銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

58 / 136
第52話:ヤン・ウェンリーの春 797年3月20日~9月下旬 第三六機動部隊司令部~第三六機動部隊演習場~ハイネセンポリス~モードランズ官舎

 七九七年三月二〇日一五時三八分、国防委員会から全軍に「テレビを見るように」との指示が下った。そして、画面にヨブ・トリューニヒト国防委員長が現れる。

 

「兵士諸君!

 

 今日、自由惑星同盟軍は偉大なる勝利を収めた。この勝利は六四〇年のダゴン、七四五年のティアマトにも優る意義を持つ。

 

 かつて、イゼルローン回廊は我らのものだった。ダゴン星域で勝利してからの六年間、同盟軍はイゼルローン回廊を通って帝国領に攻め込み、圧制に苦しむ数十億の民を連れ帰った。その後も二九回にわたって回廊の彼方へ遠征し、圧制者の肝を寒からしめたものだ。

 

 それを変えたのが三三年前のイゼルローン要塞建設だった。我々は守勢を強いられた。圧制者が攻めてくるのをひたすら迎え撃つだけだった。

 

 だが、忍従の時は終わった! イゼルローン要塞が陥落した! イゼルローン回廊は我らのものとなった! 自由惑星同盟軍がこの快挙を成し遂げた!

 

 私はすべての市民と兵士を代表し、この快挙を成し遂げたイゼルローン攻略部隊の六三万一九六五名、総指揮を取ったヤン・ウェンリー提督に感謝の意を表したい。あなた方の勇気と献身が勝利をもたらした。

 

 七度の攻防戦で散華したすべての英霊、生きて帰ったすべての兵士に感謝したい。あなた方の流した血と汗の上に今日の勝利がある。

 

 そして、今日の勝利に満足してはならない。新たな勝利を積み重ねることこそが我々に与えられた使命なのだ。

 

 回廊の先を見よ! そこに広がっているのは何か!? 圧制に苦しむ二五〇億の民がいる! 圧制者の宮殿へと至る星路がある 戦いの手を休めるな! 人々を解放せよ!

 

 自由万歳! 民主主義万歳! 自由惑星同盟万歳!

 

 圧制者を倒せ! 祖国に勝利を!」

 

 俺は椅子から立ち上がって拍手した。あのイゼルローン要塞が落ちた。それもヤン・ウェンリーの手によって。これほどめでたいことがどこにあろう。

 

 数百万の命を奪った要塞が陥落しただけでも驚くに値するが、それを成し遂げたのが二九歳の青年提督ヤン・ウェンリー少将であったこと、攻略部隊がわずか半個艦隊に過ぎなかったこと、そして何よりも攻略部隊が犠牲者を一人も出さなかったことが人々を驚かせた。

 

 イゼルローン攻略のニュースがあらゆるメディアを占拠した。ネットはヤン少将とイゼルローン攻略部隊を賞賛する書き込みで埋め尽くされた。ヤン少将の名声は、ダゴン星域会戦のリン・パオ元帥とユースフ・トパロウル元帥、第二次ティアマト会戦のブルース・アッシュビー元帥に匹敵するものとなった。

 

 この偉業はいかにして達成されたのか? テレビや電子新聞、知り合いから聞いた話などを元にすると、以下の通りである。

 

 三度目のイゼルローン奇襲計画は極秘のうちに進められた。ヤン・ウェンリー少将を司令官、エリック・ムライ准将を副司令官、フョードル・パトリチェフ准将を参謀長、セシリア・ハンフリーズ大佐を副参謀長とする非公式任務部隊「イゼルローン攻略部隊」が編成された。攻略部隊のメンバーは各地に散らばって別の任務に従事しているように装った。

 

 二月下旬、イゼルローン攻略部隊は一〇〇隻から二〇〇隻に分かれ、訓練航海や観測航海などの名目でバラバラにハイネセンを出発。地方に散らばったメンバーを拾いながら、ワープを繰り返した。

 

 三月中旬、イゼルローン要塞から七光年の距離に到着したイゼルローン攻略部隊は、回廊内に向けて妨害電波を発信した。帝国軍の通信とレーダーはたちまちのうちに混乱した。そこにヤン少将が要塞宛ての偽命令を乱発する。

 

「イゼルローン要塞の二個艦隊に命ず。回廊を出て反乱軍の前進基地を掃討すべし」

「反乱軍の四個艦隊が接近中。回廊出口を封鎖せよ」

「何があろうと要塞から出撃してはならない」

「辺境で大規模な反乱が発生。青色槍騎兵艦隊、装甲擲弾兵第三軍、装甲擲弾兵第一四軍は速やかにシャカールスベルクまで赴き、討伐司令官メルカッツ上級大将の指揮下に入れ」

「青色槍騎兵艦隊司令官エルツバッハ大将をオーディンへ召還する」

「装甲擲弾兵第一二軍司令官クロッペンブルク中将を逮捕せよ。抵抗するようならば射殺しても構わぬ」

「要塞の中にスパイがいる。急いで摘発するように」

 

