銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第16話:食えない薔薇 宇宙暦794年3月初旬~中旬 ヴァンフリート四=二基地

 イゼルローン回廊の同盟側出口周辺にあるヴァンフリート星系は、あまりに戦略的価値が低すぎて、一五四年の対帝国戦争の歴史の中でも、ほとんど戦場にならなかった。

 

 恒星活動が不安定で、宇宙嵐が頻繁に発生するため、航宙の難所と言われる。この星系にある八つの惑星、三〇〇以上の小惑星、二六の衛星は、水や酸素が少ない上に気候も荒々しい。その上、帝国国境と近すぎる。航路としても植民地としても、使い道がまったく無いのだ。

 

 有人惑星を持たない星系に属する惑星・衛星は、固有名詞を持たないことも多い。ヴァンフリート第四惑星第二衛星は、「ヴァンフリート四=二」と呼ばれる。その地表は氷と岩石と亜硫酸ガスで覆われ、重力は惑星ハイネセンの四分の一の〇・二五Gと弱く、窒素を主成分とする大気は希薄だ。そんな不毛な衛星の南半球にある兵站基地が、俺の現在の勤務地である。

 

 昨年の一二月に建設されたヴァンフリート四=二基地は、三か月前に建造された臨時基地とは思えないほどの規模だ。補給・輸送・通信・医療・整備などの兵站機能を完備し、五〇〇〇隻の宇宙艦を収容できる宇宙港、六万人の傷病兵に医療を提供できる病院施設、一〇〇〇隻の損傷艦を修復できる造修所などを有する。

 

 この巨大兵站基地で働く八〇万人の後方支援要員を統括するのが、国防委員長直轄の後方支援部隊「中央兵站総軍」である。

 

 同盟軍の宇宙部隊は、戦艦・巡航艦・駆逐艦・宇宙母艦などで構成される戦闘部隊の他、補給艦・工作艦などで構成される作戦支援部隊、地上基地で活動する後方支援部隊を持っている。中央兵站総軍は、宇宙艦隊及び地上総軍の後方支援部隊という位置づけになる。

 

 後方勤務本部と中央兵站総軍の何が違うのか、軍事に疎い人にはわかりにくいと思う。かく言う俺も幹部候補生養成所で勉強するまでは知らなかった。簡単にいえば、兵站計画を立案する後方勤務本部に対し、中央兵站総軍は実働部隊として活動する。用兵計画を立案する統合作戦本部、実働部隊の宇宙艦隊・地上総軍のようなものだ。

 

 司令官の名前から「チーム・セレブレッゼ」と呼ばれる中央兵站総軍の幕僚チーム。その中に潜むサイオキシンマフィアの監視が、俺に与えられた任務だ。

 

 基地の名前、そして中央兵站総軍司令官シンクレア・セレブレッゼ宇宙軍中将の名前を聞いた時は、恐怖が凍りついたものだ。前の世界のヴァンフリート四=二基地は、帝国軍の攻撃を受けて破壊され、セレブレッゼ宇宙軍中将も捕虜となったからだ。

 

 しかし、今のところ、ヴァンフリート四=二が戦闘に巻き込まれる可能性は皆無と言われる。同盟軍の勢力圏のはるか後方で、帝国軍が簡単にたどり着けるような場所ではないからこそ、こんな大きな基地が作られたのだ。完全に安心はできない。しかし、前の世界の戦いより、今の世界で与えられた任務の方が今の俺にはずっと大事だった。

 

 四=二基地憲兵隊長代理の肩書き、憲兵四〇〇〇人に対する指揮権、基地主要幕僚会議に出席する権利を持ってはいるものの、完全な秘密任務だ。マフィアが基地憲兵隊に潜んでいる可能性もある。それゆえ、誰にも事情を明かさずに、監視体制を築いていった。

 

 憲兵としての通常業務も決して疎かにはできない。規律違反の防止、防犯活動、犯罪捜査、交通整理、軍刑務所の管理、脱走兵の逮捕、スパイ対策など、数えきれないほどの仕事がある。

 

「表の仕事にも真面目に取り組むのだぞ。こそこそ動いてばかりでは怪しまれるからな」

 

