銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第40話:統率に王道なし 796年2月~4月5日 第八一一独立任務戦隊司令部~タジュラ星系

 第八一一独立任務戦隊が最も必要とするのは好待遇だ。新任の後方幕僚ノーマン少佐には、食事の改善、間食の支給、兵舎の修理などを手配させた。司令部付士官から後方幕僚に移ったオズデミル大尉には、超過勤務手当の支払い手続きを実施させた。また、アンケートを取ったり、兵舎に足を運んだりして、隊員の要望を取り入れる。

 

「こんなものが不足するなんて予想外だよ」

 

 第三任務群司令代行アーロン・ビューフォート中佐にアンケート用紙の束を見せた。トイレットペーパー、石鹸、掃除用洗剤、印刷用インク、コピー用紙などの補充を求める声が大量に寄せられている。

 

「消耗品は真っ先に経費節減の対象になりますからな」

「全然知らなかった。これまで所属した部隊では不自由しなかったから」

「ハイネセンの部隊は金持ちですからなあ。第一艦隊では、ダストシュートを漁っただけでじゃがいもが何十キロも出てきたとか」

「正規艦隊には大雑把な人が多くてね。残飯が毎年何千トンも出る。だから、ドーソン提督みたいな人がきっちり引き締めないと駄目なんだ」

 

 恩師のためにあらかじめ予防線を張る。第三次ティアマト会戦以降、じゃがいも漁りは美談扱いされるようになったが、嘲笑する声も一部では根強い。

 

「前の勤務地ではじゃがいもの皮が良く出てきました。醤油と砂糖で甘辛く煮ると、なかなかの美味でして」

「じゃがいもの皮……?」

「第一艦隊の件を笑い話にできる連中がいるそうですな。なんとも羨ましい。本当に本当に羨ましい」

 

 ビューフォート中佐の口元は笑っていたが、目はまったく笑っていない。俺は慌てて携帯端末を取り出した。

 

「後方主任、消耗品を今すぐ調達してくれ! 全項目、要求量の倍だ! 金に糸目を付けるな!」

 

 二日後、第八一一独立任務戦隊に属する全部隊の倉庫が消耗品で満たされた。このようにして隊員の待遇は改善されていったのである。

 

 規律の向上にも力を入れた。風紀の取締りを強化し、摘発実績が優秀な者に高い評価を与え、違反行為を隠蔽した者に罰を与える。私的制裁、パワハラ、セクハラ、麻薬犯罪については、匿名での密告を受け付けて、相互監視の網を張り巡らせた。

 

「ノルマは設定しないのですか?」

 

 ビューフォート中佐が不思議そうな顔をする。

 

「憲兵としての経験から言うと、ノルマ主義はまずい。摘発実績欲しさに暴走する者が出てくる」

「なるほど。さすがは元憲兵。取り締まる側の心理を心得ていらっしゃる」

「点数稼ぎは規律を乱す。本末転倒だよ」

 

 憲兵司令部やヴァンフリート四=二基地憲兵隊での経験が大いに役立った。無断欠勤・遅刻の件数が減少。部隊長が事件を揉み消すこともない。隊員の表情は引き締まり、服装は整い、軍人らしく見えるようになった。

 

 隊員のメンタルにも気を使う必要がある。軍務の重圧、過労、人間関係、戦場の緊張感など、軍人が感じるストレスは多種多様だ。アルコール依存、ギャンブル狂い、麻薬中毒、多重債務、私的制裁といった問題もストレスが引き金となる。

 

 国防委員会衛生部によると、精神疾患で休職・退職した将兵は、対帝国戦争で死傷した将兵の二倍以上にのぼる。精神疾患はある意味帝国軍よりずっと恐ろしい敵なのだ。

 

 初代皇帝ルドルフが精神疾患を「甘え」と断じ、精神病者を「劣悪遺伝子排除法」の対象とした結果、帝国の精神医学からメンタルケアの概念が失われた。軍隊でもメンタルケアはまったく行われていない。

