銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第108話:エリヤ・フィリップスの限界 802年10月25日~10月30日 イゼルローン要塞

 ガイエスブルク要塞攻撃が決定したとの知らせは、同盟市民を狂喜させた。勇者の中の勇者はどんなミラクルを起こすのか? 名だたる勇将たちはどんな活躍を見せてくれるのか? 最新兵器はどれほど強いのか? 否が応にも期待が高まる。

 

「皆さんの期待に応えられるよう、全力を尽くします」

 

 俺は控えめな表現で勝利を約束した。勝つ自信など持ち合わせていないが、勝てないとは決して言えない立場である。

 

 かつてのロボス元帥も同じ立場だったのだろう。敗勢が明らかになっても、決して「勝てない」とは口にしなかった。勝利を確信しているかのように振る舞い続けた。状況を理解していないかのように見えた。練達の用兵家である彼ならば、勝ち目がないことを誰よりも理解できたはずだ。それでも口にできなかった。彼が「勝てない」と言った瞬間、軍部の発言力が失われるからだ。

 

 政治の世界において、発言力は生命に等しい価値を有する。発言力を失った者は誰にも相手にされない。組織全体が発言力を失ったら、すべての構成員が冷や飯を食わされる。ラグナロック戦役が終わった後、発言力を失った同盟軍は徹底的に痛めつけられた。

 

「まるで悪役だな」

 

 俺はため息をつき、マフィンを二個食べた。政治家と手を組み、主戦論を唱え、軍拡を求め、組織を守ろうとする。物語の世界ならこんな軍人は悪役だ。しかし、悪役にならなければ、部下の待遇を改善することはできないし、物量を揃えることもできない。

 

 チーム・フィリップスは不眠不休で準備を進めた。「二六日午前一〇時までに攻撃を実施してほしい」というのが、国防委員会の要望である。敵と味方の能力を見積もり、最適な作戦を立案し、支援体制を整える。これだけの作業を二日に満たない時間で完了させた。

 

 ガイエスブルク要塞攻撃作戦は、「オペレーション・モンブラン」と名付けられた。第六次イゼルローン攻防戦で同盟軍が使った作戦を下敷きにして、問題点を修正した。作戦指揮官ホーランド大将の証言、立案者フォーク予備役少将の覚書なども参考にしている。

 

 過去の作戦とは違い、敵に察知されることを想定している。キルヒアイス元帥ほどの将帥が気づかないはずはない。ワイドボーン参謀長らは敵ができうる対処を予想し、その上を行こうとした。

 

 秀才でも名将を出し抜くことはできる。ラインハルトは八年前にワイドボーン代将が仕掛けた罠にはまり、三年前にコーネフ大将らの挟撃作戦で旗艦を撃沈された。メルカッツ提督はフォーク中佐のイゼルローン奇襲作戦を見抜けなかった。名将とは決して出し抜かれない人間ではなく、出し抜かれてもすぐに取り戻せる人間だ。出し抜かれたと気づいた瞬間、名将は状況を正しく把握し、的確な対策を打ち出すだろう。しかし、命令が末端に行き渡り、対策が実行されるまでには多少の時間がかかる。そのわずかな時間にすべてを終わらせてしまえばいい。

 

 作戦実施部隊はすべて身内で固めた。俺の第二艦隊とホーランド大将の第一一艦隊が囮役、マリノ中将の第五五独立分艦隊が要塞奇襲部隊、ビューフォート中将の第五七独立分艦隊が予備戦力となる。失敗できない作戦なので、チームワーク重視の布陣で臨んだ。ヤン元帥の配下を政治のために利用するのは申し訳ないという気持ちもあった。

 

 ところが、作戦実施の一二時間前に作戦を一部変更することとなった。ネグロポンティ国防委員長が修正を求めてきたのだ。

 

「第一一艦隊を外し、第四艦隊を使うのだ」

「世論対策ですか?」

 

 俺は単刀直入に切り込んだ。

 

「一二星将を使わなければ、市民が失望する」

 

 ネグロポンティ国防委員長は遠回しな言い方で肯定した。政権基盤の弱いトリューニヒト政権にとって、支持率向上は最優先課題である。

 

