銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第51話:部下との距離、上官との距離、政治との距離 797年2月中旬~2月28日 第三六機動部隊司令部~官舎~第一一艦隊司令部

 ハイネセン西大陸バーマス州のモードランズ市郊外に、六階建てのビルがある。一見すると役所のように見えるが、外壁には複合装甲が組み込まれ、窓にはめ込まれた超強化ガラスは徹甲弾の直撃にも耐え得る強度を持つ。警備兵一個中隊と自動迎撃システムが周囲を固める。この要塞のようなビルこそが第三六機動部隊の司令部庁舎であった。

 

 司令部庁舎の最上階に俺の執務室があった。クッションのきいたソファーに座り、窓から差し込んでくる陽光を浴びてると、一国一城の主のような気分になってくる。

 

「今日のスケジュールは――」

 

 アッシュブロンドの長い髪とぽってりした唇を持つ長身の美人がスケジュールを読み上げる。彼女は副官のシェリル・コレット大尉。数か月前までは風船のように膨れていたが、三か月の入院生活、退院後の鍛錬によって、鋼のように引き締まった。

 

「ご苦労だった。君の説明はいつもわかりやすいな」

「恐縮です」

「ミーティングを始めよう。みんなを集めてくれ」

 

 スケジュールの説明の後は、参謀長チュン・ウー・チェン大佐、副参謀長イレーシュ・マーリア中佐ら幕僚を集め、定例ミーティングを行う。

 

「来月の艦隊全体演習についてだが――」

 

 進行長役を務めるのはチュン・ウー・チェン参謀長。来月中旬、第一一艦隊は全体演習を実施する。最近はその準備で大忙しだ。

 

 ミーティングを終えたら仕事に入る。執務室にいる時は、書類を決裁し、部下から報告を受け、個別事項について指示を出し、来客に応対するなどの事務に励む。会議・懇談会・式典などに出席したり、視察に赴いたりすることもある。泊まりがけの出張も珍しくない。

 

 地域住民との交流にも力を入れる。正規艦隊所属部隊は地域との関わりが薄いため、浮き上がった存在になりがちだ。隊員を地元の祭りに参加させ、基地を一般開放する回数を年二回から四回に増やし、第三六機動部隊チームを市民スポーツ大会に参加させるなどの取り組みを行い、イメージの向上に努めた。

 

「どうして小人なんだ……」

 

 基地祭の日、俺は控室で鏡を見ながら呆然としていた。頭には尖ったナイトキャップ、体にはふわふわした緑色の服、足には緑色の長靴を着けている。ピクシーとかいう古代の妖精らしいが、どこからどう見ても小人ではないか。

 

「小人ではありません。妖精です」

 

 黒く長いローブに身を包んだコレット大尉が真顔で答える。冗談を言わないというか言えない人の言葉だ。本当に妖精なのだろうと信じることにした。

 

「そうか」

「ご不満ですか?」

「いや、そんなことはない」

 

 微笑みながら答えた。周りを見ると、チュン・ウー・チェン参謀長は白衣にエプロンとベレー帽を着用し、イレーシュ副参謀長は人気ドラマの主役と同じスーツに身を包み、他の部下もみんな仮装を済ませていた。

 

「ほんと、コレットちゃんの言う通り、超似合ってますよ~」

 

 人事参謀カプラン大尉がいつものようにいらないことを言う。ちょっといらついた。

 

「ありがとう」

「いやもう、提督ほどピクシーが似合う人はいませんって。プロになれるんじゃないすか?」

「しょせん余興だよ」

 

 内心で「ピクシーのプロって何なんだ」と思いつつ、表向きは平静を装った。

 

「どうです? 俺の仮装は似合ってます?」

「ああ、似合ってる。一騎当千の勇者に見えるぞ」

「提督が自ら選んでくださった仮装ですからね! 似合わないはずがありません!」

 

 カプラン大尉は得意気に胸を張る。彼が着用する白黒の縦縞の野戦服は、西暦時代に勇猛な戦いぶりから「猛虎軍」と呼ばれた軍事組織の制服である。

 

「君には猛虎みたいな軍人になってほしいと願ってるよ」

 

 なぜ俺がこの仮装を選んだのかを念押しした。はっきり言うと、彼には全く期待していない。コネ入隊なのはいい。コネで軍隊に入ってから名将となった人はいくらでもいる。しかし、能力がない、やる気がない、空気が読めないと三拍子が揃っていては、使い道がなかった。それでも、何かの拍子でやる気になるかもしれないと思い、いろいろとはたらきかけている。