 

 一方、銀河連邦の精神医学をロストコロニーから手に入れた同盟は、メンタルケアに対する関心が強い。同盟軍の指揮官や人事管理担当者はメンタルケアに関わる研修を受け、専属の精神科医や臨床心理士が治療にあたる。従軍司祭は医学と異なるアプローチで心の問題に取り組む。治療支援制度も用意されている。

 

 しかしながら、「自由・自主・自律・自尊」の精神を重んじる同盟では、メンタルの問題を自分一人の問題と捉える傾向がある。昇給や昇進が不利になるのではないかという不安から、病気を隠そうとするケースも多い。こういったことから、せっかくの制度もあまり活用されなかった。

 

 制度を安心して利用できる雰囲気を作ることから始めた。相談の事実を人事に反映させないことを明示。匿名で利用できるメール相談窓口も作る。精神科医、臨床心理士、従軍司祭との連携体制も整えた。メンタルと関わりの深い借金問題に関しては、統合任務部隊法務部にはたらきかけ、法務士官による相談窓口を作ってもらった。

 

「本当に細かいことに気が回る。司令というよりは最先任下士官のようですな」

 

 ビューフォート中佐が好奇の眼差しを俺に向ける。

 

「兵役あがりだからね。兵士のことは良く知ってる」

 

 口先ではこう言ったが、実時間で六八年前の兵役経験なんてとっくに忘れてる。メンタルケアへの意識は、前の人生でアルコール中毒や麻薬中毒の治療を受けた経験から培われた。

 

 一朝一夕に結果が出るような問題ではない。それでも、制度を活用する者の数は少しずつ増えてきた。いずれ実を結ぶだろうと思う。

 

 隊員の物質的・精神的充足を図ると同時に、練度向上に取り組む。指揮官の指導力は、有事においては武勲の質と量、平時においては部隊の練度という形で示される。数年に一度改訂される訓練マニュアルを参照すれば、誰でも一通りの指導はできるようになっているが、それだけでは練度は向上しない。マニュアル化されているからこそ、指導力の差が露骨に現れる。

 

 古代アメリカの名将パットンが「半リットルの汗は五リットルの血を節約する」と言った通り、訓練の厳しさと練度の伸びは比例する。だが、厳しいだけでは集中力が続かない。適度な休息や褒美を与えるのも大事だ。

 

 俺は部隊を訓練した経験がない。経験豊かなビューフォート中佐からアドバイスを受けつつ、飴と鞭のバランスを調整していった。

 

 予算の額も訓練の成果を大きく左右する。シミュレーターを使えば金をかけずに精鋭を作れると信じているのは、財政委員会くらいのものだろう。やはり実際に兵器を動かさないと練度は上がらない。褒美として与える賞与や加給品、安全対策などにも金がかかる。

 

 俺は指導経験の少なさを金で補った。所属艦艇の近代化改修が終わるまでは、体力や精神力の錬成、座学による知識の習得、シミュレーターでの訓練など、個人的な技量の向上に務める。ある程度の艦艇が近代化改修が済ませてからは運用訓練も行う。よその部隊から使っていない装備を借りることもあった。第八一一独立任務戦隊の訓練時間は飛躍的に伸びた。

 

 むろん、隊員の意欲を維持するためにも金を使う。ある日、講堂に集まった一万人近い隊員の前で、俺は賞状を読み上げた。

 

「通信部門成績最優秀者 宇宙軍一等兵 ソフィア・ロペラ君

 

 貴官が八月期の通信訓練において示した成績は、部隊の模範とするに足るものである。

 賞与金ならびに休暇を贈り、これを表彰する

 

 エル・ファシル方面軍 第八一一独立任務戦隊司令 宇宙軍代将 エリヤ・フィリップス」

 

 ロペラ上等兵に賞状を手渡し、精一杯の笑顔で笑いかける。

 

「良く頑張りましたね。現在は第一級航宙通信士の試験に取り組まれていると聞きました。あなたならきっとできると信じています。頑張ってください」

 