 ヤン・ウェンリー一二星将の実績と名声は、凄まじいの一言に尽きる。「レクイエム」スカーレット・ジャスパー、「教頭先生」エリック・ムライ、「マタドール」クリストファー・デッシュ、「青天白日」サイラス・フェーガン、「秒速二光秒」セシル・ラヴァンディエ、「追跡者」オーギュスト・ダロンド、「ザ・エニグマ」ルーカス・マイアー、「万能工具」ロジャー・ザーニアル、「ビッグバン」モレノ・マリネッティ、「サンダーバード」ステーラ・モカエ、「南天の流星」ネリー・キャラハン、「不規弾」カール・フォン・ゾンバルトらの名前を聞くだけで、同盟人は誇らしい気持ちになり、帝国人は骨の髄から震え上がる。

 

 第四艦隊には無敵の一二星将が五人も配属されていた。ジャスパー大将が司令官、ゾンバルト中将がA分艦隊司令官、マリネッティ中将がB分艦隊司令官、ザーニアル中将がC分艦隊司令官、ラヴァンディエ中将がD分艦隊司令官という布陣である。その下には勇名高い艦艇部隊指揮官、エース艦長、エースパイロットが集められた。艦艇の過半数は新鋭艦である。これほど強そうに見える部隊はない。

 

「同盟軍は市民の軍隊だ。市民の要望を優先するのは当然ではないか」

「…………」

 

 俺は返答できなかった。頭の中で二人の自分がせめぎ合っている。一人は公務員としての自分、一人は軍事のプロとしての自分であった。

 

 公務員としての自分は、ネグロポンティ国防委員長に理解を示した。第四艦隊を使わなければ、市民が不満を抱くだろう。軍事は政治の一手段にすぎない。政治的配慮を優先させるのは当然といえる。

 

 軍事のプロとしての自分は不満を覚えた。一二星将は見かけほど強くない。政治嫌いの第四艦隊隊員は、この種の任務ではやる気をなくすだろう。ジャスパー大将は俺を嫌っており、意思疎通が取りづらいのは明白だ。第四艦隊を使うべきではないのに、政治的制約がそれを許さない。軍事的に非合理な判断を強いられる。作戦成功率が低下し、将兵が命を落とす。軍事のプロにとっては耐え難い状況だ。

 

 結局、俺はネグロポンティ国防委員長に押し切られた。一流から程遠いとは言え、相手はプロの政治家である。葛藤を抱えた状態ではどうにもならなかった。

 

 

 

 一〇月二四日八時五〇分、イゼルローン要塞の正面に同盟軍二万五六〇〇隻が展開した。第二艦隊一万〇一〇〇隻を左翼、第四艦隊一万〇五〇〇隻を右翼に置いた。俺は第二艦隊の指揮をアップルトン中将に委任し、全体指揮に専念する。第五七独立分艦隊を始めとする独立部隊は中央に集まり、旗艦ゲティスバーグの周囲を取り巻いた。

 

 一二光秒(三六〇万キロメートル)前方に、帝国軍が集結している。白色槍騎兵艦隊と第三胸甲騎兵艦隊が右翼、第二胸甲騎兵艦隊と第二猟騎兵艦隊が左翼という布陣だ。キルヒアイス元帥の旗艦バルバロッサも姿を見せた。総兵力は二万六〇〇〇隻から二万八〇〇〇隻と推定される。

 

 

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「ルッツが出てきたか」

 

 俺は腹を軽く押さえた。キルヒアイス元帥だけでも強敵なのに、第二胸甲騎兵艦隊司令官ルッツ大将とも戦うことになった。想像するだけで腹が痛くなってくる。

 

 他の艦隊は強敵ではない。白色槍騎兵艦隊司令官マンスフェルド大将は、二等兵から叩き上げた老将だが、「進め」と「突っ込め」以外の帝国語を知らないと評される。第三胸甲騎兵艦隊司令官アイヘンドルフ大将は有能だが、配下が無能である。第二猟騎兵艦隊司令官プレドウ大将は査閲将校あがりで、実戦経験に乏しい。ルッツ大将さえいなければ完璧だった。

 

 第四艦隊の存在が腹の痛みを助長した。司令官ジャスパー大将は俺を激しく嫌っている。そんな人物を指揮しなければならないのだ。

 

