銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第43話:混沌の惑星 796年7月8日~16日 ワジハルファ星系~エル・ファシル防衛部隊司令部

 エル・ファシル軍司令官代行ヤン・ウェンリー准将配下の部隊がワジハルファ第三惑星基地を放棄してから四〇分後、エルファシル革命政府軍がワジハルファ星系全域を封鎖した。包囲殲滅するのが狙いだったのだろう。基地を捨てたヤン司令官代行が正しかった。

 

 タジュラ星系の外縁部に差し掛かったところで、エル・ファシルへの撤退に反対する声があがった。

 

「おそらく星系政府は反乱に加担している。エル・ファシルは既に敵の手に落ちたはずだ。トズールから管区外に脱出してパランティア軍と合流した方がいい」

「いや、フォーデを抜けてアスターテ星域軍と合流しよう」

 

 メイスフィールド代将のようにワジハルファまで出てきたヤン司令官代行を批判する者もいる。

 

「あなたがエル・ファシルを空けなければ、占拠されずに済んだのです! どのように責任を取られるおつもりか!」

 

 エル・ファシル失陥の不安が、反対論という形で吹き出したのだった。しかし、ヤン司令官代行はまったく動じない。

 

「大丈夫だよ。エル・ファシルは占拠されていないから」

「占拠されているとしか思えませんが」

「そんな戦力は敵にはないよ」

「しかし、政府高官が寝返っているんですぞ」

「星系政府丸ごとが敵に寝返ったとしても、エル・ファシルは占拠できないさ。首星には二万五〇〇〇、ジュナイナには八〇〇〇の地上部隊がいる。これらを威圧するに足る戦力を用意するか、指揮権を持つ私が寝返るかしないと無理だよ」

 

 ヤン司令官代行は具体的な数字をあげながら反論していく。彼の見立てでは、革命政府軍の最優先目標はエル・ファシル方面軍の撃滅であり、エル・ファシルを占拠できるような余裕はないだろうとのことだった。

 

「どうして余裕が無いと言い切れるのですか?」

「エル・ファシル星系警備管区内の同盟軍兵力は、司令官直轄部隊とエル・ファシル軍を合わせて四五万。これを殲滅するには最低でも四〇万、欲を言えば五〇万は欲しいところだ。エル・ファシル海賊は今月初めの時点で三〇万そこそこ。テロリストや傭兵を加えても四〇万に届くか届かないかだろう。私たちを追いかけるだけでも精一杯だと思うね」

 

 動転している部下と冷静なヤン司令官代行。どちらに説得力があるかは言うまでもない。俺はあえて嫌そうな顔をしつつ、司令官代行に従うと表明。エル・ファシルに向かう方向で話がまとまった。

 

 ヤン司令官代行とその配下はタジュラ星系をまっしぐらに突っ切って、エルファシル星系へと入った。偵察衛星から「タジュラが敵に封鎖された」との情報が入ったのは、それから三〇分後のことである。他星系の偵察衛星からの情報で、パランティア方面とアスターテ方面に抜けるルートが既に封鎖されていることも判明。ヤン司令官代行の正しさが証明された。

 

 ゲベル・バルカルの敗残兵、前線基地の駐留部隊はほぼ無傷の状態でエル・ファシル星系に集結した。その総数は宇宙艦艇二四〇〇隻、地上戦闘要員一四万八〇〇〇人に及ぶ。革命政府軍の半数にも満たない戦力だ。

 

 パランティア方面にはパランティア軍の他、第七方面軍配下のパランティア星域軍、第一三任務艦隊配下のパランティア任務分艦隊がいる。これらの宇宙戦力の合計は四〇〇〇隻近くになる。だが、別々の指揮系統に属しているし、担当地域を空にするわけにもいかない。結局、パランティア軍の三〇〇隻、パランティア星域軍即応部隊の二〇〇隻のみが境界線に展開した。

 

 アスターテ方面には、第七方面軍配下のアスターテ星域軍、第一三任務艦隊配下のアスターテ任務分艦隊、宇宙艦隊から分遣された国境駐留部隊がいる。しかし、帝国のイゼルローン要塞駐留艦隊が国境線のぎりぎりまで進出してきており、手が離せない状態だ。

 

 戦力的には革命政府軍の方がはるかに優勢だった。しかし、戦略に長けた敵将シュライネンは、航路を封鎖して星間物流を断ち、ジャミングで星間通信を妨害し、エル・ファシル星系の孤立化に努めた。

