銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第29話:揺らぎの時 794年12月8日~795年1月下旬 総旗艦アイアース~オリンピア市

 一二月一一日、イゼルローン遠征軍が撤退を開始した。帝国軍の一部が勢いに乗って追撃してきたが、第五艦隊司令官ビュコック中将が指揮する殿軍に撃退された。

 

 同盟軍が失った人員は七九万三〇〇〇人、艦艇は七一〇〇隻。帝国軍の損害はその六割から七割とみられる。三度の攻勢で大きな戦果をあげたものの、敵より大きな損害を出し、イゼルローン攻略にも失敗した。取り繕いようのない敗北だった。

 

 戦いが終わった後の幕僚は書類仕事に忙殺される。書類を作らせるのも作るのも大好きなドーソン副参謀長は特に忙しい。その秘書である俺も仕事に追い回された。

 

「副参謀長閣下が仕事増やしてくれるからねえ。ほんと困るよね。出世するのも楽じゃないなあ」

 

 ある日の昼食時、後方参謀イレーシュ・マーリア中佐がそうぼやいた。テーブルの上には、ポテトコロッケ、ポテトグラタン、ポテトとベーコンのパスタ、ポテトスープが乗っている。さすがにじゃがいもが多すぎるのではないか。

 

 そう言えば、最近は士官サロンでじゃがいも料理を食べる人が増えた。俺も無性にじゃがいもを食べたくなり、ジャーマンポテト、ポテトオムライス、ポテトサラダ、じゃがいものチーズ焼きを注文する。

 

 隅っこの席では、作戦副主任参謀ヤン・ウェンリー代将が背中を丸めながら緑茶をすする。二度の攻勢作戦で大功をたてた後もまったく変わりない。半ば士官サロンの備品と化している。

 

「あの人は運がいいからね。エル・ファシルの時みたいに、人が失敗した時に少しだけましな仕事をして点数を稼ぐ。そうやって昇進するってわけ」

 

 後方参謀ダーシャ・ブレツェリ少佐のヤン・ウェンリー評は、辛辣の一言に尽きた。

 

「いや、でもヤン代将の作戦はダーシャだって見ただろ。運だけで立てられる作戦か? 実力だと思うけどな」

 

 俺が反論すると、ダーシャは首を軽く横に振る。

 

「実力がないとは言ってないよ。作戦立案能力は本物だと思う。でも、目立つ時しか仕事しないのは事実でしょ? 地味な仕事はやらないよね。人の何分の一か働いただけで昇進するの見てると、運がいいと思っちゃうよ。いや、運じゃなくて要領だね」

「努力じゃなくて結果で評価しろよ」

「エリヤは仕事ができるかどうかだけで人を評価するの? 仕事できるのに嫌な奴なんていくらでもいるじゃん」

「仲良くするに越したことはないだろ。みんながヤン代将を信頼していたら、もっといい戦いができたと思うぞ」

「信頼しない方が悪いってこと?」

「全人格を信頼しろとは言わないけどな。でも、性格に目をつぶって能力を引き出すくらいの度量はあってもいいんじゃないか?」

「能力はあるのに責任感は皆無。ブレーキの付いてないレースカーみたいなもんでしょ。そんなのを信頼するなんて無理。無能な方がずっとマシよ」

 

 取り付く島がまったくなかった。戦記によると、若き日のヤン・ウェンリーは主流派軍人から酷評されていたそうだ。その何分の一かはダーシャなんじゃないかと思えてくる。

 

 前はどうにかしてダーシャにヤン作戦副主任を見直してほしいと思っていた。しかし、最近は諦めかけている。彼女は好き嫌いが激しいが陰湿ではない。ドーソン副参謀長のように足を引っ張ろうとはせず、悪口を言うだけだ。そこら辺はヤン作戦副主任以上に彼女に敵視されるダスティ・アッテンボロー少佐と似ていた。それなら、嫌ってるままでも構わないような気がする。

 

 ヤン作戦副主任と対比される存在といえば、アンドリュー・フォーク中佐らロボス・サークルの参謀であろう。不真面目だが抜群のひらめきを持つ天才参謀と、勤勉でチームワークに長けた秀才集団は、好対照といっていい。総司令部でも両者の比較論が盛んだ。

 

 今回の遠征では、ヤン作戦副主任にはこれといった失点がなかった。そして、立案した作戦は成功した。一方、作戦全般を指導したロボスサークルは、功績も多いが失点も多かった。トータルすれば、膠着状態を打破できず、ラインハルトに対応できなかったことで評価を落とした。

