銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第44話:エル・ファシル七月危機 796年7月17日~18日 エル・ファシル防衛部隊司令部~士官食堂

 撃たれると思ったその瞬間、体の右側に何かがぶつかった。俺は左側へと弾き飛ばされる。

 

「えっ!?」

 

 右を向くと、シェリル・コレット中尉が腹部を撃たれて、俺の方に倒れこんできた。彼女はとっさに体当たりして俺の身代わりになったのだ。

 

 二人の護衛が立て続けにブラスターを放つ。何本もの光線がルチエ・ハッセル軍曹の小さな体を貫く。ほんの数十秒でけりが付いた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 護衛が俺のもとに駆け寄ってくる。

 

「俺はいい! コレット中尉は大丈夫か!?」

「意識はあります。呼吸もしています」

「彼女に応急手当を! 医療班を呼べ!」

「かしこまりました」

「彼女の体は動かすなよ! 傷口が開くかもしれないからな!」

「よろしいのですか?」

「構わん! 医療班が来るまでこのままにしておけ!」

 

 俺はコレット中尉に押しつぶされたまま指示を出す。動転しているせいか、巨体の重みをほとんど感じない。

 

 それから数分もしないうちに救護班と警備兵がやって来た。コレット中尉が担架に乗せられて医務室へと運ばれていく。警備兵一個分隊が俺の周囲を固める。

 

「どういうことなんだ」

 

 一段落した途端、急に戸惑いが襲ってきた。前の人生から親しかったはずのハッセル軍曹が俺を殺そうとした理由。「エル・ファシル革命万歳!」の叫びの意味。不可解なことばかりだ。ハッセル軍曹の死体に視線を向けたが、もちろん答えは返ってこない。

 

 考える時間を与えまいとするかのように、携帯端末が鳴り響く。この音は緊急連絡時の呼び出し音。不安を感じながら通話ボタンを押す。

 

「フィリップス代将だ」

「コクラン大佐です。非常事態が発生しました。防衛部隊幹部が次々と襲撃されております。急いで指揮所までお越しください」

「なんだって!?」

「第二管区のモレッティ司令、第四管区のヨハンソン副司令とミョン首席幕僚、第八六五警備師団のウィジャヤ師団長、第六三二航空団のフリッカー司令が亡くなりました。第一管区のオハラ副司令、第五管区のオロンガ司令が重傷です」

「そんなにやられたのか!」

「たった今、第三管区のレアフ司令が刺されたとの報告が入りました」

「管区司令の半数が行動不能……」

 

 呆然となる俺。追い打ちを掛けるようにブラスターの発射音が響く。近くで銃撃戦が行われているらしい。

 

「とにかく指揮所までお越しください」

「わ、わかった!」

 

 俺は通信端末を切り、護衛と警備兵の方を向く。

 

「指揮所へ向かう。付いてこい!」

 

 二人の護衛、一〇人の警備兵を引き連れて階段へと向かうと、一〇メートルほど先に軍服と私服が半々くらいの集団が姿を現した。人数は一〇人前後でみんな銃を手にしている。

 

 銃撃戦が始まった。俺は立て続けに三人を撃ち倒し、その他の敵は部下によって倒され、あっという間に決着が付いた。

 

「怪我した者はいるか?」

「左腕をかすられました」

「戦えそうか?」

「支障はありません」

「他には?」

 

 返事はなかった。一〇人ほどの敵を倒して軽傷者が一人。幸先の良いスタートだ。

 

「このまま駆け下りるぞ!」

 

 俺たちは階段を四階から地下二階を目指して駆け下りる。年配の警備兵が背後から声を掛けてきた。

 

「先頭に立つのは危険です。後ろにお下がりください」

「指揮官先頭は宇宙軍の伝統だよ」

 

 それが当然であるかのように俺は答えた。本当は「体を動かしてる方が気が紛れる」という指揮官にあるまじき理由なのだが。

 

「さすがはフィリップス司令。小官が浅はかでした」

「そんなことはない。貴官の忠告は……」

 

 褒めようとしたその時、下から駆け下りてきた敵と遭遇した。私服姿の男女が七、八人ほど。当然のように銃を持っている。

 

