銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第三章:エリート士官エリヤ・フィリップス
第24話:新たなる戦場 794年8月末~9月8日 お好み焼き店「ヨッチャン」~イゼルローン遠征軍仮オフィス


 お好み焼きは小麦粉を生地として、野菜、肉、魚介類、麺類などを具材とするパンケーキの一種だ。生地に混ぜ込んで鉄板で焼くカンサイ風と、生地の上に具材を載せて薄焼き卵で覆って焼き上げるヒロシマ風があり、ソースやマヨネーズなどで味付けをして食べる。安価でボリューム満点なため、庶民の味として親しまれてきた。主食、おかず、おやつなど多種多様な食べ方が可能な汎用性の高さも人気のもとだろう。

 

 八月末、カンサイ風お好み焼き店「ヨッチャン」の片隅、俺とナイジェル・ベイ中佐は、国民平和会議(NPC)のヨブ・トリューニヒト前政審会長と同じ鉄板を囲んでいた。

 

「お好み焼きを好んで食べる人達の間では、焼き方、入れる具材、食べ方を巡る対立がある。それもこの食べ物が無限の可能性を含んでいるからだろう。我が国では、自由と多様性を大事にする民主主義の精神が食べ物にも息づいている」

 

 コテを持ってお好み焼きを焼きながら、トリューニヒト先生が熱く語る。西暦時代に遡ってお好み焼きの歴史を説き起こし、具材の比較、カンサイ風とヒロシマ風の違い、お好み焼きを愛した偉人のエピソード、主食派とおかず派とおやつ派の仁義無き戦いなど、あちこちに話題が飛ぶ。

 

「人類は一七〇〇年の時を費やしても、ついに主食派、おかず派、おやつ派の対立を解消することはできなかった。対立する者同士はお互いを邪道と罵り合い、同じお好み焼きを愛する同胞であるはずなのに憎み合うことをやめられなかった。しかし、憎み合っていても共存していかなければならない。なぜなら、我が国は民主主義国家だからだ。エリヤ君、君はクリストフ・フォン・ランツフートを知っているかい?」

「知っています。教科書で習いました」

 

 同盟の義務教育では、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦を簒奪した過程を詳しく教え、政治意識の啓発に努める。ルドルフの士官学校以来の盟友だった初代軍務尚書クリストフ・フォン・ランツフート公爵の名前もその際に学ぶ。ランツフート公爵は不敬罪を理由に処刑されたが、本当の処刑理由は現在でも判明していない。前の世界でゴールデンバウム朝の帝室機密資料が公開された後も真相は分からなかった。

 

「ランツフートはお好み焼きを巡る対立から処刑されたという説がある。ランツフートはお好み焼きと白米を一緒に食べて、ルドルフの怒りに触れたのだそうだ」

 

 ランツフート処刑をめぐる仮説は、ルドルフ入れ替わり説、四世紀前に滅亡した地球統一政府残党の陰謀説などのオカルトも含めると、二ダースを軽く越える。しかし、トリューニヒト先生が語る説は初めて聞いた。

 

「そんな説があったんですね。初めて知りました」

「ま、これは今考えついた話だけどね」

 

 トリューニヒト先生はいたずらっぽく片目をつぶり、ソースや青海苔が付いたままの口元に笑みを浮かべる。

 

 俺とベイ中佐は苦笑いした。トリューニヒト先生はいつもこうだ。ノリを重視して、適当なことをポンポン言っては、みんなを困らせる。しかし、愛嬌たっぷりの笑顔を見せられたら、腹を立てるのが馬鹿らしくなってしまうのだ。

 

「信じたかい? いかにもありそうな話だろう?」

「え、ええ……」

「ルドルフがお好み焼きを食べたかどうかは知らない。だが、国民に食べ物の好みを押し付けようとしたのは事実だ。ゲルマン料理以外の食文化は徹底的に弾圧された。各地の自治領で細々と受け継がれたレシピが無ければ、人類の食文化の九五パーセントが失われていただろうね。それが専制政治の悪だ。民主主義だったら、主食派とおかず派が対立しながらも共存し、同じ鉄板で焼いたお好み焼きを食べることができる。ナイジェル君、エリヤ君、素晴らしいと思わないか?」

 

 同意を求めるトリューニヒト先生。ベイ中佐が苦笑いする。

 

「先生のおっしゃる通り、素晴らしいと思います。お好み焼きと白米を一緒に食べるなど、私には到底できかねますが」

「ははは、ナイジェル君は本当に頑固だな。そこが良い所だが」

 