 

 

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 第七方面軍司令官ムーア中将は、宇宙艦艇一一〇〇隻と地上戦闘要員八万人を援軍として送ったが、到着までに一〇日前後はかかるらしい。

 

 物不足と情報不足が民心を動揺させた。この事態に対処すべき星系政府は、すっかり統治能力を失っている。そのきっかけはエル・ファシル革命政府の独立宣言だ。

 

 独立宣言の筆頭署名者であるプラモート革命政府主席は、市会議員を一二年、州会議員を二〇年務め、メロエ市長を最後に政界から退いた人物。第六位のロムスキー革命政府副首相は、現職の星系教育長官。二人とも星系政府与党である地域政党「エル・ファシル独立党」の幹部党員だ。独立党が組織ぐるみで革命政府と通じているとの疑惑が浮上した。

 

 ロムスキー教育長官は警察の取り調べに対し、「身に覚えがない」と否定しているが、コンピュータの筆跡鑑定は独立宣言の署名を本物と判断。鉱山警備隊が反乱したタジュラ第二惑星を一週間前に視察した事実も明らかになった。革命政府に加担した疑いが濃厚だ。

 

 独立党は進歩党よりもリベラルで革新志向が強い。ロムスキー教育長官が高名な反政府活動家五名の写真を執務室に飾っているのは有名な話だ。海賊やテロを「憲章に定められた正当な抵抗権の行使」と言って批判されたゴルチノイ前農業長官の件は記憶に新しい。革命政府軍に加担したテロ組織「エル・ファシル解放運動(ELN)」は、半世紀前に独立党から分派したグループだ。革新好きというイメージが独立党には染み付いている。

 

 情報の少ない中、ロムスキー教育長官の署名、党に対するイメージ、二人の独立党幹部が革命政府に理解を示したことなどが、「独立党は革命を起こそうとしている」との憶測を呼んだ。

 

 反改革派の国民平和会議(NPC)エル・ファシル支部も苦しい立場にいる。署名順第七位のダーボ革命政府副首相は、NPCエル・ファシル支部の幹事長だ。彼も革命政府との関係を否定したが、筆跡鑑定の結果、反乱した鉱山警備隊との関係などから革命政府に加担したとみられる。

 

 独立党とNPCは改革を巡って対立しているが、どちらも星系政府の与党だ。また、エル・ファシルNPC支部は、ヨブ・トリューニヒト国防委員長の影響下にある。そういったことから、「トリューニヒトとエル・ファシルNPCがエル・ファシルを手に入れるための陰謀」と主張する者もいた。

 

 時を同じくして、革命政府に内通する者が多数いるとの噂が流れた。「革命政府支持者リスト」と題された怪文書が二日間で一五パターンも出回り、有力者や著名人の名前が多数あがった。

 

 星系政府内部で非公式の内通者探しが始まったらしい。幹部たちの目には、誰もが裏切り者、あるいは自分を陥れようとする陰謀家に見えるそうだ。独立宣言から四八時間も経たないうちに政府は分裂状態に陥った。

 

「十中八九は海賊の陰謀だろうね」

 

 テレビ会議の席上、ヤン司令官代行はそう断言した。ロムスキー教育長官とダーボ幹事長が革命政府の幹部だったなら、プラモート元市長のようにエル・ファシルから姿を消し、同志と合流しているはずだというのだ。

 

「地上の支持者を統率する役目があった。だからエル・ファシルに残ったのでは?」

 

 異論を唱えたのは、エル・ファシル軍副司令官代行となったメイスフィールド代将だ。

 

「だったら署名なんかさせないだろう。させるとしても偽名を使わせる。捕まったりしたら元も子もない」

「しょせんは海賊とテロリストです。頭が回らなかったのでしょう」

「君たちをゲベル・ベルカルで引っ掛けた相手は、その程度だったのかい?」

「……いえ」

 

 不承不承といった感じのメイスフィールド副司令官代行。あてこすられたと思ったらしい。

 

「署名を偽造する方法なんていくらでもある。我が軍にもその手のプロはいるしね。一日で結果が出るなんて簡易鑑定だろう? どうにでもごまかせるさ」

「星系政府には申し上げたのですか?」

 

 スカーレット・ジャスパー代将がヤン司令官代行に問うた。彼女は代将の中で俺の次に若く、最も司令官代行寄りだ。

 

