銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第28話:英雄伝説の開幕 794年12月1日~11日 イゼルローン要塞正面宙域

 初日の攻勢は失敗に終わった。だが、イゼルローン遠征軍の戦意はまったく衰えていない。要塞外壁の第四層にひびを入れた事実、そして絶体絶命に思われたウィレム・ホーランド少将の生還が将兵を元気づけた。

 

 謎の敵部隊がホーランド少将を半包囲したところに、メルカッツが派遣した軍艦一〇〇〇隻、要塞防衛隊のワルキューレ六〇〇〇機がやってきた。これらの部隊は包囲を完璧なものにしようと試みた。だが、結果として謎の敵部隊の艦隊運動が阻害されてしまった。ホーランド少将はその隙を突いて包囲から抜け出し、六光秒(一八〇万キロメートル)の距離を踏破して生還した。ミサイル艦九〇〇隻のうち七〇〇隻を失ったものの、勇名を大いに高めたのだった。

 

 二日目の戦闘は勝利の確信とともに始まった。同盟軍と帝国軍がD線を挟んで対峙した。エネルギー中和磁場を張り巡らせた軍艦が一列に並んで主砲を放つ。D線の間を飛び交う砲撃のほとんどが中和磁場に阻止される。攻撃と防御に膨大なエネルギーを浪費する一方で、部隊を動かして敵を誘い出す。朝から夜まで虚々実々の駆け引きが繰り広げられた。

 

 お互いに一歩も譲らないまま、二日目の戦いが終わった。三日目、四日目も同じような展開に終始した。

 

 七七〇年代の末にエネルギー中和磁場発生装置の性能が飛躍的に向上して以来、大口径光線兵器に対する中和磁場の優位が確立した。光線兵器対策の主流は、散開陣形と回避運動から、密集陣形と正面防御へと移り変わり、一八〇〇年前の戦列歩兵による陣形戦が宇宙空間で復活した。中和磁場の壁を張り巡らせた軍艦の密集陣は、大口径ビーム砲の砲撃を物ともしない。両軍が遠距離砲撃に徹しているのが膠着状態の原因だった。

 

 密集防御を打ち破る戦術は主に二つある。一つは突破。砲撃をかい潜りながら敵陣へと肉薄し、中和磁場の通用しない短射程実弾兵器で突破口を開け、分断した後に各個撃破する。もう一つは包囲。敵陣の側面や背後に回り込み、中和磁場の壁が弱い部分から砲撃を加えて殲滅する。どちらの戦術も狭いイゼルローン回廊では使いづらい

 

 同盟軍は消耗戦へと引きずり込まれていった。何も考えずに惰性で戦ったわけではない。参謀達は知力を尽くして奇襲の機会を探ったが、帝国軍はなかなか隙を見せなかった。時間だけが虚しく過ぎていく。

 

 次第に兵站が苦しくなってきた。生活物資は比較的余裕があるものの、燃料や弾薬が不足しつつある。ビーム砲やエネルギー中和磁場に使われるエネルギーが特に危うい。故障艦や負傷兵も増加の一途を辿っている。

 

「ミサイルがない? 食料が足りない? ああ、そうか。使えばそりゃなくなるだろうよ。で、俺にどうしろと言うんだ!?」

 

 後方主任参謀アレックス・キャゼルヌ准将がそう吐き捨てた。冷静沈着な彼が腹を立てるなど滅多に無いことだ。

 

 他の後方参謀も苛立ちを隠そうとしない。とぼけた性格のイレーシュ・マーリア中佐、ほんわかした顔のダーシャ・ブレツェリ少佐もその例外ではなかった。恐ろしいほどの緊張感が司令室の一画にみなぎる。

 

 ひっきりなしに入ってくる補給要請を整理し、重要度に高い順に物資を手配するのが後方参謀の仕事だ。彼らの判断一つで、ある負傷者に薬が与えられるか否か、ある兵士が食事にありつけるか否か、ある艦艇にエネルギーが補充されるか否かが決まる。後回しにされたせいで死ぬ兵士もいるだろう。重い責任が彼らの表情を険しくする。

 

 他の幕僚も多忙を極めた。作戦参謀は戦況の把握、対応策の案出、命令の起案・伝達、前線部隊に対する説明などに明け暮れた。情報参謀は情報の収集・分析に忙しい。通信や医療などの専門幕僚は技術的な仕事に集中した。

 

 専門的な立場で活動する各幕僚部門を全体的な見地から調整するのが、総参謀長と副参謀長の仕事だ。総司令官ロボス元帥の傍らにいる総参謀長グリーンヒル大将が大枠を掴み、副参謀長ドーソン中将が細部に気を配る。

 

 ドーソン副参謀長は「調整は足で行う仕事だ」という参謀業務教本の教えを体現した。幕僚の元に足を運んでは仕事ぶりを点検し、本人の主観では指導、他人の主観では粗探しに力を入れた。

 

