大きな声で話しているせいか扉越しでも筒抜けであり、飛倉が扉を開けるまでのその間も会話は続いていた。
「………出てこないな」
「やっぱり言ったとおりじゃないか。ってことは人なんかいないに決まってる。ほら、こんなところで油売ってる暇があるならさっさと山に行く、ぞ…?」
「おいおい、こいつはなんだ…?もしかして俺は夢でも見てるのか…?」
「おかしいな、俺もだ………。年なんて考えたくもないがもうそろそろまずいのかもしれん…。なんだって死人が動いてるんだ?」
「おやっさん。悪いが今の俺は死体でも亡霊でもそっくりさんでもなんでもない。正真正銘の生きた飛倉だ」
少しむくれたような、だが同時に諦めているような曖昧な返事で彼が答えた。
彼におやっさんと呼ばれた扉の前の男性は目を大きく開け、後ろに居たもう一人の男性もだらしくなく口を開け、驚きの表情をしている。
まあ死んだと思っていた人がまだ生きていて自分に話しかけてきたともなれば驚くのも無理ないか。というか驚かない方が普通じゃない。
「本当か…?」
「本当に嘘だと思っているなら俺の首筋の白斑に触ってみろよ。もしも今の俺が幽霊だっていうならそもそも触れないはずだからこれが伝染ることはないはずだろ」
「…疑って悪かった。お前は生きてる、それは信じる。だがどういう事情があったかがわからん。悪いが一度村長のところまで来てもらってもいいか?」
「もちろん構わない。ただ…」
「私のことなら気にしないでいい。返事もまだ保留でいいよ」
「そうか。じゃあここで待ってろ。大人しくな」
「…言われんでも」
最後の物言いに少しイラっとしたがそこは我慢。彼以外がいるこの状況で騒いだところで得はあまりなさそうだし、黙っていたほうが後々のことを考えると色々とやりやすい。
彼は澄ました顔でいる私の方を睨むように見てから元の方に向き直した。
「それじゃあ、おやっさん。行こう」
「いいのか?そっちの奴から何か聞く必要はないってことで」
「ああ。別にあいつは大したことしてないし、もし何か聞く必要ができたら呼べばいい」
「だが、どこかに行かれたりしたら…」
「間違いなく大丈夫だ。今の間はな」
「………。それならまあいい、とりあえず急ぐぞ」
おやっさんは私を軽く一瞥してから逆を方向を向いて消える。
それを追いかけるようにして出て行った飛倉が開いていた扉がまた閉めていく。と同時に先程の声たちが飛倉の声も混ぜて次第に遠ざかった。
部屋に取り残された妹紅はなにか言えることもなく、静かにふたり分の食器を片付け始めた。
●
ここの近辺というと村は俺の住んでいたところしかなく、ここらで村といえばその村を示す。
そして、この村の人たちは基本的に付近の畑で農作業をしたり、山に入って山菜やら獣やらを狩って暮らしている。
そのため農作業にそこまで多くの人手が必要じゃないときは大抵山に入って恵みを授かっていた。
その山への入口というのは主に北西に一つ、南東に一つだ。
南東の道は山に入るとは言うもののほぼ街道であり、そちらは商人や旅人がさらに東へと向かうためのいわば峠道。
もう一方の北西の方は山の奥へと入るための道であり、そこは地元の人たちのみが使うため道幅も狭くあまり踏みならされていない獣道であった。
そして今歩いているのは後者。
飛倉もその地元の人達の例に漏れず一応ここは歩き慣れた道ではあるのだが、彼にはここが以前と全く同じ道だとは思えなかった。
例の山小屋から細い一本道を歩くこと数十分。
初めこそなんとなく会話ができていたものの今となっては冷めた空気だけが流れていた。
原因はおやっさんが飛倉を質問攻めにする相方を一度たしなめたということを差し引いても飛倉自身が返答のほとんどを「着いてから話す」の一言で切り返してしまうのが一番大きいだろう。
確かにここで話そうにも腰を落ち着けて話すことはできないし、伝わる情報が断片的になってしまうと、嫌な誤解や先入観を生みかねない。
だから本題についてはまだ話せない。
かといって飛倉自身は世間話に花を咲かせられるような気分でもない。
結果、お互い大人しく黙って歩いていくしかなく、なんてこともない村長宅までの道のりがひどく長く感じるのだ。
しかし、そんなこととは関係なくおやっさん達やほかの村人達も含め何度も話したりふざけたりしながら通る道を飛倉はだいぶ前から無くしていた。
●
「―…驚いたわ…あれが生きてる…」
ヒソヒソ。
「…知らないわよ…こっちに来なきゃ…」
ヒソヒソ。
「死ねばいいのに…」
ヒソヒソヒソ。
さらに歩いてようやく到着した村で最初に飛倉を迎えたのは劈くようなささやき声だった。
声は抑えられても、本音はただ漏れ。以前は蓋をしていた感情が噴き上げるように村中に溢れかえっていた。
それは玄関からだったり、軒下からであったり、窓からであったり。
前から言葉の端々に感じられたものが大きな化物として自分にその研ぎ澄ませていた牙を見せつけて来たかのようであった。
くだらない。
理不尽にも思えるこの周囲の反応をそう一蹴することは容易く自らを守ってくれるだろう。事実、そう思う自分はいた。しかし、同時に今は心のどこかでそれを甘んじて受けなければならないという意識が生まれつつあった。
