銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第45話:シャンプール・ショック 796年7月19日~8月8日 官舎~エル・ファシル防衛部隊司令部

 七九五年七月一八日深夜、エルゴン星系第三惑星シャンプールの第七方面軍司令部ビルが、正体不明のテロリストによって爆破された。

 

 巨大な司令部ビルが崩落する映像は、瞬く間に同盟全土及びフェザーン自治領に中継され、すべてのテレビ局が臨時ニュースの放送を開始した。俺は眠ることもできずにじっとテレビを眺める。

 

 NNNニュースキャスターのウィリアム・オーデッツは、巨大な司令部ビルが崩落する映像を指さして叫んだ。

 

「同盟市民の皆さん! この映像から目を背けないでください! これは現実です!」

 

 刻一刻と変化するシャンプールの状況を反映するかのように、テレビ画面は次から次へと新しい情報を流す。

 

「死者は一〇〇名、負傷者は三〇〇人程度」

「ムーア司令官は無事」

「何者かが消防隊に発砲、消防士二名が負傷」

「地下鉄シャンプール中央駅で爆発が発生」

「第七方面軍憲兵隊長が所在不明」

「同盟地域社会開発委員会シャンプール事務所ビルに、トレーラー三台が突入」

「EDA(エリューセラ民主軍)が関与の可能性」

「ホテル・ユーフォニア・シャンプールが爆発」

「シャンプール市中心部のコンビニで立てこもり事件。テロリストの一味か」

「司令部職員のうち、ムーア司令官など二〇〇〇名以上が行方不明」

「シャンプール地上軍航空基地警備隊、不審者と交戦中」

「エルゴン星系警察本部付近で自動車が爆発」

「地下街で異臭騒ぎ。毒ガス攻撃の可能性」

「コンビニ立てこもり犯はテロと無関係の麻薬中毒者」

 

 それらの情報は雑多で整合性を欠き、訂正された情報がまた訂正されるといった有様で、現場の混乱ぶりをよく現していた。

 

 ネットでは眉唾ものだが刺激的な情報が飛び交う。

 

「事件直後、現場から一〇台ほどの軍用トラックが走り去ったのを見た」

「犯人グループはシャンプール市の亡命者居住区に潜伏中。軍と警察は既に包囲を完了した」

「シャンプール市郊外の高速道路で、警察が白いワゴン三台を追跡中」

「憲兵隊は犯人が使った地下トンネルを発見」

「現在も基地の敷地内で軍とテロリストの戦闘が続いている」

「警察はエル・ファシル解放運動の犯行と断定し、シャンプール在住のエル・ファシル出身者を片っ端から予防拘禁している」

「テロではない。基地警備隊が反乱したのだ」

「高速艇に乗って密出国しようとしていた国籍不明の人物数名が拘束された。彼らはみんな帝国訛りの同盟公用語を話しているらしい」

 

 どれも話としては面白い。しかし、他の情報との矛盾が大きくて、信頼性に欠ける。現時点ではネタとして受け止めた方が良さそうだ。

 

 テロ発生から三時間が過ぎた一九日午前二時、ボナール最高評議会議長は、六六八年のコルネリアス一世の大親征以来、一二八年ぶりとなる国家非常事態を宣言した。現役部隊と予備役部隊の総動員、すべての宇宙航路の封鎖、航行中の民間船に対する強制着陸命令、夜間外出禁止などの措置が次々と実施された。

 

 午前五時に上院と下院が緊急招集され、戦時特別法に基づく非常指揮権を最高評議会議長に付与する決議を行った。これもコルネリアス一世の大親征から一二八年ぶりのことだ。

 

 この日の仕事を終えた俺は、友達のダーシャ・ブレツェリ中佐とともに、テレビを食い入るように見つめる。

 

 画面に映っているのは、無感動な表情で決まり文句を適当に並べ立てるボナール議長。まったく抑揚のない声が眠気を誘う。三〇年前は「切れすぎるほど切れる」と恐れられたらしいが、今はすっかり錆びついてしまったようだ。

 

 老いた議長が演説を終え、ハンサムなヨブ・トリューニヒト国防委員長が演壇に登ると、急に画面が華やいだ。

 

「昨日、我らが同胞が暴力の犠牲となった。

 

 彼らは勇敢で忠実な兵士だった。そして、父親であり、母親であり、兄であり、弟であり、姉であり、妹であり、友人であり、良き隣人だった。卑劣で残虐な暴力は、国家から兵士を、市民から家族や友人を永遠に奪い去った。

 

