銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第93話:すべては守るために 802年1月26日~2月上旬 ハイネセンポリス

 一月二六日一八時、俺と妹は一か月ぶりにハイネセンの土を踏んだ。場所と時間を事前に告知したため、宇宙港には大勢の市民が集まった。足の踏み場もないほどに混雑している。

 

「エリヤ・フィリップス提督万歳! アルマ・フィリップス将軍万歳!」

 

 到着ロビーに足を踏み入れると、群衆が周りを取り囲み、歓呼の叫びをあげた。俺と妹は手を振って応える。同盟で最も大きな宇宙港が興奮のるつぼと化した。クーデター終結から二か月が過ぎても、「英雄フィリップス兄妹」の人気は衰えていない。

 

 人混みをかき分けながら進む俺たちの前に、マイクを持った男女十数名が現れた。彼らはリポーターだ。有名人が姿を現すと聞くと、どこにでもやってくる。

 

「お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか!?」

 

 最初に質問してきたのは初老の女性リポーターである。

 

「もちろんです」

「ありがとうございます!」

「ところで、これは生放送ですか?」

 

 俺は笑いながらカメラを見た。普段なら録画でも構わないが、今日は事情が違う。

 

「もちろんです! 視聴者の皆様にフィリップス提督の肉声をお届けできますよ!」

「承知いたしました。では、市民と直接会話するつもりで話しましょう」

 

 この瞬間、俺は賭けに勝った。時間と場所を告知したのも、到着時刻を夕方のニュースの時間に合わせたのも、都心部に近い宇宙港に入ったのも、生放送をさせるためだった。録画放送では編集される恐れがある。これからやることは生放送でないと意味がない。

 

 その場で即席の記者会見が始まった。リポーターが交代交代で質問し、一問一答の形式で進められた。

 

「休暇中はいかがお過ごしでしたか?」

「故郷でのんびりしておりました」

「コンディションは万全といったところでしょうか?」

「もちろんです。今すぐにでも戦場に行けますよ」

「次の任地はシャンプール方面。ヤン提督のイゼルローン総軍とは隣同士ですね」

「偉大な名将の背中を守るポジションです。光栄だと思っています」

「フィリップス提督が指揮する第一辺境総軍には、市民軍の英雄が多数参加します。市民軍のような部隊を目指しているということでしょうか?」

「市民軍の精神を保ちつつ、より完璧な部隊を作るつもりです」

 

 当たり障りのない質問に当たり障りのない答えを返す。言葉の中身はそれほど重要ではない。期待されたキャラクターを演じることが重要である。

 

「帝国に講和の動きがあるそうです。ご意見をお聞かせください」

 

 際どい質問が飛んできた。リポーターが言うところの「視聴者が知りたいこと」には、軍事に関する意見も含まれる。

 

「権力闘争に絡んだ動きだと思います。先帝側近グループは、『反乱軍討伐の戦費を調達する』という名目で、貴族に課税するつもりです。こうした動きに対抗するために、ブラウンシュヴァイク公爵は講和カードをちらつかせたのでしょう」

「国内向けのポーズに過ぎないということでしょうか?」

「自分はそう考えております」

 

 俺のコメントは平凡で穏当なものだった。同盟軍の機関誌を読めば、同じようなことが書いてある。エリヤ・フィリップスに求められるものは、理論的考察や独創的視点ではなく、平凡だがみんなが共感できる意見だ。

 

「エル・ファシルの逃亡者が戻ってきましたね。元同僚として、いかが思われますか?」

 

 待ちに待った質問がやってきた。この時のために俺は人生をやり直した。前の世界では証明できなかった無実を証明しよう。逃亡者の無罪を勝ち取った時、前の世界で着せられた罪も消える。

 

「他人事ではないと思っております。自分は彼らと同僚でしたから」

「どういうことでしょう?」

 

 リポーターの笑顔に困惑の色が見えた。激しい逃亡者批判を期待していたようだ。普通に考えれば、俺以上に逃亡者を批判する者はいない。

 

「彼らは不運でした」

「しかし、市民を見捨てて逃げ出した輩です。同情する必要があるのですか?」

「リンチ提督とその幕僚たちは市民を見捨てました。軍需物資まで持ち逃げしたのですから、弁護の余地はありません。しかし、その他の者は違います。間違った命令の犠牲者です」