「言うだけは言ったさ。しかし、聞いてもらえなかったよ」

「どうしてです? 騙されるほど星系政府が馬鹿とも思えませんが」

「騙されてるんじゃない。信じたいんだ。他の幹部は裏切り者だってね。もともと対立の火種はあった。敵はそれに火を付けただけさ」

「消す方法はありませんか」

「改革派と反改革派が心の底から和解しないと無理だろうね」

 

 ジャスパー代将らヤン派はもちろん、メイスフィールド副司令官代行ら反ヤン派も納得した。確かにそれは無理だ。

 

「二流の策士は相手を騙そうとする。一流の策士は相手を信じさせようとする。どうやら敵は一流らしい。どうしようもないな」

 

 ヤン司令官代行はお手上げと言ったふうに肩をすくめる。それをメイスフィールド副司令官代行が見咎めた。

 

「どうしようもないで済む問題ですか」

「星系政府の内部事情までは責任持てないからね」

「あまり投げやりなことは言わないでいただきたい」

「このエル・ファシルの騒動を一本の木とすると、幹は海賊、その他はすべて枝だ。海賊をどうにかしたら、テロリストと傭兵もいなくなる。地上の騒ぎも収まる。無理をすることはない。援軍が来るまでのんびり待とうじゃないか」

 

 守りを固めて援軍を待ち、戦力的に優位になってから反攻に転じる。それがヤン司令官代行の方針だった。

 

 一番重要なのはエル・ファシル星系に敵を侵入させないことだ。ヤン司令官代行は外縁天体群の外側に第一防衛線、内側に第二防衛線を設定し、重点的に戦力を配備した。そして、第一防衛線の中心点にある第一惑星ラガの周辺宙域に、自らが直率する巡航艦部隊を置いた。二つの防衛線で敵を足止めし、巡航艦部隊が撃退するのだ。

 

 内側の守りはジュナイナ防衛部隊が担う。政情が安定しているジュナイナに直接配備される部隊は少なく、ほとんどの部隊が二つの小惑星帯に配備されている。

 

 エル・ファシル防衛部隊は兵站と治安維持を担当する。動揺する二五〇万の市民、統治能力を失った政府、地上に隠れているであろうテロリストなどに備えるのだ。

 

 俺はヤン司令官代行からエル・ファシル防衛部隊司令に指名され、第八一一独立任務戦隊の指揮権をオルソン副司令に譲渡した。少々寂しいが突撃部隊を後方に置いても意味が無い。当然の判断だと思う。

 

 

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 戦隊幕僚はオルソン司令代行を補佐することとなり、オズデミル大尉、マヘシュ中尉、コレット中尉の三人だけが手元に残った。俺は新しい幕僚チームの編成に取り掛かった。

 

 首席幕僚には、第三〇四後方支援群司令のオーブリー・コクラン宇宙軍大佐を登用した。後方支援と地方警備の経験に期待しての人事だ。この世界では無名で、戦記にもほとんど登場しないが、前の世界ではアレクサンデル・ジークフリード帝の時代に帝国元帥となった。こんな超大物を使うなど僭越にもほどがある。しかし、背に腹は代えられない。

 

 次席幕僚は第三任務群司令代行のアーロン・ビューフォート宇宙軍中佐。幕僚経験がない彼を起用した理由はただ一つ。親しい人がいないと寂しいからだ。本当はダーシャ・ブレツェリ宇宙軍中佐かエーベルト・クリスチアン地上軍中佐を起用したかった。だが、ダーシャはヤン司令官代行の作戦主任参謀となり、クリスチアン中佐には「情けないことを言うな」と叱られた。

 

 指揮下の部隊からそれなりに使えそうな士官を幕僚として引っ張り、信頼できそうな下士官や兵卒を事務要員として加えた。その中には旧知のルチエ・ハッセル軍曹もいる。

 

 俺の指揮下の戦力は宇宙艦艇二〇〇隻、陸戦隊一万四〇〇〇人、地上軍五万二〇〇〇人、エル・ファシル在住の予備役軍人一万二〇〇〇人。その過半数はもともと即応部隊所属だった地方部隊の精鋭。ハイネセンから派遣された部隊も少なくない。第八強襲空挺連隊、第二エル・ファシル自由師団のような有名部隊までいる。

 

「司令官代行はフィリップス代将に武勲を立てさせたくないのだろう」

 

 そんな噂もある。俺の下に配属された代将八名はすべて反ヤン派だ。面倒な連中をまとめて地上に縛り付けようとしていると見られてもおかしくはない。

 

