さて。
タケノコとやらを取りに行った日の翌日。
飛倉は山の中腹に流れる沢で釣りをしていた。
(………落ち着くわー)
比較的上流に位置するこの辺りの川はゴツゴツとした巨石も多く足場も悪いため、お世辞にも安全だとは言い難い。
反面、その大きな岩と川底の間にできた僅かな空間は魚にとってそれなりに居心地が良いらしく、下流に比べて案外肥えた魚がちらほらいるのだ。
それにこの時期に下流の河原で太陽に照らされながら釣りをするよりも鮮やかな緑で染まった自然の軒下で涼みながら釣りをする方がよっぽど楽というのもある。
険しい山道をわざわざ歩いてここまで来たのはそういった訳だった。
元々ぼへーっとしながら時々かかる魚を釣って、魚籠に放り込んで取っておくだけの簡単で単純なお仕事である。なら多少怠ける、もとい環境の改善という効率化に努めたところで文句は言われまい。
ちなみにその俺に文句を言う同居人こと妹紅はこの近くにはいない。
なぜならあいつは今頃ウサギやイノシシと追いかけっこしているはずだからだ。ようするに狩りである。
もちろんそれを聞いたとき俺も手伝おうと言ったが、
「タケノコを取りに行くだけで息が切れるようなやつが狩りなんて出来るわけないじゃん」
という遠慮もくそもないありがたーい親切を頂き、かといって俺だけ何もしないというのも癪なのでこうして釣りに来たというわけだ。
「…まあ、こんな日もあるか」
誰に聴かせるわけでもなく一人呟く。
周りに誰もいない分むしろ考え事をするにはちょうどいい。
それに一人っきりの時間というのは残りの日の中でも貴重なものだろう。
今のうち整理できること、考えておくことはしておこう。
(とはいえ、なー。考えることなんてあいつがなんで俺を助けたのかっていうことぐらいなんだよなー)
心の整理とか、今後の方針については今更だろう。
だから考えるべきこと。すなわち妹紅の本当の目的である。
妹紅が飛倉を助けた理由は人として当たり前の「困った人は助ける」というものだ。だげどそれは正直言って有り得ない。
偽善めいているというのもそうだが、それ以上に取ってつけた感が否めない。胡散臭すぎるのだ。
場所によっては食べ繋いでいくことすら難しいと言われるご時世だ。各地を流浪していると言うならば生き抜くことの厳しさもよりに身に迫るものだろう。
それに盗賊とかそういった意味での危険だって少なくない。悪人なんてざらにいるこの世の中でまず生きることを大前提とする旅人を、もしもその言葉通りの善心を持つ人物がしていれば命がいくつあっても足らなくなってしまう。
だから間違いなくまた別の理由があるはずなのだ。何かしらの理由が。ただ、俺を助けることで生まれるその旨みを俺がまだ見えていないっていうだけで。
(…俺を助けることで生まれる利益ってなんだよ)
そう。それが何よりも引っ掛かる。
蒸し返すようだが俺はあくまでも供物だ。この地への生贄であり、神への贖いのための存在でしかない。
臓器は土に。生き血は大気に。肉片は生き物に。
頭のてっぺんから足の爪先までの全てが余すことなくこの里のために捧げられるべきもの。
本来こうしていることすら許されない立場なのだ。ただ、死ぬべくして死ねなかったために、死ぬべくして生かされてしまっているだけ。
おかげで生きる死体というなんとも言いづらい場所に追い立てられている訳だ。
その原因を作ったのはあいつなのだからあいつに対して怒りが湧かないと言えばもちろん嘘になるが、それ以上に困惑もある。淡い期待も。
(なに考えてるんだ、そうじゃないだろ)
ブルブルと頭を左右に激しく振る。今私情を挟む必要はない。
とにかく、俺は本来もう死んでいるべきで、顔見知りですらない妹紅が直接俺に関わってくる理由はないはずなのだ。
それに、俺を助けて儀式を妨げるというのもそれは俺への延命措置でしかなくそこから利益が生まれるとは非常に考えにくい。
なら本当に善意?
