銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第18話:ヴァンフリート四=二基地攻防戦 宇宙暦794年4月2日 ヴァンフリート四=二基地

 四月六日の午前二時、無人レーダーサイトが進軍してくる帝国軍の大部隊を発見した。兵力は一〇万から一二万の間と推定される。位置は四=二基地から三二〇キロ。四時間から五時間で到達する距離だ。

 

「警戒レベル、オレンジからレッドに変更! これより完全臨戦体制に移行する! 総員、すみやかに戦闘配置に着け! 繰り返す……」

 

 四=二基地の同盟軍は一〇分で戦闘配置を完了した。戦闘要員は武器を手に取り、オペレーターは端末に向き合い、帝国軍を待ち構える。

 

 四方を山で囲まれた四=二基地に進入するには、崖に挟まれた狭い峡谷を通らねばならず、大軍を展開するのに向かない地勢だ。細い通り道を塞ぐように防御陣地が設置された。

 

 第一陣地群にはストーヤイ地上軍大佐の部隊、第二陣地群にはル=マール宇宙軍大佐の部隊、第三陣地群にはモン地上軍中佐の部隊、第四陣地群にはシェーンコップ宇宙軍中佐の部隊、第五陣地群にはペデルセン地上軍大佐の部隊、第六陣地群にはハウストラ地上軍中佐の部隊が配備される。

 

 第二陣地群と第四陣地群は宇宙軍陸戦隊、その他の地区は地上軍陸上部隊を基幹とする。少数ではあるが武装・練度共に優秀な彼らが防御戦の要となる。文字通り少数精鋭だ。

 

 四=二基地は七つの地区に分けられる。基地司令部ビルを中心とする中央兵站総軍直轄区にはロペス宇宙軍少将の部隊、中央輸送軍管轄区にはメレミャーニン宇宙軍少将の部隊、中央通信軍管轄区にはマデラ技術准将の部隊、中央衛生軍管轄区にはオルランディ軍医少将の部隊、中央工兵軍管轄区にはシュラール技術少将の部隊、中央支援軍管轄区にはリンドストレーム技術少将の部隊が配備される。

 

 中央兵站総軍直轄区を守る中央兵站総軍副司令官ロペス宇宙軍少将、中央通信軍管轄区を守る中央通信軍司令官代理マデラ技術准将以外は、みんな管轄区駐屯部隊の司令官だ。

 

 後方支援要員からなるこれらの部隊は「臨時陸戦隊」と呼ばれる。武装・練度ともに劣悪で、指揮官の実戦経験も乏しく、戦力としてはまったくあてにならなかった。

 

 基地憲兵隊は七つの地区の司令部に分散配備されて幕僚を警護する。俺は五個中隊を率いてトラビ副隊長とともに四=二基地本部ビルを守り、中央兵站総軍幕僚の身柄確保に力を尽くす。軽装甲服、両手持ち戦斧、大口径ビームライフルなどを装備した憲兵は、練度こそ低いものの、武装は臨時陸戦隊よりも優秀だ。

 

 四=二基地の同盟軍は最善の布陣を整えた。総司令官のセレブレッゼ中将が最大の弱点だった。

 

 四八歳のシンクレア・セレブレッゼ宇宙軍中将は、中央兵站総軍司令官と後方勤務本部次長を兼ねる後方部門のナンバーツーだ。卓越した指導力と理論の持ち主で、一流の管理者と技術者を揃えた幕僚チーム「チーム・セレブレッゼ」とともに、同盟軍の兵站支援システムを作り上げた。その影響力は後方勤務本部長ヴァシリーシン大将を凌ぐ。実質的には後方部門の第一人者だ。

 

 前の世界で俺が読んだ本では、セレブレッゼ中将に関する記述は乏しかった。ヴァンフリート四=二におけるワルター・フォン・シェーンコップの頑迷な上官、ラインハルト・フォン・ミューゼルに捕らえられた同盟軍高官として名前があがるぐらいで、後方部門の大物としての側面はほとんど触れられなかった。戦記の著者は、ラインハルトとヤン・ウェンリーの二大英雄及びその周辺人物との関わりが薄い事象には、ほとんど興味を示さなかった。