 だが、俺の考えは違う。『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』や『ヤン・ウェンリー提督の生涯』によると、ヤン・ウェンリーは武勲よりも民間人保護の方がずっと大事だと考えていたそうだ。最も信頼する人物にこそ惑星エル・ファシル防衛を任せるのではないか。単なる想像でしかないが。

 

 第一防衛線を指揮するデッシュ代将、第二防衛線を指揮するボース代将、ジュナイナ防衛部隊を指揮するビョルクマン代将はみんな調整型の人材だ。参謀長代行のパトリチェフ大佐は陸戦隊の勇者で、人望はあるが艦隊戦の知識は乏しい。これらの人事からヤン司令官代行の構想が伺える。

 

 ヤン司令官代行はプライドや意地といったものにはこだわらず、少ない損害で目的を達成できる手段を追求する。最短距離で目的地を目指すようなやり方は、結果を出せる反面で、「何を考えてるのかわからない」「無神経すぎる」との不満を招く。こういった欠点に彼は気付いているのだろう。そして、「できないことはできる奴に任せればいい」と彼は考える。俺やその他の幹部は説明役・なだめ役として起用されたのではないか。これも単なる想像だが。

 

 八年前のエル・ファシル脱出作戦では完全な傍観者だった。四年前のエル・ファシル奪還戦では単なる傍観者でしかなかった。そんな小物が偉大なヤン・ウェンリーの命令でエル・ファシルを守る。本当にとんでもないことだ。

 

「代将閣下、右手と右足が一緒に出てますよー」

 

 ハッセル軍曹が俺の緊張ぶりを笑う。

 

「あ、ありがとう」

「しっかりしてくださいねー」

「わ、わかった」

 

 声を上ずらせながら返事をする。戦記で親しんだ英雄から命令を受ける。これほど光栄なことがあろうか。歓喜とプレッシャーが胸中を覆い尽くした。

 

 

 

 ゲベル・バルカルの敗戦から四日が過ぎ、七月一一日の朝を迎えた。革命政府軍には何の動きも見られない。人質となった鉱山労働者がどうなったのかも不明だ。

 

 不気味な静けさがエル・ファシル星系を覆い尽くす中、惑星エル・ファシルのみが騒がしい。コクラン首席幕僚は、今朝も嫌な報告ばかり持ってくる。

 

「オベイド航空基地で爆発事故とはね」

 

 俺は軽くため息をつく。西大陸最大の都市であるオベイドの航空基地は、エル・ファシルで唯一輸送機部隊が駐屯する基地だった。

 

「基地施設の復旧は三日か四日もあれば十分です。しかし、燃料や整備機材が失われました」

「燃料の損失は痛いね。民需用の燃料を接収するわけにもいかない」

「海賊がいる間は物資も入ってきません。輸送機は戦力外と見るべきでしょうな」

「大規模な航空輸送は無理ってことか。まいったなあ」

 

 輸送機が使えなくなったら、陸上部隊の機動力は半減、いや七割減になる。足をもぎ取られたに等しい。

 

「パイロットや機体に損害がなかったのを幸いと考えましょう」

「そうだな。首席幕僚の言うとおりだ」

 

 憂鬱な気持ちとともに報告書を閉じ、次の報告書に目を通す。昨日の夜にカッサラ市で発生した暴動についての続報だ。

 

 発端はフライングボールチームの応援団同士の乱闘だった。市街地へとなだれ込み、略奪や放火を繰り返しながら数を増やし、現在は一万人を超える規模まで拡大したという。

 

 

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「そして、メインストリートで警官隊と銃撃戦を展開中。最悪だね」

「カッサラ市警の警官は三二〇人。近隣の市警察からの増援と合わせても五〇〇人程度。敗北は時間の問題です」

「棒や石しか持ってない一万人ならともかく、ライフルを持った一万人だからね」

「スタジアムで乱闘が起きた時点から、銃撃戦が起きていたとか」

「フライングボールの応援にライフルなんて必要ないよね」

「最初から騒ぎを起こすつもりだったのでしょう」

「一万丁のライフルなんて簡単に用意できるもんじゃない。どこかに仕掛け人がいるんだよ」

「カッサラ州知事から介入要請が来ています。いかが対応なさいますか?」

「断るしか無いだろう。『何があろうと介入するな』と司令官代行から厳命されている」

 