 これらは膨大な偽命令の一部にすぎない。それに加えて、「先の命令は誤りである。正しい命令は――」「――という命令は反乱軍が偽造した命令だ。無視せよ」「クラーゼン統帥本部総長代理が先刻逮捕された。四八時間以内にクラーゼンの名前で出された命令はすべて無効とする」など偽命令を打ち消す通信も送られた。帝国軍が出した内容確認の通信に対しては、異なる内容の返信を五通から六通も送った。

 

 イゼルローンの帝国軍は混乱した。ヤン少将が試しに無人艦五〇隻を差し向けたが、要塞から〇・五光秒(一五万キロメートル)まで接近しても、敵は偵察すら出さない。それから三度無人艦部隊を接近させたが、やはり出てこなかった。

 

 レーダーが機能せず、偵察部隊を出さないとあっては、帝国軍は目と耳を失ったようなものだ。ジャスパー准将の別働隊一〇〇〇隻が回廊外縁部から要塞をすり抜け、アムリッツァ星系へと攻め込み、帝国軍基地を攻め落とした。

 

 アムリッツァからの救援要請、そしてイゼルローンに逃げ込んだ敗残兵から受けた「反乱軍はおよそ一万隻。未知の回廊を通ったと思われる」との報告が、帝国軍を動かした。わずかな留守部隊を除く全軍がアムリッツァ星系へと向かう。

 

 ところがこの敗残兵の正体は薔薇の騎士連隊だった。彼らは留守部隊の司令官と副司令官を人質に取り、要塞中枢を制圧した。

 

 帝国軍は要塞が奪われたことを知ると奪還に向かったが、要塞主砲「トゥールハンマー」の直撃を受けて戦意を失い、回廊の外へと去っていった。こうして、イゼルローン要塞は同盟のものとなったのである。

 

 実に鮮やかな手際だった。ヤン少将が使った作戦とメンバーは前の世界と違う。状況が変わっても天才が天才であるのは変わらない。

 

 第三六機動部隊の幕僚たちはそれぞれの専門知識に基づいて、ヤン少将のトリックを解き明かした。

 

「電子戦の勝利ですよ、これは!」

 

 マー・シャオイェン通信部長が、イゼルローン攻略部隊の編成表を高々と掲げる。兵力の三割が電子戦闘艦だった。電子戦闘艦とは、敵の通信やレーダーに電子妨害を仕掛け、味方を敵の電子妨害から守る艦である。

 

「標準的な部隊の場合、電子戦闘艦が占める割合は五パーセントから七パーセント。つまり、イゼルローン攻略部隊には五倍の電子戦能力があります。そして、電子技術にかけては、我が国の方がずっと進歩しています。圧倒的な電子戦能力こそが作戦成功の鍵なんです!」

 

 彼女の言う通り、電子戦能力の差は決定的だった。帝国軍の通信やレーダーがほぼ無力化されたのだから。

 

「電子戦の勝利であると同時に、情報戦の勝利でもあります。偽命令は諸将の性格や人間関係を踏まえたものだった。薔薇の騎士連隊は要塞管制システムのパスワードを持っていた。要塞内部の状況をかなり把握していたのでしょうな」

 

 ハンス・ベッカー情報部長は、イゼルローン攻略部隊が正確な情報を持っていたのではないかと指摘する。こういったことは表に出ないからわかりにくい。

 

「あまり注目されませんが、アムリッツァ攻略作戦は一人も死者を出していません。しかも、回廊から逃げてきた帝国軍と鉢合わせしてるはずなのに、何事もなく要塞に入った。敵地でこんなに素早く動けるなんて尋常じゃない。正確な情報に加え、優れた運用能力が不可欠です」

 

 サンジャイ・ラオ作戦部長が注目したのは、支作戦のアムリッツァ攻略作戦だった。ほとんど戦闘が無かった主作戦より運用能力が見えやすいのである。

 

「幹部人事が上手いですよね。ムライ副司令官は常識と規律の信奉者、パトリチェフ参謀長は陽気な体育会系、ハンフリーズ副参謀長はキャゼルヌ少将直系の兵站屋。ヤン提督の苦手分野に強い人材ばかり。そして、実戦指揮官はジャスパー准将、デッシュ准将、ビョルクセン准将などエル・ファシル以来の仲間で固めました。こちらは結束力を重視していますよ」

 

 イレーシュ・マーリア副参謀長は対人関係に敏感だ。

 

「政治的な背景も重要です。イゼルローンには、内戦を避けた者が集まっていました。彼らは帝都のリヒテンラーデ=リッテンハイム連合を信用していない。同僚にしても、内戦に参加したくないという以外は何の共通点もない。帝都も同僚も信用できない状況でした。そして、利己主義と相互不信は帝国軍高級士官の持病です。だから、疑心暗鬼を煽る策が有効でした」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長は本質的に戦略家である。技術的な面でなく背景に目をつけた。

 

 ヤン少将の奇策には学べないが、実務面には学ぶべきところが多い。数多くの教訓をイゼルローン攻略作戦は与えてくれた。

 

