銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第54話:同胞と戦うよりは外敵と戦う方がずっとましだ 797年11月上旬 トリューニヒト下院議長邸

 キプリング街の国防委員会庁舎から五キロほど離れた高級住宅地ミルズフォード。政財界の有力者が多く住んでいることで知られるこの街の一角にある瀟洒な邸宅が、ヨブ・トリューニヒト下院議長の私邸であった。

 

「凄い家ですね」

 

 きょろきょろと家の中を見回す俺に、品の良いポロシャツを身にまとったトリューニヒト議長は優しげな視線を向ける。

 

「こういう家は初めてかね」

「ええ。実家は警察の官舎で、軍隊に入ってからもずっと官舎住まいでしたから」

「私も義父からこの家をもらった時はびっくりしたよ。私の実家は一戸建てだったが、この家と比べたら犬小屋のようなものだった」

 

 トリューニヒト議長はいつもの笑みを浮かべながらコーヒーを作り、砂糖とクリームをたっぷりと放り込む。

 

「ありがとうございます」

 

 俺はトリューニヒト議長からコーヒーを受け取って口にする。手が震える。舌が震える。緊張で味がわからない。

 

「砂糖とコーヒーがたっぷり入っていておいしいです」

「砂糖? 私が入れたのは塩だがね……」

「も、申し訳ありません!」

「ははは、冗談だよ、冗談」

 

 トリューニヒト議長が茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。

 

「あまり脅かさないでください」

「どうせ、緊張して味もわからなかったんだろう?」

「おっしゃる通りです」

「しかし、これの味がわからんようでは困る」

 

 トリューニヒト議長がぱちんと指を鳴らすと、ドアが開いて一人の女性がワゴンを押しながら入ってきた。トリューニヒト夫人だ。

 

 トリューニヒト夫婦が共同作業で料理をワゴンからテーブルに移し替える。作業が終わると、トリューニヒト夫人は部屋から出ていき、山のような料理だけが残された。良く言えば庶民的、悪く言えば安っぽい料理ばかりだ。

 

「妻の手料理だ。好きなだけ食べたまえ」

「ご馳走になります」

 

 挨拶を交わしあうと、俺とトリューニヒト議長は同時に動いた。右手に握ったフォークを料理の山へと突入させる。取っては食べ、取っては食べ、取っては食べ、取っては食べ、取っては食べを繰り返す。その合間に水をガブガブ飲む。

 

 一時間後、すべての皿が空になった。俺とトリューニヒト議長は食後のデザートをのんびりと楽しんだ。

 

「久しぶりに楽しい食事だった。最近は客があまり来ないもんでね」

 

 トリューニヒト議長が寂しそうに笑う。政治家にとって来客の数は権勢のバロメーターだ。

 

「いずれ増えますよ。先生はこの国に必要なお方ですから」

「ははは、気休めと分かっていても嬉しいものだな」

「気休めではありません。本気です」

「君はいつも前向きだな。そろそろ本題に入ろうか」

「はい」

 

 俺はアンドリューから託された帝国領侵攻計画「ラグナロック作戦」のファイルを見せた。トリューニヒト議長はさっと目を通す。

 

「ふむ、これは踏み絵だな」

「踏み絵?」

「持論にこだわって主戦派の支持を失うか、持論を捨てて主戦派の支持を取るか。二つに一つだと彼らは言っているのだ」

「アンドリューがですか?」

「その背後の連中だよ」

「背後には誰もいないと聞きましたが」

「フォーク君はロボス・サークルの一員だぞ? 独断で動くはずがないだろう。それに若手参謀が情報部や全銀河亡命者会議を動かせるものか。彼らの背後にいるのはロボス君とアルバネーゼだ」

 

 トリューニヒト議長の解説は道理に適っていた。アンドリューを動かせるのはロボス元帥。情報部を動かせるのは反フェザーン派のアルバネーゼ退役大将。全銀河亡命者会議は情報部の影響下にある。実にもっともな話だ。

 

「そして、罠でもある。私がフェザーンにこの情報を流したら、彼らはそれを口実に私を排除するつもりだ」

「まさか」

「このファイルには肝心な情報がまったく載っていない。漏れても構わない情報を渡して、どう動くかを試すつもりなのだろう。反フェザーン勢力に寝返れば良し、フェザーンと心中するならそれも良し。そう考えているのさ」

 

 トリューニヒト議長がどう動いても、向こうの思う壺になる。聞いているだけで体温が下がるような話だ。

 

「アンドリューはどこまで噛んでいるんでしょう?」

「作戦立案には関わっているはずだ。彼の作戦能力は大作戦には不可欠だ。謀略の方には関わっていないな」

「そうお考えになる理由は?」

「敵を欺くにはまず味方からという。フォーク君が私を取り込むつもりで動いた方が、謀略は成功しやすくなる」

「複雑な気分です」

 

