銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第42話:エル・ファシル革命政府 796年7月7日~8日 ゲベル・バルカル第六惑星宙域~ワジハルファ第三惑星基地

 七月初め、中央情報局の二重スパイ「パウロ」が、五大海賊の一つである「ヴィリー・ヒルパート・グループ」の最高幹部会議が開かれる場所と日時を伝えてきた。

 

 エル・ファシル方面軍は色めき立った。この情報が事実ならば、ヴィリー・ヒルパート・グループの最高幹部を一網打尽にできる。エル・ファシル海賊最後の雄も瞬く間に壊滅するだろう。

 

 パウロが伝えてきた日時は七月七日。時間的猶予は少ない。最高幹部会議襲撃作戦の実施を巡って積極論者と慎重論者が激論を繰り広げた。

 

「パウロは最も貢献度の高い情報提供者だ。信頼できる」

「情報を精査する時間が無い。見送るべきだろう」

 

 こういった議論の結果、作戦実施が決定したのである。

 

 七月七日、エル・ファシル方面軍司令官パストーレ中将率いる司令官直轄部隊が、惑星エル・ファシルを出発し、第三〇一任務部隊を支援すべくトズール星系へと向かった。これが陽動なのは言うまでもない。本当の目的地は、「ゲベルバルカル六=二七」と呼ばれるゲベル・バルカル星系第六惑星の第二七衛星。ヴィリー・ヒルパート・グループの最高幹部会議が開かれる場所だ。

 

 司令官直轄部隊がゲベルバルカル六=二七を攻撃し、マクライアム少将が率いるエル・ファシル軍の半数、ラフォント准将率いるパランティア軍の三割が周辺を封鎖する。参加兵力は宇宙艦艇四〇〇〇隻、地上戦闘要員一三万人。エル・ファシル方面軍の過半数を動員した一大作戦だ。

 

 俺と第八一一独立任務戦隊は、司令官直轄部隊の一員としてゲベル・バルカル第六惑星宙域へと足を踏み入れた。無人星系に属する惑星の常として固有名詞を持たない第六惑星は、惑星ハイネセンの一〇倍を超える赤道半径を持つガス型惑星で、強力な重力場を持つ。その周囲を巨大な磁気圏と五七個の衛星が取り巻いており、恐ろしく航行が難しい。

 

 操艦経験が無い俺は、艦の重力制御が不安定になるたびに「重力場に絡め取られてしまう!」と恐れ、衛星に接近するたびに「衝突する!」と恐れ、計器が磁気の影響を受けるたびに「電子機器が使えなくなる」と恐れた。

 

「艦長、航行速度を落とした方がいいんじゃないか?」

「問題ありません」

 

 戦隊旗艦「グランド・カナル」の艦長フェーガン少佐は、まったく緊張する様子もなく操艦を続ける。

 

「作戦主任、もう少し各艦の間を広く取った方がいいんじゃないか?」

「まあ、大丈夫ですよ」

 

 作戦主任幕僚スラット中佐は淡々と部隊運用にあたる。各艦の動きにもまったく混乱は見られない。

 

 航宙能力と経験はほぼ比例する。普段は微妙な部下が、この宙域では経験豊かな軍艦乗りとしての本領を発揮した。小心者の司令が一人であたふたしている間、第八一一独立任務戦隊は一隻の落伍艦も出さずに航行を続ける。

 

「目標まで残り九〇万キロメートル。敵影は確認されていないが、油断は禁物である。周囲を警戒しつつ進め」

 

 パストーレ司令官からの指示が入ってきた。

 

「承知しました」

 

 敬礼した後、配下の群司令三名との間に回路を開き、司令官から与えられた指示を伝える。警戒を命じるだけなら誰でもできるが、それを末端まで徹底させるのは難しい。第八一一独立任務戦隊がこの五か月で積み重ねてきたものが問われる場面だ。

 