 トリューニヒト先生が朗らかに笑い、お好み焼きと白米を一緒に頬張る。その食べっぷりに食欲をそそられた俺は、鉄板の上にあったお好み焼きをことごとく平らげた。

 

「お、恐れ入ります」

 

 ベイ中佐はたじろぎ気味に答える。トリューニヒト先生に親しく声をかけられて恐縮しているのか、それともお好み焼きと白米を一緒に食べていることにショックを受けているのか、判断が付きかねる。

 

 それにしても、店に入って一時間が過ぎたというのに、トリューニヒト先生はお好み焼きの話ばかりしている。俺達をそんな話のために呼んだわけではないだろうに。

 

「ナイジェル君、エリヤ君」

 

 トリューニヒト先生があらたまった感じになった。一体何を言おうとしてるのか、全身の感覚を集中する。

 

「すまなかった」

 

 トリューニヒト先生がテーブルに手をついて頭を下げた。俺とベイ中佐は慌てた。

 

「先生、おやめください」

「私に力があれば、こんな結果にはならなかった。私の力不足が君達の苦労を台無しにした。憲兵隊や四=二基地で戦った者すべての苦労を台無しにした」

「そんなことはありません。先生のお力がなければ、ここまで戦えませんでした」

「力不足だったのは我々です。どうか頭を上げてください」

 

 俺とベイ中佐は口々にトリューニヒト先生をなだめる。彼がいなければ、サイオキシンマフィアに挑むことすらできなかったのだ。

 

「それは違う。敵には最高評議会を動かせる力があったが、私には無かった。せっかく追い詰めた悪を取り逃がしてしまった」

 

 トリューニヒト先生は顔を上げ、苦渋に満ちた表情で語り始めた。それは俺がドーソン司令官から聞いた話の補足であり続きであった。

 

 最高評議会が捜査を打ち切った最大の理由は、ファシストとハイネセン原理主義者の革命に対する恐怖だった。しかし、クーデターの恐怖も同じくらい大きかった。

 

 二年前に国防予算が削減されて以来、軍人の待遇が悪化した。基本給は据え置かれたものの、軍人の収入で大きな割り合いを占める各種手当が半減し、軍人年金や退職金も切り下げられた。同一階級在籍年限は士官一〇年・下士官一二年から、士官八年・下士官一〇年へと短縮され、退職が早まった。最も大きな打撃を受けた実戦部隊の中堅指揮官は大きな不満を抱いた。その結果、過激派将校の秘密結社「嘆きの会」が影響力を広げ、七九二年から七九四年の二年間で三度もクーデター未遂を起こした。

 

 シトレ派やロボス派といった人間的な繋がりを縦の繋がりとすれば、地方閥や兵科閥など出自に関わる繋がりは横の繋がりだ。軍部の主流を占めるシトレ派とロボス派は、いずれも統合作戦本部・宇宙艦隊・地上総軍の幕僚を基盤としており、幕僚勤務の経験が少ない中堅指揮官とは繋がりが薄い。そのため、地方閥や兵科閥が軍国主義を防ぐ鍵となった。

 

 地方閥や兵科閥の有力者を大きく分けると、民主主義的で共和制に忠実な「中間派」と軍国主義的な「過激派」がいた。中間派の主要人物としては、国防委員会事務総長ベルージ大将、第六艦隊司令官シャフラン中将、特殊作戦総軍副司令官ブロンズ少将などがあげられる。過激派の主要人物としては、地上軍航空部隊総監フェルミ大将と国防委員会査閲部長ヤコブレフ大将の二枚看板の他に、第六空挺軍司令官ファルスキー少将、士官学校副校長アラルコン少将などがいた。

 

 共和制護持をライフワークとしてきた創設者A退役大将の影響からか、サイオキシンマフィアの幹部には中間派が多かった。彼らの犯罪が明るみになれば、中間派が完全に失墜し、過激派が地方閥や兵科閥を掌握するであろう。クーデターは目前だ。

 

 現体制にとって、共和制に絶対的な忠誠心を持つサイオキシンマフィアは必要悪だった。マフィアは政治資金の供給源であり、クーデターを防ぐ盾だったのだ。

 

 マフィアと対決するにあたって、トリューニヒト先生はフェザーン政府を味方に付けた。同盟にも帝国にも、「同盟と帝国を戦わせて漁夫の利を得ているフェザーンこそが真の敵だ」と主張するフェザーン脅威論者がいる。同盟ではA退役大将がその急先鋒だ。