「マフィンとコーヒーを持ってきてくれ」

 

 俺はマフィンを四個食べ、砂糖とクリームでドロドロのコーヒーを三杯飲み、糖分を補充した。それでも腹痛は収まらない。

 

「リン・パオ元帥みたいですね」

 

 次席副官クリストフ・ディッケル大尉が目を丸くする。

 

「全然違うぞ。俺はマフィン、リン・パオ元帥はトーストだからね」

「僕から見ればどっちも同じです。戦闘前に大食いするなんて、普通の神経ではできません」

「特別なことをしているわけじゃない。軍人にとって食事は義務なんだ。腹が減ったら戦えない。だから、たくさん食べる。最後に勝つのはやるべきことをやった人間だ」

 

 俺がもっともらしく語ると、ディッケル大尉と若手幕僚数名が目を輝かせた。ワイドボーン参謀長はその通りだと言いたげに頷く。イレーシュ人事部長、ベッカー情報部長、ラオ作戦部長らは、苦笑まじりに微笑んだ。

 

「パンはいかがですか?」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長が潰れたサンドイッチを取り出した。

 

「ポテトサンドか。幸先がいいな」

「食欲はいつも通りですね」

「ああ、いくらでも食べられる」

「それなら心配はありません」

 

 その言葉は俺ではなく、周囲に向けられたものだった。みんなの緊張をほぐそうと考えたのだろう。チュン・ウー・チェン副参謀長は配慮のできる人だった。

 

 九時一二分、帝国軍が動き出した。ガイエスブルク要塞主砲の射程限界線に近づいても、スピードを落とそうとしない。トゥールハンマーの射程限界線「D線」を目指しているのは明らかだ。

 

「前進しろ!」

 

 俺が手を振り下ろすと同時に、同盟軍二万五六〇〇隻が動いた。長距離ビーム砲を斉射し、敵のビームを中和磁場で防ぎつつ前進する。

 

 同盟軍はD線の手前でスピードを落とし、艦列を上下左右に広げた。D線の向こう側では帝国軍が艦列を広げている。両軍の距離は三光秒(九〇万キロメートル)にすぎない。軍艦ならひとっ飛びできる距離だが、見えない線の存在がそれを許さない。

 

 帝国軍右翼部隊の一部がD線を越え、散開しながら飛び回った。やや遅れて左翼部隊の一部もD線を越えた。ある程度飛び回るとD線の後方に退き、別の部隊がD線を越える。

 

「鬱陶しいな」

 

 俺は少し苛立った。イゼルローンを守る側から見ると、D線上のワルツは蝿が飛び回るようなものだ。実害はないが目障りである。

 

「だからこそ、挑発として有効です」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長はのんびりとした口調で指摘する。彼の辞書に苛立ちという言葉は存在しない。

 

 ダンスタイム開始から一時間も経たないうちに、苛立ちは解消された。敵の動きに乱れが生じたのだ。まともに踊っているのはルッツ艦隊だけとなった。タイミングの合わないダンスなど何の意味もない。

 

 同盟軍は砲撃を加えつつ、前進と後退を繰り返した。敵の足並みを乱し、突出した部分をD線の中に引っ張り込み、袋叩きにするのだ。

 

 第二艦隊は生き生きとした動きを見せた。ベテランのアップルトン中将は大部隊を統制する術を心得ている。分艦隊司令官たちは艦隊運用の手腕を遺憾なく発揮した。将兵は練度が高く、協調性に富んでおり、複雑な動きをやすやすとこなした。

 

 第四艦隊は明らかに足並みが乱れていた。個々の動きは悪くないが、艦隊としての一体感が乏しい。組織内の意思疎通がうまくいっていないようだ。スター集団の欠点が露骨に出た。

 

「ここまでは折り込み済みだ」

 

 俺はスクリーンをまっすぐに見据えた。敵の動きは想定の範囲から一歩も出ていない。第四艦隊があてにできないことも予想できた。

 

 オペレーション・モンブランは順調に進んでいる。第二艦隊と第四艦隊は敵の目をD線に引きつけた。マリノ中将は回廊外縁部を進み、ガイエスブルク要塞に迫ろうとしていた。これからの一時間が正念場だ。

 

