銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第5話:惑いの時 宇宙暦788年10月~12月中旬 同盟軍シャンプール駐屯地

 エル・ファシル放棄に伴い、星系警備隊も廃止されると、俺はエルゴン星系第二惑星シャンプールに司令部を置く第七方面軍に移籍して、「第七方面軍管区司令部付」の肩書きを与えられた。次の配属先が決まるまでの腰掛けだ。

 

 故郷から逃げるように出て行った俺は、残りの休暇をシャンプール駐屯地の兵舎で過ごすことに決めた。下士官や兵卒は四人部屋で過ごすが、俺は様々な事情から個室を割り当てられた。兵舎にいる間の衣食住は無料。月給は一四四〇ディナール全額を小遣いにできる。

 

 英雄には身近にいてほしくないと思う人が多いらしく、俺の次の配属先はなかなか決まらなかった。第七方面軍管区司令部の人事担当者によると、来年一月の定例異動までに決まらない可能性もあるらしい。当分の間は遊んで暮らせる見通しだ。

 

 見る人が見れば、極楽のような生活であろう。だが、目標のない生活は心を荒ませる。故郷での経験は、兵役を満了した後に故郷で就職するという漠然とした構想を打ち砕いた。

 

 暇を持て余した俺は、基地の図書館から『同盟軍名将列伝』なる本を借りてきた。前書きによると、「七八〇年までに任命された宇宙軍及び地上軍の元帥一一四名のうち、特に重要な二一名を選んだ」らしい。期待を込めてページをめくったとたん、失望を覚えた。馴染み深いのは、ダゴンの英雄リン・パオとユースフ・トパロウル、同盟軍史上最高の天才ブルース・アッシュビーくらいのものだ。他はほとんどわからない。

 

 仕方なくブルース・アッシュビーの項を読み始めたが、彼らの活躍した時代のことは良くわからないし、郷里の英雄ウォリス・ウォーリックの出番が少なくて、ちっとも面白くなかった。

 

 本を閉じて机の上に置き、携帯端末を操作してネットを見る。ポータルサイトのニュース欄に「国防委員会がリンチ少将の戦功捏造疑惑を調査。勲章剥奪か」という見出しが目に入り、携帯端末をぶん投げた。

 

 俺はもともと無趣味だ。人生で一番のめり込んだ酒と麻薬は、長く苦しい治療の末にとっくにやめた。セックスサービスについては、馴染みの売春婦がサイオキシン中毒で亡くなってからやらなくなった。一時期はまった競馬やスロットは、負け過ぎてうんざりした。好きだった料理はある事件がきっかけでやめてしまった。ヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムの活躍を記した本もここにはない。

 

 徴兵される前にコーヒーショップでバイトしてたことを思い出し、道具を揃えてコーヒーをいれた。だが、飲んでくれる人がいないコーヒーをいれても、ちっとも楽しくない。

 

 ハイネセンで英雄をやっていた頃のことを思い出す。目立つのは嫌だった。持ち上げられるのは居心地が悪かった。それでもやるべきことがあった。故郷に帰るという希望もあった。

 

「あれが懐かしくなるなんて、我ながら弱ってるなあ」

 

 行き詰まりを感じていたある日、新聞の片隅に「公金横領の前収容所長、ハイネセンに身柄を移送」という見出しの記事を見つけた。公金横領容疑で拘束された前エコニア捕虜収容所長バーナビー・コステア宇宙軍大佐が、ハイネセンに移送されたという内容の記事だ。

 

「エコニアの公金横領……?」

 

 ピンときた俺は、携帯端末を取り出して検索した。すると、一一月の中旬に起きたエコニアの捕虜暴動と公金横領発覚の記事が見つかった。コステア大佐が横領した公金は、三五〇万から三六〇万ディナールというから、かなり大きな不祥事だ。しかし、無人星系で独立国家を作ろうとしたカルト教団「輝ける千年王国」討伐作戦、伝説的映画スターのジャーヴィン・レコタの事故死といった大事件と重なったため、あまり注目されなかったらしい。

 