 出発前日、憲兵司令官ドーソン中将に呼び出されて、秘密任務の心構えを教えられた。恩師の教え通り、通常業務にも全力で取り組んだ。憲兵は尊い仕事だ。この基地の平和が自分にかかっていると思えば、どんどんやる気が湧いてくる。

 

 しかし、光があれば影もあるのが世の中だ。中にはやる気を萎えさせる仕事もある。たとえば、向かい合って座っている人物への対応だ。

 

「勤務中に一息入れるなど怠慢の極み! 小隊長ともあろう者がこれでは示しがつきません! 隊長代理もそう思われませんか!?」

 

 陸戦隊のロマン・ダヴィジェンコ宇宙軍少尉は、背教者を糾弾する審問官のごとく、糾弾の言葉を並べ立てた。

 

「タッツィー少尉が勤務中に喫煙していたことは、良く分かりました。しかし、それのどこが問題なのか、小官にはわかりかねるのです」

「兵の訓練は命がけで取り組むべき仕事。それなのにタッツィーはのんびりとタバコを吸っているのです! 許せません!」

「あなたのお話を伺った限りでは、タッツィー少尉は小休止中に喫煙スペースでタバコを吸っている。我が軍の軍規で禁止されているような行為は何も無いですよ」

「タバコですぞ! 勤務中のアルコールが駄目でタバコがいいなんて、そんな馬鹿な話がどこにあります!? そもそも、どうして喫煙スペースなんかがあるんですか!? 今すぐ撤去すべきでしょう!」

 

 要するにダヴィジェンコ少尉は、喫煙者が嫌いで嫌いでたまらないのだった。軍規と自分の好き嫌いを完全に混同している。

 

 憲兵隊のオフィスには、規則違反者の情報を持ち込んでくる「情報提供者」がしょっちゅう現れるが、ダヴィジェンコ少尉のような人で、有益な情報を持ちこんでくる者は一〇人に一人もいなかった。

 

「罰を与えるのではなく、軍規を守らせるのが我々憲兵の仕事。軍規に違反していない者を罰することなどできません」

 

 俺はうんざりした気持ちを笑顔で覆い隠した。ダヴィジェンコ少尉の主張にもうんざりするし、あのスタウ・タッツィーを擁護しなければならない自分の立場にもうんざりしている。

 

 スタウ・タッツィーという男は、前の世界で軍隊に再入隊した俺をリンチした古参下士官だ。一日で九六発殴られたこともある。なんで殴られた回数を覚えているかといえば、タッツィーに殴られるたびに、「本日××回目のご指導ありがとうございます!」と感謝しなければならず、数を間違えたら一〇発殴られたからだ。脱走しなければ、間違いなく俺はタッツィーに殺されていた。

 

 同姓同名の別人かと思って調べたら、生年月日も出身地も猿そっくりの顔も完全に同じ。前の世界では七九九年の時点で曹長だったのに、今の世界ではエル・ファシル攻防戦の武勲で少尉になっている。あんな奴を軍規に基づいて擁護するなど、本当に嫌な仕事だ。

 

「では、間違いが起きたら責任が取れるのですか!? タバコがどれほど危険なのか、隊長代理はご存じないのですか!?」

「宇宙軍陸戦隊員に課せられた義務と責任、禁止されている行為は、すべて宇宙軍陸戦隊服務規則に定められています。今からプリントしてお渡ししましょう。じっくりお読みになった上で、タッツィー少尉の喫煙がどの条項に違反するか、はっきりとお教えいただきたい。法律の世界では、条文と実際の運用が一致しないこともあります。疑問がございましたら、どうぞご質問ください。小官が説明いたします。物足りないと思われるのでしたら、法務部から人を呼ぶ用意もあります」

「あ、いや……」

「小官は若輩者。間違っていることも多いでしょう。ご指摘いただけると幸いです」

 

 怒りを込めて満面の笑顔を作る。

 

「いえ、小官ごときが隊長代理に指摘できることなど……」

 

 ダヴィジェンコ少尉の目が前後左右にふらふらと泳ぐ。俺は逃がすまいとしっかり見据える。

 