 

 ロボス・サークルはもともと反感の対象だった。嫉妬する者もいれば、ロボス総司令官の信任をかさにきていると反発する者、優等生的なスタイルに反骨精神を刺激される者もいる。それがイゼルローン遠征の失敗で一気に噴出した。ロボス・サークルを貶すためだけに、ヤン作戦副主任を持ち上げる者も少なくない。

 

 今やロボス・サークルとヤン作戦副主任は対立関係となった。いや、「対立して欲しいと思われている」と言った方が正解だろう。当事者と関係ないところで第三者が対立を煽っていた。

 

 遠征失敗の翌日から、ロボス・サークルはオフィスからほとんど出てこなくなった。失敗したら努力して取り返そうとするのが優等生だ。寝食を忘れて作戦検証に取り組んでいるのであろう。

 

 以前も言った通り、行軍を遠足に例えるならば、将兵が生徒、艦艇が交通手段、部隊が班、部隊指揮官が引率の教職員にあたる。後片付けや反省会は義務なのだ。家に帰るまでが遠足、事後処理を終えるまでが遠征だった。

 

 

 

 年が明けて七九五年になった一月七日。首星ハイネセンに到着した遠征軍を冷ややかな視線が取り巻いた。去年末、行政サービスの大幅削減、大型増税が同時に実施された。そんな時に一〇兆ディナールもの巨費を費やした遠征が失敗に終わったのだ。市民が怒るのもやむをえない。

 

 真っ先に槍玉に上がったのは、総司令官のラザール・ロボス元帥だった。市民は口々にロボスを批判した。

 

「ロボスが無能だから負けたんだ」

「さっさと撤退すればよかったのに」

「行き当たりばったりで戦争ができるものか」

「所詮は戦術屋だ。戦略が分かっていない」

 

 擁護論を唱える人もいた。国民平和会議(NPC)のアドバイザーとして知られる国立中央自治大学のエンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ法学部長は、保守系メディアとのインタビューの中で、遠征軍の戦果を高く評価した。

 

「三度にわたって要塞に肉薄した。シドニー・シトレ提督が指揮した前回の遠征軍より成功したと考えてもいいのではないか」

 

 それに対し、ハイネセン記念大学文学部史学科のダリル・シンクレア教授が反論を加えた。

 

「敵が錯乱しなければ、シトレ提督は確実にイゼルローンを攻略していたはずだ。しかし、ロボス提督は違う。トゥールハンマーが発射される前に勝負はついていた」

 

 特定の参謀に頼りすぎたことがロボス元帥の用兵を硬直化させたのではないか。そう指摘したのは、軍事評論家のジュスタン・オランド退役准将だった。

 

「似たような思考の部下ばかりを集めれば、作戦の幅も狭くなるものだ。秀才ばかりを登用したのがロボス提督の誤りだった。今後はヤン・ウェンリーのような異才も登用すべきだろう」

 

 大衆紙『ザ・オブザーバー』は、かつてロボス元帥を支えた名参謀の名を挙げて、秀才偏重人事を批判した。

 

「今のロボスに必要なのは、コーネフ、ビロライネン、フォークのような忠犬ではない。ホーウッドやアル=サレムのような猛犬だ」

「マクシム・アンドレーエフが墓の下から蘇ってはくれないものか。空いた墓穴にはコーネフを放り込めば良かろう」

 

 ロボス元帥とロボス・サークルへの逆風は凄まじい物があった。いつもは敗戦を小さく見せようとする主戦派マスコミも徹底批判に回っている。

 

 ほんの一年前まで、ロボス元帥は「リン・パオの再来」と呼ばれ、ロボス・サークルの若手参謀は「若き頭脳集団」ともてはやされていた。それが「一〇年に一度の凡戦」と言われたヴァンフリート戦役で陰り始め、第六次イゼルローン遠征で地に落ちた。国費と人命を浪費した彼らが批判されるのはやむを得ないと思う。それでも無常さを感じずにはいられない。

 

 今年の一二月でロボス元帥の宇宙艦隊司令長官の任期が切れる。だが、任期満了前の勇退を求める意見が出てきた。後任の長官候補には、同盟軍再編に手腕をふるう第一艦隊司令官ネイサン・クブルスリー中将、ドラゴニア=パランティア戦役を勝利に導いた第二艦隊司令官ジェフリー・パエッタ中将、内外の人望を集める首都防衛司令官ゴットリープ・フォン・ファイフェル中将などの名前があがっている。