 俺とロペラ一等兵が握手をかわすと、一斉に拍手が起きる。それから、最優秀部隊と最優秀艦の表彰も行った。表彰式の最後には、同盟国歌「自由の旗、自由の民」を全員で合唱し、最後に「民主主義万歳! 自由惑星同盟万歳!」を叫んだ。

 

 こういった演出によって、隊員の中に被表彰者に対する憧れが生まれる。各部門の最優秀者には賞与と休暇、最優秀部隊と最優秀艦には休暇及び酒・デザート等の加給品が与えられた。

 

 目配りも大事だ。最優秀ではないが成績優秀な者の勤務評価を良くする。頻繁に部隊を視察して回り、向上した者を皆の前で賞賛し、伸び悩んだ者を励まし、隊員一人一人に「司令は君たちの頑張りを見ているぞ」というメッセージを送る。結果を褒められるより、努力を褒められる方が人は喜ぶ。

 

 着任から二か月が過ぎ、すべての艦艇が近代化改修を終えた頃、第八一一独立任務戦隊はようやく戦える組織になった。

 

 

 

 主戦派イコール精神主義とのイメージが強い。だが、主戦派にも様々な系統があり、統一正義党など全体主義者は精神、国民平和会議(NPC)主流派など中道保守は機動力、トリューニヒト派など大衆主義者は物量を重視する。

 

 ヨブ・トリューニヒト国防委員長が提唱する「トリューニヒト・ドクトリン」は、圧倒的な戦力と豊かな兵站を基盤とし、物量で敵を押し潰すことを目指すものだ。

 

 トリューニヒト派にとって、エル・ファシル海賊討伐はトリューニヒト・ドクトリンの優位を示す機会であり、決して負けられない戦いである。

 

 莫大な予算を与えられたエル・ファシル方面軍は、物量の充実に務めた。隊員の待遇を改善し、装備を新しいものと取り替え、定員割れを解消し、金のかかる訓練を増やし、戦力を向上させた。既存の基地を拡大し、新しい基地を作り、それぞれに軍需物資を集積し、兵站を強化した。通信基地を増設し、監視衛星を配備し、強力な情報網を張り巡らせた。

 

 どの部隊も二か月前とは見違えるほどに強くなった。特に注目されたのが第八一一独立任務戦隊だ。右派マスコミから「トリューニヒト・ドクトリンの優等生」と賞賛され、「第八一一独立任務戦隊の六二日――英雄がすべてを変えた」なんて題名のドキュメンタリーも作られた。

 

 言うまでもないことではあるが、これはトリューニヒト委員長の仕掛けである。

 

「身も蓋もない言い方をすれば時間稼ぎだね。一日でも海賊を滅ぼしてほしいというのが市民の願いだ。二か月も準備にかけたら、何をグズグズしているかと思うだろう。戦ってはいないが頑張っている。そう示す必要があるのだよ」

 

 第八一一独立任務戦隊を持ち上げる理由について、トリューニヒト委員長はこのように説明してくれた。

 

「承知いたしました」

「エリヤ君には苦労をかける。すべてが終わったら厚く報いよう」

「もったいないお言葉です」

 

 俺はひたすら恐縮した。実のところ、同程度の成果をあげた指揮官は五、六人ほどいる。自分一人だけ持ち上げられるのは心苦しいが、ここまで言われたらやる気になってくる。

 

 宣伝の結果、俺は「優れたリーダーシップの持ち主」との評判を得た。これまでに得た評判と合わせると、エリヤ・フィリップスは、軍人精神の塊であり、陸戦指揮官としても参謀としても優秀で、部隊運営能力も抜群なスーパー軍人ということになる。

 

「かわいさも抜群だよ」

 

 左隣からそんな声が飛んできたが、聞かなかったことにする。

 

「無視しないでよ」

 

 ダーシャ・ブレツェリ中佐がふくれっ面でこちらを睨む。

 

