銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第106話:赤毛VS赤毛 802年10月11日 イゼルローン要塞

 会議室に軍服を着た人々が集まった。半数は生身の人間、半数はティアマト星系にいる人間の立体映像である。

 

「ガイエスブルク要塞は直径四五キロの人工天体です。三重に重なった複合装甲が表面を覆っています。主砲の硬X線ビーム砲は七億四〇〇〇万メガワット。対空砲の数はおよそ六〇〇〇基。艦艇一万六〇〇〇隻を収容できる補給基地であると同時に、強力な通信基地・索敵基地でもあります」

 

 第一辺境総軍首席副官ユリエ・ハラボフ大佐は、イゼルローンから四光秒(一二〇万キロメートル)の距離にワープした物体について説明した。

 

「九億四〇〇〇万メガワットと七億四〇〇〇万メガワットの撃ち合いか。盛大な花火大会になりそうですな」

 

 要塞軍集団司令官シェーンコップ大将は冗談を口にしたが、いつもの余裕は感じられない。笑い飛ばすには状況が深刻すぎた。

 

「早期攻略は困難です。蜂群戦術は使えません。正面から突っ込めば、要塞砲の餌食になります。要塞攻略のセオリーが通用しません」

 

 第一辺境総軍参謀長ワイドボーン大将は険しい表情でスクリーンを見た。

 

「手探りの戦いになりますな」

 

 イゼルローン総軍総参謀長パトリチェフ大将がため息をついた。彼がヤン元帥とともに策定した回廊防衛計画は、要塞という未知の要素によって価値を失った。指針がない状態で作戦を練らなければならないのだ。いつもの陽気さが失われるのも、やむを得ないことであった。

 

「ヤン元帥に戻っていただかないと、どうしようもないですね」

 

 第四艦隊司令官ジャスパー大将が出席者の顔を見回す。「フィリップスでは駄目だ」と遠回しに言っているのは明白である。

 

「そうだな」

 

 俺は即座に同意すると、部下の顔を見回した。目で「我慢しろ」と語った。緊張しかけた空気が元に戻る。

 

 ミーティング終了直後、第一辺境総軍とイゼルローン総軍は、国防委員会からの通知を受け取った。ヤン・ウェンリー元帥との「極秘の相談」を打ち切り、イゼルローンに帰還させるという内容であった。

 

 トリューニヒト議長は予想通りに動いた。市民は「フィリップスがいれば、ヤンは必要ない」などとは考えない。英雄が二人いるなら、肩を並べて戦ってほしいと願うものだ。ヤン元帥が戻ってこなければ、市民は「早く出せ!」と騒ぐだろう。騒ぎになる前にヤン元帥を解放する以外の道はなかった。

 

「先見の明を誇る気にはなれないけど」

 

 俺は大きく息を吐き、要塞軍集団司令部の中央司令室に入った。八〇メートル四方の広さと一六メートルの高さを持つ広大な部屋の中を歩き、司令官席に腰を下ろす。左隣に首席副官ハラボフ大佐、右隣に参謀長ワイドボーン大将、後ろに要塞軍集団司令官シェーンコップ大将が座る。周囲の席には、副参謀長チュン・ウー・チェン中将をはじめとする主要幕僚が腰かけた。

 

 チーム・フィリップスはてきぱきと動いた。最高評議会と国防委員会に敵襲を知らせ、支援を求める。回廊全域に緊急事態宣言を発令し、民間人の避難準備、民間船の航行制限、星間通信及び星間輸送の統制などを行う。指揮下の全軍に出動準備を命じる。ラハムから第四艦隊と第一一艦隊を呼び寄せる。エリヤ・フィリップスは無能だが、チーム・フィリップスは優秀だ。

 

 六時三五分、イゼルローン要塞のアンテナが、ガイエスブルク要塞から流れてきた通信波をキャッチした。同盟軍との交信を求めているという。

 

「いかがなさいますか?」

「チャンネルを開け」

 

 俺が交信許可を出すと、炎のように真っ赤な赤毛を持つ人物がメインスクリーンに現れた。

 

「小官は銀河帝国宇宙軍元帥ジークフリード・フォン・キルヒアイスです。皇帝陛下の命により、あなた方と戦うことになりました。小官には民と国土を守る義務があります。あなた方をこれ以上前進させるわけにはいきません」

 

 ジークフリード・キルヒアイス元帥は、顔をきりりと引き締め、背筋をまっすぐに伸ばし、きれいな同盟公用語で語り掛けた。見ているだけで魂が浄化されそうな爽やかさである。

 

「銀河に帝国の領土でない土地はなく、帝国の民でない人間はおりません。あなた方も帝国の民です。できることならば、降伏していただきたいと願います。降伏が無理であれば、退いていただきたいと願います。退くことができないのであれば、全力で戦いましょう。我々は最善を尽くすことによって、あなた方への敬意を示したいと思います。武運を祈ります」