 

 俺の見たところ、兵站分野でのセレブレッゼ中将は素晴らしいリーダーだったが、戦闘分野では酷かった。知識と経験の乏しさは仕方ないにしても、胆力が決定的に欠けている。頼りなげに司令室の中を見回し、立ったり座ったりを繰り返し、爪を噛んだりする。時折思いついたように戦闘部隊に通信を入れては、「大丈夫なのか?」「これで勝てるのか?」としつこく問う。

 

 戦闘が始まる前から司令官がこれでは勝てる気がしない。セレブレッゼ中将の副官アルフレッド・サンバーグ少佐も困ったような顔をしていた。

 

 気を紛らわすために腕時計を見る。イレーシュ・マーリア少佐からもらった誕生日プレゼントの時計だ。

 

「あれ?」

 

 なぜか止まっていた。一体どうしたのだろう? 戦いが始まる前に止まるなんて縁起が悪いにもほどがある。腕時計を外してポケットに入れた後、中央司令室の壁に据え付けられた大型デジタル時計に視線を向けた。

 

 六時二二分、地平線の彼方に帝国軍が現れた。スクリーンには、地平線いっぱいに広がった装甲戦闘車や装甲擲弾兵、空を埋め尽くすような対地攻撃機が映る。

 

「あれと戦って生き残らないといけないのか……」

 

 敵の大軍にすっかり呑まれてしまっていた。所在なげにきょろきょろする司令官の姿がさらに不安をかきたてる。

 

「敵が交信を求めています!」

 

 オペレーターの報告に緊張が高まった。地上戦が始まる際には、両軍の指揮官の間に通信回線が開かれ、降伏勧告やプロパガンダを行う慣例がある。

 

「回線を開け」

 

 セレブレッゼ中将は回線を開くよう促し、マイクを握る。その次の瞬間、第四地区司令官シェーンコップ中佐が回線に割り込み、第一声を放った。

 

「帝国軍に告ぐ。無駄な攻撃はやめ、両手を上げて引き返せ。そうしたら命だけは助けてやる。今ならまだ間に合う。お前たちの故郷では、恋人がベッドを整頓して、お前たちの帰りを待っているぞ」

 

 このあまりにふざけきった宣戦布告に、すべての人が呆然となった。怒ったセレブレッゼ中将はシェーンコップ中佐に通信を入れる。

 

「シェーンコップ中佐! いまの通信は何ごとだ!? 回線が開いたら、まず帝国軍の通信を受けてみるべきではないか!? 妄動にもほどがあるぞ!」

「紳士的に、かつ平和的に解決を提案してみただけのことですがね」

 

 人を食ったシェーンコップ中佐の返答に、セレブレッゼ中将はますます腹を立てた。

 

「どこが紳士的だ! どこが平和的だ! 喧嘩を売っているにひとしいではないか!?」

「帝国軍の方がわざわざ買いに来ているんです。せいぜい良い商品を売りつけてやるのが、人の道というものでしょう」

「とにかく、これ以後、基地司令官の職分を侵すような言動はいっさい、厳に慎んでもらおう! 貴官は貴官の責務さえ果たしていれば良い! 異存はないな!?」

「かしこまりました、司令官閣下」

「くそっ!」

 

 セレブレッゼ中将は通信端末のスイッチを乱暴に切り、どしんと椅子に腰を落とす。いつもの彼ならば、体面を傷つけられたと感じても、ここまで怒りを露わにしないだろう。

 

「大丈夫かな……?」

「さあ……」

 

 俺の近くの席では、丸顔の女性と気弱そうな女性が不安そうに顔を見合わせた。他の人も不安を覚えているようだ。シェーンコップ中佐の行為が少し恨めしくなる。

 

 メインスクリーンが真っ白に輝いた。帝国軍が長射程のビーム砲を一斉に放ったのだ。同盟軍も負けじと撃ち返す。ヴァンフリート四=二基地攻防戦は砲撃戦から始まった。

 