「謙遜なさらないでください。貴官は今年で勤続二二年目ではありませんか。小官よりもはるかに軍規に通じておいででしょう」

「そ、そんなことは……」

「貴官はタッツィー少尉を職務怠慢であると告発なさっておられる。しかし、小官には根拠がわかりかねます。ですから、お願いしているのです」

「え、ええと……」

 

 落ち着かない様子のダヴィジェンコ少尉はカップを掴み、ぬるくなったコーヒーを一息に喉に流し込む。

 

 俺はテーブルポットを手にとり、空になったダヴィジェンコ少尉のカップにすかさずコーヒーを注ぎ込む。前の世界から通算すると、七〇年近くも前からコーヒーをいれてきたのだ。もっと味わってもらいたい。

 

「ご指摘いただけないのでしょうか?」

「う、うう……」

「指摘できないということでしょうか?」

 

 重ねて問い詰めると、ダヴィジェンコ少尉は声を出さずに軽く頷いた。

 

「憲兵隊は皆さんの情報提供に支えられています。貴官の気持ちはありがたいですが、軍規に反していない行為は処罰できないのです。貴官はタッツィー少尉を厳罰に処するべきとおっしゃいましたが、違反でない行為まで罰したら、誰も軍規を信じなくなるでしょう。皆さんに軍規を信じていただけるよう努力する。それが憲兵の仕事です」

 

 滔々と建前論を並べ立てた。現実は必ずしも建前通りには動かないが、だからと言って無力ということもない。ルールの世界では、建前は現実的な力を持つ。

 

「ダヴィジェンコ少尉、こちらを見ていただけますか」

 

 力なくうなだれるダヴィジェンコ少尉に、私的制裁追放キャンペーンのポスター、そして部隊ごとの相談受理数及び摘発数のグラフを見せた。

 

 私的制裁追放キャンペーンは、憲兵を中央兵站総軍の幕僚に貼り付ける口実だ。俺は真の目的を伏せて、「気付いたことは何でも報告しろ」と憲兵に指示した。彼らは私的制裁に目を光らせているつもりで、実際はマフィアを見張らされているのだ。

 

 もっとも、キャンペーンそのものにも熱心に取り組んでいる。私的制裁対策ガイドラインを作成し、四=二基地の全将兵に配布した。広大な四=二基地のあらゆる場所にPRポスターを貼り、各部隊の部隊長及び人事担当者を対象に研修会を開き、意識の向上に務めた。部隊ごとに相談受理数と摘発数のノルマを設定し、朝礼のたびに檄を飛ばした。

 

 規律の番人たる憲兵として、そしてタッツィーのような人間に痛めつけられた者として、私的制裁をなくしたいと願っていた。

 

「憲兵隊は一丸となって私的制裁追放キャンペーンに取り組んでおります。協力したいという気持ちをお持ちであれば、憲兵隊が求める情報についてご理解いただけると助かります」

「承知しました。そろそろ、失礼してよろしいでしょうか……」

「お疲れ様でした。今後とも憲兵隊への協力をお願いします」

 

 心にもない感謝の言葉を言った。足をふらつかせながら歩くダヴィジェンコ少尉の背中に向かって敬礼をしつつ、少しやり過ぎたかもしれないと思う

 

 入れ替わるように隊長室に入ってきた憲兵副隊長マルキス・トラビ地上軍少佐も、同じように思っていたようだ。

 

「ダヴィジェンコ少尉は、たびたび有益な情報を提供してくれる人物です。もう少し大事にしていただかないと、憲兵隊が信用を無くします」

「わかった、気をつけるよ。忠告ありがとう」

 

 苦々しげに言うトラビ副隊長に礼を言った。心の中では、「摘発実績欲しさにあんな奴の言葉に耳を貸すから、信用を失うんじゃないか」と思ったが、それは口に出さない。

 

 武勲を立てる機会がない憲兵にとって、規則違反の摘発は功績を稼ぐ数少ない機会だ。年度末になると、隊内を見回る憲兵の数が倍に増え、普段は摘発されないような違反まで摘発されるなんて笑えない光景が展開される。憲兵に対する「あら探しに熱心で弱い者いじめが大好き」というステレオタイプなイメージの背景には、このような事情があった。

 

 先例と摘発実績を重視するトラビ副隊長から見れば。俺がドーソン司令官から学んだやり方は、性急すぎるように見えるらしい。何かにつけて、「憲兵隊の先例を重視しろ」と言ってくる。