 

 キルヒアイス元帥は体を前方に折り曲げて、最敬礼の姿勢をとった。宣戦布告というより、選手宣誓のように見えた。

 

 感動を受けない者は一人もいなかった。同盟人を蔑んできた国の元帥が、自分たちの言葉で語り掛けてきた。そして、最敬礼をしたのだ。ここまで礼を尽くされたら、誰だって心が震える。

 

「大したものだ」

 

 シェーンコップ大将が小声で呟いた。皮肉屋の彼ですら、キルヒアイス元帥を称賛せずにはいられない。

 

 俺は負けを悟った。味方の足を引っ張る小物と、敵を感動させる武人。ありふれた童顔と爽やかな男前。一六九センチと一九〇センチ。ありふれた人参色の赤毛と、炎のような赤毛。武人としても、人間としても、赤毛としても格が違う。

 

「返信なさいますか?」

 

 人参色の赤毛を持つハラボフ大佐の問いに対し、俺は首を横に振った。

 

「やめておこう。敵がヤン提督の不在に気づくのは時間の問題だ。それでも、こちらから知らせてやる義理はない」

 

 もっともらしい理由をつけたものの、本当は顔を見せたくないだけだった。俺ごとき小物がキルヒアイス元帥に顔を見せるなど、非礼の極みである。

 

 メインスクリーンからキルヒアイス元帥が消え、ガイエスブルク要塞が再び画面に現れた。イゼルローン要塞と同じ色の外壁に、大きな光点が浮かんだ。

 

「ガイエスブルグ要塞の主砲、エネルギー充填中です!」

 

 オペレーターの悲鳴に近い声が鳴り響いた。

 

「総員、衝撃に備えろ!」

 

 俺はマイクを握って叫んだ。前の世界で学んだ知識がそうさせた。イゼルローン要塞の装甲は、要塞砲の直撃には耐えられない。

 

 禿鷲の鉤爪がイゼルローン要塞に襲い掛かった。エネルギー中和磁場はあっという間にかき消された。耐ビーム鏡面処理を施された外壁は、巨大な熱量に耐えられない。四重に重ねられた超硬度鋼と結晶繊維とスーパーセラミックの複合装甲は、数秒で突き破られた。

 

 七億四〇〇〇万メガワットが要塞内部で炸裂した。広い範囲で爆発が生じ、轟音とともにイゼルローン要塞が激しく揺れる。

 

「うわっ!」

 

 俺はバランスを崩し、左側に倒れた。そして、柔らかいものにぶつかった。

 

「RC三三ブロック、RC四七ブロック、RC六一ブロック、RD七〇ブロックが破損!」

「RF五二ブロックの外壁が大破!」

「RG二九ブロックの生命反応が消滅!」

「第二〇四警戒群、第二一〇警戒群、第二一五警戒群が応答しません!」

「RG七一ブロックの第一一三防空群が全滅した模様!」

 

 オペレーターが被害状況を次々と報告する。多数の対空砲やレーダーサイトが、兵士もろとも吹き飛ばされた。要塞砲の一撃はすさまじい損害をもたらした。

 

「破損したブロックはすべて放棄だ! 生存者の救出を急げ! 被害状況の把握に努めろ!」

 

 俺は床に右手をつき、上半身を起こした姿勢で指示を飛ばした。今は一刻を争う時だ。立ち上がる時間すら惜しい。

 

 要塞軍集団司令官シェーンコップ大将が足早に歩み寄ってきた。身をかがめ、目線の高さを俺に合わせる。

 

「司令官閣下、反撃の命令をお願いします」

「艦隊を出撃させる余裕なんてないぞ」

「こちらも主砲をぶっ放すんです」

「主砲を撃ち合えと言うのか!? 相打ちになるぞ!」

 

 俺は真っ青になって首を振った。

 

「相打ちの可能性があることを教えてやるんです。そうすれば、敵もうかつに主砲を使えなくなります」

 

 シェーンコップ大将は噛んで含めるように説明した。

 

「なるほど、そういうことか」

 

 俺はシェーンコップ大将の手を借りて立ち上がると、要塞砲兵司令部に連絡を入れた。

 

「トゥールハンマーを発射する! エネルギー充填を開始しろ!」

 

 銀河最大の大砲にエネルギーが充填されていく。充填率を示すメーターが白から黄色、黄色からオレンジへと切り替わる。

 

「エネルギー充填完了! 照準固定完了!」

 

 この報告を耳にした途端、心臓が激しく飛び跳ねた。史上最強の大砲が自分の手に委ねられた。その事実は小物を震え上がらせるには充分である。

 

「撃て!」

 

 俺が手を振り下ろした瞬間、雷神の槌が禿鷲の城を殴りつけた。九億四〇〇〇万メガワットの熱量が炸裂する。エネルギー中和磁場と複合装甲が吹き飛び、外壁に爆発光が閃いた。