 俺は困ったように笑う。アンドリューが俺を騙したのでないのはありがたいが、踊らされてるのはありがたくない。

 

「政治の世界には、完全に踊らせるだけの人間もいなければ、完全に踊らされるだけの人間もいない。ロボス君やフォーク君はアルバネーゼを踊らせようとするだろうし、アルバネーゼはロボス君たちを踊らせようとするだろう。お互いに踊らせたり踊らされたりしながら、それぞれの目的を追求する。協力関係とはそういうものだ」

「頭がこんがらかりそうです。ややこしすぎて」

「理解できる方が人としておかしい」

 

 一瞬だけトリューニヒト議長から微笑みが消えた。

 

「俺はまっとうなんでしょうかね」

「これ以上ないぐらいまっとうだ」

「それは良かったです」

 

 これ以上ないぐらい不毛なやり取り。

 

「ロボス君とアルバネーゼが名前を出さないのも仕掛けの一つだよ。あの二人が噛んでると聞くだけで警戒する者は多い」

「でも、騙されるのは俺みたいな奴だけでしょう?」

「本当に騙す必要はない。様々な事情からロボス君と組めないが、例の計画に乗っかりたい人間がいるとしよう。この場合、表向きだけでもフォーク君が主導しているように見せれば、『ロボスではなくフォークと組む』と言い訳できる」

「わかっていて騙されたふりをするわけですか」

「その通りだ。仮に計画が失敗に終わったとしても、ロボス君は責任を回避できる」

「アンドリューのメリットは?」

「成功した場合、絶大な発言力を獲得できる。イゼルローン攻略のヤン君みたいに」

「あれってそうなんですか!?」

 

 驚きで声が裏返る。イゼルローン攻略作戦はヤン中将が主導して、シトレ元帥が後援したはずではないか。

 

「表向きにはヤン君が仕掛け人ということになってるがね。真の仕掛け人はシトレ君と情報部、決め手になったのは情報部の内応工作だよ。ヤン君は要塞制圧を担当したに過ぎん」

「そんな話、初めて聞きました」

 

 俺は目をぱちぱちさせる。

 

「電子支援艦を多く連れて行っただけで、イゼルローンの通信を麻痺させられるのか? 帝国軍があんなに都合良く振り回されてくれるのか? 薔薇の騎士がボディチェックを受けずに入り込めるほど、敵のセキュリティは杜撰なのか? 答えはすべてノーだ。イゼルローンの中枢に内応者がいた。要塞から兵力を引き離す手段、そして空になった要塞を制圧する手段だけが問題だった」

「情報部がメイン、ヤン提督がサブだとおっしゃるのですか?」

「実際そうだからね。もちろん、ヤン君の功績は否定できない。一度目の奇襲を指揮したコナリー君、二度目の奇襲を指揮したフルダイ君は、内応者を活用できなかった」

 

 トリューニヒト議長のこの発言は二つの意味で驚きだった。一つはヤン中将を評価する言葉を彼の口から聞いたこと。もう一つは秘密扱いだった二度の奇襲作戦の指揮官がわかったこと。

 

「あの二人にできなかったことをできたのなら、大きな功績です」

「ヤン君がどんな条件をシトレ君から提示されたのかはわからん。だが、あの二人はどちらも軍縮支持だ。二人で軍部の主導権を握り、講和・軍縮路線を推進する約束だったと、私は推測する」

「そんなところでしょうね」

 

 俺の前の世界で獲得した知識をもとに答える。『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』によると、ヤン中将とシトレ元帥は講和のためにイゼルローン要塞を落としたそうだ。前の世界とは状況がだいぶ違うが、彼らの動きから推測すると、同じ目的だったように思われる。

 

「オーディン攻略、帝国軍殲滅のいずれかを成し遂げれば、シトレ君に代わってロボス君が軍縮をリードすることになる。失敗してもシトレ君を道連れにできるし、遠征軍にシトレ派の幹部を参加させれば連帯責任に巻き込める」

「えぐいことを考えますね」

 

 俺はそう言うと、デザートを口に放り込んだ。糖分抜きでこんな話は聞いていられない。

 

「ロボス君がそうしなければ、シトレ君がそうするだけのことさ。彼らは同類だ。国家のために軍隊を指揮するのでなく、国家をコントロールするために軍隊を利用している。要するに軍閥だよ。どちらも一緒に消えてほしいものだね」

 

 トリューニヒト議長の目が冷たく光る。これ以上、この話を続けるのはまずい。俺は強引に話題を変えた。

 