 

 

 イゼルローン攻略の結果、ボナール政権の支持率は三二パーセントから五八パーセントまで跳ね上がった。攻略から八日後の三月二八日に実施された下院選挙においては、連立与党は大きく議席を減らしたものの、一六三九議席中の八二四議席を獲得し、九議席差で過半数を保った。

 

 ヤン少将、その後押しをした統合作戦本部長シトレ元帥は、連立与党にとって救い主であったと言えよう。シトレ派の発言力は圧倒的なものとなった。

 

 国民平和会議(NPC)主流派の五大実力者「ビッグ・ファイブ」は、トリューニヒト派に押されて精彩を欠いていたが、シトレ派と協調することで失地回復を図った。

 

 四月八日に発足した第三次ボナール政権の顔ぶれからは、シトレ派への配慮が伺える。リベラル派のレベロ財政委員長とホワン人的資源委員長が再任された。強硬派のトリューニヒト国防委員長とクリップス法秩序委員長が閣外へと去り、反トリューニヒトの穏健保守派が後任となった。

 

 国民平和会議(NPC)の党役員人事では、反トリューニヒトの穏健派議員が重用され、親トリューニヒトの強硬派議員が排除された。

 

 トリューニヒト前国防委員長は下院議長に選ばれた。儀礼上の序列は最高評議会議長に次ぎ、最高評議会副議長を上回るが、政治的な権限は小さい。また、建国期を除けば、下院議長議長経験者が最高評議会議長に就任した前例はなかった。トリューニヒト前委員長を儀礼職に縛り付ける狙いがあると見られる。

 

 第三次ボナール政権は親シトレ・脱トリューニヒト路線を推進した。軍拡計画の破棄、憲兵隊の特別調査権の撤廃、国防委員会テロ対策室の解散が矢継ぎ早に決定された。

 

 四月二六日、第四艦隊と第六艦隊が正式に合併し、新艦隊「第一三艦隊」が発足した。司令官にはヤン中将、副司令官にはムライ少将、参謀長にはパトリチェフ少将、副参謀長にはハンフリーズ准将がそれぞれ起用された。すべてイゼルローン攻略部隊の主要メンバーである。半世紀以上続いた一二個艦隊体制は、一一個艦隊体制へと変わった。

 

 五月三日、統合作戦本部は新戦略計画「スペース・レギュレーション戦略」を発表した。イゼルローン要塞攻略、トリューニヒト・ドクトリンの失敗などを根拠に、「もはや大兵力は必要ない」との見解を示し、少数精鋭による国土防衛を目指すものだ。

 

 具体的には、八〇二年までに宇宙艦隊を一一個艦隊から八個艦隊、地上総軍を八個地上軍から四個地上軍、地方部隊を二二個方面軍から一五個方面軍まで整理し、総兵力を五三〇〇万から三八〇〇万まで減らす。残った兵力はすべて機動運用部隊として再編。ハイテク兵器の配備、兵站能力の強化を進め、少数だが機動力のある軍隊を作り上げる。スペース・ネットワーク戦略よりもさらに大胆な内容と言えよう。

 

 スペース・レギュレーション戦略が発表された三日後、レベロ財政委員長は国防予算を一五パーセント削減する方針を示した。これに対し、統合作戦本部長シトレ元帥とネドベド国防委員長は、「心より歓迎する」と述べた。

 

 イゼルローンの英雄ヤン中将は、「私の希望はささやかなものです。この先何十年かの平和。それが今回の勝利で実現できるものと期待しています」と語り、軍縮と和平への期待を示す。

 

 シトレ派は正規艦隊司令官一一名のうちの五名、地上軍司令官八名のうちの四名を占めるに至った。イゼルローン要塞司令官に起用されたジョルダーノ地上軍大将は、シトレ派の大幹部だ。昨年末に派閥長老の第五艦隊司令官ビュコック中将が定年を迎え、大将昇進と同時に引退したものの、対帝国部隊における優位は揺るぎない。

 

 七九五年以降に対帝国戦で最も活躍したのはシトレ派だった。他派の提督が精彩を欠く中、シトレ派のヤン中将・ビュコック大将・ボロディン中将・ウランフ中将・ラップ少将らが武勲を独占した。彼らはみんな毒舌家としても有名だ。対帝国戦の英雄が武勲のない反軍縮派をやり込める光景は市民を喜ばせた。

 

 ロボス元帥の後援者のオッタヴィアーニ元最高評議会議長、中間派の大物である国家安全保障顧問アルバネーゼ退役大将が軍縮路線支持を表明した。

 

 数か月前まで隆盛を極めたトリューニヒト派と過激派将校には、冬の時代がやってきた。国防委員会事務局次長ロックウェル中将は第四方面軍司令官、テロ対策室副室長ワイドボーン准将は国防委員会事務局付、前国防委員長秘書官補ベイ大佐はエコニア収容所長に左遷された。俺やドーソン中将は知名度のおかげで無事に済んだが、今後のことはわからない。

 