「軍人には違法な命令に反対する義務があります。しかし、それを果たしたのはフィリップス提督だけでした。逃亡者の罪は明白ではありませんか」

「自分はリンチ少将から『援軍を求めに行く』と聞かされておりました。正当な命令だと信じていました。おかしいと思ったのは船に乗り込む直前です。とっさに走り出さなければ、逃亡者と呼ばれていたことでしょう」

 

 俺は用意していた答えを述べた。前の世界で軍法会議にかけられた時、同じことを言ったが、誰もが嘘だと決めつけた。初めて英雄になった時、同じことを言ったが、誰も興味を示さなかった。今は誰もがエリヤ・フィリップスの言葉に耳を傾ける。生放送なので黙殺することもできない。

 

「そうですか……」

 

 リポーターはそれ以上突っ込もうとしなかった。しょせんは一四年前の事件だ。それほどこだわりがないのだろう。

 

 会見終了後、俺は二つのニュース番組に出演し、「エル・ファシルの逃亡者は騙されていた」との見解を述べた。反論は返ってこなかった。他の出演者がエル・ファシル脱出について知っているのは、「アーサー・リンチが市民を見捨てた」「ヤンとフィリップスが市民を救った」の二点だけだ。リンチ少将の命令を直接聞いた俺が、「逃亡者は悪くない」と言えばうなづくしかない。

 

 マスコミは「帝国の講和論は国内向けのポーズ」というコメントを大きく報じた。逃亡者に関するコメントは小さな扱いだ。失望はしていない。こうなることは予想できた。

 

 名前が卑怯者の代名詞となっていたアーサー・リンチ少将は、既に亡くなっていた。昨年の八月に泥酔状態で外に出て、一か月が過ぎても戻ってこなかったので、死亡宣告が下された。この世界で逃亡者が収容された惑星バルスは、全域が灼熱の砂漠で、建物の外にいたら三日以内に死んでしまうそうだ。戻ってくるというのは誤報だったのである。

 

 リンチ少将死亡のニュースはほとんど話題にならなかった。しょせんは一四年前の卑怯者に過ぎない。市民にとっては、天文学的な額の脱税が発覚した経済開発委員長、二〇〇人が死んだモーメント爆弾テロの犯人、テルヌーゼンの連続強姦殺人犯の方が許せない存在だ。

 

 エル・ファシル逃亡事件はすっかり風化していた。本当に気にしているのは関係者に限られる。一四年前の事件だし、リンチ少将と一緒に逃亡した将兵は三〇〇〇人、被害者は民間人三〇〇万人と軍人四万八〇〇〇人にすぎない。単体で見ると大きな事件なのは確かだろう。しかし、より新しくてより関係者が多い事件はいくらでもある。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵が非公式に提示した講和案が、大きな反響を呼んだ。対等な国家同士の平和条約という形式はとらない。帝国は「反乱勢力は沈静化した」と宣言し、同盟を「現地の自治的集団」として扱い、サジタリウス腕における自治的集団の統治権を「尊重」する。同盟は「銀河帝国との戦いは終結した」と宣言し、帝国を「現地統治者」として扱い、オリオン腕における現地統治者の統治権を「尊重」する。両国が戦闘終結と不干渉を別々に宣言し、承認問題を棚上げすることで、実質的な講和を実現するという。

 

 保守反動勢力の領袖といわれるブラウンシュヴァイク公爵が、講和に前向きな姿勢を見せた。しかも、皇帝に議会開設と憲法制定を提案したという。驚かない者は一人もいなかった。

 

 世論は講和推進派と戦争継続派に分かれた。反戦派が講和推進派、主戦派が戦争継続派という単純な対立構図ではない。主戦派の一部が講和推進派に加わった。

 

 主戦派が求めるものは同盟の勝利である。何を「同盟の勝利」と定義するかは人それぞれだ。しかし、帝国を滅ぼしたいと望む者は少ない。民主的な政治改革、身分制の撤廃、過去の圧政に対する謝罪、帝国政府によるルドルフ批判、同盟に有利な経済協定といった要求を、帝国に飲ませることができれば、主戦派の大多数は満足する。

 

「我々は勝ったのだ!」

 

 民主化という結果に満足した者が講和論を唱えた。帝国最大の門閥貴族が民主主義の優位を認めたのだ。民主政治と専制政治の対立という観点から見れば、民主主義の勝利である。勝利したのだから戦いを続ける必要はない。

 

「政治改革だけで満足するな。帝国が身分制を撤廃し、正しい歴史認識を受け入れるまで戦うべきだ」

 