「ところで、ヤン案とフォーク案のどちらが有効だとお考えですか?」

「何とも言い難い。私はヤン案の詳細を知らない。君が見せてくれたフォーク案は単なるパンフレットだ。本物の作戦案を見ないことには判断しようがないな」

「発想としてはどうですか? ブラウンシュヴァイク派との同盟、帝国軍との対決。どちらに分があります?」

「どちらも軍事的には悪くない。帝国は内紛でガタガタだ。ローエングラム元帥は中立派諸将を統率しきれていない。我が軍は確実に勝てるだろう。政治的には最悪だがね」

 

 トリューニヒト議長は『最悪』を強調する。

 

「ヤン君は帝国との講和、フォーク君の案は帝国を降伏させるのが目的だ。どちらもフェザーンの天秤を壊そうとしている」

 

 フェザーンの天秤。銀河の勢力比を固定しようとするフェザーン自治領の勢力均衡政策。トリューニヒト議長は、それに対する挑戦が最低最悪の行為であるかのように言う。

 

「悪いとは思えませんが」

「アルバネーゼやカストロプと同じことを言っているのにかね?」

「あの二人は卑劣な悪党です。しかし、悪党が言っているから間違いだとは限りません」

 

 俺には勢力均衡状態を打破するのが悪いとは思えなかった。フェザーンの背後には、同盟と帝国の共倒れを狙う地球教団がいるのだから。

 

「君はフェザーンを何だと思う?」

「中立国であり、銀河唯一の国際自由貿易港です」

「それは二次的なものに過ぎん。フェザーンの真の役割は、銀河のパワーバランスを維持するための天秤だ」

「初めて聞きました」

 

 これは素直な感想だ。今の世界はもちろん、前の世界でもそんな話は聞いたことがない。

 

「六四〇年にダゴン会戦が始まってから、三〇年近く全面戦争が続いた。同盟軍がオーディンから二〇〇光年の距離まで迫ったこともあれば、帝国軍がハイネセンの手前まで侵攻したこともある。両国は激しく疲弊した。妥協はできないが、いずれ国がもたなくなるのは目に見えている。共倒れを防ぐためにフェザーン自治領が設立された」

「同盟と帝国の二国間貿易が目的ではないのですか?」

「それは表向きの理由だ。古代チャイナに『天に二日無し』ということわざがある。同盟と帝国の二国だけなら、どちらかが滅ぶまで戦い続けなければならない。だが、第三勢力がいれば鼎立状態となって安定する。当時の帝国皇帝コルネリアス一世、同盟のスペンサー最高評議会議長はそう考えた」

 

 同盟と帝国がフェザーンを作ったように聞こえる。聞き間違えたのだろうか?

 

「待ってください。フェザーンを作ったのはレオポルド・ラープでなく、同盟と帝国だとおっしゃるのですか?」

「それが真実だよ。ラープは利用されたにすぎん」

「嘘でしょう」

 

 俺は拒絶するように首を振る。地球教団が帝国と同盟を共倒れさせるためにフェザーンを作ったというのが、前の世界で明らかになった真実なのだ。

 

「ラープは同盟と帝国の共倒れを狙う勢力のエージェントだった。その勢力は目的を果たすために第三勢力を作ろうと考えた。同盟と帝国はそれを利用したのだ。第三勢力は本質的に両国と相容れない存在こそが望ましい。片側に取り込まれるようでは機能しないからね」

 

 その勢力とは地球教団なのだろうか? 口には出さずに頭の中で呟く。

 

「コルネリアス一世はラープがエージェントなのを見抜いた上で側近に置き、計画通りに動くよう誘導した。スペンサー議長は同盟側から情報操作をした。結局、その勢力は同盟と帝国に大金を巻き上げられたあげく、第三勢力を設立する費用を全額負担させられたのだ」

「とんでもない話ですね」

「歴史の裏側なんてとんでもない話だらけだよ。ジークマイスター機関やウエディング・レセプションや不死大隊だって、実在するのだからね」

 

 トリューニヒト議長は笑顔で爆弾発言をした。前の世界ではローエングラム朝時代に「ジークマイスター機関」の実在が証明されたが、「ウエディング・レセプション」や「不死大隊」はそうではない。

 

 とても興味を惹かれたが、横道にそれるのは良くない。トリューニヒト議長はただでさえ話題がころころ変わる人なのだ。俺は本題に戻った。

 

「共倒れを狙う勢力とは一体何なんでしょうか?」

「ビッグ・シスターズ」

 

 地球教団ではない組織の名前をトリューニヒト議長が口にした。それは西暦時代末期、地球統一政府を経済的に支えた巨大企業グループの名前だった。

 