 コーネリア・ウィンザー法秩序委員長は、トリューニヒト派議員の汚職調査、親トリューニヒトの極右民兵組織「憂国騎士団」の取締りに乗り出した。

 

 あるリベラル派文化人が今の状況を「ヤン・ウェンリーの春」と呼んだ。一個人が世界を変えてしまうことが確かにあるのだ。トリューニヒト派の俺にとっては冬だが、それでも狂騒に支配されたパトリオット・シンドロームよりはましだろう。

 

 一方、帝国では膠着状態が続いていた。前の世界でラインハルトとブラウンシュヴァイク公爵が内戦を起こした際には、すぐに艦隊戦が行われた。しかし、この世界では開戦から三か月が過ぎて五月になっても艦隊戦は起きなかった。

 

 味方も敵も同じ上級貴族。同じ社会の住人であり、文化上の対立やイデオロギー上の対立は存在しない。

 

「得になるのなら、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合だろうが、ブラウンシュヴァイク派だろうが同じ」

「盟主のために戦力を消耗する気などない」

「領地が荒れるなんて真っ平ごめん」

「危なくなったら、本領安堵と引き換えに降伏すればいい」

 

 貴族の大多数の本音はこんなものだった。両陣営ともに損得勘定で味方した者が大半を占めていたのだ。

 

 盟主に忠実な者にしても、中立派貴族やフェザーン企業からの借金で戦費を賄っているため、戦力を消耗したくなかった。

 

 結局のところ、この内戦は宮廷政治の延長でしかない。大軍を集めるのは支持者の数を見せつけるためだ。艦隊戦ではなく調略戦がメインになるのは、ある意味当然の成り行きと言えよう。

 

 前の世界の場合、ローエングラム陣営の上層部は下級貴族と平民、ブラウンシュヴァイク公爵の上層部は上級貴族だった。ローエングラム陣営に上級貴族が寝返っても、特権が保障される見込みは薄い。ブラウンシュヴァイク陣営に平民が寝返っても、厚遇される見込みは薄い。階級の違いが寝返りを抑止したのだろう。

 

 イゼルローン要塞の陥落が内戦終結のきっかけになると予測した者がいた。数名のフェザーン人企業家が和平の仲介を申し出た。だが、ブラウンシュヴァイク派は「リヒテンラーデ=リッテンハイム連合の無能が原因」と批判し、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合は「ブラウンシュヴァイク派の非協力が問題」と言い、要塞陥落の責任を押し付け合った。

 

 敵が悪いと言っても、完全に敗戦責任を無視することはできない。イゼルローン要塞は名目的にはエルウィン=ヨーゼフ帝に忠誠を誓っていた。そのため、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合側の軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長代理クラーゼン上級大将、護衛艦隊司令長官ローエングラム元帥、機動艦隊司令長官リンダーホーフ元帥が辞職し、総司令官リッテンハイム公爵が四長官を兼ねた。

 

 イゼルローンの敗将七名は帝都オーディンに召還されたが、そのうち二名が自決し、一名が同盟へと亡命し、三名がイゼルローン方面辺境「ニヴルヘイム」に留まり、命令に応じたのは一名に過ぎなかった。残存勢力のほとんどがメルカッツ上級大将やリンドラー上級大将ら中立派諸将の傘下に入った。

 

 今や帝国は完全に三分された。リヒテンラーデ=リッテンハイム連合とブラウンシュヴァイク派が対峙し、国境では中立派諸将が同盟軍に備える。

 

 リヒテンラーデ=リッテンハイム連合とブラウンシュヴァイク派が、同盟に軍事援助を要請したという噂があった。出してきた条件はどちらも似たり寄ったりで、内戦後の対等講和、非ゲルマン系平民に対する差別の緩和、共和主義思想の合法化、思想犯の釈放、昨年のテロに対する謝罪、オーベルシュタイン少将やフェルナー少将らテロ首謀者の引き渡しといったものらしい。現在の軍主流派に属する妹は、この噂が事実だと言っていた。

 

 前の世界と全く違う構図の帝国内戦を、同盟マスコミはどのように受け止めているのか? 穏健保守系の『リパブリック・ポスト』紙に掲載された軍事評論家ジュスタン・オランド退役准将の分析が詳しい。その要点を抜粋してみよう。

 

 帝国軍の総戦力は、正規軍宇宙部隊が二五万隻、正規軍地上部隊が二八〇〇万人、私兵軍宇宙部隊が二七万隻、私兵軍地上部隊が三三〇〇万人と推定される。その七割がエルウィン=ヨーゼフ帝に忠誠を誓い、三割がエリザベート帝に忠誠を誓う。

 

 兵力の上では、エルウィン=ヨーゼフ帝を擁するリヒテンラーデ=リッテンハイム連合が圧倒的に見える。しかし、その半数近くが「帝国軍同士の戦いに参加しない」との条件で留まった中立派部隊だ。内戦に投入できる部隊だけを比較すると、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合がやや上回る程度に過ぎない。

 