「敵の一部が回廊外縁部に向かっています」

 

 オペレーターの報告は、敵にこちらの狙いを察知されたことを告げるものだった。

 

「予定通りだな」

 

 俺は幕僚たちの顔を見回した。ワイドボーン参謀長、チュン・ウー・チェン副参謀長、ラオ作戦部長らが無言で頷く。

 

「第四艦隊A分艦隊が突出しています!」

 

 オペレーターが叫び、人々がスクリーンを見た。ゾンバルト中将率いる第四艦隊A分艦隊がD線を越えて突出し、縦横無尽に暴れまわっている。

 

「…………!」

 

 俺は喉まで出かかった怒声を飲み込み、スクリーンを睨みつけた。どれほど罵っても飽き足りない気分だった。ゾンバルト中将が戦線のバランスを崩してしまった。今の同盟軍は片足で立っているに等しい。キルヒアイス元帥やルッツ大将はこの機会を見逃さないはずだ。敵の攻勢が始まる前にゾンバルト中将を呼び戻し、戦線を立て直さなければならない。

 

 第四艦隊にあらゆる手段を使ってA分艦隊を呼び戻すよう求めた。妨害電波が入り乱れているため、数分後にようやく指示が伝わった。

 

 ゾンバルト中将を呼び戻そうと努力している間、戦況は予想しなかった方向に転がっていった。何を思ったのか、ラヴァンディエ中将率いる第四艦隊D分艦隊が突撃を開始した。やや遅れてマリネッティ中将の第四艦隊B分艦隊もD線に向かって突っ込んだ。三つの分艦隊は先を争うように突き進み、プレドウ艦隊の前衛を破り、ルッツ艦隊を後退させた。

 

 ジャスパー大将が通信を入れてきた。ゾンバルト中将らを呼び戻すより、前進を続けさせた方が良いのではないかというのだ。

 

「今から呼び戻しても間に合いません。後退する時に逆撃を被る恐れもあります。勢いを生かして進み続ける方がむしろ安全です」

 

 彼女の提案は理に適っている。勢いが計算を凌駕することは珍しくない。他の部隊がゾンバルト中将らの後に続き、戦線全体を押し上げれば、不均衡は解消されるだろう。前進も一つの選択だ。

 

 しかし、当初の案も捨てがたかった。D線の内側で戦うほうが安全だ。前進を続けたら、攻勢終末点を越えてしまうかもしれないし、ガイエスハーケンの射程範囲に誘い込まれる可能性もある。逆撃を承知の上で後退するのも間違いではない。

 

 自分では判断できなかったので、部下の意見を聞いた。ワイドボーン参謀長は「どちらの案もリスクが大きいですが、後退させた方がまだ良いです」と主張した。チュン・ウー・チェン副参謀長は「判断が難しいですが、前進させるのがベターでしょう」と言う。その他の参謀は後退と前進が半々だった。作戦のプロでも判断に迷う局面である。

 

「意見が割れたか。前線の判断はどうだろう?」

 

 俺は第二艦隊司令部に通信を入れ、アップルトン中将の意見を聞いた。「後退するのは危険ですが、前進を続けるよりはましです」という答えが返ってきた。

 

 部下の意見は真っ二つに割れた。用兵は多数決で決めるものではない。多数意見が正しいとは限らないからだ。前の世界のアスターテ会戦における帝国軍のように、部下全員が戦況を読み違えたケースもある。結局のところ、すべては司令官の決断にかかっている。

 

 さんざん悩んだあげく、三人を後退させることに決めた。前進するリスクより後退するリスクの方が小さいと考えたのだ。

 

 指示が伝わる前に戦況が動いた。ルッツ艦隊が反転攻勢を開始し、突出した同盟軍を両側から押し包む。レーザー砲の十字砲火が艦艇を突き刺す。ウラン弾の雨が艦艇を打ち砕く。ゾンバルト中将らは窮地に陥った。

 

「やられたか」

 

 俺は自分の無能を呪った。最初に迷い、次に意見を聞き、ようやく決断を下した。決断を下すまでに三ステップを費やした。ルッツ大将は即座に決断を下した。二ステップの差は、戦場においては致命的である。

 