「ああ、悪かった悪かった」

「全然悪いと思ってないでしょ」

「思ってるから」

 

 売り言葉に買い言葉。一〇分ほど愚にもつかない言い争いが続く。気づいた時には、ダーシャが右手にスプーンを持ち、大きく開かれた俺の口の中にアイスクリームをねじ込んでいたのだった。

 

 我ながら情けないほどに弱い。だが、こんなことができるのも今日いっぱいだ。明日から護衛が二四時間体制で着く。ダーシャの官舎にもおいそれと遊びに行けなくなる。

 

 エル・ファシルには、改革派と反改革派以外に、エル・ファシル人の権利擁護、同盟脱退などを唱えるエル・ファシル民族主義者がいる。星系議会や惑星議会では一定の議席を確保するなど侮りがたい勢力を持つ。その中で最も過激な「エル・ファシル解放運動(ELN)」が俺に対する殺害予告を出した。

 

 俺と同時に殺害予告を受けた方面軍幹部は一二人いる。そのうち、第九〇八独立陸戦師団長ケタリング宇宙軍代将が予告から一八時間後に殺害された。そういうわけで予告を受けた者はすべて要人警護対象者に指定され、俺の側にも護衛が付けられたのである。

 

 自分が狙われた理由は想像がつく。「エル・ファシルの英雄」という虚名のせいだ。本当のエル・ファシルの英雄であるヤン・ウェンリー准将も殺害予告を受けた。

 

「英雄って呼ばれるのもあまりいいもんじゃないよ」

 

 ルチエ・ハッセル軍曹に道端で会った時、そんな愚痴をこぼした。

 

「フィリップス代将閣下は英雄って柄じゃないですからねー」

「そうなんだよ。分かってくれるのは君だけだ」

 

 ハッセル軍曹は英雄になる前の俺を知る数少ない人物だ。ダーシャやクリスチアン中佐とは違った意味で安心できた。

 

 その次の日、有名にならなければ良かったと思いたくなる出来事が起きた。第一任務群司令アントネスク大佐に紹介された人物が厄介事を持ち込んできたのである。

 

「つまり、貴官はトリューニヒト委員長を紹介して欲しいというのか?」

「はい。上官が頼りないもので」

 

 ロビンソン大佐は上官のヤン・ウェンリー准将に不満を持っていた。予算を取ってくれたり、偉い人を紹介してくれたりといったことを期待していたのに、一向に応えてくれないというのだ。

 

 ヤン准将は名目の上ではエル・ファシル軍の副司令官だが、実質的には後方支援部隊の半数を管理するだけに留まる。おおっぴらに居眠りや読書を楽しみつつも、仕事を簡略化し、無駄な経費を省き、残業や休日出勤を固く禁じたため、部下からは「楽をさせてくれる上官だ」と好評だ。しかし、一部には楽をさせてくれる上官より、予算やコネに繋がる上官を求める者もいるらしい。

 

「言いたいことは分かった。だが、それではヤン副司令官がいい顔をしないだろう」

「だからこそフィリップス司令のもとにお伺いしたのです」

「どういうことだ?」

「フィリップス司令がバックにいれば、事を構えることになっても安心ですから」

「事を構えるだって!?」

 

 驚きすぎて息が止まりそうになった。

 

「委員長を紹介していただくというのはそういうことでしょう」

「それはそうだけどね……」

 

 トリューニヒト委員長への紹介とは、つまりトリューニヒト派入りの仲介だ。ロビンソン大佐がトリューニヒト派入りしたら、清廉なヤン准将は不快に思うだろうし、ヤン路線を支持する同僚も怒るだろう。

 

 これまでも俺の周りにはヤン准将と不仲な人が多かった。しかし、この件は次元が違う。完全に政治的な問題だ。

 

 返事を保留してロビンソン大佐を帰らせた後、どうすればいいのかを考えた。トリューニヒト委員長を紹介したら、あの天才を敵に回すことになる。しかし、トリューニヒト委員長を頼ってきた人を拒むのも道義に反する。どちらも気の進まない選択だ。