 第七方面軍司令部ビルの爆発には、単に一つのビルが破壊されたという以上の意味がある。我々の家族や友人が炎の中で生きながら焼かれ、降り注ぐがれきに生きながら埋もれ、痛ましい最期を遂げたのだ。

 

 テロリストはどうしてこのような暴挙を行うことができるのか? 大切な家族であり、友人である人々を殺すことに心の痛みを覚えなかったのか? なぜ、我々の家族や友人は殺されなければならなかったのか? そのことを思うたび、驚き、悔しさ、悲しみ、怒りにおそわれる。今の気持ちを表現する言葉を私は知らない」

 

 トリューニヒト委員長の顔と声は、沈痛そのものだった。

 

「テロリストは家族や友人を殺せば、我々が屈服すると思っているのだろう。しかし、それはとんだ思い違いだ。

 

 愛する者を奪った相手に屈服する者がこの世のどこにいるというのか? 悲しみや怒りはある。だが、恐怖するいわれなどない。我々を屈服させようという企みがあったとしたら、それは既に失敗に終わった。

 

 暴力でビルを打ち砕くことはできるだろうが、我々の精神を打ち砕くことはできない。歴史がそう証明している。

 

 我々は誇り高き自由の民だ。アーレ・ハイネセンと建国の父たちが流刑星を脱出してから三三二年、一日も休むことなく戦い続けてきた。ゴールデンバウムのくびきですら、我々を縛ることはできなかった。まして、テロリストごときに何ができるのか? 自由を求める意思より強いものはないことを我々は知っている。

 

 我々は暴力で脅迫してくる者に決して屈しない。我々は父親、母親、兄、弟、姉、妹、友人、隣人を殺そうとする者を決して許さない。我々は自由のためなら命など惜しまない。

 

 自由の砦、我らが祖国、自由惑星同盟には、殺人者や脅迫者の居場所など寸土たりとも存在しないのだ! そのことを犯罪者どもに思い知らせてやろう!

 

 すべての力を国旗のもとに結集しよう! 自由を守るために戦おう! 家族や友人が暴力に脅かされることのない世界のために戦おう!

 

 自由万歳! 民主主義万歳! 自由惑星同盟万歳!」

 

 トリューニヒト委員長が力強い美声で呼びかけた。彼の演説は一種の音楽だ。聴いているだけでうっとりとする。いつもの気さくな彼も魅力的だけど、演説する彼もまた魅力的だ。

 

「そう? なんか胡散くさいんだけど」

 

 左隣のダーシャが水をさす。

 

「君がリベラリストだからそう感じるんじゃないのか?」

「だって、何も考えてなさそうだもん。煽るだけ煽ってあとは知らんふりみたいな」

「ノリやすい人だからそう見えるだけだよ」

「俳優ならそれでいいけどさ。政治家は落ち着いてなきゃだめでしょ。レベロ先生やホワン先生みたいにね」

「トリューニヒト先生だって落ち着いて……」

 

 俺は首を横に振った。トリューニヒト委員長は感情的であるゆえに、市民と一緒に怒り、一緒に悲しみ、一緒に楽しめる。そこが人気の源、そして俺がひかれた理由なのだから。

 

「落ち着いてはいないかもしれないけど、温かい人なんだよ」

 

 俺は話を打ち切り、ダーシャが作ってくれたエル・ファシル風ソラ豆煮込み「フール」、エル・ファシル風肉野菜入りサンドイッチ「シャウルマ」をつまんだ。テレビの中では、情勢がめまぐるしく動いている。

 

「エリューセラ民主軍(EDA)が『シャンプールの反同盟闘争を支持する』との声明を発表」

「第七方面軍司令官ムーア宇宙軍中将は行方不明。地上軍担当副司令官オルバーン地上軍少将が司令官代行に就任」

「帝国軍務省はフェザーンマスコミにテロとの関係について問われ、『ノーコメント』と答える」

「クリップス法秩序委員長は、帝国情報機関がシャンプールのテロに関与した可能性を示唆」

「ここ二週間、第七方面軍はエル・ファシル問題に忙殺されてきました。深夜三時になっても司令部ビルの明かりは灯ったままで、不夜城のようだったと言います。深夜の犯行にも関わらず、ムーア司令官以下一〇〇〇名以上が行方不明という大惨事に発展した背景には、このような……」

 

 第七方面軍司令官ムーア中将の行方不明が一番衝撃だった。幹部候補生養成所受験からいろいろとお世話になった人だ。どうか無事でいて欲しいという思いを込めて、テレビを見つめ続けた。