「驚かないのかね?」

「議長閣下のおっしゃることですから」

「少しは驚いて欲しかったんだがね。信用されすぎるのもつまらんな」

「申し訳ありません」

「構わんよ」

「続きをお願いします」

 

 俺はやや早口で言うと、トリューニヒト議長が頷いた。

 

「ビッグ・シスターズは地球統一政府が崩壊した後も形を変えて生き残った。彼らの武器は地球人固有の同族意識だ。かつての選民意識が、苦難の時代に被害者意識となり、同族同士の結束を強めた。そして、地球人による人類統一国家の再建を願い続けた」

 

 前の世界では誇大妄想扱いされた地球教団の野望の原点が、トリューニヒト議長の口から語られる。選民意識から転じた被害者意識。何とも分かりやすい話だ。

 

「地球といえば地球教団です。ビッグ・シスターズとは関係あるのでしょうか?」

「地球教団はビッグ・シスターズの一部だな。厳密には一部ではないが、限りなくそれに近い」

「詳しく教えてください」

「地球統一政府崩壊後、独裁政権が地球を支配した。代を重ねるうちに地球の独裁政権は宗教的な性格を帯びるようになり、地球教団となった。数世紀にわたる苦難の時代の間に、地球人の末裔の間に地球そのものを神聖視する傾向が生じ、聖地を管理する地球教団の権威が向上した。やがてビッグ・シスターズは、地球教団の権威を奉じる保守派、かつての地球統一政府と同じ民主政体を目指す穏健派に分かれた」

「興味深いです」

 

 俺はすっかり話に聞き入っていた。この話が本当かどうかはわからないが、フェザーンや地球教団のルーツに関わる異説としては面白い。

 

「フェザーン経済界の頂点にいる一〇大財閥のうち、八つがビッグ・シスターズ保守派をルーツに持つ。この八財閥と地球教団がフェザーンの勢力均衡政策をリードしてきた」

「自治領主ではなくて、地球教団と八財閥が自治領の真の支配者なんですね」

「しょせん、自治領主は雇われ社長にすぎんよ」

「オーナーの意向に背いた場合は?」

「もちろん解雇される。解雇と同時に現世から追われるのさ」

 

 前の世界ではぼんやりとしか分からなかったフェザーンの裏側。それをトリューニヒト議長がどんどん明らかにしていく。

 

「怖い世界です。何から何まで悪意に満ちているというか」

「悪意を基礎とするシステムは、善意を基礎とするシステムよりはるかに強い。フェザーンは同盟が帝国を併合することも望んでいないし、その逆も望んでいない。それゆえに二大国体制の維持に尽くさざるを得ない。逆説的に言うと、フェザーンが悪意を維持している間は、同盟は決して滅亡しないことになる」

「二国が同時に崩壊した場合はどうなるんです?」

「同時に崩壊したとしても、フェザーンがそれに取って代わるのは不可能だ。同盟と帝国は狭くて不毛なフェザーン回廊をビッグ・シスターズに与えることで、食糧とエネルギーを自給できないように仕向けた。二国が同時に崩壊した場合、全銀河の星間流通路が混乱状態に陥る。軍事力の弱いフェザーンには、二国に代わって星間流通路を安定させる能力はない。二国の同時崩壊はフェザーン経済の崩壊にも繋がるわけだ」

「なるほど。しっかり保険を掛けていたんですか」

 

 フェザーンは建国当初から枷をはめられていた。当時の両国政府の遠慮深謀には舌を巻くより他にない。

 

「フェザーンは二大国体制の守護者になるべき宿命を与えられたのだよ。この一世紀の間、フェザーンの天秤が銀河を守ってきた。急進的な指導者はフェザーンの手で排除された。フェザーンからの融資が財政破綻を回避させた。戦場がイゼルローン回廊に限定されたことで、全面戦争の危機は遠のき、回廊周辺以外は安全になった」

「そういう見方もありますね」

 

 フェザーンが二大国の存続に寄与していることは、前の世界の知識を持つ俺でも否定できない。この一世紀の間だけでも、帝国と同盟は何度も内部崩壊寸前に陥ったが、ぎりぎりで完全崩壊を免れた。戦争の規模は著しく縮小された。現状維持という点においては役立っている。

 

「反フェザーン勢力は一世紀以上にわたって秩序に挑戦した。フェザーンが併合されそうになったこともあれば、同盟と帝国が和平を結びそうになったことや、片方が自壊しかけたこともある。最大の危機はイゼルローン要塞の建設だった」

「イゼルローン要塞?」

 

 俺はトリューニヒト議長の顔を見る。どうしてここでイゼルローン要塞が出てくるのか?