 

「やったぞ!」

 

 司令室が歓声に包まれた。得体の知れない敵にもトゥールハンマーが通用する。その事実が人々を勇気づけた。

 

 次の瞬間、禿鷲の鉤爪がイゼルローンに突き刺さった。爆音が鳴り響くと同時に地面が激しく揺れる。俺は派手に転び、柔らかいものにぶつかって一緒に倒れこんだ。

 

「FR五七ブロック、FR八八ブロック、FX一二ブロック、FY四一ブロックが破損!」

「第三二防空群、第三六防空群が壊滅!」

「FQ九四ブロックのレーダーサイトが全壊しました!」

 

 オペレーターが次々と凶報を伝えた。一撃目に勝るとも劣らない損害である。

 

「トゥールハンマーを撃つぞ! エネルギーを充填しろ!」

 

 俺は柔らかいものに手をついて立ち上がり、反撃を命令する。

 

「撃て!」

 

 トゥールハンマーが再び振り下ろされた。ガイエスブルグの外壁を爆発光が彩る。敵が相当な損害を被ったことは疑いようもない。

 

「敵が主砲を撃ってきました!」

 

 悲鳴のような報告と同時に、要塞が激しく揺れる。俺は柔らかいものにぶつかって転んだ。被害状況を伝える情報が次々と入ってくる。幕僚やオペレーターは対応に追われた。

 

「撃ち返せ!」

 

 トゥールハンマーとガイエスハーケンの撃ち合いが続いた。二つの要塞が取っ組み合っているかのような光景である。

 

「司令官閣下」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長が話しかけてきた。

 

「どうした?」

「レーダースクリーンの両端をごらんください」

「わかった」

 

 俺は急いで立ち上がり、レーダースクリーンを見た。二つの光点の群れが、回廊外縁に貼り付くように移動している。左右からイゼルローン要塞に回り込む態勢である。

 

 敵の意図がようやく理解できた。ガイエスハーケンは陽動に過ぎなかった。俺たちが救難活動や情報収集に追われている隙に、艦隊を回り込ませるつもりなのだ。

 

「やってくれるじゃないか」

 

 俺は喉まで出かかった狼狽の声を抑え、余裕ありげに呟いた。部下を安心させるためには、こうした演技が必要になる。

 

「トゥールハンマーで吹き飛ばしてやる」

「それはいけません」

「なぜだ?」

「要塞を回転させたら、軍港群が要塞砲の射程に入ります」

「それはまずいな」

「艦隊を出動させましょう」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長の進言は、独創的とは言えないが、心を落ち着かせてくれた。のんびりした声を聴くと、何があっても大したことではないように思える。

 

 俺は艦隊を出動させた。第二艦隊副司令官アップルトン中将率いる六〇〇〇隻が右側、要塞艦隊司令官アッテンボロー大将率いる六〇〇〇隻が左側に展開した。第一辺境総軍副司令官パエッタ大将率いる六〇〇〇隻は、予備として残す。

 

 アップルトン中将とアッテンボロー大将は斜め前に進み、敵の側面を突く態勢をとった。このまま進めば、敵は同盟軍と危険宙域に挟まれ、身動きが取れなくなるだろう。

 

 敵は回廊外縁から離れて針路を変えた。ミュラー大将の第三驃騎兵艦隊が右斜め前に進み、アイヘンドルフ大将の第三胸甲騎兵艦隊が左斜め前に進む。挟まれる前にすり抜けるつもりだ。

 

「全速力で突っ込め! 乱戦に持ち込むんだ!」

 

 レダ級巡航艦を中心とする部隊が突入し、敵を乱戦に引きずり込んだ。要塞と危険宙域に挟まれた狭い空間で、敵と味方が入り乱れて戦う。どの艦も速度を落とし、他艦と衝突しないように注意しつつ、短距離砲を放つ。母艦から発進した単座式戦闘艇は、小さな機体を生かして縦横無尽に飛び回り、肉薄攻撃を仕掛ける。

 

「要塞空戦隊、出撃せよ!」

 

 単座式戦闘艇「スパルタニアン」四〇〇〇機が出撃した。四個空戦戦隊に匹敵する空戦戦力が加わったことにより、同盟軍の戦闘力は著しく向上した。

 

 イゼルローン要塞の右側で、白熱した戦いが繰り広げられた。両軍ともに練度は今一つであったが、指揮官の卓越した手腕により、生き生きとした動きを見せる。柔軟なアッテンボロー大将と果敢なミュラー大将の戦いは、名人戦の様相を呈していた。

 

「あの二人が互角とはね」

 

 俺はアッテンボロー大将の手腕に舌を巻いた。あのナイトハルト・ミュラーと互角に戦えるとは思わなかったのだ。

 