 低空を飛ぶ数千機の対地攻撃機がビームとミサイルの豪雨を降らせた。赤茶けた地面はたちまちのうちに打ち砕かれた。大地を揺るがすような攻撃も、地上戦においては挨拶のようなものだ。空からの攻撃では、巧妙に築かれた防御陣地に打撃を与えるのは難しい。

 

 一万台を超える装甲戦闘車が数万人の装甲擲弾兵を従えて前進し、背後に控える数千台の自走電磁砲や対地ミサイル車両が支援射撃を行う。鉄と火力の激流が不毛な地表を覆い尽くした。

 

 陸と空から押し寄せてくる帝国軍に対し、同盟軍は地の利を活かして対抗した。

 

 細長い列を作って渓谷に入った帝国軍陸上部隊は、同盟軍の防御陣地に行く手を阻まれた。そこに前方と左右の崖上の三方から放たれた砲撃が集中する。縦に伸びきった帝国軍陸上部隊は大損害を出して退いた。

 

 空から防御陣地を越えようとした帝国軍航空部隊は、同盟軍対空部隊が張り巡らせたミサイルとビームの弾幕に阻止された。

 

「やったぞ!」

 

 味方の奮戦に司令室は盛り上がった。しかし、敵は怯むこと無く新手を投入してくる。消耗戦に持ち込むつもりだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「何だよあれ? 軍事博物館から引っ張り出してきたのか?」

 

 若いオペレーターがサブスクリーンの一つを指して笑う。そこに映しだされている帝国軍の対地ミサイル車両は、西暦時代に廃れた有線誘導式だ。司令室は冷笑に包まれる。

 

 笑っていられたのはほんの一瞬だけだった。有線誘導ミサイルは驚くほど的確に同盟軍の砲兵部隊を粉砕する。常識はずれの命中率に司令室は驚愕した。

 

「ああ、そっか。有線誘導じゃ妨害電波は効かないんだ」

 

 丸顔の女性がぽつりと呟く。

 

「そうか、そういうことか……」

 

 敵が骨董品を持ちだした理由がようやく理解できた。ミサイルに取り付けられた無線誘導装置は妨害電波の影響を受ける。だが、オペレーターが直接操作する有線誘導なら影響を受けない。さすがはリューネブルク元大佐だ。

 

 長射程のミサイルと百発百中の精度が合わさった時、恐るべき威力を発揮する。同盟軍は恐れをなして退き始めた。

 

「あれを見ろ!」

 

 誰かが叫んだ。一本のビームがミサイルのワイヤー目掛けて一直線に飛んで行く、そして見事に断ち切った。

 

「やったぞ!」

 

 味方の絶技は人々を喜ばせた。続いて同盟軍砲兵部隊が敵のミサイル車両に砲撃を叩き込む。有線誘導ミサイル部隊は呆気無く退場した。

 

「あんな遠くからワイヤーを撃ちぬくなんて凄いな。誰がやったんだ?」

「あれはシェーンコップ中佐の第四陣地群だ。薔薇の騎士連隊の狙撃手だろう」

「なるほど、それなら納得だ」

 

 そんな声が聞こえる。薔薇の騎士連隊は忠誠心を疑われても、実力には絶対的な信頼があるのだった。

 

 

 

 同盟軍の防御陣地は、帝国軍陸上部隊の攻勢を三度にわたって跳ね返した。戦記ではシェーンコップ中佐の活躍しか記されていないが、他の五人もかなりの善戦を見せた。計画段階でいがみ合っていた指揮官達も本番では力を発揮した。しかし、被った損害も大きく、戦闘継続が不可能になった部隊も出た。敵の狙い通り、消耗戦に引きずり込まれてしまった。

 

 不利な時ほど指揮官の力量が試されるというが、セレブレッゼ中将は甚だ心許ない。座っていられないのか、立ち上がって指揮卓に手をつき、不安そうに周囲を見回す。オペレーターが何か言うたびに顔を青くする。せめて、大人しく椅子に座っていて欲しい。見ているだけで不安になるではないか。

 

 司令官を補佐すべき参謀もあてにならなかった。ほとんどが後方勤務の専門家だ。作戦参謀の経験者もいることはいるが、みんな宇宙戦の専門家で、地上戦の専門家が一人もいない。