 副参謀長付き秘書の俺も上官とともに駆け回った。食事をとる暇もない。時間が空いた時に司令室の隅っこにある休憩スペースへ赴き、マフィンを口に放り込み、砂糖とクリームでドロドロのコーヒーを飲み、せっせと糖分を補給する。

 

 この日は一五時過ぎになって初めての休憩時間ができた。さっそく休憩スペースへと赴く。五人ほどの先客の中にダーシャがいた。熱いココアの入った紙コップを両手で持ち、ふうふうと息を吹きかけている。

 

「またココアを冷まそうとしてるのか。ぬるいのを注文すればいいのに」

「好きでやってるんだから、ほっといてよ」

 

 ダーシャは子供のように唇を尖らせる。俺は肩をすくめた。

 

「わかったわかった。ところでこの戦いはどうなると思う?」

「まずいね。この調子だとあと五日でビームとエネルギー中和磁場が使えなくなる」

「君が司令官ならどうする?」

「撤退する。あと五日で攻め切れる自信がないから」

「どうして総司令官や総参謀長はそうしないのかな?」

「あの人達は背負うものが違うからね。一〇兆ディナールも予算を使ったのに、『要塞外壁にミサイルを叩き込んで帰ってきました』じゃ、議会や有権者が納得しないよ」

「政治に左右されるなんて健全じゃないな」

 

 俺はため息をついた。不利なのに政治的理由で戦い続けるなど最悪ではないか。

 

「軍事的な判断だけで戦争を始めたり終わらせたりできるよりは、ずっと健全だよ。うちの国は民主主義だからね。予算をもらったら、それに見合う成果も出さなきゃいけないの。幹部候補生養成所で政軍関係について習わなかった?」

 

 普段は馬鹿っぽいダーシャだが、軍事や政治になると別人のように真面目になる。さすがは士官学校優等卒業のエリートだ。

 

「あんまり深くは習わなかったな。士官学校と違って理論的なことはあまりやらないんだ」

「これからちゃんと勉強しなきゃね。戦略と政治は切っても切り離せないから」

「わかった」

 

 割り切れない気持ちは残るが、そういうものなら仕方ないと思った。そんな俺の気持ちを察するようにダーシャが微笑む。

 

「納得できないのはわかるけどさ。私達は軍人だからね。政治は常に軍事に優先する。不利な戦いを止めたかったら、政治にはたらきかけなきゃいけないの。だから、私は一市民として反戦派に投票してるんだけどね。戦いなんて少ないに越したことは無いんだから」

「反戦派……?」

 

 ダーシャの顔をまじまじと見つめた。彼女が士官学校時代に取り締まった「有害図書愛好会」には、ヤン・ウェンリーやダスティ・アッテンボローといった反戦派が名を連ねていた。当然、反戦派の敵なら、主戦派なのだろうと何となく思っていた。

 

 さらに話を聞こうと思った時、ドーソン副参謀長に呼ばれた。俺はコーヒーを飲み干して、マフィンを口に放り込んだ後、早足で休憩スペースを出た。

 

 

 

 全体の戦局が停滞している間、戦術単位や戦闘単位の指揮官、個艦の艦長、単座式戦闘艇のパイロットらの華々しい個人プレーが報告された。

 

 自機のみで敵の単座式戦闘艇を一〇機以上撃墜したパイロットは、「エース・パイロット」の称号で呼ばれる。総撃墜数二二四機の「フラミンゴ」エディー・フェアファクス少佐を隊長とする第八八独立空戦隊は、隊員の大半がエースであることから、「エース戦隊」の別名を持つ。彼らは何度もD線を超えて格闘戦を挑んだ。

 

 中でも「スペードのエース」ウォーレン・ヒューズ中尉、「ダイヤのエース」サレ・アジズ・シェイクリ中尉、「ハートのエース」オリビエ・ポプラン少尉、「クラブのエース」イワン・コーネフ少尉があげた戦果は凄まじく、この四人だけで軍艦七隻、単座式戦闘艇八九機を葬り去った。

 

 軍艦乗りにもエースはいる。敵艦を一艦単独で撃沈するのは難しいため、単独で五隻以上の敵艦を撃沈した艦長は、「エース艦長」と呼ばれるのだ。ヘラルド・マリノ中佐、ジーン・ギブソン少佐ら二二名の艦長が総撃沈数を五隻の大台に乗せた。また、ポール・ブレナン中佐やファルハード・カリミ中佐など既存のエース艦長も撃沈数をさらに伸ばした。

 

 前の世界の戦記にはほとんど登場しない部隊司令だが、戦術レベルでの勝敗は彼らの手腕にかかっている。第一四九戦艦戦隊司令ジャン=ロベール・ラップ代将、第九六駆逐戦隊司令ガブリエル・デュドネイ代将、第四三二巡航群司令ベニート・リサルディ大佐、第五二一三駆逐隊司令アデリーヌ・マロン中佐らが卓越した手腕を見せた。ラップ代将とデュドネイ代将は、士官学校七八七年度の同期であった。

 