 記事によると、エコニア収容所長コステア大佐は、捕虜の暴動を扇動して公金横領の証拠を隠滅しようとしたが、タナトス星系警備隊司令部の監査によって露見したのだそうだ。監査に協力したエコニア捕虜自治委員長ケーフェンヒラー帝国宇宙軍元大佐は、四三年の捕虜生活から解放されるという。

 

 記事を読み終えた瞬間、強い既視感におそわれた。捕虜の暴動、囚人の長老の協力、不正の告発といった筋書きが、ヤン・ウェンリーの伝記『ヤン・ウェンリー提督の生涯』に書かれたエコニア捕虜収容所事件と同じなのだ。本の中では、エコニア捕虜収容所の参事官だったヤンが、後の参謀長エリック・ムライ、後の副参謀長フョードル・パトリチェフと出会うきっかけとして、この事件を紹介しており、事件の詳細、彼らに協力した囚人の長老の名前については触れられていない。

 

 一方、ヤンやムライやパトリチェフの名前は、この記事にはなかった。しかし、暴動がきっかけで収容所長の公金横領が露見するまでの流れ、囚人の長老が事件解決に協力した事実は、『ヤン・ウェンリー提督の生涯』の記述と近い。

 

「もしかして、エル・ファシルの後も現実に沿った展開になるんじゃないか」

 

 そう考えた俺は、一時間ほどかけて脳髄から記憶を引っ張り出し、役立つ情報を見つけた。

 

「七八八年一二月一五日、サンバルブール競馬場の二歳未勝利戦。競馬史上第四位の高額配当」

 

 ポンと手を打った。四〇代前半の頃に競馬の予想屋と知り合った俺は、一攫千金を狙って大穴の馬になけなしの金を賭け続けた。ネットで高額配当の例を検索しては、大金持ちになった気分に浸ったものだ。その記憶が今になって生きた。

 

「馬の名前も覚えてるぞ。変な名前だった。確か『バンクラプトシー』だ!」

 

 公用語で「自己破産」を意味する名前を思い出した俺は、懐から携帯端末を取り出した。サンバンブール競馬の公式サイトを開き、一五日に二歳馬未勝利戦があるかどうか、バンクラプトシーが出走するかどうかを調べる。

 

「ええと、一二月一五日に第二レースに二歳馬未勝利戦があるな。出走馬は……、あった! 四枠七番にバンクラブトシー! 一六番人気で倍率は六五五倍か!」

 

 俺は興奮した。単勝で一〇〇ディナール賭ければ六万五五〇〇ディナール、一万ディナール賭ければ六五五万ディナールの配当だ。同盟市民の平均生涯賃金は、二一〇万ディナール。一万ディナールをバンクラブトシーに賭ければ、一生遊んでもお釣りが来るような大金が手に入る。そして、特別賞与と勲章の一時金を合わせて一万ディナールが俺の口座に入っている。

 

 迷いは無かった。俺は預金を全額おろし、エアバイクに乗って場外馬券発売所に行き、バンクラプトシーの馬券を購入する。新しい人生を始めるための軍資金を手に入れるのだ。

 

 一二月一五日午前一〇時三〇分、運命の時がやってきた。俺は自室のテレビで運命のレースを観戦する。貧弱な馬体、汚い毛並みのバンクラブトシーは、見た目だけで不人気馬と分かる。だが、このみすぼらしい馬が俺が大金持ちにしてくれるのだ。

 

 ついにゲートが開いた。バンクラブトシーは六五五万ディナールの夢を乗せてよろよろと走りだす。椅子から立ち上がり、拳を握り締めながら画面を見詰める。

 

「おおっと! 落馬です! バンクラブトシー落馬!」

 

 なんと、あっという間にバンクラブトシーは足をもつれさせて転倒してしまった。六五五万ディナールの夢は、全財産とともに消えてしまい、この世界が現実の知識を使ってうまく立ち回れるほど甘くないことを思い知らされたのである。

 

 

 

 無一文になった俺は、改めて今後のことを真面目に考えた。いずれは新しい部署に配属されて、兵役の残り期間を務めることになるだろう。しかし、その後の展望はまったく無い。

 