 

「この人達の指揮を受けて、無事に帰れるのか……?」

 

 不安で心臓が激しく鼓動する。腹が痛くなってくる。背中は汗でびっしょり濡れていた。涙が流れていないだけでも、俺にしては上出来だ。

 

「このままでは、完全に制空権を握られてしまう! どうする気だ、シェーンコップ中佐!?」

 

 セレブレッゼ中将の叫び声が聞こえた。右手に有線電話の受話器を握っている。敵の航空部隊に怯えて電話を掛けたらしい。戦闘中にこんな電話をもらったシェーンコップ中佐もさぞ迷惑していることだろう。

 

 ほんの少しの間を置いて、セレブレッゼ中将は不快そうに顔を歪めた。よほど不快な答えが返ってきたらしい。

 

「おのれ、シェーンコップめ! 増長しおって!だから、薔薇の騎士連隊など信用できんのだ!」

 

 電話を切った後でセレブレッゼ中将は罵倒の言葉を吐いた。薔薇の騎士連隊の戦闘力を頼りにしている手前、面と向かって叱れないのだ。

 

「状況はどうなっている!?」

 

 今度は情報処理班に状況報告を求める。とにかく喋っていないと不安でたまらないようだ。気持ちはとても良く分かるのだが、こういう時は勘弁して欲しい。

 

「状況はさらに悪化。好転の見込み無し」

 

 情報処理班長トーレス少佐は事務的な冷淡さで応じた。「あんたを慰めてやる義務はない」と言っているように聞こえるのは、気のせいではないだろう。セレブレッゼ中将の手が再び電話に伸びる。

 

「どうなのだ、シェーンコップ中佐、今後の予測は!?」

 

 通話相手はシェーンコップ中佐らしい。他の指揮官には通話拒否を食らっている。まともに相手にしてくれるのは、もはやシェーンコップ中佐しかいなかった。

 

 数十秒後、またセレブレッゼ中佐は腹を立てて受話器を叩きつけた。戦闘指揮の最中にこんな電話にいちいち出るなんて、シェーンコップ中佐は妙なところで律儀だ。しかし、その律儀さも冷静さを失った司令官には何の感銘も与えなかった。

 

 セレブレッゼ中将が怒りで顔をひきつらせて何か言おうとしたところで、うんざりしたような声が割り込んできた。

 

「司令官閣下、もうおやめになりませんか? あなたらしくもない」

 

 声の主は中央兵站総軍参謀長のデジレ・ドワイアン宇宙軍少将だった。丸々と太った彼女は、セレブレッゼ中将の士官学校からの親友だ。

 

 目の前の醜態からは信じがたいが、セレブレッゼ中将は豪腕で知られ、「一〇倍の結果を出す代わりに、一〇倍のトラブルを引き起こす」と評される。部下はやり手ばかり。当然のように衝突が起きる。その衝突の中からチーム・セレブレッゼのパワーが生まれると言われるが、激しすぎると崩壊を招く。それを調整するのが温和で人望のあるドワイアン少将だ。

 

「デジレ、すまん……」

 

 盟友の一言がセレブレッゼ中将を正気に返らせた。

 

「シンクレア、あなたは攻めには強いけど、逆境になると弱くなる。士官学校の頃からそうでしたよね。戦略戦術シミュレーションでも、攻め一辺倒で守りは考えない。おかげで随分と勝ち点を稼がせていただきました。あなたがいなかったら、士官学校の卒業順位が一〇〇位は落ちていましたわ」

「君がいなかったら、私は首席で卒業できたんだがな」

「なんて図々しい。戦術シミュレーションで全勝したって、トップクラスの一五人を全員抜けるわけがないでしょうに」

「勘弁してくれよ」

 

 士官学校時代のことを持ちだされたセレブレッゼ中将は、恥ずかしそうに頭をかいた。沈みきっていた中央司令室の空気が一気に和む。

 

 どうにか落ち着きを取り戻したセレブレッゼ中将であったが、戦闘指揮能力の不足は否めなかった。補佐役のドワイアン少将は優秀な調整役だが作戦家としては二流。彼らでは戦況に対応できなかった。