 

 悩んだ末に士官学校教官チュン・ウー・チェン大佐に通信を入れた。彼はヤン人脈とも反ヤン派とも付き合いが薄い。客観的な判断が期待できる。

 

「――というわけなんです。どうしましょうか?」

「紹介したらいいんじゃないかなあ」

 

 チュン・ウー・チェン大佐は即答した。

 

「そうしたらヤン提督と敵対することになりますよ」

「どのみち君は彼と合わないよ。いずれ敵になる。君と彼が望まなくても周囲がそう望むね」

「俺たちはそう見られてたんですか?」

「君はトリューニヒト委員長の秘蔵っ子、ヤンはシトレ元帥の愛弟子。君は秩序と規律の申し子、ヤンはあらゆる枠にはまらない男。君は体育会系、ヤンは学者肌。君の周囲には優等生が多く、ヤンの周囲にはアウトサイダーが多い。反発し合う要素しかないじゃないか」

「おっしゃるとおりです」

 

 一つ一つ並べられると納得できる。人は違うからこそ分かり合えるというが、分かり合えない種類の違いもあるのだ。

 

「いっそ敵対した方が安定すると思うけどね」

「どういう意味でしょう?」

「同じ陣営にいたら反発し合う相手でも、違う陣営なら距離を取れる。それに君もヤンも相手を滅ぼすまで追い詰めるようなタイプじゃない。敵同士の方が妥協の余地はあるのさ」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 目からウロコがぼろぼろと落ちた。敵になったらおしまいだと思っていた。だが、敵だからこそ成り立つ妥協もあると、チュン・ウー・チェン大佐は言う。

 

 通信終了後、俺はロビンソン大佐に通信を入れて、承諾の意を伝えた。そして、トリューニヒト委員長宛てにメールを送る。

 

 その翌日、トリューニヒト委員長はロビンソン大佐のもとに直接通信を入れて、希望額より三割多く出すと約束した。ロビンソン大佐は驚き喜び、ほんの一度の通信でトリューニヒト委員長に心酔したのである。

 

 何とも凄い人心掌握術だ。紹介者である俺もその余得にあずかった。「フィリップス代将は頼りがいのある人だ」との評判が鳴り響いたのである。

 

 

 

 四月一日、実戦形式の演習を終えた後、対戦相手の第八一三独立任務戦隊司令エスラ・アブジュ代将が首を傾げた。

 

「練度・戦意・規律はそっちの方がずっと上でしょ。なんでこんなにあっさり負けるの? 理解できないんだけど」

「俺にもわかりません」

「あの陽動は小手調べだったのよ。まさか戦力を三分するなんて思わなかった」

 

 アブジュ代将の顔に困惑の色が広がる。演習の目的は勝ち負けではなく、部隊の能力向上だ。自滅されると勝った側も困る。彼女のために予算を取らなかったら、困惑ではなく非難と直面したことだろう。

 

 他の戦隊司令との演習でもことごとく負けた。上陸戦を想定した演習を行った際に、陸戦隊指揮官や地上軍指揮官が率いる艦艇部隊と戦ったが、二回に一度しか勝てなかった。

 

 あまりの弱さに危機感を覚えた俺は、プライベートで戦略戦術シミュレーションを重ねて用兵を練習した。

 

 最も多く対戦したのはもちろんダーシャだ。「いつかアスターテで包囲殲滅戦をやりたい」が口癖の彼女と戦うと、いつの間にか包囲陣に引きずり込まれ、退路も完全に遮断され、徹底的に叩き潰される。

 

 ビューフォート中佐とも良く対戦した。専科学校出身で参謀経験のない彼は、戦場仕込みの判断力が持ち味だ。未熟な俺は翻弄されっぱなしであった。

 