「隊員全員にマフィンとココアを支給するように」

 

 俺は糖分を補給するよう命じた。軍隊で人気のある嗜好品は、酒、煙草、甘味だ。酒や煙草は集中力を鈍らせるが、甘味は高めるという点において。理想的な嗜好品と言えよう。そこで甘味を全艦にたっぷり保存させた。勘違いしないでもらいたいが俺の好みとは関係ない。

 

「海賊だ!」

 

 幕僚の一人がメインスクリーンを指さす。そこに移っているのは数十隻の軌道戦闘艇。識別信号はパターンイエロー、所属不明だ。ヴィリー・ヒルパート・グループの一味に違いない。

 

「大した敵ではないですな」

 

 スラット作戦主任が軽くあくびをした。

 

「気を抜かないように」

 

 すぐさま釘を差す。緊張感を持続できないというのは、スラット作戦主任に限らず、第八一一独立任務戦隊に共通する通弊だった。意識が高まるまでにはまだまだ時間がかかる。

 

「戦闘準備!」

 

 指揮卓から立ち上がって戦闘準備を命じた瞬間、グランドカナルの艦体が大きく揺れた。

 

「遠方からの砲撃! 待ち伏せです!」

 

 オペレーターが叫ぶ。遠方から飛んできたビームが第八一一独立任務戦隊の艦列を貫く。数隻のミサイル戦闘艇が直撃を受けて爆発した。タイミングを合わせるかのように軌道戦闘艇が突入してくる。

 

「はめられた!」

「罠だったんだ!」

 

 司令室は騒然となった。

 

「うろたえるな! 敵は少数だ! 落ち着いて対処しろ!」

 

 一番うろたえている俺が怒鳴るように言う。ヴィリー・ヒルパート・グループの全軍が結集していたとしても四〇〇隻程度。司令官直轄部隊は一四〇〇隻。こちらが圧倒的だ。

 

「違います、多数です!」

 

 一〇〇〇を軽く超える数の光点がレーダーに現れた。しかも、秒を追うごとに増えていく。

 

「一体どこに隠れていたんだ!?」

「衛星から出てきたと思われます!」

「そんなわけはないだろう!? どこにも敵は見当たらなかったぞ!」

 

 この宙域は見通しの悪い地勢だ。敵が待ち伏せを仕掛けてくるだろうと予想して、徹底的に探らせた。だが、衛星の地表や裏側にも敵はいなかった。

 

「この周辺の衛星は……海を……持っています……。動力を止めて……海中に……潜んでいたのでしょう……」

 

 司令部付士官のコレット中尉がぼそぼそと答える。

 

「そうか海か。しかし、一〇〇〇以上なんて間違いだろ? 全軍合わせてもせいぜい四〇〇じゃないか!?」

 

 どれほど叫んでも、現実は俺の先入観を肯定してくれなかった。衛星の海から次々と敵が飛び出す。レーダーの光点は二〇〇〇を超えた。

 

 上下左右前後から敵が押し寄せてくる。武装高速艇と軌道戦闘艇がまとわりつき、ミサイル戦闘艇がミサイルを飛ばし、駆逐艦が対空砲からウラン二三八弾を乱射し、砲艦と巡航艦がビーム砲を放つ。味方艦はみるみるうちに打ち減らされていく。

 

「司令、一体どうすれば……」

 

 スラット作戦主任の縋るような声が俺を現実に引き戻した。メイヤー情報主任、ノーマン後方主任、オズデミル人事主任、フェーガン艦長、その他の部下の視線がすべて俺に集まる。

 

「ご指示をお願いします!」

 

 指揮卓の通信画面には、オルソン副司令、第一群のアントネスク司令、第二群のタンムサーレ司令、第三任務群のビューフォート司令代行の顔が並ぶ。

 

「…………」

 

 俺は言葉に詰まった。これから語る言葉が第八一一独立任務戦隊の部隊の命運を決める。その重圧が舌に重くのしかかった。

 

