銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第37話:二つの世界を渡り歩いて 795年9月20日~12月8日 シャンプール~ハイネセン

 パランティア任務分艦隊とムシュフシュ星系政府のトラブルは、意外な方向に発展した。過激派将校グループ「嘆きの会」が背後にいたのだ。

 

 分艦隊政策調整官バトムンク中佐、分艦隊広報室長ジャジャム少佐らは、嘆きの会の構成員だった。彼らは「辺境政治に詳しい」という触れ込みでパランティア任務分艦隊司令官のツェイ准将に近づき、対外交渉部門を牛耳る。現地軍が独断で反同盟勢力を鎮圧した前例を作るために、辺境星系で騒乱状態を作り出すのが狙いだ。ムシュフシュ星系の住民を挑発し、パランティア任務分艦隊やムシュフシュ星系警備隊の幕僚に嘘を吹き込み、住民と軍を衝突させようとしていた。

 

 これだけ大それたことを佐官だけでできるはずもない。ヤコブレフ宇宙軍大将、フェルミ地上軍大将ら過激派の大物が背後にいるとみられる。ムシュフシュ星系とエネルギー価格絡みで揉めていたフェザーン企業が、バトムンク中佐と接触していたという情報もあった。

 

「この男です」

 

 政策調整官室に勤務していた下士官が名刺を見せてくれた。

 

「アルファエネルギーサービス エル・ファシル支社 営業課 アントニオ・フェルナトーレ。ガス会社の営業マンか……」

 

 先ほど下士官から渡されたフェルナトーレの写真を見直す。年齢は三〇代前半から半ば。きれいに撫で付けられた金髪、黒縁の洒落たメガネ、不敵そうな表情は、まさに大企業の営業マンといった感じだ。

 

 嘆きの会のバックには、フェザーンとの断交を主張する統一正義党が控えていた。フェザーン企業は金になるなら何でもする。反フェザーン勢力と手を組んで、他のフェザーン企業を排除しようとする企業も珍しくはない。フェザーンの自動車会社がフェザーン製自動車の締め出し運動を煽動したこともある。前の世界において、ラインハルト帝は元自治領主ルビンスキーの息がかかった企業を潰し、反ルビンスキー派企業を優遇することで、フェザーン財界を支配した。

 

 アルファエネルギーサービスは、エネルギー利権狙いで嘆きの会と接近したのだろう。何とも迷惑なことだ。

 

 もう一度写真を見た。フェルナトーレの顔に既視感を覚える。だが、いくら頭をひねっても思い出せない。いずれにせよ、ろくでもない目的で動いてるのは確かだろう。国防委員会に報告書を送り、フェルナトーレについて「要調査」との所見を伝えた。

 

「ごくろうだった。エリヤ君のおかげで恥をかかずにすんだよ」

 

 トリューニヒト国防委員長の上機嫌ぶりがスクリーンの向こうから伝わってきた。彼が調査を命じた人物は、バトムンク中佐の言い分だけを聞いて、「武力介入が必要」と報告した。一方、統合作戦本部長シトレ元帥は独自調査でほぼ真相を把握していた。俺が現地調査をしなければ、統合作戦本部の手柄、国防委員会の失態になるところだったらしい。

 

 敬愛する政治家からの褒め言葉に浮かれていたところ、同盟軍の敗報が飛び込んできた。九月二〇日の二二時、ティアマト星域の同盟軍が大損害を被って撤退したのだ。

 

「我が軍は三つの正面すべてで優勢だった。敵は退却した。与えた損害だって大きい」

 

 そう強弁する者もいた。実際、会戦終盤にラインハルト・フォン・ミューゼルの艦隊が後背に出現するまでは、同盟軍の完勝一歩手前だったからだ。しかし、そこから全軍総崩れの手前まで追い込まれては、さすがに勝ったと言えないだろう。第五艦隊司令官ビュコック中将の奮戦がなかったら、同盟軍は完敗したはずだ。

 

 市民はこの結果に不満を抱いた。この戦いで活躍したビュコック中将、モートン少将、アッテンボロー大佐などが英雄に祭り上げられたが、批判を逸らすには至っていない。

 