いやいやいやいや。それこそ自分で否定したことだろう。利益うんぬんの話以上にありえない―――。
「どうした、少年ー?」
「………?」
気のせいか声が聞こえた気がする。
それも俺の座っている位置から右の方。つまり山がより険しくなる上流の方だ。
下流の方からなら…、まあそれでもわざわざこんなところに来るなんて少しおかしいがまだ可能性はある。だが上流からとはどういうことなのか。
「おーい、聞こえてないのー?ひょっとして耳なしさん?芳一みたいな感じ?」
「別に聞こえてるし、俺の名前は芳一じゃない」
相変わらず声は続く。先程に比べて声の主はだいぶ俺に近づいて来ているのが分かった。声自体が先程より大きくなっていたからだ。
しかし、依然としてその姿は見えないまま。なにがなにやらよく分からない俺を置いて、川のせせらぎに混じってそいつは飛倉に問いかけてくる。
「じゃあ君の名前、なんて言うの?」
「飛倉だ」
「へえー、ヒソウねー」
「聞いておきながらその反応かよ…。おい、それならお前はなんていうんだ」
「私?私はみとりだよー」
「そうか」
「そうか…って、君の反応も大概だと思うけど。それに驚かないの?私、河童だよ?」
河童。水辺に棲む妖怪。全身が淡い緑色で覆われていて、頭の上に皿を乗っけている。何故か知らんが胡瓜が好き。
俺の知っている河童についての知識なんてそんな程度のもんだ。当然だが、声を聞いただけで河童だと見分けられるはずもない。それにもしも、一連の言葉が嘘だとしたらそれはそれで少し雑すぎる。
「初対面、というか初会話でこういうことを言うのもおかしな話だが冗談も休み休みに言え。姿も見えないのに声だけでそれをどう信じろって言うんだ」
「え、ここにいるけど」
「だから、どこだよ」
「下」
「下?」
下と言われてもあるのは俺が座り込んでいた岩とその下を流れる川だけだ。なら、岩のその下というのは―――。
「…嘘だろ」
「初めましてー。みとりだよ」
自分でも口元が引きつっているのが分かった。
でもそれは出来ることなら許して欲しい。なぜなら普通に考えて、川の上流から女の子が流れてくるなんて思わないからだ。
●
「いやー、まさか気づかれていなかったとは。しったいしったい」
「…お前が、河童のみとり?」
「そうだよー。改めて、初めまして。飛倉…お兄ちゃん?」
「なぜにお兄ちゃん。しかも疑問形」
「んー、なんとなく。お兄ちゃんって感じがしたから」
………頭が痛い。
河童。水辺に棲む妖怪。全身が淡い緑色で覆われていて頭の上に皿を乗っけている。なぜか知らんが胡瓜が好き。
(…あの本に書いてあることは間違いだったのか)
今俺の隣に座っている自称河童はどこからどう見てもそれらの特徴にそぐわなかった。
見た目は普通の人とそう変わらない肌色だし、服だって普通に来ている。またおかしな帽子を被っているのでよくわからないがパッと見だと皿があるようには見えなかった。
とてもじゃないが河童だとは思えない。
しかし、その真っ赤な服と帽子。それに桜色という奇抜な髪色のために普通の人かと問われればやや首を傾げるだろう。
河童らしくもないし、妖怪らしくもない。けれど、人かと訊かれれば、そうだとは言いづらい。
なんとも半端な、曖昧なやつである。
「お前が河童っていうのはこの際それでもいいとして、なんだってあんなところに浮かんでいたんだよ。一人で川遊びでもしてたのか?」
「ねえ、お兄ちゃん。河童も一度は川流れって聞いたことはある?」
「まあ、聞いたことはあるし、意味も知ってる。でも、それがなんだって言うんだ?」
「実践してみてた」
「は?」
「河童なら一度くらいは川に流されるべきかなって思ったから、実際にやってみてた」
「…感想は」
「つまんなかった」
「…さいで」
どうやらこの自称河童さん(笑)はそれなりに難儀な性格のご様子だった。