 前の世界のナイトハルト・ミュラーは、偉大な提督であった。二〇代で艦隊司令官となり、主君ラインハルトの危機を救い、双璧に次ぐ功績を立てた。バーミリオン会戦では、旗艦を三度撃沈されても戦い続けて、「鉄壁ミュラー」の異名を得た。アレクサンデル帝の時代には、帝国軍三長官・宮内尚書・貴族院議長を歴任し、ローエングラム朝の安定に尽くした。

 

 ダスティ・アッテンボローは前の世界でも偉人であったが、ミュラーと比べると見劣りがする。艦隊を率いる機会に恵まれず、「ヤン艦隊最強の分艦隊司令官」に留まった。トップクラスの艦隊司令官と対等の立場で戦ったことは一度もない。彼の好敵手は、「帝国軍最強の分艦隊司令官」バイエルライン提督であった。バーラト自治議会では与党非主流派の指導者、帝国議会では小政党の党首に過ぎず、銀河政局に影響を及ぼすことはなかった。

 

 イゼルローンに前の世界を知る者がいたら、呆然とするだろう。優秀な分艦隊司令官に過ぎなかった提督が、偉大な艦隊司令官と互角に戦っているのだから。

 

「まったくです。ミュラー提督がここまでやるとは思いませんでした」

 

 ラオ作戦部長が意外なことを言った。

 

「えっ!?」

「格上のアッテンボロー提督と互角に渡り合っているんですよ。大したものです」

「…………」

 

 俺は言葉に詰まった。ラオ作戦部長は常識的な意見を述べたに過ぎない。この世界のアッテンボロー提督は、ミュラー提督よりずっと格上とされる。しかし、心の奥底に「ミュラー提督の方が格上」という固定観念があるので、素直に受け入れられなかった。

 

 この世界のナイトハルト・ミュラーは、「火の玉ミュラー」の異名を持っていた。炎のような闘志を持ち、まっしぐらに敵に突っ込んでいき、多大な戦果をあげた。もっとも、突出しすぎて危機に陥ることも少なくない。勇猛な分艦隊司令官だが、艦隊を率いる器ではないというのが一般的な評価だった。

 

「ごらんください」

 

 ラオ作戦部長はミュラー艦隊を指さした。

 

「猪突猛進に見えますが、いいタイミングでいいポイントを突きます。なかなかの戦術眼です。評価を改めないといけないかもしれません」

「そうだな」

 

 俺はこの世界の常識に妥協した。ラオ作戦部長がミュラー大将に与えた評価は、前の世界でビッテンフェルトに与えた評価と同じなのだが、あえて突っ込もうとは思わない。

 

 今になって思うと、前の世界の「鉄壁ミュラー」の戦いぶりは無茶苦茶だった。バーミリオン会戦では、強行軍で戦場に駆け付け、名将モートン提督の艦隊を粉砕し、ヤン本隊とラインハルト本隊の間に割り込み、同盟軍の艦列に突っ込んだ。そして、旗艦を三度撃沈されても戦い続けた。マル・アデッタ会戦や回廊の戦いでも、主君を守るために体を張った。温厚な人柄のせいで、慎重派というイメージがあるが、本当は燃えるような闘魂の持ち主なのだ。

 

 ビッテンフェルト提督が「鉄壁ビッテン」の異名で呼ばれる世界なら、ミュラー提督が「猪突猛進」と言われたっておかしくない。彼らのような熱い男は、堅陣を突き破る鉾にもなるし、主君を守る盾にもなる。

 

 周囲では、幕僚たちが「まぐれだろう」「まぐれで渡り合えるほど、アッテンボロー提督は甘くないぞ」などと語り合っていた。用兵のプロでも、ミュラー大将の真価を計りかねている。

 

 ワイドボーン参謀長とチュン・ウー・チェン副参謀長の二人は、真剣なまなざしをスクリーンに向けた。ミュラー大将の善戦がまぐれでないと見抜いたのだろう。さすがは名参謀だ。

 

 イゼルローン要塞の左側では、締まらない戦いが続いている。第二艦隊は練度が高いのに、動きが良くない。第三胸甲騎兵艦隊は勇敢で戦い慣れているが、連携がまったく取れていない。両軍ともに拙攻を繰り返した結果、拮抗状態になった。

 

 第二艦隊を指揮するアップルトン中将は努力を重ねたが、中級指揮官に問題があった。ケンボイ中将は部下を萎縮させた。モンターニョ中将は部下をうんざりさせた。デュドネイ中将は部下を不安にさせた。

 

「あの三人はあなたが直接指揮した方がいいかもしれません。アップルトン中将では荷が重すぎるようです」

「どういうことだ? 彼は俺よりずっと有能だぞ」

「能力の問題ではありません。名前の問題です」

「そういうことか」

 

 俺は苦い気分になった。アップルトン中将は有能だが、一〇年前に大敗してから武勲を一つもあげていない。兵士にしてみれば、上官も総指揮官も信頼できないのだろう。

 

「唯一の救いは敵が同レベルだってことですね」

 