 ふと、七年前のことを思い出す。あの時の俺は、三〇〇万人の市民に向けて「無事に帰れる」と断言したことで、英雄と呼ばれるようになった。その後も何度もメディアに登場してはきれい事を口にした。英雄らしい振る舞いがすっかり板についた。

 

 深呼吸をする。背筋を伸ばす。胸を張る。表情を引き締める。用意は万端だ。マイクをしっかりと握りしめた。

 

「第八一一独立任務戦隊の戦友諸君。これまでの戦いを思い出してもらいたい。諸君は向かう所敵なしだった。諸君の名は敵を震え上がらせてきた。敵は諸君を恐れている」

 

 穏やかな声色でゆっくりと語りかけた。不安で心臓が高鳴る。腹がきゅっと痛み出す。背中は汗でびっしょり濡れていて、体中が震えているが、顔には出さない。

 

「何人たりとも第八一一独立任務戦隊の行く手を阻むことはできない。いつもどおりに戦おう。私が諸君に求めるのはただ一つ。いつも通りに戦うことだけだ。生きるの死ぬも一緒だ。共に進もうではないか」

 

 我ながら偉そうなことを言うと思う。しかし、どうせ負けたらここで死に、大言壮語を責められることもない。ならば言った者勝ちだ。

 

「仰せのままに!」

 

 幕僚と部隊長が声を揃えて返事をする。心は一つになった。今度は方針を決める番だが、指示が来ないことには動きようがない。

 

「通信長、司令官からの通信はまだ入ってこないか?」

「入ってきておりません」

「妙だな。よし、こちらから通信を入れよう」

「通信が繋がりません」

「繋がらないだと?」

 

 一瞬大声をあげそうになったが、部下を動揺させてはまずいと思って抑制した。

 

「はい。強力な妨害電波が出ている様子もないのですが」

「まさか……」

 

 数分後、最悪の予想が的中した。マクライアム副司令官から通信が入り、「パストーレ司令官の旗艦が大爆発を起こして四散した」と伝えてきたのだ。また、ゲベル・バルカル星系全域の同盟軍が奇襲を受けたことも分かった。

 

「これより小官がエル・ファシル方面軍司令官代行を務める。第六惑星宙域の全艦は、戦術管制システムの『計画管理三九』を開くように」

「かしこまりました」

 

 戦術管制システムの「計画管理三九」を開く。端末画面に第六惑星宙域のマップ、そして現在位置から宙域の外へ脱出するための経路が浮かび上がる。

 

「諸君は第一惑星宙域から離脱せよ。我々が援護する」

 

 指示が出ると同時に、指揮端末の画面に第六惑星宙域周辺の宙図が浮かび上がった。マクライアム司令官代行率いるエル・ファシル軍主力が、一〇光秒(三〇〇万キロメートル)離れた地点まで来ている。

 

 これで方針は定まった。全力で第一惑星宙域から脱出し、エル・ファシル軍主力との合流を目指す。もう迷いはない。

 

「全艦、戦術管制システムの『計画管理三九』を開け! フォーメーションはD! 第一惑星宙域を全力で突破する!」

 

 あえて「離脱」でなく「突破」と言う。俺は撤退戦の用兵なんて知らない。それに突撃慣れした部下に対しては、こう言った方が平常心を保てるだろう。

 

 第八一一独立任務戦隊一八一隻は、ウラン二三八弾とミサイルの雨をくぐり、衛星の影から現れた戦闘艇を振り払い、ひたすら前方へと突き進む。密集する衛星と強力な重力場が回避行動を阻害する。攻撃のまっただ中を力ずくで突っ切る形となり、ほんの一時間で三五隻を失った。

 

 他の味方も第八一一独立任務戦隊に負けず劣らず苦戦している。司令官直轄部隊はもちろん、救援に来たエル・ファシル軍も戦闘艇の肉薄攻撃で大損害を受けた。

 