 このように主張する者もいた。逆に言うと、帝国が身分制を撤廃し、正しい歴史認識を受け入れれば、彼らは講和に賛成するということになる。消極的講和派というべきポジションだ。

 

「帝国は崩壊寸前だ。手を緩めるな」

 

 トリューニヒト派は徹底抗戦を訴えた。帝国を滅ぼしたいと本気で思っている者、帝国に不信感を抱く者、反戦派への反感から主戦派になった者がこの主張を支持している。

 

 主戦派は積極的講和派、消極的講和派、徹底抗戦派に分裂した。積極的講和派が講和に賛成し、消極的講和派と徹底抗戦派が講和に反対する立場だ。帝国が身分制や歴史認識問題で大きく譲歩すれば、最も数が多い消極的講和派は賛成に転じるだろう。

 

 反戦・反独裁市民戦線(AACF)の呼びかけにより、反戦派が一斉に立ち上がった。ハイネセンポリスの都心部をデモ隊一〇〇万人が埋め尽くし、同盟第二の都市パロットで行われた反戦大行進には七五万人が参加した。ガルフリア、オスティアダ、アウトメーレン、アドリヤといった大都市では、数十万人が平和集会に集まった。その他の都市でも数万人規模の平和集会が開かれた。

 

 AACFの隊列には、有名な反戦主義者の姿が見られる。ラグナロック反戦運動の闘士は、「三年前、我々はボナールを倒した! 今度はトリューニヒトを打倒するぞ!」と気勢を上げた。シトレ退役元帥ら退役将官二五名が結成した「平和将官会議」は、退役軍人に対し、平和のために立ち上がるよう訴えた。ジャーナリストのアッテンボロー氏は、バスの屋根によじ登り、「革命だ! 革命を起こせ!」と叫ぶ。シンクレア教授らリベラル知識人も姿を見せた。

 

 革命的ハイネセン主義学生連盟の反戦学生は、「AACFに連帯するぞ! トリューニヒトを倒せ!」と叫び、過激な闘争を繰り広げた。ハイネセン記念大学の反戦学生一万人は、アジュバリス学長らトリューニヒト派教官を追放し、キャンパスをバリケードで封鎖した。国会議事堂の周辺では、首都圏の反戦学生四〇万人と警官隊がぶつかり合った。反戦学生に占拠された大学は二〇〇〇校を超える。紛争状態にある大学は数えきれない。

 

 レベロ議員の和解推進運動はAACFから共闘を拒否されたため、独自の戦いを進めた。超党派を標榜し、反戦派、主戦派、中道派の結集を目指す。かつての同志はAACFに行ってしまった。孤独な戦いを強いられている。

 

 反戦のうねりが大きな波となり、トリューニヒト政権を激しく揺さぶった。大衆党議員四五名が講和を支持する声明を出した。ホバン派など五派閥がトリューニヒト下ろしの動きを見せる。閣議では戒厳令の導入を求める声が相次いだ。トリューニヒト議長は、「声がでかい少数派が騒いでいるだけだ。多数派は私を支持している」と強気の姿勢を崩さない。

 

 同盟軍の内部でも講和論者と戦争継続論者が争っている。統合作戦本部長ビュコック元帥、地上軍幕僚総監ベネット元帥らは、即時講和を主張した。後方勤務本部長ロックウェル上級大将、国防監察本部長ドーソン上級大将、地上総軍総司令官ファルスキー上級大将らは、講和など有り得ないという立場だ。宇宙軍幕僚総監アル=サレム上級大将、宇宙艦隊司令長官ルグランジュ上級大将らは、「この条件では講和できない」と慎重な姿勢を示す。イゼルローン総軍総司令官ヤン元帥は、沈黙を保っているが、即時講和を支持しているとみられる。

 

 講和問題の次に注目を集めているのは帝国情勢だ。捕虜回収事業を主導したブラウンシュヴァイク公爵は、捕虜一六〇〇万人と難民五〇〇万人を取り返した功績により、二人目の帝国大元帥となった。ラインハルトは政敵の出世を手伝うために、回収船団を指揮したようなものだ。回収船団が帝都に帰還したら、宮廷闘争は本格化するだろう。ブラウンシュヴァイク公爵が独走するか? ラインハルトが巻き返すか? まだまだ目が離せない。

 

 市民の興味を引く話題は他にもたくさんあった。経済政策、社会保障改革、教育改革、同盟軍再編は国論を二分するほどの大問題だ。スキャンダル、犯罪、災害、事故に関するニュースは、絶え間なく供給される。

 