 

 これまでは頭を下げていればそれで済んだ。しかし、今はそうもいかない。年齢も実力もずっと上のトラビ副隊長の顔を立てるようにしているが、それでもスタイルの違いから対立してしまうのだった。

 

 憲兵隊の中では「良くやってくれた」と歓迎する声もあるが、「やり過ぎだ」と批判する声の方が大きい。

 

「フィリップス少佐は功績を焦っているのではないか」

「じゃがいもの威光を笠に着て威張りやがって」

「勇み足にも程がある」

 

 ベテランを中心にこんな声があがっている。情報収集を任せている本部付下士官によると、俺のことを「赤毛の孺子」「あのチビ」と呼ぶ者もいるらしい。

 

 憲兵を貼り付けている中央兵站総軍の幕僚にも疎まれている。主要幕僚会議に出席するたびに胡散くさい目で見られた。

 

 本当の意味での味方は、第一輸送軍司令部にいるイレーシュ・マーリア宇宙軍中佐、予備部隊として待機中の第一一空挺戦闘団にいるエーベルト・クリスチアン地上軍中佐、そして四名の本部付下士官ぐらいではないかと思えてくる。

 

 ストレスで心が折れそうだ。おかげでマフィンを食べる量が倍増した。サイオキシンマフィアに対する怒り、私的制裁に対する怒りが、今の俺を辛うじて支えていた。

 

 

 

 中央兵站総軍の幕僚に憲兵を貼り付けてから二週間が過ぎたが、誰がマフィアなのかはまだ判明していない。この程度で尻尾を出すような連中でもないだろう。もうしばらく監視を続ける必要がありそうだ。

 

 監視任務の副産物として、ちょっとした事件があった。補給物資をフェザーン企業に横流ししようとした第七九整備大隊長トカイア・オーダ技術少佐が憲兵隊に拘束された。事件そのものより、オーダ技術少佐が共犯者に引きこもうとした第一補給軍運用参謀イブリン・ドールトン宇宙軍少佐の存在が話題を呼んだ。

 

 オーダ技術少佐は既婚者だったにも関わらず、結婚を餌にしてドールトン少佐に近づき、肉体関係を結び、甘言を弄して二万ディナール近い金品を巻き上げた。そして、不正に引きずり込もうとしたのである。肥満した中年男性のオーダ技術少佐、若い美女のドールトン少佐という不釣合いな容姿もあって、四=二基地の人々の間でスキャンダラスな興味を引いた。

 

 オーダ技術少佐は軍法会議に送致、いろいろな意味で可哀想なドールトン少佐は立件を見送り、この横流し未遂事件は幕を閉じた。そして、未然に防いだ憲兵隊の株も上がった。

 

 最近は秘密任務より日常業務の方が忙しい。俺のポストは、言ってみれば八〇万人が暮らす都市の警察署長代理のようなものだ。窃盗、交通違反、暴力などをいかに減らすかに頭を痛める日々が続く。

 

 俗に「不良軍人」と言われるトラブルメーカーも頭の痛い存在だ。物語の世界では、不良軍人は善玉、それを取り締まる憲兵は悪玉ということになっている。しかし、軍隊生活は集団生活だ。トラブルメーカーは大多数の真面目な将兵には迷惑なだけなのだ。

 

 不良軍人に戦場の勇者が多いことが話をややこしくする。彼らは戦場だろうが平時だろうが常に戦闘的だ。それでも武勲のおかげで許されてしまう。その最たるものが、第六六六陸戦連隊こと薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)の隊員だった。

 

 宇宙暦七六〇年、帝国の情報機関「帝国防衛委員会」の手引きで逆亡命した亡命者グループが、同盟の亡命者差別の実情を暴露する事件が起きた。大恥をかかされた同盟政府は、差別が存在しないことを宣伝するために、亡命者一世の軍人を集めてエリート部隊を編成した。これが第六六六陸戦連隊である。

 

 人間離れした勇戦ぶりを見せた第六六六陸戦連隊は、薔薇をあしらった連隊章から「薔薇の騎士連隊」の別名で呼ばれるようになった。この二〇年間で宇宙軍陸戦隊の年間最多受勲部隊に一五度選ばれ、陸戦隊平均の二倍を超える死傷率を誇る。