 キルヒアイス元帥はこの機を見逃さなかった。ルッツ艦隊に予備兵力を送り、攻勢を強める。プレドウ艦隊は反撃に移った。右翼のマンスフェルド艦隊とアイヘンドルフ艦隊も前進を開始する。

 

 たちまちのうちに帝国軍は優位に立った。ルッツ艦隊、プレドウ艦隊、ヴァイゼ独立分艦隊がゾンバルト中将らを袋叩きにした。マンスフェルド艦隊とアイヘンドルフ艦隊の猛攻が、難局に弱い第二艦隊を浮き足立たせた。

 

「救援に向かうぞ!」

 

 俺はビューフォート中将らを率いて突入した。迷う必要はなかった。味方を見捨てないというのは最低限のルールだ。

 

 目の前にルッツ艦隊の右翼分艦隊が立ちはだかった。小細工なしの正面衝突だ。戦術を駆使する余地などない。勇気と戦意と練度がすべてを決する。俺は旗艦ゲティスバーグを最前線に出し、陣頭指揮をとった。ビューフォート中将らはルッツ大将の部下と激しくぶつかり合った。

 

 味方艦が爆発し、その衝撃波がゲティスバーグを激しく揺らした。俺は前のめりに転び、柔らかいものに頭から突っ込む。砲火の集中するポイントが少しずれていたら、爆発したのはゲティスバーグだっただろう。陣頭指揮は死の危険と隣り合わせである。それでも、連絡の容易さやリアルタイムの戦況把握といったメリットには替えられない。

 

 ジャスパー大将はザーニアル中将を救援に送ると、直属部隊を率いてプレドウ艦隊に突っ込んだ。鋭い刃が敵の艦列を切り裂く。プレドウ艦隊の右翼分艦隊と左翼分艦隊がたちまちのうちに敗走した。プレドウ大将の旗艦ハイデルベルクは直属部隊とともに逃げ出した。一個分艦隊程度の兵力で、三個分艦隊に匹敵する敵を破ったのだ。

 

 孤立したルッツ艦隊は素早く戦力を集中し、防御を固めた。下手に手を出せば、猛烈な反撃を食らうだろう。包囲しようとしたら、薄くなった部分を突破されるに違いない。

 

 ゾンバルト中将らが戻ってきたので、俺とジャスパー大将はD線の後方に下がった。帝国軍も兵を引き、戦線は再び膠着した。

 

 この日の戦いで同盟軍は艦艇二〇〇〇隻と将兵二二万人を失い、ほぼ同数の損害を敵に与えた。ガイエスブルク要塞を攻撃することはできず、マリノ中将は虚しく引き返した。オペレーション・モンブランは失敗に終わった。

 

 

 

 イゼルローン要塞に戻った俺は記者会見に臨んだ。従軍記者が一人残らずティアマトに避難したので、記者席に座っている者はいない。

 

「ガイエスブルク攻撃作戦は失敗いたしました。多数の犠牲を出したにも関わらず、目的を達成できませんでした。すべて私の責任であります。深くお詫び申し上げます」

 

 カメラに向かって頭を下げた後、作戦経緯を簡潔に説明した。自分に都合の悪いことも包み隠さず語った。

 

「最大の問題は何だとお考えでしょうか?」

 

 ティアマトにいる従軍記者が超光速通信を通して質問する。「敗因」と言わず「問題」と言ったのは、政治的配慮というものだろう。

 

「私の決断の遅れです。古代の軍事学者は『慎重に行動することでメリットを得られるとしても、ただちに行動したほうが良い』と述べています。素早く決断しなければ、戦況の変化についていけません。ですから、熟慮して時機を逸するより、性急でも時機を捉えるほうが良いのです」

「第四艦隊前衛部隊の行動についてはいかがお考えですか?」

「調査中ですので、現時点で申し上げられることはありません。ただ、私の統制力不足が招いた事態であると認識しております」

「システム上の不備によるものではないということですね」

 

 記者は個人の失敗であると念を押すように言う。

 

「現時点ではそう認識しております」

 

 俺は“現時点”を強調しつつ、記者の言葉を肯定した。見る人が見れば、見え透いた茶番劇だと思うだろう。

 

 軍の記者会見に姿を見せる記者は、太鼓持ちや茶坊主の類である。昨年のクーデター以降、同盟軍の取材許可証の発行条件が極端に厳しくなり、政府や軍に批判的な記者は締め出された。