 今の人生で気づいたことだが、エル・ファシルの逃亡者は市民にとってはどうでもいい存在である。前の世界で無茶な断罪論が通用し、人々が煽動に乗せられてしまったのは、真面目に調べようとする人がいなかったからだろう。声の大きな人が「これが真実だ」と叫べば、人々はそのまま受け入れる。つまり、免罪論者が断罪論者より大きな声で叫べばいい。

 

 断罪論者の中心は極右団体と反戦団体だ。極右は逃亡者を敵前逃亡した卑怯者だと罵った。反戦派は逃亡者を市民を見捨てた犯罪者だと批判した。どちらも声の大きさは並外れている。

 

「だけど、俺の声の方がずっと大きい」

 

 俺が公式の場で発言すれば、電子新聞の記事になり、ニュース番組で紹介され、ファンサイトや議論サイトに掲載される。俺に好意的な人は好意的に解釈するだろう。俺に反感を持つ人は必死であら探しをするはずだ。この世界では誰もが俺の言葉に興味を持つ。

 

 注目されることはあまりありがたくないが、今回に限っては話が別だった。マスコミやネットユーザーが免罪論を広めてくれるだろう。

 

 

 

 ハイネセンに戻った翌日から、本格的な戦いが始まった。マスコミの前で免罪論を繰り返し唱える。水面下で有力者や有名人への根回しを行う。世論が免罪論に傾けば、世論に弱いトリューニヒト議長は逃亡者を救済するに違いない。再建会議に参加した兵卒や下士官を救った時に使った手法だ。

 

 エリヤ・フィリップスの名前には人を動かす力がある。俺に好意を持つ人、俺を尊敬する人、俺を盲信する人、俺に媚びる人が免罪論者となった。俺が免罪論者だと明らかになり、妹ら市民軍の英雄が免罪論支持を表明すると、右翼は逃亡者バッシングをやめた。軍主流派の幹部や国防族議員からは、免罪に前向きな発言が相次いだ。一般市民は俺の言葉を無批判に信じた。

 

 もっとも、すべてがうまくいったわけではなかった。リベラリストは重い刑罰を好まないが、軍人の非行については別人のように厳しくなる。反戦団体は俺の行動を「身内のかばい合い」だと非難した。ジャーナリストのパトリック・アッテンボローは、『公正なる裁判を求む』という記事を書き、「世論に流されるな。一兵卒に至るまで厳しく処罰せよ」と訴える。ビュコック元帥は不機嫌そうな顔で、「貴官の人気取りに協力する気はない」と言い放つ。ヤン元帥は対話に応じようとしない。

 

 ハイネセンに戻ってから一週間が過ぎた頃、国防委員会法務部から連絡が入った。エル・ファシルの件で話を聞きたいという。

 

 俺は国防委員会庁舎に出向き、逃亡者問題の担当者と面会した。当初は向こうが第二艦隊司令部に来る予定だった。しかし、国防委員会の高官を呼びつけるのは失礼だと思い、こらちから足を運んだ。

 

 担当者はロザリンド・フォン・ヴァルケ宇宙軍准将という人物である。名前に「フォン」が付いていることから分かる通り、亡命貴族の出身だ。一般大学卒業者という将官としては珍しい経歴を持つ。入隊後に弁護士資格を取得し、宇宙艦隊総司令部や正規艦隊司令部の法務部門で活躍した。ラグナロック戦役の時は、「アウシュビッツに匹敵する蛮行」と称されるヴィンターシェンケ事件の捜査に携わり、高い評価を得ている。

 

 見るからに切れ者といった感じの経歴だが、目の前に現れたのはおっとりした感じの中年女性であった。

 

「お忙しい中、お越しいただき、誠にありがとうございます」

 

 ヴァルケ准将は丁寧にお辞儀をする。

 

「国防委員会に協力するのは当然だからね」

 

 俺はことさらに丁寧な態度をとる。同盟軍が軍政主導に変わった後も、実戦部隊には国防委員会を軽く見る者が多い。だからこそ、国防委員会を重んじる姿勢が必要だ。

 

「恐れ入ります。実戦部隊の幹部が、みんなフィリップス提督のような方なら有難いのですが」

 

 ヴァルケ准将は上品な微笑みを浮かべ、分厚いファイルを取り出した。表紙には「エル・ファシル逃亡事件資料」と書かれている。

 

 こうして事情聴取が始まった。ヴァルケ准将はファイルをめくりながら質問し、俺は知りうる限りの事実を伝えた。

 