 

 帝国軍は損害をものともせずに波状攻撃を続けた。絶対的な戦力差を解消する術もなく、同盟軍の前線部隊はどんどん消耗していく。

 

「臨時陸戦隊を援軍に送ろう」

 

 セレブレッゼ中将の申し出は、六人の陣地群指揮官全員に拒否された。防衛戦では数よりも質の方が重要だ。臨時陸戦隊の練度と武装では足手まといになるだけと、指揮官達は判断したのだ。

 

 抽象化された戦術スクリーンの画面では、同盟軍部隊は赤い塊、帝国軍部隊は青い塊として表示される。秒を追うごとに赤い塊が溶けていき、青い塊の存在感が大きくなっていく。

 

 空を覆い尽くさんばかりの敵航空部隊、陸を埋め尽くす敵陸上部隊がメインスクリーンを占拠する。

 

「第二八山岳連隊は損害甚大につき戦闘継続を断念! 五〇四陣地を放棄するとのこと!」

「第一一一歩兵連隊長アーナンド中佐戦死! 副連隊長ユー少佐が指揮権を引き継ぎました!」

「第八七独立高射大隊は降伏した模様!」

「第五陣地群の最終防衛線が突破されました! 司令官ペデルセン大佐は行方不明!」

 

 相次ぐ凶報に中央司令室は凍りついた。それから間もなく、全地区の最終防衛線が突破されたという報告が入った。

 

「帝国軍が殺到してきます! 数はおよそ三〇万! 臨時陸戦隊が加わったものと思われます!」

 

 敵は臨時陸戦隊を投入して、四=二基地を一気に攻略しようとした。勢いに乗っている時は弱兵でも十分に力を発揮する。

 

「中央輸送軍より報告! 宇宙港に侵入してきた敵装甲擲弾兵と交戦中!」

 

 その報告は人々を戦慄させた。ついに敵が四=二基地の敷地内に足を踏み入れたのだ。

 

「中央工兵軍基地に敵が突入してきました!」

「第一艦船造修所が攻撃を受けています!」

 

 四=二基地の臨時陸戦隊から、戦闘状態に突入したとの報告が次々と入る。基地司令部ビルが攻撃を受けるのも時間の問題だ。司令部要員は気密服のヘルメットを着用し、ビームライフルや戦斧を手に持って戦闘に備える。

 

「うわっ!」

 

 巨大な爆発音とともに床が大きく揺れた。マフィンを食べていた俺は、バランスを崩して転倒してしまう。

 

「こちら、第四警備中隊! 敵の砲撃でJブロックの外壁が破壊されました! 強風のため、現時点では敵が進入するには至っていません! 風が止み次第、進入してくるものと思われます!」

 

 最悪の報告だった。人々の間に重苦しい空気が流れる。

 

「ついに敵が進入してくるのか……」

「もうおしまいだ」

「捕虜になるなんて嫌だぞ!」

 

 絶望の声をよそに、手元の携帯端末をちらりと見た。他の管轄区に配備した憲兵からの定例報告メールは、すべて三〇分以上前に途絶えていた。

 

 ふと、知り合いのことを考えた。シェーンコップ中佐やリンツが死ぬとは思えない。しかし、第一陣地群のクリスチアン中佐、中央輸送軍司令部のイレーシュ少佐、基地防空隊のフィッツシモンズ中尉なんかは分からない。生き残ってて欲しいと心から祈る。

 

 俺も生き残らねばならない。目の前にいる者すべての身柄を確保し、隠れているサイオキシンマフィアを引きずり出す。それまでは死ねなかった。

 

 最後のマフィンを取り出して口に放り込み、糖分を補給した瞬間、メインスクリーンの画像が急に切り替わった。

 

「リューネブルク!」

 

 誰かが叫び声をあげた。殺意のこもった視線がスクリーンに集中する。かつての薔薇の騎士連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク帝国宇宙軍准将の貴族的な顔がそこにあった。

 