 

 ロボス元帥とロボス・サークルに批判が集まったおかげで、ヤン作戦副主任を用いた総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将、撤退論を唱えた後方主任参謀アレックス・キャゼルヌ准将らは評価を高めた。

 

 副参謀長クレメンス・ドーソン中将の細かい指導ぶりは、幕僚からは嫌われたが、国防委員会や統合作戦本部からは賞賛された。また、幽霊艦隊対策にワイドボーン代将を推薦し、第三次攻勢の前に撤退論を唱えた見識も高く評価された。情報部長シング中将の後任が有力視されるが、国防政策を立案する国防委員会戦略部長、あるいは全軍の戦略計画を立案する統合作戦本部作戦部長となる可能性も出ている。

 

 作戦副主任参謀ヤン・ウェンリー代将の評価は、ロボス・サークルとの対比で上がった。要するに「頭の固いエリートVS柔軟な天才」という、凡庸ではあるが大衆受けする構図に組み込まれてしまったのである。准将に昇進し、国防研究所の戦史研究部長に登用される見通しだ。

 

 一見すると島流しのように見える人事だが、実際は栄転だった。戦史研究部の戦史研究は、国防政策や軍事戦略を策定する際の理論的根拠、教範を作成する際の最重要資料、軍学校の戦史教育などに用いられる。それゆえに戦史研究部長は、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部の副部長と同格とされる。将来の最高幹部候補が部長になる例も多い。

 

 ヤン代将の戦史研究部長起用は、統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の意向だった。この二人は師弟関係であり、軍縮政策と少数精鋭化戦略の熱烈な支持者である。さらなる軍縮を進めるための理論的根拠を用意するのがこの人事の狙いと言われる。

 

 最も大きな武勲をあげた「グリフォン」ウィレム・ホーランド少将は、自由戦士勲章に次ぐハイネセン特別記念大功勲章を授与された。そして、中将への昇進、今月で引退する第一一艦隊司令官マッシモ・ファルツォーネ中将の後任が確実視される。

 

 この人事が実現すれば、同盟軍史上最大の英雄ブルース・アッシュビー元帥と同じ三二歳での中将昇進・正規艦隊司令官就任となる。ホーランド少将も数年前からアッシュビー元帥を意識する言動を繰り返してきた。そして、アッシュビー元帥が同期の友人とともに「七三〇年マフィア」を結成したように、ホーランド少将は「七八二年マフィア」を結成した。グリフォンがどこまで羽ばたいていくのか? 人々の期待は高まる一方だ。

 

 ホーランド少将に次ぐ武勲をあげた「永久凍土」ライオネル・モートン少将と「ダイナマイト」モシェ・フルダイ少将には、同盟軍殊勲星章が授与された。彼らは昇進しない。武勲一つで昇進するのは中佐が限度だ。それ以上は「より高い階級にふさわしい能力があるか」「上のポストが空いているかどうか」が昇進の目安となる。少将ともなると、なかなか昇進できないのだ。

 

 薔薇の騎士連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ大佐が、裏切り者のヘルマン・フォン・リューネブルク元連隊長を一騎打ちで倒したという知らせは、市民は狂喜させた。シェーンコップ大佐にはハイネセン記念特別勲功大章や宇宙軍殊勲星章など四つの勲章が授けられ、リンツ少佐ら五三七名の隊員が受勲対象となった。三年前から中止されていた薔薇の騎士連隊カレンダーの販売も再開される。ようやく薔薇の騎士連隊は信用を取り戻した。

 

 エディー・フェアファクス宇宙軍少佐の率いる第八八独立空戦隊が抜群の戦果をあげるのは、いつものことであって驚くには値しない。しかし、ウォーレン・ヒューズ宇宙軍中尉、サレ・アジズ・シェイクリ宇宙軍中尉、オリビエ・ポプラン宇宙軍少尉、イワン・コーネフ宇宙軍少尉の四人組が揃って通算撃墜数一〇〇を突破したという知らせは、市民の度肝を抜いた。

 

 参謀として活躍したマルコム・ワイドボーン代将、戦隊司令として活躍したジャン=ロベール・ラップ代将とガブリエル・デュドネイ代将は、ヤン・ウェンリー代将とともに「七八七年度の星」と讃えられた。彼らはヤン代将からやや遅れて准将に昇進する予定だ。