 俺は走りながらハンドブラスターの引き金を三回引いた。ビームが放たれるたびに敵が倒れ、階段を転げ落ちていく。勢いづいた味方と怯んだ敵。勝敗は決したようなものだ。あっという間に敵は倒れ伏した。

 

「お見事です!」

 

 幼い顔の少年警備兵が褒めてくれた。

 

「たくさん練習したからね」

 

 我ながら面白みのない答えだったが、なぜか少年の目はきらきらと輝いている。見なかったふりをしてさっさと歩き出した。

 

 一階に降りる途中、駆け上がってきた敵を何度も蹴散らした。地下に降りてからは駆け下りてきた敵と戦った。強力なセキュリティに守られている司令部ビルに、これほど大勢の敵が侵入してきた。その一事だけで事態の重大さが察せられる。

 

 地下二階の細長い廊下には、ビームライフルを手にした警備兵がずらりと並んでいた。IDカードを示して指揮所の中へと入る。

 

「ご無事でしたか」

 

 首席幕僚コクラン大佐、次席幕僚ビューフォート中佐らが安堵の色を浮かべる。

 

「どうにかね。君たちは?」

「ごらんの通りです」

 

 ビューフォート次席幕僚が床を指さす。そこにはハンドブラスターを持った死体が三つ転がっていた。

 

「ファフミー曹長、キロス兵長、バドボルド一等兵か」

 

 みんな惑星エル・ファシル出身者だった。ファフミー曹長は州会議員の次女、キロス兵長はエル・ファシル義勇旅団の勇士、バドボルド一等兵は休学して軍に志願した親同盟派学生団体幹部で、エル・ファシル民族主義者との繋がりはない。

 

「他の刺客もみんな身元が確かでした。一〇年以上軍に勤務していた者もいます」

「時間を掛けて軍に浸透してたんだな。とんでもない敵だ」

「これで終わりではないでしょうな」

「だろうね」

 

 俺とビューフォート次席幕僚が顔を見合わせた瞬間、オペレーターが大きな叫びをあげた。

 

「エル・ファシル市内の一四箇所で爆弾テロが発生!」

「何者かが司令部に砲撃!」

「星系政庁ビルが武装集団に占拠された模様!」

 

 次から次へと事件が起きる。アラートが鳴るたびに心臓が止まりそうだ。俺の頭脳はあっという間に処理限界を超えた。

 

「フィリップス司令、ご命令を」

 

 コクラン首席幕僚が俺の目をまっすぐに見る。他の幕僚たちもこちらに注目している。そうだ、命令を出す権利は俺だけのものだ。揺らいでいる暇はない。

 

「全部隊、警戒レベルをオレンジからレッドに引き上げろ!」

 

 マイクを握りしめて叫ぶと、周囲の空気が一気に引き締まった。やはり指揮官の心の持ちようは大事だ。

 

「首席幕僚! 報告を頼む!」

 

 知略はコクラン首席幕僚に頼る。

 

「次席幕僚は司令部防衛を指揮してくれ!」

 

 実戦はビューフォート次席幕僚に頼る。

 

「諸君! これよりテロリストを迎え撃つ! 準備はできたか!?」

 

 虚勢でもいいから胸を張ろう。それが俺の持つ唯一の才能なのだ。七月一六日一七時、エル・ファシル防衛部隊はテロリストとの戦いに突入した。

 

 

 

 エル・ファシル防衛部隊の幕僚チームは、少ない時間の中でエル・ファシル解放運動の行動パターンを分析し、さまざまな対応策を用意した。また、テロ対応の基本を徹底するように指導した。やれることはすべてやったつもりだ。後は落ち着いて迎え撃つだけのことである。

 

 アラート音がけたたましく鳴り響き、戦術スクリーンの一点が赤く点滅した。最重要警戒ポイントの一つ、エル・ファシル核融合発電所だ。

 

「こちら、テセネー核融合発電所! トレーラー六台が正面ゲートに向けて突進してきました!」

 

 メインスクリーンが発電所の正面ゲートに切り替わる。巨大なトレーラー六台が猛スピードで突進し、発電所の正面ゲートを突き破った。映画のワンシーンのような派手な攻撃にみんなが息を呑む。

 