 正規軍と私兵軍の比率も見落としてはいけない。正規軍は主力艦隊や地上軍集団などの機動運用部隊、皇帝直轄領の警備部隊などで、練度・装備ともに優秀だ。私兵軍は貴族に雇われた貴族領警備部隊で、一部には正規軍並みの精鋭もいるが、そのほとんどは警察に毛が生えた程度の戦力でしか無い。ブラウンシュヴァイク派は実戦部隊の重鎮を擁しており、正規軍の比率が高かった。

 

 経済的にはリヒテンラーデ=リッテンハイム連合が有利だった。支配下の人口は、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合の一七〇億に対し、ブラウンシュヴァイク派は八〇億に留まる。中立派の支配地域は税金をエルウィン=ヨーゼフ帝に納めているため、人口の優位はそのまま経済力の優位に繋がる。それに加え、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合は、フェザーン交易路の支配権を押さえていた。

 

 両陣営の最高指導者を比べると、リヒテンラーデ公爵、リッテンハイム公爵、ブラウンシュヴァイク公爵は宮廷政治家としては超一流であれる。しかし、陰謀と利益誘導に長けた策士であり、カリスマ性があるとは言い難い。軍事指導者としては完全に未知数だ。

 

 リヒテンラーデ=リッテンハイム連合の軍事戦略担当は、軍務省第一次官エーレンベルク元帥、統帥本部第一次長クラーゼン上級大将、機動艦隊総参謀長クローナハ上級大将の三名。ブラウンシュヴァイク派の軍事戦略担当は、軍務尚書シュタインホフ元帥、統帥本部総長グライフス元帥、宇宙艦隊総参謀長シュターデン上級大将の三名。いずれも正統派の戦略家であり、両陣営の戦略能力に大きな差はないとみられる。

 

 実戦指揮官については、ブラウンシュヴァイク派が有利だ。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥、装甲擲弾兵総監オフレッサー元帥が重鎮として控える。主力艦隊司令官経験者のグライスヴァルト元帥、ノルトルップ上級大将、キッシング上級大将、ヒルデスハイム大将らが前線部隊を指揮する。優秀な貴族士官の多くがブラウンシュヴァイク派に身を投じたため、分艦隊司令官以下も充実していた。

 

 リヒテンラーデ=リッテンハイム連合には貴族官僚や先帝側近が多く、軍事に長けた人材が少ない。頼りになるのはレグニツァの英雄ローエングラム元帥ぐらいのものだ。もっとも、筆者はローエングラム元帥に対しては、「典型的な戦闘屋。予備兵力を用意しないなど、実戦叩き上げの欠点が目立つ」と手厳しい。

 

「軍事力ではブラウンシュヴァイク派有利、経済力ではリヒテンラーデ=リッテンハイム連合が有利、指導力では甲乙つけがたい。少なくとも半年は睨み合いが続き、決着が付くまで一年以上かかるものと思われる。五個艦隊から六個艦隊を動員し、ニヴルヘイムを制圧するべきだ。そこを橋頭堡として、中間宙域『ミズガルズ』に軍事的圧力を掛けつつ、反体制運動を援助すれば、数年のうちに皇帝は音を上げるだろう。この機を逃してはならない」

 

 分析はこのように締めくくられていた。ローエングラム元帥に対する低評価が気になるが、なかなか読み応えのある内容だった。提言にも説得力がある。

 

 主要紙の中で最も上品なリベラル系の『ハイネセン・ジャーナル紙』は、リパブリック・ポストには及ばないがそれなりに詳しく分析した。そして、「片方と同盟を結び、三個艦隊から四個艦隊程度を援軍に送るのがいい。そして、勝利した後に和平を結ぶ。これこそ効率的に平和を獲得する方法だ」と提言した。

 

 過激な主張で知られるファシスト系の『デイリー・スター』紙は、今こそ帝国を滅ぼす好機だと言い、「全軍をあげて帝国に雪崩れ込むべし!」と叫ぶ。

 

 大衆主義右派の『シチズンズ・フレンズ』紙は、「今は内を固める時だ」と言い、帝国内戦には介入せずに軍拡とテロ討伐に力を入れるように説いた。そうすれば、「専制主義者が殺し合っている間に、我が国の優位は揺るぎないものとなる」のだそうだ。

 

 反戦色の強い『ソサエティ・タイムズ』紙も不介入という点では、シチズンズ・フレンズと同じだが、「帝国が弱っている時こそ講和の好機。すぐに和平交渉を始めようではないか」とまったく違う答えを出した。

 

 この五紙の違いは、背後にいる派閥の違いでもある。リパブリック・ポストはNPC主流派とロボス派、ハイネセン・ジャーナル紙は進歩党とシトレ派、デイリー・スターは統一正義党と過激派将校、シチズンズ・フレンズはNPCトリューニヒト派、ソサエティ・タイムズは反戦市民連合の意向を強く反映する。

 