 

 エース艦長、前線の部隊司令らも賞賛の的となった。若くて男前のヘラルド・マリノ中佐は、その肌の色から「ブラックパンサー」の異名を奉られた。

 

 このように大勢の英雄が現れたが、個人の勇名が高まったに留まり、市民の目を敗北から逸らすには至らなかった。

 

 財政再建を党是とする進歩党からは、「勝てない軍隊に金を掛けるのはいかがなものか」という声が続出した。また、進歩党出身の「ミスター・コストカット」ジョアン・レベロ議長補佐官(経済財政担当)が軍縮と対帝国デタントを提言した。軍事費削減の圧力がますます高まっている。

 

「遠征軍を三個艦隊に抑えるよう主張したのは、進歩党だろうが! 自分で手足を縛っておいて、『結果が出せないなら、金を出せない』などほざく! これが正気な人間のすることか!?」

 

 久々に会った恩師エーベルト・クリスチアン中佐は、怒りの拳をテーブルに叩きつけた。保守的な彼はもともとリベラルな進歩党を嫌っていたが、この件でさらに嫌いになったようだ。

 

「まあ、進歩党は予算削減に情熱を燃やしてる党だからな。口実があったら、何でもいいんだ」

 

 昇進したばかりのナイジェル・ベイ大佐は、新聞の一面を示しながら苦笑した。そこには、「進歩党のエルズバーグ上院議員が、経済開発委員会農業部畜産課長補佐の痴漢事件を批判し、農業予算を削減するよう求めた」という記事が掲載されていた。

 

「予算って官僚の素行じゃなくて、必要性に対して配分するものでしたよね?」

 

 俺の頭の中を疑問符が乱舞した。進歩党の財政再建路線を支持する俺でも、エルズバーグ議員の主張には首を傾げたくなる。

 

 NPCと進歩党の連立政権に冷ややかな市民も財政再建路線には肯定的だ。こういう流れがある以上、「負けたから予算を減らす」と言われたら、軍人は黙って受け入れなければならない。それがシビリアンコントロールというものであった。

 

 

 

 官舎のポストを開けると、「軍事費削減を許すな! イゼルローン回廊は国家の生命線だ! 同盟軍の未来を考える会」と書かれたビラが入っていた。初めて聞くグループだが、極右政党「統一正義党」や過激派将校グループ「嘆きの会」の支持者であろう。

 

 前の世界で極右といえば、ヨブ・トリューニヒトを支持する「憂国騎士団」の代名詞だった。しかし、現時点の彼らはこの二年で急成長した新興組織にすぎない。支部があるのは主要都市のみ。一般会員は七〇万人、行動部隊は二〇〇〇人前後に留まり、極右業界全体では二〇位程度だった。

 

 一方、統一正義党は戦記にまったく登場しないが、全市町村の八割に支部を置き、下院と上院における第三党、一八の星系議会における第一党だ。傘下の民兵組織「正義の盾」は公称二〇万の隊員を抱える。独裁による社会改革という主張、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに肯定的な態度、極右民兵組織や過激派将校との関係などから、共和制にとって最大の脅威とされる。

 

 八年前、法秩序委員会が統一正義党の解散請求を出した。しかし、最高裁が「同盟憲章は共和制に反対する自由も認める」との見解を示したことから、非合法化には至らなかった。

 

 極右がいれば、極左もいる。同盟軍の未来を考える会のビラの下には、「今こそ和平を結ぶ時だ! 外征軍から航路軍への転換こそが我らの未来を切り開く! 反戦兵士会議」と書かれたビラがあった。これは急進反戦派団体「反戦市民連合」を支持する反戦軍人グループと思われる。

 

 主戦派は反戦派を「戦場を知らない理想主義者」と批判するが、それは軍隊を全く知らない者の言うことだ。憲兵隊の思想指導資料には、「反戦派の最大の基盤は軍人とその家族」と明記されている。前線に苦労を押し付ける主戦派政治家への反感、家族や友人の戦死、過酷な戦場経験などが軍関係者を反戦論者とした。

 

 一例をあげると、反戦市民連合創設メンバーのジェームズ・ソーンダイクは、二桁の勲章受章歴を持ち、宇宙軍少将まで昇進した根っからの軍人であった。しかし、軍隊に入れた三人の子供全員が第二次イゼルローン攻防戦で戦死したのがきっかけで軍を退き、反戦運動家に転じた。

 