 

「反フェザーン勢力はバランスを崩すためにあの要塞を築いた。フェザーンが建国されて以来、帝国が回廊を超えることもあれば、同盟が回廊を超えることもあったが、戦局は一進一退だった。しかし、要塞ができればそうはいかなくなる。戦争は要塞を支配する側の一方的攻勢に変わり、グエン・キム・ホアが語った『距離の防壁』の効果が半分になる。戦争を終わらせるための仕掛けがイゼルローン要塞なのだ」

 

 イゼルローン要塞建設の裏には、フェザーンと反フェザーン勢力の暗闘があった。これは戦記にすら載ってない話だ。

 

「フェザーンの天秤は数々の危機を乗り越えて銀河を守ってきた。アルバネーゼらはそれを破壊しようとしている。それがどれほど悪いことなのかが理解できたかな?」

「現状維持のシステムとして信用できるのはわかりました。それでも、壊すのが悪いこととは思えません」

 

 俺は話を振り出しに戻す。理解しても行き着く結論は変わらない。

 

「どうしてそう思うのだね?」

「フェザーンの天秤がある限り、戦争がだらだら続くだけです」

「それでいいんだ」

「良くないですよ。これ以上戦争が続いたら、我が国は破綻します」

 

 俺は現状維持を望んでいない。帝国を滅ぼせるとは思っていないが、帝国軍を壊滅させて同盟優位の講和を強要したいと考えるのが一般的な主戦論者だ。

 

「戦争が続いているからこそ、破綻せずに済んでいるのだがね」

「どういうことです?」

「我々は争いを必要としている。同盟の歴史を思い出してみたまえ」

 

 トリューニヒト議長に言われて、頭の中で同盟史を振り返る。宇宙暦五二七年から五四五年までの建国期、五四六年から五八〇年までの拡大期、五八一年から六一五年までの黄金時代、六一六年から六三九年までの嵐の時代、六四〇年から六六八年までの全面戦争時代、六六九年から六八二年までの第一次冷戦期、六八三年から七〇七年までのデタント期、七〇八年から七四五年までの熱戦期、七四六年から七六三年までの第二次冷戦期、七六四年から現在までの防衛戦争期。

 

 建国期には、アーレ・ハイネセン系の長征グループが、銀河連邦から分離した植民星の後裔であるロスト・コロニーとせめぎ合いながら、多国間軍事同盟「自由惑星同盟」内部での主導権を確立していった。

 

 拡大期には、自由惑星同盟は経済統合を達成し、広大な自由貿易圏を形成することで急成長していった。各地に散在するロスト・コロニーを加盟させたり、植民星を開拓したりしながら、サジタリウス腕全域に勢力を広げたのである。各加盟国の軍隊で構成されていた自由惑星同盟軍は、他の多国間同盟との争いの中で常備軍化していった。同盟の拡大に伴い、調整機関の最高評議会と各委員会は加盟国からの独立性を強め、事実上の中央政府と化した。

 

 黄金時代には、自由惑星同盟は人類史上でも例を見ない高度経済成長期に突入した。銀河連邦の全盛期に匹敵する繁栄を謳歌した一方で、加盟間の利害対立が激しくなった。労働者や学生の反政府運動が大規模化した時期でもある。

 

 嵐の時代には、自由惑星同盟の内部対立が明らかになった。加盟国は一部の豊かな星系と多数の貧しい星系に二分され、地方分権を求める分権派、同盟体制の解体を求める分離派が台頭した。首星系バーラトを中心とする集権派は、分権派や分離派と激しい抗争を繰り広げ、力づくで同盟体制の解体を防いだ。ダゴン会戦で帝国軍を打ち破ったリン・パオやユースフ・トパロウルらは、こういった戦いの中で頭角を表した。

 

 ダゴン会戦以降の全面戦争時代、コルネリアス一世の大親征以降の第一次冷戦期、フェザーン建国以降のデタント期、マンフレート亡命帝暗殺以降の熱戦期、第二次ティアマト会戦以降の第二次冷戦期、イゼルローン要塞建設以降の防衛戦争期には、帝国との戦争を軸に歴史が動いた。

 

「どの時期も誰かしらと争ってますね」

「外敵がいない時は内紛が起き、内紛がない時は外敵と争う。国家というのはそういうものだよ。ダゴン会戦以降、集権派、分権派、分離派の争いは収まった。帝国の名君マクシミリアン=ヨーゼフ一世は、同盟の脅威を強調することで国内をまとめた。共通の外敵こそが内紛を抑える最良の手段なのだ」

「おっしゃりたい事はわかります。しかし、年間で数十万人の死者と数十兆ディナールの出費は、内紛を抑えるコストとしては少々高すぎると感じます」

 