 ハイネセンにいる友人知人とは通信対戦で戦った。ラインハルトには歯が立たないドーソン中将も俺より圧倒的に強い。ルグランジュ少将は用兵が下手だと言われるが、それは正規艦隊の基準であって、俺ごときは軽く一ひねりできる。チュン・ウー・チェン大佐とは怖くて戦わなかった。本当に下手くそなイレーシュ中佐やベイ大佐との対戦では、二回に一回は勝てたが、あまり自慢にはならない。

 

 サルディス星系にいるワイドボーン准将とも通信対戦で戦った。素早さと正確さを兼ね備えた用兵は、文字通り俺を粉砕した。

 

 第七方面軍司令官イーストン・ムーア中将がエル・ファシルに視察にやってきた時、対戦を申し込んだ。

 

「君相手でも手加減はせんぞ!」

 

 自信満々の顔のムーア中将がシミュレーターに座る。陸戦隊出身の軍人にも二タイプある。地上戦闘一筋のタイプ、地上部隊と宇宙部隊を組み合わせた統合作戦に長けたタイプだ。彼は後者に属する。分艦隊司令官や機動部隊司令官を経験したこともあった。

 

「お手柔らかにお願いします」

 

 俺は笑いながら頭を下げたが、内心では負ける気がしない。相手は前の世界のアスターテ会戦で惨敗して「素人以下の愚将」と酷評された人物。上陸戦はできても艦隊戦はできないだろう。付け入る隙はある。

 

 シミュレーションが始まって間もなく、ムーア中将は戦力を三分して分進合撃を開始する。どうやらアスターテの過ちを繰り返すつもりらしい。俺は戦力を集中して各個撃破を試みた。しかし、攻め切れないうちに他の二つの部隊がやってきて袋叩きにあう。

 

 一時間四〇分後、俺は敗北した。降伏ボタンを押そうとしたところで、流れ弾が旗艦に直撃するという最低の負け方だった。

 

「君が活躍したエル・ファシルやヴァンフリートは地上戦だったろう? 陸戦隊の方が向いとるんじゃないかね?」

 

 対戦終了後、食事の席で前の世界の愚将にそんな言葉をかけられた。考えてみると、まったく艦隊戦ができないなら、前の世界で正規艦隊司令官になれないはずだ。選ぶ側も恥をかくのは嫌だろう。

 

「……考えておきます」

 

 俺は蚊の泣くような声で答え、陸戦隊名物のカツレツを頬張る。こんな時なのに天然肉がうまかった。

 

 なぜこんなに用兵が下手くそなのだろう? 自問自答するまでもなく、いろんな人が答えを教えてくれた。

 

「古代の孫子って軍事学者が『思いやりのある指揮官は心配事が絶えない』って言っててね。エリヤの細かい性格は、気配りにも気疲れにもなるの。敵の動きにいちいち反応してたらもたないよ」

 

 俺の管理者としての長所と用兵家としての欠点が表裏一体であると、ダーシャは指摘した。

 

「フィリップス代将は単純すぎるんだ。何を考えてるか丸分かりなのさ。人間としちゃあ付き合いやすいけど、用兵家としてはまずいぜ」

 

 ワイドボーン准将にそう言われると、納得していいのか悪いのか微妙な気持ちになる。

 

「あなたの判断が遅い理由は二つ。一つは頭の回転が遅い。もう一つは気が小さい。どちらも経験を積んだらある程度は改善できます。経験というよりは自信でしょうか。自信が付けば、あれこれ悩まずとも感覚で判断できるようになるでしょう。とにかく勝つことです。勝利は人を強くします」

 

 ビューフォート中佐は、俺の判断の遅さを改善する道を示してくれた。

 

「どうやって勝てばいいんだ?」

「パストーレ提督がうまいこと考えてくれますよ。あなたに武勲を立てさせたいでしょうから」

「そうだといいんだけどな」

 

 実を言うと、俺はパストーレ司令官の采配にあまり期待していない。前の世界ではムーア中将とともにアスターテの愚将として汚名を残した。聞くところによると、この世界では「戦力を揃えるのはうまいが、戦術は単調そのもの」という評価だそうだ。

 