 

 

 

 できることならば、テレビに張り付いていたかったが、防衛部隊司令の重責にある身ではそうもいかない。

 

 これまでの経過を報告書にまとめ、死傷者リストを作り、物資の消費量と残量を把握し、暴動や戦闘による損害を算出し、配下部隊の功績評価を行い、反省点を列挙し、責任者としての所見を記す。書類仕事に追い回された。

 

 エル・ファシル駐留軍の管理下に入ったエル・ファシル軍も忙しい。残務処理に加え、逃げ散った海賊や傭兵の追跡、無人星系の再制圧といった仕事がある。

 

 風下に立たされたエル・ファシル軍が反発するのではないか。そう懸念する声もあったが、エル・ファシル軍司令官代行ヤン・ウェンリー准将は、駐留軍の優越を受け入れた。

 

「私よりホールマン将軍の方がこういう仕事には慣れてるからね。適材適所さ」

 

 ヤン司令官代行はそう語ったそうだ。しかし、その直後に椅子の背もたれを倒し、ベレー帽を顔に乗せて昼寝を始めたという話も同時に伝わっており、別の思惑もあったように思われる。

 

 駐留軍司令官ホールマン少将と副司令官カールセン准将は総攻撃を開始した。革命政府軍はエル・ファシル方面から撤退。テロや暴動はピタリと止まり、駐留軍が放出した物資によって物不足は解消され、エル・ファシルは安定を取り戻した。

 

 地上の政情は未だ安定していない。独立宣言に署名したとして拘束されたロムスキー星系教育長官、ダーボ星系議会議員は、ヤン司令官代行が予想した通り、革命政府と無関係だった。しかし、警察官、星系政府職員、有力者の子弟など数十名が内通者として逮捕された。重要参考人として事情聴取を受けた者の中には、星系議会議員や星系警察幹部もいるらしい。

 

 防衛部隊からは二二名の逮捕者が出た。全員が惑星エル・ファシルの出身の下士官・兵卒で、元義勇旅団隊員も含まれる。また、逃亡した一四名、防衛部隊幹部を暗殺しようとして殺された一八名もすべて惑星エル・ファシル出身の下士官・兵卒だった。

 

 当初、これらの地下組織は帝国が築いたものと思われた。しかし、逮捕者の供述などから、エル・ファシル人の手で築かれた可能性が強くなってきた。

 

 発端は四年前の惑星エル・ファシル奪還戦だった。故郷が荒廃したことへの絶望、復興事業に消極的な中央政府への反感などが、既成勢力の一部を反同盟に転じさせた。特に過激だったのが、プラモート元メロエ市長をリーダーとするグループである。彼らはELNと手を組むと、人脈を利用してエル・ファシルの官庁や軍隊に浸透し、強力な反同盟地下組織を作り上げた。無名のプラモートが革命政府主席に選ばれたのは、彼の組織が最大勢力だったかららしい。

 

 何ともやりきれない話だ。俺が英雄になったことがまわり回って、とんでもないテロ組織を作り出してしまった。刺客を差し向けられたのは因果応報なのかもしれない。

 

 ある日、エル・ファシル憲兵隊のイグレシアス中尉が、ルチエ・ハッセルが俺宛てに書いた手紙が見つかったと知らせてくれた。

 

「ご覧になりますか?」

「見せてくれ」

 

 俺は即答した。自分を殺そうとした昔馴染みからの手紙。気分の良い内容ではないだろうが、無視もできない。

 

「わかりました」

 

 イグレシアス中尉が端末を操作すると、文章が画面に現れた。

 

「これは……」

 

 一見しただけで言葉を失った。そこに記されていたのは、輝かしいエル・ファシル脱出作戦や義勇旅団の影であり、見捨てられたエル・ファシル人の歴史でもあった。

 

 俺がシャンプールのジョード・ユヌス宇宙港で大歓迎を受けていた時、ハッセルは「シャンプールには、三〇〇万人も受け入れるキャパが無い」と言われ、他の避難民とともに貨物船の船室に押し込められたままだった。

 

 俺がハイネセンでマスコミに持ち上げられていた時、ハッセルはプレハブ作りの仮設住宅に住み、わずかな生活支援金をもらいながら仕事を探していた。

 

 俺が士官になろうと努力していた時、生活支援金を打ち切られたハッセルは、低時給のバイトで食いつないでいた。

 

 俺が義勇旅団長としてマスコミに再登場した時、ハッセルは貧しい暮らしから逃れたい一心で、義勇兵とは名ばかりの雇い兵となり、厳しい訓練を受けていた。

 

