銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第116話:ウッド提督の再来 803年9月12日~10月 第一辺境総軍司令部

 自由惑星同盟にとって、八〇三年は平穏な年であった。帝国軍との衝突は一度も起きていない。国内では大きな事件がいくつか発生したが、いずれも惑星レベルや星系レベルに留まり、同盟全体に影響を及ぼすことはなかった。

 

 経済は近年稀にみる好調を記録した。成長率が二年連続で五パーセントを超えたのは、七七八年のトリプル・バブル崩壊以降初めてのことだった。個人消費が急増し、地上車や衣料品や電化製品が飛ぶように売れた。政府が大規模公共事業を進め、民間で住宅やオフィスビルの建設ラッシュが起き、同盟全土が建設現場と化している。株価と地価は歩調を合わせるように伸びていった。

 

 国内の治安は安定している。犯罪発生率が低下し、犯罪検挙率が上昇した。テロリストや海賊との戦いは有利に進んだ。中央と辺境は比較的良好な関係にある。

 

 数々のスキャンダルにもかかわらず、トリューニヒト政権は高い支持率を保ち続けた。経済と治安の安定は、政治の安定につながるのだ。

 

 サジタリウス腕が久しぶりの平穏を享受する中、俺は惑星ミトラに出張した。第二方面軍主力部隊を視察するための出張だった。

 

 陣頭指揮の原則は平時においても変わらない。現場に足を運び、事実を目で確認し、空気を肌で感じ、においを鼻でかぎ、兵食を舌で味わい、兵士の肉声を耳で聞き、ゴミ箱を手で開ける。五感を使わなければわからないこともある。

 

 今回の出張では、五〇時間の間に一一個の基地を視察し、星系大統領や星系首相など要人九名と会談した。おそるべき過密スケジュールだ。

 

 九月一二日一八時、すべての日程を終えた俺は軍用機に乗り、旗艦ゲティスバーグが係留されているミルカ宇宙港へと向かった。出発地点から目的地までの距離は五六〇〇キロである。何事もなければ二時間四〇分程度で到着するだろう。

 

 俺は四人掛けの座席の一番左側に座った。ダーシャ以外の人間を左隣に座らせるつもりはない。部下に対しては、「何かあったらすぐ動けるから」と説明した。

 

 右隣には首席副官ユリエ・ハラボフ大佐が座っている。オフィシャルだろうがプライベートだろうが、彼女は俺の隣に座ろうとした。密着しないと、ガードできないからだそうだ。どんな時でも最悪の事態を想定し、万全の備えを行う。彼女の辞書に「油断」という言葉はない。

 

 マフィンを二個食べて一息ついたところで、俺は携帯端末を開いた。保守系新聞リパブリック・ポストの電子版にアクセスする。

 

 今日の正午、ラグナロック戦犯裁判が終結した。ロボス総司令官、コーネフ作戦主任参謀、ビロライネン情報主任参謀、イロナ政策調整部長、ライヘンバッハ総司令部顧問の五名は、「重大な背任行為」を犯したとの理由で、不名誉除隊と禁固刑の判決を受けた。グリーンヒル総参謀長とデューベ地上作戦担当参謀は、背任行為に加担したため、一階級降格と罰金刑の判決を受けた。後方主任参謀キャゼルヌ中将と通信部長メディナ技術中将は、無罪となった。

 

 最大の焦点であった政治家の戦争責任については、立証できなかった。被告人は頑なに証言を拒んだ。証人として呼ばれた政治家は、自己弁護と責任転嫁に終始し、都合が悪くなると口を閉ざした。関連文書や通信記録は、終戦直後に何者かの手で破棄されていた。史上最大の作戦をめぐる裁判は、疑惑とともに幕を閉じた。

 

 帰還兵や戦没者遺族は不満を露わにした。真相は何一つ明らかにならなかった。ロボス元帥の背後にいる者に責任を取らせることができなかった。納得できるはずがない。ラグナロック帰還兵の会のクーン会長は、「なぜ本当のことを話さないのか。戦友が浮かばれない」と嘆いた。

 

 遠征推進派は喜びや感謝の言葉を口にした。自分たちがやったことを隠し通した。責任を取らずに済んだ。完全勝利と言っていい。見苦しい自己弁護を続けたウィンザー元国防委員長は、「正義の勝利です」と満面の笑顔を見せた。「記憶にありません」「知りません」以外の単語を発しなかったオッタヴィアーニ元最高評議会議長は、「我々の立場をご理解いただけた。関係者の方々に感謝を申し上げたい」と微笑んだ。

 

 俺は奥歯を噛み締め、端末画面を睨みつけた。羞恥心と言うものがないのか? 犠牲者に申し訳ないと思わないのか? 真実を言わなかった理由は百歩譲って理解できる。だが、大はしゃぎする理由はまったく理解できない。