それはきっと自分の蓋も少し外れつつあるということなのだろう。
もちろん飛倉自身はそれらを自覚していないとしても。
●
「さて、何から聞けば―――。いや、違うか。何から話してくれれば一番わかりやすいかのぅ?飛倉」
「それは俺の裁量に任せるということか?村長」
「ああ、そう受け取ってもらっても構わんよ。無論、よく考えた上でな?」
影が次第に伸び始める頃。
村に着いた俺はおやっさん達に連れられて村長の家にいた。
理由は分からないが村長が俺と二人っきりで話したいということでおやっさんたちは一応席を外している。
目の前のお茶をすする男性はこの村の村長であり、この村のあの儀式を取り仕切る頭でもあった。
「それでなにがあった?」
「…まず俺が花畑まで行ったのは予定通りだった。後は聞かされた通り儀式のためにひたすら待つだけ。そこまでは村長の思っている通りだ」
「うむ」
「ただそこで、俺は…、何者かにさらわれた、と思う。記憶が曖昧で気絶した少し前までは覚えてるが、その前後はよくわからない。だから本当にさらわれたのかどうかについては確証はない。
だが、俺が気がついた時にはいつもの山道の傍らにある猟師小屋でそのある女が座っている横で寝かされていた」
「ふむ………。それで?」
「そいつはどういったことか俺といるまでの経緯を話さないし、俺が聞いた質問にもあまり答えない。そこで頭を抱えていたところでその山小屋の様子を見に来たおやっさん達と会ったっていうわけだ」
「飛倉はその女のことをどう思っている?」
「そりゃ怪しいと思う。ほかに手がかりもないっていうのもあるが」
「ということはその共にいた女が犯人だと?」
「そこまでは言ってない。ただ、覚えてる限りでその女の姿を見たような気がする…から。その可能性はもちろんあるし、そうじゃなくても関係者ではありそうだから、今は怪しいとしか言えないな」
「そうか………。なら、その人はどこに?」
「今、その山小屋にいる」
「ここに呼び出すことは可能か?」
「できなくもないだろうが、さっき言ったとおりあの件について理由を聞こうにも口を閉ざして喋ろうとしない。だから、呼んだところ無駄だとは思う」
「なら、いっそのことその人は今回のことと関係がないと考えてもよいかもしれんのぅ?そもそも関係がないと考えてしまえば無視してもよかろう」
「これもさっきも話したが、そいつが犯人だとか思ってるわけじゃないが蚊帳の外の人だとも思っていない。少なくとも無関係なら素直に聞かれたことに答えるだろうし、よそ者なのだから元々今この間もここにとどまる理由がない。なのにこの時期に残るというのは今回の事と何かしらつながりがあるからだと思っていいだろ」
「…そんなもんかのぅ。して、飛倉」
「なんだ、村長」
「お前はこれからどうするんじゃ?」
「あいつから事情を聞かなきゃ何も進みそうにない。だから、まずあいつからどうにかして何かを聞き出すところから始めようと思う」
「しかし、飛倉。お前に悠長なことを言ってられる時間はもうないぞ?」
「分かってる。とはいえ儀式を行おうにも邪魔される可能性があるんじゃしても意味がない」
「…なら期限は?」
「一週間。それだけあればあいつにも飛び火するだろう」
「そうじゃの…。それならお前も保つだろうしの。じゃあもしも邪魔する原因が分からなかったら?」
「あいつを道連れにする。余所者ならもし呪いにかかってもこの村の奴に移すことはないはずだから」
「わかってるならいい。それすら考えられているなら文句など無かろうよ。もちろん、お前が尻拭いもできん奴だとは思ってはいないがな?」
「…そうかい」
手短に返事だけすると俺は村長の家を出る。
もう日がだいぶ下がってきている。移動時間を考えるともう移動し始めないと月が昇ってからあの山小屋に着くことになってしまう。
夕焼けの空を背に飛倉は足早に村を後にした。
●
「失礼します。村長」
「おお、お前か。なんだ?」
「飛倉のことで」
「ん?なにかあるのか?」
「なぜ、あんな戯言を?」
「そんなに不思議かのぅ?」
「ええ、まあ…」
「お前さんは釣りをしたことがあるか?」
「釣り…ですか?」
「おう、沢の中に糸を垂らすあの釣りじゃ」
「したことは一応…」
「ふうん、その様子だとあまり上手ではなさそうじゃのう?まあ、それは横道か。
そうじゃの…、釣りをするには餌がいる。釣りをするには糸も必要だし、竿となる木も大事じゃ。一つ一つ丁寧に選んでいけば切りがないし、時間もかかる」
「もちろん釣る魚が雑魚ならなんてこともない。それなりのものをそれなりに揃えればそれなりに釣れるだろう。しかし自分よりも大きな魚を釣るともなれば話は別じゃ」
「…村長、言いたいことが分かりません」
「まあ、そう急くな。
始めに言った通り、釣りには餌が不可欠。他の物も欠かせない。そしてどれも大物を釣るともなればとびっきりの一級品がいる。されどそんなものはそうおいそれと揃うもんでもない。なら、もしもそれがお膳立てされたかのように揃ったとしたら?」
「………」
「まず逃す手はない。多少の不備があろうとも一定を超えればなんら問題はない」
「………。なら、その餌と魚とは?」
「それはお前さんの予想に任せよう………。なに、答えは数日中に出るだろうよ………」