 故郷に帰らないならば、ハイネセンで仕事を探すことになる。しかし、俺は頭も体力も人並み以下、専門技能も無く、最終学歴は地方高校の就職コースだ。新聞や雑誌を読んだところによると、この夢の中の世界も景気があまり良くないようだ。有名大学や名門スポーツ校の卒業生でも就職できない世の中では、役立たずの若造を正社員にしてくれる会社なんて考えられないだろう。

 

「そうだ、これを使おう」

 

 机の引き出しを開き、山のようにある偉い人の名刺の中から、一番偉そうなロイヤル・サンフォード下院議員の名刺を取り出した。何と言っても与党国民平和会議の党五役の下院院内総務だ。あのヨブ・トリューニヒトなんかよりずっと大物である。

 

 政治家は就職相談にも応じてくれると聞く。ネットで調べたところによると、サンフォード議員は、党幹事長、党総務会長、国務委員長、地域社会開発委員長、最高評議会書記局長などを歴任した主戦派の大物だという。これだけ力のある政治家なら、かなりいい仕事を紹介してもらえるに違いない。現実では同盟滅亡の戦犯と言われる人物だが、就職を斡旋してもらう分には関係ない。

 

 期待に胸を踊らせながら、サンフォード議員の事務所に電話した。しかし、電話に出た秘書は話を聞いてくれたけれども、まったく具体的な話はしてくれず、体良くあしらわれたといった感じだった。星系議会議員、惑星議会議員、州議会議員、市議会議員なんかの事務所に電話しても、感触は似たようなものであった。

 

 政治家のコネはあてにならないと判断したところで、大事なことを思い出した。俺は使えない奴だ。そして、兵隊という人種は、使えない奴にはとても冷たい。

 

 七九九年に家を追い出された俺は、志願兵として軍隊に入り、首都防衛軍陸戦隊に配属された。当時の同盟軍は攻め寄せてきた帝国軍を迎撃するの戦力を集めていて、三〇過ぎの不名誉除隊者でも入隊できたのだ。

 

 要領が悪く体力も劣る俺は、うまく軍務をこなせなかった。しかも、エル・ファシルの逃亡者で不名誉除隊の前歴がある。意地悪な下士官や古参兵に目をつけられるのは、時間の問題だった。

 

 毎日のように殴る蹴るの暴行を受け、部屋の中でも罵倒された。金や物を脅し取られ、給料を前借りまでして差し出した。食事を取り上げられて、三日間何も食べられなかったことがあった。ロッカーに閉じ込められて勤務に出られなかったことを無断欠勤と報告されて、懲罰を受けたこともあった。「私は卑怯者です」という言葉をひたすら書き取りさせられたこともあった。

 

 脱走する直前には、人が手を動かすだけでパンチが飛んでくるのを恐れ、人が口を動かすだけで罵声が飛んでくるのを恐れるようになった。中心人物のタッツィー曹長、カーヴェイ伍長、ピロー上等兵などは、今でも夢に出てくる。

 

 兵卒を続けたら、またリンチを受けるんじゃないか?

 

 そんなことを思った。すべての人がエル・ファシルの英雄に敬意を払うとは限らない。俺が持ち上げられてるのを不快に思う者も少なくないのではないか。

 

 急に怖くなってきた。兵役が満了するまでの二年を無事に過ごせる自信が無い。あんな思いはもう嫌だ。いったいどうすればいいのか。

 

 途方に暮れた俺の頭の中に浮かんできたのは、二か月前のクリスチアン少佐の言葉だった。

 

「短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には、軍人として家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は我らを思いだせ」

 

 彼なら力になってくれるんじゃないか。そう考えた俺は携帯端末を取り出して、クリスチアン少佐宛のメールを打ち始めた。

 

 返信と事務連絡以外のメールを書くなんて、何十年ぶりだろうか。文章を書いては消し、書いては消しを繰り返し、一〇〇文字程度のメールを書くのに一時間もかかった。三〇分ほど迷った後に送信した。

 

 共同浴場で入浴してから部屋に戻ると、クリスチアン少佐から返信があった。不安を押さえながら確認すると、「小官はメールが苦手だ。直接話そう。貴官の準備ができたら返信せよ。今晩は一二時まで空いている」という内容。

 

 急いで返信した。すぐに携帯端末の無機質な着信音が鳴り響く。もちろんクリスチアン少佐からだ。

 