 

「心得ております!」

「頼もしいな」

 

 笑って返事をした後、俺は視線を部屋の中央に向けた。そこにあるのは誰も座ってない席。本来ならば第三六独立戦艦群司令ヘラルド・マリノ大佐が座るはずの席だ。

 

「コレット大尉、マリノ大佐は来ないのか?」

「所用だそうです」

「それならしょうがないな」

 

 ずる休みなのは分かってるが、あえて言及するつもりはない。マリノ大佐がこういう人なのは分かっている。

 

 彼の実力は本物だ。戦闘精神の塊のような戦いぶりで「ブラックパンサー」の異名を取る。決して勇猛一辺倒ではなく、部隊を巧みに動かす技も心得ている。前の世界では天才ヤン・ウェンリーに仕えて勇名を馳せた。

 

 そして、筋金入りの偏屈者でもあった。他人に合わせることが大嫌いで、みんなが残業していても一人でさっさと帰り、職場の飲み会には顔を出さず、交流行事にも絶対に参加しない。

 

 俺とマリノ大佐の意見はしばしば対立した。俺が隊員を細かく指導しようとすると、マリノ大佐は「自主性に任せるべきだ」と反対する。俺が現場に顔を出そうとすると、マリノ大佐は「上の者がいちいち現場に出るな」と反対する。管理主義と放任主義の対立といったところだろうか。要するに俺とは対極にいる人物だった。

 

 基地祭の翌日、第三六機動部隊指揮官会議があった。マリノ大佐は何事もなかったかのような顔で出席している。俺の方も「昨日はどうした?」なんていちいち言わない。そういった声がけを鬱陶しいと彼は思うからだ。

 

 議長席に着き、会議室を見回した。出席した面々を見るたびに、「よくもまあこんなに面倒な人間が集まったものだ」と思う。

 

 出席者は一一名。ポターニン副司令官、第三六戦艦戦隊司令スー代将、第三六巡航艦戦隊司令フランコ代将、第三六駆逐艦戦隊司令マーロウ代将、第三六母艦戦隊司令ハーベイ代将、第三六作戦支援群司令ソングラシン大佐、第三六後方支援群司令ワトキンス大佐、第三六独立戦艦群司令マリノ大佐、第三六独立巡航群司令ニールセン大佐、第三六独立駆逐群司令ビューフォート大佐、第三独立母艦群司令アブレイユ大佐である。

 

 このうち、常識人といえるのは、フランコ代将、ハーベイ代将、ワトキンス大佐、ニールセン大佐、ビューフォート大佐の五名。

 

 その他の六名が変人だった。マリノ大佐は言うまでもない。ポターニン副司令官は努力家だが競争心が強い。スー代将は勇敢だが血の気が多すぎる。マーロウ代将はストイックだが気難しい。ソングラシン大佐は独創的だがマイペース。アブレイユ大佐は切れ者だが傷つきやすい自尊心の持ち主。直属でない部下も変人揃いだ。

 

 そういうわけで指揮官会議は毎回揉める。ポターニン代将とスー代将が誰かに噛み付き、マリノ大佐とソングラシン大佐が他の出席者を怒らせ、マーロウ代将とアブレイユ大佐がピリピリした空気をまき散らし、俺と他の五名が困るといった感じだ。

 

 会議が終わるたびに、ビューフォート大佐を引っ張ってきて本当に良かったと思う。能力的にも人間的にも信頼できる人物だ。司令官に配下の指揮官を選ぶ権利はないのだが、腹心の指揮官が一人はいないと不安なので、コネを駆使して空席だった第三六独立駆逐群司令に据えた。彼がいなかったら収拾がつかないところだった。

 

「この先やっていけるのかな?」

 

 司令官室に戻った俺は、何度目か分からない問いをした。

 

「お気になさらないことです。新米提督はみんな通る道ですから」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長は何度目か分からない答えを返す。

 

「ならいいんだけど」

「腹が減ってると後ろ向きになりますよ。パンでもいかがですか?」

「ありがとう」

 

 俺はチュン・ウー・チェン参謀長から潰れたサンドイッチを貰った。なかなかうまい。ちょうどいい潰れ具合だ。

 