 しかし、薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)と比較したら、これらの武勲も霞んで見える。彼らは一〇隻の強襲揚陸艦に分乗すると、敵艦に接舷して古代海賊さながらの白兵戦を挑んだ。そして、占拠した艦の通信設備を使って、帝国軍にいるかつての連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク少将に決闘を呼びかけた。

 

「出てきやがれ、リューネブルク! 地獄直行便の特別席を貴様のために用意してあるぞ! それともとうに逃げ失せたか!?」

 

 プロレスラーも顔負けのパフォーマンスは、膠着状態にうんざりしていた兵士を喜ばせた。占拠した敵艦は九隻、捕らえた敵兵は准将一人、子爵二人、伯爵家世子一人を含む一〇〇〇人以上という華々しい戦果も話題となった。

 

 むろん、薔薇の騎士連隊の大暴れを苦々しく思う者もいる。規律にうるさいドーソン副参謀長がその一人だ。

 

「奴らに釘を刺してこい」

 

 ヴァンフリートでの縁から使者に選ばれた俺は、強襲揚陸艦「ケイロン三号」に置かれた薔薇の騎士連隊本部に出向き、副参謀長からの勧告書を手渡した。だが、連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ大佐に鼻で笑われた。

 

「我々が私戦をしているとおっしゃるのですか?」

「ええ、そういうことになります」

「では、私戦ということにしておきましょう。そうでもなければ、こんな戦いなどやってられないんでね」

 

 皮肉っぽい笑いを浮かべるシェーンコップ大佐。俺が絶句したところに、連隊作戦主任カスパー・リンツ少佐が付け加える。

 

「エリヤ、俺達は公務で人殺しをやるところまで堕ちたくないんだよ」

「でも、君達は軍人じゃないか」

「薔薇の騎士連隊が何を期待されているか、分からないとは言わせないぞ」

 

 旧友の青緑色の瞳に冗談と正反対の色が浮かぶ。本部付中隊長ライナー・ブルームハルト大尉、連隊情報主任カール・フォン・デア・デッケン大尉ら他の隊員からも不穏な空気が漂う。

 

「そうか、そういうことか……」

 

 ようやく事情が飲み込めた。ヴァンフリート四=二の戦いの後、薔薇の騎士連隊の主要メンバー全員が昇進した。彼らは奮戦したものの昇進に値する功績があったわけではない。謂れ無き昇進の裏には、軍上層部が何らかの期待を込めている場合が多いとされる。

 

 三年前に逆亡命し、春のヴァンフリート四=二基地攻防戦で帝国軍を指揮した元連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク。呼吸するだけで同盟軍と薔薇の騎士の名誉を汚し続ける男。その抹殺こそが薔薇の騎士が受けた“期待”ではないか。

 

「ご理解いただけたようですな」

 

 シェーンコップ大佐の顔にほろ苦い色が浮かぶ。

 

「はい。戦いと殺人の違いがわかりました」

「我々は所詮戦争屋ですがね。戦争屋にも戦争屋の意地があるということですよ」

 

 ここまで腹を割って話した相手を無碍には扱えない。シェーンコップ大佐やリンツ少佐と話し合った結果、薔薇の騎士連隊は勧告書を受け取ったが、言質は取れなかったという形で決着した。

 

 今回の俺はメッセンジャーに過ぎない。ドーソン副参謀長が本気で止めるつもりなら、他人に任せずに自分で交渉するだろう。副参謀長はこの程度のことに拘泥するほど暇ではない。薔薇の騎士連隊が勧告を聞いたという事実。それさえあれば十分だった。

 

 一二月六日、ついにリューネブルク少将が薔薇の騎士連隊の呼びかけに応じた。僅かな部下を引き連れてケイロン三号へと乗り込んだのだ。そして、かつての腹心だったシェーンコップ大佐との一騎打ちに敗れて戦死した。上層部の期待通り、薔薇の騎士は自らの手で裏切り者に引導を渡したのである。

 

 裏切り者が無残な死を遂げた。その知らせに同盟軍を驚喜させた。目端の利くロボス総司令官は私戦まがいの行為を追認し、「薔薇の騎士連隊の勝利は遠征軍の勝利だ」と述べて、裏切り者の死を遠征軍全体の手柄としてアピールした。

 

 それにしても、リューネブルク少将の行動は不可解だった。なぜ呼びかけに応じたのか? 数万の大軍を率いる陸戦軍団司令官が、なぜ一個小隊と強襲揚陸艦一席だけで出撃したのか? なぜシェーンコップ大佐との一騎打ちに応じたのか? 自殺したかったとしか思えない。前の世界の戦記でも、彼の真意は書かれていなかった。

 

 俺以外にも不審に思った人は多かった。イレーシュ中佐と食事をした時もリューネブルクの件が話題となった。

 