 市民の目を逸らすには、別の戦いが必要だった。こうして海賊対策部隊がにわかに注目されることとなる。

 

 第一三任務艦隊司令部の第一会議室。その正面スクリーンに数字とグラフが映し出される。国防委員会から送られてきた数値目標だ。

 

「要するに『早く結果を出せ』ということだな。しかし、そうもいかなくなってきた。参謀長、説明を」

 

 任務艦隊司令官ルグランジュ少将が参謀長エーリン准将に説明を促す。

 

「かしこまりました」

 

 エーリン参謀長はすっと立ち上がり、分厚いメガネの奥から出席者を睨むように眺める。

 

「諸君、まずはこちらを見てもらいたい。我が軍の護衛部隊のグラフだよ。損害が増えた。護衛部隊が負けるケースも稀にある。海賊が強くなっているんだ」

 

 誤解の余地を全く与えないほどに簡潔だった。ルグランジュ司令官、エーリン参謀長を除くすべての出席者が青くなる。

 

「まぐれではないんですかね?」

 

 最年長のクィルター作戦部長がもっともな疑問を口にした。軍隊と海賊の戦闘力には雲泥の差がある。まともに戦えば負けることはない。

 

 最近は地方警備部隊が海賊に負けることもあった。第七方面軍配下の輸送部隊がエル・ファシル海賊にしばしば襲撃を受けている。七か月前には、アスターテ星域軍の即応部隊が海賊組織「ガミ・ガミイ自由艦隊」に敗れた。だが、それは海賊が強くなったのではなく、地方警備部隊の予算が削減されたからだと言われる。

 

 第一三任務艦隊は正規艦隊の分艦隊を基幹とする精鋭だ。その配下部隊が海賊に負けるなど信じられないことだった。

 

「まぐれじゃないよ。最新鋭の巡航艦と駆逐艦を持ってる海賊がいた。戦艦を見たなんて証言もある」

「それはそれは……。最近の海賊は随分と金持ちなんですなあ」

「海賊稼業一本でそんなもんは買えないね。買えたところで運用コストを賄えないし」

「つまり、例の噂は事実だと」

「断定はできないよ。でも、九割がたは事実だろうね」

 

 例の噂、すなわち帝国がエル・ファシル海賊を支援しているという噂を、エーリン参謀長は九割がた事実だと言った。

 

「それはとんでもないことですな」

「分かればよろしい」

 

 エーリン参謀長は容姿のみならず態度も教師のようだった。一五歳ほど年長のクィルター作戦部長にも教師のように接する。それをごく当たり前に受け入れさせる貫禄が彼女にはあった。

 

「ご苦労だった。次は副参謀長から頼む」

 

 ルグランジュ司令官が声をかける。エーリン准将が着席し、俺が入れ替わるように立ち上がる。

 

「皆さん、小官が作った資料をごらんください。将兵による迷惑行為発生件数及び犯罪発生件数、行政機関から入った苦情の件数などのデータです」

 

 自分で作った資料ではあるが、見てるだけで気が重くなる内容だ。軽く深呼吸をして心を落ち着ける。鼓動が穏やかになったところで説明を始めた。

 

「迷惑行為、犯罪、苦情件数がすべて増えています。明らかに軍規が緩んでいます」

 

 参謀長の報告と比較すると、はるかに衝撃度は小さい。それでも嫌な現実であった。

 

「ふうむ。山場のない戦いですからなあ。気持ちが緩んでおるのでしょう」

 

 すかさずクィルター作戦部長が反応する。予備役編入間近のこの老大佐は、誰でも言えるようなことしか言わないのだが、それはそれで重要な役割だ。

 

「我々の派遣期間は残り二か月を切りました。しかし、最後の瞬間まで気を抜かないでほしいと思います」

 

 出席者、そして自分自身に言い聞かせるように言った。俺の言葉を受けてルグランジュ司令官が口を開く。

 

「敵が強くなっているのに、味方は緩んでいる。危うい状況だ。参謀長と副参謀長の危機感を全軍に共有してもらいたいと思う」

 