 これまでの部下は、意識の高低差はあっても常人の範囲内に留まっていた。しかし、この部隊は違う。直属指揮官だけでなく、その部下も変人ばかり。つまり、第三六機動部隊には、ヤン・ウェンリーやワルター・フォン・シェーンコップのような人物が数千人もいる。

 

 チュン・ウー・チェン参謀長によると、正規艦隊の戦闘部門はどこも似たようなものらしい。実力重視で常識や協調性は二の次なのだそうだ。実際、六人の変人指揮官はみんな優秀だった。

 

 俺の売りは常識と協調性だ。変人との付き合いにはとても苦労した。チュン・ウー・チェン参謀長は「放し飼いにすればいい」と言うが、俺のメンタルはそんなに太くない。いろんな人にアドバイスを求めることにした。

 

「勝手なことができぬよう、規則でがんじがらめにすれば良いのだ」

 

 第二艦隊司令官ドーソン中将のアドバイスは、徹底的に押さえつけろというものだった。

 

「戦士としての適性は、しばしば組織人としての適性と相反するものだ。優等生だけでは戦いにならん。荒くれ者、頑固者、自由人なんかはトラブルメーカーだが、戦いでは役に立つ。短所を大目に見てやれ。長所を活かすことを考えろ。胃薬が手放せなくなるがな」

 

 第一一艦隊司令官ルグランジュ中将は、チュン・ウー・チェン参謀長と同じように放し飼いを勧めてくれた。

 

「精鋭とはいわば暴れ馬だ。奴らは常に自分を御せる乗り手を求めている。ならば、御せるだけの器量を身に付ければいい。簡単なことではないか」

 

 上官であるD分艦隊司令官ホーランド少将は、器量を高めろと言う。

 

「クレメンスに仕えている間、君は一度も直言をせず、彼に迎合することで補佐した。他人を変えようとせず、そのままで活かそうとする。それが君の長所だと私は思うよ。同じようにやってみてはどうだね」

 

 トリューニヒト国防委員長は、ドーソン中将と付き合うように変わり者と付き合ってはどうかという。

 

 様々な意見を検討した結果、トリューニヒト委員長とルグランジュ中将の折衷案、すなわち妥協的に接することに決めた。

 

 相変わらずストレスは多い。おかげでマフィンを食べる量が倍増した。だが、これまでを思い返してみると、フィン・マックール補給科以外の職場では何かしらのストレスがあった。俺はあのドーソン中将に二年半も仕えた男である。変わり者の部下にもいずれ慣れるだろうと信じたい。

 

 部下との関係には苦労しているが、部隊運営には苦労していない。正規艦隊所属部隊はもともと優遇されている。第三六機動部隊は特に状態のいい部隊だった。モラル・練度ともに優秀で、人員は定数を満たしており、勤務環境も良好だ。目立った不正は見当たらない。第八一一独立任務戦隊のような苦労はまったくなかった。

 

「これはこれで難しいのよ。当たり前のことをすれば、一〇を五〇まで引き上げるのはすぐなんだけどね。八〇を九〇まで引き上げるのはしんどいよ」

 

 イレーシュ副参謀長の例えは実に的確であった。第八一一独立任務戦隊では弱兵を戦えるようにするのが課題だったが、第三六機動部隊では精鋭をさらに向上させることがが課題となる。

 

「無駄な仕事を省く。経費を節約する。隊員の意識を高いレベルで保つ。この三点が最重要課題になります」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長の示した方針は、地方警備部隊をボロボロにしたシトレ元帥の方針と全く同じだった。

 

「それだと部隊がボロボロになるんじゃないか?」

「豊かな部隊と貧しい部隊ではやり方が違います。この部隊では豊かなリソースを運用する方法をお考えください」

「正規艦隊ではシトレ流が有効ってことか」

「シトレ流というよりは正規艦隊流と言った方がいいかもしれません。ドーソン提督が第一一艦隊司令官だった頃も効率化に熱心でしたよね?」

「ああ、確かにそうだった。第一艦隊の参謀だった時はゴミ箱を点検していたな」

 

 どうやら第八一一独立任務戦隊の成功体験にとらわれすぎたようだ。さっそくチュン・ウー・チェン参謀長に効率化プランを作らせた。

 

 第三六機動部隊司令官に就任してからは、やることなすことのすべてが勉強だった。部隊運営を学び、用兵を学び、指揮官としてのスタイルを確立するのだ。

 

 

 