 反戦派最大勢力とされる進歩党は、軍事力の拡大や行使を嫌い、レベロ議長補佐官に代表されるデタント論者も抱える。だが、対帝国戦争そのものに反対しているわけではなく、「避戦派」と呼ぶのが正しい。

 

 前の世界の戦記に登場する「反戦派」「ジェシカ・エドワーズ派」は、反戦市民連合を指す。彼らは六四の反戦団体からなる政治組織だ。六四団体を合計した動員力は統一正義党よりずっと大きく、進歩党に匹敵するが、連合組織ゆえに結束力に欠ける。そのため、上院でも下院でも第四党に留まっていた。反戦論は共和制に反していないが、教条的なハイネセン主義解釈、反戦軍人との関係、既成政党や大企業との対決路線などから、社会の安定を揺るがす存在とみなされる。

 

 極右と極左から共和制を守るべき連立政権は、だらしないの一言に尽きる。イゼルローン遠征軍が敗北すると、ムカルジ議長の支持率は一〇パーセントを切り、退陣も間近に思われた。だが、反議長派のドゥネーヴ元最高評議会議長とバイNPC副党首が攻勢に出たところで、意外な伏兵が現れた。

 

「奴らは私利私欲のために崇高なる戦争を妨害した! 愛国者として許すわけにはいかない!」

 

 ドゥネーヴ派のヨブ・トリューニヒト前NPC政策審議会長、ヘーグリンド派のアンブローズ・カプラン下院軍事委員長ら対外強硬派議員グループが、反議長派の前に立ちはだかった。彼らは「反議長派から議長候補が出たら離党する」とまで宣言した。

 

 ドゥネーヴ元議長とバイ副党首は、ムカルジ議長の足を引っ張るために、進歩党と組んでイゼルローン遠征軍の動員戦力を四個艦隊から三個艦隊に減らさせた。その報いを返された形だ。

 

 再登板を狙うラウロ・オッタヴィアーニ元最高評議会議長には、惑星ウルヴァシー開発事業をめぐる不正資金疑惑が浮上していた。与党第二党・進歩党代表のリンジー・グレシャム最高評議会副議長は、高齢で市民からの人気も低い。いずれも新議長としては弱い。

 

 一二月下旬のパサルガダイ星系議会選挙とヴァーミリオン星系議会選挙で連立与党が勝利を収めたことにより、ムカルジ辞任論は完全に消え失せた。

 

 パサルガダイ星系は、アバスカル一族が星系首相の地位を六三年も独占してきた世襲王国。ヴァーミリオン星系は最悪の金権選挙区。勝ったところで威張れるとも思えないのだが、それでも勝ちは勝ちということらしい。

 

 中央の乱れは地方の乱れを招いた。暴動、テロ、宇宙海賊が頻発している。同盟からの分離独立を求める動きも活発だ。

 

 一部の星系政府が独自の動きを見せている。ガルボア終身首相が同盟憲章に反する強権政策を推進するメルカルト星系、天然ガスマネーに物を言わせてフェザーンから戦闘艦艇六〇〇隻を購入したパラトプール星系、同盟脱退をめぐる住民投票が二か月後に行われるカニングハム星系などがその一例だ。

 

 今や自由惑星同盟で最も自由な星系となったエル・ファシルでも問題が起きた。NPCエル・ファシル星系支部連合会会長のマリエット・ブーブリル上院議員をリーダーとする抵抗勢力が力を強めている。改革案にことごとく反対する彼らを、マスコミは「何でも反対党」と名付けた。報道によると、公共事業で甘い汁を吸っていた利権屋、解雇された公務員などが何でも反対党の中心で、庶民の支持は皆無に近いそうだ。

 

 電子新聞を読むだけでうんざりさせられる。しかし、希望が無いわけでは無い。年明けに行われた内閣改造で優れた人材が登用された。

 

 その筆頭は何と言ってもあのヨブ・トリューニヒト先生である。反議長派潰しの功績で国防委員長に抜擢された。

 

 政権ナンバースリーの座に躍り出たトリューニヒト国防委員長は親しい議員を引き連れて、ドゥネーヴ派から離脱した。そこにヘーグリンド派から離脱したカプランのグループが合流し、他の派閥からもシャノンら若手数名が加わり、NPC第六派閥のトリューニヒト派が発足した。

 