 さらに言うと、五紙の主張は各派の主張でもあった。「大軍を送り込んで辺境を制圧しろ」というのがNPC主流派とロボス派だ。「片側の陣営と手を結び、講和につなげよう」というのが進歩党とシトレ派だ。「とにかく帝国をぶっ潰せ」というのが統一正義党と過激派将校だ。「内を固めろ」というのがトリューニヒト派だ。「とにかく講和を結ぼう」というのが反戦市民連合だ。

 

 一つの新聞しか読まなければ、五派の声を直接聞くことはなかっただろう。ずっと知らないままか、他人から間接的に聞くことしかできなかった。これが複数の新聞を同時購読するメリットなのである。

 

 昨年、トリューニヒト議長から、複数の新聞を購読するよう勧められたことを思い出した。

 

「複数の新聞を読み比べなさい。新聞は購読者が知りたいことを載せる。どの層がどんな言葉を聞きたがっているかを把握するのだ」

「俺は単純です。反戦派の新聞を読んで、委員長が間違ってると勘違いするかもしれません。それでもよろしいのですか?」

「構わんよ」

「委員長を批判するようになってもよろしいのですか?」

「それも構わんさ。友人を納得させられないようじゃ、一三〇億の有権者を納得させることも覚束ない」

「なるほど」

「仮に主張を違えることがあったとしても、君と私が友人であることに変わりはない。考え方が違うぐらいでいちいち絶縁していたら、離婚届が何枚あっても足りやしない」

 

 トリューニヒト議長は片目をつぶり、茶目っ気たっぷりに笑った。彼の妻は価値観も趣味もまったくの正反対な上に気性が激しいのだ。

 

 新聞を読んでみてわかったことだが、自分が属していない党派に対して正しいイメージを抱くのは本当に難しい。進歩党と聞いただけで「予算削減しか頭にないんだな」と思ったり、反戦市民連合と聞いただけで「とにかく軍隊を叩きたいんだな」と思ったりしがちだが、案外そうでもないのである。当たり前ではあるが、忘れがちなことだった。

 

 

 

 イゼルローン要塞攻略から半年が過ぎた。ヤン・ウェンリーの春は、ヤン・ウェンリーの夏、ヤン・ウェンリーの秋へと移り変わった。だが、軍縮への流れは止まるところを知らない。

 

 七月、トリューニヒト時代に再建された宇宙軍一三一個戦隊と地上軍九三個師団の再解体が正式に決まった。削減される兵力は二三六万人。これらの部隊の大半は、地方警備担当の軽編成部隊である。

 

 八月、ホワン人的資源委員長の「技術者四〇〇万人を軍から民間に戻して欲しい」という要請を受け、外征用の兵站部隊が縮小されることになった。中央兵站総軍は中央兵站軍、艦隊後方支援部隊は艦隊後方支援集団にそれぞれワンランク縮小される。統合作戦本部長シトレ元帥は、「今後はイゼルローン回廊での専守防衛に徹する。要塞周辺で戦うなら、艦隊が兵站部隊を持たなくてもいい」と述べた。

 

 他にも小規模な人員削減が頻繁に行われており、イゼルローン攻略以降の半年で六六〇万人の削減が決まった。来年一月から実施される予定だ。

 

 軍縮の原動力は第一にイゼルローン攻略の武勲だった。一五〇年も戦争をやってきた同盟では、武勲が持つ説得力はとてつもなく大きい。イゼルローン無血攻略を成し遂げたシトレ元帥とヤン中将が唱える軍縮論は、理屈抜きで正しいと思われるのである。

 

 シトレ派が誇る対帝国戦の英雄も貢献した。ラップ少将は軍縮担当の国防委員会参事官、アッテンボロー准将は国防委員会戦略部参事官に起用され、軍縮反対派を徹底的に論破した。

 

 政界から強力な援護射撃が飛んできた。進歩党と国民平和会議(NPC)主流派、七大フィクサーの中で二番目に強いアルバネーゼ退役大将が軍縮を支持した。これによって、NPC主流派と近いロボス派、アルバネーゼ退役大将と近い中間派が軍縮支持に回った。

 

 軍拡派の筆頭であるトリューニヒト派は凋落が著しい。トリューニヒト前国防委員長が下院議長の座に押し込められ、五大幹部のうちアイランズ上院議員とカプラン下院議員の汚職疑惑が持ち上がり、ブーブリル上院議員がエル・ファシル問題絡みでNPCを除名された。軍部においては国防委員会での主導権を失った。

 

 もう一つの軍拡派の統一正義党は、イゼルローン要塞攻略で盛り上がった主戦論をうまく取り込んだ。しかし、政界中枢からは排除されており、軍部では軍縮派に押され、支持率が影響力に繋がらない状況が続く。

 

 そんな中、エーベルト・クリスチアン中佐の命令違反に関する査問が終わった。最終的に「軍法会議で審議する必要はない」との判断が下り、半月の停職処分となった。合法性の点においてヤン中将に弱みがあったこと、エル・ファシル住民四〇万人から減刑嘆願の署名が寄せられたこと、査問が長引きすぎたこと、そして査問委員会やヤン中将サイドにやる気がなかったことが、軽い処分に繋がった。

 