関わると面倒だ。幸い害は特にないようだし、ここはさっさと立ち去ってもらうか、動かないようなら俺が場所を変えるとしよう。
「じゃあ、もうそれの実践は終わったんだろ?ならどこかに行ってくれないか。河童なんかに居座られて魚に逃げられたら困る」
「河童がいるだけで魚が逃げるとは思えないけど…。まあいいや、それなら私がどこかに行く前に一つだけ聞いてもいい?」
「なんだ」
「最近、ここらへんによく来ていた女の子のこと、なにか知らない?その子のことならなんでも良いんだけど」
「知らないな」
「ふーん。割と病弱な子なのにこんなところまでわざわざ来るような好き者だったんだ。それで前に一度近くの村に住んでるって聞いたことあったんだけど…。そっか、知らないか…」
嫌な予感がする。
(近くの村で、病弱な女の子………)
頭の片隅にある面影が燻る。
ぼんやりとした大切な記憶が音を遠ざける。
まさか、とは思う。
そんなことがあるとは思えない。
でもこの機会を逃してしまうのはとんでもない間違いになるんじゃないだろうか。
それこそ取り返しのつかないような、そんなものに。
傍らのみとりは肩を落とした後、飛倉の隣から立ち離れると飛倉に言った。
「迷惑かけたね、お兄ちゃん。いるか分からないけどこの川の主ぐらいでっかいのが釣れるのを願ってるよ。それじゃあ、またね」
「…待ってくれ」
「ん?どうかしたの?」
「その、お前の言う女の子についてもっと話してくれないか。もしかしたら今は忘れているだけで何か知っているかもしれないから」
「お、意外に心当たりがあるの?まあ、そういうことなら喜んでするよ。そうだね、なにから話そうかなー」
みとりはやや興奮した様子で先ほどと同じ位置に座り直す。
そして、しばらくの間黙り込むと、何か思いついたように話し始めた―――。
●
「あー、寒い。」
ところ変わって、狩りに出ていた飛倉の同居人。
そこにはパチパチと音を立てる焚き火の近くで両手を出しながらこの季節にも関わらず暖を取る妹紅の姿あった。
もう春も終わり、夏となりつつある時期とは言え、流石にずぶ濡れにあった直後では寒い。
それに水を吸った服は重い上に肌に張り付いて気持ちが悪く、服が乾くまでは動く気にはなれなかった。
周囲の木から枝を取って作った焚き火に当たりながらまた体を少し震わせる。
この季節に乾いた落ち葉など当然なく、枝だけでは焚き火が燃え盛るまで少々時間がかかる。
狩りを再開するのはすぐには無理そうだった。
「にしても、なんだってんだよー…、もー…」
ややイライラしながら、少し前にあったことを思い出す。
飛倉を家に残して狩りを始めてから数刻。私は山肌に残っていた足跡を見つけ、辿っていたその先には近くの獣たちが使うのであろう水飲み場に着いていた。
野山を歩き回り、偶然見つけた獣を追っかけ回すよりも獣が使うであろう住処や定期的に通ると思われる獣道で張っていたほうが気持ち狩りは成功しやすい。
一日だけで一匹でも獣を狩れるとは思いづらいが、何かが出てくれれば儲け物ぐらいの考えでいた。
そんな折りである。
その水場の付近を調べて、近くの木陰で一休みしている私の方におかしな子供がこちらを見ていた。
というか、川岸から顔だけ覗かせていた。
初めこそ無視を決め込んでいたのだが、その無言の視線に耐え切れなくなり、こちらから声をかけたのだが。
「あはっ!やっぱりだ!」
そいつがとかなんとか言った途端、目の前に膨大な水が吹き上がっていたのである。
何が何やらよく分からないままそんなことを唐突にされては避けられるはずもなく、その大水をモロに被ってしまいずぶ濡れにされたのだ。もちろん、直後に仕返しをしようとその犯人の姿を探そうとしたものの先程までの川べりにはいなかったわけである。
おかげで鬱憤だけが溜まり大変腹の虫の居所がよろしくなかった。
「次会ったらぜーったいぶん殴るぅ…」
狩りのことなど忘れてそんなことを呟きながら、妹紅は焚き火に当たり続けていた。