 俺が陸戦隊員に守られて戦っていた時、ハッセルのいた義勇兵中隊は、「目立つ場所で戦わせたい」という上層部の意向で、無謀な突撃を命じられた。一七七名いた隊員のうち、生きて終戦を迎えることができたのはわずか四九名。別の部隊で戦っていたハッセルの姉二人も戦死した。

 

 俺がハイネセンで安穏と暮らしていた時、ハッセルは焼け野原と化した故郷の惨状に愕然としていた。

 

 俺がイゼルローン遠征軍に加わっていた時、ハッセルの両親は失意の中で亡くなり、ハッセルは一人きりになった。

 

 絶望したハッセルは、エル・ファシル・ナショナリズムに傾倒し、その中で最も闘争的なプラモート・グループに加わった。そして、英雄に成り上がった俺を殺そうと思い、本懐が遂げられなかった時のためにこの手紙を残したのだそうだ。

 

「貴様が英雄面をしている間に流されたエル・ファシル人の血と涙を知れ! 貴様の足場は我らが同胞の屍の上にあることを知れ!

 

 エル・ファシル革命万歳! いつの日か偽りの英雄に鉄槌が下されんことを!

 

 エル・ファシル人 ルチエ・ハッセル」

 

 遺書を読み終えた途端、胸が締め付けられる思いがした。俺はもともと存在しなかった二人目のエル・ファシルの英雄である。本来は結成されないはずの義勇旅団を結成させ、本来は起きないはずの地上戦を引き起こした。前の世界では同じ役割を果たした人物はいなかった。俺が憎悪の種をまいたのだ。

 

「あまりお気になさらないでください。この星に住む者のほとんどは、フィリップス司令に感謝しておりますから」

 

 落ち込んだ様子を見かねたのか、イグレシアス中尉はそういって慰めてくれた。

 

「いや……」

 

 俺は顔を伏せた。感謝してくれる人がいることは知っているが、自分がそれに値しないことも知っている。いや、知っていたつもりだった。いざ真実に直面すると、こんなにも打ちのめされるのだから。

 

「中尉、逮捕された者はどうなる?」

「首謀者は死刑もしくは終身刑、その他は五年から三〇年の懲役といったところです」

「軽く済ませるわけにはいかないか?」

「奴らは軍人でありながらテロに荷担した。軽い処分では示しが付きません。元憲兵のあなたならご存知でしょう」

「変なことを聞いてしまった。すまない」

 

 ハッセルもイグレシアス中尉も正しい。俺だけが間違っている。

 

「奴らは脱出作戦と奪還戦の英雄を皆殺しにするつもりでした。ヤン提督を暗殺する計画もあったそうですよ。とんでもないでしょう? 全員極刑にしたって飽き足りません」

「そ、そうだな……」

 

 話が終わった後、俺は逃げるように応接室から飛び出した。人目を避けるように非常階段を駆け上り、司令室へと駆け込む。

 

「糖分だ。糖分がほしい」

 

 コーヒーを作り、砂糖とクリームをたっぷり入れてドロドロにした。そして、一気に飲み干す。

 

「味がしない……?」

 

 不審に思って砂糖を一さじ追加する。それでもまったく甘さを感じない。

 

「どういうことだ?」

 

 砂糖を追加しては口をつけ、追加しては口をつけ、砂糖入りコーヒーがコーヒー味の砂糖になるまで、砂糖を加え続けた。それなのにまったく甘さを感じない。

 

「これならどうだ」

 

 今度は砂糖を直接スプーンに乗せ、口に放り込む。

 

「ちっとも甘くない……」

 

 じゃりじゃりした感触だけが舌に残る。まるで砂を噛んでいるようだ。こんな経験は今の世界では初めて、前の世界と合わせると二回目だった。

 

 罪悪感から逃げるように仕事に取り組んだ。手を動かしている間は余計なことを考えずに済む。そして、暇を見ては負傷した部下の見舞いに行く。

 

「生きててくれて本当に良かった」

 

 俺の代わりに撃たれたシェリル・コレット中尉の手を握り締めた。二か月か三か月は入院することになりそうだが、後遺症が残る可能性は低いという。ハッセルの使った武器がブラスターだったのが不幸中の幸いだ。これが火薬銃だったら、衝撃で内臓が潰れていたかもしれない。

 

「君のおかげで助かった。ありがとう」

 

 何度も何度も頭を下げる。妹に似た容姿はもはや気にならない。身を捨てて尽くしてくれたのだから。

 