 

 その後も質疑応答が続いた。従軍記者は構造的な問題に触れる質問を避け、俺が“安全な返答”をするよう誘導し、事実を政府に都合のいいように解釈した。このようにして、「指揮官個人や前線部隊の失敗にすぎない。政策や戦略の失敗ではない」という印象を作り上げていく。

 

「ありがとうございます。今度の課題は何だとお考えでしょうか?」

「それは……」

 

 俺は模範解答を知っている。「頑張ります」「努力します」と言えば合格だ。政府は具体的な指摘など求めていない。市民受けの良い言葉を吐いてくれたら、それでいいのだ。しかし、それを口にしたいとは思わなかった。

 

「練度と経験です。三年ぶりの対帝国戦を指揮して感じたのは、我が軍の未熟さです」

「さらなる猛訓練が必要ということですね」

「違います。必要なのは時間です」

「訓練時間を延長なさるということでしょうか?」

 

 記者は根性論にすり替えようとしたが、その試みは失敗する運命にあった。

 

「私は年単位の時間を求めています。トリューニヒト政権成立から一年七か月、同盟軍再編から七か月しか経っていません。練度を積むには短すぎる時間です」

「有事はいつ起きてもおかしくありません。短期間で練度を伸ばす工夫こそが必要だとは思われませんか?」

「練度の伸びは、将校と下士官の力量にかかっています。しかし、その過半数は二年以内に昇進した人間で、現在の役職に慣れているとは言えません。それどころか、より低い役職の経験すら欠いている有様です。私は昨年の三月に中将、一一月に大将、今年の一月に上級大将となりました。中将としても、大将としても、上級大将としても未熟であります。このような将校や下士官が大勢おります。平時にあっては兵を鍛える術を知らず、有事にあっては対処する術を知らない。そういう状況なのです」

 

 俺は同盟軍の現状を率直に語った。自分が練度不足を世間に知らせていれば、ガイエスブルク攻撃を止められたかもしれない。自分が経験を積んでいれば、もっと早く決断できたかもしれない。そんな後悔が期待に反する言葉を紡がせる。

 

「市民の皆様にお願いします。時間をください。精鋭の多くがラグナロックで失われました。現役兵力の三分の一が軍縮で削減されました。ベテラン将校の多くがクーデターに加担しました。一年や二年で取り戻せる痛手ではありません。一人前の艦長を育てるには一五年、一人前の下士官を育てるには一〇年かかります。軍の再建は始まったばかりです。古人は『百年兵を養うのは一日のためである』と述べました。強兵を作るには時間がかかるのです。そのことをご理解ください」

 

 自分の意見を一通り述べた後、カメラに向かって頭を下げた。新しい質問は飛んでこない。かくして記者会見は終了した。

 

 記者会見の直後、国防委員会は「敵に痛撃を加えた」と発表した。勝ち負けについては触れなかった。俺が失敗したと明言してしまったので、勝ったと言い張れなかったのだろう。ネグロポンティ国防委員長が曖昧なことしか言わず、記者が深く突っ込まなかったため、歯切れの悪い会見になった。

 

 オペレーション・モンブランの失敗は、それほど大きな話題にならなかった。より大きな話題に塗り潰された。

 

 作戦が失敗した日に発売された週刊誌が、第一艦隊司令官クルト・フォン・エルクスレーベン大将のパワハラ疑惑を報じた。同盟軍入隊以降の四年間で、部下二六名に対して暴力を振るったり、大声で罵倒したり、トイレ掃除やゴミ拾いを延々とやらせたり、動物の物真似を強要したりしたという。被害者は有色人種、女性、同性愛者、両性愛者、トランスジェンダー、先天的障害者などのカテゴリーに属する人物だった。

 

 エルクスレーベン大将といえば、亡命者軍人の中でも五本の指に入る大物である。皇太子の配下だった頃は、「ルートヴィヒ・ノイン」の一員として勇名を馳せる一方で、ラディカルな平等主義者としても知られた。提督でありながら兵士と同じ部屋で眠り、同じものを食べ、同じ日用品を使った。一兵卒に対しても、友人のように接した。平民出身の軍人を救うために奔走し、大貴族と事を構えることも厭わなかった。同盟に亡命すると、彼を慕う軍人一万人が後を追った。こうした経緯から、右派からも左派からも高い評価を受け、「平等の騎士」という異名で呼ばれた。