 ヤン司令官代行はエル・ファシル軍の全部隊に対し、革命政府軍及びテロリスト以外への武力行使を固く禁じた。昨日の夜、暴動が拡大した場合の対応を問い合わせた際も、一切介入しないように指示された。

 

「困りましたね。介入要請は受け入れるのが慣例なのですが」

「要請はあくまで要請。命令ではないから断ることもできると、司令官代行はおっしゃってる」

「あの方は何を考えておいでなのでしょうか?」

「ただでさえ市民はピリピリしてる。いたずらに刺激してはまずいと思ってるんじゃないかな」

 

 実のところ、これは単なる方便にすぎない。武力行使を制限する理由について、ヤン司令官代行は「そんなの当たり前だろう」としか語ってないからだ。前の世界で『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』や『ヤン・ウェンリー提督の生涯』を読んだ俺には、その真意がある程度想像できる。

 

 軍隊と市民、権力者と市民を本質的に対立する存在だと、ヤン司令官代行は考えていた。彼にとって、軍隊は権力者の道具、あるいは圧制者予備軍であり、潜在的な市民の敵である。暴動鎮圧など民衆弾圧としか思えないのではないか。決して口にはできないが。

 

「暴徒だけが市民ではありません。市街地が火の海になっているのに、郊外の第五五六師団は駐屯地に引きこもったまま動かない。軍はカッサラを見捨てたと思われても良いのですか?」

 

 コクラン首席幕僚はぐいと身を乗り出す。前の世界で民間人保護に尽くした彼だが、ヤン司令官代行と違って軍隊を悪と思っておらず、治安維持目的の武力行使には肯定的だ。

 

「警察に任せるというのが司令官代行の意向だから……」

「カッサラ市警察は三二〇人、カッサラ州警察と合わせても六五〇人です。隣接するアル・ガザール州警察は二三〇人、エトバイ州警察は三九〇人、ラムシェール州警察は一六〇人。総動員しても二〇〇〇人に届きません」

「少ないよなあ」

 

 俺は腕を組んで考え込んだ。星系政府の改革の結果、惑星エル・ファシルにおける一〇〇〇人あたりの警官数は、一・三人まで減少した。同盟平均の三分の二にも満たない。暴徒を抑えるには数が少なさすぎる。

 

「出動許可をいただけるよう、司令官代行に掛け合いましょう」

「対暴動鎮圧用装備を警察に貸与する。その程度の支援なら司令官代行も認めるはずだ。さっそく手配して欲しい」

「かしこまりました……。何とももどかしい限りですな」

「次の報告を頼む」

 

 首席幕僚の慨嘆を聞き流し、さっさと話題を切り替える。

 

「全土で買い占め騒動が起きています。便乗値上げする商店も後を絶ちません」

 

 エル・ファシルは生活物資の多くを他星系からの輸入に頼っている。パニックは当然の成り行きであろう。

 

「そっちへの対応は星系政府の仕事だね。しかし、騒動が暴動に発展する可能性も十分にある。警戒レベルを引き上げておこう」

「未確認情報ですが、エル・ファシル市内の商店が襲撃されたという報告が入っています」

「気が短いね。買い占める物が無くなってから暴れても遅くはないだろうに」

「危機感を煽る書き込みがネット上にあふれているとのことです」

「暴動を煽る書き込みもあったね。ネット規制が必要だな」

 

 革命政府軍のジャミングに影響されるのは星系間通信網のみ。星系内通信網は健在だ。それが仇となった。

 

「買い占めにしてもネットにしても、本来は星系政府が動くべき問題なのですがね」

「まったくだ」

 

 星系政府にはいつもうんざりさせられる。方針はふらふらと揺れ動き、会議を開いても何も決められず、対応は後手後手に回るという有様で頼りないことこの上ない。

 

「次の対策本部会議で提言しておこう。次の報告を」

「派遣軍司令部、同盟軍基地、星系政庁、惑星政庁、州政庁、市政庁、町役場、星系議会事務局、星系最高裁、星系警察本部、州警察本部、主要マスコミ、大手企業、宇宙港、空港、海港、駅、大規模娯楽施設などにテロ予告状が送りつけられました。全部で二五二通になります」

「ああ、これだね」

 

 テーブルの中から一枚の紙を取り出す。「エル・ファシル革命政府軍遊撃部隊」なる組織から送られてきたテロ予告だ。

 