「薔薇の騎士連隊が捕まえた捕虜に、ブラウンシュヴァイク公爵だかカストロプ公爵だかの一族がいたよね」

「確かブラウンシュヴァイク公爵の従弟の子です。リッテンハイム侯爵とも姻戚だとか。本人も子爵の爵位を持ってます」

「ああ、保守派の二大巨頭と繋がってるんだ。それはまずいよね。平民が一〇〇万人死んだところで何とも思わないけど、一族が一人怪我させられただけで激怒するのが貴族様だから。『私戦に巻き込みやがって』って言われたのよ、きっと」

 

 イレーシュ中佐の推理はきわめて常識的だった。

 

「そんなところでしょうね。リューネブルクは一応子爵だけど、四=二基地攻防戦での統率ぶりを見るに、貴族に軽視されてるっぽい。そして、箔付けのために従軍してる貴族の子弟が結構いる。リューネブルクを名指しした戦いで彼らが捕虜になったら、貴族は恨むでしょう。薔薇の騎士連隊はそれを見越していたのかもしれません」

「そうだとしたら、シェーンコップって男は本当に意地が悪いねえ。私みたいな善人には付いていけない世界だ」

 

 意地の悪さでは人後に落ちないイレーシュ中佐がしれっと言う。これで一応の結論が出た。別の事情もありそうな気がするが、それは俺には知りようのないことだ。

 

「でも、そんな意地の悪い男が正々堂々の一騎打ちを挑むってのもおかしな話だよ。リューネブルクを殺すだけなら、袋叩きにすればそれで十分なのにさ。格好つけたかったのかねえ?」

「不思議ですよね」

 

 口先ではわからない風に答えた。しかし、内心では一騎打ちをした理由がある程度までは推測できていた。もっとも、それが正解かどうかを知ることは永久にないだろうし、知る気もない。世の中には知らなくていいこともある。

 

 スクリーンに視線を向けた。今日もイゼルローン要塞が恒星アルテナの光に照らされて輝いている。殺し合いを続けている人間を見下しているかのようだ。これを美しいと感じない人の気持ちが少し理解できたような気がした。

 

 

 

 六日間の戦いは将兵の心身を疲れさせた。艦の機械トラブルも急増している。戦意こそ衰えていないが、戦闘効率の低下が著しい。

 

 敵の戦闘効率は開戦時からさほど落ちていなかった。イゼルローン要塞の兵站機能は、同盟軍の兵站部隊と比較にならないほどに強力だ。水素エネルギーや対艦ミサイルがほぼ無尽蔵に供給される。兵士をリフレッシュさせる施設は選り取りみどり。巨大な艦艇造修所もある。

 

 いずれ同盟軍は補給切れで戦えなくであろうことは、容易に想像できる。兵站責任者のキャゼルヌ後方主任が即時撤退を主張した。遠征軍首脳から撤退論が出たのだ。

 

 六日、すなわち薔薇の騎士連隊がリューネブルクを討ち取った日の午後、グリーンヒル総参謀長がヤン作戦副主任を呼び出し、イゼルローン攻撃作戦の立案を命じた。ロボス・サークルと質の異なる頭脳に期待したのである。

 

 一日でヤン作戦副主任が作り上げた作戦案は、何の異論もなく採択された。彼を嫌悪するドーソン副参謀長も今回は反対しなかった。

 

 実はドーソン副参謀長も対抗案を作ろうとしていた。幽霊艦隊の時と同じように、第七艦隊A分艦隊参謀長マルコム・ワイドボーン代将に作戦立案を指示したのだ。しかし、こちらは作業完了するまでに数日はかかるという。

 

 同盟軍に何日も待つ余裕などない。代案が存在しない以上、唯一の案を採用するより他に無かったのだった。

 

 八日、同盟軍はD線上のダンスをやめ、帝国軍の右翼に集中攻撃を加えた。火力運用に長けたアレクサンドル・ビュコック中将の第五艦隊が、遠距離砲で一点集中砲火を行い、敵の中和磁場を叩き破る。イアン・ホーウッド中将の第七艦隊とジャミール・アル=サレム中将の第一〇艦隊が、支援砲撃を加えて敵を足止めした。

 

 帝国軍の右翼が崩れ、左翼が援護に向かい、トゥールハンマーの正面に帝国軍が集まった。その瞬間、第七艦隊がD線を越えてまっしぐらに突入した。浮足立った帝国軍は第七艦隊司令官ホーウッド中将の速攻に対応できず、次々と打ち減らされていく。

 

 中央の第七艦隊が前進し、第五艦隊と第一〇艦隊が左右から圧力を加える。要塞正面宙域は帝国軍艦隊の墓場と化した。

 

 

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「このまま要塞に接近するぞ!」

 

 ロボス元帥の指示のもと、第七艦隊はさらに突き進み、第五艦隊と第一〇艦隊も前進し、戦線全体を一気に前に押し出す。

 

 ウィレム・ホーランド少将の第七艦隊B分艦隊は、自由自在に飛び回りながら帝国軍を踏みにじった。他の分艦隊がその後に続く。メルカッツ大将の第三驃騎兵艦隊は防御で手一杯、フォルゲン大将の要塞駐留艦隊は潰乱しつつある。

 