 

 フェザーンにとって、フェザーン人の同盟国債購入の制限、フェザーン人のロビー活動禁止、無人防衛システム「アルテミスの首飾り」のフェザーン国境への配備などを提言するA退役大将は、目の上のたんこぶである。また、カストロプ公爵の活動は彼らの利益と衝突する。敵の敵は味方という論理だ。豊かな資金を持つフェザーン系ロビー団体ならサイオキシンマフィアの代わりが務まるというトリューニヒト先生の計算もあった。

 

 しかし、それでも最高評議会はA退役大将とマフィアに味方した。A退役大将の背後には、建国期以来の旧財閥、大手業界団体、伝統宗教など、フェザーンの権益拡大に反対する勢力が控えている。これらの勢力はNPCの地盤でもあったのだ。

 

 捜査中止と引き換えにサイオキシンマフィアは解体され、幹部はすべて軍を退いた。しかし、彼らのほとんどは、国防関連企業や政策シンクタンクに再就職を果たし、軍部への影響力を維持し続けた。しかも、サイオキシン取引で稼いだ莫大な金については「一切の追及をしない」という確約を得た。犯罪組織としては解体されたものの、政界と軍部に影響力を持つ秘密結社としては存続したのである。

 

 帝国軍の捕虜となったドワイヤン少将、ロペス少将らマフィア幹部は、保養地として有名な惑星カルスドルフに新設された収容所に入った。労働は完全免除、高級マンション並みの豪華な部屋に住み、専属の従卒が付き、腕の良い料理人が食事を作り、酒や煙草を好きなだけ楽しめる特別待遇だという。

 

 帝国の監獄では、食事は自給、日用品は刑務作業の生産物と引き換えに渡されるのが原則だ。この優遇の裏に帝国マフィアの大ボスであるカストロプ公爵の存在があるのは言うまでもない。

 

 同盟軍の公式記録では、マフィアがヴァンフリート四=二の戦闘を仕組んだことは記されていないし、今後も記されないであろう。捕虜交換で帰国したら、普通の帰還兵と同様に「捕虜生活を耐え抜いた英雄」と呼ばれ、昇進や受勲の対象となる。カストロプ公爵の保護下でぬくぬくと帰国の日を待っていればいいわけだ。

 

 サイオキシンマフィアが高笑いする一方で泣きを見た人もいる。マフィアの息がかかっていない捕虜は、凍土地帯や砂漠地帯に設けられた普通の収容所へと入れられて、重い労働ノルマを課せられた。セレブレッゼ中将以下の中央兵站総軍の幹部は、基地失陥の責任を問われて、辺境へと左遷された。

 

「酷い結果だろう? 警察ではこんなことは日常茶飯事だった。政治家になれば多少は変えられると思ったんだがね」

 

 トリューニヒト先生は力なく笑う。前の世界の彼は、俺の目には惰弱、戦記の著者の目にはエゴイストに見えた。しかし、生まれつきおかしな人物だったのではなく、現実に負けた末におかしくなったのかもしれない。そう考えてみると、今の姿と未来の姿が繋がってくる。

 

 この人はこんなところで終わってはいけない。前の世界のようにおかしくなって欲しくない。俺は決意を込めて口を開いた。

 

「トリューニヒト先生、聞いていただきたい話があるのです」

 

 それからループレヒト・レーヴェとその主君の話を始めた。俺が話している間、トリューニヒト先生とベイ中佐は一言も言わずに聞いていた。

 

「フェザーンから帰る船の中で色々考えました。自分が無力なのは分かっています。しかし、『しょせん世の中はこんなもの』と割り切りたくもありません。四=二基地で死んだ部下は、最後まで責任をまっとうしました。回廊の彼方には、無力であっても絶望せずに戦い続けた人、その志を継ごうとする人がいます。世の中はそんなに捨てたものではない。無力なら無力なりに戦う道もあるのではないか。そう思いました」

 

 そう言って話を締めくくった。

 

「そうか、あのご老人はそういう人だったのか」

 

 トリューニヒト先生が深く嘆息した。

 

「ご老人? その方をご存知なのですか?」

「一度だけ通信を交わしたことがある。帝国の友人を介して交信を求めてきた。名前は名乗らなかったが、しかるべき手順を踏んでいたし、帝国の憲兵総監と私の間だけで取り決めた符丁も知っていた。だから、交信に応じた」