「ELNの軍事部門かと思われます」

「こうも節操無く送られたら、どこを警備すればいいかわからなくなってくるよ」

「案外、司令官代行の判断が正しいのかもしれません。暴動は放置、いや警察に任せてテロ対策に専念する。治安責任者としては無責任の限りですが」

「よくもこれだけの事件がこのタイミングに重なったもんだ。偶然とは思えない」

「そう思える方がおかしいですな」

「今はテロ対策に専念しよう。俺たちの権限で対処できるのはそこまでだ」

 

 俺は既定方針を繰り返した。現在のエル・ファシルでは戒厳令は施行されていない。施行しようとする星系政府に対し、ヤン司令官代行が「悪い前例を作りかねない」と強硬に反対した。そういうわけで防衛部隊は警察権を持たず、普通の軍隊として行動している。

 

「危険人物を監視できるだけでだいぶ楽になるんですけどね」

 

 予防拘束と言わないところがコクラン首席幕僚の良識であろう。

 

「この星は火薬庫だから」

 

 俺は憲兵隊から渡されたファイルをぺらぺらとめくる。この惑星に拠点を構える政治団体・宗教団体・犯罪組織などのうち、同盟警察から反社会的勢力認定を受けた団体は四五個。認定を受けていない極右民兵組織「憂国騎士団」、サイオキシンマフィアの公然部門「デモクラティア財団」を含めると、四七もの火種がある。また、危険人物として複数星系から入国禁止処分を受けた者が三〇〇名ほど滞在しているらしい。

 

 ハイネセン資本やフェザーン資本の動向も気になる。傭兵部隊に社有地を警備させ、情報収集のためにスパイを使うなど、治外法権的な地位を星系政府から認められている。一社でも革命政府軍に加担していたとしたらとんでもないことだ。

 

 軍情報部、憲兵司令部、中央情報局、同盟警察本部などの工作員も厄介だ。彼らは危険団体や危険人物を追ってエル・ファシルに入り、独自の動きをしていた。

 

「自由も行き過ぎると害悪ですな」

「まったくだよ。これが野放しになるんだから」

 

 アントニオ・フェルナトーレの情報が記されたページを開いた。軍国主義者と組んで動乱を煽動した疑いで、ムシュフシュ星系など三つの星系政府から入国禁止処分を受けたビジネスマンだ。エル・ファシル星系政府では自由な出入国が認められている。

 

「できることからやりましょう。あれもやりたい、これもやりたいでは埒が明きませんから」

「最終的にはそこに行き着くね」

 

 司令官代行の方針に忠実な俺、批判的なコクラン首席幕僚が意見をすり合わせ、エル・ファシル防衛部隊の方針を作った。

 

 二人の方針が一致したところで、次席幕僚ビューフォート中佐以下の全幕僚を集めてミーティングを開く。この場では俺が方針を示し、それを実施するためにはどうすればいいかを幕僚たちと話し合う。

 

 エル・ファシル防衛部隊司令は調整役のようなものだ。雑多な部隊を取りまとめ、司令官代行や星系政府との交渉窓口となり、行政や警察との協力体制を構築し、スポークスマンとしてマスコミに登場する。数えきれないほど話を聞き、数えきれないほど頭を下げ、信頼関係を築いていく。地味で骨の折れる仕事だが、大いにやりがいのある仕事でもあった。

 

 

 

 七月一〇日の夜に発生したカッサラ市の暴動は、瞬く間に周辺地域へと広がり、カッサラ州全域が騒乱状態に陥った。暴徒は数万まで膨れ上がり、カッサラ、アル・ガザール、エトバイ、ラムシェールの四州の警官隊をあっという間に蹴散らした。

 

 一四日には、カッサラ州、アル・ガザール州、エトバイ州、ラムシェール州が暴徒に覆い尽くされた。エル・ファシル東大陸の西部が騒乱状態となったのだ。

 

 一五日になると東大陸東部にあるマクリア州でも暴動が発生し、一六日には州都ガザーリー市が暴徒に占拠された。

 

 

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 ガザーリー市は首都エル・ファシル市から二〇〇キロしか離れていない。慌てた星系政府はラガ宙域のヤン司令官代行に直接通信を入れて、軍隊出動を要請したが拒否された。

 

「もはや市民の暴動ではありません。内戦です」

 

 俺はヤン司令官代行に通信を入れ、星系政府の要請に応じるよう求めた。

 

「これは嵐のようなものだ。いずれ収まる。わざわざこちらから手を出すことはない」

 

 ヤン司令官代行の茫洋とした表情は、好意的な者には悠然、非好意的な者には鈍感に見えそうだった。

 

