銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第111話:勝利のために必要なもの 802年11月9日~11月13日 イゼルローン要塞

 一一月九日、首席副官ハラボフ大佐が職務に復帰した。少し痩せたように見えるのは気のせいではない。寝込んだ初日は、チキンスープすら喉を通らないほどに衰弱していた。

 

「すまなかった。俺のせいで風邪をひかせてしまった」

 

 俺が頭を下げると、ハラボフ大佐も頭を下げた。

 

「謝らなければならないのは私の方です。閣下の体調が悪いことに気づいておりませんでした」

「気にするな。君が気づかないなら、神様だって気づかない」

「ありがとうございます」

「礼を言うのは俺の方だ。ずっと心配してくれたそうじゃないか」

 

 これは社交辞令ではなく、心からの感謝であった。見舞客が来ると、ハラボフ大佐は「フィリップス提督の体調はいかがですか?」と質問し、良さそうだと聞いたら嬉しそうに笑い、悪そうだと聞いたらため息をついたそうだ。寝込んでいても上官のことを考えている。俺ごときにはもったいない部下である。

 

「し、仕事ですから!」

 

 ハラボフ大佐は早口で答え、走るような急ぎ足で自分の机に向かった。一秒でも早く仕事を始めたいのだろう。

 

「元気になってよかった」

 

 俺は胸を撫でおろした。ハラボフ大佐が寝込んでいる間、本当に心配だった。見舞いに行った人がいると聞くと、「ハラボフ大佐の体調はどうだ?」と質問した。彼女の好物を差し入れたり、彼女を見舞う人に「フィリップス提督は元気です」と言わせたりしたものだ。過保護だという人もいたが、それぐらいでちょうどいい。部下を大切にするのは、上官の義務である。

 

「帝国軍が出撃しました!」

 

 アナウンスと共に警報が鳴り響いた。今や艦隊戦は定例行事と化している。ティアマトから到着したばかりの要塞艦隊と第一三艦隊が、イゼルローン要塞の正面に展開した。

 

 帝国軍は第九次イゼルローン攻防戦が始まって以来、最大規模の攻勢に出た。二万隻を超える大軍が一斉に押し寄せる。貴族軍人は喜び勇んで突撃し、縦横無尽に飛び回り、ビームやミサイルを撃ちまくった。撃退されても態勢を立て直し、突進を繰り返した。損害度外視の猛攻は同盟軍を辟易させたが、それ以上の成果はなかった。

 

 この日を境に、帝国軍の戦法が一変した。力任せの突撃を繰り返すようになったのだ。この戦法はそれなりの戦果をあげた。その一方で損害も加速度的に増大している。

 

「どういうつもりなんでしょうか。損害が増えるだけでしょうに」

 

 メッサースミス作戦副部長は、咎めるような目をスクリーンに向けた。帝国軍のやり方はコストパフォーマンスが悪すぎる。戦果が損害に見合わない。敵の損は味方の得であり、歓迎すべきことだ。それでも、腹が立ってしまうのだろう。

 

「政治絡みじゃないか」

 

 俺はこともなげに答えた。英雄キルヒアイスが考えることはわからない。だが、政治家キルヒアイスが考えることなら、わからないでもない。

 

「どういうことです?」

「誰かに尻を叩かれたんだろう。お土産を持ち帰ってこいってね」

「どこの国も同じですね」

 

 メッサースミス作戦副部長が眉をひそめた。帝国情勢をある程度知っていれば、誰がどんな理由で尻を叩いたのかは容易に想像できる。

 

「うちの方がましだよ。選挙があるから」

 

 俺は心からそう思っている。同盟は主権者が兵士になる国である。損害を出しすぎると選挙で負けるので、政府は損害度外視の作戦をやりたがらない。民主主義は選挙目的の出兵を誘発するが、損害を抑える作用もあるのだ。

 

「人間は権力を持つと変わってしまうんですかね」

 

 ベッカー情報部長は残念そうにため息をついた。キルヒアイスファンの姪を持っているだけに、複雑な思いがあるようだ。

 

「個人の良心なんて、政治の論理の前では無力だ」

 