「無人トレーラーによる自爆攻撃は敵の常套手段である! 速やかに破壊しつつ、他のゲートから侵入してくる敵に注意を払え!」

 

 俺が指示を出し終えた途端、エル・ファシル宇宙港が赤く点滅した。

 

「こちら、エル・ファシル宇宙港! ターミナルビルに侵入者です!」

 

 メインスクリーンは核融合発電所から宇宙港の映像に切り替わり、閉鎖中のターミナルビルに忍び込んできた五、六人の人影が映った。

 

「侵入者を急ぎ排除せよ! 速やかに侵入経路を確認するように!」

 

 俺の指示はごく常識的で独創性の欠片もない。テロリストの攻撃は常に奇襲の形をとる。堅実さと冷静さこそが必要だ。

 

「コンゴールの第六管区臨時本部です! 正門に二発の砲撃! ロケット砲と思われます!」

「こちら、エル・ファシル恒星間通信センター! 武器を持った暴徒数百名が通用口に群がっています!」

 

 今度はコンコール市とエル・ファシル恒星間通信センターが同時に赤く点滅した。次の指示を出そうとマイクに向かうと、またアラート音が鳴り、西大陸の第五航空基地が赤く点滅した。

 

「これで五か所か……」

「それもこの惑星全土に散っている」

「第二波、第三波もあるぞ」

 

 幕僚たちがぼそぼそと呟く。予想以上の大規模攻撃に動揺を隠せない様子だ。

 

「エル・ファシル軍司令部より通信です」

 

 通信士の報告が指揮所をさらなる不安に陥れた。今度はどんな悪い知らせだろうか? 人々が恐れおののく中、参謀長代行パトリチェフ大佐のどっしりした巨体がスクリーンに現れた。

 

「参謀長代行のパトリチェフ大佐です。海賊と傭兵の連合軍五〇〇〇隻が三方向からエル・ファシル星系に侵入しようとしています。一五分ほどで第一防衛線に到達するでしょう」

 

 革命政府軍がついに動き出した。戦力はこちらの倍以上。地上のテロと連動した動きなのは誰にだって分かる。幕僚たちは真っ青になった。

 

「やはり各個撃破に出てきたか……」

「援軍の宇宙部隊指揮官はカールセン提督だからなあ。途中でパランティア軍や星域軍などを加えて、三〇〇〇隻ほどになってるはずだ。誰だってヤン提督を先に狙うよ」

「弱い方から叩くのが鉄則だからな」

「あのシュライネンが相手だ。こちらが二倍でも勝てる気がしない」

 

 これはまずい。俺は右手を横に伸ばし、幕僚たちに口を閉じるよう促した。そして、パトリチェフ参謀長代行と言葉をかわす。

 

「防衛部隊司令のフィリップス代将です。方針の変更などはありますか?」

「そのまま地上の防衛に専念してください。司令官代行は『敵は最後の金貨を使って賭けに出た。この攻撃をしのげば我が軍の勝ちだ』と言っております」

「最後の金貨とはいったい?」

 

 ヤン司令官代行には聞きにくいことも、優しそうなパトリチェフ参謀長代行には聞ける。

 

「防衛部隊に潜んでいた工作員のことです」

「ああ、そういう意味でしたか」

「シュライネンが信奉する孫子理論によると、戦わずして勝つのが理想だとか。策が尽きたから強行手段に出たのだろうと、司令官代行はお考えです」

「とっくに研究済みということですか」

「軍人時代に論文集を二冊も出したような男ですからな。研究材料には事欠きません」

「年度別模範戦例集でも取り上げられてましたね」

「シュライネンの用兵パターンは、すべて司令官代行の頭脳に収まってますよ」

「なるほど!」

 

 俺とパトリチェフ参謀長代行はあえて大声で話す。ヤン司令官代行が敵の手の内を知り尽くしてるとアピールするためだ。

 

「宇宙の敵は我らにお任せください。地上の敵をお願いします」

 

 パトリチェフ参謀長代行が分厚い胸を張った。この人が言うからには間違いない、と思わせるような雰囲気が彼にはある。

 

「かしこまりました。地上は防衛部隊が全力で抑えましょう。宇宙部隊は後顧の憂いなく戦ってください」

 