 だが、同盟軍が要塞から一・五光秒(四五万キロメートル)まで迫った時、異変が起きた。ある敵部隊が第七艦隊の側面から突入した。その部隊の戦力は八〇〇隻程度に過ぎなかったが、艦列の脆い場所を解剖学的な正確さで突き抜けていった。にわかに第七艦隊が乱れた。そこに二〇〇〇隻ほどの敵部隊が苛烈な横撃を仕掛けた。

 

「あの艦はシグルーン! ケンプか!」

 

 幕僚の一人がスクリーンを見て舌打ちする。優美な流線型の新鋭艦「シグルーン」といえば、帝国軍屈指の勇将で、ルートヴィッヒ・ノインの一人として知られるカール・グスタフ・ケンプ少将の代名詞だ。

 

 専用旗艦を与えられるのは大将以上と決まっている。また、中将級以下の帝国軍提督の名前が同盟まで伝わることも滅多に無い。しかし、ケンプ少将はその例外に属する。いや、ルートヴィヒ・ノインが例外と言うべきであろう。

 

 銀河帝国のルートヴィヒ皇太子は完全実力主義だった。身分や年齢に囚われず、優れた人材をどんどん抜擢する。彼の下では二階級昇進や三階級昇進も当たり前。一つの武勲で中尉から大佐へと四階級昇進を遂げた例もある。ルートヴィヒ元帥府に所属する一〇〇人近い将官のほとんどが、平民や下級貴族出身の若手だった。その中で最優秀の九名が「ルートヴィヒ・ノイン(ルートヴィヒの九人)」と称される。

 

 帝国軍はルートヴィヒ・ノインの勇名をしきりに喧伝した。そして、全員に流線型の艦体とワルキューレの名前を持つ新型艦を与え、どの戦場にいても目立つようにさせた。

 

 カール・グスタフ・ケンプ少将は、元単座式戦闘艇のエースパイロットで、並外れた勇猛さと統率力で知られる提督だ。前の世界ではラインハルトの腹心だった。この世界では前宇宙艦隊司令長官ツァイス元帥に見出され、ルートヴィヒ皇太子のもとで武勲を重ね、今では全銀河に勇名が知れ渡っていた。

 

「あれもルートヴィヒの配下か?」

 

 別の幕僚が第七艦隊にヒットアンドアウェイを仕掛ける二つの部隊を指差す。いずれも戦力は三〇〇隻から四〇〇隻程度だった。しかし、巧妙な一撃離脱戦法で第七艦隊を巧みに足止めした。

 

 

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「まあ、そうだろうな……」

 

 何の確証もないのにみんなが同意する。有能な敵を見ればルートヴィヒ皇太子の配下と考える習慣がいつの間にかでき上がっていた。

 

 やがて、メルカッツ大将が反攻に転じ、フォルゲン大将も戦線を立て直した。敵が秩序を取り戻したところでロボス元帥が退却を指示した。勝ち目が薄いと見たら素早く退却する。それがこれまでヤン作戦副主任が立ててきた作戦案に共通する特徴である。

 

 ホーウッド中将は素早く戦線を折りたたんだ。ロボス元帥のもとで部隊運用を担当してきた人物ならではの手腕だ。ホーランド少将が追撃してくる敵に逆撃を加える。そして、第一〇艦隊から派遣されたモートン少将とボルジャー少将、第五艦隊から派遣されたオスマン少将とフルダイ少将が第七艦隊の退却を支援する。

 

 結局、八日の攻勢は失敗に終わった。だが、この一日で敵に与えた損害は、これまでの一週間の合計と等しく、遠征軍首脳を満足させるには十分であった。

 

 ヤン作戦副主任は次の作戦案を作るよう命じられた。彼は再度の攻勢に乗り気ではないらしく、「少しでもスケジュールが狂ったら、即座に全軍撤退する」という条件で引き受けた。

 

 ヤン嫌いのドーソン副参謀長は、今度は撤退論を展開するという手に出た。だが、ロボス総司令官やグリーンヒル総参謀長らの「とにかく遠征軍には戦果が必要だ」という意見が圧倒的大多数の支持を得たのであった。

 

 一二月一一日、同盟軍は三度目の大攻勢に出た。左翼の第五艦隊が左前方、右翼の第一〇艦隊が右後方、中央の第七艦隊をその中間へと移動し、斜めに陣を敷いた。

 

 三個艦隊が帝国軍の右翼に集中攻撃を加える。トゥールハンマーの射程は六光秒、主砲の射程は一五光秒(四五〇万キロメートル)から二〇光秒(六〇〇万キロメートル)に及ぶ。D線から離れた第一〇艦隊の砲撃も届くのだ。

 

 第五艦隊の一点集中砲火が帝国軍右翼の防御を叩き破った。第七艦隊と第一〇艦隊も斜めからの砲撃で圧力を加える。たまりかねた帝国軍は右翼をイゼルローン要塞のやや後方まで下げた。

 