 俺の上官にあたる第一一艦隊D分艦隊司令官は、ウィレム・ホーランド少将である。二年前までは同盟宇宙軍の若手ナンバーワン提督だったが、第三次ティアマト会戦で失敗し、昨年末にようやく復帰した。最近はヤン・ウェンリー少将、ジャン=ロベール・ラップ少将らの台頭が著しいこともあり、すっかり忘れられてしまっている。

 

 英雄願望の強いホーランド少将にとって、現在の状況は耐え難いらしい。口癖のように「出兵はないか」と言う。

 

「本当に鬱陶しいよ」

 

 ホーランド少将の副参謀長ダーシャ・ブレツェリ大佐はうんざりしていた。二年間の出産育児休暇に入った前任者に代わって副参謀長となったのだが、愚痴の絶えない毎日である。

 

「ありゃ病気だな」

 

 国防委員会事務総局のナイジェル・ベイ大佐が苦笑した。一週間前、ホーランド少将は視察に訪れた国防委員に対し、出兵の予定がないかをしつこく聞いて呆れられたのだそうだ。

 

 火のないところに煙は立たない。ホーランド少将が出兵の有無を気をするのには理由がある。ついに帝国が分裂した。

 

 昨年末、帝国宰相リヒテンラーデ公爵と大審院長リッテンハイム侯爵は、エルウィン=ヨーゼフ帝とリッテンハイム侯爵の娘サビーネの婚約、リッテンハイム侯爵の公爵昇爵と枢密院議長就任、リヒテンラーデ派幹部であるルーゲ元司法尚書の大審院長就任などで合意した。

 

 枢密院とは皇帝の諮問機関である。議長、副議長、顧問官は爵位を持つ貴族から選ばれるが、定まった仕事を持っていないし、集まって会議を開くこともない。ただ、皇帝に直接意見を述べる資格だけを持つ。皇帝に近いほど権力に近くなる帝国において、枢密顧問官の発言力は大きい。要するに門閥貴族の発言権を制度的に保障する機関なのである。そのトップたる議長は帝国宰相に次ぐ宮中席次第二位。リッテンハイム公爵は名実共に門閥貴族の第一人者となった。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵は枢密院議長の座を奪われたが、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合に反発する貴族を結集し、巻き返しを図った。

 

 二月四日、ブラウンシュヴァイク公爵領の首府レーンドルフにおいて、ブラウンシュヴァイク公爵の娘であり先帝の孫であるエリザベートが即位した。ブラウンシュヴァイク公爵が帝国摂政となり、各尚書と帝国軍三長官以下の文武百官を任命し、味方になった軍人を全員一階級昇進させるなど、政府の体裁を整えた。

 

 当然のことながら、帝都オーディンのリヒテンラーデ=リッテンハイム連合は、エリザベートの即位を認めなかった。枢密院議長リッテンハイム公爵が偽帝エリザベートの討伐を命じられた。副司令官には護衛艦隊司令長官ローエングラム元帥と機動艦隊司令長官リンダーホーフ元帥、総参謀長には統帥本部総長代理クラーゼン上級大将、兵站総監には軍務尚書エーレンベルク元帥が任命された。護衛艦隊と機動艦隊は宇宙艦隊を役割別に分けたものである。

 

 ブラウンシュヴァイク派は「エルウィン・ヨーゼフこそが偽帝である」と宣言し、帝国摂政ブラウンシュヴァイク公爵が偽帝討伐軍の総司令官となった。副司令官には宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥と装甲擲弾兵総監オフレッサー元帥、総参謀長には宇宙艦隊総参謀長シュターデン上級大将、兵站総監には軍務尚書シュタインホフ元帥が就任し、リッテンハイム公爵を迎え撃つ。

 

 第一竜騎兵艦隊司令官メルカッツ上級大将、黒色槍騎兵艦隊司令官リンドラー上級大将、イゼルローン要塞司令官ヴァイルハイム大将、イゼルローン要塞駐留艦隊司令官エルディング大将ら中立派は、エルウィン=ヨーゼフ帝に忠誠を誓った。しかし、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合に味方したわけではない。

 

 リヒテンラーデ公爵は敵になるより中立の方がましと考え、中立派と協定を結んだ。この結果、中立派部隊は内戦には参加せず、イゼルローン方面辺境で同盟軍の侵攻に備えることとなった。

 