「第三四一任務戦隊旗艦フェアウェザー撃沈! アラビ司令の生死は確認できず!」

「第八一二独立任務戦隊より通信! 至急来援を請うとのこと!」

 

 オペレーターは絶え間なく味方の苦境を伝える。味方からの通信を遮断したい衝動に駆られる。

 

「エル・ファシル軍の旗艦ルーアンが衛星に衝突! 乗員は脱出できなかった模様!」

 

 その報は全軍を凍りつかせた。パストーレ司令官に次ぎ、マクライアム司令官代行まで戦死したのだ。

 

「第八一三独立任務戦隊のアブジュ司令、戦死!」

 

 今度は僚友の訃報。この短い時間でどれほどの味方が失われたのだろう? 想像するだけで寒気がする。

 

「明るい材料はないものか……。そうだ、ヤン・ウェンリーがいる!」

 

 惑星エル・ファシルで留守を守るエル・ファシル軍副司令官ヤン・ウェンリー准将。彼の存在こそ最後の希望だ。マイクを握り直した。

 

「我々は一秒ごとにエル・ファシルに近づいている! そこにいるのはヤン・ウェンリー提督! 八年前の輝かしい脱出作戦を指揮した天才がきっと助けに来てくれる! あと少しだ! 少しだけ頑張ってくれ!」

 

 天才ヤン・ウェンリーの名前を引き合いに出し、自分と部下を励ます。萎えかけていた戦意がやや持ち直す。エル・ファシルの英雄の名前は、八年が過ぎた今でも人々を奮い立たせる力を持っていた。

 

 奇襲を受けてから二時間が過ぎた。第八一一独立任務戦隊は、艦艇七六隻とタンムサーレ第二任務群司令を失いつつも、第六惑星宙域の外縁部まで到達した。

 

「前方に敵が出現! 駆逐艦四〇隻前後、砲艦一〇隻前後、戦闘艇一〇〇隻前後と思われます!」

 

 一五〇隻ほどの敵が前方に立ち塞がる。現在の第八一一独立任務戦隊は一〇五隻。戦力的には圧倒的に不利だ。

 

 グランド・カナルを先頭として縦陣を組み、突破を図ろうとした瞬間、何者かが強制的に通信回路に割り込んできた。同盟宇宙軍の制服とサングラスを着用した四〇代の男性がスクリーンに登場する。

 

「自由惑星同盟軍の諸君! お初にお目にかかる! 私はエル・ファシル革命軍のタウニー・オウルである! 革命軍宇宙艦隊五〇〇〇隻と二〇〇万の機雷がこの宙域を封鎖した! 脱出できる見込みなど万に一つもない! 即座に降伏せよ!」

 

 その通信はすべての者を混乱に陥れた。タウニー・オウル(モリフクロウ)ことイツァク・ゴーラン元宇宙軍大佐は、ガミ・ガミイ自由艦隊の幹部であり、この宙域にいるはずもない人物だ。それにエル・ファシル革命軍などという組織も初めて聞く。

 

 コンピューターの推定では、第一惑星宙域に展開する敵の総数は三〇〇〇を軽く超える。また、ゲベル・バルカル星系に展開する友軍も一斉に攻撃を受けており、相当数の敵部隊がいるのは間違いない。ここまで周到な敵ならば、機雷をばらまくぐらいはしてのけるだろう。タウニー・オウルの主張には現実味がある。

 

 頭の中がぐしゃぐしゃになった時、スクリーンに別の顔が現れた。

 

「私はエル・ファシル軍司令官代行のヤン准将だ。落ち着いて聞いて欲しい」

 

 ぼさぼさの黒い髪にぼんやりした童顔。普段は頼りなさげに見えるヤン・ウェンリー准将だが、今は何よりも頼もしい。

 