 敵の右翼が手薄になると、同盟軍左翼の第五艦隊がD線を越えた。第七艦隊と第一〇艦隊は縦陣を保ったままで左後方にスライドする。三個艦隊が細長い蛇となり、回廊左側にぴったり張り付いて進む。

 

 堂々とD線を越えた第五艦隊であったが、トゥールハンマーが向けられる気配はなかった。トゥールハンマーは光線兵器という特質上、密集した敵には強いが、散開した敵を攻撃するのには向いていない。細長く広がった第五艦隊に向けて発射しても、破壊できる艦艇はせいぜい二〇〇隻か三〇〇隻。そして、トゥールハンマーの発射から再発射するまで多少の時間がかかる。わずかな戦果と引き換えに要塞が丸裸になっては、元も子もない。

 

 実のところ、戦力を散開させたまま要塞に接近すれば、トゥールハンマーは無効化できるのであった。もっとも、それでは駐留艦隊のいい標的になってしまう。極端なことを言うと、要塞駐留艦隊の役目は、敵に散開陣形を取らせないことにある。

 

 要塞駐留艦隊とメルカッツ艦隊が第五艦隊の側面へと向かった。細長い第五艦隊の艦列を断ちきるのが狙いだ。

 

「全軍、D四宙域方向に移動せよ!」

 

 ロボス総司令官の叱咤が全軍に轟いた。散開していた同盟軍が全速でD四宙域に向かって集中していく。むろん、回廊左側に細長く張り付いた同盟軍がすべて到着できるはずもない。フルダイ少将の第五艦隊C分艦隊だけが集結を果たした。

 

「帝国軍が突撃してきます! およそ六〇〇〇隻! 指揮官はヒルデスハイム中将!」

 

 オペレーターが帝国軍先頭集団の接近を伝えた。指揮官のマクシミリアン・フォン・ヒルデスハイム中将は伯爵家の当主で、反皇太子の守旧派だが、若さと勇名の双方がルートヴィッヒ・ノインに匹敵する勇将だ。司令室に緊張が走った。

 

 

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 圧倒的多数の帝国軍は、バラバラに同盟軍を攻撃した。どの部隊も他の部隊と連携する意思が全く見られない。司令官のヒルデスハイム中将も直属部隊だけで猛然と突進している有様だ。一つの集団としての秩序が存在しなかった。

 

 勇猛なフルダイ少将が帝国軍をあしらっている間に、ビュコック中将が他の分艦隊を素早く動かし、たちまちのうちに防御陣を組み上げる。半世紀の戦歴を誇る老将にとって、このような敵など赤子に等しい。

 

 完全にヤン作戦副主任の読みが的中した。昨日、総司令部で開かれた説明会の席で、彼はこんなことを言った。

 

「かつて、帝国軍の名将シュタイエルマルク提督は、『帝国軍の高級士官は戦場を武勲の立てどころとしか考えていない。同僚と協調する気もなければ、部下をいたわる気もない』と苦言を呈しました。帝国で刊行されている『帝国名将列伝』では、上官の制止を振り切って出撃した話、武勲ほしさに軍規違反を犯した話などが、美談として紹介されています。彼らのメンタリティは軍人ではなく武人。そこに付け入る隙があります。武勲をちらつかせるのです」

 

 帝国軍の新手がどんどんやってきた。そして、先を争うように突撃していく。味方の進路を妨害するように布陣する部隊もいる。誰もが目先の武勲だけを考えている。醜態の一言に尽きた。

 

 ミュッケンベルガー元帥、メルカッツ大将、フォルゲン大将らは、功名心にはやる部下を抑えきれなかった。これは彼らの能力の問題ではない。自己中心的な帝国軍人の気質、そして団結心を持ちにくい制度を採用する組織の問題だった。

 

 帝国軍が拙攻を続けているうちに、同盟軍の後続が到着した。トゥールハンマーの正面は敵味方が入り乱れる混戦状態となった。

 

「このまま要塞まで押し込むのだ!」

 

 前回のイゼルローン攻防戦と同じ並行追撃。それが同盟軍の狙いだった。敵は慌てて距離を取ろうとしたが、食らいついてくる同盟軍を振り切ることができない。両軍はもつれ合いながら要塞へと近づいていく。

 

 第一〇艦隊のライオネル・モートン少将、ラムゼイ・ワーツ少将が密かに混戦の中から抜けだした。そして、要塞外壁目掛けて進む。

 

 モートン少将はホーランド少将と勇名を等しくする提督。ワーツ少将は知名度こそ低いものの熟練した用兵家。そして、二人とも兵卒あがりだった。叩き上げの提督は作戦能力や管理能力に欠けているが、直感力と胆力に優れており、難局で本領を発揮する。ワーツ少将の参謀長で秀才と名高いワイドボーン代将が作戦面の采配を振るう。

 

 四〇〇〇隻の要塞攻撃部隊が何の抵抗も受けずに要塞へと接近していった。帝国軍がトゥールハンマーを発射する気配は見られない。これもヤン作戦副主任の読み通りだ。

 