 その後、ルグランジュ司令官が先頭に立って指導した結果、第一三任務艦隊は俺とエーリン参謀長の危機感を共有してくれた。

 

 一〇月の中旬から迷惑行為、犯罪、苦情の件数が減少に転じた。護衛部隊の損害も減った。上層部が期待するような戦果はあげられなかったものの、模範部隊としてマスコミに取り上げられるようになり、トリューニヒト国防委員長から表彰された。

 

「結局、宣伝になればいいということか。政治家とは本当に現金なものだ」

 

 ルグランジュ司令官の角張った顔に苦笑が浮かぶ。俺も苦笑いで応じる。

 

「持ちつ持たれつです。あちらも説明責任がありますから」

「戦争を企業活動とすると、市民はスポンサー、政治家は経営陣、我々は社員だ。経営陣がスポンサーの顔色を見ること自体は間違いではないけどな」

「市民と政治家を納得させる。それも民主主義国家の軍人にとって大事な仕事です」

「しかし、民主主義とはつくづく難儀な体制だ。一度くらい、誰の顔色も気にせずに戦ってみたいもんだ」

 

 ルグランジュ司令官にとっては冗談のつもりかもしれないが、聞き流すには深刻すぎた。彼は前の世界でクーデターに加担して死んだ人なのだ。

 

「滅多なことはおっしゃらないでください!」

「どうした? 顔色を変えるようなことか? 冗談に決まってるだろうが」

「最近は反民主主義勢力が力を伸ばしています。ちょっとしたことでも気になるのです」

「私が過激派とつるむとでも思っているのか? アラルコンなんぞと一緒にされてはたまらんな」

「いえ、そんなことは……」

 

 俺は「滅相もない」といった感じで首を振る。前の世界では、ルグランジュ司令官とアラルコン少将は同じ軍国主義者扱いだった。だが、今の世界では前者は政治色が皆無の軍事プロフェッショナル、後者は過激派の大物と言われる。

 

「過敏になる気持ちはわからなくもない。ムシュフシュの件もあったからな」

「小官は元憲兵です。厳正な軍規と民主主義は不可分ということを知っております」

「確かにそうだ。気を付けよう」

「ありがとうございます」

 

 上官の度量に感謝した。これだけで前の世界の悲運を回避できるとは思わない。だが、俺の言葉を覚えておいてくれたら、いざという時に翻意してくれるんじゃないか。そんな期待があった。

 

 

 

 一度落ち着いた護衛部隊の損害率が一〇月の終わり頃から上がり出した。第一三任務艦隊の戦力ではこれ以上の対策は難しい。そこで第七方面軍との共同作戦に取り掛かった。

 

 一一月二日、第七方面軍司令部ビルで合同幕僚会議に出席した。この場では、方面軍即応部隊と第一三任務艦隊直轄部隊を中核とする機動打撃部隊の編成、帝国からの支援を遮断する手段などについて話し合われた。

 

 会議が終わった後、第七方面軍司令官イーストン・ムーア中将が出席者に陸戦隊名物のカツレツを振る舞った。

 

「昔のフィリップス大佐は本当に大食いでな。特大カツレツでも足りないような顔をしとった」

 

 ムーア中将が幹部候補生養成所時代の話をほじくり返す。俺は目を丸くする。

 

「あれは特大だったんですか?」

「そうだぞ。体作り用のハイカロリーメニューだ」

「存じませんでした。背が低いせいで少なめにされたのかとばかり」

 

 俺は困ったように頭を掻く。みんなは大笑いする。こうして第一三任務艦隊と第七方面軍の幕僚は親睦を深めた。

 

 第七方面軍司令部ビルを出たのは一八時過ぎだった。とっくに課業時間は終わっている。第一三任務艦隊司令部に連絡を入れ、そのまま直帰すると伝えた。

 

 夕日に照らされながら、シャンプール宇宙軍基地の敷地をゆっくりと歩く。今から六年前、この基地で受験生活を送った。この基地から二度目の人生が始まったと言っても過言ではない。たっぷりと懐かしさに浸る。