「敵はヴィリー・ヒルパート・グループとガミ・ガミイ自由艦隊の連合軍。群小組織を集めたところで五〇〇〇隻もの包囲部隊を用意するのは無理だ。数時間で二〇〇万の機雷を敷設なんて、正規艦隊の工作部隊だってできやしない。はったりに惑わされるな。目の前の敵に集中せよ。以上だ」

 

 どちらを信じるか、いやどちらを信じたいかは言うまでもない。

 

「そのまま突っ切るぞ!」

 

 旗艦グランド・カナルとビューフォート中佐の第三任務群が突破口を開き、アントネスク大佐の第一任務群、司令を失った第二任務群が後に続く。

 

「ここで弾を使いきっても構わない! 電磁砲とミサイルを一時方向に全力射撃! 敵の艦列を叩き破れ!」

 

 一時方向に攻撃を集中した。戦闘艇を中心とするタウニー・オウルの部隊は、格闘戦には有利だが、撃ち合いには不利だ。たちまちのうちに艦列に穴が空く。

 

「今だ! 全艦突撃!」

 

 すべての艦艇が一丸となって突入し、あっという間にタウニー・オウルを突破し、第六惑星宙域から脱け出す。後方からは戦闘艇を主力とする大部隊が追ってきた。

 

「敵の主力は戦闘艇だ! 小回りは利くが足は遅い! 速度を緩めなければ、追いつかれることはないぞ!」

 

 速度を落とさずに敵を振り切るよう命じた。宇宙船の速度は艦体の大きさ、すなわち推進力に使えるエネルギーの量と比例する。小さい船は短い距離を小刻みに動けるが、長距離を突っ切ることはできない。

 

 司令室の中をちらりと見回した。誰も俺のごまかしに気づいてないようだ。実のところ、敵が駆逐艦だけで追ってくる可能性もあるし、戦艦や巡航艦を差し向ける可能性だってある。しかし、マイナスの可能性を提示するのは避けたかった。俺は用兵が下手くそだ。勢いを失うわけにはいかない。

 

 幸いにも敵が戦艦や巡航艦を投入してくることはなかった。第八一一独立任務戦隊は、ヤン司令官代行の指示に従って、ワジハルファ星系第三惑星の宇宙軍基地を目指した。

 

 

 

 海賊を討伐するにあたって、同盟軍は幾つもの前線基地を設けた。ワジハルファ第三惑星基地もその一つだ。

 

「エネルギーはほとんど消耗していない。それに引き換え、ウラン砲弾とミサイルはほとんど残っていないのか」

 

 俺はコレット中尉が持ってきた報告書をチェックしていた。補給の手配に奔走するノーマン後方主任に代わり、司令部付士官に後方関連の事務を扱わせているのだ。

 

「みんなに甘味を食べさせてやってくれ。パンケーキがいいな。ホイップクリームをたっぷり乗せよう。飲み物はホットミルクがいい」

 

 隊員に甘味を与えるように指示を与えると、コレット中尉は小声でぼそぼそと返事をし、のろのろと歩いて行った。

 

 それにしても本当に不格好だ。俺より五歳も若いのに、明るさというものがまったくない。身長が俺より一〇センチほど高く、体は風船のように膨れていて、裏切り者の妹を思い出す。肌の色は病人のように青白い。伸ばしっぱなしの茶髪はぼさぼさ。頑張ってくれているのはわかるし、外見で人を判断するのが良くないとも思うのだが、それでも不快なものは不快だ。

 

「第三五一任務戦隊第二任務群第四任務隊です。当隊の入港を許可願います」

 

 付けっぱなしにさせていた通信回線から心地良い声が流れてきた。第四任務隊司令ダーシャ・ブレツェリ中佐である。あっという間に気分が上向いた。

 

「識別信号を確認した。入港を許可する」

 