 九月中旬、クリスチアン中佐の友人や元部下が集まり、ハイネセンポリスのバーベキューレストランを貸しきって釈放祝いを開いた。

 

 俺はモードランズから飛行機に乗って駆けつけた。国防委員会がトリューニヒト派の失点を探してる時に、国防委員長お気に入りの人物と揉めた相手を祝うのは危険だ。だが、世評を恐れて欠席したら、前の世界で自分を見捨てた連中と同じになってしまう。そんなのは嫌だ。

 

 妹のアルマはシトレ派なのに堂々と出席した。シトレ派のストイックさは好きだが反権威性が好きでない妹は、ヤン中将周辺とは交流がなく、地上軍将官との繋がりが深い。それでもかなり勇気のいる行為だろう。査問会は匿名で出席できるが、この祝いはそうではないからだ。俺を見捨てたデブと同一人物とは思えないメンタルである。

 

 他の出席者はクリスチアン中佐と同じタイプ。義理人情に厚いが血の気が多く、祖国と軍隊を熱烈に愛している。

 

「けしからん!」

 

 エーベルト・クリスチアン中佐が拳をテーブルに叩きつけた。

 

「一五〇〇万人も減らして国防が成り立つか! エル・ファシルの戦訓に学んでおらぬ!」

 

 釈放祝いの席でクリスチアン中佐は怒鳴り散らす。一年以上の拘置所生活を経ても意気が衰えることはない。

 

「そうだそうだ!」

 

 他の出席者が声を揃えて叫び、祝賀会は軍縮批判会と化した。俺と妹はテンションについていけずに傍観した。

 

 クリスチアン中佐より大きな不満を抱えているのが、トリューニヒト派である。個人的な感情に加えて政治的な事情も絡んでいた。

 

「確かにレグニツァでは失敗した。だが、エル・ファシルや対テロ作戦では結果を出した。シトレ元帥の戦略で治安を良くできたか? ゲベル・バルカルの敗北は中央情報局の責任だろうが! パストーレ元帥は被害者だぞ! 情報屋の失敗を押し付けやがって! 何でもかんでもトリューニヒト派のせいにするな!」

 

 ナイジェル・ベイ大佐が珍しく怒っていた。トリューニヒト議長の政策が全否定され、自分は辺境惑星エコニアの捕虜収容所長へと左遷された。二重の意味で腹を立てているのだ。

 

「道理のわからん奴が『レグニツァでトリューニヒト・ドクトリンは破綻した』とかほざいてとるがな。それを言うなら、シトレはもっと前から破綻しとるぞ。あいつが軍縮に走ったせいで軍が弱くなったのだからな。ここ三年の劣勢は全部シトレが悪い。我が派はシトレの尻を拭くために苦労したのだ。大軍を揃えるという用兵の基本を無視して勝てるものか。小細工がまぐれ当たりしただけで威張りおって。ただでさえ図体がでかくて目障りなのに最近はもっと目障りだ。でかいのがそんなに偉いのか。さっさと死んでしまえ」

 

 第二艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将は早口でまくしたてた。シトレ元帥の高身長が気に入らないと言ってるように聞こえるが、たぶん気のせいだろう。

 

 穏健保守はシトレ派の軍縮路線に追随した。しかし、穏健と言っても保守は保守。個人レベルでは不満があるようだ。

 

「与党がここまでラディカルな政策転換をするとは。野党が勝った方がましだった」

 

 第一一艦隊司令官フィリップ・ルグランジュ中将は、たくましい肩をがっくりと落とす。

 

「軍拡しろとは言わないけどさあ。軍縮は困るよねえ」

 

 第三六機動部隊のイレーシュ・マーリア副参謀長が困った顔で腕組みをする。彼女が敬語を使わない時は、副参謀長としてでなく個人としての意見を表明する時だ。

 

 時には真面目な話になる。今日は軍縮の話題になった。ダーシャはリベラリストで和平論者なのに、この軍縮に賛成していない。

 

「だって、功績を盾にごり押ししてるだけじゃん。民主主義的じゃないよ」

 

 ダーシャはいつも原理原則にこだわる。ほんわかした丸顔とは裏腹に、性格は四角四面だ。

 

「軍縮と和平が達成できてもか?」

「みんなが納得してないと反動がすぐに来るよ。和平なんてどちらかが破ったら終わるんだから。だいいち、この状況だってパトリオット・シンドロームの反動でしょ」

「耳が痛いな」

 

 俺は苦笑いした。パトリオット・シンドロームが吹き荒れていた頃、トリューニヒト派は強引に事を進めすぎた。その反動がヤン・ウェンリーの春なのだ。

 

「シトレ派は地位もお金もほしくないって人が信念で結びついてるの。利権を差し出しても聞いてくれないし、頭を下げて『顔を立ててくれ』と頼んでも聞いてくれない。信念が同じか違うかだけが基準。だから、戦って優位に立つ以外の発想ができない。あの人たちのシンプルさは軍事に向いてるね。でも、政治に口出しさせたら国を滅ぼすよ」

 