 

 彼らは昇進や給与の面で優遇される代わり、絶え間なく戦いに駆り出される。模範的亡命者として賞賛を受ける一方で、酷使に耐え切れずに逆亡命する隊員が後を絶たない。栄光と酷使。その矛盾が薔薇の騎士連隊のアイデンティティを複雑なものにした。

 

 七九一年の五月下旬、薔薇の騎士連隊を中核とする第六六六陸戦遠征隊は、ブランタイア星系の小惑星基地において、八倍の帝国軍装甲擲弾兵に包囲された。

 

 装甲擲弾兵と言えば、同盟宇宙軍の陸戦隊に匹敵する精鋭だ。小惑星基地は数日のうちに陥落するものと思われた。だが、陸戦遠征隊長と薔薇の騎士連隊長を兼ねるヘルマン・フォン・リューネブルク宇宙軍大佐の巧妙な指揮によって、九度にわたる装甲擲弾兵の突撃はすべて撃退された。

 

 七月上旬、援軍の二個分艦隊がブランタイア星系に到達し、第六六六陸戦遠征隊の勝利が確定した時、とんでもない事件が起きた。リューネブルク大佐が帝国軍に単身で降伏してしまったのだ。

 

 薔薇の騎士連隊は指揮官の裏切りに怒り狂い、副連隊長のヴァーンシャッフェ宇宙軍中佐を陸戦遠征隊長代行及び連隊長代行に立て、援軍が到着するまで基地を守り抜いた。彼らは自らの手で名誉を守ったことになる。

 

 しかし、政府の名誉は大きく傷ついた。リューネブルク以前に薔薇の騎士連隊を率いた一〇名のうち、三名が戦死し、二名が将官に昇進し、五名が帝国の情報機関の誘いに乗って逆亡命した。一一人目のリューネブルクが降伏したため、歴代連隊長の過半数が裏切ったことになる。看板部隊の指揮官が頻繁に裏切るなど、恥晒しもいいところだ。

 

「皇帝陛下はヘルマン・フォン・リューネブルクの忠誠を嘉し、家門再興をお許しになった。惑星デンスボルンを惑星リューネブルクに改称し、子爵位とともに賜った。そして、リューネブルク子爵に宇宙軍准将の階級を授け、侍従武官として側で仕えるよう仰せになった。自由惑星同盟軍を僭称する反乱者よ。反逆の迷妄から覚めよ。帝国臣民の正道に立ち戻った者は厚く遇されるのだ」

 

 帝国政府はこのように発表し、皇帝の恩徳を称えるリューネブルク子爵の映像を流した。

 

「謀略放送。信憑性はマイナス以下」

 

 同盟政府は国内での報道を禁じたが、あっという間に公然の秘密と化した。リューネブルク子爵がある名門貴族の令嬢と結婚したという噂も流れている。

 

 聞くところによると、かつてのリューネブルク家は侯爵家で、皇后や軍務尚書を出したこともあり、最盛期には一門全体で二〇個近い有人惑星を支配したそうだ。本来の家格を考慮すれば、現在の待遇は決して厚遇とは言えないだろう。それでも、裏切り者が門閥貴族に列したことに市民は激怒し、薔薇の騎士連隊解体論が燃え上がった。

 

 薔薇の騎士連隊の士官は辺境の基地に軟禁され、数か月間にわたって査問を受けた。徹底的な取り調べによって、リューネブルクの行動が完全な単独行動だったことが証明され、薔薇の騎士連隊は解体を免れた。

 

 それでも、失われた部隊の名誉は回復しなかった。ヴァーンシャッフェ連隊長代行は大佐昇進と連隊長継承を認められたものの、歴代連隊長が兼務してきた第六六六陸戦遠征隊長のポストを取り上げられた。この事実は、薔薇の騎士連隊が陸戦遠征隊の基幹部隊から、単なる独立連隊に降格されたことを示す。いずれはどこかの陸戦旅団に編入されて、連隊長職も大佐級ポストから中佐級ポストに格下げされるだろうと噂される。

 