「ありがとうございました。最後にご意見をお聞かせください」

「寛大な処分をお願いしたい。リンチ少将とその幕僚以外の者には責任はないんだ」

「それは無理です」

 

 ヴァルケ准将の笑顔から無情な一言が放たれた。

 

「彼らは違法な命令だと知らなかった。騙されたんだ」

「いいえ、彼らは違法だと知っていたはずです。あなただってそうでしょう。だから、出発直前に抜け出した」

「それは違う」

「ヤン元帥は、『リンチ少将の部下は知っていたはずだ。そうでなければ、あんな命令は聞かないだろうね』と証言しておられます。こちらの方が信用に値します」

「あの方は推測を口にしているだけだ。小官はこの耳で『援軍を呼びに行く』と聞いた。どちらが信用できるかは明らかだろう」

 

 俺は懸命に反論した。崇拝する提督が相手でも、この件については譲れない。

 

「私はヤン元帥を信じます。第三者としての冷静な意見ですから」

「当事者の意見を無視するのか?」

「あなたは被疑者への思い入れが強すぎます。元同僚を救うために、嘘の証言をしているように見えます」

 

 この一言がヴァルケ准将のスタンスを明らかにした。「元同僚を救うために偽証している」というのは、断罪論者のお決まりの主張だった。

 

「小官が偽証すると思うのか?」

「フィリップス提督は戦友を大事にする方だと聞いております。逃亡者に同情するあまり、ルールを破ったとしても不自然ではありません」

 

 彼女の指摘は半分だけ正しかった。俺は逃亡者に強い思い入れを持っている。だが、嘘はついていない。

 

「嘘をついていると思うのなら、調査してほしい。真実が明らかになるはずだ」

「調査は一四年前に終わりました」

「あの調査はおざなりだった。一か月で打ち切られたんだからね。裁判をやるんだったら、もっと念入りな調査が必要になる」

「調査記録はすべて読みました。これ以上ないほどに完璧でした」

「どこが完璧なんだ? 有力な証人が小官とヤン元帥の二人しかいなかった。被疑者から事情聴取することも、現場検証することももできなかった。不十分もいいところだろう」

「調査は終わったんです」

「終わっていない。もう一度調べてくれ。小官の証言の裏を取れるはずだ」

 

 俺は再調査をしつこく求めた。ちゃんと調べてもらえたら、逃亡者が無実だとはっきりする。

 

「お言葉ですが、あなたのなさりようは目に余ります」

 

 ヴァルケ准将の表情が急に険しくなった。遠慮するのはやめたと言わんばかりである。

 

「どういうことだ?」

「あなたは事実を曲げようとしています。客観的に見れば、逃亡者が一人残らずリンチと共謀していたのは明白です。援軍を呼びに行くなら、リンチがエル・ファシルを離れる必要はありません。部下を脱出させれば済むことです。また、逃げる前にリンチ一派は軍需物資を積み込んでいます。幼稚園児だって持ち逃げする気だってわかりますよ。騙されたとしたら、逃亡者は幼稚園児以下の知能しかないことになります」

「あの時はみんなパニックになっていた。普段なら気づくことでも、混乱してる時は気づかないもんだ」

 

 俺は一般論を事実であるかのように語る。実のところ、命令が出た直後の記憶なんて残っていない。前の世界でリンチ少将の命令を受け入れた理由は、忘却の彼方に消えてしまった。

 

「嘘ですね。あなたの行動がそれを裏付けています」

 

 ヴァルケ准将は思いもよらないことを言った。

 

「小官が何をしたというんだ?」

 

 俺は冷静な表情を作る。内心では唖然としていたが、顔には出さない。

 

「エル・ファシルに残った理由を問われた時、あなたは『逃げたくなかった』『卑怯者と呼ばれたくなかった』と答えました。卑怯なことをしているという自覚があり、飛び出す機会をずっと伺っていた。そして出発直前にようやくチャンスが訪れた。あの時のあなたは衝動ではなく、確信によって動いていたんです。だからこそ、ああいう言葉が出たのではないですか?」

「誤解もいいところだ」

「事実を隠そうとする理由はわかります。仲間は卑怯者になったのに、自分は英雄になった。仲間は収容所で過ごしている時、自分は出世街道を突き進んだ。そのことが後ろめたいんでしょう? あなたは罪悪感から解放されるために、仲間を救おうとしていらっしゃる」

 