 主な議員のうち、ネグロポンティは女癖の悪さ、ボネは右翼的な言動、アイランズは汚職、カプランは職権乱用、ブーブリルは反改革で評判が悪い。現時点で唯一評判の悪くないシャノンも、前の世界では同盟滅亡後にいろいろあった。どうしてこんな面子ばかり集めたのかと言いたくなる。それでもトリューニヒト派成立は喜ばしいことだ。

 

 前の世界で「最も良識的な政治家」と言われた進歩党左派のジョアン・レベロ議長補佐官が財政委員長、ホワン・ルイ進歩党下院院内総務が人的資源委員長に登用された。

 

 ジョアン・レベロ財政委員長は、三〇歳の若さでハイネセン記念大学経済学部准教授となった英才だ。二つの星系で財政再建を成功させ、故郷である惑星カッシナの知事となって行政改革に手腕を振るい、一期四年を務めた後に下院議員となった。二年前には財政委員長として国防予算の削減を成し遂げ、その後も経済財政担当の議長補佐官として財政再建を推進し、昨年の経済危機を「冷水療法」で収拾した。市民からは「ミスター・コストカット」と呼ばれる。

 

 皮肉屋だが憎めない性格のホワン・ルイ人的資源委員長は、真面目一筋のレベロ財政委員長と好一対を成す。弁護士として消費者問題に取り組んだ経験から、競争の公正、市民の利益を何よりも重んじ、受益者視線の政治を掲げる良識派だ。これまでは規制緩和・民営化・既得権益解体に実績をあげてきた。今回は社会保障制度や労働市場の自由化に挑む。

 

 前の世界では、レベロ委員長もホワン委員長もあまり成功しなかった。前者はヤン・ウェンリーと対立して晩節を汚し、戦記の中で批判された。後者は同盟滅亡後にバーラト自治政府の首相となったが、構造的な問題で苦しんだ。この世界では頑張ってほしいと思う。

 

 その他、二〇年前に暗殺されたダヴィド・ドレフュス元最高評議会議長の長女であるアラベル・ドレフュス上院議員、改革派市長として名を馳せたカレン・アーミテイジ下院議員、薔薇の騎士の第二代連隊長で宇宙軍大将・陸戦隊副総監まで栄達したレオポルド・フォン・リッツェ下院議員といった人気議員の入閣も注目を集めた。

 

 要するにムカルジ議長は、三月の上院選挙の顔になりそうな議員を見境なく入閣させた。イゼルローン遠征の失敗は、思わぬ方向に世の中を動かした。

 

 

 

 一五〇年以上続く対帝国戦争が社会を疲弊させた。避戦派や反戦派が主張するような軍事動員が理由ではない。

 

 同盟と帝国の戦争を総力戦と言っていいのは、六四〇年のダゴン星域会戦から六六八年にコーネリアス一世の大親征が失敗までの二八年間、前の戦記に記された七九六年の帝国領侵攻から八〇〇年のマル・アデッタ星域会戦までの四年間に限られる。それ以外の期間は、イゼルローン回廊周辺の国境星域を巡る限定的な紛争だった。

 

 宇宙軍と地上軍を合わせた同盟軍の総兵力は五七〇〇万人。これは同盟総人口一三〇億の〇・四三パーセントにあたる。徴集兵は二五〇〇万で、兵役名簿に登録される徴兵適齢期人口六億七六〇〇万の三・六パーセント、総人口の〇・一九パーセントに過ぎない。徴兵適齢期にあたる士官・下士官・志願兵を加えると、三六〇〇万人になるが、それでも徴兵適齢期人口の五・三パーセントに過ぎない。その半数が外征部隊に配属される。一年間に前線で戦う兵力は外征部隊の三割程度なので、徴兵適齢期人口の一二五人に一人が前線に出ることになる。平均的な中学校だと、一学年で二〇人が軍隊に入り、三人が前線に出る計算だ。

 

 問題は経済だった。宇宙軍艦は金食い虫だ。後方にいる間も練度を維持するために動かす必要がある。指揮通信システムや動力炉といったハイテク機器の保守点検も欠かせない。老朽化した部品の交換も絶え間なく行われる。三〇万隻以上の軍艦を持つ同盟宇宙軍は、戦わなくても大金を飲み込んでいく。そこに戦闘の消耗が加わる。人は死なないが金がかかるというのが、現在の宇宙戦争なのである。

 