 そう返事したのは俺ではなく基地管制官だ。こんなふうにゲベル・バルカルから逃れた味方が次々とワジハルファ第三惑星基地へと集まってきた。

 

 時間が経つにつれて到着する部隊の数が減り、二三時を過ぎた頃には新しく来る者はほとんどいなくなった。残りの者はゲベル・バルカルで戦死したか、捕らえられたか、あるいは別の星系に逃れたものと思われる。

 

 日付が変わって七月八日となった。ワジハルファ第三惑星基地に集結した残存戦力は、宇宙艦艇が一六四一隻、地上戦闘要員が五万五一七〇人。別の星系に逃れた者を差し引いても、途方も無い損害だ。

 

 死傷者に関する情報もまとまってきた。将官だけでも、方面軍司令官パストーレ中将、方面軍副司令官兼エル・ファシル軍マクライアム少将、パランティア軍副司令官ラフォント准将、第三〇四任務部隊司令官ブローベル准将が戦死。第三〇二任務部隊司令官ケサダ准将は意識不明の重体。第四五一地上作戦軍団司令官バンコレ准将と第三〇三任務部隊司令官トレスラー准将は重傷だ。これだけの将官が一日で死傷するなど、対帝国戦でも滅多に無い。代将以下の死傷者は数えきれなかった。

 

 八日の午前二時、ヤン司令官代行が二〇〇隻を率いてワジハルファ第三惑星に入り、残存勢力を掌握した。

 

 三時から会議が始まった。出席者はヤン司令官代行の他、俺を含む宇宙軍代将一〇名、地上軍代将七名、そして第三惑星基地司令。健在な者の中で最も階級が高い面子だ。

 

 ヤン司令官代行は出席者全員の顔を軽く見回した後、おもむろに口を開いた。

 

「トズール星系の第三〇一任務部隊が壊滅した」

 

 会議室は騒然となった。これでエル・ファシル方面軍の艦隊主力である五個任務部隊がすべて壊滅したことになる。作戦行動の継続は事実上不可能となった。

 

「どういたししましょうか?」

 

 最年長者の第三二二任務戦隊司令メイスフィールド代将が一同を代表する形で質問する。

 

「エル・ファシル星系に引き上げる」

 

 ヤン司令官代行は実にあっさりした口調で答えた。

 

「引き上げるんですか?」

「そうだよ。この基地だけじゃない。すべての前線基地から撤収し、エル・ファシルに全軍を集める」

「海賊に基地を明け渡すと?」

「この戦力じゃ維持できないからね」

「それはわかりました。しかし、エル・ファシルに引き上げることはないでしょう。せめてディレダワとネファジットの線は確保しないと」

「それじゃ戦力の分散になる。何が何でも死守するような場所でもない」

「我々が血を流して勝ち取った場所がですか? それは聞き捨てなりませんな」

 

 メイスフィールド代将が不快そうに眉を動かす。

 

「エル・ファシルには市民が住んでいる。政治と経済の中心地で、最大の兵站拠点だ。それに勝る戦略的価値はないよ」

「それを守るためにも前進拠点が必要でしょう」

「我が軍の兵力は少ないんだ。各個撃破の危険は避けたい」

「片方が持ちこたえている間に、もう片方が救援すればいいだけのこと」

「持ちこたえられなかったらどうするんだい? 最初からひとかたまりなら救援する手間が省けるだろうに」

「司令官代行は我々の力を信じておられないのですかな?」

「信じているさ。幻想を持っていないだけでね」

 

 ヤン司令官代行は悠然と答えた。メイスフィールド代将、その他の出席者数名が殺意のこもった視線を投げつける。

 

 前の世界で『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』を読んだ時は、ヤン・ウェンリーの正論を理解できない人々に苛立ちを覚えたものだ。だが、実際に直面してようやく理解できた。

 

 あまりに無頓着過ぎるのだ。俺のようにプライドが低ければ気にならないが、高い人は怒る。そして、大抵の場合、プライドと能力、プライドと実績は比例する。つまり、ヤン司令官代行と秀才型との相性は最悪に近い。