 

 一時間ほど歩き、ゲートをくぐって外に出た。この辺りの町並みも全然変わっていない。マンション、一戸建て、小店舗などが雑然と立ち並ぶ。いかにも古い住宅街といった風情だ。

 

 一一月の一九時過ぎだというのに暑い。道行く人々もみんな半袖だ。亜熱帯にあるシャンプール市では、まだ残暑の時期だった。屋台で買ったアップル味のアイスキャンディーがとてもおいしく感じられる。

 

「すいません」

 

 女の子が近寄ってきてビラをすっと差し出してきた。反射的に受け取って目を通す。

 

『人はなぜ傷つけ合うのでしょうか? 人はなぜ分かち合うことができないのでしょうか?』

 

 そんな見出しの後に、非正規労働者、退役軍人、障害者、亡命者などの生活苦を訴える文章、失業率や自殺者数の上昇を示すグラフなどが並ぶ。最後に短い文章が記されていた。

 

「人はすべて同じ星から生まれた仲間です

 仲間はお互いに助け合うべきです 

 貧困と憎悪を銀河から追放するために、手を取り合いましょう 

 子供に愛情を、若者に希望を、壮年に安心を、老人に尊敬を、すべての弱い者に保護を

 人類は一つ、母なる地球から生まれた仲間

 

 地球教団自由惑星同盟教会シャンプール主教区 平等と平和のための主教委員会」

 

 書いてある内容は他の宗教と大して変わらない。しかし、「地球教団」の文字が古い記憶を呼び起こす。

 

 地球教団とは、帝国領ソル星系の第三惑星地球に総本山を置く多国籍宗教団体で、地球そのものを「大地神テラ」と呼んで崇拝する。最近は「地球の下の平等」を旗印に掲げ、慈善活動に熱心なことから、貧困層、亡命者、退役軍人などの社会的弱者から支持を受けている。同盟国内の信徒は五〇〇〇万人程度で、十字教や楽土教の一宗派とさほど変わらない。帝国発祥の平凡な新興宗教というのが地球教団に対する一般的な認識だ。

 

 前の世界での地球教団は、絶対悪扱いだった。三度にわたって皇帝ラインハルトの命を狙い、天才ヤン・ウェンリーを暗殺し、名将ロイエンタール元帥を反乱に追い込んだ。ローエングラム朝からもヤン・ウェンリー系勢力からも等しく憎まれた。

 

 ヤンの養子ユリアン・ミンツが地球教総本部から持ちだした資料によると、銀河を支配する野望を抱いた地球教団は、教団幹部レオポルド・ラープにフェザーン自治領を設立させたという。そして、勢力均衡政策の名のもとに、同盟と帝国の戦争を長引かせて共倒れを狙った。

 

 覇王ラインハルト・フォン・ローエングラムの出現が共倒れ計画を破綻させた。銀河支配を諦めきれない地球教団は、ローエングラム朝へのテロ闘争に転じる。新帝国暦一年七月のキュンメル事件から三年七月のヴェルテーゼ仮皇宮襲撃事件まで二年にわたって抗争が続いたが、最終的に地球教団は壊滅した。

 

 地球教団にまつわる疑惑は多い。ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長、極右民兵組織「憂国騎士団」ら同盟主戦派に深く食い込んでいたと言われる。サイオキシン麻薬を信徒に投与した疑いもあった。しかし、地球教総本部の自爆、背後関係の究明より教団壊滅を優先する帝国政府の姿勢、ユリアン・ミンツが教団総書記代理ド・ヴィリエ大主教を殺害したことなどによって資料が失われてしまい、真相は闇に消えた。

 

 俺個人は地球教団に恩義を感じている。多くの人がラインハルト帝の統治を歓迎したが、それでも疎外された者はいた。新体制の恩恵に浴せなかった者、平穏な生活を奪われた者、エリートの地位を失った者、戦死した同盟軍人の遺族などが貧民街へと流れ込んだ。俺もその一人だ。

 