 薔薇の騎士連隊の復権を図るヴァーンシャッフェ連隊長は、成功率の低い任務を進んで引き受ける一方で、隊員に右翼的な精神教育を行い、愛国心のアピールに務めた。また、ヨブ・トリューニヒト政審会長やフランシス・カネダ元国防副委員長といった主戦派議員と誼を結び、彼らの利益のために部隊を動かした。

 

 連隊長の愛国路線は激しい反発を受け、一部の隊員が殊更に露悪的な態度をとるようになる。その中心人物が副連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ宇宙軍中佐だ。

 

 今年で三〇歳になるシェーンコップは、士官学校に合格したが入学しなかったという経歴が示す通り、卓越した学力と体力の持ち主だ。学科・戦技・リーダーシップは開校以来最高、協調性と倫理教養は開校以来最低、総合すると九位という成績で、ケリム陸戦専科学校を卒業し、宇宙軍伍長に任官した。陸戦隊で武勲を重ねたシェーンコップは、二二歳の時に少尉となって薔薇の騎士連隊に配属され、二八歳で中佐に昇進し、昨年末に副連隊長となった。

 

 徒手格闘術・戦斧格闘術・ナイフ格闘術・射撃術はすべて最高の「特級」評価。隊内戦技トーナメントの二年連続優勝者。そして、人事記録の賞罰欄は獲得した勲章と個人感状で真っ黒に埋め尽くされている。薔薇の騎士連隊、いや同盟宇宙軍陸戦隊最強の戦士だ。

 

 指揮官としても超一流だ。一〇人程度のゲリラコマンドの指揮にも、一〇〇〇人を超える大部隊の運用にも抜群の技量を示す。超人的な勇気の持ち主で、気前が良いこともあって、部下からは絶大な支持を受ける。幹部候補生出身ながらも、誰もが将来の将官候補と認める存在だ。

 

 シェーンコップの評価の高さも、前の世界での活躍ぶりと比較するとまだまだ物足りないと思える。生前は天才ヤン・ウェンリー配下の陸戦隊司令官として活躍し、死後は小説・漫画・テレビドラマ・映画などの登場人物として活躍した。イゼルローン無血攻略、シヴァ星域会戦における帝国総旗艦ブリュンヒルト突入作戦など数々の偉勲は、赤ん坊だって知っていた。一〇〇人いれば、九六人が「シェーンコップこそ、ラインハルト戦争時代最高の陸戦指揮官」と言っただろう。

 

 前の世界を生きた俺にとって、シェーンコップ中佐は偉人の中の偉人だった。しかし、この基地では迷惑極まりない存在だ。

 

 反抗的で放蕩三昧のシェーンコップ中佐を嫌う者は多い。彼の品行に対する苦情が憲兵隊本部に多数寄せられた。世論に押された基地憲兵隊は、シェーンコップ中佐の身辺を調査した。

 

 確かにシェーンコップ中佐の態度は悪い。上官のヴァーンシャッフェ連隊長はもちろん、将官に対しても不遜な態度をとる。公式の場では許されないようなきわどい発言も多い。課業終了後は不特定多数の女性との情事に精を出す。道徳家が怒り狂いそうな不品行ぶりだ。

 

 それでも軍規には抵触していない。態度こそ反抗的なものの、与えられた命令はこれ以上無く完璧に遂行する。配下の規律・風紀は並みの部隊よりよほど優秀だ。公人としての資質を問われるような行為も見られない。要するに他人の不快感を刺激する以上のことは、何一つしていなかった。

 

「放置でいいだろう。憲兵隊が動くこともない」

 

 俺はそう判断した。苦情のほとんどはダヴィジェンコ少尉レベル。しかも、提出者の半数は薔薇の騎士連隊の隊員だ。

 

「これって派閥争いじゃないのか?」

 

 不審を抱いて提出者の背景を探った。現在の薔薇の騎士連隊は、愛国路線を推進するヴァーンシャッフェ連隊長派と、反愛国路線のシェーンコップ副連隊長派に二分されているからだ。

 

 その結果、九割がヴァーンシャッフェ連隊長派の部隊所属だったことが判明した。彼らは憲兵隊内部の反シェーンコップ感情、そして摘発実績を求める憲兵気質を利用して、敵対者に打撃を与えるつもりなのだ。