 

「あれ?」

 

 胸糞悪いコメントの群れの中に、一つだけ毛色の違うものが混じっていた。それは肥溜めの中に突如として現れたオアシスであった。

 

「事情があって詳しく言えませんが、僕は過ちを犯しました」

 

 このコメントを出したオラース・ラパラ元下院議員は、ボナール政権で情報交通委員長を務めた人物だ。閣議や下院本会議では開戦支持に一票を投じた。戦役末期にはメディア政策担当閣僚として情報統制に関わった。

 

「彼が一番まともだったとはね」

 

 俺は大きくため息をついた。オラース・ラパラといえば、無為無能の代名詞ではないか。七九〇年代前半に少年アイドルとして活躍し、一八歳で下院議員となり、一九歳で初入閣を果たした。開戦が決議された時点では二二歳だった。品行方正だが、見識も気概もなく、長老たちの言いなりに動いた。そんな人が責任を認めるとは思わなかった。

 

 今回の発言を踏まえると、ラパラ元議員に対する評価は大きく変わってくる。ボナール政権崩壊後は自己弁護も謝罪もしなかった。八〇一年の選挙に立候補せず、芸能界に復帰することもなく、表舞台から姿を消した。戦犯裁判では何も言わずに頭を下げた。責任逃れする頭すらないのだろうと思われていた。だが、彼には彼なりの意地があったのだろう。若くて美しいだけの人形ではなかった。

 

 真相究明を望む者から見れば、彼の行動は不十分だった。責任を認めるだけで許される立場ではない。元閣僚として真実を明かす義務があるはずだ。それでも、ほんの少しだけ救われた気分になる。

 

「まだ終わったわけじゃないしな」

 

 俺は新聞のページを切り替えた。機密文書を故意に破棄した疑いにより、ウィンザー元国防委員長ら二五名が告発されたという記事が載っている。

 

 戦犯裁判は終わったが、ラグナロック周辺の疑惑に関する裁判は続いている。レベロ政権の和解政策により、非人道的行為や汚職以外の疑惑に関する追及が遅れた。一〇月クーデターで旧与党勢力が壊滅し、トリューニヒト政権が恩赦を取り消したおかげで、ようやく戦争責任の追及が始まった。そう、戦いは始まったばかりなのだ。

 

 決意を新たにしたところで、違和感を覚えた。なぜ、戦犯裁判が一面を飾っているのか? もっと重要なニュースがあるはずではないか。

 

 一週間前、平和活動家ジェシカ・ラップ夫人は、有力者の子弟が前線勤務を逃れていることを示すデータをばらまいた。国防委員会から聞いた話では、軍人四三三名がこのデータを受け取ったらしい。届けていない軍人もいるだろう。民間人にも受け取った者がたくさんいるはずだ。一面で報じられないのはおかしい。

 

 俺はもう一度電子新聞を開き、注意深く読み進めた。目当てのニュースは政治面の片隅に取り上げられていた。

 

「AACFのカルカヴァン議員が徴兵逃れ問題について質問」

 

 見出しからして奇妙な記事だった。カルカヴァン議員は不正人事について質問したはずだ。徴兵逃れ問題について質問したことにすると、文脈が合わなくなる。国防委員長との問答内容についても記されていない。これだと、カルカヴァン議員が難癖をつけただけに見える。

 

 今読んでいる新聞は保守系のリパブリック・ポストだ。民主主義防衛連盟(DDF)と親密なので、故意にぼかしたと思われる。

 

 リパブリック・ポストを閉じて、別の新聞を確認した。ハイネセン・ジャーナル、シチズンズ・フレンズ、デイリー・スターの三紙は、リパブリック・ポストとほとんど変わらない内容だ。ソサエティ・タイムズだけが大きく扱っていた。

 

 検索エンジンを使い、不正人事問題がネットでどれだけ広まっているのかを調べた。カルカヴァン議員の質問自体は広く知られているようだ。しかし、著名なネット論客たちがカルカヴァン議員を激しく批判し、AACFが公表したデータを「信用に値しない」と決めつけた。退役軍人や軍事ジャーナリストが不正人事問題の重大性を指摘したが、罵倒の洪水に押し流された。そのため、一般的なネットユーザーは、「反戦派が難癖をつけているだけ」と思い込んでいる。

 

「矮小化したんだな」

 

 俺は何が起きたのかを理解した。国会議員の質問は同盟全土に中継される。議事録に記録されるので、改ざんすることも不可能だ。事実をできる限り矮小化し、「こんなことで騒ぐ方が馬鹿」という流れに持って行った方がいい。