 ラオ作戦部長が身も蓋もないことを言う。戦記に登場するラオ参謀は大人しいのに、チーム・フィリップスのラオ作戦部長は口が悪い。同一人物とは思えないほどだ。

 

「まあね」

 

 俺は言葉を濁した。敵が弱いことは好ましいが、敵が弱いことに感謝したくなる状況は好ましくない。

 

 第三胸甲騎兵艦隊は二流の部隊だった。司令官のアイヘンドルフ大将は、キルヒアイス元帥の信頼が厚い人物で、第一級の用兵家とされる。しかし、将校の大多数は、勇敢だが協調性に欠ける貴族将校だった。

 

「心配は無用です。第二艦隊の相手がミュラー艦隊だったとしても、作戦は成功します」

 

 ワイドボーン参謀長は力強く言い切る。第二艦隊の弱さを計算に入れた上で、この作戦を立てたのだ。

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長は無言で頷いた。彼はワイドボーン参謀長とともに作戦立案に携わった。参謀の頭脳は掛け算である。マルコム・ワイドボーンの鋭さとチュン・ウー・チェンの柔軟さを兼ね備えた作戦には、付け入る隙などない。

 

 同盟軍は優位に立ちつつあった。帝国軍がガイエスハーケンを撃てば、多くの帝国艦が吹き飛ばされる。帝国軍が援軍を出せば、乱戦が激しくなり、動けなくなった帝国艦はスパルタニアンの餌食にされる。何もしなければ、消耗戦に引きずり込まれるだけだ。どう転んでも、優位は動かないだろう。

 

「第一一艦隊より通信が入りました。あと三時間で到着するとのことです」

 

 その報告を聞いた時、同盟軍の勝利が確定した。第一一艦隊のスパルタニアンを投入すれば、空戦戦力の差は圧倒的になる。援軍が接近した段階で、敵が退く可能性は高い。

 

「勝ったな」

 

 俺が確信を込めて呟いた瞬間、オペレーターが叫んだ。

 

「RC四七ブロックに生命反応あり!」

「生存者がいたのか?」

「いえ、敵です!」

「どういうことだ!?」

「外壁の穴から突入してきたと思われます!」

 

 ガイエスハーケンが開けた穴から敵が突入してきた。イゼルローン要塞は建造三五年目にして初めて、強襲上陸を許した。

 

「RC三三ブロック、RC六一ブロック、RD七〇ブロックに、何者かが侵入しました!」

「FR五七ブロック、FR八八ブロック、FX一二ブロック、FY四一ブロックに侵入者がいます!」

 

 破損ブロックに次々と敵が現れた。守備兵は一人もいない。自動迎撃システムは故障している。占拠されるのは時間の問題だと思われた。

 

「何が起きた!? あいつらはどこから来た!?」

「正面を通ってきたのでしょう」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長が俺の問いに答える。

 

「トゥールハンマーの射程内を通ってきたというのか? 無理だろう」

「敵は我々の思い込みを利用したのです」

「俺たちが錯覚していても、レーダーは反応するはずだ」

「正面の警戒網は虫食いだらけです。レーダーサイトが壊れていますから」

「そういうことか……」

 

 俺はようやく状況を把握した。要塞砲は陽動ではなく、外壁とレーダーを破壊する手段だった。艦隊は真の目的を隠すためのおとりに過ぎなかった。敵は「トゥールハンマーを避けるはずだ」という思い込みを利用し、無警戒の正面を通ったのだ。

 

「申し訳ありません」

 

 ワイドボーン参謀長が参謀チームを代表する形で謝罪した。

 

「気にするな」

 

 俺は柔らかい声で答えた。要塞同士の戦いなど誰も想定していなかった。既存の防衛計画が通用しないため、手探りで模索せざるを得ない。後手後手に回るのは仕方ないだろう。

 

「シェーンコップ大将を呼んでくれ。善後策について協議……」

「御用でしょうか」

 

 シェーンコップ大将は呼び出す前に現れた。人を食った態度も、こんな時には頼もしく見える。

 

「状況はどうだ?」

「芳しくありませんな。敵が多すぎます」

「多いといっても、せいぜい五万人だろう」

「一五万人から二五万人と推定されます。全員が装甲擲弾兵です」

「…………」

 

 俺は口を閉じ、考え込むような表情を作った。口を開けたら、取り乱した声で叫んでしまうかもしれない。

 

 帝国軍の装甲擲弾兵は精鋭の代名詞である。重装甲服を着用したまま疾走し、銃撃の雨をかいくぐり、敵に肉薄して戦うなど、並の兵士にはできない。体力・精神力・戦闘技術を兼ね備えた兵士だけが、装甲擲弾兵を名乗ることを許される。

 