 フェザーンのマスコミによると、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合、ブラウンシュヴァイク派、中立派の比率は、四〇:三〇:三〇といったところらしい。リヒテンラーデ=リッテンハイム連合が優勢だが、中立派の動向次第ではブラウンシュヴァイク派の逆転もありうる。予断を許さない状況だ。

 

 同盟の軍部、正確に言うと統合作戦本部と宇宙艦隊総司令部が内戦に介入したがっていた。内戦に乗じて帝国の戦力を少しでも多く削りたいというのが表向きの理由だ。しかし、対テロ作戦で国防委員会に主導権を握られたため、対帝国戦で点数を稼ぎたいという思惑もあるようだ。

 

 このような機運の中、ホーランド少将は「出兵はないか」と騒いでいるのだ。ただ騒ぐだけでなく、イゼルローン要塞奇襲計画を統合作戦本部に二度提出し、二度却下された。今は三つ目の奇襲計画を作っている最中だった。

 

 英雄になりたくてたまらない提督なんて傍迷惑以外の何物でもない。しかし、上官としてのホーランド少将はかなり仕えやすかった。

 

「英雄は強くなければいかん」

 

 本気でそう思っているので、自分を高めるための努力を怠ることがなく、いつもみんなの先頭に立って手本を示し、何でも自分でてきぱきと決める。すごく頼れる上官だ。

 

「英雄は高潔でなくてはいかん」

 

 本気でそう思っているので、横暴に振る舞うことはなく、弱い者いじめは決して許さない。かっこいい上官だ。

 

「英雄は寛容でなくてはならん」

 

 本気でそう思っているので、部下の私生活についてうるさく言わないし、部下の失敗に対しては怠慢や無気力によるものでなければ許す。結構話のわかる上官だ。

 

 部下との接し方については、古代の武将みたいなエピソードがいくつもあるが、最も有名なものを二つ紹介しよう。

 

 エスピノーザ大佐は優秀な空戦部隊指揮官だが、病的な浪費癖の持ち主でもあった。部下から九万ディナールもの大金を借りたことが発覚し、退役して退職金で返済するよう命じられた。ところが、ホーランド少将が「彼女には九〇万ディナール出しても惜しくない」と言って借金を肩代わりしてやった。この件がきっかけでエスピノーザ大佐はホーランド少将の配下となり、「九〇万ディナールの女」と呼ばれるようになった。

 

 ホーランド少将が巡航群司令だった当時、基地食堂の責任者が業者から多額の金品をもらったことが発覚し、免職処分となった。その後、ホーランド少将は免職された男の家に行き、「金に困っているのなら、業者ではなく私に言えば良かったのだ」と言い、一〇〇ディナール札がぎっしり詰まった財布を渡してやった。それ以降、ホーランド少将は部下の昇給・賞与査定を本来の評価より二段階高く付けるようになり、汚職に手を染める部下はいなくなったと言う。

 

 なぜこんなことができるのかというと、日頃から英雄譚を読みふけり、過去の英雄がどのように部下に接していたかを勉強しているからだった。

 

「あいつは馬鹿なのよ」

 

 ホーランド嫌いのイレーシュ副参謀長は容赦ない。しかし、「馬鹿」という言葉は、ホーランド少将の本質を極めて的確に捉えていた。

 

 英雄と呼ばれたい人は多いだろう。しかし、自分が英雄譚に出てくる英雄そのものになりたいと思い、それを実現しようと努力するなんてまともじゃない。本物の馬鹿だ。

 

「馬鹿ですね。憎めない馬鹿ですが」

「君が脳天気だからそう思えるんだよ」

「でしょうね」

 

 イレーシュ副参謀長がホーランド少将を嫌うのも分かる。暑苦しいという点において、クリスチアン中佐やワイドボーン准将よりもずっと酷い。しかし、今のところは嫌いではなかった。俺は暑苦しい人と相性がいいのだろう。

 

「取り込まれないよう気をつけな」

「分かってます」

 

 副参謀長の言う「取り込まれないよう気をつけろ」とは、好意を抱くなという意味ではない。完全に頼り切るなという意味だ。

 

 英雄願望をこじらせた果てとはいえ、ホーランド少将の実力は本物だった。指示はいつも的を射ており、アドバイスには快く応じてくれるし、助けを請えば何でも解決してくれる。そして、同性が見ても惚れ惚れする男性美の持ち主だ。そんな人に自信満々で「俺に付いて来い」と言い切られたら、無条件で従いたくなってくる。