 

「馬鹿馬鹿しい。憲兵隊は規律の番人だ。よその部隊の派閥争いに付き合ってられるか」

 

 俺は不介入を決定した。

 

「動いてもらわなければ困ります。これだけの苦情を放置すれば、憲兵隊は仕事をしていないと言われますぞ」

 

 トラビ副隊長が苦虫を噛み潰したような顔で異論を唱える。潔癖な彼はシェーンコップ中佐を目の敵にしており、この機会に処罰してしまいたいと思っているのだ。

 

「しかし、理由がないだろう」

「不品行を理由に多くの訴えを起こされています。統合軍基地規則の『隊員は公衆道徳を重んじ、他人に迷惑を及ぼすような言動及び行為は、慎まなければならない』に違反しているとみなしてもよろしいでしょう」

「前例に照らせば、彼の不品行は憲兵隊の介入を必要とする程度に達していないんじゃないか」

「しかし、憲兵隊に対して苦情が届いている以上、対処する姿勢は見せるべきでしょう。『憲兵隊が薔薇の騎士連隊に弱腰過ぎる』という声も出ていますから」

「それは困るなあ」

 

 副隊長の主張には、シェーンコップ中佐に対する反感が多分に含まれていたが、それでも聞くべきものがあった。苦情を寄せても動かないと思われたら、誰も憲兵隊に協力しなくなるだろう。姿勢を見せることは大事だ。

 

 いろいろと思案した結果、シェーンコップ中佐を呼び出すことにした。軍隊が官僚組織である以上、アリバイを作ることも大事なのだ。

 

 士官になって二年と八か月、俺はすっかり軍服を着た役人になりきっていた。

 

 

 

 薔薇の騎士連隊副連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐が隊長室に入ってきた。彫りの深い顔立ち、均整の取れた長身、優雅な物腰には、貴族的な気品が漂っている。灰茶色の瞳に宿る強烈な光は、彼が決して他人に屈する人物でないことを教えてくれる。

 

「憲兵隊長代理殿、本日は何の御用でしょうか」

 

 シェーンコップ中佐は長身を優雅に折り曲げて一礼した。礼節を完璧に守りながらも、俺に対する敬意をまったく持っていないことが伝わってくる。彼は誰に対しても分け隔てなく慇懃無礼だ。上官のヴァーンシャッフェ連隊長、四=二基地で一番偉いセレブレッゼ司令官にもこんな態度を取る。

 

「ご足労いただきありがとうございます。中佐の素行について苦情を申し立てる者がおりました。その件について、中佐の側からもお話を伺いたいと思いました」

「なるほど、それは御苦労なことですな」

 

 ソファーに腰掛けたシェーンコップ中佐の口元に、冷笑が浮かぶ。だが、心を乱されてはいけない。これは彼一流の心理戦術だ。

 

「当方の調査では、中佐は当基地に着任されてからの四〇日間で、一二人の女性と関係をお持ちになったという結果が出ております。事実に相違はございませんでしょうか?」

「事実に反しておりますな」

「どの点に相違があるのでしょう?」

「昨晩、一三人目と関係を持ちました。事実関係はしっかり把握していただきたいものです」

 

 してやったりと言いたげに、シェーンコップ中佐は口角を上げ、俺がいれたコーヒーをうまそうに飲む。

 

「申し訳ありません」

「ご理解いただけましたか。有り難いことです」

「はい、事実確認には正確を期するよう気を付けます」

「ところで隊長代理殿は、小官が一三人の女性と関係を持ったことが事実であると確認されたかったのでしょうか?」

「何ぶんにも相手がある話なので、中佐ご本人のお話も伺っておきたかったのです」

「石橋を叩いて渡ると評判の隊長代理殿らしいですな。それでは失礼いたします」

 

 シェーンコップ中佐はすっと立ち上がり、早足で部屋から出ていこうとした。

 

「ま、待ってください! まだ話は終わってないんです!」

 

 慌てた俺は立ち上がって呼び止める。シェーンコップ中佐は再びこちらを向いてニヤリと笑い、再びソファーに腰掛ける。完全に相手のペースにはまってしまった。

 