 要塞軍集団は八〇万人の兵力を持っているが、装甲擲弾兵と戦える兵士は少ない。陸戦要員の半数は、軽装甲服を装備した軽歩兵部隊である。砲塔要員・レーダー要員・後方支援要員・空戦要員などは、白兵戦の訓練を受けていない。重装甲服を装備した重歩兵部隊は、全軍の一割程度に過ぎなかった。

 

「あなたの部下をお貸しいただきたい」

「わかった。第二艦隊陸戦隊と第一八地上特殊作戦群(ショコラティエール)の指揮権を君に委ねる。好きなように使ってくれ」

 

 俺はためらわずに即答した。この件に関しては、誰かに相談する必要を感じなかった。

 

「一兵残らずお貸しいただけるとは。気前がよろしいですな」

「有効に使える人間が持っていた方がいい。それだけのことだ」

「感謝いたします」

 

 シェーンコップ大将は軽く一礼すると、要塞軍集団幕僚を呼び集めた。そして、俺や第一辺境総軍幕僚と打ち合わせを行う。

 

 七時四六分、第二艦隊陸戦隊とショコラティエールが、要塞軍集団の指揮下に移った。第二艦隊陸戦重歩兵部隊五万とショコラティエール五万が加わったことで、上陸部隊に対抗できる戦力が整った。軽歩兵は抜け道を通ってくる特殊部隊に備えた。

 

 要塞軍集団配下には薔薇の騎士(ローゼンリッター)師団、ショコラティエール配下には第八強襲空挺師団がいる。師団に昇格した二つの最強部隊が共演するのだ。質の面でも期待できる。

 

 破損ブロックを占拠した装甲擲弾兵は、要塞中枢部に繋がる一二本の通路に雪崩れ込んだ。彼らを迎え撃つべき無人銃架は沈黙している。ゼッフル粒子の濃度がレッドゾーンに達したのだ。

 

 自動迎撃システムは火器の使用を断念し、冷兵器に切り替えた。超硬度鋼製の矢や球が雨のように降り注ぐ。煙幕が通路を覆いつくす。強力な潤滑剤が床に撒き散らされる。

 

 装甲擲弾兵は盾で矢玉を防ぎ、暗視装置で視界を確保し、中和剤を床に流し、戦斧を冷兵器に叩き込みながら進む。同盟軍が現れた時、彼らの歩みは初めて止まった。人間を止めるのはいつだって人間だ。

 

 両軍は正面からぶつかり合った。戦斧や銃剣を持った兵士が突進する。クロスボウ隊が援護射撃を行う。小部隊と小部隊が衝突し、ひるんだ側が退く。疲れた者が後ろに下がり、元気な者が前に出て再び突進する。激しいが単調な戦いが続いた。

 

「きついな」

 

 俺はスクリーンを眺めながら、額の汗をぬぐった。この汗は冷や汗だった。消耗戦ほど心臓に悪いものはない。司令官であればなおさらだ。

 

 狭い通路では大部隊を展開できないし、背後や側面に回り込むこともできない。このような戦いでは個人の武勇が物を言う。

 

 帝国軍の砂漠の狐(ヴューステン・フクス)連隊長ギュンター・キスリング大佐が、第一四通路を駆け抜けた。相手との間合いを一瞬で詰める。受ける暇など与えない。避ける暇など与えない。反撃する暇など与えない。逃げる暇など与えない。至近距離からの一撃が相手の生命を断ち切る。彼の戦斧は平等主義者だった。前列にいる者にも後列にいる者にも死を与えた。

 

「シュクチ……」

 

 ハラボフ大佐が聞いたことのない単語を口にした。

 

「なんだ、それは」

「古代ジャパン武術の奥義です。間合いを一瞬で詰めることができます」

「足音を立てずに歩くこともできるのか?」

 

 俺は声を潜めて質問した。前の世界で聞いた「皇帝親衛隊のギュンター・キスリングは、足音を立てずに歩ける」という話を思い出したのだ。

 

「できます。シュクチには気配を消す術も含まれますので」

「なるほど、君は本当に物知りだな」

「たまたま知っていただけです。私の流派でも習いますから」

「君も使えるのか?」

「はい。彼と比べれば、子供のお遊戯ですが」

「どれぐらい差があるんだ?」

「彼のシュクチを一〇〇とすれば、私のシュクチは二二・三六です」

「十分凄いじゃないか」

 

 俺が褒めると、ハラボフ大佐は無言で顔を逸らす。ここで会話が途切れた。ハラボフ大佐を起用して以来、何度も繰り返された光景である。

 

 スクリーンに視線を戻し、第一四通路の戦況を見守った。キスリング大佐と砂漠の狐連隊を先鋒とする帝国軍は、プラス三三一二レベルまで到達した。要塞中枢部とは一二キロ程度しか離れていない。

 

 薔薇の騎士(ローゼンリッター)師団を差し向けても、キスリング大佐の勢いを止めることはできなかった。師団規模に膨れ上がり、平凡な者が多く加わったため、薔薇の騎士はかつての精強さを失った。