 旧同盟領に乱立した反帝国組織が疎外された者を拾い上げた。地球教団もその一つだ。俺は地球教団の地下教会の炊き出しで飢えを凌いだ。知り合いから「信徒になれば、ミサの後に振る舞われる食事にありつける」と聞いて入信した。彼らがいなければ餓死していただろう。

 

 俺はラインハルト帝やヤン・ウェンリーを英雄だと思っているが、彼らの敵を憎む義務まで負った覚えはない。地球教団のテロ対象は、ローエングラム朝やヤン・ウェンリー系勢力の上層部に限られており、一般市民を巻き込んだ無差別テロはやらなかった。サイオキシン麻薬疑惑にしても、根拠が教団と敵対するミンツやポプランら数名の証言のみだし、俺自身の経験からしても嘘だと思う。嫌う理由は一つも無い。

 

 地球教団を絶対悪のように言う者を見ると、不快な気分になったものだ。意地の悪い奴に「洗脳されている」と言われたこともあった。だが、残虐行為をやったわけでもなく、個人的な怨みもない相手を憎悪できる奴の方が、よほど洗脳されやすいのではないか。

 

 ラインハルトの家臣、ヤン・ウェンリーの部下などが地球教団を憎むのは、成り行きから言って無理もないと思う。しかし、そうでない者までが憎むのは理解できない。俺は逃亡者になって、エル・ファシルの件とまったく関係ない人間にまで叩かれまくった。その経験がこういった思考を形成したのだろうと思う。

 

 地球教団にはいろいろと思い入れがあった。しかし、いざ目の前に現れると心臓に良くない。あの貧しい時代を思い出すではないか。

 

「顔色が悪いですよ。どうかなさったんですか?」

 

 ビラをくれた女の子が俺を現実へと連れ戻した。

 

「あ、いや、何でもないです」

 

 謝った後、相手を観察した。年齢は一〇代後半だろうか。目がぱっちりとして顔立ちは可愛らしいが、化粧っけがまったく無い。やや癖のある赤毛はぼさぼさだ。よれよれのTシャツの上に、「地球に帰ろう、人類は一つ」と書かれたたすきをかけていた。下半身は色あせたデニムに、学校の上履きみたいな形をした汚れた靴。良く言えば清貧、悪く言えばみすぼらしい。

 

「それならいいんですが」

 

 女の子はとても心配そうに俺の顔を覗き込み、ぱっと目を見開いた。

 

「もしかして、エリヤ・フィリップス大佐ですか!?」

「ええ、そうですが」

「私、エル・ファシル出身なんですよ! こんなところでエル・ファシルの英雄にお会いできるなんて! すごく嬉しいです!」

「あ、ありがとう……」

 

 俺は言葉に詰まった。自分が作られた英雄に過ぎないと知っているからだ。

 

「きっと、大地神テラの思し召しですね! 奉仕活動を頑張って良かったです!」

「そうか……」

「教団のおかげで路頭に迷わずに済みました。そして、英雄にお会いできたんです。信仰の力は凄いですよ!」

 

 女の子の言うことに少し引っかかりを感じた。辺境で唯一繁栄しているエル・ファシルで路頭に迷うというのが信じられない。しかし、前の世界のこともある。取りあえず調子を合わせた。

 

「それは大変だったね」

「疎開から戻ってきたら、家は焼けてて、役所勤めの父と母は解雇。どうしようもなくて、家族全員でシャンプールまで出てきたんです」

「エル・ファシルなら仕事はいくらでもあるんじゃないか?」

 

 俺は優しげな声色を保ちながら問う。確かにエル・ファシルの失業率は上がった。だが、それは元公務員が仕事を選り好みしているせいではないか。

 

「時給五ディナールのパートならいくらでもあります。でも、それじゃ生活できませんから」

「五ディナール?」

「エル・ファシルでは最低賃金が決まってないですから」

「ああ、そう言えばそうだった」

 

 頭の中で「君の両親が無能なだけじゃないか」と突っ込みを入れた。エル・ファシルには最低賃金は無いが、上限賃金も無い。豊かになりたければ努力しろ。チャンスこそが唯一最大の保障。それが今のエル・ファシルのルールである。

 