 

 他の代将が何にむかついているのかが理解できた。ならばすることは一つだ。俺はすっと立ち上がる。

 

「司令官代行、あまり私たちを蔑ろにしないでいただきたい」

 

 ヤン司令官代行を睨みつけるように見た。メイスフィールド代将らが我が意を得たりといったふうにと頷く。

 

「我々は軍人です。上官の命令とあらば、好むと好まざるとにかかわらず従う覚悟はできております。その上で面目を立てていただければ有り難いです」

 

 強く釘を刺すといった感じで付け加える。ヤン司令官代行は辟易したように肩をすくめた。

 

「ああ、わかった」

「わかっていただければ結構です」

 

 軽く頭を下げてから席に着く。ヤン司令官代行が渋々ながらも頭を下げたことで、メイスフィールド代将らも満足し、険悪な空気は収まった。こうして、エル・ファシルへの撤収、すべての前線基地の放棄が決まったのである。

 

 会議が終わった後、メイスフィールド代将らは喜びに堪えないといった感じで俺のもとにやってきた。

 

「良く言ってくださった」

「おかげですっきりしましたよ」

「さすがはフィリップス代将だ」

「これからもお願いしますぞ」

 

 年長の同僚たちの賛辞が、チュン・ウー・チェン大佐の「ヤンとは敵対した方がいい」という助言の正しさを教えてくれる。敵対者だからこそ「好むと好まざるとにかかわらず従う」と言う発言に説得力が生じた。

 

 五時一五分、同盟軍の残存勢力及びワジハルファ第三惑星基地駐留部隊は、基地を放棄してエル・ファシル星系へと撤退した。

 

「副司令、指揮を頼む」

「かしこまりました」

 

 オルソン副司令に指揮を委ねた俺は私室に入り、第三任務群司令代行のビューフォート中佐と通信を交わした。

 

「これからどうなるのかな?」

「想像もつきませんなあ。軍人を三〇年やっておりますが、こんな大敗は初めてですので」

「司令官代行の知略頼みか……」

 

 ため息をつき、コーヒーにどばっと砂糖を放り込む。ブラック派のビューフォート中佐が嫌な顔をした。

 

「司令、それではせっかくのコーヒーが台無しですぞ」

「これが一番うまいんだ」

「だったらわざわざ高い豆を使わんでも。砂糖をそんなにぶち込んだら、インスタントだって同じでしょうに」

 

 こんな感じで雑談を交わしながら、ゆっくりと心身を休める。これから何が待ち受けているのか想像もつかない。可能な限り体力を回復しておく必要がある。

 

 急に艦内にアラート音が鳴り響き、通信端末の画面が強制的に切り変わった。映っているのはヤン司令官代行の童顔。全軍向けの緊急放送だ。

 

「悪いニュースだ。タジュラ星系第二惑星、ネファジット星系第九惑星、アドワ星系第四惑星が、鉱山警備隊の傭兵に占拠された。海賊との関係は不明だが、無関係ってこともないだろう。一刻も早く戻らないといけない。全艦は速度を三〇パーセント早めるように」

 

 空いた口が塞がらなかった。反乱が起きた三つの惑星は、人間の住める環境ではないが鉱物資源が豊かで、鉱山会社の管理下にある。その警備を請け負う傭兵は信用できる者ばかりだ。反乱するなど常識では考えられない。

 

 司令室に着いて間もなく続報が入ってきた。新たに四つの鉱山惑星で傭兵が反乱を起こしたという。占拠された鉱山惑星の合計は七つ。人質となった鉱山労働者の総数は三〇万を超える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「何を要求するつもりなのか?」

 

 答えはすぐに与えられた。鉱山惑星を占拠した傭兵が「エル・ファシル革命政府軍」の名で声明を発表。同盟政府にエル・ファシル星系の独立を認めるよう求めたのだ。

 