 

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 俺は再び昨日の説明会を思い出した。出席者が最も懸念を示したのは、シトレ元帥が失敗した並行追撃を使うという点だった。

 

「帝国軍は味方の命など何とも思っていないはずだ。我が軍を味方もろともトゥールハンマーで吹き飛ばした敵将は、何の制裁も受けなかったではないか」

 

 二年前の第五次イゼルローン要塞攻防戦において、並行追撃を受けた当時の要塞司令官クライスト大将は、味方ごと同盟軍をトゥールハンマーで吹き飛ばして勝利した。彼の非情な決断は非難されるどころか賞賛された。中央の要職に栄転した直後に心臓発作で亡くなったのだ。人々の懸念は当然であったが、ヤン作戦副主任はその可能性を否定した。

 

「皆さんがおっしゃるとおり、帝国軍は人命を軽視する軍隊です。しかし、それ以上に宮廷の意向を重視します。将兵が平民や下級貴族だけならば、何の躊躇も無くトゥールハンマーを放つでしょう。しかし、将官や佐官には門閥貴族の子弟が大勢います。敵の総司令官や要塞司令官は、クライスト大将が『病死』した前例にならいたくないと思いますよ」

 

 ヤン作戦副主任の言葉はのんびりとしていた。だが、その真意を理解した時、一同は納得すると同時に戦慄を覚えた。

 

 誇り高い門閥貴族は一族の仇を決して許さない。そして、権力者の怒りを買った者が『病死』や『事故死』を遂げるなんてことは、帝国では珍しくもないことだ。前の世界では、ブラウンシュヴァイク公爵の一門を処刑したウォルフガング・ミッターマイヤーが謀殺されかけた。大勢の門閥貴族の子弟を吹き飛ばしたクライスト大将の急死。その前例がある以上、並行追撃は有効足りえる。

 

 要塞正面の両軍主力は接近戦を展開している。ウラン二三八弾と短距離ミサイルが乱れ飛ぶ。単座式戦闘艇が密集した艦艇の間を飛び回る。中和磁場が意味を成さない戦場だ。

 

 ここでも同盟軍は有利だった。敵の艦列に割り込んで分断する。孤立した部隊を丹念に潰す。これが連携の強みだ。そして、接近戦に長けたホーランド少将が縦横無尽に暴れ回り、三日前に勝る戦果をあげた。

 

「今度こそいけるんじゃないか」

 

 そんな期待が司令室に充満した。前の世界でヤン作戦副主任が示した知謀を知っている俺は、ひときわ大きな期待をかける。前より二年早くイゼルローンが陥落することを確信した。

 

「敵が突っ込んでくるぞ!」

 

 それは一つの黒い塊となって混戦の場をすり抜ける帝国軍部隊であった。数は七〇〇隻から八〇〇隻ほど。要塞攻撃に向かうモートン少将とワーツ少将には目もくれず、同盟軍の奥深くへと突き進む。誰がこの部隊の指揮官なのかは考えなくてもわかる。天才ラインハルト・フォン・ミューゼルだ。

 

「全軍、プラン一三のファイルを開け!」

 

 グリーンヒル総参謀長が全軍に指示を出す。ヤン作戦副主任が用意したラインハルト対策「プラン一三」のデータが全部隊の戦術コンピュータに共有される。

 

 第五艦隊司令官ビュコック中将、第七艦隊司令官ホーウッド中将、第一〇艦隊司令官アル=サレム中将は、混戦状態を維持しながら部隊を動かした。そして、さほど時間を掛けずに対ラインハルトシフトを完成させる。

 

 トゥールハンマーは使えない。ラインハルトはヤン作戦副主任が考案したシフトで阻止される。不安要素は何一つ無い。無いはずだった。

 

「なぜ止められない!」

 

 驚きの叫びがあがった。ラインハルトは同盟軍のシフトをやすやすと飛び越えていく。弱い部隊を直感で見抜き、その中でも弱い一点だけに攻撃を集中して突破しているのだ。天才にしか成し得ない用兵だ。

 

 用兵教本には、「兵力の規模が大きくなればなるほど、個人の能力の影響は小さくなる。どんな優れた人物でも末端まで直接指導できないからだ」と書かれていた。ヤン作戦副主任が天才であっても、三万隻のすべてを自分で指導することはできない。一方、数百隻しか持っていないラインハルトは、隅々まで指導ができる。大きな兵力が天才参謀ヤンの枷となった。

 

 三万隻が数百隻に翻弄されているという事実に同盟軍は動揺した。通信回線は悲鳴と怒声に満たされた。要塞外壁に到達したモートン少将とワーツ少将の部隊はミサイル攻撃を開始したが、戦意が低下しているせいか、勢いにも正確性にも欠ける。

 

「作戦は失敗しました。中止しましょう」

 

 ヤン作戦副主任が進言した。だが、ロボス総司令官は首を横に振る。

 