 確かにエル・ファシルの星民平均所得は激減した。数字だけなら最貧惑星と言っていい。ブーブリル上院議員らエル・ファシル反改革派は、これを根拠に「改革は失敗した」と主張した。一方、改革派の顧問を務める経済学者は、「不当な利得を貪っていた公務員と利権企業従業員が消えたせいで、見かけの所得が落ちたに過ぎない。真の所得は四五・三七九パーセントも増えた」と反論する。どちらに説得力があるかは言うまでもないだろう。

 

「小麦畑もチーク林も焼けちゃったし、役所もどんどんリストラしてるし、復興工事も全然やらないし。本当にどうしようもないんです」

「苦労したんだね」

「今は教会に住ませてもらってるんです。こちらは本当に過ごしやすいですよ。パートの時給がエル・ファシルよりずっと高いですから」

「そうか」

「普段は家族みんなでパートをして、時間が空いた時にこうして奉仕活動をしてるんです」

「…………」

 

 自分の中で何かが揺らぎ始めた。宇宙軍大佐の基本給は一か月四五四四ディナール。俺の場合はそれに各種手当、自由戦士勲章の年金が加わり、最終的には七〇〇〇ディナールを越える。そんな高給取りがパートで過ごす家族を見下す。自分の醜悪さに吐き気を覚えた。

 

 エル・ファシルが焦土となったのはこの目で見た。星民所得の低下、失業率の上昇も統計上の事実だ。それでも、政界や学界の良識派が「エル・ファシルは豊かになった」というからには、そうなんだろうと思った。しかし、それは改革派が一方的に流した情報だったのかもしれない。実際、俺は長いこと辺境の実情を知らなかった。

 

「すまなかった」

 

 深く頭を下げた。俺は「エル・ファシルの英雄」の虚名のおかげで高給取りになれた。それなのにまともに関心を払わなかった。エル・ファシルが繁栄しているのか荒廃しているのかは分からない。だが、自分の態度が無責任なのは事実だ。

 

「謝らないでください。フィリップス大佐はエル・ファシルのために戦って下さった方なんですから」

「あ、いや、それは……」

「エル・ファシルからやってきた信徒は、他にもたくさんいるんですよ。エル・ファシルの英雄がお越しになったら、みんなきっと喜びます。時間があったら来てくださいね」

 

 そう言うと、彼女は懐から別のビラを取り出した。慈愛に満ちた笑いを浮かべる総大主教シャルル二四世の写真、シャンプール東教会の住所と連絡先、ミサの案内などが載っていた。

 

「ありがとう。時間がある時に行ってみるよ」

「フィリップス大佐は忙しいですものね。時間がある時にお願いします」

「あ、ああ……」

 

 ここで俺の羞恥心は限界に達した。軽く頭を下げ、早足で逃げ出す。そして、タクシーをつかまえて乗り込んだ。

 

 

 

 一一月一四日、第一次隊の任務は終わった。第一三任務艦隊司令官はルグランジュ司令官から第八艦隊副司令官モシェ・フルダイ少将へと交代し、配下の部隊もハイネセンからやってきた第二次隊と入れ替わる。

 

 交代式を終えた後、俺は官舎に戻った。四か月を過ごしたこの部屋とも今夜限りでお別れだ。荷物をまとめた後、ハイネセンのダーシャ・ブレツェリ中佐に通信を入れた。

 

「本当に大変だった。おかげでマフィンを食べる量が倍増したよ」

「それ、ストレスが溜まった時の決まり文句だね」

 

 スクリーンの向こう側で、ダーシャがくすりと笑う。

 

「そうか?」

「そうだよ」

「まあ、いいや。これでハイネセンに帰れる。やっと君と会える」

「毎日、超高速通信で話してるじゃん」

「映像じゃ物足りないな。本人が目の前にいないと」

「私も」

 

 ダーシャと俺は顔を見合わせて笑う。この部屋から通信するのも今日で最後かと思うと、少し名残惜しい気持ちになる。

 