 交信を終えた後、幕僚たちに向けて檄を飛ばした。

 

「今の通信を聞いたか! 敵は追い詰められた! あと少し踏ん張れば我が軍の勝ちだ!」

 

 俺の叫びに応えるように歓声があがった。配下の部隊長にもパトリチェフ参謀長代行の話を伝達し、勝利への希望を煽る。

 

 地上の秩序は崩壊一歩手前だった。惑星全体を股にかける同時多発テロ。東大陸西部を飲み込んだ暴徒。東大陸東部や西大陸で頻発する物不足への抗議デモ。それらに対処すべき政府は内紛で動けず、警察は人手不足で機能していない。

 

 軍隊は指揮系統の混乱が甚だしい。テロリストの襲撃によって、防衛部隊配下の六管区のうち三管区の司令が倒れ、その他の主要幹部も少なからず死傷した。

 

 宇宙に関しては心配していない。ヤン司令官代行は前の世界では一度も負けなかった人だ。この世界では初めての戦闘指揮だが、読みの正しさは一昨年のイゼルローン攻防戦、そして先日のワジハルファ撤収で証明された。シュライネンが名将であっても、ヤン司令官代行やローエングラム伯爵以上ではないだろう。負けることはまず無いと思っている。いや、思いたかった。

 

 このテロさえ防ぎきったら、それですべてが終わる。エル・ファシルの未来は俺の手腕にかかっていた。

 

「こちら、ヤグラワ空港! 滑走路に……」

「バニアグア駅より報告です! 爆弾が……」

 

 再び戦術スクリーンが赤く染まり始め、テロ攻撃を受けた場所は二〇か所を超えた。近年稀に見る広域同時多発テロ。時間的余裕は乏しく、情報は不確実で、敵の規模は想像もつかない。すべての要因が防衛部隊の敗北という結論を導き出すように思える。その先にあるのは秩序の崩壊、そして反同盟分子の一斉蜂起だ。

 

 メインスクリーンにヤン司令官代行の顔が映った。これから全軍向けの放送を行うとのことだ。俺や幕僚たちは固唾を呑んで見守る。

 

「これからエル・ファシル軍宇宙部隊は交戦状態に突入する。

 

 国家にとっては大事な戦いかもしれないが、個人にとって大切かどうかはまた別だ。個人の自由と権利以上に大事なものはない。

 

 勝つ方法は私が考える。みんなは生き残ることだけを考えてくれたら、それで十分だ。命を賭けろとか、祖国のために戦えとか、そんなことを言うつもりはない。気楽にやろうじゃないか」

 

 ヤン司令官代行は、いつもと同じようにゆっくりと落ち着いた声で語りかける。これこそ彼の真骨頂だ。戦記に出てくるような名場面に巡り会えたことに感謝した。みんなも俺と同じ気持ちのはずだと思い、指揮所の中を見回す。

 

「あれ?」

 

 意外にも微妙な空気だった。いつもと変わりないのはコクラン首席幕僚ぐらい。怒りの色を見せる者すらいる。

 

 そういえば、防衛部隊の多くが愛国的な人物だった。それにこの世界のヤン・ウェンリーは参謀としては評価されているが、指揮官としての実績は皆無に近い。極論すると、現時点ではヤン・ウェンリーよりエリヤ・フィリップスの名前の方が信頼される。

 

「……こっちはこっちでまとめろってことか」

 

 自分が防衛部隊司令に起用された理由がようやく理解できた。やはりヤン司令官代行は天才だ。勝つためなら何だって利用する。

 

 俺はデスクの中から演説原稿を取り出した。そして、配下の全部隊と通信回線を開き、全軍放送を始めた。

 

「戦友諸君。エル・ファシルは未曾有の危機に直面している。だが、恐れることはない。エル・ファシルは何度も危機を克服した惑星だからだ。

 

 八年前、取り残された民間人三〇〇万人と軍人一〇万人は風前の灯だったが、一致団結して奇跡の脱出を果たした。そこには超人もいなければ天才もいなかった。己の職分を忠実に果たした普通の人だけがいた。そのことを思い出してほしい。

 