 

 不正に関わった連中が一致して圧力をかけたのだろう。この問題は与党と軍部だけに留まるものではない。野党・官界・財界・学界・報道界にも関わる問題だ。内輪揉めが好きな大衆党の政治家たちも、自分自身とスポンサーを守るために団結せざるを得ない。DDFは大衆党と同じ事情を抱えている。統一正義党は不正に関わっていないが、AACFの尻馬に乗るのを避けたと思われる。

 

 今のマスコミは圧力に逆らえない。リパブリック・ポスト、ハイネセン・ジャーナル、五大テレビネットワークなどの大手マスコミは、再建会議に加担したために信用を失った。マスコミ幹部や一流ジャーナリストの多くが、クーデターの協力者として追放された。「クーデターの再発を防ぐため」という名目で、報道を規制する法律が次々と制定されていった。追放された重鎮の後釜に座った人々は、政府に睨まれることを何よりも恐れた。このような状況なので、少し押されただけで屈服してしまう。

 

 ネットは発信者の数が多すぎるため、圧力をかけづらいが、誘導しやすい。自分に都合の良い情報を流しさえすれば、それを信じたい発信者が飛びつき、勝手に拡散してくれる。トリューニヒト政権を本気で支持する者は少ないが、反戦派を憎む者は多い。憎悪で動く連中は敵を叩ければいいので、裏付けのない情報にも平気で飛びつくし、詭弁を弄してでも敵の敵を擁護する。圧倒的多数派である日和見主義者は、声が大きい者になびく。

 

「…………」

 

 俺は複雑な気持ちになった。不正人事問題が大事に至らずに済んでよかったと思う。だが、虚偽がまかり通ってしまう状況に不安を覚える。

 

 前の世界と比べてもましな状況とは言えなかった。当時のトリューニヒト政権が不正人事問題を隠蔽できたのは、追及側のエドワーズ委員会に国会議員がいなかったからだろう。マスコミを完璧に統制できたとしても、国会議員の質問をなかったことにすることはできない。

 

 戦記には書かれていないが、ジェシカ・エドワーズ以外の有名人も、スタジアムの虐殺で犠牲となっている。虐殺からしばらくの間、国会議員や大学教授といった人々の死亡情報を頻繁に見かけた。反戦派に属する政治家やオピニオンリーダーの多くが、ジェシカ・エドワーズと運命を共にしたのだ。エドワーズ委員会が国会議員を用意できなかったのも、やむを得ないことだった。

 

「議員が欲しいなあ」

 

 誰にも聞こえないような小声で呟いた。軍人は制約が多すぎる。警察とカメラートが癒着している証拠を見つけたとしても、政府に「公表するな」と言われたらそれまでだ。非公式ルートを使って公表したら、国防基本法違反に問われかねない。国会議員ならこれらの問題をクリアできる。

 

 今の立場でも議員を動かすことは不可能ではない。俺が「助言」を行い、議員の意見を変えるのが最も上品なやり方だ。自分の意見を代弁してもらう代わりに、議員の望みを叶えるという方法もある。条件さえ折り合えば、ジョアン・レベロやホワン・ルイやコーネリア・ウィンザーのような大物だって動かせるだろう。だが、俺が求めているのは一時的な協力者ではない。利害が一時的に一致しただけの人間は、必ずしも期待通りに動くとは限らない。常に利害が一致する人間が欲しいのだ。

 

 議員のスポンサーになるのが一番手っ取り早い方法だろう。軍人が同僚や部下を政界に送り込み、政治を動かした例はいくつもある。かつての宇宙艦隊司令長官フレデリック・ジャスパーは、一〇〇人以上の退役軍人を議席に座らせ、同盟国防委員会、両院軍事委員会、有力政党の国防部会を押さえることにより、一六年もの長期政権を築いた。ルチオ・アルバネーゼは、ジャスパーより洗練された手法を用い、情報機関の影の支配者として君臨した。

 

 いっそ、自分が政治家になるという方法もある。多くの先人がこの方法を使い、自らの手で政治を動かした。ダゴン会戦以降に最高評議会議長となった者の六割は軍隊経験者だ。故郷の英雄ウォリス・ウォーリックは国防委員長を務めた。

 

 歴史的に見ても、軍人から議員になるのはポピュラーな道だ。銀河連邦のクリストファー・ウッドは、議会のご意見番として重きをなした。直接選挙によって元首を選ぶ国では、古代アメリカのジョージ・ワシントンやドワイト・アイゼンハワー、古代フランスのシャルル・ドゴールといった軍人出身の元首がいる。そして……。

 

「それだけはだめだ」

 