「どんな方でした?」

「ちょうどいい言葉が見つからないな。強いて言えば、エリヤ君やナイジェル君と雰囲気が似ていた」

「俺ですか!?」

 

 意外な感想に驚いた。エル・ファシルで自決したカイザーリング中将のような風格ある武人を想像していたからだ。

 

「フィリップス中佐は分からんこともないです。私が似てるなんてことはないでしょう?」

 

 ベイ中佐も驚きを隠し切れない様子だ。

 

「君達とあのご老人はとても良く似ている。今のエリヤ君の話を聞いてそれがわかった。並み外れたところはないが、誰よりも実直で義理堅く、誰よりも信頼できる。そんな存在だ」

 

 強い確信を込めてトリューニヒト先生が言う。確かにベイ中佐は実直で義理堅い。俺もシェーンコップ中佐に「頭の鈍そうな律儀者」と言われた。トリューニヒト先生がレーヴェの主君の中に何を見たのか、ほんの少しだけ分かったような気がした。

 

「今の私は弱い。それはなぜか? 味方が少ないからだ。これまでの私は、政界ではドゥネーヴ派に属し、軍部ではロボス派と共同歩調を取ってきた。今回の件でその限界を感じた。一緒に戦ってくれるのは、自分で集めた仲間だけということが分かった」

 

 それから、トリューニヒト先生は今後の構想を語った。NPCの主戦派議員を集めて、ビッグ・ファイブ支配の打破、進歩党との連立解消、軍拡推進を訴える派閥横断的な政策集団を作る。それと同時にトリューニヒト路線を支持する軍人グループを作る。そして、マフィアの力を借りなくても、共和制を守れる体制を目指すのだという。

 

「どちらも再来月を目処に発足させる」

「なぜ再来月なんですか?」

「再来月には六度目のイゼルローン出兵がある。政界再編の波がその後に来るはずだ」

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 心の底から納得した。政権運営が行き詰まるたびに大規模な出兵が企画されるのが、自由惑星同盟という国だ。

 

 六月に発足したばかりのムカルジ政権は早くも追い込まれた。経済危機はレベロ議長補佐官の「冷水療法」で収束しつつあるものの、閣僚の不祥事、地方選の連敗、農業自由化法案や公的年金民営化法案の審議難航などで、ただでさえ低い支持率がさらに低下した。与党内部では反議長派が攻勢を強めている。イゼルローン出兵が失敗すれば、辞任は避けられないだろう。

 

「今のところ、エリヤ君と親しいブーブリル国防委員ら三〇名以上の議員が政策集団に参加する予定だ。再来月までには倍に増やしたい」

「そ、そうですか……」

 

 一瞬だけ顔がひきつる。エル・ファシル義勇旅団副旅団長だったマリエット・ブーブリル上院議員の名前を聞かされたからだ。あの恐ろしい女性が上院議員になった後の消息は知らなかったが、いつの間にか国防委員になって、トリューニヒト先生と親しくなっていたらしい。

 

「軍部では、国防委員会と憲兵司令部を中心に二〇名以上が私を支持してくれる。これも倍に増やしたいと思う」

 

 トリューニヒト先生が参加予定者リストを見せてくれた。

 

「ドーソン提督、イアシュヴィリ大佐、コリンズ中佐、ミューエ中佐……。知った名前が多いですな」

 

 ベイ中佐の顔が綻ぶ。リストの半分ほどはドーソン司令官とその側近で占められる。俺とベイ中佐もこの面子と同じカテゴリだ。

 

「残りは知らない人ばかりですね。国防委員会からの参加者ですか?」

 

 俺は顔を上げて質問する。残り半分は国防委員会装備部長スタンリー・ロックウェル中将を除けば、今の世界でも前の世界でも聞いたことのない名前ばかりだった。

 

「そうだ、彼らはキプリング街の同志だ」

 

 トリューニヒト先生はにっこりと笑う。キプリング街とは、国防委員会本庁舎のある官庁街を指す。統合作戦本部、宇宙艦隊総司令部、地上軍総監部などの軍令機関を有するオリンピア市と並び称される同盟軍の中枢である。

 

 管理部門の軍政と作戦用兵部門の軍令は協力する義務がある。だが、実際は対抗意識を剥き出しにしている。軍令は軍政を「政治家に媚びて無理難題を押し付けてくる事務屋」と言って軽蔑し、軍政は軍令を「予算取りの苦労がわからない戦争屋」と言って軽蔑するという有様だ。

 