「反乱軍に告ぐ! 諸君は銀河帝国軍の完全な包囲下にある! これ以上の抵抗は不可能であると心得よ! 今からでも決して遅くはない! 直ちに抵抗をやめ、帝国臣民たるの本分に立ち返れ!皇帝陛下は慈悲深いお方! 必ずや諸君の罪をお許しになるであろう! 反逆者として惨めに死ぬか、正道に立ち返って生きるか! 好きな方を選ぶがいい!」

 

 傲然と降伏勧告をするリューネブルク准将からは、生まれながらの貴族らしい威厳を感じた。ほんの三年前まで民主主義の軍人だったようには見えない。

 

「裏切り者め……」

 

 参謀の一人がうめくような声を漏らす。しかし、誰も応じようとしない。しばし、沈黙の時が流れる。

 

「セレブレッゼ提督、全軍の指揮権を私に預けていただけますか?」

 

 副司令官のロペス少将が静寂を破った。疲れきったような顔のセレブレッゼ中将はゆっくりと腹心を見る。

 

「貴官が迎撃の指揮をとるというのか? 総軍直轄区の防衛指揮だけでも大変だろうに」

「参謀長のおっしゃる通り、あなたは守勢に極端に弱い。私も地上戦は素人です。しかし、艦隊戦では守勢の経験を積んでいます」

「確かにそうだ」

 

 セレブレッゼ中将、そして幕僚達が頷く。ロペス少将は兵站管理能力を買われてチーム・セレブレッゼに加わった人物だが、本来は艦隊戦の専門家だ。メンタルは確実にセレブレッゼ中将を上回る。

 

「元から勝ち目のない戦いでした。しかし、やられっぱなしというのも面白くない。せめて一太刀は浴びせてやりたいものです」

 

 ロペス少将は爽やかに笑う。

 

「それもそうだな。ロペス提督、後を頼む」

「まあ、やるからには勝つ気でやりますよ。私は軍艦乗りです。地上で死ぬなど勘弁願いたい」

「ははは、君らしいな」

 

 セレブレッゼ中将とロペス少将が顔を見合わせて笑う。張り詰めた空気が急に柔らかくなっていく。冗談を言う余裕があれば、どうにかなるんじゃないかと思った。いや、思いたかった。

 

「勝算はあります」

 

 ドワイアン少将が進み出た。

 

「デジレ、どういうことだ?」

「こちらをごらんください」

 

 参謀長の太い指が戦術スクリーンを指す。帝国軍の隊列がぐちゃぐちゃに乱れている。

 

「これは……?」

「一部の士官が武勲欲しさに勝手な動きをしているのです」

「ああ、なるほど。帝国の貴族士官は、戦場を個人的武勲の稼ぎ場所としか思っていないからな」

「有利な戦であればあるほど帝国軍は脆くなる。そして、過去の逆亡命者は貴族士官から軽んじられてきました。リューネブルクも部下を抑えきれていないようです。敵がバラバラに攻めかかってくるなら、しばらくは持ちこたえられますわ」

 

 ドワイアン少将の言葉にみんなが頷く。貴族士官の抜け駆け好きはしばしば同盟軍を救った。逆亡命者の指揮官では抑えが効かないというのも常識だ。

 

 前の世界のヴァンフリート四=二では、主将のリューネブルクはシェーンコップと一騎打ちし、副将のラインハルトはキルヒアイスと二人きりで司令部ビルに突入した。全軍を統括する二人が単独行動を取っていた。要するに統制が取れていなかったのだ。

 

 この戦いは今のところ前の世界と同じように展開している。そして、ドワイアン少将の指摘は前の世界で起きたことと一致する。

 

「小官もそう思います」

 

 俺は大きな声で同意した。

 

「エル・ファシルの英雄と考えが一致しましたか。私の智謀も捨てたものではないようです」

 

 ドワイアン少将が笑う。他の幕僚達の顔にも希望の色が浮かんできた。エル・ファシルの英雄の虚名も士気高揚の役には立つ。

 

「希望が見えてきたな」

 

 セレブレッゼ中将の顔にも血の気が戻ってきた。

 

「あとは味方がこちらの救援信号に気付くかどうかです」

「気付くとしたらヴィテルマンス提督だろう。あの艦隊には作戦の鬼才もいるしな」

 