 俺はキルヒアイス元帥をかばうように言った。支持者の頼みを良心だけで拒否できるのならば、それほど楽なことはない。世話になった相手に懇願されたら、「いい人」は断りきれないだろう。権力者が支持者を利用する一方で、支持者は権力者を利用しようとするものだ。人の良い権力者は支持者に振り回される。

 

「キルヒアイス元帥は宇宙艦隊改革を潰しましたからね。古い軍隊でも勝てると証明する義務がある。そうしないと、古い軍人を守れない」

 

 ベッカー情報部長の言葉は、明らかに自分を納得させるためのものだった。だが、それほど的外れではなかった。

 

 帝国軍は銀河連邦軍の任務部隊方式を受け継いだ。艦隊と分艦隊は司令部組織のみを有し、任務ごとに必要な艦艇を指揮下に加え、部隊を編成した。唯一の例外はイゼルローン要塞駐留艦隊である。このやり方には戦力の効率的運用、反乱防止といったメリットがあった。その反面、連携不足を招いた。ポストを作るために、不要な司令部が増設されるという問題も起きた。

 

 ラインハルトは同盟軍と同じ固定編制を採用し、一万隻の艦隊を一二個作る計画を立てた。艦隊の数を絞り、新しい艦艇と優秀な将兵を集約し、質的向上を進める。旧式艦を退役させ、無能な将兵をリストラし、経費を削減する。連携不足という欠点も解消できる。

 

 一方、保守派軍人は一八個艦隊体制の維持を求めた。艦隊司令部を一八個から一二個に削減すれば、数千人の将校が路頭に迷うことになる。旧式艦の退役は、艦長や下級将校や下士官など数百万人の失職を招く。そのような改革は容認できない。

 

 キルヒアイス元帥は保守派を支持した。彼の元帥府は保守派軍人の巣窟である。独立した時、ラインハルトから預かった部下の大半は、ローエングラム大元帥府に残った。ずっとラインハルトに密着していたため、独自の人脈は持っていない。そのため、ラインハルト派に入れないが、メルカッツ派に行くつてもない軍人を迎え入れた。経験はあるが能力がない者、実績はあるが考えが古すぎる者がキルヒアイス元帥府に集った。前の世界で「ゴミ溜めの中にも美点を見出すタイプ」と評された彼は、無能な者や古い者を見捨てられなかったのだろう。

 

 結局、艦隊再編は中途半端に終わった。一万隻の主力艦隊を六個、六〇〇〇隻の遊撃艦隊を一二個編成し、一八個艦隊司令部体制は維持された。

 

「どこかで聞いたような話ですね」

 

 ラオ作戦部長が何気ない顔で言った。

 

「よくある話だね」

 

 俺は顔をひきつらせた。ラオ作戦部長に悪意がないのはわかる。それでも動揺した。キルヒアイス元帥が他人とは思えなかった。

 

 

 

 イゼルローン要塞正面の戦いは、戦略的には何の実りもなかったが、戦った者にとってはそれなりの意味があった。数々の武勇談がニュースを賑わせた。

 

 最も華々しい武勲を挙げた提督は、要塞艦隊司令官アッテンボロー大将である。猛り狂う敵を闘牛士のようにいなし、引きずり込んで叩き、多大な戦果をあげた。一週間で三度の戦闘に参加し、元ルートヴィヒ・ノインの勇将エルラッハ中将、少将二名を討ち取った。要塞艦隊の弱兵ぶりを考えれば、驚くべき戦果と言っていい。

 

 フィリップス一六旗将最強のマリノ中将は、その名に恥じない活躍を見せた。帝国軍に何度も突入し、艦列を次々と突き破った。一三日にはクロッペン艦隊旗艦アウズンブラに迫り、あと一歩まで追い詰めた。

 

 ビューフォート中将とバルトハウザー中将は、華々しいと言えないまでも十分な戦果をあげた。マリノ中将のような破壊力はないが、着実に仕事を果たす。フィリップス一六旗将らしいといえるだろう。

 

 二〇代の若手提督の中では、コレット少将の活躍が目を引いた。旗艦アシャンティを先頭に突撃し、敵を散々に打ち破るさまは、第三六機動部隊の復活を何よりも雄弁に示した。突撃一本槍の俺とは違い、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することもできる。

 