「お久しぶりです、少佐」

「うむ、相談したいそうだな。小官は社交辞令は苦手だ。単刀直入に話せ」

「今は不景気ですよね。民間で就職するのは難しいと思ったんです」

「そうか、職業軍人を目指すのだな!」

 

 クリスチアン少佐の声が嬉しそうになった。

 

「あ、いや……」

 

 自分の迂闊さを呪った。良く考えたら、クリスチアン少佐に相談したら、こういう話になるのはごく自然ななりゆきではないか。

 

「貴官ならきっと正しい道を選ぶ。そう信じていた」

「そうでは……」

「軍隊を選んでくれたこと、心より嬉しく思うぞ!」

 

 携帯端末を通しても、クリスチアン少佐の喜びの大きさが伝わってくる。今さら「そんなつもりじゃない」とは言えない。

 

「我が軍の職業軍人には、士官と下士官と志願兵がいる。貴官の希望はどれだ?」

 

 クリスチアン少佐は俺の困惑にも構わず選択肢を突きつけてきた。なんというか、恐ろしく強引である。

 

「ええと……」

 

 喜んでるクリスチアン少佐をがっかりさせてはいけない。職業軍人になると仮定して考えようと思った。

 

 志願兵は論外だ。悪い思い出があるし、一期三年契約の不正規雇用なのも安定志向の俺には合わない。仮に目指すとしたら、正規雇用の下士官か士官だろう。兵卒にとって下士官は神様で、士官にはその神様も頭を下げてくる。

 

「下士官か士官でしょうか。正規職員がいいですから」

「軍に骨を埋めたいということか。貴官ならそう言ってくれると思っていた」

「俺はあまり軍人の生活に詳しくありません。参考のために下士官と士官の両方について教えていただけませんでしょうか」

「良かろう。下士官は兵卒をまとめ、士官の出した命令を守らせる現場監督だ。部隊の強さは下士官の出来に左右される。我が軍を支える崇高な仕事といえよう。初任給は伍長が一六二〇ディナール。地方公務員の初任給とあまり変わらん。だが、国防の意義と福利厚生を考慮すれば、下士官の方が良い仕事なのは言うまでもない」

「なるほど」

「士官は下士官と兵卒に命令を出す管理職だ。どんなに強い部隊でも、士官が正しい命令を出さなければ力を発揮できない。国防の要となる聖職といえよう。初任給は二二五〇ディナール。国家公務員上級職試験合格者の初任給とほぼ同じだな。だが、国防の意義と福利厚生を考慮すれば、士官の方が良い仕事なのは言うまでもない」

「ええと、つまり下士官は巡査部長、士官は警部補以上ということになるんでしょうか? 俺の父は警察官なので、警察の階級を基準に考えてしまいます」

「そう考えても間違いはなかろう。給与等級もほぼ同じであるからな」

「ありがとうございます」

 

 俺は礼を言った。巡査部長や警部補のようなものなら、職業軍人も悪くないと思えてくる。

 

「下士官に任官するには、三つのルートがある。専科学校、兵卒からの昇進、兵役満了時の下士官選抜の三つの経路がある。一番簡単なのは専科学校だな。卒業すれば無条件で伍長に任官できる。しかし、受験資格は一六歳から一八歳まで。貴官の年齢では無理だ」

「残念です」

 

 これは本心からの言葉だった。卒業すれば無条件で巡査部長並みの仕事に就けるなんて、とてもいい学校だ。しかし、軍の専科学校に進学するには、中学の職業教育コースで上位になれる学力が必要だ。俺は中学でも高校でも職業教育コースだったが、最下位に近かった。中学や高校でもっと勉強しておけば良かったと後悔した。

 

「兵卒から下士官に昇進するには、勤務成績が抜群に優秀でなければならない。スキルの高い古参志願兵向けのルートだな。一期三年しか勤務できない徴集兵では、スキルを磨く前に兵役が終わってしまう」

「なるほど」

「貴官が目指すとすれば、兵役満了時の下士官選抜だ。兵役期間中に兵長まで昇進した徴集兵は、下士官選抜の受験資格を得る。合格した者のみが伍長に任官できるが、形だけの試験だから間違いなく通る」