 私が諸君に望むのはただ一つ。己の職分をいつも通り果たして欲しいということだ。いつものように持ち場を守り、いつものように警戒し、いつものように戦う。それだけでいい。これまでの訓練と経験が諸君を勝利へと導くだろう。

 

 私は諸君の力を頼りにしている。諸君が学んだ知識、身につけた技能、刻みつけた経験を頼らせて欲しい。

 

 私は諸君の努力を知っている。諸君がどれほど懸命に軍務に取り組んだかを知っている。諸君が欠乏の中でも誇りを失わなかったことを知っている。諸君は一人の例外もなく、誇りある同盟市民であり、名誉ある同盟軍人であり、そして私が尊敬する戦友だ。

 

 昨日までの努力が今日を作り、今日の努力が未来を切り開く。一日一日の積み重ねの上に自由惑星同盟の二六八年がある。この一日の戦いが一〇〇〇年の未来を切り開くのだ。

 

 一三〇億の同胞のために戦おう! 祖国の未来のために戦おう! 自由惑星同盟万歳!」

 

 俺が拳を振り上げると同時に、指揮所、そして通信回線が「自由惑星同盟万歳!」の叫びで満たされた。幕僚たちの目がきらきらと輝きだす。俺の腹痛も収まった。

 

 八年間の英雄稼業の経験がここに来て役立った。愛国的な人がどんな言葉を望んでいるかが手に取るように分かる。俺の知名度もいくらかは作用しているだろう。虚名であっても名前は名前だ。作られた英雄をやってきたことが初めて意味を持った瞬間だった。

 

 六八年前のエル・ファシルで道を誤り、八年前のエル・ファシルでは単なる傍観者、四年前のエル・ファシルでは広告塔に過ぎなかった。そんな小物が八万の大軍を率いて偉大なヤン・ウェンリーの留守を守り、内乱を阻止しようという。大それているとしか言い様がない。しかし、その役目を負うのは他でもない俺なのだ。

 

「首席幕僚、最優先目標は?」

 

 コクラン首席幕僚の知恵を借りることにした。

 

「星系政庁を奪還すべきです。象徴的な場所ですので」

「そうだな。政治中枢が占拠されたままじゃ格好が付かない」

「第八強襲空挺連隊を投入しましょう。最も対テロ作戦に強い部隊です」

「よし、分かった」

 

 俺は第八強襲空挺連隊と連絡をとった。話し合いの結果、最強連隊の最強中隊である常勝中隊を差し向けることが決まった。

 

「こちらは防衛部隊司令部。フィリップス司令だ」

「インヴィシブル・カンパニー本部、フルーツケーキ副隊長です」

 

 すぐに常勝中隊と連絡がついた。フルーツケーキというのは本名ではなくコードネーム。特殊部隊隊員は。味方との通信でも本名を名乗らず顔も出さない。薔薇の騎士連隊隊員や常勝中隊長ムルティ大尉は顔も名前も出すが、それは宣伝上の都合だ。

 

「本刻より貴官らの指揮権は防衛部隊に移った。星系政庁奪還を命ずる」

「期限は?」

「可能な限り早く」

「かしこまりました。レベル一〇の資料使用権限を許可願えますか?」

「わかった。許可する。他に必要な物は?」

「目標から半径五キロ以内の全部隊に対する臨時指揮権。当連隊の隊長に付与願います」

「指揮権を第八強襲空挺連隊に一本化するのだな。了解した」

 

 フルーツケーキは本当に頭の回転が早い。話がポンポン進む。声の感じからすると二〇歳そこそこの女性っぽい。士官学校を優等で卒業したエリートだろう。勇敢でカリスマのあるムルティ隊長に、頭の回るフルーツケーキ副隊長。絶妙な取り合わせだ。

 

 通信を終えた後、無性に糖分が欲しくなった。袋からカステラを取り出して口に入れる。糖分も気合も十分だ。テロリストとの戦いは佳境に突入した。

 

 

 

 テロ攻撃を受けた場所は三四か所に達したものの、アブダラ副司令とコクラン首席幕僚の補佐、各部隊の奮戦によって撃退した。テロリストの一部が物不足抗議のデモに紛れ込み、暴動を煽ろうと企んだが未遂に終わった。テロリストと合流してインフラ施設を攻撃した暴徒に対しては、市民でなくテロリストの一味とみなし、催涙ガス、放水などを使用して押さえ込んだ。