「パストーレ提督は目端の利く人だ。トリューニヒト委員長側近とのパイプは大事にしたいはずです」

「そう見られてるのは分かってる。分かってるけど微妙な気分だね」

 

 エル・ファシル方面軍は潤沢な予算を与えられているが、俺はトリューニヒト委員長とのコネを使ってさらに多くの予算を取った。金とコネに頼ったやり方を嫌う人もいる。

 

「フェーガンなんか気にすることはないでしょうに」

「旗艦の艦長に白い目で見られるんだぞ? 気になってしょうがない」

 

 戦隊旗艦「グランド・カナル」の艦長フェーガン少佐が俺のやり方に反発していた。政治家との付き合いをやめ、簡略化と経費節減に務めろというのが彼の意見だ。同調者も無視できない程度には多い。

 

「あいつの望み通りになったら、今度は私があなたを白い目で見ることになりますがね」

 

 ビューフォート中佐の目つきが急に鋭くなる。

 

「そ、それは困る」

「私はつまらん男です。武勲がほしい。昇進したい。給料を上げたい。いいポストがほしい。勲章がほしい。予算がほしい。そんなことばかり考えとります。私の部下もそうです。偉くなりたい。金がほしい。そんなことばかり考えとるんです」

「そう思うのが普通だよ」

「地位はいらん、金もいらんなんて本気で言えるのは、フェーガンのような理想家か、黙っていても階級と給料が上がるエリートぐらいのものです。あなたはハイネセン勤めが長い。そういう連中の顔色が気になるのも無理はないでしょうが、私どもの顔色にも配慮いただけるとありがたいですな」

「すまなかった」

 

 俺は机に手をついて頭を下げた。自分が「黙っていても階級と給料が上がるエリート」そのものだと気づいたからだ。

 

「これまでの上官は、予算を取る力がないか、予算を減らして評判をあげようとする人ばかり。予算をたくさん取ってくれる指揮官はあなたが初めてだ。本当にありがたいと思っとります」

「俺はみんなの役に立っていると思っていいんだな」

「とても良い指揮官です。勝てるようになれば言うことはありません」

「武勲を稼ぎたいということか」

「私が中佐になったのは八年前。順当に行けば今年の末には大佐に昇進するでしょう。下士官あがりとしてはこれ以上望み得ない地位ですが、欲を言うなら代将になりたいですな。退役と同時に准将になれますから」

 

 ビューフォート中佐はありふれた夢を語る。退役当日に代将から准将に昇進した者は、俗に言う「名誉提督」で、現役で提督になった者より一段低く見られる。それでも提督と呼ばれたいと願うのが宇宙軍軍人なのだ。

 

「わかった。頑張ってみる」

 

 俺はにっこりと笑った。人には向き不向きがある。ヤン准将やフェーガン少佐のように清廉さで人を引きつける力はない。持っている能力を活かすのが最善の道だ。

 

 幹部候補生養成所で知った「統率に王道なし」という言葉の意味がようやく理解できたような気がする。クリーンなヤン准将のやり方を嫌うロビンソン大佐もいれば、金とコネにまみれた俺のやり方を嫌うフェーガン少佐もいるのだから。

 

 四月五日、エル・ファシル方面軍は作戦行動を開始した。第八一一独立任務戦隊はパストーレ司令官が直率する一三〇〇隻の部隊に加わり、タジュラ星系へと向かう。

 

 タジュラ星系とはエル・ファシル星系に隣接する無人星系だ。資源採掘施設のある第二惑星、同盟軍基地のある第七惑星と第一二惑星以外はすべて海賊の勢力圏だ。中央情報局の二重スパイ「パウロ」がもたらした情報によると、五大組織の一つ「ドラキュラ」の別働隊が第一〇惑星宙域にいるという。

 

 味方は一三〇〇隻、敵は四〇〇隻。戦力は圧倒的だ。全軍が必勝を期する中、初めての艦艇指揮を控えた俺は、気絶しそうな程に緊張していた。


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