 同盟軍の人事制度は戦功を重視するため、司令官や参謀として出征する軍令出身者の方が早く昇進する。慢性的な戦争状態が軍令優位をもたらした。もともと統合作戦本部長と同格だった国防委員会事務総長は、今では宇宙艦隊司令長官や地上軍総監よりも格下だ。事務局次長、各部の部長・副部長など軍政の要職も、過半数が軍令出身者に占められている。二大派閥のシトレ派とロボス派のいずれも軍令出身者の派閥だ。生え抜きの軍政屋にとっては面白く無い状況が続いてきた。

 

 これまで憲兵も冷遇されてきた。つまり、トリューニヒト先生は非主流派を結集して、軍部を掌握するつもりなのだ。

 

「ナイジェル君、エリヤ君。私の派閥に入って欲しい」

 

 その言葉を聞いた瞬間、感激で胸がいっぱいになった。

 

「よ、喜んでお受けします!」

 

 満面の笑顔で答えた。

 

「こ、こ、こ、光栄の至りであります!」

 

 ベイ中佐は喜びで全身を硬くしていた。

 

「ありがとう」

 

 トリューニヒト先生は嬉しそうに目を細める。

 

「これで私達は仲間だ。共に地に足をつけて歩んでいこう。遠い先の夢ではなく、昨日より少しだけ良い今日、今日より少しだけ良い明日のために戦おう」

「はい!」

「戦いましょう!」

 

 俺、トリューニヒト先生、ベイ中佐の三人は、手をがっちりと握り合わせる。

 

「ナイジェル君、エリヤ君。我々はもっと強くならなければならない。強さとは信頼だ。どんなに知恵と勇気があっても、一人では団結した凡人一〇人には敵わない。仲間が多ければ多いほど強いのだ。目の前の仕事に全力を尽くそう。ルールの中で正しく戦おう。そして、我々を信じてくれる者の数を増やしていこう。信頼こそが我々の唯一にして最強の武器となる」

 

 トリューニヒト先生は俺達にただ信頼のみを求める。

 

「かしこまりました」

 

 ベイ中佐は力強く頷いた。俺もそれに倣う。こうして、俺はトリューニヒト先生をもり立てるための戦いに身を投じる事となった。

 

 

 

 宇宙暦七九四年九月八日、国防委員会は六度目となるイゼルローン出兵を発表した。遠征軍は三個艦隊が基幹で、艦艇三万八五〇〇隻、将兵四七七万六〇〇〇人が動員される。四個艦隊五万二三〇〇隻が動員された前回の遠征より一個艦隊少ない。イゼルローン遠征軍が四万隻を切るのは今回が初めてだ。

 

 当初は前回と同じく四個艦隊が動員される予定だったが、国防予算増大を嫌う与党第二党の進歩党が三個艦隊に抑えるように要求し、NPC非主流派のドゥネーヴ元議長とバイ元議長も議長の足を引っ張るつもりでそれに賛成した。その結果、イゼルローン遠征軍の戦力は過去最低の水準に抑えられた。

 

 戦力が少ないからといって遠征を中止するわけにもいかない。軍首脳部は最高の人材を集め、数を質で補おうと考えた。

 

 遠征軍総司令官には宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥、総参謀長には宇宙艦隊総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将が就任する。大胆かつ華麗な用兵で知られるロボス元帥、管理能力に長けたグリーンヒル大将のコンビは、ダゴン星域会戦で活躍したリン・パオ総司令官とユースフ・トパロウル総参謀長のコンビに例えられる。ヴァンフリート戦役では精彩を欠いたものの実績は十分だ。

 

 前憲兵司令官クレメンス・ドーソン中将が遠征軍副参謀長となった。情報参謀の出身で第一艦隊元副参謀長とはいえ、軍令の本流から大きく外れた人物の抜擢は、賛否両論を引き起こした。憲兵隊改革で発揮された手腕に期待する声もあれば、トリューニヒト議員のごり押しだと批判する声もある。

 

 グリーンヒル総参謀長とドーソン副参謀長の下には、三人の主任参謀がいる。作戦を統括する作戦主任参謀には宇宙艦隊作戦部長ステファン・コーネフ少将、情報を統括する情報主任参謀には宇宙艦隊情報副部長カーポ・ビロライネン准将、兵站を統括する後方主任参謀には統合作戦本部後方副部長アレックス・キャゼルヌ准将が起用された。みんな軍令のトップエリートだ。

 