「そうそう、ハイネセンに帰ったら、思いっきり持ち上げられるよ。覚悟しといてね」

「持ち上げられる?」

「軍が英雄を欲しがってるから」

「ああ、そういうことか」

「英雄、おやすみ」

 

 不吉な一言とともにダーシャは通信を終え、シャンプールでの最後の一日も終わった。翌朝、俺たちはハイネセンへの帰路に就いた。

 

 帰りの船中では、思う存分羽根を伸ばした。早朝に起きてトレーニングルームに赴き、ルグランジュ司令官、エーリン参謀長らとともに鍛錬に励む。朝食の後は報告書の作成、そして勉強に取り組む。正午になったら士官食堂で昼食、午後からは再び仕事や勉強に精を出し、一七時になったら士官食堂で夕食をとる。その後は軽くトレーニングをして部屋に戻り、のんびりと過ごして二三時前後に寝る。

 

 ある日の昼下がりの士官食堂。ルグランジュ司令官がプリントアウトした電子新聞を広げてみせた。その新聞は歯の浮くような美辞麗句を並べ立てて、第一三任務艦隊の功績を褒め称える。

 

「副参謀長の恋人が言った通りだ。我々はどうやら英雄というものになったらしい」

「恋人じゃないですよ」

 

 すかさず反論したが、ルグランジュ司令官、エーリン参謀長、クィルター作戦部長、ディベッラ次席監察官らに聞き流された。

 

「おお、凄い名将がいるらしいですな。『ベルティーニ元帥の再来』だとか」

 

 クィルター作戦部長が、ルグランジュ少将について記された箇所を指差す。ベルティーニ元帥は、今から半世紀前に活躍した名将集団「七三〇年マフィア」の中で、最も勇猛かつ献身的な戦いぶりで知られた闘将だった。

 

「ふむ、フィリップ・ルグランジュとかいう奴は、なかなか大した提督らしいな。私もあやかりたいものだ」

 

 ルグランジュ司令官が真面目くさった顔で頷く。

 

「この記者、まったく勉強していませんね。提督の外見がいかついもんだから、七三〇年マフィアの中で一番いかついベルティーニ元帥に例えてるんでしょ。七三〇年マフィアに例えるなら、ファン元帥だと思うんですけどね」

 

 エーリン参謀長が不勉強な生徒を見るような目を新聞に向ける。ファン元帥は、七三〇年マフィアの中で最も手堅くて守勢に強い提督だ。確かにルグランジュ司令官と戦い方が似ている。

 

「ファン元帥か。あの人は性格がなあ……」

 

 ファン元帥は七三〇年マフィアの中で最も気難しい提督としても知られる。ルグランジュ司令官が嫌な顔をするのも当然といえば当然だ。

 

「そして、このソフィア・エーリンを七三〇年マフィアに例えると、ローザス元帥です」

「どちらかといえば、それはフィリップス副参謀長じゃないか?」

「ローザス元帥が二人いたっていいでしょう」

「ううむ……」

 

 正面から否定しないのがルグランジュ司令官の偉いところだ。ローザス元帥は、七三〇年マフィアの中で最も温厚で落ち着いた常識人。無駄に偉そうなエーリン参謀長とは正反対であろう。

 

「エーリン准将は自己分析だけは本当にできないんですな」

 

 みんなが言いたかったであろうことを、クィルター作戦部長が代弁する。

 

「そんなことはない。自分のことは自分が一番良く分かっている」

「自分の誕生日を間違えるような人が何をおっしゃいます。一度や二度じゃないでしょう? この間は……」

「しかし、フィリップス副参謀長は本当によく食べるな。息子にも見習わせたいものだ」

 

 思いっきりエーリン参謀長は話題を逸らす。俺はハンバーガーから口を離した。

 

「そんなことはありません。まだハンバーガー一個しか食べてないですから」

「それ、一ポンドバーガーじゃないか。半分食べても普通のハンバーガー五個分だ。その他にレタス一玉分のサラダ、大皿入りスープも食べているね」

「いつも通りです」

 

 こんな感じでルグランジュ司令官やその幕僚と話しながら食事を楽しむ。この四か月ですっかりルグランジュ・チームに馴染んでしまった。

 