 俺は鋼鉄の偉丈夫とちょび髭の男を脳内から叩き出した。自分がワシントンやアイゼンハワーの道を歩くとは限らない。ルドルフやヒトラーになる可能性だってある。

 

 シェーンコップ大将が言った通り、エリヤ・フィリップスは理由さえあれば何でもする人間だ。前の人生では犯罪を犯した。今の人生では軍人として許される範囲を何度も超えた。必要だと判断すれば、躊躇なく独裁者の座を取りに行くのではないか。

 

「体調がよろしくないのですか?」

 

 丁寧だが冷たい声が、俺を現実に引き戻した。ユリエ・ハラボフ大佐が固い表情でこちらを見ている。

 

「糖分が足りないみたいだ」

「かしこまりました」

 

 返事が聞こえると同時に、マフィンとコーヒーが現れた。まるで手品のようだ。ハラボフ大佐は本当に仕事が早い。

 

 落ち着きを取り戻した俺は、もう一度電子新聞を眺めた。大きな事件は起きていないかのように見える。その裏には未然で防がれた無数の事件が存在していた。大軍を率いて戦うことだけが国防ではない。事件を未然に防ぐことも国防なのだ。

 

 与えられた任務をまっとうしよう。政界に手を伸ばすのはその先のことだ。やるべきことをやれば、信望は自ずと高まっていく。

 

 

 

 外部の人間が視察に来ることは珍しくない。国防委員は上官として部隊視察を行う。軍部寄りの議員は軍との親睦を深めるため、軍部に敵対的な議員は軍を監視するためにやってくる。学者や技術者が訪れることもあった。こうした人々への対応も重要な仕事である。

 

 一〇月一日、シャンプールに戻ったばかりの俺は、反戦・反独裁市民戦線(AACF)の視察団に応対した。挨拶を交わした後、意見交換を行った。突っ込みの鋭さに何度も感心させられた。反戦政党の議員だけあって、団員は非常によく勉強していた。戦争を終わらせることは、戦争を続けることよりはるかに難しい。反戦派は主戦派以上の理論武装が必要なのだ。

 

 視察団が去った後のテーブルには、俺の菓子皿とコーヒーカップだけが残されている。AACFの議員たちは、持参した水筒から茶を注ぎ、持参した菓子を口にした。「一切の利益許与を受けない」というパフォーマンスだ。

 

 相手が口にしなかった茶菓子は、俺と部下の胃袋に収まった。こちらは礼儀正しく茶菓子を用意し、相手は礼儀正しく辞退した。そういう形式は必要なのだ。

 

 AACFの視察団はシャンプールに三日間滞在し、無駄遣いの有無とパワハラの有無を重点的に調べた。雑談には決して応じない。食事に誘っても、「弁当を持ってきたから」と言って断る。トイレを使ったら自分で掃除していく。基地を隅から隅まで調べ、書類を隅から隅まで読み、ひたすら問題点を洗い出す。送迎の申し出を断り、自費でチャーターしたタクシーに乗った。クリーンだが堅苦しすぎた。視察を受け入れた部隊では胃痛が流行した。

 

 一〇月五日の朝七時、AACFの視察団はシャンプールを後にした。第一辺境総軍管内を一か月かけてめぐる予定だという。シャンプール駐留部隊は安堵する一方で、視察団が訪れるであろう宙域の部隊を哀れんだ。

 

 同日の午前一〇時、大衆党の視察団が第一辺境総軍司令部を訪れた。挨拶を交わした後、意見交換を行った。あまりの不勉強ぶりにうんざりさせられた。専門家であるはずの国防委員経験者や退役軍人ですら、ろくに勉強していない。与党議員ともあろう者がこれでいいのだろうか? 笑顔で応対したものの、気分は地の底まで落ち込んだ。

 

 昼食は視察団との会食となった。相手の希望により、視察団が宿泊するホテル「白鳥城」のレストランを貸し切った。議員が取り巻きを大勢連れてきたので、ほとんどパーティーと呼んでもいい規模だ。参加者は一人一五〇ディナールのパーティーコースに舌鼓を打ち、グラス一杯二〇ディナールの高級酒を飲みまくる。ろくに飲み食いせず、料理と酒のうんちくを語り続ける者もいた。仕事とはいえ、苦痛以外の何物でもない。

 

 夜はシャンプール市主催の視察団歓迎会に出席した。会場となったのは白鳥城である。このホテルの社長は、ネッセルローデ侯爵家の家令を世襲した家の末裔だ。そして、大衆党下院院内総務ベアトリクス・フォン・ネッセルローデの実家は、ネッセルローデ侯爵家の嫡流にあたる。露骨すぎて乾いた笑いが出てくる。

 