 三人の主任参謀の下に、佐官級から尉官級の参謀(一般幕僚)が配置される。准将もしくは代将たる大佐が副主任、大佐がグループリーダー、中佐がサブリーダー、少佐以下がヒラ参謀といった具合だ。彼らもまた軍令のトップエリートだった。

 

 ロボス元帥の側近グループ「ロボス・サークル」がこのエリート集団の実質的な司令塔だ。メンバー全員が士官学校戦略研究科を三〇位以内の優等で卒業した英才。その結束力から「幕僚団というより家臣団」と揶揄される。作戦主任参謀コーネフ少将、情報主任参謀ビロライネン准将、作戦参謀・作戦分析グループリーダーのサプチャーク宇宙軍大佐、作戦参謀・運用企画グループサブリーダーのフォーク宇宙軍中佐の四名がその中心人物だ。

 

 その他、指揮通信システムを統括する通信部、人事・総務を統括する総務部、広報活動を統括する広報官室、内部監察を統括する監察官室、経理を統括する経理部、法務を統括する法務部、医療を統括する衛生部、規律を統括する遠征軍憲兵隊などの専門幕僚部門が設けられる。

 

 遠征軍の実戦部隊は、第五艦隊、第七艦隊、第一〇艦隊の三個正規艦隊を基幹とする。宇宙艦隊配下の正規艦隊(レギュラー・フリート)は宇宙軍に冠たる精鋭だ。指揮官から兵卒に至るまで最優秀の人材が配属され、装備も最新式のものが与えられる。帝国軍の物量に質をもって対抗する同盟軍の基本戦略が最も反映された部隊と言えよう。

 

 第七艦隊が第一陣を担う。司令官のイアン・ホーウッド中将は、ロボス元帥のもとで作戦参謀として活躍した一流の作戦家で、艦隊を素早く動かすことにかけては右に出る者がいない。その配下には、「グリフォン」の異名で知られる若き天才ウィレム・ホーランド少将を筆頭に、機動戦に長けた指揮官が名を連ねる。

 

 第二陣は第一〇艦隊だ。後方参謀出身のジャミール・アル=サレム中将が司令官を務め、鉄壁の守りを誇る兵卒あがりの闘将「永久凍土」ライオネル・モートン少将、叩き上げの老将ラムゼイ・ワーツ少将といった猛者が脇を固める。

 

 第五艦隊が第三陣となる。今年で六八歳になる司令官のアレクサンドル・ビュコック宇宙軍中将は、少年志願兵から身を起こして正規艦隊司令官に至った経歴から、「アレク親父」の愛称で下士官・兵卒に親しまれてきた。配下の人材も粒揃いであるが、戦略戦術に精通するハリッサ・オスマン少将、ホーランド少将やモートン少将と勇名を等しくする「ダイナマイト」モシェ・フルダイ少将の二人が特に名高い。

 

 総司令官と総参謀長は実績のある人物。参謀は同盟軍最高の頭脳。前線司令官三名のうち二名は大軍運用に長けた参謀出身者、一名は人望の厚いベテラン。分艦隊司令官も勇将知将が勢揃い。イゼルローン遠征軍は考えうる限り最高の布陣を整えた。

 

 俺の知り合いも遠征軍に参加する。イレーシュ・マーリア中佐とダーシャ・ブレツェリ少佐が総司令部後方参謀、カスパー・リンツ少佐が薔薇の騎士連隊作戦主任幕僚、ハンス・ベッカー少佐が第七艦隊D分艦隊情報参謀といった具合だ。その他、憲兵司令部で一緒に働いたドーソン系憲兵士官数人がトリューニヒト先生の後押しで幕僚となった。知り合いがいるのは心強い。

 

 いや、「ブレツェリ少佐は除く」と訂正しよう。入院中に親しくなった彼女とは、ある頼みを断ったことがきっかけで口もきかない仲になった。小心者の俺にも決して譲れないことがある。

 

 電子新聞を見ると、士官学校七八七年度で最優秀の四人が揃い踏みするとか、「エース戦隊」こと第八八独立空戦隊が参加するとか、エース艦長入りがかかっている艦長が七〇人いるとか、いろいろ騒いでいた。だが、そんなことはどうでもいい。

 

 前の世界で最も偉大な用兵家だったヤン・ウェンリーが参加する。その事実の前にすべてがかすむ。エル・ファシル脱出作戦以降は目立たなかった彼だが、その後も作戦参謀として着実に功績を重ねてきた。そして、士官学校七八七年度卒業生の中で三番目に早く代将の称号を獲得し、作戦主任参謀に次ぐ作戦副主任参謀に起用されたのである。