 

 星系政庁のテロリストは、常勝中隊によって排除された。人質の犠牲者は一人もなし。地下から潜入し、天井裏を通って一五階と八階と三階の三箇所から同時奇襲を仕掛けたのだという。

 

 一七日の朝六時頃には、防衛部隊と星系警察による包囲網が完成した。テロ攻撃は止まり、掃討戦の段階に入っている。

 

 七時二〇分、宇宙の勝敗が決した。敵軍は味方の二倍以上だったが、ヤン司令官代行は策略を使って四つに分断することに成功し、その一つ一つを包囲殲滅していった。旗艦「スナーリング・オールドマン」を撃沈された敵将レミ・シュライネンは戦死。天才ヤン・ウェンリーは、前の世界よりもはるかに鮮烈なデビュー戦を飾ったのである。

 

 地上でも宇宙でも同盟軍の勝利が確定してから間もなく、防衛部隊の指揮所に一本の通信が入った。

 

「第七〇〇任務部隊より、エル・ファシル防衛部隊司令宛てに通信が入っております」

 

 そのオペレーターの報告は人々を緊張させた。常識的に考えれば援軍到着の知らせだろうが、もしかしたら延期、いや中止かもしれない。ここ一〇日間のことを思えば、小心な俺はもちろん、冷静沈着なコクラン首席幕僚や勇敢なビューフォート次席幕僚ですら、悲観論に傾いてしまう。

 

「繋いでくれ」

 

 静まり返った中、俺は吐息混じりの声で指示した。スクリーンに援軍の司令官ホールマン地上軍少将が現れる。

 

「我ら第七方面軍第七〇〇任務部隊は、今から四時間後、一二時前後に惑星エル・ファシル宙域に到達する。防衛部隊には受け入れ準備を進めてもらいたい」

「了解しました」

 

 俺が承諾の意を伝えた瞬間、怒涛のような歓声が沸き起こった。

 

「やったぞ!」

「勝った! 勝ったんだ!」

 

 手を叩く者もいれば、拳を振り上げる者、口笛を吹く者、抱擁し合う者もいて、それぞれのやり方で喜びを表現する。その様子は、八年前にエル・ファシルを脱出した船団が、第七方面軍の保護下に入った時の様子ととても良く似ていた。

 

 俺は真っ先に当時の艦長であり、今は部下であるビューフォート次席幕僚のもとに駆け寄った。そして、両手を上げてハイタッチの姿勢を取る。

 

「よーし!」

 

 ビューフォート次席幕僚は掛け声とともに俺の両手を力いっぱい叩く。

 

「うわっ!」

 

 疲れていた俺は、次席幕僚の強すぎるタッチを受け止めきれず、後ろに倒れこんだ。その様子を見てみんなが大笑いする。俺も尻餅をついたままつられて笑う。軍人になって八年目、自分の総指揮で手に入れた勝利はたまらなかった。

 

 八年前はその場で無礼講を始めたものだが、今回はまだまだやるべきことが多い。一通り喜びをぶちまけ終わると、部下たちは持ち場に戻る。

 

 一二時一〇分、第七〇〇任務部隊副司令官カールセン准将に率いられた宇宙部隊は、エル・ファシル星系に通じるすべての航路から革命政府軍を排除した。

 

 一二時四〇分、第七〇〇任務部隊司令官ホールマン少将は、揚陸部隊を率いて惑星エル・ファシル宙域に到着。陸戦隊五個師団と空挺部隊四個師団がシャトルに乗って降下し、宙陸両用戦闘艇二〇〇〇隻が大気圏内へと突入した。

 

 空から降ってくるシャトルの群れ、上空を飛び回る宙陸両用戦闘艇、宇宙港から絶え間なく吐き出される兵士などの姿は、暴徒の興奮を覚ますには十分であった。

 

 第七〇〇任務部隊は、トリューニヒト国防委員長から暴動鎮圧命令を受けていた。エル・ファシルとハイネセンの通信が回復すると、エル・ファシル防衛部隊にも暴動鎮圧命令が下る。数時間のうちに暴徒は逃げ散り、一九時までにすべての都市が秩序を回復。こうして、七月七日から続いたエル・ファシルの危機的状況は終焉を迎えた。