 俺は微妙な気持ちになった。確かに共通の敵がいる時ほど人は結束する。トリューニヒト派はシトレ派、シトレ派は主戦派という敵を持つがゆえに強い。しかし、結束するために自滅しては元も子もないではないか。

 

「辺境を思い出したまえ。帝国という共通の敵がいなくなったら、彼らは同盟の旗を仰ぐと思うかね?」

「困難でしょうね。認めたくはありませんが」

「反戦派の連中は、『戦争が終われば、軍事費の負担が無くなり、地方への投資が増える』と言うがね。豊かになったら富が自動的に分配されるとでもいうのか? 増えた分を中央が抱え込めば、地方は豊かにならないのだ。今のエリート層を見ると、平和になったら地方を堂々と切り捨てかねん。地方の不満が高まったところで、帝国に乗じられる心配はないからな」

「…………」

 

 できれば否定したかった。しかし、前の世界の記憶がそれを許可しない。実力主義を国是とするローエングラム朝は、豊かになるのも貧しくなるのも本人次第と考えた。そのため、旧貴族財産のばらまきが終了した後は、格差が激しくなった。そして、レベロ財政委員長やシトレ元帥も実力主義だ。戦争が終わっても、「地方に分配しよう」と言う話になるとは考えにくい。

 

「我が国のエリートには同胞意識がない。自由主義が行き過ぎて、同胞の面倒を見ようと言う気持ちをなくした。こんな状況で講和をしたらどうなる? あっという間に内戦が起きるぞ」

「国内戦の難しさはエル・ファシルで思い知らされました。しかし……」

「同胞と戦うよりは外敵と戦う方がずっとましだ。そうは思わんかね?」

 

 トリューニヒト議長の瞳に深刻とも虚無ともつかない色が宿る。

 

「誰と戦うにせよ、血を流すのは俺たち軍人です」

 

 俺はトリューニヒト議長の目をじっと見つめた。

 

「できる限り手厚く待遇したいと思っている」

 

 目を少し逸らしながらトリューニヒト議長は答える。俺は少し安心した。慰霊祭の時といい、今回といい、この人には冷徹になりきれないところがある。政治家としては欠点かも知れないが、人間としては好ましい。

 

「先生の立場はわかりました」

 

 言葉でなく声色で「理解はしたが納得はしていない」と伝えた。

 

「今はそれで十分だ」

 

 話し続けて喉が渇いたのか、トリューニヒト議長は紅茶を一気に飲み干した。一息つくと軽く目をつぶる。

 

 俺は砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーを飲んだ。そして、マフィンを口に放り込む。体中に糖分が行き渡り、興奮が収まっていく。

 

「議長閣下」

「なんだね」

「こういう話はどこでお聞きになられたのです?」

「私は保安警察の出身だ。世界の裏側に触れる機会は何度もあった」

「そういうことでしたか」

「もっとも、私の聞いた話が真実とも限らないがね。情報部には別の話が伝わってるかもしれん。フェザーンや帝国にはまた別の話が伝わっているだろう。一〇人に話を聞いたら一〇人が違う話をするのが裏の世界だ」

「俺の頭ではややこしすぎます」

 

 苦笑いしながらデザートを口にする。

 

「他に聞きたいことはあるかね?」

「サイオキシンマフィアの件とフェザーンの天秤の関係を知りたいです」

 

 話の最中から気になったことだった。天秤を壊そうとするアルバネーゼ退役大将はマフィアの創設者、天秤を守ろうとするトリューニヒト議長はマフィアの敵。全くの無関係とは思えない。

 

「大いにある。サイオキシン密売は反フェザーン勢力の資金源だった。だからこそ、フェザーンが捜査に協力してくれたのだよ」

「つまり、アルバネーゼ退役大将はフェザーンに対抗するために麻薬密売を始めたということですか?」

「わからない」

 

 トリューニヒト議長は首を横に振る。何でも知ってるわけではないらしい。

 

「あの男がいつ反フェザーン勢力に加わったのか、はっきり分からないのだ。あの男がフェザーン占領計画『ウエディング・レセプション』のバージョン・ワンを策定したのは七六三年五月。それ以前に加わったとは思うのだが」

「待ってください! ウエディング・レセプションを作ったのってあの人なんですか!?」

 

 都市伝説とされてきたフェザーン占領計画『ウエディング・レセプション』。先ほどトリューニヒト議長が「実在する」と語ったが、その立案者がアルバネーゼ退役大将とは思わなかった。

 

「あの男が作ったのはバージョン・スリーまでだがね。現在のウエディング・レセプションはバージョン・シックスだ。我が軍は三〇年以上もフェザーンを占領する計画を立ててきた」