「懐かしいですねえ」

 

 第一辺境総軍の後方副部長テミルジ准将は、スクリーンをしみじみとした目で見詰める。コレット少将がミュラー艦隊の一部隊と激しく競り合っていた。

 

「何がだ?」

 

 俺は咎めるような視線をテミルジ准将に向けた。彼女はアーサー・リンチ元少将の用兵を直に見たことがある。コレット少将の用兵がリンチ元少将に似ていると言われたら、冗談では済まない。

 

「敵の戦いぶりです。ずいぶん古臭い用兵だなあと」

「ああ、それは感じる」

 

 俺は表情を緩め、コレット少将の敵手に注目した。確かに今どきの用兵家とは思えない戦い方である。

 

「予備役の年寄りでも引っ張り出したんでしょうか」

「それはないね。ローエングラム公は怠惰を嫌う人だ。古いやり方にしがみつく年寄りなんて使わない」

「でも、なかなかの強者ですよ。コレット提督と互角に戦っています」

「確かに強いな。コレット提督より数段上だ。練度や装備で劣っているのに互角なんだから」

「何者なんでしょうね……」

 

 二人で首を傾げていると、チュン・ウー・チェン副参謀長がやってきた。両脇にパンの入った紙袋を抱えている。

 

「パンはいかがですか」

「ちょうどいいところに来た。あれ、どう思う?」

「昔を思い出します。七八〇年代の我が軍が使った定石ですよ」

「…………」

 

 俺とテミルジ准将は顔を見合わせた。何となく古いと思っていたが、同盟軍の定石だったのだ。

 

「この提督は同盟風の用兵をしますね。帰順した同盟人ではないでしょうか」

「帰順者だとしたら、相当昔の人間だぞ。一〇年以上前に廃れた定石を使っているんだからな」

「海賊あがりかもしれません。七八〇年代に同盟軍を辞めて海賊になったと考えれば、辻褄は合います。現役軍人でなかったら、最新の用兵を学ぶ機会はありませんから」

「ありえるね。帝国と提携する海賊なんて山ほどいる」

「ローエングラム公は大したものです。外国人海賊までスカウトするのですから」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長は手放しで感嘆した。良いと思ったら敵でも素直に褒める。彼にとっては味方も敵もパンなのだ。

 

 単座式戦闘艇同士の格闘戦は戦場の華である。味方艦に接近しようとする敵機を撃ち落とす。敵陣に突入し、護衛機を排除し、敵艦にレールガンやミサイルを叩き込む。妨害電波が飛び交う空間では、味方と連携することは難しい。そのため、パイロットの技量が勝敗を決する。

 

 エースパイロットは軍人というより戦士に近い精神の持ち主である。己の技量のみを頼り、一騎打ちにすべてを賭ける。若手のショーン・バトラー中尉やエディト・カニャール准尉らは、凄まじい勢いで撃墜数を伸ばした。ベテランのミュン・サヤン大尉、ノーラ・ハリントン中佐、フランシスコ・ブラガ少佐らは、古豪の貫禄を見せつけた。

 

 ヤン・ウェンリー元帥の養子ユリアン・ミンツ准尉は、要塞空戦隊の一員として活躍した。四日間でワルキューレ八機を単独撃墜、駆逐艦一隻を撃沈という武勲は、名だたるエースに勝るとも劣らない。

 

 俺はミンツ准尉に褒め言葉をかけようとしたが、冷ややかに無視された。理由はわかっている。二〇歳という年齢は、恩師の敵に対する敵意を隠すには若すぎる。それでもへこんでしまう。

 

 この話をコレット少将にしたところ、苦笑いとともに「ミンツ君に話を聞かせる方法」を教えてくれた。予想もしない方法だったが、確かに有効だと思える。憂国騎士団の白マスクがこの方法を使ったとしても、ミンツ准尉は一〇〇パーセント話を聞くだろう。

 

 エースの中のエース「トランプのエース」は圧倒的な強さを見せた。通算撃墜数第一位の「ハートのエース」オリビエ・ポプラン少将、通算撃墜数第四位の「クラブのエース」イワン・コーネフ少将、通算撃墜数第七位の「スペードのエース」ウォーレン・ヒューズ少将、通算撃墜数第八位の「ダイヤのエース」サレ・アジズ・シェイクリ少将らは、スパルタニアンを駆り、敵機を次々とヴァルハラに送り込んだ。