「これはいいですね。誰でも通るというのがいいです」

 

 下士官選抜がとてつもなく魅力的に見えた。しかし、その次の瞬間にある事実に気づく。受験資格を得るには、兵役を最後まで務めなければならないのだ。

 

「なら、下士官選抜を目指すか」

「士官になる方法も教えていただけませんでしょうか? 参考にしたいんです」

 

 兵役を最後まで務めることになってはたまらない。慌てて話を逸らした。

 

「いいだろう。士官に任官するには、士官学校、幹部候補生養成所、予備士官養成課程の三つのルートがある。予備士官養成課程は、技術系の大学で軍の奨学金を受ける代わりに軍事教練を受け、卒業と同時に予備役将校に任官する。だが、これは貴官には関係ないな。士官学校の受験資格は、専科学校と同じ一六歳から一八歳まで。貴官の年齢では対象外だ」

「そうでしたか」

 

 残念そうに答えたが、これは口先だけだ。同盟軍の士官学校は、国立中央自治大学、ハイネセン記念大学と並ぶ最難関校。しかも、スポーツ経験や課外活動経験まで試験に影響する。たとえ俺が一八歳でも、職業教育コース最下位の学力、ベースボール部の万年幽霊部員では書類選考すら通らない。

 

「幹部候補生養成所の受験資格は、上官の他に将官を含む士官二名の推薦を受けた下士官や兵卒に与えられる。受験者には幹部適性試験が課されるが、准尉や曹長の階級にある者は免除される。かく言う小官は、准尉の時に推薦を得て幹部候補生養成所に入った」

「推薦を取るのが一次試験、幹部適性試験が二次試験ということでしょうか」

「そういうことだな」

「つまり、俺は推薦を取ってから、幹部適性試験を受ければいいんですね」

 

 声が弾む。下士官を飛び越えて、いきなり士官になれる可能性が出てきたのだ。神様より偉い存在、すなわち全能神だ。

 

 下士官や兵卒は、既婚者を除けば基地の中の兵舎で共同生活を送る。しかし、士官は基地の外で官舎を与えられて一人暮らしをする。軍艦に乗っている時も個室が割り当てられる。雑用係の将校当番兵が付き、身の回りの世話をしてくれる。下士官や兵卒とは別の士官食堂で、腕の良い調理師が作った料理を食べられる。心がダンスを踊りだした。

 

「まあ、そういうことになるが……。何と言っても貴官はエル・ファシルの英雄。推薦者はすぐ見つかるだろう。しかし……」

 

 これまで勢い良く話していたクリスチアン少佐は、急に歯切れが悪くなった。そういうのはやめてほしい。不安になる。

 

「幹部適性と言うのは、要するに『士官学校を卒業した者と同等の能力』なのだ。貴官ならば、人物審査と体力検定は問題なく通るだろうが……。学力試験が問題だ。士官学校の入学試験と同レベルの問題が出る。ちょっと勉強のできる大卒の一等兵なんぞに士官になられてはたまらんからな」

 

 がくっと来てしまった。惑星ハイネセンのオリンピア市にある同盟軍士官学校は、国立中央自治大学、ハイネセン記念大学に匹敵する最難関校と言われ、毎年五〇〇〇人程度しか入学できない。そんな学校に入れるような学力なんて、持ち合わせていなかった。

 

 中学の同じ学年の進学コースに、入学から卒業まで上位三位を独占した三人の天才がいた。しかし、その一人は士官学校に落ち、残る二人も三大難関校よりも一ランクか二ランク低い学校に進学した。先日のクラス会で出会ったフーゴ・ドラープなんかは、それよりもさらにランクの低いパラス行政アカデミーだ。それでも、俺よりはずっと学力が高いのである。

 

「やはり兵役を務め上げてから、下士官選抜を受けるべきではないか? 士官に興味があるのはわかる。だが、貴官はまだ若い。今はじっくり経験を積むべきだ。我が軍は積極的に有能な下士官を士官に登用している。砲術や通信といった専門職の士官は、ほとんど下士官出身者だ。艦長や連隊長まで昇進する者もいる。与えられた仕事をこつこつとこなし、一つずつ階段を登れ。貴官なら一〇年もかければ士官になれる」