「そもそもエル・ファシル革命政府軍とは何者か?」

 

 その疑問もすぐに氷解した。エル・ファシル革命政府が全銀河に宛ててメッセージを発した。

 

「エル・ファシル人は、自由惑星同盟に加盟して以来、あらゆる辛酸をなめ尽くしてきた。

 

 自由惑星同盟の政府は、エル・ファシル人を奴隷としてこき扱い、エル・ファシル人の幸福のために使われるべき資源を収奪し、エル・ファシル人の生活を破壊した。

 

 自由惑星同盟の軍隊は、八年前にはエル・ファシルを見捨てて逃げ出し、四年前にはエル・ファシル人を弾避けにして戦った。

 

 エル・ファシル人ほど踏みにじられてきた国民はいない。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの圧制も、自由惑星同盟によるエル・ファシル統治ほど過酷なものとはいえないだろう。このような目にあっても黙っていられるとしたら、それは人間ではなく奴隷だ。

 

 エル・ファシルにおける選挙は、自由惑星同盟に奉仕する召使いを選ぶ場と化した。平和的に自由惑星同盟の支配を覆す道は絶たれた。よって、エル・ファシル人は最後の手段として武力を用いる。自由惑星同盟の奴隷として生きるより、自由の戦士として死にたい。エル・ファシル人は自由と尊厳を何よりも愛する。

 

 それゆえ、エル・ファシル人は宣言する。自由惑星同盟を脱退し、エル・ファシル人の幸福と利益にのみ奉仕する政府、すなわちエル・ファシル革命政府を作ると。

 

 エル・ファシル革命政府は、エル・ファシル人の自由と尊厳のために戦う。エル・ファシル革命政府の武力は、常にエル・ファシル人を隷属させ侮辱しようとする者に対してのみ用いられるものだ。

 

 エル・ファシル革命政府は、サジタリウス腕の四一一星系共和国及び一三〇億の市民に対し、エル・ファシル独立に対する理解と支援を求める。エル・ファシル人の敵は自由惑星同盟であって市民ではない。自由主義と民主主義に則れば、自由惑星同盟とエル・ファシルのどちらが是であるかは、考えるまでもないだろう。

 

 エル・ファシル独立万歳! エル・ファシル革命万歳!」

 

 メッセージの末尾には、一〇人の署名が記されていた。最上位にはワンディー・プラモート政府主席、第二位にはレミ・シュライネン副主席兼革命政府軍総司令官、第三位にはジェイヴ・カラーム副主席、第四位にはヘルムート・リンケ首相、第五位にはヴィリー・ヒルパート副首相兼革命政府軍副司令官と続く。

 

 プラモートは知らない名前だ。シュライネンは同盟軍元少将で大物海賊。カラームは元大学教授でエル・ファシル民族主義運動の長老。リンケは分離主義過激派組織「エル・ファシル解放運動」の最高指導者。ヒルパートは元傭兵隊長で大物海賊。海賊とエル・ファシル民族主義者の連立政権といったところだろうか。

 

「ええっ!?」

 

 第六位には信じられない名前が記されていた。フランチェシク・ロムスキー副首相。現職の星系教育長官である。前の世界でエル・ファシルを独立させた人物とはいえ、ここで登場するとは思わなかった。

 

「嘘だろ……」

 

 第七位はイバルス・ダーボ副首相。反改革派の牙城であるエル・ファシルNPCの幹事長で、改革派のロムスキー教育長官とは宿敵のはずだ。それが一緒に独立宣言に名を連ねている。

 

 エル・ファシル方面軍の壊滅、海賊の大同盟、傭兵部隊の反乱、そしてエル・ファシル政界の重鎮まで巻き込んだ革命政府の決起。急転した事態がどこまで転がっていくのか? まったく想像がつかなかった。


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