「早く良くなってくれよ。これからも一緒に働きたいからな」

「私と一緒に……、ですか……?」

「そうとも! 次に何かあった時も君がいれば安心だ!」

 

 昇進と叙勲の推薦、ハイネセンに戻った後の登用を約束した。そして、カンパニュラとピンクのバラのフラワーアレンジ、小説二冊、漫画二冊を置いて帰る。

 

 防衛部隊司令部ビルの戦闘で四名、惑星エル・ファシル全体では三九九名が戦死した。マスコミは「惑星規模の戦いで、指揮系統が混乱していたのにこの程度の犠牲で済んだ。さすがはフィリップス代将だ」と褒めてくれる。

 

「准将ですか?」

「そうとも、ハイネセンに戻ったら君は准将だ。二八歳の准将だよ」

 

 トリューニヒト委員長から准将昇進の内示を受けた。だが、そんなのは慰めにならない。終わってみると苦い思いばかりが残る戦いであった。

 

 

 

 援軍到着から二週間が過ぎた頃には、ゲベル・バルカルの敗北から一七日の総攻撃に至るまでの一連の騒動、すなわちエル・ファシル七月危機の輪郭が少しずつ分かってきた。

 

 ゲベル・バルカルの戦いのきっかけを作った「パウロ」ことハルク・イージェルは、表向きは海賊が警察に潜入させたスパイだが、実際は中央情報局の二重スパイと思われてきた。しかし、トップストーン少佐配下の三重スパイというのが真相だった。トップストーン少佐とは、海賊組織「ヴィリー・ヒルパート・グループ」の作戦参謀として、たびたび名前があがったフェザーン人傭兵である。

 

 イージェルはトップストーン少佐の命を受け、革命政府構想に反対する海賊を当局へと売り渡した。そして、海賊勢力を一本化したところで、ゲベル・バルカルの罠に誘いこんだのだ。

 

 反乱した資源惑星にも革命政府の手は伸びていた。プラモートとトップストーン少佐が別々に工作を進め、鉱山会社役員、管理事務所、鉱山警備隊などを取り込んでいった。海賊船を会社の船だと申告して宇宙港を使わせたり、会社名義で集めた兵器や物資を提供するなど、様々な便宜を図っていたという。

 

 エル・ファシルが通信封鎖されていた間、革命政府軍に捕らえられた鉱山労働者三〇万人の行方についてはまったく情報が入ってこなかったが、外部ではそちらの方が注目の的だった。

 

 人質一人あたり一〇万ディナールの身代金及びエル・ファシル独立承認を要求する革命政府。全員の無条件解放を求める同盟政府。両者は完全な平行線をたどった。

 

 捕らえられた革命政府幹部によると、当初は違う計画を立てていたそうだ。エル・ファシル方面軍を完全に叩き潰した後に、エル・ファシル星系を制圧し、市民と鉱山労働者を人質として交渉するつもりだった。鉱山労働者三〇万、惑星エル・ファシルの住民二五〇万、惑星ジュナイナの住民二〇〇万を人質に取れば、さすがの同盟政府も妥協せざるを得ないと踏んだのだ。

 

 ところが、残存戦力の追撃に失敗し、エル・ファシル星系の守りを固められてしまってから、予定が崩れ始めた。三〇万人の人質だけでは同盟政府から妥協を引き出せなかった。宇宙から侵攻するにも、ヤン司令官代行が敷いた二重の防御線には隙がない。地上のテロ部隊が住民を蜂起させて無政府状態を作ろうとしたが、分厚い警備を破るのも難しい。一七日の大攻勢は、援軍到着前に力づくでエル・ファシルを占拠しようという窮余の策だった。

 

 鉱山労働者の大半は、革命政府と鉱山会社が一〇日間の間に水面下で交渉し、ほとんどが一人あたり数千ディナールから数万ディナールの身代金と引き換えに解放された。この戦いで革命政府が手にしたものは、数十億ディナールの資金のみだった。

 

 ヤン司令官代行は、残存戦力の保全に成功し、革命政府軍のエル・ファシル星系侵入を阻止し、防衛部隊の全戦力をテロ警備に振り向け、一七日の大攻勢を挫折させた。結局のところ、彼一人が革命政府を敗北させたようなものだ。その功績は途方もなく大きい。

 

 非難される点があるとすれば、東大陸西部の暴動を放置したことぐらいだろうか。一部には批判者もいた。防衛部隊副司令アブダラ代将は、「ヤン司令官代行の対応は不適切かつ違法であった」として、国防委員会に告発状を提出した。反戦市民連合カッサラ支部など八つの反戦団体が、ヤン司令官代行や俺など軍人一一名及び国防委員会を保護義務違反で訴えた。