 

 ヤン代将以外の英雄も参加する。聖将アレクサンドル・ビュコック中将が第五艦隊司令官、兵站の天才アレックス・キャゼルヌ准将が後方主任参謀、緻密な参謀エリック・ムライ代将が第五艦隊副参謀長、艦隊運用の名人エドウィン・フィッシャー准将が第一〇艦隊配下の第一五三機動部隊司令官といった具合だ。最強の陸戦指揮官ワルター・フォン・シェーンコップ大佐も薔薇の騎士連隊を率いて参戦する。俺の手元にある名簿に載っているのは大佐以上に限られる。中佐以下の英雄は分からない。

 

 俺は「イゼルローン遠征軍総司令部付・副参謀長付き秘書事務取扱」の肩書きで従軍する。あの偉大なヤンと同じ戦場に立つ。戦記でお馴染みの人々と一緒に戦う。その事実が気持ちを高揚させる。

 

「なにニヤニヤ笑ってるの?」

 

 からかうような声とともに頭をポンポンと叩かれる感触がした。

 

「ああ、あなたですか。驚かさないでくださいよ」

 

 俺は苦笑しながら後ろを向く。クールな美貌にいたずらっぽい笑みを浮かべる長身の女性がそこにいた。イゼルローン遠征軍後方参謀イレーシュ・マーリア中佐だ。

 

「君があんまりかわいいから、我慢できなくてさ」

「ありがとうございます」

 

 しっかりと目を見て礼を言う。ブレツェリ少佐に「鬱陶しい」と言われてから、褒め言葉は素直に受け入れることにした。

 

「なんかつまんないなあ。最近は恥ずかしがってくれなくなった。慌てて話題を変えようとする時の顔が本当に面白かったのに」

「あれ、わざとやってたんですか?」

「そうだよ」

 

 とんでもないことをしれっと言い放つイレーシュ中佐。何とも人が悪い。

 

「最近は落ち着きが出てきたよね。ヴァンフリート四=二基地で死にかけて一皮剥けたのかな?」

「俺ももう二六歳、階級は中佐です。いつまでも浮わついてるわけにはいきません」

「六年前は一等兵、三年前は少尉だったのにね。私が統合作戦本部に勤めてるのと同じくらい信じられない」

 

 イレーシュ中佐は軽く口元を綻ばせた。彼女はヴァンフリート四=二の戦いでこれといった戦功がなかったにも関わらず、宇宙軍中佐に昇進し、統合作戦本部に栄転した。そして、後方参謀として遠征軍に参加する。

 

「自分でも信じられません」

 

 正直な気持ちを口にする。宇宙軍中佐という階級は、俺と同い年の士官学校七八八年度首席のシャヒーラ・マリキと等しい。俺の才能は「環境と努力次第で人並み以上になれるが、そうでなければ人並み以下」という微妙な水準だ。それが宇宙暦七六八年生まれの同盟市民の中で最も優秀な人と肩を並べている。

 

「まあ、先生が良かったのよね」

 

 イレーシュ中佐は勝ち誇ったような顔で大きな胸を突き出す。六歳も年上だというのに本当に子供っぽい人だ。こういう時はとことん持ち上げて調子に乗せる。それがマナーだろう。

 

「まったくです。そこを見込まれて統合作戦本部に栄転したんじゃないですか?」

「本音を言えば、士官学校の教官みたいな仕事したかったんだけどさ。統合作戦本部に来いって言われたら仕方ないよね」

「上の人だって、できることなら士官学校の教官を全員あなたに入れ替えたいと思っているはずです。しかし、この世にあなたは一人しかいない。だったら統合作戦本部で全軍を指導してもらおうと考えたのでしょう」

「なるほどねえ」

「頭が悪くてもこれくらいのことは簡単に分かります。イレーシュ中佐みたいにきれいで優しくて教え方がうまい人が先生だったら、誰だってやる気を出します」

 

 俺は半ば本気でイレーシュ中佐を褒め称えた。一言褒めるたびに、彼女の頬には赤みがまし、眼は浮き浮きとする。本当にわかりやすい。

 

「ありがと。ぶっちゃけ、私も何で栄転したのか分からなくてさ。中佐昇進なんて早くても四年先だと思ってた。シロン・グループの関係ってのも少し考えたけど、それはないよね。シロン星人会にも顔を出したこと無いし。実力を認められたと思っていいのかな」