 歓迎会は昼に輪をかけて酷いものだった。あちこちのテーブルで、公にできないビジネスについて話し合われた。自慢話を吹聴する者、年少者に説教して悦に入る者、ホステスやホストを口説く者もいる。こうした様子を冷笑し、上品な紳士を気取る者もいたが、この場にいる時点で同類だ。

 

 俺は忍耐力の限界を試されることとなった。ビジネスの話をスルーし、自慢話に相槌を打ち、説教を神妙な顔で聞き、セクハラをやんわりとたしなめ、冷笑に愛想笑いで応じた。

 

 一人で出席したのは正解だった。市民軍の英雄や美女軍人や美男軍人を連れてくるように言われたが、理由をつけて断った。部下を守るのは上官の仕事だ。

 

 大衆党の視察団はシャンプールに三日間滞在し、好き放題に振舞った。オフィシャルな仕事の話はいい加減に済ませ、公にできないビジネスに熱中した。行く先々で接待を受けた。見学先では、非公式なビジネスと関わるものに食いつくが、それ以外には無関心だ。ちょっとでも気に入らないことがあるとクレームをつけた。盛大に出迎えないと腹を立てた。数百メートル移動するだけなのに、わざわざ軍用車を呼び出すこともあった。視察を受け入れた部隊では頭痛が流行した。

 

 一〇月九日の朝一〇時、大衆党の視察団はシャンプールを後にした。第一辺境総軍管内を一か月かけてめぐる予定だという。シャンプール駐留部隊は歓声をあげる一方で、視察団が訪れるであろう宙域の部隊を哀れんだ。

 

「何をしているんだろう……」

 

 視察団を見送った後、空しい気持ちになった。ヤン・ウェンリーを蹴落とし、同盟警察から主導権を奪い、ラインハルト・フォン・ローエングラムに対抗できる体制を作るはずだった。現実はどうだろうか? 汚職政治家を接待しているだけではないか。いつになったら、目的地にたどり着くのか。

 

 同盟は一見すると平穏だが、不安要素がないわけではない。あらゆる業界で人手不足が表面化しつつある。物価上昇が加速しており、インフレが懸念される。加盟国の一部が強権的な政策への反発を強めている。星系レベルの治安は良好とは言えず、一九星系が騒乱状態、三五星系が騒乱の危機にある。移民をめぐる対立は深まる一方だ。世俗主義と道徳主義という新たな対立軸が浮上している。

 

 同盟軍はかなり危うい状況だ。寛容派は政治家や右翼団体と連携し、パワハラ規制の大幅緩和を目指した。厳格派は政治家や宗教右派と連携し、飲酒・喫煙・賭博・婚外交渉・ポルノの五悪の完全追放に向けて動いた。軍人と軍需企業の癒着は、NPC時代よりもひどくなった。地方では軍と住民のいさかいが泥沼化した。軍紀の緩みが著しく、犯罪やパワハラが増えた。入隊者不足が改善される見通しは立っていない。嘆きの会は未だに辺境大戦構想を捨てていない。新たに結成された親睦会や勉強会の中には、嘆きの会に匹敵する危険な集団が散見される。

 

 来年春の上院選挙が一つのターニングポイントになるだろう。高支持率にもかかわらず、大衆党が議席を減らすとの見方が強い。経済学者の多くは、好景気は長続きしないとみている。経済が低迷したら政権支持率も低下する。浮動票の動き次第では、AACFや統一正義党が勝利を収める可能性もあった。中立政党「新しい船出」と「夜明け前の光」も台風の目になる。

 

「でも、帝国よりはましだ」

 

 俺は小物らしく現実逃避をした。最大の仮想敵ラインハルト・フォン・ローエングラムの立場を思えば、自分はまだましだと思える。

 

 八月二六日、前帝国摂政クラウス・フォン・リヒテンラーデが、フェザーンで亡くなった。享年八二歳、死因はホルニッヒ病であった。

 

 一二歳の少年皇帝エルウィン=ヨーゼフ二世はクラウスの死を深く悲しんだ。全国民に一か月の服喪を命じ、公共機関に半旗を一年間掲げさせた。勅命により、「誰よりも皇室を敬い、誰よりも国家を憂い、誰よりも正義を愛した人、ここに眠る」という賛辞が墓石に刻まれた。帝国名誉大法官、帝国大元帥、枢密院名誉議長の称号を追贈され、政府と軍部と貴族の最高位者となった。

 

 クラウスの葬儀は国葬とされ、大公に準ずる格式を持って葬られた。首相と最高司令官を兼ねるラインハルト、副最高司令官キルヒアイス男爵、枢密院議長ヘッセン公爵、帝国塩業公社総裁リヒテンラーデ公爵の四人が、徒歩で霊柩車を先導した。政府高官、軍幹部、諸侯、自治領代表など一万名が葬列に加わった。近衛兵が棺と葬列を警護した。帝都市民は故人の徳を慕い、自発的に道路掃除を行った。クラウスの棺はフリードリヒ四世の霊廟に納められ、主君の棺の隣に置かれた。