 軍事予算は国家予算の六〇パーセントを占める。同盟政府は重い税金を課し、巨額の赤字国債を発行し、予算を賄ってきた。政府債務の総額はGDPの一・三倍に及び、利払いだけでも国家予算の一五パーセントになる。国債の半分以上をフェザーンの企業や投資家が購入しているため、利払いを通じて巨額の金が国外に流れていく。

 

 重税と財政赤字が足かせとなり、同盟経済は停滞した。ここ三〇年間は平均経済成長率が一パーセント前後という極端な低成長が続く。失業率が一二パーセントを切ることは無い。

 

「独裁によって効率的な社会を作れば、軍事負担があっても豊かに暮らせるようになる」

 

 統一正義党の主張から威勢のいい言葉を差し引いて要約すると、こんな感じになる。

 

「帝国と和平を結んで軍事負担が無くなれば、豊かな暮らしができる」

 

 反戦市民連合の主張から人道論を差し引いて要約するとこうなる。

 

「つまり、経済難が極右と極左を台頭させたのよ」

 

 中佐に昇進したダーシャ・ブレツェリがそう言って講義を締めくくった。生徒はたった一人、この俺だ。

 

「なるほどな。そんな背景があったのか」

 

 頭の中にかかっていた霧が晴れるような思いがする。俺の手元には、『戦争経済入門』『自由惑星同盟の兵役制度』『自由惑星同盟統計年鑑』『統一正義党の研究』『急進反戦派の思想と行動』といった基本書が並んでいた。

 

 遠征中は軍隊の運用に関わることを優先して勉強した。しかし、ダーシャは「戦略と政治は切っても切り離せない」と言う。トリューニヒト委員長にそのことを話したら、やはり同じ答えが返ってきた。そこで最近はダーシャから政治を学んでいる。

 

 彼女は良い教師だった。ドーソン中将は徹底的な詰め込み教育、イレーシュ中佐はやる気を伸ばすと言った感じだが、ダーシャは説明するのがうまい。

 

 参謀にはいろんなタイプがいるが、ダーシャは補佐役型らしい。指揮官が指揮しやすい環境を整え、命令を部隊の隅々まで徹底させ、上下の意思疎通を円滑にするタイプの参謀だ。一部では「アッテンボロー宇宙艦隊司令長官、ブレツェリ宇宙艦隊総参謀長が理想の布陣」と言われる。教育は彼女の得意技のようなものだった。

 

 現在のダーシャは士官学校で一般教養を教えている。戦略研究科や経理研究科の教官でないと言うのが、現在の軍部における彼女のポジションを表していた。

 

 セレブレッゼ中将が失脚した後、セレブレッゼ派は徹底的に冷遇された。中央兵站総軍参謀だったダーシャもその煽りを受けたのだ。人手が必要なイゼルローン遠征には駆りだされた。だが、その後は予定通り閑職に回された。庇護者が失脚したら、士官学校を三位で卒業した秀才もこんな扱いを受ける。何ともやりきれない話だ。

 

 おかげで俺は毎日のように個人授業を受けられる。ありがたいとは思うが、彼女の能力がこんなところでしか生かされないというのも寂しく感じる。

 

 ヴァンフリート戦役が終わった後、俺のもとに見合い話が持ち込まれた。イゼルローン遠征から戻ってからも新しい話が次から次へと舞い込んでくる。ドーソン中将の評判が上がったおかげで俺の評判も上がったらしい。今日は一日で二件も来た。

 

 一件目の相手は、俺より二歳下のシンシア・カネダという女性。大人しそうな顔立ちが印象に残る。ダーシャのような艶のある黒髪もポイントが高い。

 

 カネダ家は政界の名門だった。シンシアの父親のフランシスは、国防副委員長を二度務めた大物議員で、トリューニヒト国防委員長とは国防族の主導権を争っている。叔父のグレンはヘブロン惑星行政区知事、祖父のグレッグは元人的資源委員長、曽祖父のダンは元下院議長。その他の親族も半数は地方で首長や議員をしている。家系図を見るだけで華麗さに目が眩む。

 

 二件目の相手は、俺と同い年のイレーネ・フォン・ファイフェル。明るい茶髪に気の強そうな顔立ちで、雰囲気がダーシャに似ている。

 

 ファイフェル家は亡命貴族だが、現在は押しも押されぬ名門軍人家系だった。イレーネの父親のゴットリープは宇宙軍中将・首都防衛軍司令官、イレーネの弟のクリストフは第五艦隊司令官ビュコック中将の副官、義理の叔父のイアン・ホーウッドは宇宙軍中将・第七艦隊司令官を務める。祖父のフェリックスは宇宙軍大将・元統合作戦本部次長、曽祖父のディートリヒは宇宙軍准将・元艦隊陸戦隊副司令官。その他の親族も過半数が同盟軍将校だ。