「トゥールハンマーは封じた。要塞は丸裸だ。あと少しでイゼルローンが落ちるというのに、なぜ引かねばならんのだ」

「動揺が広がった状態で混戦を続けるのは危険です。それに敵もそろそろ頭が冷えてくる頃合いだと思います」

「その前にイゼルローンを落とせば良いではないか」

「所要時間を過ぎています。それ以上戦闘を継続すれば、トゥールハンマーにやられてしまうでしょう。今ならまだ間に合います。撤退する際のプランも用意して……」

 

 ロボス総司令官は不機嫌そうにヤン作戦副主任の言葉を遮った。

 

「周到なことだな。そこまで先が読めるなら、この状態からイゼルローンを落とすプランくらい用意できるだろう?」

「いえ、ありません」

 

 率直すぎるほどに率直な答えをヤン作戦副主任が返す。

 

「私が求めている策は要塞を攻略する策だ。できないなら、貴官に用はない」

 

 ロボス総司令官はヤン総括参謀を下がらせた。そして、部隊運用にあたっていたコーネフ作戦主任、サプチャーク大佐、アンドリューの三人を呼び寄せて、攻略策を練るように命じる。

 

 突如として司令室のスクリーンが光で満たされた。総旗艦アイアースが激しく揺れる。俺はバランスを崩して椅子から床に転げ落ちた。

 

「敵襲です!」

 

 オペレーターが叫んだ。レーダーには七〇〇隻から八〇〇隻ほどの光点が映し出されている。なんと、ラインハルトは同盟軍の本隊に突入してきたのだ。

 

「怯むな! 迎え撃て!」

 

 さすがにロボス総司令官は豪胆だった。総司令部直衛部隊はすぐに迎撃態勢に移る。だが、ラインハルトは総旗艦アイアースを攻撃せずに、イゼルローン回廊の同盟側出口へと向かっていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「総司令官閣下、モートン提督が攻撃中止許可を求めております」

 

 状況がめまぐるしく変わる中、副官のリディア・セリオ中佐がモートン少将からの連絡を伝えてきた。

 

「それはできん。『可能な限りの援護はするから、攻撃を続行せよ』と伝えろ」

 

 ロボス総司令官が攻撃継続を命じた後、もう一人の要塞攻撃指揮官ワーツ少将が「我が軍は孤立の危険にあり。攻撃継続は困難と判断する」というワイドボーン代将の意見を伝えてきた。

 

「作戦の鬼才も不利と判断したか」

 

 考え込むような顔になるロボス総司令官。そこに第五艦隊司令官ビュコック中将、第七艦隊司令官ホーウッド中将、第一〇艦隊司令官アル=サレム中将から相次いで通信が入った。三人とも将兵が浮き足立っていること、敵が整然と後退しつつあることなどを伝え、撤退許可を求めた。

 

「貴官はどう思う?」

 

 ロボス総司令官は「未練を捨てきれない」といった表情で、グリーンヒル総参謀長、ドーソン副参謀長、コーネフ作戦主任、ビロライネン情報主任、キャゼルヌ後方主任らに意見を聞いた。

 

「撤退すべきでしょう」

 

 全員がそう答えた。その次に意見を問われた腹心のサプチャーク大佐、アンドリュー、セリオ中佐らも同意見だった。

 

「やむを得ん。全軍撤退だ」

 

 大きなため息とともにロボス総司令官は決断した。グリーンヒル総参謀長らが撤退の段取りをすべく動き出した時、司令室に悲鳴が響いた。

 

「トゥールハンマーだ!」

 

 全員が一斉にスクリーンを見る。イゼルローン要塞に白い光点が浮かび、どんどん輝きを増していく。

 

 前の世界でも今の世界でも伝説となった巨砲トゥールハンマーが、今まさに自分に向けられようとしているということを理解した。血の気が引き、気温が氷点下になったように感じた。膝ががくがくと震える。お腹がきゅっと痛みだす。

 

 あたりを見回した。ドーソン副参謀長の顔が恐怖でひきつっている。アンドリューはコーネフ作戦主任らとともにロボス総司令官を守るように囲む。ヤン作戦副主任は他人事のようにぼんやりした顔だ。イレーシュ中佐の広い背中が遠くに見えた。

 

 意外なことにダーシャが近くに立っていた。両腕に書類を抱えている。ドーソン副参謀長に決裁を仰ぐつもりだったのだろうか。俺は声を掛けようとした。

 

「ダー……」

 

 メインスクリーンが眩しく輝き、司令室全体に光が充満した。足元が激しく揺れる。俺はバランスを崩して前のめりに転び、柔らかいものにぶつかった。

 

 目がチカチカしてよく見えない。とりあえず態勢を立て直そうと思い、柔らかいものに手をついて立ち上がる。

 

「第二射、来るぞ!」

 

 悲鳴が再び響く。光とともに大きな揺れが来る。俺はまたも柔らかいものにぶつかって倒れた。火災発生を告げる艦内放送が流れ、叫び声や足音が鳴り響く。第六次イゼルローン攻防戦は同盟軍の敗北に終わった。


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