 

 以前、イレーシュ副参謀長は「君は天才の下にいたら腐っちゃうタイプ」と俺を評した。優れた上官だからこそ、完全に頼りきってしまわないよう気を付ける必要がある。

 

 ホーランド少将から指示を受けるたびに、司令部でチュン・ウー・チェン参謀長やラオ作戦部長らと話し合い、その指示がなぜ正しいのかを考えるようにした。中身が理解できたら、ある程度の冷静さをもって見つめられるからだ。

 

「国防委員長に対しても、そういう付き合いができたらいいのにね」

 

 ダーシャがちくりと刺す。

 

「しょうがないだろ。好きなんだから」

「ま、いいけどさ。エリヤの身内びいきなところは好きだし」

「とにかくトリューニヒト委員長には頑張って欲しいよ」

 

 俺はヨブ・トリューニヒト国防委員長の暖かい笑顔を思い出した。クリップス法秩序委員長とともにパトリオット・シンドロームを牽引してきた彼だが、最近になって失速してきた。

 

 その最大の要因は対テロ作戦「すべての暴力を根絶するための作戦」である。確かに成果は大きかった。テロ発生件数や海賊被害は激減し、一般犯罪の減少、犯罪組織の弱体化といった副効果も生み、国内治安は著しく改善された。だが、それと同時に大きな負債をも残した。熱狂のツケがじわじわとこの国を蝕みつつある。

 

 第一の問題点はイデオロギー的な分断。シャンプール・ショックが引き起こしたパトリオット・シンドロームにより、大衆主義右派の国民平和会議(NPC)トリューニヒト派、全体主義の統一正義党などの急進右派が支持を集めた。急進右派の横暴に不安を覚えた一部の人々は、反戦市民連合など急進左派に心を寄せた。穏健保守のNPC主流派、リベラルの進歩党は支持を失い、同盟社会は左右に分断された。

 

 第二の問題点は軍隊や警察の横暴。テロリストを摘発する過程で、拷問による自白強要、令状なしの拘禁、証拠捏造といった違法捜査が行われた。海賊や反政府武装勢力との戦いでは、捕虜の虐待・虐殺、非戦闘員の殺害などが多発した。軍や警察が対テロを名目に、星系共和国への内政干渉を行ったケースもある。これらの事件は同盟政府に対する不信感を強めた。

 

 第三の問題は経済状況の悪化。海賊被害は激減したが、対帝国輸出の停止、航路統制などが星間交易を停滞させた。対テロ作戦の莫大な経費、半年以上続いた予備役部隊の総動員は、経済に大きな負担を掛けた。個人消費の落ち込みも激しい。

 

 第四の問題は軍事力の損失。第七次イゼルローン遠征で二〇四万の兵員が失われた。この損失を回復するまで、三年から四年はかかるだろう。

 

 これらの問題に対し、強硬派の急先鋒であり軍政のトップであるトリューニヒト委員長は厳しく批判された。

 

「ただ波に乗っかっただけなのに、自分が偉くなったって勘違いしたのよ。波が引いたらずっこけるだけなのに」

 

 ダーシャはいつもトリューニヒト委員長に冷たい。いや、強硬派に冷たいといった方がより正確だろうか。ホーランド少将とは愚痴を言いつつもうまくやってるみたいだが。

 

 トリューニヒト委員長とともに波に乗っかった人々も評価を落とした。対テロ捜査を主導したクリップス法秩序委員長、野党の立場から対テロ作戦を後押しした統一正義党党首ラロシュ上院議員らに対する批判は強まる一方だ。憂国騎士団などの極右民兵組織、シチズンズ・フレンズ紙やNNNなどの右派マスコミの責任を追及する声も大きい。

 

 昨年一二月に六三パーセントだった政権支持率は、二月には三八パーセントまで落ちた。一月のエルゴン星系議会選挙で地方選での与党の連勝は止まり、それ以降は野党が連勝している。

 

 パトリオット・シンドロームが終焉し、リベラル派の発言力が高まってきた。政界ではレベロ財政委員長やホワン人的資源委員長、軍部ではシトレ元帥の存在が重みを増している。それを象徴するのが第四艦隊と第六艦隊の再建問題だ。

 