 

 とても懇切丁寧にクリスチアン少佐は俺を諭す。兵役を務めるのが怖いだけだなんて、言えそうにない雰囲気だ。

 

 下士官も士官も無理と分かった。ならば、ここで返事はしたくない。俺は強引に話を逸らした。

 

「なるほど。ところで少佐は軍隊の中のリンチについてどう思われますか?」

「言うまでもなかろう」

 

 クリスチアン少佐の声のトーンが不機嫌そうになった。こういう人は「兵隊は殴れば殴るほど強くなる」と思ってるに違いない。話題の選択を間違えたと後悔した。

 

「上官は親で部下は子供、古参兵は兄で新兵は弟だ。子供を殴る親、弟を殴る兄など話にならん。身を正していれば、黙っていても部下は付いてくる。ひとたび突撃すれば、死なせてはならんと奮い立った部下が後に続く。それが上官の威厳というものだ。臆病者には威厳がない。殴って言うことを聞かせようとする上官は臆病なのだ。そのような上官になってはいかんぞ。部下に尊敬される上官を目指せ」

 

 気持ち良いぐらいばっさりと否定された。彼のようなタイプは、「拳で言うことを聞かせる」のに肯定的だと思ってた。

 

 俺が読んだ本では、軍隊的な価値観に染まってるトリューニヒト派や救国軍事会議は、暴力的な存在として描かれ、彼らの暴力に良識をもって対抗する存在がヤン・ウェンリーだった。実際に軍人に暴力を振るわれた俺は、年老いてから戦記を読んで、軍隊と暴力は切り離せないものだと確信したものだ。しかし、根っから軍隊に染まりきったクリスチアン少佐は、暴力を「臆病」と否定する。軍隊的な価値観の持ち主が、必ずしも暴力を肯定するわけではないということを知った。

 

「お教えいただき感謝いたします」

「うむ。気になったことはすぐ人に聞く。その率直さは貴官の長所だ。大事にせよ」

「はい」

 

 こんな人が上官なら、軍隊も悪くないんじゃないか。そんなことをふと思った。

 

「結論は出たか?」

「ちょっと時間をいただけませんか」

「だめだ。今すぐ決めろ」

 

 いきなり決断を迫られた。そもそも、職業軍人になると決めたわけではないのだ。何とかして話を逸らさねば。

 

「お話を伺ったばかりですので、じっくり考えてみたいと……」

「貴官は迷いに迷って相談したのだろう!? さらに迷いを重ねてどうするかっ! 人生は限りがあるのだ! 一日決断が遅れれば、一年歩みが遅れる! 迷うだけ時間の無駄だ! たった二つの選択肢だぞ! 片方を選ぶだけだ! 一瞬ではないかっ!」

 

 クリスチアン少佐は、びっくりするほど強引に話を進める。ここで決めるしか無い。理性ではなく本能でそう悟った。

 

「わかりました。今からコイントスをします。表が出たら下士官を目指し、裏が出たら士官を目指します」

「うむ!」

 

 考えても答えが出ない時は、天に委ねる。それが俺のやり方だ。学校のテストでもシャープペンを倒して答えを選んだものだ。ことごとく外したが。

 

 コインを投げる。床に落ちた。出たのは……、表だ。

 

「おもて……」

 

 答えを口に出しかけた時、志願兵時代のことを思い出した。

 

「裏が出ました! 士官を目指します!」

「よく言った! 後は努力をするだけだ!」

「はい! 頑張ります!」

「貴官ならできる! 貴官も自分を信じろ!」

「ありがとうございました!」

「うむ。夜ももう遅い。今日は寝て明日のために英気を養え!」

「はい!」

 

 元気に答えて、通信は終わった。スイッチを切った後、急に血の気が引いていく。

 

「うわあ、本当に士官目指すのか……」

 

 こともあろうにあのクリスチアン少佐にとんでもない約束をしてしまった。少しでも手抜きをしたら、どれほど激しく叱られるか想像もつかない。

 

「馬鹿すぎるだろ、俺……」

 

 すごくめんどくさい事になってるはずなのに、なぜか俺の顔は笑っていた。




一ディナールは現代の一ドルくらいを想定しています。

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