 

 トリューニヒト政権は「人材の有効活用」と称し、戦闘艇乗りの階級上限を撤廃した。この決定によって、司令官や教官や艦長として勤務していた往年のエースたちは、再びスパルタニアンに乗る資格を得た。トランプのエースもその一例であった。

 

 同盟軍の個人技に対し、帝国軍は三機が一体となった集団戦法をもって対抗した。本来、単座式戦闘艇は単独行動で真価を発揮する兵器である。だが、未熟な者は戦闘艇の力を十分に引き出せないため、集団で戦った方がましになる。

 

 集団戦法を編み出したのは、帝国宇宙軍空戦隊総監ホルスト・シューラー大将である。帝国の空戦隊はラグナロックで壊滅的な損害を被った。開戦四ヶ月後には、新兵がパイロットの七割を占める有様だった。帝国軍はフェザーン人傭兵を雇ったり、海賊に恩赦を与えて入隊させたり、軍学校生徒を繰り上げ卒業させたりして、パイロットの確保に努めた。生き残った数少ないベテランパイロットは酷使され、シューラー大将も塗炭の苦しみを味わった。その苦い経験が集団戦法を誕生させた。

 

「皮肉なもんだな」

 

 俺は苦笑いを浮かべた。前の世界では、同盟軍のオリビエ・ポプランが集団戦法を編み出した。帝国領侵攻で同盟宇宙軍空戦隊が壊滅したため、未熟なパイロットでも戦いる方法を考えざるを得なかった。ホルスト・シューラーはポプランの集団戦法に対抗するために、集団戦法を用いた。二つの世界で正反対の現象が起きているのだ。

 

 単艦同士の戦いは空戦に負けず劣らずエキサイティングだ。エース艦長が指揮する艦は一騎当千の働きをする。レイラ・スクワイア大佐、サルバドール・ソロリオ少佐らは無人の野を行くような快進撃を続けた。アガサ・アリソン中佐は一日で敵艦八隻を沈めた。

 

 多くの武勇談が生まれたといっても、しょせんは局地的なものに過ぎない。全体としては低調な戦いである。

 

 第四艦隊のゾンバルト中将とラヴァンディエ中将は、競い合うように奮戦し、大いに武勲をあげた。オペレーション・モンブランの失敗を埋め合わせるかのように見えた。

 

「惜しくなりません?」

 

 そう言ったのは人事参謀イオホーパー少佐であった。

 

「何がだい?」

「ラヴァンディエ提督ですよ。手放なきゃ良かったと思いません?」

「惜しくない」

 

 俺はイオホーパー少佐の顔を見ずに答えた。

 

「どうしてです?」

「責任感がない。部下に興味がない。面倒な仕事をしない。武勲を立てることしか考えていない。そんな部下は必要ない」

「でも、強いでしょ」

「強くても必要ない」

「あれだけ強いなら十分……」

「不十分すぎる」

 

 その言葉を口にした後、俺は口を閉じた。ラヴァンディエ中将は軍人として許せない。顔も見たくないぐらい嫌いだ。ヤン元帥ならああいう人間でも使いこなせるのだろうが、俺にはそんな器はない。

 

 第四艦隊の戦いぶりは一見すると鮮やかであった。名将が敵部隊を散々に打ち破り、エースパイロットが狩りをするように敵機を撃ち落とし、エース艦長が敵艦を宇宙の藻屑に変えた。だが、おのおのが個人的武勲をあげることに熱中しているため、ほとんど戦況に寄与していない。それどころかたびたび劣勢に陥った。司令官直属部隊の奮戦により、どうにか戦線を維持している。

 

 ヤン・ウェンリー一二星将は著しく精彩を欠いた。第四艦隊司令官ジャスパー大将は統率力不足を露呈した。第六艦隊司令官ムライ大将は慎重すぎて後手後手に回った。第一三艦隊司令官代理デッシュ大将は、有事の司令官としては物足りない。第一三艦隊司令官代理フェーガン中将は柔軟さに欠ける。ラヴァンディエ中将、マイアー中将、キャラハン中将、ゾンバルト中将らはスタンドプレーに走り、たびたびピンチを招いた。ダロンド中将、ザーニアル中将、マリネッティ中将、モカエ中将らは、消極的な姿勢が目立った。