 

 迎撃を指揮するシェーンコップ大将は、険しい視線をスクリーンに向けた。彼が戦斧を持てば、キスリング大佐を退けることも可能だろう。だが、今の彼は陸戦隊と砲塔群とレーダー網の統括者であり、全体に目を配らなければならない。歯がゆくても手を出すことはできないのだ。

 

 要塞陸戦隊司令官リンツ中将、ローゼンリッター師団長ブルームハルト少将、第三陸戦特殊作戦師団長デア=デッケン中将の三名は、シェーンコップ大将と同じジレンマを抱えている。彼らの武勇はキスリング大佐と互角だが、一人の戦士として戦うことが許される立場ではない。

 

 一人の部下も持たないアマラ・ムルティ少将は、第二一通路で戦士としての本領を発揮した。飛ぶように走る。踊るように戦斧を振るう。舞うように攻撃をかわす。前に立った敵が倒れる。突進してきた敵が倒れる。側面に回り込もうとした敵が倒れる。取り囲もうとした敵が倒れる。彼女と戦った者はことごとく地に伏した。それは殺戮の舞踊であった。

 

 EAA師団の部隊章を付けた兵士たちが、ムルティ少将の後を追いかけた。死の女神と肩を並べて戦える者はいない。彼らも師団化によって弱体化していたのだ。

 

 一〇時四〇分、第一一艦隊が到着した。空戦隊が要塞側面に突入し、第二艦隊と要塞艦隊を援護する。陸戦隊は要塞に入り、シェーンコップ大将の指揮下に入った。艦艇部隊は要塞から二光秒の地点で待機する。

 

 ミュラー艦隊とアイヘンドルフ艦隊は撤退に移った。これ以上戦っても意味がないと判断したのだろう。

 

「こちらも撤退だ!」

 

 俺は第二艦隊と要塞艦隊に撤退を命じた。敵艦隊を追い払うという目的は達成された。追撃を仕掛けたら、ガイエスハーケンの餌食になりかねない。並行追撃を仕掛ければ、ガイエスハーケンをかわせるかもしれないが、四万隻を超える大軍と直面することになる。今が潮時だろう。

 

 要塞内部では装甲擲弾兵が後退を始めた。消耗戦の決め手になるのは予備兵力の量である。援軍を得た同盟軍を突破するのは難しいと判断したようだ。

 

「徹底的に殲滅しろ!」

 

 俺は装甲擲弾兵を追撃した。要塞の中なので、ガイエスハーケンや敵艦隊を恐れる必要はない。叩ける相手を徹底的に叩くのは軍事の基本だ。

 

 シェーンコップ大将が追撃の指揮をとった。油断を誘うために重歩兵部隊を後退させる。特殊部隊は抜け道を通り、背後を遮断する。重歩兵部隊が浮き足立った敵を一気に叩く。要塞の中に敵を閉じ込めて、降伏に追い込むのだ。

 

 敵の撤退速度はおそろしく早い。最短距離をまっすぐに通り、脱出口を目指す。無傷の精鋭部隊が殿軍として追撃を食い止める。特殊部隊が同盟軍による後方攪乱を阻止する。周到に準備していたことは明白だった。

 

 逃げようとする者と捕えようとする者の戦いは、三時間で終わった。捕虜となった兵士の総数は五万人を超える。シェーンコップ大将の迅速さが敵の周到さを上回ったのである。

 

「終わった……」

 

 俺はぼんやりとスクリーンを眺めた。敵を追い返した。味方の損害は敵より少なかった。それでも、「勝った」という言葉は口にできない。

 

 キルヒアイス元帥の用兵は凄まじいの一言に尽きた。同盟軍を二重の陽動で引っ掛け、イゼルローンへの強襲上陸を成功させた。一歩間違えば、イゼルローンは陥落していただろう。ここまで一方的にやられた戦いは初めてだった。

 

 一七時三〇分、マルコ・ネグロポンティ国防委員長は、委員長職を退く意向を表明した。帝国軍の侵攻を予測できなかった責任と、ヤン元帥を前線から離した責任を取ったのである。呼び出した理由については、「私一人の判断」「ヤン提督と二人きりで話したいことがあった」と述べた。

 

 一八時一〇分、ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長は、ネグロポンティ委員長の「独断」に対し、遺憾の意を示した。そして、「危機管理体制の見直しを進めたい」と述べた。

 

 ヤン元帥は「一秒でも早くイゼルローンに戻りたい」との理由で、記者会見を行わなかった。代理人を通して発表したコメントは、ネグロポンティ委員長の主張と完全に同じだった。

 

 査問会の存在が明るみに出ることはなかった。ヤン元帥が沈黙した理由はわからない。前の世界の戦記に記された通りの人柄ならば、面倒くさかったのだろう。

 