 

 国葬の翌日、皇帝はクラウスの子に弔慰金を賜った。具体的な額は不明だが、長男リヒテンラーデ公爵は五〇〇〇万マルクから六〇〇〇万マルク、その他の子供は数千万マルクを受け取ったとみられる。クラウスは遺言により、キルヒアイス夫婦、ランズベルク伯爵、キールマンゼク伯爵、ワイツ男爵らに遺産の一部を譲ったが、それも国庫から補填されることとなった。

 

 葬儀委員一二一八名は「慰労金」、参列者は「交通費」を賜った。金額は公表されていない。前例から推測すると、閣僚級以上は数十万マルク、その他の者は数万マルク程度であろう。

 

 エルウィン=ヨーゼフ二世とリヒテンラーデ公女テレーゼの婚約が発表された。リヒテンラーデ家は偉大なクラウスを失ったものの、外戚としての地位を獲得した。巨額の金が結納金として下賜されたことは言うまでもない。

 

 財政難のため、下士官と兵卒の給与が五〇パーセントカットされることとなった。帝国では兵役は奉仕であり、見返りを求めるなどもっての外ということになっている。平民にとって奉仕させていただくことそのものが報酬なのだ。下士官や兵士の給与は、労働に対する報酬ではなく、「皇帝陛下のご慈悲」であった。軍隊にいれば、最低限の衣食住は保証される。ご慈悲がいささか減ったところで、道理には反していないし、兵が飢え死にするわけでもない。

 

「地位の高い者こそ、率先して報酬を返上すべきだ」

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムは、そう言って反対したが、大勢を覆すには至らなかった。軍部ですら給与カットに賛成していたのだ。

 

 現在、帝国軍には一二名の現役元帥がいる。摂政ジギスムント大公、副首相ラング男爵、科学尚書ブリューエル伯爵の三名は、いわゆる「政治元帥」であって、軍部に対する影響力はない。残りの九名が本当の意味での元帥だった。

 

 ラインハルトは三長官を兼任しているが、軍務省、統帥本部、宇宙艦隊総司令部の三官衙を掌握したわけではない。中央勤務の経験が乏しいため、軍官僚に実務を委ねざるを得なかった。この世界の軍官僚は既成勢力の息がかかっている。前の世界と違い、ラインハルトに絶対服従する軍官僚は少ない。首相府や地上軍総司令部にも顔を出さなければならなず、三官衙を掌握するために使える時間もなかった。

 

 三官衙の筆頭次官を兼ねるキルヒアイス元帥は、軍官僚の代弁者と化している。本来はラインハルトの軍部掌握を助けるはずの人物だった。しかし、中央勤務の経験が乏しく、物分かりが良い性格だったので、軍官僚の理論的に正しい「助言」を拒めなかった。

 

 宇宙艦隊副司令長官メルカッツ元帥は、旧ミュッケンベルガー艦隊の残党に名目上の指導者として担がれただけの人物だ。保守派とも開明派とも疎遠で、影響力は皆無と言っていい。

 

 大本営幕僚総監シュターデン元帥は実権をまったく持っていない。門閥派の軍事参謀だったが、ブラウンシュヴァイク公爵に「理屈が多すぎる」と嫌われたおかげで、粛清を逃れた。あまりに理屈っぽいため、保守派や開明派からも疎まれており、閑職の大本営幕僚総監に押し込められた。

 

 軍務省第二次官シュトックハウゼン元帥、統帥本部第二次長クラーゼン元帥、宇宙艦隊副司令長官グライフス元帥、地上軍副司令官カーレフェルト元帥、帝国軍査閲総監カールスバート元帥の五名こそが、軍官僚の頂点に立つ人物であった。彼らとキルヒアイス元帥が組んでいる限り、ラインハルトは手も足も出なかった。

 

 給料カットが決定されると、兵士による暴動が相次いだ。ラグナロック以前なら「兵役は奉仕」という論理も通用した。兵役を務めあげた者は尊敬の的となり、就職や縁談の話が次々と舞い込んできた。今はそうではない。報酬以外に銃をとるべき理由はなかった。

 

 帝国政府は「小さな暴動にすぎない」と発表したが、信じる者は少ない。全国規模の暴動であるとの説が有力だ。

 

 九月二七日、全銀河の放送網に出所不明の電波が割り込み、演説を流すという事件が起きた。画質と音質が悪い上に、演説者のなまりがひどく、話が要領を得ないため、給与カットを批判していること以外は何もわからなかった。電波は一分ほどで止まった。