「そうだったんですね」

 

 銀河は思ったよりずっと複雑なようだ。フェザーン占領を最初に考えたのは、前の世界のラインハルト・フォン・ローエングラムだとばかり思っていた。しかし、今と前の世界が分岐するよりずっと前からフェザーン占領計画が存在した。

 

「ウエディング・レセプション以前にも単発的な占領計画は何度も作られた。フェザーン占領はそれほど突飛な発想ではない。現実的に不可能であるということを除けばだが」

「フェザーンは気づいてるんでしょうか」

「そりゃ気づいてるさ。戦争の用意があるとわからせることが重要だからね。帝国には『ダンツィヒ作戦』というフェザーン占領計画がある。フェザーンは対同盟戦争計画『ラズーリト』と対帝国戦争計画『ブリリアント』を用意している。右手で握手し、左手で刃を突きつける。外交とはそういうものだ」

「想像もつかない世界です」

「君は正直者だからな」

 

 トリューニヒト議長が端整な顔いっぱいに笑みを浮かべる。

 

「カップを出しなさい」

「はい」

 

 俺は言われるがままにカップを出す。そこにトリューニヒト議長がコーヒーを注いでくれた。

 

「砂糖は六杯、クリームは五杯だったか」

 

 トリューニヒト議長は俺のコーヒーに砂糖とクリームをどさどさと放り込む。

 

「ありがとうございます!」

「私も楽しいよ。人のためにコーヒーをいれることなんて、半年に一回あるかないかだ」

「いただきます」

 

 俺は手を震わせながらゆっくりとコーヒーを飲む。緊張で味がわからなかった。

 

「糖分を補給したところで話を戻すとしようか」

「お願いします」

「アルバネーゼが麻薬密売に手を染めた理由について、私は一つの仮説を持っている。サイオキシンマフィアはジークマイスター機関の後継機関ではないかと」

「今度はジークマイスター機関ですか……」

 

 今日はどこまで裏の歴史を耳にするのだろう。トリューニヒト議長の口から飛び出したのは、伝説の特務機関「ジークマイスター機関」の名前。

 

 半世紀前に猛威を振るったジークマイスター機関は、元帝国軍務省政治局長ジークマイスターが作った対帝国情報機関だった。情報提供者には兵卒から元帥までが含まれていたそうだ。帝国軍最高会議の議事録まで入手する能力を持っていたとも言われる。今の世界では都市伝説の一つだが、前の世界ではヤン・ウェンリーの残した文書がきっかけに実在が証明された。

 

「ジークマイスター機関は実在する。噂の方が控えめなぐらいの活躍ぶりだった。もっとも、七五〇年前後に壊滅したがね。後継機関の設立は急務だったろう。その過程でアルバネーゼはサイオキシンに目をつけたのではないか。麻薬密売で工作資金を稼ぎ、帝国の麻薬関係者を情報網に組み入れる。麻薬密売という秘密を握っているから、生殺与奪は思いのままだ」

「話としては面白いですけど、情報部が組織的に味方を食い物にするとは思えないですよ」

「敵を欺くには味方から欺けというじゃないか。ソビエト連邦の国家保安委員会、地球統一政府の国防情報本部、シリウスのチャオ・ユイルン機関、銀河連邦の連邦保安庁。これらの情報機関が何をやったかを思い出すといい。情報のプロは手段を選ばない」

「まさか」

 

 俺は即座に否定した。素直には面白がることはできない。俺が属する軍隊のことなのだから。

 

「ああ、済まない。少し言い過ぎたようだ」

 

 俺の顔色に気づいたのか、トリューニヒト議長はすまなさそうに言った。

 

「動機はともかく、アルバネーゼが麻薬の力で帝国内部に人脈を広げたのは事実だ。そして、カストロプ公爵と出会い、二人三脚で出世していった。麻薬密売で得た資金。麻薬関係者から手に入れた帝国情報。この二つがあの男を権力の座に押し上げた」

「アンドリューの計画が期待している反体制派とは、麻薬人脈でしょうか?」

「微妙に違うな。密売に関わっていたのは帝国のエリート層だ。貴族、軍人、官僚といった連中を反体制派に協力させるつもりだろう」

「なるほど。しかし、情報のプロにとって、情報提供者は命綱でしょう。反体制派に協力させるなんてリスクが大き過ぎます」

「カストロプ公爵が暗殺された後、帝国政府は麻薬関係者の摘発に乗り出した。情報提供者を失う前に活用したい。宿敵フェザーンを叩く機会でもある。そんなアルバネーゼの焦りを見越したロボス君が、侵攻計画を持ち込んだのだろう」