 もっとも、ヤン元帥が査問会のことを口にしたとしても、「国防委員長の独断」で終わったはずだ。国防委員長を除く査問官は、国防委員会の諮問機関「国防軍改革推進会議」のメンバーでもある。俺はたまたまイゼルローンに居合わせた人間だった。査問会関係者には、「立場上、委員長の指示に従わざるを得なかった」と言い訳する余地があった。

 

 査問官の一人には、和解推進会議のホワン・ルイ元最高評議会議長が含まれていた。彼のような人物が、主体的に悪事を犯すと思う人はいないだろう。言い訳に説得力が出てくる。トリューニヒト議長はこういう「保険」もかけていた。

 

「たぶん、俺も『保険』だったんだろうな」

 

 俺は自分が引っ張り込まれた理由をようやく理解した。そして、マフィンを二個食べた。こんな時は糖分が無性にほしくなる。

 

 二〇時頃、ネグロポンティ委員長から通信が入った。「宇宙艦隊の動員手続きに入るが、どれだけ援軍が必要か教えてほしい」という内容であった。

 

「ヤン元帥は何個艦隊を要求しておられるのですか?」

「二個艦隊だ」

 

 ネグロポンティ委員長は忌々しそうに言った。二個艦隊という数ではなく、ヤン元帥という人物が忌々しいのであろう。

 

「四個艦隊を出してください」

「即応状態の艦隊を全部出せというのか!?」

 

 ネグロポンティ委員長は目を大きく見開いた。

 

「はい」

「三個艦隊で我慢してくれ。ハイネセンに艦隊がいないと不安なのだ」

「四個艦隊を出すのは政治的な理由です。ぎりぎりの戦力で勝てば、市民はヤン元帥の力で勝ったと考えます。ヤン元帥の名声を高めるだけです。ありったけの戦力を出せば、市民は数の力で勝ったと考えるはずです。そうなれば、動員を決定した人の手柄になります」

「トリューニヒト議長の手柄になるのだな」

「ヤン派に恩を売ることにもなります」

「一石二鳥だな」

「いえ、一石三鳥です。国防委員会の手柄にもなりますから」

 

 俺は“国防委員会”を強調した。

 

「私へのはなむけかね」

 

 ネグロポンティ委員長が笑った。いつもの気取った笑顔ではなく、無邪気な笑顔であった。

 

「あなたにはお世話になりましたので」

 

 俺は端末の前でお辞儀をし、ネグロポンティ委員長は敬礼で応じた。こうして、最後の業務連絡は終わった。

 

 二番目に大きな問題は解決できた。トリューニヒト議長は、最良のシナリオを実現するために力を尽くすだろう。ガイエスブルクへの総攻撃を命じられる可能性はなくなった。右派マスコミの強硬論もかなり弱まるはずだ。

 

 三番目に大きな問題は、イゼルローン総軍副司令官ヨハネス・オイラー大将である。客観的に見れば、彼ほどイゼルローン防衛指揮官にふさわしい人物はいない。ヤン元帥を除けば、イゼルローン総軍で最も位の高い宇宙軍軍人だ。かつてはミッターマイヤー提督を上回る勇名を誇っていた。第一線を退いた今でも、世間では一流扱いされる。

 

 地位と実績を兼ね備えたオイラー大将であったが、兵士に信用されていなかった。指揮官としては使い物にならないのに、指揮官にふさわしく見えてしまう。最も厄介なタイプである。オイラー待望論が強まれば、面倒なことになるだろう。

 

 その他にも心配事は数えきれない。俺の部下とイゼルローン総軍の不和は相変わらずだ。本国では強襲上陸を許した俺を批判する声が出ている。右翼はガイエスブルクへの突撃を主張した。左翼は危険人物、テロリスト、帝国人工作員の動向も気になる。

 

「前も中も後ろも問題だらけだ」

 

 中央司令室に戻った俺はガイエスブルク要塞を眺めた。一番大きな問題とはこの人工天体とその背後にいる艦隊であった。

 

 キルヒアイス元帥の遠征軍は、二個主力艦隊及び五個遊撃艦隊を基幹としている。ミュラー艦隊は勢いがすさまじい。レンネンカンプ艦隊とルッツ艦隊は精強だと言われる。クロッペン艦隊、アイヘンドルフ艦隊、プレドウ艦隊、マンスフェルド艦隊は評判の良くない艦隊だが、キルヒアイス元帥が采配を振るえば、実力以上の力を発揮するだろう。勝てる気がしない。

 

「四週間耐えれば、我々の勝ちです」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長は、「二時間たったらパンが焼きあがります」と語るパン職人のような口調で言った。彼が頼りにしているのは、援軍ではなくて時間であった。貧乏な帝国には、五万隻を一か月以上前線に貼り付ける余裕などない。

 

「頑張るか」

 

 俺は潰れたクロワッサンをもらって食べた。ちょうどいい潰れ具合だ。潰れたパンを食べた戦いでは負けなかったことを思い出す。少し希望が湧いてきた。


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