「中佐の女性関係に関して、苦情が何件も入っているのです」

「ほう、憲兵隊はそんなつまらん苦情にも対処せねばならんのですか。御苦労のほど、お察ししますぞ」

 

 苦労の元凶であるシェーンコップ中佐が抜け抜けと言う。もはや、心の中で突っ込む気すら起きない。

 

 同盟軍の軍規には、戦地での異性交際そのものを禁ずる規定は存在しない。オーダ技術少佐とドールトン少佐の件と違い、シェーンコップ中佐と関係を持った女性はみんな独身者だから、不倫でもない。法的には真っ白だ。シェーンコップ中佐を大人しくさせるためでなく、苦情を入れた者に「注意はしました」と言うために対処している。

 

「一昨日の晩にマルグリット・ビュッサー伍長とエルマ・カッソーラ軍曹が殴り合いの喧嘩をいたしまして。それで……」

「それはいけませんな。戦友同士仲良くしないと」

「隊長代理殿が両人の仲直りをご希望ならば、不肖ながらこのワルター・フォン・シェーンコップも仲立ちの労を厭いませんぞ。何と言っても平和が一番ですからな」

 

 シェーンコップ中佐が臆面もなく提案してのけた。勝てる気がしない。

 

「仲直りは当人同士の問題ですから、小官には何とも言いかねます。ですが、中佐にはもう少し女性とのお付き合いを控えめにしていただけたら、喧嘩の種も無くなるんじゃないかと……」

「隊長代理殿は女性達の喧嘩に心を痛めておられるのですか?」

「まあ、そういうことです」

「他でもない隊長代理殿の仰せであれば、微力を尽くしましょう」

「お分かりいただけましたか」

 

 胸を撫で下ろした。彼が本当に自重するとは思えないが、「自重する」という返事を引き出せただけで外部への申し訳は立つ。

 

「小官としたことが、女はアフターケアを怠れば嫉妬するということをすっかり失念しておりました。今後はこのようなことがないように努力いたしましょう」

「そ、そっちの努力ですか……?」

「まさか、女との付き合いを自重しろなどと言うために、呼び出したわけでもありますまい。隊長代理殿は、基本法令集と国防関連法令集を判例も含めて暗記しておられると聞きます。異性交際を禁止する規定が無いことは、当然ご存知でしょう」

 

 シェーンコップ中佐は軍規を盾に反論を封じてきた。

 

「確かにそのような規定はありません」

 

 他に答えようがない。彼がこれまで一度も懲戒処分を受けていない理由がようやく分かった。ルールを知り尽くし、そこから一歩もはみ出ない範囲で振る舞う術を弁えているのだ。

 

「女にかまけて軍規を蔑ろにしたというのであれば、批判も甘受いたしましょう。しかし、小官は任官より今日に至るまで、一度も軍規に背いたことはありません。不勉強なそこらの憲兵ならいざ知らず、隊長代理殿ともあろうお方が、小官のプライベートに口を差し挟もうとなさったら、法を枉げたとの誹りは免れんでしょうな。公正にして峻厳と名高い隊長代理殿が、そのようなことをおっしゃるとは、夢にも思いませんがね」

「中佐のおっしゃるとおりです」

「隊長代理殿はいつも物分かりが良くて助かります」

 

 シェーンコップ中佐は猛獣のような微笑みを浮かべ、コーヒーを飲み干す。そして、二杯おかわりした後に退出した。

 

「ふう……」

 

 大きくため息をついた。背中が汗でびっしょりになっている。これが格の差というものなのだろうと思う。次元が違いすぎる。

 

 前の世界でシェーンコップ中佐が受けた「危険人物」という評価に納得した。規則や権威を尊重する気が無いのに、誰よりも上手に利用できる。少しでも油断したら、あっという間に付け込んでくる。本当に恐ろしい相手だ。

 

 彼の上官を四年間もやっていたという一点においても、ヤン・ウェンリーは尊敬されてしかるべきだと思う。俺が上官だったら一週間で音を上げるだろう。

 

 基地憲兵隊長代理の椅子はあまり座り心地が良くななかった。四〇〇〇人もの部下をまとめるだけで一苦労だ。秘密任務もある。シェーンコップ中佐のような面倒な人もいる。人の上に立つことの難しさにため息をつき、マフィンを口に入れた。


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