「こんな面倒なことにアンドリューが巻き込まれてるなんて」

 

 気が遠くなりそうだ。侵攻計画の裏にどこまで闇が広がっているのか。

 

「アルバネーゼは特定の派閥に全面協力するのを避けてきた。アッシュビーをカエサルに仕立てようとしたジークマイスター機関のような真似は嫌だったのだろう。だが、カストロプ公爵が死んでからは、なりふり構わなくなった。シトレ君にイゼルローンを攻略させ、今度はロボス君に帝国を攻めさせようとしている。何が何でもフェザーンの天秤を破壊するつもりだ」

 

 危機感がトリューニヒト議長の顔いっぱいに広がる。これはチャンスだ。俺はとっておきの提案をした。

 

「ヤン案を支持するわけにはいきませんか?」

「なぜだね?」

「アンドリューはヤン案を『フェザーンに介入する隙を与えるからだめだ』と言いました。ヤン案を採用させて、講和が成立する前にフェザーンが介入すれば、勢力均衡は維持できます」

「それはそうだがね。ヤン君にこれ以上功績を立てられては困る」

 

 嫌悪ではなく困惑がトリューニヒト議長の顔に浮かぶ。

 

「議長閣下が軍縮派の台頭を望まないのは存じております。しかし、フェザーンの天秤が破壊されるよりはましです」

「フェザーンの天秤は単なる手段だ。国家が破壊されて天秤だけが生き残っても意味は無い」

「ヤン提督は武勲を鼻にかけて威張り散らし、口を開けば他人を批判するばかりで、仕事を部下に押し付けて遊んでいるため、すべての人に憎まれています。これ以上功績を立てたところで、独裁者にはなれっこありません」

 

 俺は口を極めてヤン中将を貶す。尊敬する提督を小物のように言うのは心苦しいが、トリューニヒト議長の警戒心を取り除くにはこうした方がいい。

 

「そういう問題ではない。イゼルローン攻略と帝国領出兵を立て続けに成功させたとなれば、ヤン君は神に等しい存在となる。彼のやることなすことすべてを肯定しなければならないという空気ができる。彼と違う意見を言っただけで無能扱いされ、彼と仲が悪いだけで悪人扱いされる。最高評議会ですら逆らえなくなるだろう。どれほど恐ろしいことか分かるかね?」

「それは……」

 

 それは考えすぎでしょう、と言いかけてやめた。成功者は何をしても肯定され、失敗者は何をしても否定されるのは、俺自身が経験したことだ。間違いを犯したのに、うまくいったように言われたこともあった。俺と不仲だったというだけで無能扱いされた人もいた。

 

 ヤン中将についても同じことが言える。彼自身が「間違いだった」と認めた判断を世間が称賛したことがあった。前の世界で読んだ戦記では、彼が反対した意見はすべて間違い、彼と対立した人物はみんな無能、彼の行動を妨害する行為は犯罪のように書かれていた。そんな状況をヤン中将が喜ぶはずもないが、本人の意志にかかわらず、他人が勝手に判断することは避けられない。

 

「半世紀前、名将ブルース・アッシュビーは、功績を盾に宇宙軍を私物化した。正規艦隊の半数近くを友人に指揮させ、自分と友人たちが武勲を立てるためだけに兵を動かした。だが、最高評議会や国防委員会ですら制止できなかった。一個人に国防を左右されるのは不健全と言わざるをえない。ヤン案を採用したら、同じ事態が起きる」

「それはまずいですね」

 

 俺には反論できなかった。アッシュビー提督には権力欲がなく、数々の専横も主観的には帝国軍に勝つための手段だったのだが、宇宙軍が政府の統制から離れる結果を招いた。超法規的な権威の持ち主は存在するだけで危険だ。

 

「私はフォーク君の案にもヤン君の案にも賛成しない。あくまで出兵反対を貫く。これが愛国者としての結論だ」

 

 結局、トリューニヒト議長は前の世界と同じように出兵反対を選択した。現状維持を望む以上、他に選択がないのだろう。

 

 トリューニヒト議長の家を訪れた日の夜、若手高級士官グループ「冬バラ会」のフォーク准将やホーランド少将らが、帝国侵攻計画「ラグナロック作戦」を最高評議会に提出した。

 

 最高評議会は、アンドリューの「ラグナロック作戦」、ヤン中将の「槌と金床」作戦の比較検討を始めた。現時点ではロボス元帥とシトレ元帥の支持率はほぼ互角。トリューニヒト派と反戦派を合わせても、この二つの勢力には遠く及ばない。出兵は避けられない情勢だが、どちらの作戦が採用されるかは不透明だった。


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