 

「エル・ファシルを見よ! 軍隊は市民を守らない!」

「ヤン提督に『絶対零度のカミソリ』というニックネームをプレゼントしよう。良く切れるが冷たすぎる」

「家や財産を焼かれて『助かった』と喜ぶ者がいるとしたら、それは精神的奴隷というものだ」

 

 反戦派の新聞は言葉を極めて批判する。

 

「ヤン・ウェンリー提督の冷徹さが国家を救った」

「小を殺して大を救うのは当然のこと。非難されるいわれがどこにあるのか」

「ヤンこそはI・G・R(鋼鉄の巨人ルドルフの隠語)の衣鉢を継ぐ人物だ。このような指導者を我らは待っていた」

 

 主戦派の新聞は手放しで絶賛した。

 

 トリューニヒト国防委員長はコメントを差し控えているが、トリューニヒト派の政治評論家ドゥメックがヤン弁護の論陣を展開しており、擁護派と見られる。自分が登用したヤン司令官代行が活躍したことで、どうにか面目が保たれた。何が何でも守り抜きたいところだろう。

 

 総じて見ると、ヤン司令官代行の判断は反戦派以外からは支持された。主戦派はもちろん、リベラル派もやむを得ないと言っている。

 

 ヤン司令官代行はこの状況に不満なようだと、ダーシャから聞かされた。当然といえば当然だろう。大嫌いな連中に大嫌いな論理で弁護されているのだから。一度は軍から退く意向を示したが、極右の統一正義党から「来年の下院選挙に我が党から出て欲しい」とラブコールを送られたため、急遽取り下げた。

 

「これが国内戦の難しさですよ。対外戦争のような足し算引き算の世界とは違う。死者が出たら『なぜ殺した』と批判されるし、財産が失われたら『なぜ守らなかった』と批判される。誰だって失われたものが気になりますから。どんな決断をしても必ず誰かから恨まれるのです」

 

 防衛部隊首席幕僚オーブリー・コクラン大佐は、ヤン司令官代行に同情的だった。

 

「大佐がヤン司令官代行の立場だったらどうした?」

「死者が出るのを承知で鎮圧します」

「なぜだ?」

「民衆を保護するのが軍の仕事だからです。ヤン司令官代行は、死者を出しませんでしたが、民衆を見捨てたとのイメージを与えました」

「死者を出してもいいというのかい? スパイが市民を殺しでもしたらどうする?」

「私は『鎮圧すべきではなかった』と批判されるでしょうな。どっちにしても批判されるなら、民衆を保護しようとして批判される方がましと考えます。家や財産を失う人も少なく済むでしょう」

「割り切ってるね」

「口で言うほど割り切れもしませんがね。人命重視を徹底したヤン司令官代行も間違ってなかったと思いますよ。民間人は一人も死ななかった。そして、何よりも無政府状態を阻止できた。この事実は何よりも重い」

「大佐らしい答えだ」

 

 俺は深く頷いた。コクラン首席幕僚は前の世界において、民需用の物資を守るために売国奴の汚名を受け、帝国に仕えてからも毀誉褒貶が多かった。腹が据わっていなければ、複雑な問題には対処できないのかもしれない。

 

 

 

 一八日から一九日にかけてシャンプール市内で発生したテロでは、市内一五か所が襲撃を受け、四〇〇〇名以上が亡くなった。

 

 死者の一人に第七方面軍司令官ムーア中将がいる。脱出を勧める部下に対し、「俺は無能者であっても卑怯者にはなれん」と言い、崩落するビルの中に残ったそうだ。

 

「責任を痛感したのではないか」

 

 そんな見方がほとんどだ。ムーア中将は軍情報部や中央情報局の警告を無視し、警備戦力までエル・ファシルに送り、結果としてテロを招いた。死をもって責任を取ろうと考えても不思議ではない。何とも痛ましいことだ。前の世界の愚将は、悲劇の将として四九年の生涯を終えた。

 

 犠牲者の数は自由惑星同盟史上では六二二年のベアランブール連続テロに次ぎ、六一〇年のカーレ・パルムグレン宇宙港爆破事件を上回る。いつしか、このテロは「シャンプール・ショック」と呼ばれるようになった。

 

 初日に流れた報道の多くは誤報、もしくは勘違いだった。消防車への発砲や星系警察本部近くの爆発などは完全な誤報、地下街の異臭騒ぎは単なる有機溶剤漏れ、所在不明だった第七方面軍憲兵隊長は愛人の部屋で酔い潰れていただけといった具合だ。