 

 この事件について、帝国政府は何のコメントも出さなかった。帝国広しといえども、全銀河の放送網に割り込めるだけの設備があるのは、皇宮、首相府、国務省、内務省、軍務省に限られる。主要官庁が政府批判を放送したのなら相当深刻な事態だ。それなのに都合の良い公式見解を出すことすらしない。

 

 帝国政府の不自然な態度は憶測を呼んだ。政局がらみの謀略放送という可能性は低い。真実を伝えるにせよ、嘘を流すにせよ、主張を明確に伝えるのが前提である。要領よく話せない人間を起用する意味はない。何者かが一時的に主要官庁を占拠し、演説を流したと思われた。

 

 九月二九日、黒色槍騎兵艦隊司令官ビッテンフェルト上級大将が逮捕された。詳細な理由は公表されていない。電波ジャック事件に関与したとの説、兵士暴動を扇動したとの説、クーデターを企んだとの説が流れている。

 

 一〇月一日、帝国政府は史上空前規模の増税を実施した。免税特権を廃止して、貴族に負担を求めた。それでも財政状態が改善しなかった。フェザーンはいくらでも金を貸してくれるが、保守派は財政均衡志向が強く、借金を好んでいなかった。最後に残ったのは、平民からの徴税という伝統的な方法であった。

 

 帝国国内で暴動が頻発した。詳細は不明だが、兵士の暴動を上回る規模らしい。鎮圧部隊が暴徒に合流したとの情報もある。難民がイゼルローン要塞やフェザーンに押し寄せた。「局地的暴動」という帝国政府の公式見解を信じる者はいなかった。

 

 保守派は明らかに柔軟さを欠いていた。妥協は悪だと考えるふしすらあった。クラウスの理想主義を受け継いだが、現実主義は受け継がなかった。キールマンゼク副首相は、故ブラウンシュヴァイク公爵ですらためらうであろう強硬策を次々と打ち出した。ワイツ副首相は「弱腰」を理由に解任された。ラング副首相は治安官僚としての役割を果たすことに専念した。

 

 一〇月四日、副首相シルヴァーベルヒ男爵と近衛軍総監ロイエンタール上級大将が解任された。軍人給与カットと増税の撤回、貴族課税を有名無実化した免税特権賜与制度の廃止、クラウス神格化への批判、暴徒に対する妥協策などを上奏したことが、「不敬である」とみなされたのだ。ロイエンタール上級大将が、オーベルシュタイン上級大将の中央復帰運動を展開したことも、解任の遠因になったとみられる。

 

 ミッターマイヤー上級大将らが抗議の声をあげると、キルヒアイス元帥がローエングラム大元帥府に乗り込み、「国家の大事」を説いた。具体的に何が話し合われたのかはわからない。決裂したことだけは確かだった。大元帥府から出てきたキルヒアイス元帥は、沈痛な表情で「わかっていただけなかった」と語ったという。

 

 ポケットマネーを兵に与えたことが「婉曲的な政治批判」であるとして、ミッターマイヤー上級大将ら将官五八名がけん責処分を受けた。宮廷や軍部では処分が軽すぎるとの声が出ている。

 

 キルヒアイス夫婦はラインハルトの家を頻繁に訪ねた。訪問目的は不明だ。ラインハルトは保守派に煮え湯を飲まされ続けている。ローエングラム公夫人はリヒテンラーデ家の傍系だが、ロイエンタール上級大将やオーベルシュタイン上級大将と旧縁があり、急進改革派寄りだといわれる。和やかな話し合いになったとは考えにくい。

 

 一〇月七日、ラインハルトとキルヒアイス元帥が暴動鎮圧を命じられた。最高司令官と副司令官が揃って出陣したのである。事実上の総動員に等しい。二人に下された詔勅には、「ノイエ・シュタウフェン公のごとくせよ」と記されていた。

 

 ノイエ・シュタウフェン公といえば、ルドルフ死後の反乱を鎮圧し、五億人を殺した人物だ。それにならえというのだから、仰天するしかない。

 

 ラインハルトにとって、今の状況が不本意であることは間違いないだろう。彼の不幸は同盟にとっての幸運であった。

 

「俺はまだ恵まれている」

 

 自分を慰める作業を終えた俺は、迎えに来た車に飛び乗り、シャトルが格納されている場所に向かった。同じ宇宙港の中なので、移動にさほど時間はかからない。

 

 シャトルに乗って飛び立ち、軌道上に係留された旗艦ゲティスバーグへと移乗する。久しぶりの出陣だ。

 