 初めてセレブレッゼ中将が希望的観測を述べた。どんどん士気が上がっている。俺はさらに希望の種を追加した。

 

「ボロディン提督もいらっしゃいます。バルダシールやシャンダルーアで活躍なさったボロディン提督です」

「おお、そうだ。ボロディン提督もいた」

「ええ、俺達は孤立していないんです」

 

 満面の笑顔を作ってみんなに笑いかけた。俺自身も勝てる見通しなんて持っていない。前の世界で四=二基地を救ったビュコック提督は従軍していない。ボロディン提督が名将と言っても、この戦いでどこまで頼りになるかは怪しいところだ。しかし、今必要なのは悲観ではなく楽観だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 一八時、基地司令部ビルの警報が敵の侵入を告げた。その直後に爆発音が鳴り響く。

 

「敵は外壁に穴を開けて、突破口を開こうとしている! 中に入れるな! 水際で食い止めるのだ!」

 

 中央司令室から地下指揮所に移動したロペス少将が指示を出す。その側には作戦指揮を補助する必要最低限の人員しかいない。その他の司令部要員は臨時陸戦隊に編入された。

 

「こちら、Kブロックの第二警備中隊! 戦闘状態に入ります!」

「司令部第四臨時陸戦中隊です! Pブロックにて装甲擲弾兵と交戦を開始しました!」

 

 敵との接触を伝える報告が次々と指揮所に入る。

 

「司令部第二臨時陸戦中隊、司令部第五臨時陸戦中隊、司令部第七臨時陸戦中隊は、Kブロックの援護に向かえ!」

 

 ロペス少将は惜しげも無く予備戦力を投入した。気取った言い方をするならば、「戦わざるは一兵も無し」と言ったところであろうか。指揮所の戦力は俺が率いる部隊のみとなった。

 

 司令部ビルにいる五個憲兵中隊のうち、俺が指揮する二個中隊は地下指揮所を固め、憲兵隊副隊長マルキス・トラビ地上軍少佐が指揮する三個中隊は前線を固める。

 

 また、カスパー・リンツ宇宙軍大尉率いる薔薇の騎士連隊の精鋭三九名が、一時的に俺の指揮下に加わった。連隊長代理シェーンコップ中佐が貸してくれたのだ。一兵でも欲しい時に腹心のリンツを貸してくれた理由は分からない。しかし、この戦力は大きい。

 

「第四警備中隊はこれ以上は敵を支えきれません! 後退許可を願います!」

「こちら、司令部第六陸戦臨時中隊! Fブロックを奪われました! 敵はどんどん数を増しており、奪回は不可能です!」

「Kブロック担当のメフレブ少佐です! 第二警備中隊、司令部第二臨時陸戦中隊、司令部第五臨時陸戦中隊、司令部第七臨時陸戦中隊、司令部第一〇臨時陸戦中隊は、すべて壊走しつつあり! 援軍を請う!」

 

 戦闘開始から三〇分後、同盟軍はすべてのブロックで劣勢に陥った。統制が全く取れていないとはいえ、質量共に敵の方がずっと上だ。敵が一歩前進するたびに味方は二歩後退した。

 

 敵の主力は帝国宇宙軍陸戦部隊の装甲擲弾兵だ。彼らは最低でも一八〇センチを超える長身に、大口径のビームライフルか実弾銃でなければ貫通できない重装甲服を着用し、重装甲服を容易く打ち砕く炭素クリスタル製の戦斧を片手で振り回す。

 

 その巨体と武装は見掛け倒しではない。装甲擲弾兵部隊に入隊するには、最低でも一八〇センチの身長が必要で、体力や戦技にも厳しい基準が設けられる。年一度の試験で一つでも水準に満たなければ、門閥貴族出身者であろうとも除隊勧告を受ける。銀河連邦宇宙軍陸戦隊出身の帝国初代皇帝ルドルフは、「強者だけが誇りある陸兵になるべきだ」と言って、装甲擲弾兵の選抜基準を自ら定めた。「大帝の遺訓」によって貴族的退廃から守られてきた装甲擲弾兵は、帝国軍で唯一同盟軍と互角以上の質を持つ精鋭だった。