 両艦隊を残したままで時間を掛けて再建するトリューニヒト案が通ると思われていた。だが、トリューニヒト委員長の発言力が低下し、国家安全保障顧問アルバネーゼ退役大将、オッタヴィアーニ元最高評議会議長ら穏健主戦派の介入もあり、トリューニヒト案は差し戻された。そして、両艦隊を合併して新艦隊を作るシトレ案への支持が高まってきた。

 

 半世紀以上続いた一二個艦隊体制を変更するか否かは、国防政策の根幹に関わる問題だ。決着は下院選挙の後までもつれ込むだろうと思われる。

 

 政界は荒れ模様になってきた。パトリオット・シンドロームのもたらした半年間の安定が崩れつつあった。

 

 

 

 二月二八日、下院選挙まで残り一か月となった。前の世界では帝国領侵攻を支持した国民平和会議(NPC)と進歩党が大敗し、トリューニヒト新党が政権を握った選挙である。しかし、この世界では違う様相を呈していた。

 

 現在の世論調査では、与党第一党のNPCが一〇パーセント、与党第二党の進歩党が一三パーセント、野党第一党の統一正義党が一六パーセント、野党第二党の反戦市民連合が二二パーセント、その他の政党が一四パーセント、支持政党無しが二五パーセントとなっている。来月の下院選挙で連立与党が過半数を割り込む可能性も出てきた。

 

 昨日、レベロ財政委員長ら進歩党左派が、反戦市民連合、環境党、独立と自由の銀河、楽土教民主連合など左派野党の幹部と会合を持ち、左派連立政権樹立に向けて話し合ったと報じられた。なお、レベロ委員長、左派野党の幹部らは「人権関連法案に関する話し合い」としており、連立の可能性を否定している。

 

 NPCのトリューニヒト派とクリップスグループが、右派野党の独立正義党や人民自由党と連携し、右派連立政権を作ろうとしているとの報道もあった。トリューニヒト国防委員長は「根も葉もない噂」と述べた。

 

 NPCのオッタヴィアーニ派、ヘーグリンド派、ドゥネーヴ派、ムカルジ派、バイ派など主流五派が、トリューニヒト派とクリップスグループを除名し、中道左派の進歩党、環境党、楽土教民主連合とともに中道連合を結成する動きがあるとの観測も流れた。

 

 どれが事実でどれが嘘かは分からない。いずれにせよ、下院選挙を前に政界再編の動きが出ていることだけは事実だった。

 

 トリューニヒト委員長がクーデターを企んでいるなんて噂もあった。一週間前にNPC党紀委員会から告発された。下院選挙で与党が勝ったとしても、失脚は免れない。だから、第二艦隊と憲兵隊と憂国騎士団と地球教徒とフェザーン人傭兵を使ってクーデターを起こし、最高評議会議長になろうとしているというのだ。

 

 馬鹿げた噂だが、国防委員会情報部長カフェス中将、退役中将で元情報部長のジャーディス上院議員が、「クーデターの動きがある。お馴染みの連中(過激派将校グループ)ではない」と述べたことから、一定の信ぴょう性をもって語られた。

 

 さらに馬鹿げたことに俺に尾行が着いた。不審な気配を感じて、ベッカー情報部長に調べてもらったところ、「お供がたくさんいますよ」と言われた。官舎や司令部から盗聴器がわんさか見付かった。反トリューニヒト派の巣窟である情報部の仕業じゃないかと思うが、そう言い切れるだけの証拠がない。もしかしたらエル・ファシル革命政府のテロリストかも知れない。憲兵隊にベッカー情報部長の調査報告を渡し、対処してくれるように頼んだ。

 

 このように将官は政治に振り回される。政治家と無関係でも、政治と無関係ではいられない。政権が変わったら国防政策も変わるからだ。

 

 第一一艦隊司令官ルグランジュ中将は派閥に属していない。しかし、政治への関心はそれなりに強かった。所用で第一一艦隊司令部を訪れた時、政治の話題になった。

 

「統一正義党の全体主義政権か、反戦市民連合のハイネセン原理主義政権か。嫌な二択だな。どっちが勝ってもラジカリストの時代だ」

 

 ルグランジュ中将は本当に嫌そうな顔をしている。

 

「国防政策ががらりと変わりますよね」

「面倒くさいよな。いっそ与党が勝ってくれたら楽なんだが」

「勝てる要素がまったくないですよ」

「いや、わからんぞ? 選挙前にイゼルローンを落としたら風向きが変わるかもしれん」

「それはないでしょう」

「ないな」

 