「この惑星が嵐に飲み込まれるかも知れません。西部四州に取り残された友軍への救援なら名分も立ちます」

「それはやめておこう」

 

 首を横に振り続けるヤン司令官代行。その後もやりとりは続いたが、平行線のままで終わった。

 

「すまなかった」

 

 俺は後ろを向いて頭を下げた。そこには強硬派の面々がずらりと並んでいる。

 

「あなたの責任ではありません」

「お気になさらないでください」

「司令官代行を引っ張りだしただけでも十分な成果でした」

 

 強硬派は口々に俺を慰めた。

 

「ありがとう」

 

 申し訳ないような顔をしつつも内心では安堵した。強硬派の不満をいくらかでも解消できたからだ。

 

 前例に照らし合わせれば、暴動は一一日の朝の時点で軍隊を投入すべき規模になっており、今なら星域軍どころか方面軍が直接介入してもおかしくない。独断で州政府の出動要請に応じて暴徒を追い払ったクリスチアン中佐は、ヤン司令官代行の命令で拘束されたのだが、防衛部隊の中では同情的な意見が多かった。強硬派が主流を占めているのだ。

 

「八年前と同じですな。当時中尉だったヤン司令官代行は、怒った群衆をなだめようとせずに、簡単な説明をしてさっさと引っ込んでしまいました。唖然としたもんですよ」

 

 ビューフォート次席幕僚が八年前のことを持ち出す。エル・ファシル脱出作戦の経験者ですら、ヤン司令官代行を信頼できなくなっている。

 

「しかし、最終的には成功した。今は何よりも団結が必要な時だ。不信を煽るような発言は控えてほしい」

 

 不満はあるが他に選択肢がないというニュアンスを言葉に込める。ヤン司令官代行の側だと思われたら部下から信頼されなくなる。強硬派として振る舞い、適度にガス抜きをするのが大事だ。

 

「あの方は敵の心理を手に取るように理解できる人だ。しかし、味方の心理に無頓着過ぎるのではないですかね」

 

 なおもビューフォート次席幕僚が愚痴を言う。強硬派が次席幕僚の言葉にそうだそうだと同意した。

 

「治安戦が分からんだけだと、私は思っとりますよ。司令官代行は対帝国戦一本でやって来たエリートだ。敵味方がはっきりしてる戦いしかやってこなかった。そういう人は市民とテロリストを区別できると考えがちです。それじゃあ治安戦はできやせんのですが」

 

 防衛部隊副司令のアブダラ地上軍代将が上から目線で批判を加えた。

 

「副司令、滅多なことを言うもんじゃない。下は上にならう。貴官がそのような態度では、秩序も何も無くなるぞ」

「秩序を乱すのは司令官代行でしょうに。宇宙にいるから地上のことなんか気にならんのでしょうが、無責任もいいところだ」

「俺だって間違ってると思うよ。しかし――」

 

 止めどなく湧き出る不満の一つ一つに対処する。あえて消極策をとる上官、それに不満を漏らす部下というのは、戦記物ではよく見られるシチュエーションだ。物語として読んだ時は、部下を愚かだと笑えたのだが、いざ直面してみると厄介だった。突撃する方が何百倍も楽に思えてくる。

 

「例の噂もあります。司令官代行にやる気があるのかどうかも疑わしいとしか」

 

 ビューフォート次席幕僚はもはや不信感を隠そうとしない。ヤン司令官代行が「正直な話、海賊よりハイネセンにいる政治屋連中の方がよほどたちが悪いと思うよ」と言ったという噂が流れており、隊員のやる気を著しく削いでいた。

 

「単なる噂だ。惑わされてはいけないよ」

 

 俺は年長の部下をなだめた。もっとも、内心では事実だと思っている。前の世界で得た知識と照合すると、いかにもヤン司令官代行が言いそうなセリフだからだ。

 

「失礼しました。疲れているようです」

「気持ちは分かる」

「これでも人より神経が太いつもりだったんですがね。戦場で使う神経とオフィスで使う神経は違うようです」

 

 ビューフォート次席幕僚が苦笑いを浮かべる。

 

「すまなかった。俺の責任だ」

 

 自責の念に心が締め付けられた。親しい人が一人でも近くにいて欲しいという理由で不慣れな仕事を頼んだ結果がこれだ。俺の弱さがこの事態を招いた。

 