 

「二時間だけ耐えろ! 重装甲服を着用したまま戦えるのは二時間が限度だ!」

 

 ロペス少将は劣勢の味方を励ました。体温の上昇、生理的不快感などの理由から、重装甲服を着用して戦える時間は二時間が限度と言われる。

 

 ただ、彼の言葉が都合よく無視した点がある。敵の予備戦力は豊かだ。膨大な臨時陸戦隊が背後に控えている。

 

 陸戦能力を重視する帝国軍では、艦艇要員や後方支援要員にも陸戦訓練を施し、宇宙軍の士官にも陸戦指揮を学ばせる。そして、すべての将兵に軽装甲服を始めとする軽歩兵用の装備が与えられる。帝国軍の臨時陸戦隊の実力は、同盟地上軍の予備役歩兵部隊に匹敵する。

 

 味方を勇気づけるために、あえてロペス少将は大事な点をぼかしているのだろう。地上戦には不慣れでも指揮官の役割をちゃんと果たしている。最初から彼が指揮官だったら、もっとましな戦いができたかもしれないと思った。

 

「了解した! Hブロックに援軍を送る!」

 

 ロペス少将の声が耳に入る。いったいどこから戦力をひねり出すつもりなのだろうか?

 

「フィリップス少佐の憲兵二個中隊及び薔薇の騎士一個小隊。これだけの戦力があれば、しばらくは持ちこたえられる」

 

 驚きのあまり、息が止まりそうになった。地下指揮所ががら空きになってしまうではないか。それに監視もできなくなる。

 

「司令官! それでは中央司令室の守りが手薄になってしまいます!」

「前線で敵を食い止めれば済むことだ。問題ない」

 

 ロペス少将が確信のこもった目で俺を見据える。

 

「敵が指揮所に迫って来たらどうするんですか!?」

「後退してきた部隊を糾合して戦う」

「それなら予備戦力も必要でしょう! 『最後のコインを残している者が勝つ』という格言もあります! お考え直しください!」

「ただでさえ我が軍は兵力が足りない。軽装甲服と大口径ビームライフルを持っている憲兵隊を遊ばせておく余裕など無い」

「しかし……」

「敵が指揮所に迫ってきた時に憲兵隊を投入して何の意味がある? 敗北を少し遅らせるだけじゃないか。防御と受け身はイコールじゃないんだぞ。常に先手を打ってイニシアチブを握る。攻撃にも防御にも共通する原則だ」

 

 防御と受け身はイコールではない。幹部候補生養成所で戦術教官に言われた言葉だ。

 

「それはおっしゃる通りです」

「どうしてもここを離れたくない理由でもあるのか? 勇名高いフィリップス少佐が戦いを嫌がるなんてことはないと信じたいが」

 

 ロペス少将の声は柔らかいが容赦がない。言ってることも完全に筋が通っている。

 

 離れたくない理由はある。しかし、それをロペス少将に言うことはできなかった。彼も容疑者の一人なのだ。

 

「承知しました」

 

 これ以上は食い下がることはできなかった。今は四=二基地防衛が最優先だ。

 

「健闘を祈る。死ぬまで戦えとは言わん。危なくなったら戻ってこい。一分一秒でも長く生きて戦い続けろ」

「はい」

 

 俺は敬礼をして扉へと向かって歩いた。

 

「フィリップス少佐」

 

 背中越しにドワイアン少将が声をかけてきた。

 

「明日の朝日を一緒に見ましょう。暗くて全然爽やかじゃないですけど」

「ありがとうございます」

 

 俺は振り向いて笑った。ドワイアン少将も優しげに微笑む。この人と一緒にヴァンフリートの暗い朝日を見たいと思った。

 

 指揮所を出た俺は、憲兵隊本部付中隊長デュポン大尉、第八憲兵中隊長ワンジル大尉、薔薇の騎士連隊のリンツ、三一六名の憲兵隊員、三九名の薔薇の騎士連隊員らとともに、Hブロックへと向かった。


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