 

 関与が濃厚と思われたエリューセラ民主軍は、支持声明を取り下げ、「これは単なる大量殺人に過ぎない。反同盟闘争とは無縁のならず者が起こした犯罪だ」と非難するコメントを出した。

 

「よく言うよ」

 

 そう思ったのは俺一人ではないだろう。エリューセラ民主軍といえば、小学校の卒業式会場にゼッフル粒子をばらまき、州知事を児童四〇〇人もろとも爆殺するなどの非道ぶりから、「全人類の敵」と忌み嫌われた連中だ。大量殺人を批判する筋合いがあるとは思えない。だが、当局も彼らの関与については否定的だ。

 

 軍情報部、中央情報局、同盟警察が全力で捜査にあたっているが、実行犯が逃亡するか自決したため、実行組織の名前すら特定できていない。

 

 逮捕者を大勢出したエル・ファシル革命政府から情報を取ろうとする動きもある。しかし、こちらからの線からも有力な手がかりはなかった。

 

 正体不明の敵ほど怖いものはない。そして、テロリストはどこにでも現れる。恐怖と不安が同盟全土を覆い尽くし、犯人探しが流行した。分離主義者、同盟懐疑主義者、帝国からの亡命者、フェザーン移民、宗教コミューンの住人など「得体のしれない連中」が槍玉にあがっている。

 

「コルネリアス一世の親征に匹敵する危機ではないか」

 

 こんなことを言う者もいる。一二八年前、銀河帝国皇帝コルネリアス一世の親征軍は、ティアマト星域とドーリア星域で同盟軍宇宙艦隊を大破し、同盟首星ハイネセンから三光年の距離まで迫った。それに匹敵する危機だというのだ。

 

 普段は危機意識に欠けると言われる連立政権も、市民が想像する以上の真剣さをもってテロ対策に取り組んだ。

 

 予備役部隊を加えて一億人以上に膨れ上がった軍隊が厳戒態勢を敷いた。地上軍陸上部隊と宇宙軍陸戦隊は、政府施設・軍事基地・核融合発電所・エネルギー備蓄基地・恒星間通信センター・空港・ターミナル駅・水上港などの重要施設に配備された。航空部隊は空中、水上艦部隊は海上、潜水艦部隊は水中、戦闘艇部隊は衛星軌道上、宇宙艦艇部隊は宇宙空間に展開した。

 

 航路封鎖は解除されたものの、すべての宇宙港が宇宙軍の統制下に入り、出港と入港の両方に軍の許可が必要となった。これらを無視して航行すれば、同盟船籍であろうとフェザーン船籍であろうと、密航船として厳罰に処される。

 

 最高評議会直属の情報機関である中央情報局には、すべての通信記録に令状無しでアクセスする権限が認められ、同盟全土の通信ネットワークが監視網と化した。

 

 国内治安を統括する法秩序委員会には、同盟国内の官庁と企業の保有する記録すべてに令状無しでアクセスする権限が認められ、その他にも様々な権限が付与された。この措置によって、警察機関の捜査活動は法的制約を受けなくなった。

 

 これらの措置は個人の権利を大きく侵害するものであり、同盟憲章に反する部分も少なくない。だが、市民は対テロ作戦「すべての暴力を根絶するための作戦」を進めるために必要だと考えた。

 

 出身星系、社会階層、価値観など様々な理由から対立し合っていた一三〇億の市民は、共通の敵を得たことによって一つとなった。

 

「テロリストを倒せ!」

「犠牲者の仇を討て!」

「秩序を取り戻すのだ!」

 

 家庭、職場、学校など、人が集まる場所のすべてがそんな叫びに満たされた。

 

「我が国は決して不当な暴力に屈しない! 最後まで戦い抜く!」

 

 軍事作戦の総指揮を取るトリューニヒト国防委員長、捜査活動の総指揮を取るクリップス法秩序委員長らは、市民を鼓舞した。

 

「これは聖戦だ! 自由が勝つか、暴力が勝つか、二つに一つしか無い! 武器をとって立ち上がれ! 自由を守れ! テロリストを倒せ!」

 

 テレビ画面の中では、エイロン・ドゥメック、ホレイショ・ヴァーノン教授ら右派オピニオンオーダーが拳を振り上げる。

 

「戦いに参加させてくれ!」

 

 同盟軍の募兵事務所は入隊を希望する男女で溢れ返った。

 