 ヴァルケ准将の目は確信に満ちていた。この見解の恐ろしいところは、完全な妄想であるにも関わらず、論理的に見えるということだ。俺を動かしているのは、罪悪感でもなければ、薄っぺらな同情でもない。前の人生で苦しんだ経験が原動力になっている。俺の脳内を覗くことができない人なら、彼女の妄想に説得力を感じるだろう。

 

「君の言うことには根拠がない。推測に推測を重ねただけじゃないか。裁判では通用しないぞ」

「根拠はすぐ見つかります」

「見込み捜査をするつもりか?」

「真実を明らかにしたいんです。あなたは世論を動かして、真実を闇に葬ろうとしている。法律家として見過ごせません」

「君の目にはそう見えるんだな」

 

 これ以上話しても無駄だと悟り、俺は会話を打ち切った。常識的に考えれば、俺が元同僚をかばったように見えるだろうし、支持者やマスコミを使って圧力をかけたと思うだろう。

 

「あなたの贖罪に付き合うつもりはないんですよ」

 

 ヴァルケ准将は静かに話を締めくくる。彼女との会話は不毛の極みであったが、前の人生の記憶に基づく行動がどう見えるかを理解した点では有益だった。

 

 帰りの車の中で、俺は考え込んだ。ヴァルケ准将がひとかどの人物なのは認める。だが、人間の理性を信じすぎていた。他人が自分と同じように合理的に動くと思い込み、不合理な行動に合理的な理由をつけようとするのだ。その結果、不合理な現実より合理的な妄想を信じてしまう。彼女の思い込みの強さは、ヴィンターシェンケ・グループのような巨悪と戦う時には役立つが、弱い者に対しては凶器となる。

 

 ヴァルケ准将を交代させた方がいいと思った。圧力をかければ、交代させるのは簡単であろう。法務部が法務官室から昇格したのは二週間前のことだ。歴史の長さと政治力はある程度比例する。俺の政治力は法務部よりずっと強い。

 

「さすがにそれはやりすぎだ」

 

 俺は担当者を変えるという策を破棄した。他人を納得させるだけの根拠がない。大義名分のない行動は反発を招く。それで利益を得たとしても、最終的にはより大きな不利益を被るものだ。

 

 結局、ヴァルケ准将は放置することに決めた。軍事司法は軍隊という行政機構に従属する。そのため、裁判所が行う普通の裁判と比べると、軍事裁判は政治的圧力に弱い。ヴァルケ准将が使命感に燃えていても、「天の声」が下りてくればすべてが終わる。

 

「いざとなったら、これがあるしな」

 

 俺は軍服の懐から超小型録音機を取り出す。先ほどの会話はすべて録音していた。彼女が真面目に捜査してくれるのなら構わない。見込み捜査をやったら、録音内容を公開するだけのことだ。

 

 超小型録音機をかばんに入れた後、フライドポテトを取り出し、遅めのおやつを楽しんだ。ほくほくしたジャガイモと塩と油のハーモニーが、舌を楽しませる。

 

 会話を録音するというのは、ドーソン上級大将のアイディアだった。録音機を持っていくところまでは俺も考えた。だが、相談した時に「録音することを事前に通告します」と言ったところ、ドーソン上級大将は隠すべきだと教えてくれた。

 

「事前に通告したら、相手は言葉に気を付けるはずだ。『機密保持のため』などと理由をつけて、録音機を取り上げるかもしれん。隠して本音を言わせろ。失言したらこっちのものだ」

「おっしゃる通りにいたします」

「こっそり録音するのはフェアではないと思ったのだろう。甘いにもほどがある、フェアなだけでは駆け引きはできん。多少の悪意も必要だぞ」

「気を付けます」

「貴官は頭が良くないからな。人の二倍は気を付けないといかん。それでようやく人並みだ。人の教えに耳を傾けるのは立派だが、半分も身についていない。まあ、私が六一年かけて身につけた知恵を、一〇年程度で完全に習得できるはずもないのだがな。貴官はよくやっているぞ。私の教え子の中でここまで伸びた者は他にいない。アッテンボローの奴は私の言うことを聞かなかった。だから、大将にしかなれんのだ。奴が大将で貴官が上級大将ということは、私の教えが正しかったということだな。階級は嘘をつかん。軍隊とは――」

 

 ドーソン上級大将は話が長いのが欠点である。仕事は簡潔明瞭なのに、話は長くてくどい。不思議な人だと思う。

 