 正直言うと俺もだいぶ参っている。ヤン司令官代行の真意がわからない。敵の狙いもさっぱり見えてこない。偉大な天才から寄せられた期待に答えなければというプレッシャーもある。人前ではどっしりと構え、部下を思いやる余裕を見せたりもするが、内心は不安でいっぱいだ。マフィンが品薄なため、板チョコやプリンで糖分を補給した。

 

 暴動の他にも暗い材料は多い。強硬派が退出した後に入ってきたコクラン首席幕僚は、深刻化する物不足について報告した。首都エル・ファシル市を中心とする東大陸の東部地域、そして西大陸では、物不足が社会不安を引き起こしつつある。

 

「西大陸のオベイド市でスーパーマーケットが襲撃されました。トイレットペーパーやミネラルウォーターの値段を定価の倍額まで引き上げたことが反感を買ったようです」

「物資統制をやってたら、ここまで酷い事にはならなかったのに」

 

 俺は星系政府から送られてきた文書を忌々しげに睨む。物資の統制、備蓄物資の放出などを提言したところ、「いたずらな統制は混乱を助長するだけだ。それに買い占めも売り惜しみも市場経済では当然の事象である。政府が取り締まるようなことではない」と言った内容の文書が送られてきたのだ。

 

「民生の安定こそが治安の安定です。それが政府の連中には分からんようですな」

 

 コクラン首席幕僚は、前の世界では民間用の物資を保全するために降伏したことがある。物資の安定供給には人一倍敏感だった。

 

「治安を安定させる気があったら、警察官をここまで減らしたりはしないだろうね」

「おかげで我々が苦労します」

「まったくだよ」

 

 俺は別の報告書を手に取った。物不足対策を求めるエル・ファシル市民のデモ行進の様子が記されている。

 

「怒った大衆が星系政庁を取り囲み、当局の無為無策を非難する。まるで八年前みたいだ」

「いかが対処なさいますか?」

「デモ警備に陸戦隊を投入したいけど無理だろうね。とりあえず次の会議で備蓄物資の放出を提言しておくよ」

「民間人対策でここまで苦労するとは思いもしませんでした」

「テロリストが静かだからね」

 

 あれだけたくさんの予告状をばらまいたにも関わらず、テロリストが動く気配がない。分厚い警備に阻まれているのだろうか。

 

「ずっと静かとも限りません。最後まで気を緩めずに取り組みましょう」

「そうだな」

 

 打ち合わせを終えた後、司令室の外に出た。憲兵隊から派遣された護衛二人も付いてくる。窓の外では、一〇〇人ほどの市民が集まって軍の無策を罵っていた。

 

「お前ら、本当はやる気ないんだろう!」

「さっさと暴動を鎮圧に行けよ!」

「海賊を追い払ってくれ!」

「戦うのが怖いのか!?」

 

 あれが暴徒になったらと思うと、生きた心地がしない。ポケットから板チョコを取り出し、細かく割って口に入れ、ポリポリとかじる。

 

 糖分を充填した俺は護衛を連れて廊下を歩く。階段を降りようとした時、司令部幕僚のシェリル・コレット中尉が駆け寄ってきた。いつもの鈍重ぶりをかなぐりすてたような早足だ。

 

「どうした?」

「…………」

 

 コレット中尉は無言でメモを差し出す。そこには「援軍より通信が入りました。二四時間以内に到着するとのこと」ときれいな字で記されていた。

 

 予想したよりも一日早い到着だった。極限状況においてはその一日が命運を左右する。第七方面軍司令官のムーア中将、そして援軍を率いるホールマン少将の配慮がありがたい。

 

「ありがとう」

 

 俺はにっこり微笑んでメモをポケットにしまって歩き出した。下階に用事があるのか、コレット中尉は俺の右隣をのろのろと歩く。前後には護衛が一人ずつ。

 

「フィリップス代将閣下」

 

 俺を閣下と呼ぶただ一人の人物、ルチエ・ハッセル軍曹が廊下の向こう側からせかせかと歩いてくる。

 

「おう、ハッセル軍曹か」

 

 俺は右手を軽くあげて挨拶した。

 

「…………」

 

 ハッセル軍曹は何も言わずに右手をあげ、こちらに向けるように振り下ろす。袖から小型ブラスターがすっと出てきて彼女の手に収まった。

 

「何の冗談だ? いくら君でもそれは……」

「エル・ファシル革命万歳!」

 

 ハッセル軍曹のブラスターから白い閃光がほとばしる。それは俺や護衛が動くよりも一瞬だけ早かった。


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