 

 誰もが認める「理想の帝国人」が悪質な差別事件を起こしたのだ。市民が受けた衝撃ははかりしれない。

 

 エルクスレーベン大将の失墜は、トリューニヒト政権が進めてきた移民同化政策を根本から覆した。帝国人に同盟的価値観を受け入れさせることは正しいのか? 正しいとしたら、帝国人に同盟的価値観を受け入れさせることができるのか? エルクスレーベン大将ですら帝国的価値観を捨てきれなかったという事実は、同化政策の有効性を疑わせるに十分だった。

 

 トリューニヒト政権は批判の的となった。反戦・反独裁市民戦線(AACF)を始めとする左派は、多様性を認めない姿勢が事件を招いたとして、多文化政策への回帰を求めた。統一正義党などの右派は、同化政策は正しいが運用がいい加減すぎると批判した。最近結成された中立政党「新しい船出」は、同盟人と帝国人は根本的に異質な存在であり、住み分けるべきだと主張した。大衆党内部でも移民政策の転換を求める声が出ている。

 

 今のところ、イゼルローン要塞にはエルクスレーベン事件の影響は及んでいない。だが、それは平和とはイコールではなかった。

 

 イゼルローン要塞に撤収した後、第四艦隊と第二艦隊が激しくいがみ合った。ジャスパー大将は俺の決断が遅れたせいで、第四艦隊が大損害を被ったと思っている。アップルトン中将は、ゾンバルト中将らとそれを抑えられないジャスパー大将のせいで、第二艦隊がひどい目にあったと感じた。第二艦隊が第四艦隊より多く損害を出したことが、感情のもつれを助長した。

 

 イゼルローン総軍は第四艦隊の肩を持った。エリヤ・フィリップスとトリューニヒト議長に対する反感が、ジャスパー大将に対する反感を上回った。第四艦隊が人気取りのために引っ張り出されたことは明白である。ゾンバルト中将らの暴走は問題だが、戦場では予想外の事態など付き物であって、対処できない司令官の無能こそが問題だ。無能な司令官を任命したトリューニヒト議長の責任も問われるべきであろう。さらに言うならば、トリューニヒト議長は人気取りのために、コミュニケーション能力のないジャスパー大将を司令官に起用し、協調性のないゾンバルト中将らをその配下に付けた張本人ではないか。

 

 第一辺境総軍は第二艦隊の肩を持った。政治家と軍人は持ちつ持たれつだと考えているので、人気取りもある程度までは許容できる。そして、第四艦隊の編成と起用は許容できる範囲だ。政治家が金を出さなければ、軍隊は動けない。司令官が致命的なミスを犯したのは事実だが、そのような状況に追い込んだ第四艦隊の責任は大きい。

 

 この問題について、国防委員会は「誰も悪くない」という態度に終始した。国防官僚は事なかれ主義者である。心情的には第一辺境総軍寄りだが、面倒な問題に首を突っ込みたくなかった。ネグロポンティ国防委員長はトリューニヒト議長の指示がなければ動かない。世論を気にするトリューニヒト議長には、一二星将や勇者の中の勇者の責任を追及することなどできなかった。

 

 国防委員会が知らん振りを決め込んでしまったので、俺が第一辺境総軍とイゼルローン総軍の間に立たされた。事態の責任者でありながら、片方に肩入れすることが許されず、仲裁しなければならない。イゼルローン総軍の戦力抜きでは戦えないからだ。マフィンを食べる量が倍増した。

 

 一〇月二九日、ネグロポンティ国防委員長は再び会見を開いた。「痛撃を加えたが、問題点は少なくない」と語り、練度不足と経験不足を公式に認めた。そして、訓練予算の増加、教育体制の整備などの改善策を講じると述べた。前回の会見とはうって変わって雄弁だった。

 