 ルグランジュ中将と俺は顔を見合わせて苦笑いした。イゼルローン要塞の駐留部隊は、二個艦隊と装甲擲弾兵六個軍まで増強された。イゼルローン勤務を口実に内戦から逃げてきた者が多いせいだ。

 

「ヤン提督が指揮をお取りになるのなら、万に一つぐらいは期待できるんですけどね」

「貴官はヤンを嫌いではなかったか?」

「知略は評価していますよ」

 

 その他は評価していないというニュアンスを込める。公式には俺と天才ヤン・ウェンリーは不仲ということになっていた。その方が何かと都合がいいからだ。父のために彼のサインを貰った時も間に二人の人物を挟んで、俺が依頼者だと知られないようにした。

 

 実を言うと、万に一つどころか一〇〇パーセントの期待をヤン少将に寄せている。彼が指揮をとれば、イゼルローン要塞は間違いなく陥落するだろう。前の世界では二度も陥落させてのけたのだから。しかし、いかな名将でも指揮を取らなければ勝てない。

 

 現在のヤン少将は「統合作戦本部高等参事官」のポストに就いていた。統合作戦本部長の最上級補佐官として重要事項の企画立案にあたる。正規艦隊の参謀長や副司令官より序列が低いため、一部マスコミは「閑職に追いやられた」と騒ぐが、実質的な影響力は下手な中将級ポストよりよほど大きい。シトレ元帥は指揮官でなく高級幕僚として使うつもりなのだろう。

 

 艦隊再建問題がもつれているため、前の世界でヤン少将が指揮した第一三艦隊が発足する見通しは立っていない。

 

 人事面で見ると、ヤン少将の腹心である四名のうち、パトリチェフ准将とジャスパー准将はハイネセン、デッシュ准将とビョルクセン准将は地方にいた。前の世界でヤン艦隊の副司令官だったフィッシャー准将は地方の航宙専科学校長、参謀長だったムライ准将は星域軍の即応部隊司令官を務める。薔薇の騎士連隊はシヴァ星系で冬季山岳戦訓練の真っ最中。完全にばらばらだった。

 

 こういったことから判断すると、ヤン少将がイゼルローン要塞攻略を指揮する可能性は限りなく薄いのである。

 

 シトレ元帥は影響力が高まったとはいえ、その地位は揺らいでいる。軍縮路線に対する反発が根強い。少数精鋭戦略の失敗、対帝国戦の連敗については、軍令のトップとして責任を負う立場である。昨年末に「対テロ作戦の最中にトップを入れ替えるのはよろしくない」という理由で任期を延長されたが、いつ解任されてもおかしくない状態だ。彼にはイゼルローン攻略作戦に賭ける動機があり、本部長権限で認可する権限もあるが、その実施者がヤン准将とは限らない。

 

 表沙汰にはなっていないが、イゼルローン奇襲計画は既に実施された。昨年末に一度目の作戦、二月初めに二度目の奇襲作戦が実施されたが、いずれも失敗に終わった。

 

 聞いたところによると、二度目の作戦は奇策中の奇策だったそうだ。拿捕された帝国艦に乗った特殊部隊二個大隊が、同盟軍に追われているふりをして帝国軍に救助され、まんまと要塞に入り込んだ。しかし、要塞司令官を人質に取ろうとしたところで察知されたという。前の世界でヤン少将がイゼルローン攻略に用いた作戦と酷似していた。

 

 現在は三回目の奇襲作戦が動いていると言われる。指揮官や作戦の内容は分からない。もしかしたら、三回目の奇襲作戦自体が存在しない可能性だってある。一回目と二回目の作戦は失敗してから、その存在が判明した。

 

 政府高官がリヒテンラーデ=リッエンハイム陣営の幹部と接触し、「軍事支援するから、回廊を通して欲しい」ともちかけたという噂もある。情報部が要塞内部で工作を進めているとの噂も聞いた。

 

 イゼルローンを軸とした知略戦が水面下で繰り広げられていた。来月の下院選挙での連立与党敗北は必至。統一正義党を中心とする右派政権が誕生したら、第一三艦隊がイゼルローン攻略を命じられる可能性もある。反戦平和連合を中心とする左派政権が誕生した場合は、イゼルローン攻略でなく和平交渉が始まるはずだ。今後の戦局は選挙結果次第。それが民主主義国家なのだ。


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