 前の世界で戦記を読んだだけなら、ドーソン上級大将が逃亡者擁護に力を貸すなんて、絶対に信じられないはずだ。しかし、彼は威張ることが大好きなので、他人が頭を下げてきたら、「貴官は人を見る目があるな」と言って力を貸してくれる。逃亡者が無罪かどうかには興味がない。

 

 実のところ、逃亡者擁護に協力してくれた人は似たようなものだ。俺に頼まれたから、協力しているだけに過ぎない。逃亡者が無罪だろうが有罪だろうが関係ないと思っている。

 

 彼らの好意がありがたいと思う反面、危ういとも思う。筋が通らないことでも、彼らは協力してくれる。俺が判断を誤ったら、彼らが泥を被ることになるのだ。

 

 権力とは実に便利なものだ。あることについて知りたいと思えば、あっという間に情報が集まってくる。物が欲しいと思えば、あっという間に手元に届く。人に会いたいと思えば、あっという間にアポイントメントを取ることができる。プロジェクトを立ち上げたいと思えば、あっという間に計画案が送られてくる。便利だからこそ、大事に使わなければならない。権力は消耗品である。使いすぎると枯渇してしまう。

 

 部下の中には、逃亡者問題への介入に反対する者もいた。優先順位の低い問題に力をつぎ込むべきではないというのだ。

 

 俺には三つの重要な仕事があった。一つは第一辺境総軍の編成、一つは第二艦隊の編成、一つは講和に反対することだ。勤務時間中は第一辺境総軍と第二艦隊の編成を進め、退勤後はマスコミや軍人に対して講和反対論を述べる。その合間に逃亡者を救うための活動をしていた。

 

 第一辺境総軍は七つある総軍の中で最大の戦力を有する。主力となるのは、第二艦隊・第一一艦隊・第二二艦隊・第六地上軍・第二二地上軍を基幹とする第一辺境統合軍集団だ。第二方面軍はシヴァ星系を中心とする宙域の警備、第七方面軍はエルゴン星系を中心とする宙域の警備、第二二方面軍はアスターテ星系を中心とする宙域の警備を担う。

 

 俺は第一辺境総軍と第一辺境統合軍集団と第二艦隊の司令官を兼任した。第一辺境総軍司令部は第一辺境統合軍集団の司令部でもあるので、実質的には二つの司令官職を保持することになる。

 

 二つの大部隊を同時に編成するという大事業の中心となったのは、第一辺境総軍副司令官パエッタ大将と第一辺境総軍参謀長ワイドボーン大将であった。この二人の実務能力はずば抜けている。チーム・フィリップスの新戦力二名は早くも存在感を発揮した。

 

 最大の悩みは人材の確保であった。トリューニヒト派の国防委員会官僚が台頭したおかげで、事務のできる人材には事欠かない。しかし、経験豊かな指揮官や作戦立案に長けた参謀が不足している。トリューニヒト粛軍によって追放された者の多くは、一線級の指揮官や参謀であった。正規艦隊と機動地上軍の復活、総軍の創設により、幹部ポストが大幅に増えた。供給が減って需要が高まったのだ。各総軍、各艦隊、各地上軍は激しい人材争奪戦を繰り広げた。

 

 第一辺境総軍には優先的に人材が回された。国防委員会は第一辺境総軍をイゼルローン総軍と並ぶ前衛部隊に位置付ける。俺とワイドボーン参謀長は、国防委員会官僚と良い関係を築いているので、交渉が円滑に進んだ。それでも、一部の幕僚は、「逃亡者にかまけてる暇があったら、国防委員会との交渉に時間を割いてくれ」とぼやいた。

 

 講和反対を主張することは、私的にはトリューニヒト派の一員としての義務であり、公的には国防委員会から頼まれた仕事であった。拳を振り上げて講和論者を罵るなんてことはしない。優しげな笑顔を浮かべ、講和問題をわかりやすい言葉で解説し、「講和はしない方がいい」という意見をそれとなく伝える。一般市民や下級軍人の間では、俺の解説は「わかりやすい」と好評なので、こうした仕事には向いていた。

 

 もちろん、俺自身も講和には賛成できない。正確に言うと、反戦派主導の講和には賛成できなかった。物語の世界ならば、「講和が成立しました。平和になりました。めでたしめでたし」で終わる。『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』は、ローエングラム朝とイゼルローン軍が講和して幕を閉じた。しかし、現実の講和はハッピーエンドではない。新しいチャプターの始まりだ。

 

 講和が実現した後は、平和を前提とした新秩序の建設が始まる。ほとんどの場合、講和を主導した勢力が新秩序を主導することになるだろう。講和と新秩序はセットである。

 