 

 第二艦隊司令官代理アップルトン中将の用兵は、無難だが面白みがない。面白みのなさこそが第二艦隊の持ち味である。バルトハウザー中将、コレット少将、カプラン准将らの活躍が、わずかに彩りを添えた。

 

 第一一艦隊司令官ホーランド大将は、慎重すぎるほどに慎重に戦った。かつてのダイナミックさは影を潜めた。損害は少なかったが、戦果も少なかった。衰えたわけではない。部下に基礎を叩き込むため、あえてオーソドックスな戦い方を選んだ。彼は残された時間を後進育成に注ぎ込む決意を固めていた。

 

 一一月一二日七時三三分、帝国軍の攻勢が始まった。ミュラー艦隊とトゥルナイゼン独立分艦隊を右翼、ルッツ艦隊を中央、レンネンカンプ艦隊を左翼に配している。派閥バランスを無視した構成なのは、他の艦隊の損耗が著しいからであろう。キルヒアイス元帥自身は、待機中の三個艦隊から引き抜いた一万隻からなる前衛部隊を指揮した。

 

 同盟軍は第六艦隊と第五一独立分艦隊を左翼、第二艦隊と第五七独立分艦隊を右翼に配し、レンズ形状の陣を敷いた。パエッタ大将は旗艦キングマウンテンを後方に置き、全体を見渡せる位置から指揮を取った。

 

「大丈夫かな」

 

 俺は誰にも見えないように腹を抑えた。敵はベストメンバーを揃えてきた。アッテンボロー大将とホーランド大将とマリノ中将を投入しても、このメンバーに対抗するのは難しいだろう。ムライ大将、ダロンド中将、アップルトン中将、ビューフォート中将の四人では荷が重すぎる。

 

 だが、俺の予想は裏切られた。同盟軍は四度にわたる敵の攻撃を難なく防いだ。帝国軍が退き、戦いはあっけなく終わった。

 

「どういうことだ? 弱すぎないか?」

「我が軍が弱いのではありません。敵が予想以上に強いのです」

 

 ワイドボーン参謀長が思いもよらない事を言った。

 

「えっ!?」

「もっと楽に撃退できると思っていたんですがね。予想以上に粘られました。ルッツとミュラーは手強いです」

「君なら彼らの強さはわかっていたんじゃないか」

「わかっていたつもりでした。我が国でも一線級の分艦隊司令官として通用するだろうと」

「…………」

 

 俺は絶句した。高く評価すると言いながら、その程度の評価しか与えていなかったのだ。信じがたいことであった。

 

「この数日間で認識が変わりました。彼らは一二星将相手でも五分で戦えます。正規艦隊司令官が務まる器です」

「そんなもんじゃないだろう」

「いえ、そんなもんです」

 

 ワイドボーン大将の眼差しは真剣そのものだった。危機感を感じていることは間違いない。この世界の常識では、同盟軍は帝国軍より強い。強い同盟軍の象徴である一二星将と正規艦隊を引き合いに出すというのは、相当高く評価している証拠だ。

 

 だが、二つの世界を知っている俺に言わせれば、甘すぎると言わざるを得ない。一二星将はヤン元帥のおかげで実力以上に評価された連中ではないか。正規艦隊司令官を務めたウランフ提督、ボロディン提督、ホーウッド提督、ルフェーブル提督らは、前の世界ではラインハルト軍にあっけなく敗れた。今の正規艦隊司令官はそれよりも格下なのだ。

 

 どうすれば、ルッツ提督やミュラー提督の恐ろしさが伝わるのだろうか? 前の世界の彼らは、帝国領に攻めてきた正規艦隊を壊滅させ、リップシュタット戦役で貴族連合軍に連戦連勝し、ラグナロック戦役で同盟を降伏させ、大親征で同盟を滅ぼした。ヤン・ウェンリー以外の相手には一度も負けなかった。ミュラー提督はヤン提督から良将と讃えられているのだ。リッテンハイム公やリンダーホーフ侯に勝っただけの連中とはとは格が違う。