 

 イレーシュ中佐が照れたように笑う。

 

「…………」

 

 言葉に詰まった。ときめいたわけではない。実を言うと、トリューニヒト派のロックウェル装備部長から、彼女の栄転が「シロン・グループ」絡みだと聞かされていた。

 

 彼女の出身惑星シロンは紅茶の産地として有名だが、宇宙軍高級士官を輩出してきた土地でもある。シロン出身者の地方閥「シロン・グループ」は、中間派の中核を担うとともに、シトレ派やロボス派にいるシロン出身者と連携して隠然たる力を振るってきた。そして、シロン・グループはサイオキシンマフィアの中核でもあった。創設者のA退役大将、ボスのドワイヤン少将、四=二基地防衛戦をわざと混戦に導いたロペス少将などはみんなシロン出身だ。

 

 マフィア解体の余波でメンバーの四割を失ったシロン・グループは、シロン出身者を見境なく抜擢して穴埋めを図った。イレーシュ中佐も自分の知らないところでその恩恵に与ったのだ。

 

「さっきから、ずっとそう言ってるじゃないですか」

 

 内心を悟られないよう、脳天気な笑顔を作った。軍に残っているシロン・グループにマフィア関係者がいないのは分かっている。イレーシュ中佐の出世は素直に喜んでいい。

 

 このように一介の中佐の昇進人事にも政治的思惑がはたらいている。遠征軍人事に対する「最高の布陣」という評価の裏には、「各派閥に最大限の配慮をした」という意味も含まれる。天才ヤン・ウェンリーの起用にしても、二つある作戦副主任の枠の一つがシトレ派に割り当てられていること、自派のホープに功績を立てさせようというシトレ元帥の配慮などが背景にあった。

 

 物語の世界に生きていれば、汚いと吐き捨てることもできただろう。しかし、俺の副参謀長秘書付事務取扱だって完全な派閥人事だ。ドーソン副参謀長に功績を立てさせるためのサポート。それがトリューニヒト先生から与えられた役割だ。

 

 国防委員会情報部が入手した情報によると、帝国軍は要塞が陥落しそうになった前回の教訓に学んだらしい。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が自ら要塞に入り、要塞司令官シュトックハウゼン大将と要塞駐留艦隊司令官フォルゲン大将の上に立ち、指揮権を統一した。また、メルカッツ大将率いる第三驃騎兵艦隊を要塞に呼び寄せた。

 

 ミュッケンベルガー元帥は大軍を円滑に運用できる司令官。メルカッツ大将は攻勢の巧妙さと守勢の堅固さを兼ね備えた超一流の戦術家で、前の世界ではヤンとラインハルトの二大天才に一目置かれた。シュトックハウゼン大将はガイエスブルク要塞など三つの要塞の司令官を歴任した要塞運用の専門家。フォルゲン大将はもともと軍官僚だったが、三年前に末弟のカール・マチアスが戦死してからは前線勤務に転じ、同盟軍への報復を生きがいにしているという噂だ。

 

 同盟軍三万八五〇〇隻に対し、帝国軍は最低でも二万五〇〇〇隻以上とみられる。回廊の狭さ、要塞の存在などを考慮に入れると、同盟軍の苦戦は必至だ。功績を立てるのも容易ではない。

 

 しかし、俺には切り札がある。ヤン作戦副主任の天才的作戦能力だ。ドーソン副参謀長、アンドリューらロボス・サークル、ヤン作戦副主任の共闘関係を取り持つことで、イゼルローン遠征を勝利に導く。首尾良く行けばドーソン副参謀長の功績は計り知れない。アンドリューも一息つけるだろう。そして、前の世界では反目し合ったトリューニヒト先生とヤン作戦副主任をこの世界で同盟させる。

 

 現在の総司令部は準備期間中だ。幕僚の顔合わせもまだ済んでいない。そんな段階から俺は仕込みを始めた。前の世界で読んだ『ヤン・ウェンリー提督の生涯』によると、ヤン作戦副主任は紅茶入りブランデーと読書を何よりも愛する。そこで高級アルーシャ茶葉の詰め合わせセット、高級ブランデー、三〇〇ディナール分の図書券を彼の官舎に贈った。また、歴史書や哲学書をせっせと読んで、会話のネタも仕入れている。

 

 ヤン作戦副主任との顔合わせは三日後。六年ぶりに再会する英雄とどんな会話を交わせるのか。楽しみで楽しみでたまらなかった。


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