 ダーシャはシトレ派を激しく批判した。彼女に言わせると、トリューニヒト議長は「大した人じゃない」、シトレ派は「危険過ぎる」のだ。

 

「国を滅ぼすというのは大げさじゃないか」

 

 前の世界のことを俺は思い浮かべた。自由惑星同盟は宇宙暦八〇〇年に滅びたが、それはシトレ派やヤン・ファミリーの言うことを聞かなかったせいだった。

 

「あの人たちっていつも戦ってばかりでしょ。自由の敵と戦うことが自由主義。平和の敵と戦うことが平和主義。論敵をやり込めることが議論。体を張って戦う奴が偉くて、体を張らない奴が戦いに口を出すのは大嫌い。根っからの好戦家集団よ。行き着く先は敵を殺し尽くすか、あるいは自分が殺されるか。ルドルフが歩いた道だね。自由や平和とは逆方向もいいところ」

「さ、さすがにそれは……」

 

 心の底から引いてしまった。確かにシトレ派は喧嘩好きだ。取り引きより相手を言い負かすのを好む傾向はある。体を張らないのに戦いに口を挟む人間を極端に嫌うのも事実だ。しかし、結論があまりに突飛過ぎる。そこまで殺伐とした集団じゃないと思うのだが。

 

「相手が軍国主義者と見たら、途端に刺々しくなる人を平和主義者とは言わないよ」

「だから相容れないわけか」

「そういうこと。軍国主義者との間でも平和を成立させるのが平和主義者だと思うの」

「俺やワイドボーン准将との間にも平和が成立させてるな、君は」

 

 俺は冗談めかして言った。ダーシャは言葉がきついが、他人に喧嘩を売ることはないし、考えの違う相手と付き合えるし、嫌いな相手に礼を欠くこともない。だからこそ、小物の俺とも仲良くできる。

 

「誰とだって平和に付き合いたいよ。アッテンボローみたいな奴はどうしようもないけど。あれの脳みそは、相手がマジョリティと判断したら、自動的に喧嘩を仕掛けるようにプログラムされてるから」

「有害図書愛好会だったか」

「そうそう。あいつは風紀委員会と喧嘩したかっただけなのよ。禁書はほとんど読んでないんじゃないかな」

 

 喧嘩したかっただけで禁書を読んでないというのは、前の世界で読んだアッテンボローの回顧録『革命戦争の回想――伊達と酔狂』にも書かれていた。要するに根っからの喧嘩好きなのだ。

 

「彼らしいな。会ったことはないけど」

「会わないに越したことはないよ」

「そう思う」

 

 俺は世間から「軍人精神の塊」「献身的でストイックな武人」と思われてる。ただ呼吸するだけで、アッテンボロー准将の反骨精神を刺激するだろう。

 

「ブラッドジョー大佐も同類よ。エリヤが軍国主義の生きたシンボルみたいになったから、急に冷たくなったの」

「そんな理由で俺は嫌われたのか?」

「あの人の性格からすると、他の理由はないと思うよ。体制側にいるってだけで他人を嫌いになれる人だったから」

「思い当たるふしが無いわけじゃない。でもなあ……」

 

 理性では分かる。ブラッドジョー大佐はヤン・ファミリーと同じ気質の持ち主。今の俺を嫌うのはごく自然なことだ。しかし、感情が納得しない。

 

「いい加減、あの界隈に幻想を持つのはやめた方がいいよ。トリューニヒト議長の一〇〇倍、いや一万倍危険だから」

「そうか?」

「エリヤはヤン中将を尊敬してるでしょ?」

「表向きは不仲ってことにしてるけどな。本音では凄い人だと思ってるぞ」

「あの人は危険よ。軽薄な才子だと思ってたけど、そんなんじゃない。エル・ファシルで一緒に働いて分かった。あの人は心の底から国家と軍隊を嫌ってる。憎んでるとすら思う。いつか国家と軍隊の敵になる人だって感じた」

「考えすぎだろう」

 

 俺は笑い飛ばした。心の底から国家や軍隊を嫌ってるというダーシャの洞察は正しい。しかし、敵対するところまで行くものだろうか?

 

 前の世界ではヤン・ウェンリーは自由惑星同盟と敵対したが、それは当時のレベロ最高評議会議長に粛清されかけたからだ。そういえば、レベロはダーシャと同じ自由主義者。そして、同じようにヤンを危険視していた。つまり……。

 

「考えすぎだ」

 

 繰り返すように俺は言った。ダーシャでなく自分の考えすぎをたしなめるために言った。ヤン中将に疑いを抱くなど思いも寄らないことだ。

 

 俺の周囲には、ヤン中将に親和的な人がいない。前の世界で愛読した『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』の著者の周囲には、トリューニヒト議長と親和的な人がいなかったらしいが、それとは対照的だ。いつかヤン中将側の意見を直接聞きたいものだ。そうでないとフェアではない。

 

 今や同盟はシトレ派の天下と言っていい。だが、その水面下で右寄りの人々は不満を溜めこんでいった。いわば薄氷の上の平和だったのである。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。