 

 職業選択の自由が認められた同盟でも、家業というものがある。政治家、官僚、軍将校、企業役員、大学教員のようなエリート職を家業とする一族もいた。彼らは子供に英才教育を施してエリートに育て上げ、有望な若手エリートを婚姻によって取り込み、血の結束によって影響力を維持してきた。カネダ一族、ファイフェル一族、ダーシャの先輩マルコム・ワイドボーンの一族もそんな門閥の一つだった。

 

 血縁の絆は派閥を越えた力を持つ。だから、理想と野心のある者ほど門閥と縁を結びたがる。トリューニヒト委員長も大物財界人の娘と結婚したおかげで、軍需産業から支援を受けられるようになった。しかし、良いことずくめではない。何があろうと一族に尽くす義務も生じる。カネダ下院議員やファイフェル中将は、俺を取り込むつもりなのだ。

 

 買い被るにもほどがあると思うが、俺の階級は同い年の士官学校首席と等しい。見かけだけは宇宙軍のトップエリートである。

 

「今後もそういう話はたくさん来るだろうよ」

 

 一緒に昼食をとっているワイドボーン准将がそんなことを言った。

 

「あまり期待されても困るんですけどね」

「カネダ議員もファイフェル提督もリアリストだ。過剰な期待はかけないさ」

「娘婿というだけで十分過剰です」

「で、どうすんだ?」

「断りますよ」

 

 話が来た瞬間から決めていた答えを言った。カネダ下院議員はサイオキシンマフィアのナンバーツーだったジャーディス上院議員と親しい。ファイフェル中将は清廉で良識のある人物だが、麻薬王のA退役大将が名誉会長を務める「戦争捕虜虐待防止研究会」の会長だ。あまり近づきたくない人脈だった。

 

「そうか。ファイフェル提督の娘さんはブレツェリよりおっかないからな。尻に敷かれたくないという気持ちは分かるぞ。フィリップス中佐は戦いでは強くても女には弱そうだしな。ところでうちの妹はどうだ?」

 

 ワイドボーン准将がいつものように余計なことを言う。

 

「結構です」

 

 迷うこと無く断った。結婚願望の強い俺だが、こんな頭の緩い義兄はいらない。

 

「俺が言うのも何だが、妹はかわいいぞ」

「結構です」

 

 俺はなおも首を横に振る。この間、ワイドボーン准将が妹と歩いてるのを遠くから見たことがある。本当に妹かどうかは確認してないが、体格と髪の毛の色から考えて間違いなく妹だと思う。確かにかわいかった。しかし、背が高すぎる。

 

 ヒールのない靴を履いていたにも関わらず、一緒に歩いていた兄との身長差は少なかった。少なくとも一八〇センチ以上、下手すると一八五はある。妹のアルマが一七九センチ、イレーシュ中佐が一八一センチ。それよりもでかい。顔の感じから見て中学生から高校生。つまりまだまだ伸びるということだ。そして、この脳天気な男の妹。そんなの論外だ。

 

「やっぱり、ブレツェリ以外は考えられないってことか」

 

 何がやっぱりだ。天地がひっくり返っても、ダーシャだけは有り得ない。

 

「彼女は友達ですよ。大事な大事な友達なんです」

 

 俺はしっかりと「友達」を強調する。あの丸顔は友達以上の何者でもないと、はっきりさせておかなければならない。恥ずかしいではないか。

 

 ワイドボーン准将と別れた後、官舎にまっすぐ向かった。今日はダーシャがフェザーン風の家庭料理を作ってくれるのだ。

 

 フェザーン人移民のブレツェリ家では、「自由に生きるには、一人で何でもできるようにならなければならない」というフェザーン的な教育方針のもと、家事をひと通り習得させるそうだ。彼女が作った昼食の弁当は、俺の故郷パラスの味を忠実に再現している。フェザーン料理もおいしいに違いない。

 

 心の中でダーシャの丸っこい顔、いや、フェザーン料理を思い浮かべると、顔が緩んだ。フェザーン料理は質素だが素朴で温かみがあると言われる。まるでダーシャみたい……。いやいや、なんでそこでダーシャが出てくるのか。とにかく楽しみでたまらなかった。


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