「自分の街は自分の手で守る!」

 

 全国各地で対テロを目的とした自警団を結成する動きが広がった。そのほとんどは警察から補助金を与えられ、退役軍人や元警察官の指導のもとで、地域の治安維持に従事する。

 

 愛国と反テロをスローガンに掲げる市民団体が続々と設立された。街角では対テロ総力戦への支持を訴える市民集会が頻繁に開かれ、挨拶代わりに「報復だ!」という言葉が交わされる。ネットは政府支持とテロリスト糾弾の書き込みで埋め尽くされた。

 

 八月五日、ボナール最高評議会議長は記者会見を行い、「エル・ファシル危機に帝国情報機関が関与したことを裏付ける証拠が見つかった」と述べた。

 

 同盟警察本部は、ポール・アップストーン少佐ことパウル・フォン・オーベルシュタイン帝国宇宙軍大佐、アントニオ・フェルナトーレことアントン・フェルナー帝国地上軍大佐ら帝国人八名、ポンレサック・ピウオン元書記官ら同盟人六名を全銀河指名手配した。彼らにはシャンプール・ショックに関与した疑いもある。

 

 経済開発委員会はフェザーン自治領主府に対し、穀物輸出量を二割まで引き下げると通告した。フェザーンに輸出された穀物の八割が帝国、二割がフェザーンで消費されるため、事実上の対帝国穀物禁輸措置である。農業生産性が低い帝国にとって、穀物禁輸は大打撃になるだろう。

 

 翌六日、政府はイゼルローン方面への出兵を発表。現役部隊と予備役部隊を合わせて六万隻以上が動員される。テロに対する報復、そして帝国国内の政情不安に付け込むのが狙いだ。

 

 現在の帝国上層部は、リヒテンラーデ派、ブラウンシュヴァイク派、リッテンハイム派の三派に分かれて争っている。事の発端は帝国宰相リヒテンラーデ公爵の背信にあった。

 

 リヒテンラーデ公爵はもともと有力貴族ではない。元は子爵であったが、先帝によって侯爵へと引き上げられた人物だ。前例主義と事なかれ主義に達したスタイル、七五歳という高齢から、権力に対する執着は薄いと見られてきた。先帝が死ぬと引退を表明し、皇位継承問題に関しては中立公正な助言者として振る舞った。

 

 フリードリヒ四世が死亡した当時、枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵が擁する皇孫女エリザベート、大審院長リッテンハイム侯爵が擁する皇孫女サビーネが最有力の皇位継承者だった。両派が膠着状態に陥った時、リヒテンラーデ侯爵が一つの提案をした。

 

「先帝の仇を討った者が即位するというのはどうか」

 

 両派はこの提案に飛びつき、総力を上げて弑逆犯クロプシュトック侯爵を討伐に向かった。二人の皇孫女とその支持者が帝都を去った後、リヒテンラーデ侯爵は「とりあえず皇帝を決めないとまずい」と言い、故ルートヴィヒ皇太子の遺児エルウィン=ヨーゼフを即位させた。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵は「話が違う」と怒り狂ったが、軍隊と警察がエルウィン=ヨーゼフ帝の即位を支持している。しぶしぶ即位を認めた。

 

 現時点の第一人者は、帝国宰相・公爵に昇進したリヒテンラーデ公爵であるが、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵も巻き返しを狙う。軍隊と警察は消極的に新帝即位を支持したに過ぎず、リヒテンラーデ公爵の支持者ではない。カストロプ公爵ら重臣の動向が鍵を握るだろう。

 

 経済的には苦しい状況が続く。フェザーン政府との債務棒引き交渉が難航している。同盟が穀物輸出を停止したことで、食料供給が危機的状況に陥った。フェザーン経由で同盟に天然資源を売る道も閉ざされた。故ルートヴィヒ皇太子は債務問題と食料問題でつまずき、対外戦争に活路を求めたのは記憶に新しい。リヒテンラーデ公爵が同じ道をたどるのではないかと指摘する声もある。

 

 エル・ファシル危機への対応は混乱そのものだ。カストロプ公爵が「根も葉もない中傷」と帝国政府の関与を否定した翌日、軍務尚書エーレンベルク元帥が「エル・ファシルにおける英雄的な戦い」と全面肯定し、オーベルシュタイン大佐らの二階級昇進を発表するといった具合である。

 

 帝国に対する報復攻撃が決定した翌日、俺やヤン司令官代行などエル・ファシル軍の主要メンバーはハイネセンへと召還された。宇宙はなおも大きく動いていた。


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