 

「あれ!?」

 

 何が違うのかを考えたところで違和感を覚えた。戦績を羅列すると、前の世界のルッツ提督やミュラー提督が全然強そうに見えないのだ。帝国領侵攻作戦の同盟軍正規艦隊は、戦う前から疲れ切っていて、しかも占領地に兵力を分散させていた。貴族連合軍は命令を平気で無視する連中の集まりで、組織的な行動すら困難だった。帝国領侵攻以降の同盟軍は、戦力が圧倒的に少ない。

 

 前の世界のルッツ提督やミュラー提督は、弱い敵を叩いただけではないのか? ヤン・ウェンリーと戦った時だって、相手の方が戦略的に不利だった。

 

 ここまで考えた時、俺はパエッタ大将の言葉を思い出した。絶対強者は格下相手の取りこぼしがないがゆえに絶対強者なのだ。ルッツ提督やミュラー提督は、比類ない忠誠を持ち、与えられた任務を確実にこなす。前の世界のラインハルトが絶対強者であり続けるためには、このような人材が必要だった。

 

 認識を改めるべき時が来ていた。前の世界の名将と同盟軍主力の差は思った以上に小さい。一二星将では対抗できないだろう。しかし、アップルトン中将程度の力があれば、ルッツ提督と互角以上に戦える。パエッタ大将やアッテンボロー大将なら、キルヒアイス元帥が相手でも五分に渡り合える。

 

「君の言うとおりだ。認識を改めよう」

 

 俺がそう答えると、ワイドボーン参謀長は満足そうに頷いた。評価を上方修正したと勘違いしたのだろう。勘違いされても構わなかった。

 

 

 

 仕事が一段落すると、俺はプライベートルームに入り、ベッドの上に横になった。夕暮れ時の薄暗い部屋で思考の中に没入する。

 

 人材の差が小さいならば、なぜ前の世界の帝国は圧勝したのだろうか? ローエングラム朝が成立した後、様々な説を耳にした。

 

 圧倒的な潜在力が勝利をもたらしたという説は、最も人気のある説だった。同盟の二倍近い人口と貴族財産という埋蔵金があった。だから、帝国は国力の差で圧倒できたというのだ。帝国が本気を出せば同盟なんてすぐ潰れたはず、と主張する論者も少なくなかった。

 

 俺も昔は潜在力説を信じていたが、政治や経済を学んだことで意見が変わった。帝国が抱える人口の大半は、貧民や奴隷であり、単純労働以外の用途に投入できる人的資源は少ない。貴族財産を接収しても、地方政府や公営企業の財源が中央に移るだけである。新しい財源が生まれるわけではないのだ。帝国の潜在力なるものは存在しない。

 

 軍事力の優位に勝因を求める説もある。帝国正規軍は一八個主力艦隊と警備部隊を有しており、同盟正規軍より数が多い。それに加えて貴族の私兵軍がいる。だから、帝国は数の差で圧倒できたというのだ。ラインハルトが圧倒的な大軍を動かした事実から、この説を信じる者は多かった。

 

 一般的な軍事知識があれば、軍事力説は否定できる。帝国は同盟の二倍近い領土を持っており、多くの兵を警備に割かねばならない。同盟の正規艦隊は対外戦争専門部隊だが、帝国の主力艦隊は対外戦争と反乱鎮圧の両方に使われる。さらに言うと、帝国軍は任務部隊方式を取っているため、一八個艦隊が常時編成されているわけではない。帝国宇宙艦隊の総数は、同盟宇宙艦隊よりやや多い程度だった。貴族の私兵は軌道警察や武装警察のようなものだ。数が多くても、同盟との戦いに投入できる戦力は限られている。軍事力の優位なるものは存在しない。

 

 政治制度が本質的に優れていたために勝ったという説も人気があった。独裁政治は意思決定が早く、大衆の無責任な意見に左右されないため、効率的に国家を運営できる。民主政治は意思決定が遅いし、大衆の無責任な意見に左右されるため、非効率極まりない。だから、帝国は効率性で圧倒できたというのだ。

 