 トリューニヒト政権の息がかかったマスコミは、オペレーション・モンブランを「失敗だが負けではない。次に繋がる戦いだった」と評価した。そして、問題点を早めに洗い出せたことを前向きに受け止め、練度と経験の蓄積に励むべきだと訴えた。一方でジャスパー大将の勇戦を大々的に報じ、「さすがはマーチ・ジャスパーの孫だ」と褒めちぎった。

 

 反トリューニヒト派はフィリップス擁護とフィリップス批判に分かれたが、どちらの声も大きくはない。痛み分けに近い戦いは、エルクスレーベン事件ほどの関心を集めなかった。

 

 軍需企業数十社がプライベート用のメールアドレスに、「フィリップス提督の見識に感服しました」「今後とも良いお付き合いをしていきましょう」といった内容のメールを送ってきた。

 

 これによって、俺は主導権を手に入れた。攻撃要請が来ても拒否できる。練度不足と経験不足を盾にすればいい。政府とマスコミと軍需企業が認めた事実だ。

 

「政府はあっさり折れましたね」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長が潰れたジャムパンを差し出した。

 

「失敗は認めたけど、政府に都合の悪いことは何一つ言ってない」

 

 俺はすました顔で潰れたジャムパンを頬張る。ストロベリージャムがほどよく潰れたパンに挟まれることで、絶妙な甘みを醸し出す。

 

 記者会見では同盟軍の問題点を指摘したが、直接的な政府批判は避けた。間接的に政府を批判したとはいえるだろう。練度不足は無計画に数を増やしたせいだ。将校や下士官の経験不足は粗雑な人事政策によって生じた。しかし、ラグナロックや軍縮やクーデターによる消耗を強調することで、政府の責任を曖昧にした。さらに言うと、軍拡が間違いだとは言っていない。

 

「君は軍拡を支持し続ける。その上で時間がほしいと言った。長期にわたって兵を訓練し、将校や下士官を教育するってことだね」

 

 イレーシュ人事部長が答え合わせをする教師のような顔で、俺の思考をトレースする。

 

「導き出される答えは一つ。軍需企業が儲かるってわけだ」

「その通りです」

 

 俺は右手で髪を触り、カンニングを指摘された生徒のように笑う。トリューニヒト政権は実弾や実機を使った訓練を重視している。訓練すればするほど、燃料や弾薬の消費が増え、練習艦や練習機の注文が入り、軍需企業が潤う。教育体制の整備もビジネスチャンスだ。スポンサーが俺を支持すれば、政府とマスコミもなびいてくる。

 

「せこいねえ」

「小物ですから」

「いいんじゃないの? 小物には小物の戦い方があるから」

 

 イレーシュ人事部長の端正な顔に優しい笑みが浮かぶ。付き合いの長い彼女は最大の理解者の一人である。

 

「小物なのに大物ぶろうとしない。自分の限界をわきまえていて、その範囲で戦おうとする。そこがあなたの最大の強みです」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長はのほほんと微笑んだ。前向きな言葉、のんびりした表情、素朴だが暖かみのある声が俺を元気づけてくれる。

 

 司令官は本質的に孤独である。部下の要望と上の要望を一人で受け止め、矛盾した複数の要望に優先順位を付ける。決断は自分一人で下さなければならない。責任も恨みもすべて自分一人で背負う。だからこそ、理解者は何者にも代えがたいと思う。

 

 ヤン元帥率いる援軍四個艦隊は順調に行程を消化した。エルクスレーベン事件が悪影響を与えるかに思われたが、現時点では何の問題も生じていない。

 

 第一艦隊は副司令官ユリジッチ中将のもとで通常運行を続けている。むしろ、航行速度が以前よりも上がっているらしい。パワハラ上官とその取り巻きが一掃されたため、士気が高まったのだろう。

 

 一〇月三〇日、援軍の副司令官エドウィン・フィッシャー大将から通信が入った。二週間以内にイゼルローン回廊に到着する見込みだという。彼が言うのなら間違いないだろう。前の世界では無敵のヤン艦隊の運用を掌り、この世界では最速のヘプバーン分艦隊の練度管理を掌った人物だ。

 

「あと二週間だ。二週間で援軍が来る」

 

 俺は将兵に向かって語りかけた。広い講堂が歓声に包まれる。仲の悪い第一辺境総軍とイゼルローン総軍も、援軍を待ち望んでいるという点では一致していた。


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