「しかし、貴官を部下にしておけるのもあと少しと思うと、少し寂しいな。できることなら、この先も一緒に働きたいものだが」

 

 ルグランジュ司令官が寂しそうにはにかむ。

 

「もったいないお言葉です」

「貴官の識見と忠誠心は得難いものだ。次の機会があったらよろしく頼む」

「もったいないお言葉です」

「次と言ってもだいぶ先だろうがな。帝国はあんな状況だ。ティアマトの傷が癒えるまではこちらからも仕掛けられんだろう」

「そうですよね」

 

 俺は相槌を打った。ルグランジュ司令官の個人的な考えではなく、同盟国内での一般的な認識だったからだ。

 

 この二週間、帝国のフリードリヒ帝とルートヴィヒ皇太子の動静が一切伝わってこない。二人揃って病気で寝込むなんてこともないだろう。また、皇帝の叔父にあたるジギスムント大公が「帝国摂政」の肩書きで報じられた。皇帝と皇太子が同時に動けなくなる事態が起きたと見られる。

 

 帝国情勢の専門家は、動静が途絶えた翌日にクロプシュトック侯爵の討伐命令が出た事実に注目した。討伐理由は「大逆罪」で、四親等以内の親族全員が死刑判決を受けた。前例と比較すると、これほど重い連座は皇帝を殺害した者のみに適用される。こうしたことから、クロプシュトック侯爵が皇帝と皇太子を殺害したとの説が有力だ。

 

 大きな内乱が起きたとする説もある。討伐軍の総司令官は摂政ジギスムント大公だが、九〇歳と年老いており、政治力も乏しい。副司令官のブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵が事実上の総司令官を務める。この二人は帝国最大の貴族だ。単なる内乱ならどちらか片方を投入するだけで事足りる。帝国を二分するような大乱でもなければ、こんなに大規模な討伐軍は編成されないだろうというわけだ。

 

「最低でも半年は平和だ。時間はたっぷりある。のんびり考えておいてくれ」

「はい」

 

 俺はルグランジュ司令官と握手を交わした。大きくて分厚い手から温もりが伝わってくる。このチームでずっと働くのもありかなと思うが、小心なドーソン中将は放っておけない。次の上官と任務に思いを馳せながら、食後のデザートを平らげる。

 

 それにしても、前の世界と展開が全然違う。エル・ファシルは焼け野原になってから復興した。戦下手と言われたドーソン中将は名将だ。皇太子は宰相になったがロボス元帥に負けた。ヤン・ウェンリーは望み通り歴史関連の仕事に就いている。

 

 一体どこに転換点があったんだろう? 七年前にエル・ファシルに降り立ってから今日までのことを反芻する。

 

「なるほど、エル・ファシルか。転換点はアマラ・ムルティだ」

 

 同盟地上軍随一の勇者にして美人であるアマラ・ムルティ地上軍大尉。三年前のエル・ファシル攻防戦で知られるようになり、今ではアイドル女優並みの人気を誇る。かくいう俺も以前は彼女の写真を携帯端末の待ち受け画像に使ったものだ。エル・ファシルの申し子ともいうべき彼女こそが転換点に違いない。

 

「だからどうだってこともないんだけどな」

 

 世界がどうこうなんて話は手に余る。目の前の仕事を必死でこなし、好きな人に評価してもらえたらそれでいい。

 

 一二月八日、第一次隊は惑星ハイネセンに到着した。同盟国旗、勇ましい言葉が記されたプラカードなどを持った群衆が宇宙港の到着ロビーを埋め尽くす。儀仗兵や軍楽隊までいた。

 

「副参謀長、貴官が七年前にエル・ファシルから戻った時もこんな感じだったのか?」

 

 ルグランジュ司令官が小声で問う。

 

「だいたいこんな感じでした」

「逃げる方法は?」

「一〇〇倍の大軍に囲まれて逃げられますか?」

 

 俺がそう答えると、ルグランジュ司令官の逞しい肩ががっくりと落ちる。こうして第一三任務艦隊の戦いはひとまず終わったのであった。


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