 この説は一見すると正しいように見えるが、実際は詭弁に過ぎない。失敗した民主政治と成功した独裁政治を並べたら、独裁政治が素晴らしく見えるに決まっている。独裁政治は大衆に左右されないが、独裁者の取り巻きに左右される。帝国を見れば、取り巻きが無責任なのはひと目でわかるはずだ。また、独裁者が取り巻きを完全にコントロールできるとも限らない。失敗した独裁政治は意思決定が遅く、取り巻きの無責任な意見に左右されるため、効率的とはほど遠い。そして、大抵の場合、独裁政治は失敗する。

 

 結局のところ、ラインハルト・フォン・ローエングラムがいたおかげで、帝国は勝利できた。そう考えるより他にない。前の世界の帝国の優位は、七九六年に同盟軍を壊滅させたことによってもたらされた。ラインハルトがアスターテで三個艦隊を潰し、帝国領侵攻作戦で七個艦隊を潰したおかげで、帝国は圧倒的優位を得た。帝国の軍事的優位や経済的優位はこの時に初めて生じた。同盟は七九六年に生じた差を最後まで埋められなかった。実に単純な話である。

 

「すべてはトップ次第か」

 

 俺は大きく息を吐いた。前のラインハルトは戦う前から必勝の条件を整えた。有能だが圧倒的に強いわけではない提督たちは、戦略的優位のもとで連戦連勝し、銀河最強集団の名をほしいままにした。前の世界の同盟政府は無能だったので、有能な提督が不利な戦いを強いられ、実力を発揮できないまま亡くなった。

 

「やはり、命令を出す側にならないと駄目だな」

 

 前々から考えていたことを初めて口に出した。人の上に立ちたいと思ったことは一度もない。これからもないだろう。しかし、最善を尽くすには権力が必要だ。

 

 ふと、頭の中にトリューニヒト議長の笑顔が浮かんだ。権力を求めるならば、彼との対立は避けられない。俺がやりたいことは、彼の意に沿わないだろう。

 

「敵対したいわけじゃない。支えたいんだ。トリューニヒト議長を支えるために、権力が必要なんだ」

 

 そう呟くことで、俺は自分を納得させた。一〇年前、彼は「みんなが笑顔でテーブルを囲める世界」という理想を語った。八年前、彼は「不正と戦いたい」と言った。七年前、彼は「凡人のための政治」という理想を語った。五年前、彼は「同盟の分裂を防ぎたい」と言った。その言葉に俺は心を打たれた。彼の理想を現実にしたいと思った。理想を叶えるためには力がいる。

 

 二一時一二分、ヤン・ウェンリー元帥から通信が入った。第二二方面軍配下の機雷戦部隊を貸してほしいというのだ。

 

「機雷戦部隊ですか?」

 

 俺は目をぱちぱちさせ、ヤン元帥の顔を見詰めた。

 

「そうだ」

「用途をお聞かせいただけますか?」

「機雷原を作るのさ」

「何のためにお作りになるのです?」

「敵を追い払うためだよ」

 

 ヤン元帥は少しうんざりしたような表情になった。

 

「かしこまりました。すぐに手配いたします」

 

 俺は承諾の意を伝えると、すぐに通信を切った。ヤン元帥が俺を嫌っているのは間違いない。査問会でさらに嫌いになったはずだ。俺を引き合いに出して嫌味を言われたであろうことは、容易に想像できる。なるべく話さない方がお互いのためだ。

 

 一一月一三日六時〇八分、援軍がイゼルローン要塞に到着した。ヤン元帥が指揮する第三艦隊と第八艦隊は、見せつけるように要塞の周囲を一周した後、宇宙港に入った。フィッシャー大将が指揮する第一艦隊と第九艦隊は、一〇〇光秒(三〇〇〇万キロメートル)離れた宙点で待機している。

 

「指揮権をお返しいたします」

 

 俺はヤン元帥に全軍の指揮権を引き渡した。第一辺境総軍は撤収を始めたが、俺自身は戦後処理があるので幕僚チームとともに残った。

 

 ガイエスブルク要塞は今のところ何の動きも見せていない。援軍が到着したことには気づいているはずだ。そう遠くないうちに何らかのリアクションを起こすだろう。第九次イゼルローン攻防戦は最大のクライマックスを迎えた。


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