 俺は艦艇四〇〇〇隻と地上戦要員二〇万名からなる統合部隊を編成し、エル・ファシル海賊を攻撃した。第七方面軍と協力して包囲網を敷き、狭い宙域へと押し込んでいく。集結するよう強いられた敵に兵力を叩きつける。

 

「全艦突撃!」

 

 一個分艦隊が雪崩を打って押し寄せた。正規軍二〇〇〇隻が海賊を押し潰す。その先頭には、総軍旗艦ゲティスバーグの姿があった。

 

「総員突撃!」

 

 陸戦隊と地上軍が地表めがけて降下した。海賊の力の源泉は、各地に張り巡らされた基地網である。帰る場所と逃げ場所を奪えば、根を失った海賊は立ち枯れるしかないのだ。精鋭部隊が基地に突入した。その先頭には、戦斧を持ったエリヤ・フィリップスの姿があった。

 

 俺の勝利は約束されていた。辺境宙域に覇を唱えた五大海賊は見る影もない。ガミ・ガミイ自由艦隊とヴィリー・ヒルパート・グループは、外宇宙に撤退し、エル・ファシル革命政府軍第一戦域軍に編入された。ワシントン・ブラザーズは半数が革命政府軍第一戦域軍に加わり、半数が降伏した。黒色戦隊とドラキュラは七九七年に降伏した。今のエルファシルには、単独で一〇〇〇隻単位を動かせる勢力は存在しなかった。手堅く戦えば勝てる敵だった。

 

 順当な勝利にエリヤ・フィリップスをデコレーションし、市民軍の英雄や新兵器をトッピングした。偉大な勝利という名前の美味しそうなケーキが出来上がった。

 

「ウッド提督の再来!」

「サジタリウスの輝ける超新星!」

「小さな巨人!」

 

 同盟市民は俺が作ったケーキを喜んで味わい、あらん限りの称賛を浴びせた。平凡な勝利に過ぎないと指摘する者は少数派に留まった。

 

「これでやりやすくなる」

 

 俺は胸を撫でおろした。人間はわかりやすいものを好む。危機を未然に防ぐだけでは、軍が仕事をしていないのではないかと疑われる。目に見える結果を残すことも必要なのだ。

 

「ウッド提督に肩を並べましたね」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長が、デスクの上にプリントアウトされた電子新聞を広げた。見出しには、「エリヤ・フィリップスはクリストファー・ウッドの再来だ!」と書かれている。

 

「趣味のいい冗談じゃないな。俺はウッド提督の足元にも及ばない」

「確かに趣味のいい冗談ではありません」

「どうしたんだ?」

 

 俺は相手の目が笑っていないことに気づいた。

 

「五世紀前、ウッド提督の再来と呼ばれた人のことはご存知でしょう?」

「知っている」

 

 その人物の名前はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムという。

 

「あなたがウッド提督の再来になるのではないか。そんな気がしたのです」

「俺自身、そうならないと言い切れなくなっている。君が不安を覚えるのは無理もない」

「私も自信がありません」

「どういうことだ?」

「ウッド提督の再来が現れた時、それを否定できる自信がないのです」

 

 それは驚くべき告白であった。前の世界で民主主義に殉じた人が、民主主義を信じられなくなりつつあるのだ。

 

「理由を聞いてもいいかい?」

「やりたいことが多いのにできることが少ない。そんな時、力がほしいと思ってしまいます」

「俺も同じだよ。去年からずっと思っている。もっと力があれば、うまくやれたんじゃないかってね」

「今は保留でいいでしょう。頂点に立ったら、案外満足するかもしれませんよ」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長はいつもののんびりした表情に戻った。どうしようもないことをどうしようもないと認める。認めた上で前を向く。それこそが彼の真骨頂だ。

 

「そうだな。統合作戦本部長になってから考えよう」

「統合作戦本部長で満足できなければ、政界に入りましょう。民主主義を早急に捨てる必要はありません。枠の中でも力をつける余地はあります」

「最高評議会議長でも満足できなかったら?」

 

 俺は何気なくその問いを口にした後、失敗したと思った。誰が相手であろうと聞くべきではないことだった。

 

「その時は一緒に地獄に堕ちましょう」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長は穏やかだが覚悟を込めて答えた。

 

「よろしく頼む。君がいたら地獄だって寂しくない」

 

 俺は満面の笑顔で答えた。

 

「ところでパンはいかがですか?」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長がサンドイッチを差し出した。ずっとポケットに入っていたせいか、潰れていて固くて冷えている。見るからにまずそうなサンドイッチだった。

 

 俺は何も言わずに潰れたサンドイッチを受け取り、口に放り込んだ。ちょうどいい潰れ具合だ。潰れていても固くても冷えていても、これよりうまいパンはない。


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