 反戦派主導の新秩序の中には、俺や兵士の居場所はない。それだけははっきりしている。レベロ政権時代の同盟は反戦派の天国であり、兵士の地獄であった。反戦派を主導するAACFは、レベロ政権与党よりずっと過激な勢力だ。穏健分子を失った良識派は以前よりも危険だ。AACFと良識派が講和を成立させたら、戦争よりも過酷な平和が始まる。だから、俺は講和に反対する。

 

 三か月前、ボロディン提督に、「破綻するまで戦争を続けるか、同盟存続のために戦争をやめるかを選択する時が来る」と言われたことを思い出した。分岐点の到来は予想よりずっと早かった。彼が生きていたら、俺は「戦争を続けます」と答える。そうしなければ、居場所は守れない。

 

 俺は親しい人の顔を思い浮かべた。チュン・ウー・チェン中将、ラオ少将、カプラン准将、メッサースミス准将、ハラボフ中佐らは、反戦派の世界でも生きていける。ルグランジュ上級大将、イレーシュ少将、ベッカー少将、ドールトン少将らは、多少窮屈に感じるだろうが、どうにかなると思う。しかし、こうした者は一握りだ。

 

 反戦派の世界では生きていけない人があまりに多すぎた。民衆を盾にする作戦を立てた妹、冬バラ会の中心人物だったアンドリュー、主戦派の旗振り役だったホーランド大将、レグニツァの戦犯であるパエッタ大将らは、反戦派に憎まれていた。ドーソン上級大将、ワイドボーン大将、アブダラ中将らは、良識派と確執がある。セレブレッゼ上級大将やベイ准将らは、政治的に良識派と相容れない。クリスチアン予備役大佐は反戦思想が大嫌いだ。ビューフォート中将は軍縮政策など願い下げだろう。トリューニヒト議長やアラルコン上級大将は考えるまでもない。

 

 最後に浮かんだのはシェリル・コレット少将の顔だった。今では英雄として絶大な人気を誇っている。エル・ファシルの逃亡者が帰ってきても、アーサー・リンチの娘という出自が暴かれることはなかった。リンチ少将の訃報を聞いた時、どう思ったのかは知らない。俺が「逃亡者はリンチに騙された」と言い張ることについて、どう思っているのかも語らない。俺は彼女の出自を知らないふりをしてきた。

 

「彼女はどうかな」

 

 一分ほど考えて、コレット少将も生きていけないという結論に達した。良識派は彼女を受け入れるだろう。憎まれる理由が一つもない。けれども、彼女は俺がいない世界で生きようとは思わないのではないか。

 

 一週間前、第三六機動部隊司令官に指名されたコレット少将は、顔を覆って泣き始めた。理由を聞くと、「フィリップス提督が率いたナンバーを継いだんです! 光栄で光栄で……」と涙を流しながら答えた。奮起を促すため、そして逃亡兵問題で苦しんでいる彼女を慰めるために、第三六機動部隊のナンバーを与えたのだが、ここまで感激されると重たく感じる。

 

 彼女の俺に対する感情は、もはや崇拝の域に達していた。何がきっかけでこうなったのかはわからない。

 

 信者と化したコレット少将に対し、副官代理ハラボフ中佐は冷淡極まりない。いつも冷ややかな目で俺を見る。俺と視線が合ったら顔を背ける。飲み会の席では、俺との会話を露骨に避ける。声をかけただけで、顔を怒りで赤くすることもあった。しかも、「仕事に私情を絡めたくない」という理由で、他の部隊への移籍を希望した。ここまで嫌われるとへこんでしまう。

 

 情熱的すぎる部下も冷淡すぎる部下も、大事な戦友であることには変わりない。側近も外様も将官も兵卒もみんな大事な戦友だ。彼女らの立場を守るために頑張りたいと思う。

 

 戦友を守るためにも、兵士の生活を守るためにも、今の段階での講和には賛成できなかった。帝国では門閥派の講和論が優勢だ。同盟の人間がしっかり反対しないと、地獄を見ることになる。

 

「すべては守るためか」

 

 今の俺がやっていることはすべて守ることだ、逃亡者を守るために動き、国を守るために部隊を編成し、仲間を守るために講和反対論を主張している。

 

 考えてみると、軍人になってからずっと何かを守るために戦ってきた。市民を守るため、部下を守るため、国を守るため、約束を守るため、立場を守るため、イメージを守るために戦った。これからもきっとそうなのだろう。


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