 

 エル・ファシル星系とエル・ファシル軍は第七方面軍の直接管理下に置かれることとなり、第七〇〇任務部隊司令官ホールマン少将が駐留軍司令官に就任した。

 

 二三時に駐留軍への引き継ぎが終わった。俺はまっしぐらにダーシャ・ブレツェリ中佐の官舎へと向かう。とにかく会いたくてたまらなかった。

 

 援軍到着から三四時間が過ぎた一八日二二時。俺は防衛部隊司令部の士官食堂で食事をした。勤務シフトの関係から二四時間営業になっており、どの時間帯でも食事ができるのである。

 

 一緒に席を囲んでいるのは、防衛部隊副司令アブダラ代将、防衛部隊次席幕僚ビューフォート中佐、第八一一独立任務戦隊情報主任メイヤー少佐、第八一一独立任務戦隊後方主任ノーマン少佐の四名。彼らはのんびりと酒を楽しんでいる。

 

「起き抜けの食事ですか?」

 

 ビューフォート次席幕僚が首を傾げる。

 

「二一時に起きたばかりなんだ」

「丸一日眠っておられたのですな」

「寝てたのは一〇時間くらいかな。九時間くらいかも」

「ああ、そういうことでしたか」

 

 ビューフォート次席幕僚のダンディーな顔に妙な笑みが浮かぶ。

 

「そういうことでしょう」

 

 ノーマン後方主任が頷く。

 

「一二時間ですか。お若いですなあ」

 

 アブダラ副司令が細い目をさらに細める。

 

「君たちは何か勘違いしてないか?」

 

 どうにかごまかそうとしたが、完全に失敗した。ヤン司令官代行の一パーセントでも知略が欲しいと切実に願う。

 

 その後、一〇日間の戦いの感想をがやがやと話し合った。この場にいる者のうち、地上にいたのは俺とアブダラ副司令とビューフォート次席幕僚。ノーマン後方主任、メイヤー情報主任はヤン司令官代行のもとで戦った。

 

「いつもと変わりませんよ。それにしても今日のピクルスはなかなかうまいですね」

 

 メイヤー情報主任はパクパクとピクルスをつまむ。確かに誰の下でも同じだろう。こだわりがまったく無いのだから。

 

「本当に素晴らしい用兵でした! 指示の一つ一つが深い意味が込められてるんですよ! 天才とはヤン提督のことでしょうね! あの時、まさに戦争の歴史が変わったんです!」

 

 ノーマン後方主任は口をきわめてヤン司令官代行を称える。しかし、「ヤンの用兵がどう素晴らしいのか」とか聞かれても、まともに答えられないだろう。凄い人の下で凄い戦いに参加した。それだけが彼にとって大事なのだから。

 

「終わってみれば、すべてヤン提督が正しかった。神算鬼謀とはまさにあのことですな。私ごときの及ぶところではない」

 

 ビューフォート次席幕僚は、テーブルの上に空ジョッキとチキンの骨を積み上げてから、しみじみと語る。

 

 戦いが終わった後、ヤン司令官代行は種明かしをしてくれた。暴動鎮圧を禁じたのは、戦力の集中、ライフラインの死守、そして防衛部隊にスパイが紛れ込んでいる可能性があったからだった。暴動鎮圧部隊に紛れ込んだスパイが民間人を殺したら、政治的に敗北する。

 

「戦力の集中、ライフラインの死守までは何となく予想できたんですよ。暴動鎮圧に出てる間に、手薄になった送電網や通信網を遮断されたら、防衛部隊は動けなくなる。軍事的合理性だけを考えれば最善の選択でしょう。人心の安定という点では最悪ですが。私の心も乱れましたからな」

 

 苦笑いを浮かべるビューフォート次席幕僚。彼は一昨日までヤン司令官代行に批判的だった。

 

「しかし、スパイについては思い至りませんでした」

「思い至らないようにしてたんだよ。俺たちがスパイ探しに乗り出したら、司令官代行は止めるつもりだったんだから」

「それが正解でしょう。星系政府はひどい体たらくです」

「俺たちが相互不信に陥ったら、それこそ敵の思う壺だった。本当に嫌らしい敵だ」

 

 ヤン司令官代行がスパイのいる可能性に触れなかった理由。それは第一に確証がなく、第二に疑心暗鬼の種を作らないためだった。スパイ探しに熱中して分裂状態になった星系政府、最も疑われにくい人物ばかりが工作員だったことなどを考えると、消極策が正しかったといえる。刺客としてぶつけてくるのは予想外だったらしいが。

 

「正しかったんでしょうな。正しいだけですが」

 

 アブダラ副司令は吐き捨てるように言う。

 

「どういうことだい?」

「この数日間で東大陸の西半分は焼け野原になりました。それでも、あの提督は良かったと言えるんでしょうな。『壊れたのは建物と車だけで人が死ななかった。だから良かった』と。私は警備屋なんでね。作戦屋のように損害を足し算引き算できんのですよ」

「暴動鎮圧に出動した方が良かったってことかな」

「ええ。多少の死者が出ても出動すべきでした。少なくとも三年は暴動を放置したツケに悩まされるでしょうな」

「軍人のふりをしたスパイが、どさくさ紛れに民間人を殺すかもしれないよ」

「私の言う多少の死者には、それも含まれます」

「そうか」

「二度とあの提督の下では戦いたくないですな」

「副司令の言いたいことは分かった」

 

 これ以上突っ込もうとは思わなかった。ヤン司令官代行とアブダラ副司令では、優先するものが違いすぎる。

 

 めでたい勝利の翌日だ。とげとげしい話をしてもしょうがない。ノーマン後方主任がプロベースボールの首位打者争いの話を始めたのを機に、戦いの話は切り上げた。そして、エル・ファシル市で流行りのブルーベリー・クレープを食べつつ、雑談を楽しむ。

 

「司令はイバルラとルサージュのどちらが勝つと思われますか?」

「俺はイバルラだと思うな」

「どうしてです? 黄金の足も膝を故障してからはさっぱりです。内野安打には期待できないのではないかと」

「イバルラは小さいのに頑張ってるんだぞ? ロマンがあるじゃないか」

「えっ?」

「君はロマンがわからないんだな」

 

 俺は軽くため息をついた。ルサージュの身長は一九九センチ、イバルラは一六八センチ。どちらにロマンがあるのかは一目瞭然だろう。ノーマン後方主任は一七九センチ。身長が高いとロマンもわからなくなるらしい。

 

 六枚目のクレープに手を伸ばすと、食堂に据え付けられた大型テレビからニュース速報のチャイム音が流れた。どんなニュースだろうと、この一〇日間にエル・ファシルで起きた事件ほどではないだろうと思い、何気なくスクリーンに視線を向ける。

 

「本日二三時三〇分頃、エルゴン星系の惑星シャンプールにある第七方面軍司令部ビルが襲撃されました。被害状況及び犯人の詳細は不明」

 

 大きなスクリーンに映るのは、炎上しながら崩落する第七方面軍司令部ビル。六年前、幹部候補生養成所の受験勉強に励んだ懐かしいビルの惨状に、血の気が引いていく。あの中には旧知のムーア中将もいたはずだ。

 

 勝利の余韻は一瞬にして消え去った。食堂にいる人々はみんな呆然としてテレビを見詰める。静まり返った中、ビューフォート次席幕僚らがぼそぼそと話す。

 

「方面軍の司令部ビルがテロ攻撃されるとはなあ。警備部隊は何をしてたんだ」

「第七〇〇任務部隊についてこちらに来たんでしょう」

「情報機関や警察もみんなこっちに来てますね」

 

 みんなの言うことをまとめると、勝利でこちらの気が緩んだ一日後、軍隊、警察、情報機関などがエル・ファシルに集まった隙を突かれたらしい。これは偶然なのだろうか? それとも、革命政府軍との連携プレーなのだろうか?

 

 二〇の有人星系と一七六の無人星系を統括する第七方面軍司令部ビルの襲撃。自由惑星同盟の二六八年の歴史でも稀に見る大規模テロは、エル・ファシルの騒乱よりはるかに大きな衝撃だった。


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